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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百五十六話 シミュレーションと実戦

帝国暦 487年11月 1日   オーディン 宇宙艦隊司令部 クラウス・ワルトハイム


「申し訳ない、少し遅れましたか」
「!」
俺達は皆席を立って敬礼をした。入ってきたのはヴァレンシュタイン司令長官だった。

司令長官は答礼すると皆に座るように手振りで示した。そしてこちらに向かって歩いてくる。俺はヴァレンシュタイン艦隊のメンバーに一つ席をずらして座るように頼んだ。
「閣下、こちらへ」

司令長官は俺の言葉に頷き、それまで俺が座っていた席に座った。クレメンツ提督に一番近い席、シミュレーションで指揮官を務めた人間が座る席だ。

皆驚いた顔をしている。司令長官が検討会に参加するとは思っていなかったのだろう。ワーレン提督、ルッツ提督も小声で話し合っている。少し興奮しているようだ。

「珍しいですね、閣下が戦術シミュレーションに参加するとは」
「フィッツシモンズ中佐にたまには参加しろと叱られました」
司令長官とクレメンツ提督の話しからするとフィッツシモンズ中佐が司令長官をここへ寄越したようだ。中佐は俺達が落ち込んでいるのに気付いたのかもしれない。

「それはご愁傷様です……、しかし、これで楽しくなりそうですな。そうじゃないかな、ミュラー提督」
「そうですね。士官学校時代を思い出しますね」

「士官学校時代ですか、戦術シミュレーションには良い思い出が無いですね。シュターデン教官にいつも嫌味を言われました。あれでシミュレーションが嫌いになりましたよ」

司令長官が少し眉を寄せている。司令長官とシュターデン大将の不仲は有名だが士官学校時代からなのか。

「閣下がシュターデン教官を怒らせたからですよ」
「怒らせた? そんな事が有ったかな? 記憶に無いけど……」
何処か呆れたようなミュラー提督の言葉だが、司令長官は心当たりが無いようだ、困惑を隠そうとしない。とぼけているような感じでもない。

「兵站科を専攻した閣下が戦略科を専攻した学生たちをシミュレーションでコテンパンに叩きのめしていましたからね。面白くなかったのでしょう」
「……」

クレメンツ提督が笑いながら理由を教えてくれた。やはり司令長官は強いのだ。宇宙艦隊司令部内で流れている戦術シミュレーションに自信が無いなどという噂は噂でしかないのだ、真実ではない。

「おまけに口を開けば戦争の基本は兵站と戦略だ、ですからね。戦術はまるで無視。シュターデン教官はそれも怒っていましたよ。戦術は大事だと言って」

クレメンツ提督の言葉を補足するかのようにミュラー提督が続けて喋った。そしてクレメンツ提督と顔を見合わせ苦笑する。逆に司令長官は不機嫌そうだ。何時もの穏やかな表情ではなく、生真面目な表情だ。

「戦術を軽視するつもりは無い。だが戦術シミュレーションで勝敗ばかり重視すると戦闘と戦争の区別もつかない戦術馬鹿を生み出すことになる。それがどれだけ危険なことか、分かるだろう、ナイトハルト」

「もちろん分かっています。それに戦闘と戦争の区別のつく宇宙艦隊司令長官を上官に持つことが出来て幸運だという事も分かっていますよ」
「卿は口が上手くなった。昔はもっと素直だったのに、悪い大人には成りたくないな」

何処と無く拗ねた様な口調だった。司令長官とミュラー提督の親密さが分かるような会話だ。会議室の中に笑いが溢れ、それを機に検討会が始まった。中央のスクリーンに先程行なわれた戦術シミュレーションが再現される。

味方の部隊は本隊が八千隻、中央に布陣している。クルーゼンシュテルン少将の部隊は四千隻で右翼に配置されている。残りの三千隻、クナップシュタイン少将、グリルパルツァー少将、トゥルナイゼン少将は左翼だ。

ミュラー艦隊が全面的に攻勢に出てくる。こちらは少しずつ艦隊を後退させつつV字陣形を作ろうとした。しかしV字陣形が思うように作れない。右翼が押されているため、中央と右翼が後退し左翼が敵の側面を突くような形になっていく。

V字陣形は作れない。止むを得ないと判断して左翼の部隊を敵の後背に回そうとする。上手くいけば敵を前後から攻撃できる。たとえ上手くいかなくても敵は多少慌てるはずだ、敵の攻勢を一時的には抑えることが出来るだろう。そう思った。

左翼の部隊が前進する。しかし直ぐに前進が止まる。敵の右翼がこちらの前進する左翼の先頭部分を押さえている。一方で敵の本隊と左翼が攻勢を強めてくる。味方の左翼は前進しようとし、本隊と右翼は後退する。

艦隊が分断されそうになる。慌てて左翼を後退させ連携を保とうとする。しかし後退した事で今度は敵の右翼が全面的に反攻を開始する。左翼が崩れかかる。味方の本隊は前面の敵の攻撃が厳しく援護できない。勝敗はついた……。

酷い結果だ。何の良い所も無く負けた。会議室の中は沈黙している。皆どう批評していいのか分からないのだろう。それに司令長官の反応を気にしているのかもしれない。司令長官もここまで酷いとは思っていなかったに違いない。怒るだろう、余りにも不甲斐無い結果だ。俺は叱責されるのを覚悟した。

「基本的な考え方は間違っていないでしょう」
思いがけない司令長官の言葉だった。思わず隣に座った司令長官の顔をまじまじと見てしまう。怒っている様子は無い。本気でそう思っているのだろうか。隣に座っているクルーゼンシュテルン少将の顔を見た。彼も眼を白黒させている。


「あの時点では左翼を敵の後背に回そうとするのは妥当な判断だと思います。ただミュラー提督のほうが一枚上手だというだけです。それほど悲観する事ではないでしょう」

どう考えれば良いのだろう。クレメンツ提督、ミュラー提督の顔を見たが平静を保っている。ワーレン、ルッツ提督も同じだ、と言うことはシミュレーションはそれほど悪くなかったのだろうか。

「閣下、小官はどうすれば良かったのでしょうか?」
「どうすればと言われても……」
「どうでしょう。実際に司令長官がシミュレーションで試してみては」
ミュラー提督が司令長官に提案した。会議室の中でざわめきが起こる。司令長官は少し考えていたが、溜息を吐くと頷いた。

司令長官は俺の問いに実際にシミュレーションで答えてくれる。司令長官とミュラー提督の戦術シミュレーション、それを見られるだけでも今日のシミュレーションはやった甲斐があるというものだ。

会議室に設置されてあるシミュレーションルームに司令長官とミュラー提督が向かった。シミュレーションは途中から再現される。V字陣形が取れず、やむを得ず敵の後背に左翼を回そうとした時点からだ。皆食い入るようにスクリーンを見ている。自分も同様だ。

シミュレーションが始まった。陣形はV字陣形が取れず、左翼が敵の側面を本隊と右翼は後退している。どうするのだろうと見ていると司令長官も自分と同様に左翼を敵の後背に回そうとしている。

ミュラー提督がこちらの左翼の先頭を止めた。これも同じだ、いや、同じじゃない! これまで後退を続けていた本隊と右翼が攻勢をかけている。俺は敵の後背に左翼を回すには、敵の本隊と左翼は引きずり込んだほうが良いと判断し後退したが、司令長官は反撃している。

牽制? それとも陽動だろうか。あるいは味方の左翼と連携が途切れるのを嫌ったのか。どちらにしろ主攻は左翼だ、本隊と右翼は助攻に過ぎない。司令長官は左翼をどう動かすのか。俺の視線は左翼に集中した。

左翼に動きは無い。先頭を抑えられ後背に回り込めずにいる。そして本隊と右翼の攻撃が激しく、いやむしろ手荒くなった。勢いに乗って攻めてくるミュラー艦隊を止めるのではない。叩きのめして中央を突破しようとするかのように激しく攻撃する。

損害もかなり出ている。だがその損害を無視して司令長官は本隊と右翼に攻撃を続けさせる。ビッテンフェルト提督も鼻白むほどの猛攻だ。会議室がざわめき緊張が走る。

「左翼は陽動だな。司令長官の狙いは正面だろう」
「うむ。ミュラー提督の裏をかこうとしているようだ」
「いや、これは陽動ではないのか」
彼方此方でそんな声が聞こえる。

なるほど。左翼は全く動いていない。俺のシミュレーションと同じだ。こちらに注意を引き寄せておいて本隊と右翼で勝負をかけるか。道理で損害を無視して攻撃をかけるはずだ。

だが何処までその攻撃が持つだろう。損害は決して小さくは無い。ミュラー提督もそれは分かっているはずだ。攻撃が限界に達すれば当然反撃がくる。

ミュラー艦隊の本隊と左翼が前進を止めた。戦いながら艦列を整えようとしている。司令長官の猛烈な攻撃がついにミュラー艦隊の前進を止めた。おそらくミュラー提督は守勢を取って司令長官の攻撃を凌ごうというのだろう。

司令長官はさらに本隊と左翼に攻撃をかけさせる。遮二無二中央を突破しようというのだろう。司令長官が攻め、ミュラー提督が防ぐ。激しい戦いが続く。だがいつまで続くだろう、こちらの損害もかなりのものだ。攻撃が続かなくなれば反撃が来る。そう思ったとき戦局が動いた。左翼が動いたのだ。

「おい、あれは!」
「誰の艦隊だ?」
「トゥルナイゼン少将だ。いつの間に」
会議室が騒然となった。誰もが声をあげ、身を乗り出してスクリーンを見ている。

トゥルナイゼン少将の艦隊がクナップシュタイン、グリルパルツァー少将の艦隊のさらに外側から敵の後背に回ろうとしている。ありえない! 彼の艦隊は本隊と左翼のつなぎ目にあったはずだ。

そこが無くなれば敵がそこを突いてくる。味方は分断され……、分断されない……。いつの間にか本隊とのつなぎ目はグリルパルツァー少将の艦隊が行なっている。

いや、それだけじゃない。クナップシュタイン、グリルパルツァー少将の艦隊が攻撃を変えた。これまでの後背への迂回行動から敵の側面の突破へ変更している。

ミュラー艦隊は混乱している。右翼部隊はクナップシュタイン、グリルパルツァー少将の艦隊の動きに対応するのが精一杯でトゥルナイゼン少将の艦隊の動きを防げずにいる。

本隊と左翼は正面からの司令長官の攻撃を防ぐので精一杯だ。艦隊を再編しながら正面の攻撃を防ごうとした事が裏目に出た。

ようやく分かった。最初からこれが狙いだったのだ。本隊と右翼に苛烈な攻撃をさせる。いやでもミュラー提督は左翼は陽動だと思っただろう。注意は本隊と右翼に集中したはずだ。自分もいつの間にか左翼から目を離していた。司令長官はその間に左翼を再編したのだ。

そしてミュラー提督がこちらの攻撃に耐え切れず艦隊を再編して守勢を取ろうとする時、その時を待った。トゥルナイゼン少将が動きクナップシュタイン、グリルパルツァー少将が攻撃を変えたとき、ミュラー艦隊の右翼は対応し切れなかった。

対応するには本隊からの増援が必要だった。しかし本隊は前面の敵からの攻撃、さらに艦列の再編中だったため適切に動けなかった。もう誰もトゥルナイゼン少将を止める事は出来ない。

トゥルナイゼン少将が敵の後背に出た。それと同時にクナップシュタイン、グリルパルツァー少将が敵を突破する。ミュラー艦隊の右翼は崩れ、勝敗は決した。クレメンツ提督がシミュレーションの終了を宣言した。



「やれやれ、最悪でも引き分けには持ち込めると思っていたんだが、また負けたか」
「悪いね、ナイトハルト。でも相変わらずしぶといね。途中でくじけそうになったよ」

司令長官とミュラー提督が話しながらシミュレーションルームから出てきた。二人とも笑顔がある。もっともミュラー提督の顔にあるのは苦笑だろうか。

二人が席に着き、改めて検討会が始まった。今度は活発に意見が出る。
「それにしても、あの本隊と右翼の攻撃が陽動だとは思いませんでした」
「うむ、ミュラー提督の裏をかいて正面を突破するのかと思いましたが」
「しかし、いつの間に艦隊を再編したのか、気付きませんでした」

それらの意見を司令長官を穏やかな表情で聞いていたが、ぽつりと呟いた。
「ま、所詮はシミュレーションですからね」
所詮はシミュレーション……。どういう意味だろう?

俺の疑問を口にしたのはキルヒアイス准将だった。
「閣下、それはどういう意味でしょう?」
「実戦でも同じことが出来るかどうかはわからない、そういうことです」

「?」
皆訝しげな表情をしている。それを見た司令長官は苦笑を浮かべながら説明した。

「本隊と右翼にかなり無理をさせましたからね。損傷率は二割を超えるでしょう。実戦でそこまで無理をさせられるか、難しいですね。むしろ損害を少なくして撤退するという選択肢を選ぶかもしれません」

「撤退するのですか?」
思わず俺も隣にいる司令長官に問いかけていた。少し声が大きくなっていたかもしれない。あれだけ鮮やかに勝ったのに何故撤退するのか?

「ええ、戦略的に重要ではない戦いなら、無理をして大きな損害を出してまで勝つ必要は無いでしょう」
「……」

「検討会が始まる前に戦術シミュレーションで勝敗ばかり重視すると戦闘と戦争の区別もつかない戦術馬鹿を生み出すことになると言ったのはこのことです」
「……」

「無理をして勝つ必要が無い戦闘で大きな損害を出して勝ってしまう。そして肝心の戦いで戦力不足から敗れてしまう。戦闘に勝って戦争に負ける、本末転倒です」
「……」

「ワルトハイム少将、シミュレーションで勝てないと判断したら、どれだけ損害を少なくして撤退できるか、上手に負けられるかを確認してください。必ず実戦で役に立ちます。そのためのシミュレーションです」
「はっ」

そういうと司令長官は所用が有ると言って席を立った。全員が起立して敬礼で司令長官を見送る。司令長官は答礼すると部屋を出て行った。
「やれやれ、司令長官は昔と少しも変わらんな。そうは思わんか、ミュラー提督」

「そうですね。戦術家としてあれだけの力量を持っていながら、それを重視しない。シュターデン教官が怒るわけですよ」
クレメンツ提督とミュラー提督が顔を見合わせて苦笑している。クレメンツ提督が私を見た。

「ワルトハイム少将、軍人である以上、勝つ事もあれば負ける事もある。指揮官が注意しなくてはならない事は勝敗に関わり無く部下を無駄死にさせないことだ」
「はっ」

「卿は運が良い。司令長官ほど部下を大事にする指揮官を私は知らない。傍にいてよく学ぶ事だ。そうすれば少なくとも戦争と戦闘の区別のつかない戦術馬鹿にはなるまい」
「はっ。肝に銘じます」

そう、肝に銘じよう。今だから分かる。司令長官は俺たちのためにあのシミュレーションをしてくれたのだ。そして勝ったにもかかわらず、実戦では使用しないと教えてくれた。俺達がいつの間にか勝敗に拘る戦術馬鹿になってしまうことを心配してくれたのだろう。




 
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