| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第百五十七話 呪縛

宇宙暦796年11月 2日   第十三艦隊旗艦  ヒューベリオン ジャン・ロベール・ラップ



第十三艦隊はイゼルローン要塞へ向かっている。首都ハイネセンを出て約十日、後二週間もすればイゼルローンに着くだろう。本当はもっと早くイゼルローンに着くはずだった。だが、あの勅令が我々をハイネセンに足止めした。

勅令発布後、しばらくの間ヤンはハイネセンにおいて軍上層部と今後の同盟軍の基本方針を確認するために留め置かれた。止むを得ない事ではある。最前線を預かる軍人と中央の間に意見の齟齬が有ってはならない。

何が話し合われたのかは分からない。ヤンも話そうとはしない。しかし、同盟は兵力を大幅に減じ、帝国も未曾有の改革に乗り出そうとしているのだ。これまでにない事態を両国とも迎えている。それだけに軍上層部には危機感が強いと見ていいだろう。

これから旗艦ヒューベリオンで会議が行なわれる。おそらく今後の同盟軍の方針が伝えられるのだろうが大体想像はつく。艦隊はイゼルローン要塞に急ごうとはしていない。その事を考えるとヤンも軍上層部も帝国との間で直ぐにも戦いが始まる事は無い、そう考えているのだろう。

そのことをヤンに確認したいと思っている人間も多いだろう。しかしヤンはハイネセン出立後、その殆どの時間を自室に籠もり他者との接触を拒んでいる。おそらく何かを考えていたのだろうが、一体何を考えていたのか……。

会議室には十人の人間が集まった。第十三艦隊、そしてイゼルローン要塞防衛に責任を持つ人間達だ。この十人が帝国との最前線を守る責務を負う人間たちの中心になる。

イゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官:ヤン・ウェンリー大将
副司令官:フィッシャー少将
参謀長:ムライ少将
副参謀長:パトリチェフ准将
副官:フレデリカ・グリーンヒル大尉
要塞防御指揮官:ワルター・フォン・シェーンコップ准将
分艦隊司令官:グエン・バン・ヒュー少将
       ダスティ・アッテンボロー少将
要塞事務官:アレックス・キャゼルヌ少将
そして作戦参謀として俺も会議室にいる。


ヤンが会議室に集まったメンバーに向かって話し始めた。
「皆も分かっているかと思うがおそらく帝国では内乱が発生する。それも帝国を二分する大きな内戦になるだろう」

「同盟が前回の戦いで大ボケをかましましたからな。今なら国内を内乱状態にしても問題ない、そう考えたのでしょう」
シェーンコップ准将の何処か不遜にも聞こえる言葉に皆が渋い表情をする。誰もが皆あの惨めな撤退戦を思い出したのだろう。

ムライ少将がシェーンコップ准将を横目で睨みながら発言した。
「まあ、この状況で再度帝国への大規模侵攻作戦を取るのは不可能でしょう。しかし、嫌がらせを主目的とした出兵はあるのではないですか?」

彼方此方で相槌が打たれた。少将が言った事はハイネセンでも話題になっている事だ。十月十五日の勅令発布後、帝国で内乱が起きるのは必至となった。同盟としては本来であればそれに乗じて帝国の壊滅を目論むのが最善の策だ。

しかし残念だが今の同盟にはそれだけの戦力が無い。いや、それだけの戦力が無いからこそ帝国は国内問題の解決を決意したといえる。シャンタウ星域の敗戦は同盟軍から帝国への侵攻能力を奪い去ってしまった。

同盟軍は時間を必要としている。軍を再建し、精強ならしめるだけの時間を必要としている。そのために内乱を長引かせるために出兵するという案が勅令発布以降、ハイネセンで軍だけではなく市民の間でも熱心に話されているのだ。

それ自体はきわめて妥当な発想でもある。そして同盟軍が出兵するとすればその役は我々第十三艦隊に与えられるだろう。だが、ヤンは艦隊をイゼルローン要塞に急がせてはいない。そしてその事は艦隊主要メンバーも分かっている。皆不審に思っているのだ……。

「貴官らも有る程度気付いているとは思うが、今回帝国で起きる内乱において同盟が軍事介入する事は無い」
「……」

微かに頷く姿、訝しげに眉を寄せる姿が見える。状況は把握していても納得はしていない、そんなところだろうか。俺自身納得しているとは言い難い。

「同盟と帝国は内乱終結後、両国が抱える捕虜を交換することで合意が出来ている」
ヤンの言葉に会議室がざわめいた。彼方此方で“捕虜交換”という言葉が囁かれる。

「なるほど、兵力不足に悩む軍としては捕虜交換は望む所だろう。レベロ財政委員長も何の役にも立たない扶養家族が減ってくれれば財政再建の面から見ても有難いとは思うのは間違いない。しかし、信じられるのか?」

キャゼルヌ先輩の言葉に皆が頷く。それを見てヤンが口を開いた。
「信じていいでしょう。これは秘密裏に行なうわけではありません。内乱発生後、両国が捕虜交換について共同声明を発表する事になっています。帝国が声明を反故にすれば自ら自分達が信用できないと表明するようなものです」
「……」

「それに帝国側にも捕虜を交換するメリットがある。内乱終了後、軍の再編が必要になるのは帝国も同様です。新兵を使うよりは多少なりとも軍務の経験のある捕虜を補充したほうが兵の練成は早く済む」
「なるほど」

パトリチェフ准将が太い声で相槌を打つ。その声につられるかのように何人かが頷いた。その姿を見てヤンがさらに言葉を続けた。

「この話を持ってきたのは国務尚書リヒテンラーデ侯、宇宙艦隊司令長官ヴァレンシュタイン元帥だ」
ヴァレンシュタイン元帥、その言葉に会議室のメンバーがそれぞれの表情で顔を見合わせる。そしてそれに気付いてはいないかのようにヤンの落ち着いた声がゆっくりと会議室に流れた。

「リヒテンラーデ侯については知らないが、ヴァレンシュタイン元帥は強かではあっても愚かではない。自らの信用を落とすような事はしないだろう」

シェーンコップが皮肉そうな口調でヤンを揶揄した。
「閣下はヴァレンシュタイン元帥を随分と信用しているのですな」
「信用しているよ、シェーンコップ准将。彼が信用できる人間だという事は貴官も分かっているはずだ」
「……。まあ、そうですな」

「それより心配なのはフェザーンだ」
「フェザーン?」
思いがけないヤンの言葉にムライ少将が鸚鵡返しに言葉を返した。

「そう、フェザーンと帝国の関係は思いの他に悪化している。帝国が内乱状態になれば、フェザーンが何をするか、注意する必要が有るだろう。特に同盟がそれに巻き込まれる事はきわめて危険だ」

ヤンのその言葉に会議室のメンバーはそれぞれの表情で顔を見合わせた。そしてヤンに視線を向ける。ヤンはその視線に気付かないかのように一人考え込んでいた。


帝国暦 487年 11月 5日   オーディン 宇宙艦隊司令部  ギュンター・キスリング


司令長官室に入るとエーリッヒがこちらを見た。微かに微笑むと黙って席を立った。応接室に向かうのだろう。俺は急いでその後を追った。応接室で向かい合って座る。しばらく無言の時間が過ぎた。先に口を開いたのはエーリッヒだった。

「それで、どうかな状況は」
「門閥貴族達は順調に反乱の準備を進めている、そんなところかな」
俺の言葉が可笑しかったのだろう。エーリッヒはクスクス笑いながら“順調にね”と呟いた。

「社会秩序維持局は残念だが良く分からない。表立っては動いていないようだが」
「……オーベルシュタイン准将は?」

「オーベルシュタイン准将にも今のところ目立った動きは見えない」
「……」
「エーリッヒ、オーベルシュタイン准将は本当に動くのか?」

俺が疑問に思うほどオーベルシュタイン准将に動きは無い。彼がシャンタウ星域の会戦前に妙な動きをしたのは事実だ。ローエングラム伯を担いで帝国を動かしたいと思っているのも事実だろう。

しかし今のところ動きは全く無い。本当に動くのだろうか。エーリッヒはオーベルシュタインが動くのは内乱が起きるのが確定してからか、起きる寸前、あるいは別働隊を指揮するローエングラム伯が本隊と合流する直前か合流してからだろうと言っていた。だがそれにしても動きが無さ過ぎるのだ。それとも俺の眼に見えていないだけなのか。

困惑している俺にエーリッヒは微かに笑いかけた。
「ギュンター、彼は間違いなく動くよ。今も密かに動いている」
「……今も動いている? どういうことだ、エーリッヒ」
思わず問い詰めるような口調になった。

「私のところにジークフリード・キルヒアイス准将が来た」
「聞いている。卿がそれを望んだと聞いたが」
「誘ったのは事実だが強制じゃない。彼が自らの意志で来たのなら、積極的に経験を積もうとするはずだ。だが彼はそんな行動は取らない。一生懸命聞き耳を立てているよ」

「スパイか?」
「いじらしいよ。ジークフリード・キルヒアイス准将は帝国軍人じゃない、ローエングラム伯の臣下だ。あれを見ているとよく分かる。グリューネワルト伯爵夫人も罪な方だ」
そう言うとエーリッヒは目を伏せた。
「それにオーベルシュタインが絡んでいると?」

「キルヒアイス准将はスパイ活動などには向かない。自分でもそんな事は分かっているだろう。ローエングラム伯もそれは分かっている。第一伯がキルヒアイス准将にそんなことをさせるわけが無い。誰がそう仕向けたか、そういうことを考えそうなのは誰か……」
エーリッヒが“分かるだろう” という様にこちらを見てきた。俺も頷く事で答える。

「……いいのか、そのままにしておいて」
「……出来る事ならこちらで経験を積んで欲しかったと思う。そうなれば視野も広がり彼も周囲から認められたはずだ。少しは考えが変わったかもしれない」

「……」
「だが、少なくともローエングラム伯とキルヒアイス准将を離れさせる事が出来た。今あの二人が一緒に居る事は危険だ。悪い方向に進みかねない。この先ローエングラム伯が何か行動を起そうとしてもキルヒアイス准将の存在が自重させるだろう」

「人質か」
俺の言葉にエーリッヒは小さく頷いた。
「そういう形で利用するしかないね。それにキルヒアイス准将がいない分だけフロイライン・マリーンドルフの存在がローエングラム伯の中で大きくなるはずだ。その分だけオーベルシュタインは動きにくくなる。元は取れると私は思う」
「なるほど。しかし気をつけてくれよ、窮鼠猫を噛むの譬えも有るからな」

キルヒアイス准将が暴発すれば一番最初に疑われるのはローエングラム伯だ。そう思えばキルヒアイス准将は何も出来ないはずだが、追い詰められればどうなるかわからない。そして追い詰めるのはエーリッヒとは限らない……。

「分かっているよ、ギュンター。十分に気をつける。……もっともこうも敵が多いと気を付けるのも容易じゃないね」
そう言うとエーリッヒは肩をすくめておどけて見せた。

「冗談じゃないんだぞ」
「もちろんだ。それよりここ最近、宇宙艦隊司令部で妙な噂が流れた事は知っているかな」

「?」
噂? 一体何の噂だ? エーリッヒは俺を可笑しそうに見ている。
「宇宙艦隊司令長官は戦術シミュレーションに自信が無い。戦術家としては大した事が無い。そんな噂だ」
「……」

なんだ、それは? エーリッヒが戦術家としては大した事が無い? 何処の馬鹿がそんな噂を流した? 宇宙艦隊司令部の人間が司令長官の能力を云々するなど気でも狂ったか?

軍において上官の能力を云々するなど許されることではない。人の生死に関わることなのだ。部下が上官の能力を誹謗すればどうなるか? それが広まればどうなるか?

上官の威権が損なわれ命令に従わない部下が出てくるだろう。つまり軍としての機能が発揮できないことになる。それを宇宙艦隊司令長官に対して行なった? 銃殺刑にでもなりたいのか?

「噂の出処はローエングラム伯の分艦隊司令官達だ」
「分艦隊司令官?」
思わず鸚鵡返しに言葉が出た。ローエングラム伯の分艦隊司令官達、その言葉に嫌な予感がした。だがエーリッヒは俺のそんな思いに気付かぬかのように平静な声で話し続ける。

「そう、ブラウヒッチ、アルトリンゲン、カルナップ、グリューネマン、ザウケン、グローテヴォール、彼らがゼーアドラー(海鷲)で酒を飲みながら話した」

「オーベルシュタイン准将の意を受けてか?」
俺の問いにエーリッヒは僅かに小首をかしげた。
「どうかな? 気付かないうちに指嗾されたのだと思う。だがあっという間に広がったよ。あるいは別に広めた人間が居るのかもしれない」
そう言うとエーリッヒは薄く笑った。

「なんのためにそんなことをする。何の意味がある? シャンタウ星域の会戦は卿の力で勝った。誰もが認める事実だ。戦術家云々に何の意味があるというんだ」

思わず強い口調になった。しかしエーリッヒは笑みを浮かべたまま全く動じる様子を見せなかった。
「意味は有る。ローエングラム伯はシミュレーションで無敗だ。実戦指揮官としては私よりも彼のほうが上だと言いたいのさ」
「……」

「戦場では誰もが強い指揮官、勝てる指揮官を求める。私に万一の事が有った場合、スムーズに彼が実権を握れるようにということだろう。今は皆ローエングラム伯に対し何処か不安を持っているからね」
「……」

「それともう一つは、私を宇宙艦隊司令長官から追い出したいんだ」
「追い出したい?」
「分艦隊司令官達の間で出たそうだよ、私には統帥本部総長のほうが合っているんじゃないかとね」

「どういうことだ」
「私を殺す事に失敗した場合、内乱終結後は統帥本部総長に昇進させようというのさ。司令長官には当然ローエングラム伯がなる。軍の実戦兵力を掌握しようという事だろう」

軍の実戦兵力を掌握する。それが狙いか、いやそこから全てが始まる、そう考えているということか。

エーリッヒを統帥本部総長にというのはおかしな話ではない。帝国軍三長官の中で統帥本部総長は軍令の最高責任者だ。エーリッヒなら十分にこなせるだろう。いや、むしろ適任といっていい。

「しかし、宇宙艦隊司令長官になったからといって、艦隊司令官達がローエングラム伯の言う事をきくとはかぎらないだろう」
「言う事をきく人間と入れ替えればいいさ。使いやすい部下を選ぶ、おかしなことじゃない」
「!」

「ローエングラム伯が実権を握ろうとすればクーデターという形になるだろう。それには何よりも自分の自由に使える軍事力が必要だ。躊躇するとは思えないね」

溜息が出た。今の宇宙艦隊の陣営は帝国史上でも屈指のものだろう。最高と言ってもいいかもしれない。それを入れ替えるというのか、新しく入ってくるのはブラウヒッチ、アルトリンゲン、カルナップ、グリューネマン、ザウケン、グローテヴォール……。

今ローエングラム伯の分艦隊司令官を務める男達が中心となるだろう。伯自身が引き上げた人間だ。能力はともかく忠誠心は信じられるということか。

「エーリッヒ、ローエングラム伯の分艦隊司令官達の話は本当なのか? 俺にはどうも信じられん。いくら酒の席でも有ってはならんことだ。まして今のローエングラム伯の立場を分からんはずはないだろう」

「間違いない、シューマッハ准将が調べた。上官の危機だからね、真剣さ」
「確かに卿の危機ではあるが」
「違うよ、私じゃない。エーレンベルク元帥だ」

「エーレンベルク元帥? どう言う事だ?」
「シューマッハ准将はエーレンベルク元帥が私に付けたお目付け役さ」
困惑する俺にエーリッヒは笑いながら答えた。


 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧