魔王城をあとにしたぼくとルーカスは、重要な施設や通りを一巡した。
もちろん、治療院として使えそうな物件の下見も兼ねてである。
この国では現在ぼくしか技術者がいない。
いきなり人間が敵国で開業するという事情も踏まえ、最初は小さく始め、軌道に乗ったら拡張していくしかないのかなと考えていた。
だがルーカスにその話をしたら、
「スペースが余ろうが最初から大きいところでやってくれ」
と言われてしまった。
彼がもともとマッサージ技術を魔国に取り入れたいと考えたのは、負けが込んで荒んでいる住民の心身を潤したいという理由がある。
「とにかく時間の猶予がない」
ということらしい。
失敗のリスク上等で大きな物件を取り、早い段階で弟子を入れ、どんどん施術できる人数を増やしていこう――そのような方針となった。
現状で空いているところを探すことになるため、開業地の選択に自由度がさほどあるわけではない。
しかし運がよかったのか、王都中心部の各施設にも近く、ルーカス邸にもそこそこ近い、そして十分な広さがあるという絶好の物件を一つ見つけた。
さっそくルーカスおよび魔王公認のパワーを使って無期限仮押さえし、この日は疲労も考え、帰って休むことになった。
後日、カネを持っていき契約をおこなう予定だ。
***
「な、なにこれ……」
たどり着いたルーカス邸は……明らかに周囲から浮いていた。
まず木造という点である。
気候が乾燥気味で森がそこまで多くはないせいか、周囲の建物に木造は一軒も見当たらない。建材はすべて石が使われている。
王都見学時に外縁部や城壁外区域もチラッとは見ているが、木造はまったく見かけなかった。
建物の大きさも、レンドルフ村にあった別荘に比べ圧倒的に小さい。
屋根も瓦葺きになっている。
まるで一軒だけ日光江戸村から移設したかのようだ。
傾きつつある日の光を浴びた和風建築。
優しさが一層際立っており、味があると言えばそのとおりなのだが……。
意味不明である。
「これはわたしの家だ」
「いや、それはわかるんだけど。別荘とのバランスがおかしいでしょ」
「ふふふ。元は大きな館があったのだがな。いったん取り壊し、カムナビ国という大陸北東にある人間の国風の家にしてみたのだ。
大きさよりも『わび』『さび』なるものを重視している」
「……」
中も外観を裏切らないものだった。キッチンを除けば全部和室のようだ。
「畳だ……」
「ほう、畳を知っているのか、さすがだな」
「ぼくの世界でも使われていたからね」
現在この家はルーカスとメイド長の二人で住んでいるらしい。
なぜ一人なのに〝長〟なのかと聞いたら、非常勤のメイドをしばしば雇うからとのこと。
庭もカムナビ国風にしたおかげで、植栽の手入れ、草取り、落ち葉の片づけなど、とにかく手がかかるそうだ。
***
今日はもうすべての用事が済んだ。
あとは寝るだけだ。
ぼくは真ん中にちゃぶ台が置いてある四畳半の部屋を与えられた。
この待遇、どのあたりが奴隷なのか疑問だが、こちらとしてはありがたい。
さて、と。
奴隷手帳を開く。
ランプの灯りは少し暗いが、読み書きに問題はない。
ここまでルーカス、メイド長、魔王と、三人の魔族を施術したことになる。
気づいたことを忘れないようにまとめておこう。
一つは、足の小指だ。
ルーカスを施術したときに少し気になっていたので、他の二人の時もチェックはしていたが、やはり関節が一個足りなかった。
だが日本でも足りない人はいる。三人だけではまだ何とも言えないので、今後もチェックしていくこととする。
二つ目は、施術中にうるさすぎることである。
放送事故級にうるさい。
これまた三人だけでは統計上意味はないかもしれないが、「マッサージ中うるさい」とメモしておく。
書かないといけないのはこれくらいかな……。
――あ、そうだ。
魔族の寿命について、結局確認していなかった。
これは忘れていなければ明日に聞いてみることとする。
明日から早速開業準備だ。睡眠はしっかりとっておかなければ。
ぼくはちゃぶ台の横に布団を敷いて横になった。
***
……んん。
白っぽく、ぼんやりしている。
これは夢だろうか。
魔王城百階、謁見の間。
ぼくは謁見しているようだ。
魔王が玉座に座っている。
そして左右の手を挙げ、右手は氷柱、左手には火球を出す。
冷笑がぼくのほうにむけられている。
ぼくはヨロイを着ていないようだ。
ああ、これはまずい……。
ヒョイっと魔王の左右の手が同時に動かされる。
氷柱と火球が一直線に飛んできた。
逃げないといけないのに、体が反応しない。なぜ。
だめだ、死ぬ――
「うああっ!」
……あ、やっぱり夢だった。
「ふう、魔王怖い怖いっと」
「誰が怖いって?」
「うあああああっ」
なぜかちゃぶ台のところに魔王が座っていた。
反射的に部屋の隅に飛んで避難してしまう。
「なああんんでいるのおおっ」
「いて悪いのかよ。ここはわたしの国だぞ?」
隅に避難しても四畳半なので距離が取れていない。六畳間がよかった。
「マコトおはよー」
カルラもいる。どうなっているのか。
「ほら、朝なんだから挨拶しろ」
「……お、おはようございます」
呼吸を整えて挨拶し、ちゃぶ台で正座した。
ルーカスも起こしてくれればいいのに……と内心で抗議しながら。
「おかあさまが朝の散歩をしようって言いだしてね。それでここによったんだよ」
「へー、そうなんですか。散歩はいつもしているので?」
「ううん。おかあさまはね。昨日マコトにまっさーじしてもらって今日すごい調子がいいから散歩に――」
「お前は余計なこと言わんでいい!」
カルラが魔王に口を塞がれてモゴモゴしている。
「マコト。この物件の資料だが、場所は悪くないな」
「あ、そうですか? ありがとうございます」
ちゃぶ台の上に物件資料と奴隷ノートが置きっぱなしだった。
「恐らくそこでやることになると思います」
「そうか、これなら魔王城にも近いし、呼びつけたらすぐに来られるな」
むぅ。やはりまた呼ばれるのか。
まあそれは置いておくとして、魔王がマッサージの効果を認めてくれている雰囲気はある。
これは開業するにあたり大きな追い風となるだろう。
「さて、わたしはここまで歩いてきたんでな。足が少しだるくなった」
「それは朝から大変でしたね」
「足がだるくなった」
「お疲れ様です」
「だるくなった」
「はい」
「殺すぞ」
「申し訳ございません。ぜひやらせてください」
魔王が左右の手を挙げようとしたので、夢が正夢になるのを防ぐために施術することにした。
「やって欲しいならやって欲しいって言いましょうよ……」
「だまれ。やるならさっさとやれ」
「あ、はい」
「おかあさまはね。あんまり素直じゃ――」
「カルラもさっきからうるさいぞ。だまれ」
魔王は一通りキレると、ぼくが寝ていた布団の上にうつ伏せになった。
というか、魔王城からここまではそんなに遠くないと思うのだが。
まあ仕方ない。やらせてもらうか。