銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百三十一話 後継者
帝国暦 487年10月 2日 オーディン 新無憂宮 ライナー・フォン・ゲルラッハ
フェザーンからニコラス・ボルテックという男が来た。帝国のフェザーンに対する誤解を解くためだという。フェザーンではルビンスキーの補佐官を務めていた人物だ。それなりの人物を送って来たらしい。
現在オーディンに有るフェザーンの弁務官事務所は閉鎖されている。職員は皆軟禁状態にあり、フェザーンはオーディンにおいて活動の拠点を失っている。ボルテックは弁務官事務所の活動の再開、職員の解放を希望している。
ボルテックはフリードリヒ四世陛下への謁見を済ませた後、別室で帝国側の実務者たち、即ち私達と会う事になっている。帝国側はリヒテンラーデ侯、ヴァレンシュタイン元帥、そして私だ。エーレンベルク、シュタインホフ両元帥はフェザーンの拝金主義者など見たくないと断ってきた。
リヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥が会うのは先日の宮中での一件以来だが、二人ともその事には一言も触れなかった。それどころか表情一つ変えない。それぞれ椅子に座りボルテックを待つ。
「ニコラス・ボルテックじゃが、食えぬ男じゃの」
「そうですか……」
「先程、陛下との謁見ではのらりくらりとかわしおった。エーレンベルク、シュタインホフがおらぬのは幸いじゃ」
忌々しそうにリヒテンラーデ侯が口を開いた。先程の謁見には自分も同席したが全く同感だった。さすがにフェザーンで黒狐の補佐官をしていただけのことは有る。
エーレンベルク、シュタインホフ両元帥がいれば怒り心頭に達していただろう。ヴァレンシュタイン元帥が穏やかに微笑みながら言葉を返した。
「リヒテンラーデ侯らしくもありませんね。彼の好きにさせるなど」
「ふん、陛下の御前じゃからの、遠慮したまでよ」
「なるほど、これからが本番ですか。ではお手並み拝見ですね」
そう言うとヴァレンシュタイン元帥はおかしそうに笑った。
「何を言っておる。少しは年寄りを労わらんか。卿があの横着者の肝を冷やしてやるのじゃ」
リヒテンラーデ侯の言葉に元帥は今度は苦笑した。
「また面倒な事を。財務尚書、どう思います?」
「正直者の私の手には余ります。お二人の悪辣さに期待させていただきましょう」
私の言葉に元帥はさらに苦笑を強めリヒテンラーデ侯を見た。リヒテンラーデ侯は面白くもなさそうに鼻を鳴らした後、私と元帥を見て一言吐き出した。
「そろそろ来るぞ」
その言葉にヴァレンシュタイン元帥は溜息をついてから、少し困ったような表情で侯に答えた。
「何処まで御期待に沿えるか、分かりませんよ」
「ニコラス・ボルテックでございます。高名なヴァレンシュタイン元帥にお目にかかれたこと、光栄の極みでございます」
「ボルテック補佐官、お役目ご苦労様です」
挨拶が終わるとボルテック補佐官はフェザーンの立場を弁護し始めた。先程陛下の前で述べた事と同じだが、二回目の所為だろう、さっきよりも滑らかに話し始める。
アルテミスの首飾りがカストロプに配備されたのは商魂たくましい商人が売ったもので自治政府は関与していないこと、知っていれば必ず止めたであろう。
反乱を起したマクシミリアン・フォン・カストロプとフェザーンが連絡を取り合っていたとの非難があるがそれは誤解であり誹謗である。
マクシミリアンは反乱後、独立しカストロプ公国とフェザーンの間で国交を結びたいと言ってきたがフェザーンは本気にせず適当にあしらった事。それを以ってフェザーンに叛意ありとするのは酷としか言いようが無い。
ブルクハウゼン侯たちの背後にフェザーンがいたとの疑いは心外である。もしブルクハウゼン侯たちがその様な事を言っているとしたら、責任をフェザーンに押し付け少しでも罪を軽くしようとしての事である。
「フェザーンは決して帝国に敵対する事はありません。それをご理解ください。弁務官事務所の活動の再開、職員の解放をお願い致しまする」
ボルテックの言葉にヴァレンシュタイン元帥がチラッとリヒテンラーデ侯を見た後、答えた。
「なるほど、フェザーンに罪は無い、帝国の一方的な言いがかりだというわけですね?」
「そのような事は言っておりません。誤解が有ったと言っております」
「しかし、フェザーンには誤解を受けるような点があったのではありませんか?」
「弁務官事務所の活動の再開をお許しいただけるのであれば、今後は私が弁務官となって信頼いただけるように務めるつもりです」
ボルテックの言葉を聞くとヴァレンシュタイン元帥は少し目を細めた後、ボルテック補佐官に問いかけた。
「貴方が居なくなってはフェザーンのルビンスキー自治領主も色々とお困りでしょう。今はどなたが傍に居るのです?」
「ルパート・ケッセルリンクという者が新たに補佐官としてルビンスキー自治領主の傍におります」
「若いのですか?」
「まだ、二十代前半です」
ほんの少し、ボルテックの声に苦味が走ったように思えたのは気のせいだろうか。リヒテンラーデ侯を見ると侯は微かにこちらに視線を向けたが直ぐボルテックに戻した。ヴァレンシュタイン元帥はどう思っただろう。彼の穏やかな表情には何の変化も無い。
「リヒテンラーデ侯、ゲルラッハ子爵、弁務官事務所の活動の再開を許しては如何でしょう。フェザーンもボルテック補佐官を新たに弁務官に任命するほどの配慮を示したのですし」
一見すると、心からフェザーンの配慮に感心したような態度だがそんなことは有り得ない、となればボルテックを取り込む気か、あるいは別に狙いが有るのか。リヒテンラーデ侯が皮肉そうな表情で元帥に問いかけた。
「良いのか、それで」
「構いません」
「ならば、私には異存が無い、ゲルラッハ子爵、どうじゃな?」
「問題ありません」
この二人が良いと言ったものを私が覆す事など出来るわけもない。リヒテンラーデ侯の“良いのか”、あれは、それで取り込めるのか、利用できるのか、そういうことだろう……。
「有難うございます。フェザーンは必ず、帝国にとって信頼できる存在になることをこのボルテックが約束いたします」
ほっとしたのだろう。ボルテックの表情に安堵が見える。
そんなボルテックを見ながらヴァレンシュタイン元帥が声をかけた、穏やかに微笑みながら。
「ボルテック弁務官、今貴方は帝国にとって信頼できる存在と言われましたが、その帝国とは誰の帝国です?」
「?」
「ルパート・ケッセルリンク補佐官は、アントン・フェルナー准将と接触していたそうですが」
「!」
ボルテックの表情が強張った。一方、元帥は相変わらず微笑を浮かべている。ルパート・ケッセルリンク、新任の補佐官だが元帥は知っているのか? 先程は知らなさそうであったが。それにアントン・フェルナー准将?
「ヴァレンシュタイン、アントン・フェルナー准将とは誰かな?」
「ブラウンシュバイク公の部下ですよ、リヒテンラーデ侯。私の依頼でフェザーンに行っていました」
「!」
部屋に緊張が走る。全員がヴァレンシュタイン元帥を見た。元帥は穏やかに微笑を浮かべたままだ。ルパート・ケッセルリンクがブラウンシュバイク公の部下と接触した。しかし、その部下は元帥の依頼で動いている、どういうことだ?
「フェザーンで同盟の弁務官事務所と接触をしていました。同盟軍を帝国に攻め込ませるためです。彼はとてもいい仕事をしてくれましたよ」
元帥はいかにもおかしそうに笑った。一方ボルテックの表情はますます強張る。
「……」
「彼とギュンター・キスリング、ナイトハルト・ミュラーは私の士官学校時代の同期生で親友です。ギュンターは先日、ブルクハウゼン侯達を捕らえ、フェザーンの弁務官事務所を制圧しました。ナイトハルトは私の元で一個艦隊を率いています。有能な艦隊司令官です」
つまり元帥はブラウンシュバイク公の元にも自分の味方を入れている。公の動きは元帥に筒抜けという事か。しかし、何故それを明かす? ボルテックは必ずブラウンシュバイク公に伝えるだろう。それではフェルナー准将が危うくなる。
「ボルテック弁務官」
「何でしょうか、ヴァレンシュタイン元帥」
「貴方は将来、フェザーンの自治領主になりたいと考えていますか?」
微妙な質問だった。この場でなりたいと言えばルビンスキーへの反逆の意思ありと取られかねない。いやそのように取ってルビンスキーとボルテックの間を裂きかねない。
「……なりたいとは考えています。しかしルビンスキー自治領主閣下を追い落としてまでなりたいとは考えていません。自分はフェザーンの混乱を望んではいません」
なりたいと言った。それなりに野心と自信の有る男なのだろう。
「なるほど、ボルテック弁務官は野心と節度という相反する二つをお持ちのようじゃ。なかなかの人物じゃな。そうは思わんか」
リヒテンラーデ侯がボルテックを評した。額面どおり取れば高評価といって良いだろう、しかし侯の口調には温かみなど欠片も無かった。だがボルテックは耐えている。顔は強張っているが、落ち着いているし目には強い光がある。胆力もあるようだ。
「そうですね、私もそう思います。元帥はいかがです」
「同感です。しかし、残念ですがボルテック弁務官が自治領主になることは有り得ないでしょうね」
穏やかな口調だ。しかし、その言葉は部屋に響き沈黙が落ちた。息苦しいほどの緊張が場を包む。ボルテックは覚悟を決めたのだろう。挑むような視線でヴァレンシュタイン元帥を見ると口を開いた。
「何故でしょう。それは私に能力が無い、そういうことでしょうか?」
「弁務官自身の問題では有りません。ですが二つの理由で貴方はフェザーンの自治領主にはなれないでしょう」
元帥の表情は変わらない。穏やかで微笑を浮かべたままだ。
「その二つの理由をお教え願いませんか」
ボルテックも口元に笑みを浮かべながら言葉を発した。だがヴァレンシュタイン元帥に向けられた視線は強いままだ。
「一つは私がフェザーンの自治を認めるつもりがないからです。私の願いはフェザーンを滅ぼし、自由惑星同盟をも滅ぼす、宇宙の統一です」
一瞬だが元帥とボルテックの視線が強く絡まった。
「……なるほど、もう一つは」
「ルビンスキー自治領主には意中の後継者がいます。それは残念ですが貴方ではない。それが理由です」
「!」
ボルテック弁務官の顔が歪んだ。もしかすると彼自身その思いがあったのかもしれない。彼は一瞬、眼を閉じた後元帥に問いかけた。
「その意中の後継者とは誰でしょうか」
「……ルパート・ケッセルリンクです」
その瞬間ボルテック弁務官は口を歪めて反論した。何処と無く嘲笑の気配もある。
「元帥閣下、ルパート・ケッセルリンクは未だ二十代前半です。自治領主閣下が彼を後継者になど有り得ません」
「彼がアドリアン・ルビンスキーの息子だといってもですか」
「!」
ボルテックの顔が今度は驚愕で歪んだ。ヴァレンシュタイン元帥は幾分せつなそうな表情で話を続ける。
「昔、ある若者が居ました。能力も、野心も有る男だった。貧しい家の娘と付き合っていましたが、ある時彼の前に大富豪の娘が現れた。彼は貧しい娘を捨て、大富豪の娘を選んだ……」
「……」
「それがきっかけとなり彼は頂点を目指し始めた。そして五年前から第五代自治領主としてフェザーンを支配している」
独り言のようなヴァレンシュタイン元帥の声だ。誰も口を挟もうとしない。
「……」
「彼は貧しい家の娘を自分の野心のために捨てましたが、忘れたわけではなかった。彼女が自分の息子を生んだことを知り、自分の傍に置いたんです。第六代自治領主にするために」
「……」
「ルパート・ケッセルリンクの母親は死んでいます。自治領主にしてみれば、彼女への贖罪の気持ちと父親としての愛情なのかもしれません」
「……」
沈黙が落ちた。本当の事なのだろうか。ボルテックの顔は青ざめている。思い当たる節があるのだろうか。元帥は一つ首を横に振るとボルテック弁務官に話しかけた。
「ボルテック弁務官、貴方はおそらく自治領主にオーディンの弁務官事務所を立て直せ、それが出来るのはお前しかいない、そんなことを言われたでしょう。私の暗殺も頼まれたかもしれない」
「……」
「でも、本当は貴方が邪魔だったんです。貴方がフェザーンにいる限り、ルパート・ケッセルリンクは貴方の影に隠れてしまう。だからオーディンに追い払った。これから時間をかけて後継者教育を始めるつもりでしょう。実績も経験も積ませるつもりに違いない」
「……」
「貴方が失敗すれば公然と切り捨てられる。成功したら、帝国を宥めるために貴方の独断だとして帝国に売り渡す、あるいは成功した瞬間に貴方を殺す……」
「……」
「信じる、信じないは貴方の自由です。多分、自分で事実を調べようとするでしょうが気をつけるのですね。ルビンスキーもケッセルリンクも貴方を邪魔だと思っている。周りが全て貴方の味方とは限りません……」
元帥の声だけが静かに流れた。その声は本当にボルテックを案じているように聞こえる。ボルテックの顔は青ざめ、彼の内心を表すかのように目が揺れ動いた。
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