銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百四十三話 英雄である事とは……
宇宙暦796年10月13日 ハイネセン 統合作戦本部 ヤン・ウェンリー
統合作戦本部にある応接室に政府、軍の幹部が集まっている。政府からはトリューニヒト議長、ジョアン・レベロ委員長、ホアン・ルイ委員長。軍からはボロディン作戦本部長、ビュコック司令長官、ウランフ副司令長官、そして私、ヤン・ウェンリー。
今日の午後、帝国の高等弁務官からトリューニヒト議長に連絡が有った。トリューニヒト議長はすぐさま軍にもその内容を通知した。私はイゼルローンに赴任するための準備をしている最中だったがその件で有無を言わさずに呼び出されている。
時刻は22:00を過ぎている。超過勤務は趣味ではないが、今回ばかりは仕方が無い。
「シトレ元帥はよろしいのですか、ネグロポンティ国防委員長もいませんが?」
ボロディン本部長の言葉にレベロ委員長が答えた。
「シトレには既に相談済みだ、彼の考えは分かっている。此処に来ないのは引退した身で統合作戦本部に頻繁に出入りするのは遠慮したいとのことだった。ネグロポンティは、いいのか、トリューニヒト?」
「構わない、彼には後ほど私から話す」
なるほど、ネグロポンティは議長の傀儡というわけか。トリューニヒト議長の言葉にそう思ったのは私だけではないだろう。ボロディン本部長、ビュコック司令長官、ウランフ副司令長官も顔を見合わせている。
「それで、軍はどう思うかね、帝国からの提案については?」
トリューニヒト議長の言葉にボロディン本部長、ウランフ副司令長官が答えた。
「軍としましては帝国の提案に異存は有りません。捕虜交換が実施されるのであれば軍の再編にも大きなプラスになる。内乱に乗じての出兵論が起きても押さえるのは容易いでしょう」
「本部長の仰るとおりです。問題が有るとすれば本当に捕虜交換が行なわれるかどうかです。空約束だった場合、その反動は大きい。出兵論が再燃しかねません。その点について政府はどうお考えですか」
ウランフ副司令長官の言葉にトリューニヒト議長たちが顔を見合わせ頷く。
帝国からの提案では内乱発生後、フェザーンに居る両国の高等弁務官の名で捕虜交換を発表する事になっている。この時点で両国が捕虜交換に同意したという事になる。
実際の交換の時期は内乱終結後、両軍の代表者が調印を行なった時点で正式に決定される事になる。つまり、調印を行なわないという形で帝国が約束を反故にする可能性は無いとは言えない。
「難しい所だ。この話を持ってきたのはヴァレンシュタイン元帥とリヒテンラーデ侯だが、二人は今現在協力体制に有ると見ていいだろう。問題はこの協力体制が何時まで続くかだ」
ホアン・ルイ委員長がトリューニヒト議長、ジョアン・レベロ委員長を見ながら答えた。その後をジョアン・レベロ委員長が続ける。
「リヒテンラーデ侯は貴族、ヴァレンシュタイン元帥は平民だ。この二人が協力体制にあるのは門閥貴族に対抗するためだろう。二人とも門閥貴族が実権を握れば粛清されると見ていい。その恐怖が二人を協力させていると思う」
「……」
「今回の勅令だが、ヴァレンシュタイン元帥が望んだものだろう。リヒテンラーデ侯は門閥貴族と対抗する以上平民の支持が必要だと判断し賛成した。決して心から改革を望んでいるわけではあるまい」
レベロ委員長の言葉にホアン・ルイ委員長、トリューニヒト議長が頷いている。私も、いや軍部もそれについては同意見だ。ビュコック司令長官がレベロ委員長に問いかけた。
「つまり内乱終結後、リヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥の間で権力闘争が始まる、政府はそう考えているということですかな?」
「そうなるだろうと考えている」
レベロ委員長がトリューニヒト議長と顔を合わせた後答えた。釣られるように皆顔を見合わせた。帝国はこれからしばらくの間混乱状態になる可能性がある、そう考えているに違いない。しかし本当にそうなるのだろうか? ヴァレンシュタイン元帥がそれを許すのか?
「ヴァレンシュタイン元帥が実権を握れば、改革は実施されるに違いない。捕虜交換も実行されるだろう。問題はリヒテンラーデ侯が実権を握った場合だ。その場合どうなるか?」
トリューニヒト議長が周りに問いかけた。ボロディン本部長を始め軍幹部が私を見る、答えねばなるまい。
「改革は廃止されるか、形だけのものになるのではないでしょうか? ただ捕虜交換に関して言えば、リヒテンラーデ侯が実権を握っても実行されるのではないかと思います」
「何故そう思うのかね、ヤン提督」
トリューニヒト議長が問いかけてきた。何処か面白がるような表情が気に入らなかったが答えた。
「門閥貴族との内戦で軍は再編が必要となります。同盟と同様で捕虜が返還されれば再編もスムーズに行く。それにリヒテンラーデ侯が政権を握ればヴァレンシュタイン元帥は失脚する事になります。平民達の不満を宥めるためにも捕虜交換を行なうのではないでしょうか」
トリューニヒト議長は私の言葉を頷きながら聞いていた。そして私が話し終わるとゆっくりとした口調で話し始めた。
「ならば捕虜交換に関しては問題は無いと判断して良いだろう。ところで反乱軍が勝つという可能性は無いのだろうね?」
トリューニヒト議長の言葉に軍人たちの間から苦笑が沸いた。それを見たトリューニヒト議長は一つ頷くと話を続けた。
「では問題はヴァレンシュタイン元帥が政権を握った場合だ。帝国が改革を実行した場合、何が起きると思うかね?」
何が起きるか、トリューニヒト議長のその言葉に皆顔を見合わせた。
「ヴァレンシュタイン元帥は帝国を貴族達の国から平民達の国にしようとしている。違うだろうか?」
「……トリューニヒト」
レベロ委員長が話しかけたが、トリューニヒト議長はそれに構わず言葉を続けた。
「もしそうなら帝国は民主主義こそ実現されていないが、一部の特権階級が支配し搾取する国ではなくなる。何のために帝国と戦うのか、我々はもう一度考える必要があるのかもしれない」
自由惑星同盟の存在意義は二つある。一つは反ルドルフ、もう一つは民主主義の護持。帝国で改革が行なわれるのであれば、帝国がルドルフ的なものを捨て去るのであれば、同盟の存在意義は民主主義の護持だけになるだろう……。
ヴァレンシュタイン元帥は帝国をどのように変えるのだろう。今回の改革はあくまで門閥貴族対策なのだろうか? それとも別な意図が有るのか?それによってはトリューニヒト議長の言うように我々は何のために戦うのか、もう一度問い直す必要が有るだろう……。
帝国暦 487年10月14日 オーディン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
執務机の引き出しの中から一枚の写真を取り出した。両親とともに写る俺の姿がある。いつ撮ったのだろう、三歳ぐらいだろうか、残念な事に俺には覚えが無い。
父に抱かれている俺は、母のほうに手を伸ばしている。母は笑いながら俺の手を握ろうとしている。父は俺を片手に抱きながらもう一方の手で母を抱き寄せている。父も母も未だ若い、幸せな家族の写真だ。
コンラート・ヴァレンシュタイン、ヘレーネ・ヴァレンシュタイン、俺にとっては二度目の両親だった。この世界で最初に俺を愛してくれた二人。この二人の子供に生まれた俺は幸運だった。もっとひどい両親の元に生まれる事も有り得たのだから。
この二人に感謝している。この二人の息子に生まれたことに感謝している。俺はこの二人が居てくれれば他には何もいらなかった。ただ傍に居てくれればよかった。それほど贅沢な望みだったとは思わない。だがそれすら叶えられなかった。
目の前にある写真を見ながら、俺はようやくここまで来たと思った。十年前、カストロプ公に両親を殺された。そしてあの日ラインハルトを助け門閥貴族達に復讐すると誓った。
ラインハルトを助けるつもりだった。それなのに気がつけば俺自身が頂点に立っている。妙な事になった、門閥貴族の討伐は俺が総司令官として行なう事になっている。どうしてこうなったのか……。
今思えばあの日、軍人を目指したときから歴史は変わったのかもしれない。もし歴史を変えることになると分かっていたら軍人になるのを止めただろうか? こんなにも苦しい思いをすると分かっていたらどうしただろう?
自分でも分かっている事がある。俺は英雄なんかじゃないって事だ。英雄なら一千万人殺してもなんとも思わないだろう。イゼルローン要塞で三百万人殺された、だからシャンタウ星域で一千万人殺した。
殺されたから殺した、自分がしたことだ、それなのにその血生臭さに心が凍りそうな気がする。それでも俺は前へ進まなければならない。流された血を無駄にしないためにも進まなければならない。分かってはいる、だが俺に出来るだろうか……。
明日、勅令が発布される。帝国は混乱するだろう、帝国だけではない、フェザーンも同盟も混乱するに違いない。そしてその混乱の中から新しい帝国が誕生する。だがその新しい帝国のために流れる血はさらに増え続けるだろう……。
帝国暦 487年10月14日 オーディン 宇宙艦隊司令部 ウルリッヒ・ケスラー
司令長官室は未だ灯りが点いていた。時刻はもう二十一時を過ぎている。部屋に入ると司令長官が一人で机に座っている。私が部屋に入ったのに気付いたのだろう、何かを机にしまうと視線をこちらに向けてきた。
「ケスラー提督、どうしました、こんな時間に?」
「いえ、灯りが見えたので気になったのです。少し御時間を頂いてもよろしいですか」
元帥は私の言葉に軽く頷いた。そしてソファーに座るように促す。
私が元帥の言葉に従いソファーに座ると元帥も席を立ってソファーに腰を降ろした。それを待って、元帥に話しかけた。
「元帥、いよいよ明日になりました」
私の言葉に元帥は驚くことなく頷き言葉を発した。
「陛下から聞いているのですね?」
「はい」
明日、勅令が発布される。帝国で改革が始まるのだ、いや革命といって良いかもしれない。皇帝と平民による革命、歴史上初のことに違いない。
「元帥、一つお聞きしたい事があるのですが」
「何でしょう」
「いつから改革を考えていたのです?」
元帥は私の質問に少し黙っていたが、呟くように小さな声で答えた。
「……両親を殺された時からです」
やはりそうなのか……。元帥の言葉にそう思った。元帥は当時十二歳だったはずだ、普通なら有り得ない、しかし元帥は改革を考えた。そして士官学校に入った、帝国を変えるために。
「ケスラー提督、勘違いしないでくださいよ。私は自分の手で改革をしようとは思っていなかったんです」
「?」
「多分、誰かが改革を行なう。だからその手伝いが出来れば良い、そう思ったんです。それがどういうわけか、私が改革の旗振りをしている」
元帥は困ったような表情で話した。
本当だろうか? 困惑したような元帥の表情から見ると真実のように見える。思わず可笑しくなった。笑いを堪えながら元帥に忠告する。
「閣下、余りその事は仰らないほうが宜しいでしょう」
「何故です?」
不思議そうな表情で元帥は問いかけてきた。この人は妙に鋭いかと思えば不思議なほど鈍い時がある。特に自分の評価に関してその傾向が強い。困った事だ。
「改革が発表されれば、皆閣下がこの改革のために軍に入り、帝文の資格を取ったと考えるでしょう。閣下がそのようなことを仰っては皆が戸惑うに違いありません。改革への熱意を疑う事になるでしょう」
私の言葉を聞くと元帥はうんざりしたような表情で口を開いた。
「やれやれです。地位が上がるにつれて自由が少なくなる。だんだん自分が自分ではなくなっていくようです。うんざりですね」
「お辛いとは思います。しかし、元帥には私達の支柱でいていただかなければなりません。どうかご理解ください」
そう言うと私は頭を下げた。私達はこの人を必要としている、いや帝国は元帥を必要としているのだ。希代の英雄としてのこの人を。心配なのは最近疲れているように見えることだ。その事が周りに不安を抱かせている。
これから先、帝国は改革という未知への航海に船出することになる。その時、船を導く案内人が疲れていれば乗組員はどう思うだろう、自分たちの進路に疑問を不安を持ちかねない。その事は改革を失敗に追いやりかねないのだ。元帥は疲れを見せてはならない。
「……支柱ですか」
元帥がぽつりと呟いた。私の言う意味が分かったのだろう。寂しそうな声だった。私は頭を上げる事が出来ずにいる。
自分がいかに惨い事を言っているか分かっている。人間である以上、疲れることも嫌気がさす事も有るだろう。それを許されないということがどれだけ辛い事なのか……。
しかし、私達にはこの人が必要なのだ。強く、迷いの無いこの人が。誰かが言わなければならない。私は元帥の顔を見ることが出来なかった。頭を下げたそのままの姿で元帥に答えた。
「そうです」
「私は疲れる事も戸惑う事も許されないのですね、ケスラー提督」
「……そうです」
沈黙が落ちた。元帥は何も言わず、私は頭を上げる事が出来ない……。どれほどの時間がたっただろう。目の前にある元帥の手に何かが落ちた。涙? 思わず顔を上げて元帥を見る。
涙が溢れていた。元帥の目から一筋、また一筋と涙が流れる。声も出さずに元帥は泣いていた。茫然と焦点の合っていない目で涙を流している。
気がつけば私は司令長官室を出て廊下を歩いていた。やらねばならない事だった。それでもあんな姿は見たくなかった。やりきれない思いに壁に腕を思い切り叩きつけた。どこからか呻き声が聞こえる。自分の口から出た呻き声だった。いつの間にか私も泣いていた……。
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