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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百三十二話 バラ園

帝国暦 487年10月 2日   オーディン 新無憂宮  ライナー・フォン・ゲルラッハ



「ボルテックは大分参っていたようじゃの」
「そうですね」
リヒテンラーデ侯の言葉に答えながらヴァレンシュタイン元帥を見る。元帥は少し放心したようにボルテックが出て行ったドアを見つめていた。

ボルテックは心が折れてもおかしくは無かった。それほど元帥の揺さぶりは巧妙で強力だった。しかし彼は持ちこたえた。動揺は見せたが醜態は見せなかった。フェザーンの弁務官として最後の一線で踏み止まったと言える。

「ヴァレンシュタイン元帥、先程のアレは本当の事なのですか?」
「アレと言われても困りますが、財務尚書の言われている事がルパート・ケッセルリンクの事でしたら事実です」

気を取り直して答える元帥の言葉に私とリヒテンラーデ侯は顔を見合わせた。リヒテンラーデ侯が不思議そうな口調で問いかける。
「卿は妙な事を知っておるの。何処で調べた、情報部か?」
「いいえ、そうではありません」

そのまま元帥は視線を逸らした。不自然な沈黙が落ちる。私とリヒテンラーデ侯の視線に気付かないはずは無い。それでも元帥は沈黙している。答えたくないということか……。私はリヒテンラーデ侯に視線を向けた。侯も訝しげな顔をしている。

「ヴァレンシュタイン、卿はボルテックをどう見た?」
「……ボルテックは私の予想とは少し違いました。私は才気、野心は有っても心の弱い人物だと思っていたのですが、そうではないようです」

ヴァレンシュタイン元帥はそう言うと、少し考え込みながら言葉を続けた。
「ルビンスキーは誤りました。彼はボルテックを傍から離すべきではなかった。傍に置いておけば彼を守る盾になったでしょう。むしろオーディンにこそルパート・ケッセルリンクを置くべきでした」

「……」
「ルパートが成功すれば、それを功として認められます。失敗しても若さの所為にして庇う事が出来る。ま、心配なのでしょうね、遠くに置くということが」

そう言うと元帥は口元にうっすらと笑みを浮かべた。一瞬ぞっとするような酷薄なものを感じたのは気のせいだろうか。黒のマントに包まれた元帥が禍々しく見える。リヒテンラーデ侯が少し考え込みながら元帥に話しかけた。

「ルパート・ケッセルリンクじゃが、フェザーンのレムシャイド伯に念のため調べさせるか」
「そうですね、そうしていただけますか。出生だけでなく現在の動きも含めて」

「そうじゃの、ところでアントン・フェルナー准将といったか、彼のことじゃが……」
「彼は敵です!」
リヒテンラーデ侯の言葉を元帥は遮った。その語気の鋭さに部屋が緊張する。元帥は能面のような無表情になっていた。

「彼は士官学校では同期生で親友でした。しかし今は敵です」
元帥の言葉に私とリヒテンラーデ侯は顔を見合わせた。
「……彼を味方に引き込むことは出来ませんか」
戸惑いながら問いかけた私の言葉に元帥は首を横に振った。

「彼は私と戦いたがっています。謀略家として私と戦い、その力を試したがっている……。私もいつかこんな日がくると思っていました。そして来た……」
「しかし、親友なのでしょう、このままでは……」

私の言葉に元帥は僅かに苦笑して言葉を続けた。
「アントンは私が死ねば悲しむでしょう。私のために泣いてくれると思います。ですが戦う事を止めようとはしない。負けを認めるまで戦い続けるでしょう」
「……」

「お二人ならお分かりでしょう。生きていく以上、お互い譲れないものが有ると。譲るのであれば、それなりの何かが要ると」
「……」

何も言えなくなった。私もリヒテンラーデ侯も貴族を切り捨てることに同意した。それは新銀河帝国、宇宙を統一する唯一の星間国家という夢と引換えだった。単なる権力争いで切り捨てたわけではない。

重苦しい雰囲気を打破ったのはリヒテンラーデ侯の声だった。
「ヴァレンシュタイン、陛下が卿に話したいことがあるそうじゃ。バラ園に行くが良い」

ヴァレンシュタイン元帥はリヒテンラーデ侯の言葉に頷くと席を立って歩き始めた。立つ時に濃紺のサッシュが目に付いた。彼の近くにいる人間だけがサッシュの色に気付くだろう。彼を忌み嫌い、遠ざかるものは気付かないに違いない。

「どうも、心配じゃの」
リヒテンラーデ侯の呟きに誰とは聞かなかった。聞くまでも無い。
「いささか、疲れているようですが」

リヒテンラーデ侯は溜息とともに言葉を出した。
「ローエングラム伯にも困ったものじゃ」
「?」

「小僧めが図に乗りおって。本来なら死罪になってもおかしくなかったのじゃ。陛下が甘やかすから付け上がりおって」
「……」


帝国暦 487年10月 2日  新無憂宮 バラ園  フリードリヒ四世


「陛下、リヒテンラーデ侯より御呼びと伺いましたが?」
「うむ、ご苦労じゃな、ヴァレンシュタイン」

声をかけ、目の前でひざまずく若者を見た。小柄で華奢な体を黒のマントが隠しておる。初対面でこの者が宇宙艦隊司令長官だと言っても誰も信じまいの。

「立つが良い。遠慮は要らぬ、そちもバラを見るが良い。もう直ぐ華も終わりじゃ。華が終われば剪定じゃの」
「はっ」

ヴァレンシュタインは立ち上がると予の後ろに立った。ヴァレンシュタイン、そちの良い所は遠慮の無い所じゃ。他のものでは妙に遠慮するでの、反って予が疲れるわい。

「ケスラーから聞いた。ローエングラム伯のことで苦労しておるようじゃの」
「はっ」
「どうかの。アンネローゼを後宮より下げるというのは」

アンネローゼを後宮より下げるのは惜しいが、そうすれば少しはローエングラム伯も落ち着くやもしれぬ。
「それは御無用に願います」

ほう、きっぱりと答えたの。
「いかぬか」
「はい。ローエングラム伯は返って侮辱と感じるかもしれません」

「そうか、そうかもしれんの。周りの貴族達も囃し立てるやもしれん」
アンネローゼが後宮より下がれば、寵を失ったと判断した貴族たちが囃し立てるか……。

ローエングラム伯はその侮辱に耐えられず、その侮辱を与えた予を許すまい……。返すも地獄、返さぬも地獄か。つまり、予が死んで自然とあれが後宮より下がる、それしかないということか。

「それに、陛下の元に新たに女性を献ずる貴族が押し寄せますが」
こやつめ、楽しんでおるな、なるほど確かにそうじゃの。この年で若い娘の相手はちとしんどい、そうじゃ、そちに手伝わせるという手もあるの。

「なるほど、確かにそうじゃの。そちにも一人遣わそうか。好みの娘を選んでよいぞ。ただし、そちの嫌いな貴族の娘じゃが」
背後からおかしそうな笑い声が聞こえて来た。

「陛下、それでは親が納得いたしますまい」
「そうでもあるまい。貴族の誇りとやらが邪魔しているが、内心ではそちと誼を結びたいと思っているものもおろう。予が遣わしたとなれば面目も立つ」

「愚かな話ですね」
「そうじゃの、全く愚かな話じゃ」
思わず笑い声が出た。ヴァレンシュタインも笑っているようだの。

バラの華を見ながら貴族たちの愚かさを笑うか。笑うのは皇帝と平民、なんとも皮肉なものよ。ルドルフ大帝はこのような日が来ると想像した事があったかの。

目の前には美しい華が咲き誇っておる。後ろにいるヴァレンシュタインは華を見ておるじゃろうか。バラの華が似合う若者じゃ、黒のマントも映えるであろう。しかしどう見てもバラの華を愛でる姿が思いつかぬ。困ったものじゃ……。

「あれは、簒奪を望んでいよう」
「ケスラー提督がそのような事を申し上げましたか?」
「いや、そのような事は言わなんだ。だがあれの目を見れば分かる……。そちはどう思うか、思うところを述べてみよ」

少しの間、沈黙があった。なるほど、簒奪の意思有りということか……。
「おそらくはそれを望んでいましょう」
「そうか」

正直な男よの。他のものなら有り得ぬと否定するか、有り得るとむきになって伯を誹謗するかじゃ。そちはそのいずれでもない。ただ思うところを述べる……、それだけじゃの。

「あれにとってはそちが邪魔なのであろう。そちがいる限り、権力は握れぬからの」
「……」

「逃げたいか? そちは権力など望んでおるまい。ここから逃げ出したいとは思わぬか?」
「……思います」

「では、何故逃げぬ?」
「自分を信頼してついてきてくれる人達がいます。その想いを裏切れません」
「……」

「それに……」
「それに? いかがした?」
「自分の所為で三百万人死にました。そして自分は帝国を守るため一千万人殺しました。もう逃げられません」

「逃げられぬか。辛いの……」
「はい……」

「帝国は滅びる。門閥貴族は肥大化し、互いに勢力を張り合い始めた。政治は私物化され、帝国は緩やかに腐り始めておる。いずれ帝国は分裂し内乱状態になり、存在しなくなると思うた」
「……」

「そちの言う通りよ、帝国は滅ぶ。であるのに皇帝からは逃げられぬ、地獄じゃ……」
「陛下……。陛下がローエングラム伯を引き立てたのは……」

「そうじゃ。ローエングラム伯ならば、予を地獄から救ってくれるだろうと思った。あれはゴールデンバウム王朝を滅ぼすであろう、しかし銀河帝国はあれの元で新しく生まれ変わるに違いない……」
「……」

「じゃがそちが現れた。そちが新しい道を示してくれた。嬉しかった。そちにとっては迷惑かもしれんがな」
「……」

「すまぬの。予があれの野心を煽ったようなものじゃ。それなのに止めることが出来ぬ。そちに苦労をかけてしまうようじゃ」
「陛下……」

声が湿っておるの。泣いておるのか、ヴァレンシュタイン。いや、泣いておるのは予も同じか……。先程からどうもバラの華が良く見えぬ……。

「予はそろそろ戻らねばならん。国務尚書が心配するからの。そちは、いま少しバラを見ていくが良い。たまには良かろう」

予はヴァレンシュタインを残し歩き始めた。バラ園の出口で振り返る。バラの華に囲まれたヴァレンシュタインの姿が見えた。遠目にもバラの華が良く似合う、黒のマントも良く映える。いかんの、また涙が溢れてきた、折角の風景が台無しになってしまうではないか……。


 
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