銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百五十八話 包囲
帝国暦 487年 11月 5日 オーディン 宇宙艦隊司令部 ギュンター・キスリング
シューマッハ准将はエーレンベルク元帥が私に付けたお目付け役、エーリッヒは今そう言った。どういうことだ? エーレンベルク元帥とエーリッヒはずっと協力関係に有る。それが何故……。
困惑する俺にエーリッヒは少し前のことになるが、と前置きして話を始めた。
「元々はミュッケンベルガー元帥が退役したことが発端だった。後任の宇宙艦隊司令長官を誰にするかという問題が発生したが、ミュッケンベルガー元帥の考えでは候補者は二人いた」
候補者は二人か、大体想像はつく。
「一人はローエングラム伯、もう一人は私だった。ただ私は平民で階級も低かった。自然、ミュッケンベルガー元帥の考えでは後継者はローエングラム伯になった」
その他にも理由はある。エーリッヒは皇帝崩御の際に国内の治安を維持するという役目があった。当然だが外征に出る事は難しい、ミュッケンベルガー元帥はそれも考慮したはずだ。
「ミュッケンベルガー元帥はローエングラム伯を後任者にしたいとエーレンベルク元帥に話した。しかしエーレンベルク元帥はそれに対し無条件に同意はしなかった」
エーリッヒは淡々と話す。だがそれだけに容易ならない理由があるように感じられた。
「何故だ? 他に候補者が居たとでも、メルカッツ提督とか」
俺の言葉にエーリッヒは首を振って否定した。
「違う、理由は二人の目線が違った事にある」
「目線が違う?」
エーリッヒは頷きながら話を続ける。
「ミュッケンベルガー元帥は戦場で勝てる指揮官を選んだ。その意味ではローエングラム伯を選んだ事は間違ってはいない」
「エーレンベルク元帥の目線とは?」
「国内最大の武力集団を率いるに相応しいかどうかだ」
「……どういう意味だ」
エーリッヒは一瞬躊躇うようなそぶりを見せたが、溜息とともに答えた。
「宇宙艦隊司令長官は危険なんだ。強大な武力と強烈な野心、それが融合したとき、どんな化学変化が起きるか」
「……クーデターか」
「違う、簒奪さ」
「!」
一気に応接室の空気が重くなった。しばらくの間エーリッヒと見詰め合う。そうなのか、そういうことなのか、エーレンベルク元帥はあの時点でローエングラム伯の野心に気付いていたのか……。俺の心を読んだのか、エーリッヒは微かに頷くと話始めた。
「エーレンベルク元帥にその危険性を指摘したのは他でもないリヒテンラーデ侯だ」
「リヒテンラーデ侯……」
今度は俺が溜息を吐いた。体中に疲労感が拡散するような気がする。そんな俺を労わるようにエーリッヒが見ている。思わず頭を振って気を取り直したが微かにエーリッヒが苦笑するのが分かった。
「彼らは条件付でローエングラム伯の宇宙艦隊司令長官就任を認めた」
「卿を副司令長官にすることだな」
「表向きはローエングラム伯を補佐し、国内の内乱に備えるという事だった。だが実際には伯へのお目付け役さ」
どこか自嘲するかのようなエーリッヒの口調だった。
「彼らにそう頼まれたのか?」
「いや、自然とそうなるだろうと考えたのさ」
「……」
「元々私はローエングラム伯に色々な形で協力をしていた。しかし第三次ティアマト会戦で私はローエングラム伯に指揮権を渡さなかった。そのことで彼らは私が無条件に伯を支持しているわけではないと考えた」
「……」
「それと自分では気付かなかったが私とローエングラム伯には明確な違いが有ったようだ。その事にも彼らは気付いた」
「違いとは?」
「ローエングラム伯は陛下に対して明確な敵意が有った。しかし私にはそれが無かった、むしろ好意に近いものが有った。つまりその一点で、伯が簒奪に動いたときは私が抑えに回ると彼らは読んだんだ」
「……」
もう一度頭を振った。納得出来なかったのではない、身体に纏わり付く重苦しいものを払うためだ。エーレンベルク元帥、リヒテンラーデ侯、あの二人の凄味を今更ながらひしひしと感じる。
あの老人達の予測どおり、エーリッヒはローエングラム伯との間に距離を置き始めた。そしてその分だけ陛下に近づいている。伯が簒奪を目論む以上そうなる、敵の敵は味方ということだ。
「シューマッハ准将は表向きは皇帝陛下に万一の事が有った場合、私とエーレンベルク元帥の間を円滑に保ち、オーディンの治安を守るためにつけられた人間だった。だが……」
「実際には卿がローエングラム伯への抑えとして機能しているかどうかを確認するために送られたお目付け役、そういうことか……」
「そういうことだ。もっとも気付いたのは先日の帝国軍三長官会議でだが」
俺の言葉にエーリッヒは頷いた。応接室の中には重苦しい空気が流れている。話題を変えるべきだろうか、しかし未だ聞いていないことがある。有耶無耶には出来ない……。
「エーリッヒ、シューマッハ准将の事は分かった。だがエーレンベルク元帥の危機とはどういうことだ?」
エーリッヒは俺の問いに微かに笑みを浮かべた。
「ローエングラム伯が宇宙艦隊司令長官になり、私が統帥本部総長になる。その場合シュタインホフ元帥はどうなる?」
「なるほど、軍務尚書か……」
「そうだ、エーレンベルク元帥は勇退という形で軍を退役することになるだろう」
誰も失態を犯してはいない。である以上皆が一つポストを上げることになる。エーレンベルク元帥は最年長でもある、後進に道を譲るという形で軍から去ることになるか……。
「エーレンベルク元帥は怒っただろうな」
「先日の帝国軍三長官会議である人事が決定された……。内乱が起き次第メルカッツ提督は宇宙艦隊副司令長官に親補される。そして私に万一の事があった場合は彼が宇宙艦隊司令長官になる事が合意された」
「! 先任はローエングラム伯だろう」
思わず声が掠れた。
「ローエングラム伯は私の暗殺に関与したとして排除される」
「!」
エーリッヒの顔には先程まで有った笑みは無い。冷たく乾いた表情をしている。唾を飲み込む音が大きく響いた。
「その会議にはリヒテンラーデ侯も居た。分かるだろう? 老人達はローエングラム伯が簒奪に動き始めたと明確に認識したんだ」
「シュタインホフ元帥も?」
「シュタインホフ元帥もだ。ローエングラム伯の危険性を一番強く認識していたのは彼だ。それが有ったから私を受け入れた」
「受け入れた? どういうことだ」
「元々シュタインホフ元帥は私の事を快くは思っていなかった」
「イゼルローンだな」
俺の言葉にエーリッヒが苦笑とともに頷く。あのイゼルローンで起きた味方殺し、あれ以来シュタインホフ元帥は確かにエーリッヒを忌諱していた。
「私は基本的に兵站統括、宇宙艦隊司令部で軍務を務めた。主として接触が有ったのはエーレンベルク元帥、ミュッケンベルガー元帥だ。シュタインホフ元帥とは一度も接触が無い」
「随分と嫌われたものだ」
冗談めかして言ったのだが、エーリッヒは全くの無表情だった。
「彼が私を嫌ったのはイゼルローンだけが原因じゃない。私とローエングラム伯が親しかった事が大きいんだ。シュタインホフ元帥から見れば私はいずれローエングラム伯とともに反逆すると思った」
「……」
「否定は出来ない。私はこの国の政治を変えたいと思った。そのためにはローエングラム伯に協力するべきだと思った。彼に簒奪の意志があると知りながらね。それでも良いと思ったんだ」
「そんな事を俺に言って良いのか。俺は皇帝の闇の左手なんだぞ」
出来るだけ表情を厳しくして言ったがエーリッヒは少しも動じなかった。
「困ったものだ、卿が相手だとどうも口が軽くなる。どういう訳かな?」
「何を言っている、この確信犯め。相変わらずの性悪男だな、卿が女だったら一体何人の男を破滅させる事やら」
俺の言葉にエーリッヒは笑い出した。
「ギュンター・キスリング、アントン・フェルナー、ナイトハルト・ミュラー、破滅させ甲斐がありそうだ。楽しくなりそうだね」
「その辺にしておけ、それで?」
エーリッヒは肩をすくめると話し始めた。
「ローエングラム伯が宇宙艦隊司令長官に、私が副司令長官になることをシュタインホフ元帥は反対しなかった。何故だと思う?」
「さて……」
確かにシュタインホフ元帥が反対しなかったのはおかしい。反逆するだろうと思っている二人を実戦部隊の頂点に据える? 有り得ない事だ。だが現実には反対していない、だとすると……。
「知っていたのさ」
「やはりそうか……。ベーネミュンデ侯爵夫人の一件、そしてローエングラム伯を切り捨てようと今の艦隊司令官達を集めた事だな。ケスラー提督から聞いている」
俺の言葉にエーリッヒは“そうか、知っていたか”と呟いた。
「私とローエングラム伯は協力関係に有るように見えながら、あの時には
お互いの不信感は酷い事に成っていた。シュタインホフ元帥は情報部を使ってその辺りを把握していたんだ。いずれは主導権をどちらが取るかで争う事になる、そして勝つのは私だろうと判断した」
「……」
「その後はシュタインホフ元帥の予想したとおりになった。宇宙艦隊の中で私の影響力が強まり、焦ったローエングラム伯はイゼルローンで敗北した」
「そして卿が宇宙艦隊司令長官になった」
俺の言葉にエーリッヒは頷いた。
「皮肉な話だ。ローエングラム伯がいなければ私が宇宙艦隊副司令長官になる事は無かった。そして司令長官になることも無かった」
「どういう意味だ」
「懲りたのさ。野心家の実力のある貴族を宇宙艦隊司令長官に据えれば常に簒奪の危機に怯えなければならないと。むしろ平民のほうが御し易いとね」
「因果な話だな……」
「全くだ」
溜息が出た。俺は話が余りに生臭い事にうんざりしていた。おそらく表情にも出ていたのだろう。エーリッヒは苦笑しながら“うんざりするだろう”と言って話を続けた
「別に銀河帝国に限った話じゃない、過去の歴史が証明しているよ。実力のある高級軍人が強大な武力を握ったとき、何を考えるか? 統治者達の永遠の悪夢だ。イゼルローン要塞の艦隊司令官職と要塞司令官職が統一されなかったのも根本にはそれがある」
「司令官職が減るからじゃないのか」
「表向きはね。まさか反乱を警戒していますとは言えないだろう」
「それはそうだが」
思わず失笑した。確かに反乱を警戒していますとは言えない。
「あの要塞に立て篭もって反乱を起されたらとんでもない事になる。それを恐れたのさ」
「疲れる話だな。エーリッヒ、卿は疲れないのか?」
「この程度で疲れていては、宇宙艦隊司令長官は務まらんよ」
そう言うとエーリッヒは笑い出した。
「では俺には一生無理だな。頼まれてもごめんだ」
冗談ではなくそう思う。こんな話を毎日聞いていたら人間不信の塊になるだろう。
「成りたがる人間にはそれが分からない」
「困ったもんだな」
「話を戻していいか、ギュンター」
「ああ、頼む」
「イゼルローン要塞陥落で三百万人が死んだ。エーレンベルク元帥もシュタインホフ元帥もあの敗戦でローエングラム伯の野望は断たれたと見た。二人とも伯の処分では意見が分かれたが、軍から追放しろとは言わなかった」
「……」
「彼らにとって予想外だったのは、私がローエングラム伯を副司令長官に推したことだろう。反乱軍を誘引するためだが、そのことが伯の野心を生き返らせてしまった。今思うと間の抜けた話だが、私は心の何処かで伯を信じたかったのだと思う。野心を捨てたのではないかと……」
「……」
「シュタインホフ元帥が私を受け入れるようになったのはそれからだ。反乱軍を撃滅するためとはいえローエングラム伯を副司令長官に置く以上、いずれ伯が動き出すと元帥は見た。伯を押さえるには私に協力し、私の地位を磐石にすべきだと考えたのさ」
「……オーベルシュタインは誤ったな、彼らを軽視した。卿を排除する事に気を取られすぎたか」
俺の言葉をエーリッヒは首を振って否定した。
「そうじゃないと思う。オーベルシュタイン准将は彼らを直接には知らない。どうしても判断材料はローエングラム伯に頼らざるを得ない。伯から見ればエーレンベルク元帥もシュタインホフ元帥も凡庸に見えただろう」
「……なるほど」
「あの老人達を軽視するべきではなかった。軍人として、宮廷人として帝国の頂点にいるんだ。凌いだ修羅場の数はどれだけ有るのか……。才気ではローエングラム伯に劣るかもしれないが、経験と強かさでは遥かに上だ。彼らに比べれば私などまだまだ小僧さ」
「卿が小僧なら俺などは赤子のようなものだな。何時になったら大人になれるのやら自信が無くなってきたよ」
「同感だね」
力の無い笑い声が応接室に響いた。全く、この帝国には化け物のような老人が多すぎる。ローエングラム伯は、オーベルシュタインは気付いているだろうか、自分達が老人達に包囲されつつある事に。エーリッヒという餌に飛びついた瞬間に彼らは動き始めるだろう。ローエングラム伯を包囲殲滅するために……。
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