銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百四十二話 接触
帝国暦 487年10月11日 フェザーン 帝国高等弁務官事務所 ヨッフェン・フォン・レムシャイド
「如何されましたか、国務尚書、元帥」
「うむ、卿に話しておく事があっての」
目の前のスクリーンには二人の人物が映っている。
一人は目の鋭い老人、もう一人は若く穏やかな微笑を浮かべた青年。全く正反対の二人だ。国務尚書、リヒテンラーデ侯と宇宙艦隊司令長官、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン元帥。
今現在、帝国の文武を代表する重臣といって良い。その二人が揃ってスクリーンに映っている。訝しく思いながらも私は問いかけた。
「私に話しておく事とは一体何でしょう?」
「その前に、防諜の方は大丈夫かの」
「この部屋には私だけです。私が呼ぶまでは誰も入ってきません」
「うむ、ならば安心か」
スクリーンの二人は顔を見合わせると微かに笑った。はて、ますます分からん。シャンタウ星域の会戦で大勝利を収めた後、帝国はきわめて安定していると聞いている。イゼルローン要塞は失ったが、反乱軍の戦力の大半を殲滅したのだ、その事実は大きい。
今この時、防諜を気にするほどの重大事があるのだろうか? 私に話すという事はフェザーンがらみだろうが、先日のルビンスキーの隠し子の一件だろうか? それとも反ルビンスキー派の事か? どうもその程度の話ではないようだが……。
ここ最近、帝国で起きた一大事件と言えばヴァレンシュタイン司令長官が平民にも関わらず元帥になったことぐらいのものだ。しかし、あれほどの大勝利を得たのだ、これも当然と言って良いだろう。大騒ぎするほどの事でもない。
その事で門閥貴族たちと元帥の間で多少の軋轢はあるようだが、わざわざオーディンからこの二人が話したい事があるなどと言ってくるほどの事でもない。一体何の用なのか?
「実はの、今月の十五日に勅令が発布される」
「!」
十五日に勅令が発布される。後四日しかない、なるほど確かに重大事だ。しかし一体何のための勅令なのか。不審に思っているとリヒテンラーデ侯が話を続けた。
「勅令の趣旨じゃが、税制改革、それと政治改革ということになる」
「税制と政治改革ですか……」
税制改革? 政治改革? ますます分からない、どういうことだ?
「具体的には、貴族への課税、それと既得特権の廃止じゃ。それに伴い農奴の廃止と平民の権利の拡大が布告される」
「馬鹿な!」
馬鹿な! 何を考えている! ルドルフ大帝以来の国法を変えるというのか!
「お待ちください。そのようなことをすれば、貴族達の反発は必至です。彼らは一致して反対するでしょう。場合によっては反乱を起し……」
スクリーンに映る二人は微塵も動揺していない。その事実が私の言葉を途切れさせた。まさか、そうなのか、それを狙っているのか……。
近年、帝国の内憂は皇帝陛下の健康と帝位継承者が未決定である事だった。その所為で帝国内の二大貴族、ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯が後継者争いをしている。一つ間違えば内乱になりかねない状態だった。
そして外患はもちろん反乱軍だ。だがその外患はシャンタウ星域の敗戦で大きく勢力を減じ当分の間考えなくてもいいだろう。だから今のうちに帝国内の内憂を片付けようということか。
「卿の言う通りじゃ。貴族達は反乱を起すじゃろうの」
リヒテンラーデ侯の言葉は私の考えを肯定するものだった。侯はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を排除しようとしている。勅令は彼らを暴発させ反乱に追い込むための手段というわけか。
私はここ数年オーディンには戻っていない。だからオーディンの政治情勢に詳しいとは言えないがそれでも分かる。リヒテンラーデ侯はヴァレンシュタイン元帥と協力体制を築いている。つまり新興勢力である平民と結んで帝国を動かそうとしている。
リヒテンラーデ侯は貴族である事を捨てるつもりなのか。貴族として生きてきたこれまでの人生を……。権力とはそれほどまでに人を執着させるものなのか……。
「レムシャイド伯、勘違いはするな。こう見えても己の権力欲のために勅令を、陛下を利用しようなどとは思わん。そこまで落ちぶれてはおらん」
「?」
リヒテンラーデ侯は厳しい表情をしている。私が何処かで侯を疎ましく思ったのが分かったのだろうか。
「このままでは帝国は滅ぶ。生き残るためには今のままではならぬのじゃ」
「!」
帝国が滅ぶ? 馬鹿な、侯は一体何を言っているのか。シャンタウ星域で勝利を収め帝国は国威が上昇していると言っていい。それが滅ぶなど有り得ない。
「リヒテンラーデ侯、そこからは私が話しましょう」
「いや、私が話す。これは私の役目だからの」
そう言うとリヒテンラーデ侯は何故政治改革が必要かを話し始めた……。
「新銀河帝国ですか……」
「うむ」
リヒテンラーデ侯の説明は三十分ほどかかった。フェザーン、同盟を占領し宇宙を統一する。そのことが帝国内部の政治改革を促す事になるとは……。そしてそれ以外に帝国が存続する道が無いとは。いや、なにより大きいのは陛下が改革を認めているということだろうか。
「どうかな、レムシャイド伯。我らに協力してもらえるかな」
「……閣下が権力欲から改革をと言うのであればお断りしました。しかし新銀河帝国ですか、まさかそんな事をお考えとは思いもしませんでした」
リヒテンラーデ侯は私の言葉に苦笑しながら言葉を出した。
「考えたのはヴァレンシュタインよ。私ではない」
そんな侯の言葉にヴァレンシュタイン元帥は穏やかに微笑んでいる。
「それで、私に何をさせようというのです。ただ説明のためだけにお二人が連絡をしてきたわけでは有りますまい」
元帥がリヒテンラーデ侯に顔を向けると、侯は一つ頷いた。
「レムシャイド伯、自由惑星同盟政府と連絡を取って欲しいのですが」
「反乱軍、いや自由惑星同盟政府とですか?」
「ええ」
「フェザーンには知られること無くでしょうか?」
「ええ、知られる事なくです」
「なるほど」
同盟政府と連絡を取る。フェザーンに知られること無く……。難問と言って良いだろう。
「元帥、通常であれば同盟側の弁務官を通して連絡を取る事が出来ます。しかし、まず間違いなくフェザーンに知られるでしょう」
私の言葉に元帥は頷きながら答えた。
「同盟の弁務官はフェザーンに飼われていますか?」
「そうです。ヘンスローといいますが、フェザーンから、金、女をあてがわれて飼いならされています」
私の言葉にリヒテンラーデ侯が鼻を鳴らして吐き捨てた。
「反乱軍も頼りにならぬ男を弁務官にしたものじゃ。役に立たぬの」
全く同感だ。こういう場合は全く役に立たない。元帥は少し困ったような口調で訪ねてきた。
「では、他に手立てはありませんか?」
「……無くも有りません。フェザーンには反ルビンスキー派と言われる人間がいます。その伝手で同盟政府に連絡を取れるかもしれません」
「なるほど、反ルビンスキー派ですか」
「そうです、いずれ接触する必要があると考えていました。いい機会です、この機に彼らと接触しましょう」
元帥はリヒテンラーデ侯と顔を見合わせ
「そうですね。ではレムシャイド伯、お願いいたします」
と言った。
「分かりました。ところでヴァレンシュタイン元帥、同盟政府には何を伝えるのです? 今回の勅令の件でよろしいのですかな?」
宇宙暦796年10月13日 ハイネセン 最高評議会ビル ジョアン・レベロ
「どうした、トリューニヒト、急に来いなどと」
最高評議会議長の執務室を開け、トリューニヒトに声をかけると、そこにはホアン・ルイがいた。どういうことだ? 何が有った?
「遅いぞ、レベロ。とにかくまずは座ってくれ」
「ああ、ホアン、君も呼ばれたのか」
「うむ。急に来てくれと言われてな」
私と同じか……。妙だ、トリューニヒトが少し興奮しているように見える、何が有った?
「二人とも良く聞いてくれ。もう直ぐ通信が入る、相手はフェザーンにいる帝国の高等弁務官レムシャイド伯だ」
「!」
思わずホアンと顔を見合わせた。彼も驚いている。帝国の弁務官から連絡?
「トリューニヒト、ヘンスローが仲立ちしたのか?」
「いや、ヘンスローではない、フェザーンの有力者が間に立っている。その人物はルビンスキーとは敵対関係に有る」
ヘンスローは通さなかったか。どうやら帝国側からもヘンスローは当てにならないと見られているようだな。いずれ交代させる必要があるだろう。それにしてもルビンスキーとは敵対関係に有る人物が間にたったか。帝国とルビンスキーはかなり険悪な状態にあるということか。
TV電話が鳴った。トリューニヒトが受信し、映像をスクリーンに拡大投影する。スクリーンに初老の人物が表れた。白っぽい頭髪と透明な色素の薄い瞳をしている。
「お初にお目にかかる。帝国高等弁務官、ヨッフェン・フォン・レムシャイド伯爵です」
「自由惑星同盟最高評議会議長、ヨブ・トリューニヒトです」
「財政委員長、ジョアン・レベロです」
「人的資源委員長、ホアン・ルイです」
トリューニヒトが自由惑星同盟と言ったとき僅かにレムシャイド伯の右眉が上がったように見えた。やはり抵抗があるようだ。いっそ反乱軍とでも名乗ってやればよかったか。
「レムシャイド伯、一体何用ですかな。亡命を希望されるのであれば喜んでお迎えしますが」
トリューニヒトの言葉にレムシャイド伯は面白くもなさそうに笑うと答えた。
「今のところはその必要はなさそうですな、トリューニヒト議長。用件に入ってもよろしいかな」
「これは失礼しました、どうぞ」
「十五日、明後日ですが帝国で勅令が発布されます」
「……」
「勅令の内容は税制と政治改革、具体的には、貴族への課税、それと既得特権の廃止となります。それに伴い農奴の廃止と平民の権利の拡大が布告されるでしょう」
「!」
レムシャイド伯の口調はさり気無いものだったが、私は思わずトリューニヒト、ホアンと顔を見合わせた。有り得ない事だ、一体帝国は何を考えている? ホアンとトリューニヒトも表情に驚きが出ている。
「何故、それを教えていただけるのですかな、いやその前に教えていただきたい。私達にそれを伝えるのは伯の個人的な御好意と受け取ってよろしいのですかな?」
ホアンの問いにレムシャイド伯は首を振って答えた。
「違いますな。この件につきましては国務尚書、リヒテンラーデ侯、宇宙艦隊司令長官、ヴァレンシュタイン元帥からの依頼でお伝えしております」
「!」
国務尚書、リヒテンラーデ侯! 宇宙艦隊司令長官、ヴァレンシュタイン元帥! 伯が嘘をついていなければ帝国の文武の重臣達が絡んでいることになる。本気で改革を行なうという事か?
「何故そちらに伝えるかという事ですが、おそらく勅令発布後、帝国内では内乱が起き国を二分する戦いが生じるでしょうな。お互い困ったことになるだろうとオーディンでは考えています」
内乱が起きる、重大事であるのにレムシャイド伯はあっさりと答えた。困っている様子など欠片も無い。むしろそれこそが狙いか、リヒテンラーデ、ヴァレンシュタイン連合が国内の門閥貴族との対決を決めたということか。だとすると国内の改革というのも何処まで本気か検討の必要が有るだろう。
「はて、そちらが困った事になるのは判りますが、同盟が困った事になるというのはどういうことですかな。よく分かりませんが」
トリューニヒトの言う通りだ。帝国が内乱になってくれれば、同盟はその間国内の建て直しに専念できる。困る事など無い。
「帝国が内乱になれば、また出兵論が出ませんかな? 出兵すればその分だけ国内の建て直しが遅れます。そちらとしては迷惑な話だと思うのですが、違いましたか?」
レムシャイド伯が微かに笑いを浮かべながら答えた。なるほど確かにその可能性は有るだろう。相手はこちらの状況をよく把握している、なかなか手強い。それになんと言っても帝国には余力がある。それがレムシャイド伯の態度に繋がっている。
「そこまで仰るのであれば、帝国には何か考えが御有りかな? 教えていただきたいものだが」
トリューニヒトの言葉にレムシャイド伯は頷いて答えた。
「捕虜を交換しては如何かな、それで出兵論は抑えられると思うのだが」
捕虜を交換? 一体何の話だ? このレムシャイド伯という男は奇襲攻撃が得意らしい。なんともやりづらい相手だ。私はトリューニヒト、ホアンと顔を見合わせた。彼らなら分かるだろうか……。
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