一人のカタナ使い
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SAO編 ―アインクラッド―
第二章―リンクス―
第19話 暗夜に潜む者
「お、弟……? そ、ソラが……?」
驚きを隠せない僕の言葉に、目の前で木に縛られているプレイヤーが静かに頷いた。
その反応を見て、あらためて彼女の顔をまじまじと見る。確かに、そう言われてみるとソラの顔と重なる部分がない気がしないでもない。だが、目や鼻といった顔のパーツはそこまで似ていないから、おそらく全体の雰囲気からだろう。
「そんなにジロジロ見るなよ、キモチワルイ」
「あ、す、すみません……」
凝視していた目の焦点をズラす。声のトーンは戦闘のときと同じで、剣のような鋭利さを取り戻していた。相手が女性だということが発覚したこともあり、なおさら背筋が伸びてしまうような気がした。何より、暗闇でもわかるほど僕を睨んでいる。
ゴホン、とわざとらしく大きく咳払いをして空気を変える。後ろにいるキリトからの視線が振り向かずともわかった。
もう周りはすでに真っ暗と言っていいレベルだ。あまりこんな場所で長居はしたくない。
単刀直入に切り出そう。
「――あの、それで何で僕を攻撃してきたんですか?」
核心的な内容を、僕は息を飲んで尋ねる。
僕の言葉を聞いた彼女は、ピクリ、と今までとは違う反応を示した。
だが、その意味はわからない。強いて言うのなら、訝しんでるというか……困惑しているというか……。
僕も、そしてきっとキリトもプレイヤーの答えを待つ。
しかし――
「――あんた、何言ってるの?」
返ってきた言葉は、僕の想像しているものとは違った。知らず識らず口が半開きになり、言葉を失う。
「自分が何をしていたか知ってるでしょう? 知らないとは言わせないわよ。あんたが殺されかけるのは当然でしょう?」
「……え? は?」
なぜ僕が悪いように言われているのだろうか。
「……誤魔化すつもり?」
「いや、誤魔化すも何も、僕、襲われるほどのことした記憶ないんですけど……」
「はあ?」
本当にやっていない。
だが、ここまで言われると本当にしてないのか、少しだけ不安になってくる。もしかして無意識にしているのかも、と思えてくる。
僕は思わずキリトの方をゆっくりと振り返った。すると僕の気持ちを察したのか、キリトは軽く僕の方に手を置く。
「大丈夫だ。ユウは何もしてないよ。性格から考えてみても、ユウは人に迷惑をかけるような真似はしないさ」
「……そう、だよね。ありがとう」
そうだ、僕は何もしてない。
強いて言うとするのなら、迷宮区に引きこもりすぎて周りに心配をかけるぐらいだ。
ということは、僕の誤った情報を流されていることになる。
「あの、逆に聞きたいんですけど、僕についてどういう情報を持ってるんですか?」
僕の質問に迷うような素振りを一瞬見せた後、素直に答えてくれた。
「あたしが聞いたのは、フードの付いた服装をしたカタナ使いが、第二十二層で小さい男子のプレイヤーを人気のないところへ連れ込んで行ったって話よ」
「えっ……」
「それで、あたしはソラがターゲットにされてる、と思って第二十二層を走り回った。それでようやく見つけたから、殺られる前に殺ってやろうと思って……このザマね」
「…………そう、ですか」
確かに、その噂通りの人物なら見知らぬ人に殺されかけても文句は言えないだろう。このプレイヤーが襲うのも無理はない。僕だって襲うまではいかないにしても、どこかの大きなギルドに伝えるぐらいはするかもしれない。
しかし、それよりも問題なのは、そんな情報がどこかからか発信されているということだ。
完全にガセネタなのは言うまでもないことだが、ガセネタだと知ってるのは僕自身と僕の人となりを知っているプレイヤーだけだ――逆に、僕と関わりのないプレイヤーは、その情報を本当のことだと思っているということになるのだ。
僕の知らない誰かが僕のことを悪者だと思い込み、忌み嫌う。考えただけでゾッとする。
――とにかく、このプレイヤーの誤解を解かなければ話は進まない。
僕は落ち着くために、一回深く息を吸ってから、
「えっと、あの、その情報嘘ですよ」
僕の言葉に、また怪訝な顔をされる。
「少なくともその情報のプレイヤーは、僕じゃないです」
「その情報こそ嘘でしょ。これだけ情報と一致しといて、それは苦しいと思うけど」
「確かに……そうなんです、よね〜……」
このプレイヤーは、完全に僕を知らない。完全に初対面だ。
だから、情報通りに鵜呑みするのも仕方ないことだろう。
しかし、どうしたら信じてもらえるのか。
頭を悩ませていると、後ろにいるキリトが提案をする。
「ユウ、誤解を解くにはソラに会わせた方がいいんじゃないか? 話を聞く限り、このプレイヤーはソラの姉みたいだし、ソラから話を聞けば納得してくれるだろ」
「なるほどね! じゃあ、連れていこうか」
キリトのナイスなアイデアを即行で賛成し、さっそく行動に移す。
「でも、本当に姉ちゃんかわかんないから一応縛ったままにしときますね」
このまま移動していたら、こっちが誤解されそうだが、また殺されかけるのはもっと嫌だから辛抱してもらおう。
相手は僕の言葉に反応することはなかったが、どんな返答があったにせよ、このまま連れて行くから関係ない。少しひどい気もするけど、許してもらいたい。
木に括り付けていた方の縄を解いて、代わりに片手に巻きつける。そして、念のためにと彼女の両手をまとめて拘束している部分を掴む。これで簡単には逃げられないはずだ。いざとなったらキリトもいることだし、ひとまず大丈夫と言えるだろう。
「それじゃあ、行きますか」
とりあえずこの場所から抜け出さないと。
このプレイヤーと闘っているうちに、ずいぶんと奥まで来てしまっている。走るならまだしも、歩いて戻るなら少し時間がかかるかもしれない。
「そういえばさ、キリトはソラと会ったんだよね?」
「ああ、会ったぞ。俺よりも小さくて短剣使いだろ?」
「そうそう」
「すごくユウのこと心配してたぞ」
「……そうなんだ。はやく謝らないと。今度ご飯でも連れていくよ」
まだ小さい子どもにとっては、かなりショッキングな現場だっただろう。心に傷を負わせたかも、と思うと罪悪感で押し潰れそうだ。
「ご飯か……そういや、ユウはどんなところでいつも食べてるんだ?」
「うーん、いつもは迷宮区とかに引きこもってるからね〜。携帯食品で済ましてるよ」
「体に悪いな、しっかり食えよ」
「いやいや、ここゲームだから例え草食べたって腹壊さないよ。……試さないけど。まあ、普通にご飯食べたい日は友達に教えてもらったり、連れてってもらったりしたところに行ったりするかな」
「へー、そうなのか」
「うん、この前もアルゴとかカイに連れてってもらったよ」
「アルゴか……あいつ本当何でも知ってるよな……」
何気にここ数日で、二つもの場所を教えてもらっている。今気づいたが、かなりラッキーだ。
「キリトは?」
「俺か? 俺は買い食いが多いかな。楽だし、結構うまいもん見つけたしな」
「え、ちょっと教えてよ」
「いいぜ。じゃあ、俺にもどっか店を教えてくれ」
「りょーかい」
つい数十分前には緊迫した空気だったというのに、その反動のように和やかだ。
このままでいいのか、と思わなくもないが、僕も心身ともに疲れているし、会話だけでも気楽な気持ちでいたい。……右手に殺人未遂のプレイヤーの両手首を掴んでるけど。
数分すると木々の中から抜け出すことに成功。ようやく道らしき道に顔を出せた。あとは、歩いてソラのいるところまでこの道に沿って行くだけだ。
「そういえばキリト。ソラにどこにいるように言ったの?」
「ここから一番近くにある村だ。多分そこにいると思うぞ」
「そっか……なら行こうか」
一応この第二十二層に来たことがあるし、全体図も頭の中に入っている。だから、キリトの言っている《小さな村》というのも大方見当がついていた。
しかし、どうもさっきから嫌な予感がする。気のせいだといいんだけど、悪い予感っていうのはどうも当たる気がしてならない。
「……少し急いだ方がいいかも」
そんな僕の発言を聞いて、キリトが俺の方を見る。
だけど、本当に嫌な予感がする。早くソラの顔を確認しないと気が済まない。
「自分勝手なのはわかってるけど、少し走ろうよ」
「……わかった。はやく誤解解きたいしな」
「まあ、それもあるんだけど……ね……」
僕は右手に掴んでいる女性プレイヤーの両手首を放す。そして、縄をすばやく解きはじめる。
僕のその行動に、キリトも女性プレイヤーも目を見開く。
「あの、これから走るので、縛ってると邪魔だと思うから解きますね。逃げようとしてもいいですけど――僕にスピードで勝てると思わないでくださいね」
「……わかったわよ」
まだ名前を知らないプレイヤーは、手首をさすりながら、僕の少し脅しがかった言葉に静かに頷く。
さっきの戦闘で、もう彼女のパロメータはわかっている。どっちもバランスよく上げているが、どう考えても筋力寄りだ。
となると、断然スピードは敏捷力寄りに振っている僕の方が速い。逃走しようとしても、まず僕の足には敵わないだろう。転移結晶を使う暇すら与えない。
彼女の武器を振る速度もすごかったが、それはどれだけ脳の伝達速度が速いかという個人の問題なので、敏捷力はまったく関係がない。
「じゃっ、走りますよ――」
僕はそう言い終えるや、木製の地面をかけていた。
走ったこともあったが、ものの数分で到着した。
女性プレイヤーも逃げるようなことは一度もせず、素直についてきてくれたおかげもあるだろう。まあ、本当に姉だった場合、弟との合流を避けるようなことはないだろうけど。
村に到着して、村の外でキリトに女性プレイヤーを見張ってもらってから、僕一人で村中を探し回る(一番この世界で長く一緒にいる僕が見つけやすいという判断だ)。
走りながら簡単にまとめたメッセージを送ったのだが、到着するまでの間に返信されていない。ますます嫌な予感が濃密な香りを漂わせた。
村中をくまなく探し、いないことを確認してから、キリトたちに合流する。
「……どうしよう。見つからないし、繋がらないんだけど……」
「これは……本格的にまずいな……」
僕とキリトが二人にして頭を抱えていると、女性プレイヤーは苛立ちげな表情で口を開いた。
「あたしの弟はどこなのよ。はやくして、あたし半年以上探して、ようやくなんだから……!」
「す、すみません!」
さすがにこの事態に焦らずにはいられない。救援を呼ぼうにも、この村はこの層の主街区から結構距離がある。時間がかかるし、そんなに待っていられない。
「……一度情報を整理しよう。冷静に考えればわかるはずだ」
「そうだね」
まず、とキリトが人差し指を立てる。僕も彼女もキリトに注目した。
「このプレイヤーから聞いた情報によると、情報を与えたプレイヤーは、ユウと思われるプレイヤーがどこで何をしているかを知っていたことになる。ユウ、マナー違反だが、索敵スキルは取ってるか?」
「うん、序盤で取ったから熟練度もかなり高い方だと思うよ」
「ということはつまり、そのプレイヤーはユウの索敵にも気づけないほどの熟練度がある《隠蔽》スキルを取得していることになる」
キリトの発言に、思わず息を飲む。
さらにキリトの発言は止まらない。
「そしてもう一つ、ユウの動向を知っているということは、ついさっきまでユウの後を尾けていたことでもある」
そこまで言ってから、キリトは彼女の方に顔を向け、
「で、あんたに嘘の上手く混じった情報を与え、ユウを襲撃させた――PKさせようとしたんだ。自分の手を汚さずに、な」
キリトの言葉に、女性プレイヤーも驚きを隠せないようで、口元を押さえている。僕も自然と腕を組みながら話を頭の中で繰り返す。
キリトの話をもっと言うのならば、首謀者は僕に気づかれず行動することができるということだ。
このプレイヤーとの戦闘で周りを気にすることができなかったこともあり、第三者がいるなんてことは想像することすらできなかった。まあ、キリトの予想通りなら、僕の索敵を上回る隠蔽スキルがあるため、察知することはできないのだが。
…………ん?
頭のどこかで、さっきの自分の思考が引っかかる。緊急事態ということもあってか、さほど時間を要することなくそれは降りてきた。
――周り……?
「――――もしかして……」
無意識に口から漏れた言葉に、二人が振り向く。
僕は俯かせていた顔を上げ、二人を交互に見てから、閃いたままに告げた。
「もし、この人にPKさせたかったのなら、間近でその瞬間を見たかったはずだよね。なら、きっと僕たち二人が戦ってる間にも近くで見てたはずだよね?」
多分、キリトが来てくれたときにもしっかりと見ていたはずだ。
それにキリトは言っていないけど、キリトも気づけなかったということは、キリトの索敵でも看破できなかったということでもある。
そこからキリトのおかげで何とか戦闘に終止符を打つことができたあたりから、おそらくあの場を去っていたに違いない。
「だから、多分予定との結果が大幅に変わったことで、ソラにターゲットを切り替えたんじゃないかな」
僕の推理にキリトは顎に手を当てながら、
「……確かに、それが妥当だな。ソラを人質にすればユウを確実に……という考えなんだろう」
「そう、だろうね……」
あまり考えたくないことだが、受け入れるしかない。
問題は《なんで僕がそこまでして命を狙われているのか》ということだ。
何より僕と関わったことで、ソラにまで危険が及んだという事実に、正直頭が真っ白になりそうなほどのショックが襲いかかってきそうだ。
まだ冷静でいるために、あまり考えないようにしているが、この一連のことが収まったらどっぷり凹むことになるだろう。
「――そんなことは、今は置いといていいのよ」
不意に飛んできた言葉に、僕は没頭していた思考からハッと我に帰る。
女性プレイヤーは腕を組み、眉間にしわを寄せた顔で、
「問題はソラが今どこにいるかってことでしょ。あんたが何で狙われているか、とかあたしが騙されていた、とかはこの際どうでもいいわ」
彼女は僕の方を見て再び口を開く。
「あんた――ユウだっけ? あんたは、ソラとフレンド登録してないの?」
「な、なってます…………あ、そうか!」
フレンドになっているのなら、どこにいるのかがわかるのだ。ダンジョンなどにいる場合は、そのダンジョンのどのフロアにいるのかはサーチ不可能だが、フィールドにいる場合はどこにいるのかが詳しくわかる。
さっそくウインドウを操作して、フレンドリストからソラを選択。すると、この層の北東部でアイコンが点滅していた。
少なくともまだ無事にこの世界にいることに、脱力するほどの安心感が生まれる。
だが、まだ安心するにははやい。ソラが人の言うことに反抗したり、無視したりすることはまずないはずだから、やはり推理通り、誰かが連れているのだろう。
また、この村は《圏内》として認定されているため、犯罪プレイヤー――俗に言われているオレンジプレイヤーは、入ることができない。つまり、相手はグリーンカラーであることがわかる。
「――見つけた……!」
思わず大きくなった自分の声に少しだけ驚く。二人の顔にも反応が表れる。
自分の顔も少し険しくなるのを感じつつ、ウインドウに示されている場所の方角を振り向く。
「行こう!」
そう言うと、二人の同意の言葉も聞かずに地面を蹴った。
*
女性プレイヤー――もとい、アバターネーム《ニナ》は、このデスゲームに囚われてしまった自分の弟を見つけるために、この半年間を費やしてきたと言っても過言ではない。
第一層から地道にいろんな町や村に行き、他のプレイヤーに聞き込みをしながら、同時に上の層に進むためのレベリングもこなした。その同時進行のためには、睡眠の時間を最低限まで削り、この世界の貨幣であるコルを生活できる最低限まで節約した。
睡眠時間はともかく、なぜコルまでも使うことを躊躇ったのかと言えば、情報をもらうために対価として必要な場合が発生していたからだ。
情報屋はともかく、一般のプレイヤーに聞くためにも必要なことがあった。
例え、まったくニナの知りたい情報を持っていなかったとしても、貨幣欲しさにデタラメな情報を教え、ニナから実質的には無償でコルを受け取る――ある意味泥棒のようなことをするプレイヤーも少なからず存在したのだ。
だが、ニナは何ひとつ疑うこともなく、コルを渡し、その情報を頼りに探した。その情報がもともと嘘である、または本当だったが古い情報である場合が多くても、挫けず弟を探し続けた。
そのおかげがあってか、半年後には彼女の情報網はかなり広くなっていた。ちょっとした情報屋になら引けを取らないレベルである。
この半年間で、ニナは嘘情報を流すプレイヤーだけでなく、そのきっかけをはじめとしてそれからも情報を教えてくれるプレイヤーにもたくさん出会えたのだ。
時間がたつにつれ、信頼できるプレイヤー、信頼できる情報屋から情報をもらっていき、ようやくニナは弟についての核心的な情報を入手した。
――弟らしきプレイヤーが殺されかけているという、最悪な条件付きで。
情報を聞いてすぐニナは第二十二層へ駆けた。
そして、言われた通りの場所で言われた通りの状況が起こっていた。
フードのついた装備を身につけたプレイヤーがソラにカタナを突きつけていた。しかも、ソラの表情は明らかに怯えている――まさに、情報通りだった。
ニナがプレイヤーに剣を向けたのは、ほとんど条件反射のようなものだった。気づいたときには、ニナはプレイヤーを斬りつけていた。
数時間のように感じられた数十分の剣戟が終わり、結果ニナはプレイヤーに敗北した。
木に縛り付けられ、両腕も封じられてしまった。これでは武器を持つことはおろか、メニュー画面すら開くこともできない。
(ここまでね……)
ニナは自分が殺されることを覚悟した。
――だが、実際は違った。
今ニナはソラを助けるため、そのプレイヤー――ユウと助っ人のキリトと一緒にソラのいる場所へ向かっている。
先頭を走るのはユウ、キリトとニナは彼の後ろをついていく。
ニナはあらためて二人を交互に見る。
二人とも身長はニナと同じぐらい、もしくは少しニナより低いぐらい。ニナは二人の顔立ちからも考え、自分より年下だと予想した。
「――ねぇ、ちょっと聞きたいことあるんだけど」
気づけばニナは、そんな言葉を口にしていた。
ニナの言葉に二人が足は止めずに彼女の方に首を傾ける。
二人の視線をしっかりと受け止め、ニナはユウの方を見ながら続きの言葉を話す。
「あんた、あたしを恨んだりしないの?」
「……はい?」
「いや、あたしはあんたを殺そうとしてたのよ? 普通キレたり憎んだりすると思うんだけど……」
ニナの言葉に、ユウが少しだけ笑みを浮かべる。
「別に、恨んだりキレたり憎んだりしませんよ」
「何で?」
「えぇっ⁉︎ な、何でと言われてもな〜……」
ユウは少し考えるように、ニナから数秒だけ視線を逸らしたあと、またニナに顔を向けた。
「驚きはしましたけどね。でも、自分の弟が危ない目に遭おうするのなら、守ろうとするのは当然だし、仕方ないですよ。誤解が解けたのなら別にいーですし。結果オーライってやつです」
ユウの言葉を聞いて、ニナは唖然とするほかなかった。思わず足を止めてしまいそうになるほどに。
自分が殺されかけたというのに、まるで他人事のように客観視しているユウに対してある種気味の悪さすら感じる。
(……いったいどうしたら、こんな性格になるのかしら……)
人間には喜怒哀楽が存在すると言われている。だが、ユウは怒の部分だけきれいに抜き取られたような――ニナには、そんな気がしてならなかった。
ユウはニナから視線を移し、再び前を向く。
「まあ、でも……ソラを誘拐したプレイヤーに対しては、思うところがないわけじゃないですけど、ね――」
今までよりも一段階低いトーン――ニナは反射的に背筋に寒気がするのを感じた。キリトもニナと同じだったのか、軽く目を見開いている。
ユウの豹変ぶりに、二人は思わず黙り込む。
しばらくすると、いつも通りの表情をしたユウが二人に向かって振り向いた。
「そろそろ着きますよ。気をつけてくださいね」
ユウの言葉に、ニナは気持ちを切り替え、背中にある片手剣の柄を軽く指先で触れた。
*
「――さて、と……どうしようかな……」
僕は目線は動かさずに自分の後ろにいる二人に話しかける。
視線の先にいるのは、ソラと見知らぬプレイヤー。
見知らぬ、と言っている通り、僕はまったく知らない人物だ。
かといってソラの知り合いなのかといえば、隣を歩いているソラの態度や挙動を見る限りではそうは思えない。何なら、その素材の色からなのか暗めの亜麻色のローブを全身にまとっているため、顔も見えないし、性別すらも判断できない。
「……今日は、フード被っている人とよく会うな〜……」
今後ろにいるプレイヤーも最初はフード被ってたし。今回も女性なのだろうか。
小さく呟いた僕の言葉は二人には聞こえなかったようで、キリトが僕の疑問に応えた。
「やっぱり正面から対峙するのはまずいだろうな。向こうにはソラがいるし、人質にされたらこっちは何もできない。何とかしてソラとあのプレイヤーを引き離さないと」
「引き離す、かぁ〜……」
数秒考え、僕は思いついたことをそのまま伝える。
「キリトの投剣スキル、狙った場所に確実に飛ばせる?」
「ああ、自分で言うのも何だけど、外すことはないはずだ」
「じゃあ、キリトが牽制としてでいいから、相手に直接当てなくていいから、投剣スキルで不意打ちしてくれない? その隙に僕がソラをかっさらうから」
「俺は大丈夫だけど、お前いけるのか? あれだけ密接した距離にいるなら投剣スキルと同じとはいかなくても、かなりの速度で移動しないと駄目だぞ?」
「そこは大丈夫。全力で走るから」
僕はニッと笑いながら応える。
完全に納得が言ってないようなキリトの顔を見たあと、今度はその隣にいる女性プレイヤーの方を見る。
「じゃあ、そういう手はずなので。えっと……」
そういえば、このプレイヤーの名前を知らなかった。どう相手を言えばいいか悩んでいると、
「ニナよ。あんたの言いたいことはわかったわ。あたしは、この黒い方のバックにいるから。黒いのもあたしに気にしないでいいから。別に攻撃したりしないし」
「黒いのって……一応キリトって名前があるんだけど……」
「そう、じゃあキリト頼むわ。あたしの代わりにソラを助けてあげて」
「……任されました」
いつの間にか三人の間に奇妙な信頼関係ができつつあることに、少し頰と気が緩みそうになりながら、僕は口を開いた。
「じゃあニナさん、そういうことでよろしくお願いします。――じゃあ、キリト。カウントするよ」
「わかった」
一度深く息を吸ったあと、腰を低くして走りやすい体勢をとる。カタナには手を伸ばさず、ただ走ることだけに集中する。
「三……二……一……ゴー……っ!」
声量の小さな合図とともに力強く左足を前に出す。今まで鍛えてきた敏捷性をフルに活かし、少し歩幅を小さくして走る。
そんな僕の隣をヒュン! と空気を切るような音と水色の光が通る。キリトの投げたピックだ。
やはり、ソードスキルのシステム的な補正のかかったピックには絶対に追いつける気がしない。まるで足が速い人とかけっこをやってるような虚脱感が迫ってくる。
だが、それでも走る速度は落とさない。気持ち足にかける力を大きくしながら、両腕も全力で振る。
僕の足音なのか、危険を察したのかフードで隠れた顔がこっちを振り向く。
相手は一瞬固まったような素振りを見せたあと、腰に差していたらしい短剣を構えた。
時間に換算すれば一、二秒程度のもの。だが、それだけあれば今の僕には十分だった。
姿勢をさらに低くし、体重を前に乗せる。コケるリスクがかなり高まるが、走る速度もさっきとは段違いになる。
一気に距離が縮まり、ローブに包まれるようにしていたソラが僕を姿を確認し、目を大きく見開いて驚く。
「うわぁ⁉︎」
ヘッドスライディングのような形でソラの腰を両手で掴む。そして、ソラを脇に挟むような体制に切り替えてから、そのまま走り過ぎ、五メートルほど距離が離れたところで足に急ブレーキをかけた。地面が少し乾燥した土だったことにより、土埃が舞う。
何とか作戦が成功したことによる安心感から、息を深く吐きながらソラを下ろす。
「まったく……ダメだってソラ。知らない人についてっちゃ。キリトに言われたでしょ? 待っててって……!」
僕は無意識に少し語気が強くなるのを感じながら、ソラの頭に軽くチョップを落とす。
「いたい!」と苦痛の声を漏らし、ソラは両手で頭を押さえる。……こういうことがつい先日あった気もするな。
「だって、ユウ兄ちゃんの知り合いっていってたから……」
「僕にあんな全身布に包まれた知り合いは一人もいないよ……。とにかく、勝手に自分の知らない人についていかないっ! わかった?」
「うん……ごめんなさい……」
「よろしい。じゃあ、これ何とか終わらせよう!」
ソラに武器を手に持つように指示してから、自分の後ろについてくるように伝えてから、キリトたちの元へ慎重に戻っていく。もちろん僕もカタナを持つことを忘れない。
向こうを見ると、ローブのプレイヤーは右手にある短剣でピックを弾くことに成功したらしく、緑色のHPゲージは一ドットも減っていなかった。キリトやニナさんも片手剣を構えている。
「――速いな〜、さすが《疾風》て呼ばれてるだけはあるね。あっという間にソラくん盗られちゃった。ユウくん、泥棒の才能あるんじゃない?」
僕とソラがキリトとニナさんでローブのプレイヤーを挟み撃ちにするような陣形をとった頃、ローブの奥から静かに声が聞こえた。
声は僕やキリトよりも幾分か低い。声を聞くことで、ようやく性別を判断することができた。
僕はさらに一歩前に踏み出し、カタナを突きつけながら口を開いた。
「知りませんよ。第一、あなたの方が泥棒に向いてるんじゃないですか?」
「オレには無理かな〜。あんなチマチマしたのやってられないよ」
「……ひとつだけ聞きます。……何で、こんなことしたんですか?」
おそらくこの場にいる全員が思っていることを簡略化し、伝える。
僕の言葉にプレイヤーは右手を挙げて、フードの中にあるであろう顎の辺りに置いた。
「何で、か……なかなか難しい質問だな〜」
「は……?」
思わず口から間の抜けた声が漏れる。
だが、相手は本当に悩んでいるようで、頭を少し横に傾けたまま腕を組んでしまった。
「強いて言うのなら気になったから、かな。ユウくんがソラくんの姉であるニナさんを斬り伏せてしまったときの反応が」
まるで今日の朝ごはんは何だったかを説明するかのように、プレイヤーは平然と言ってのける。
あまりにあっさりと言われたからか、それとも言われた内容の衝撃からなのか、一瞬反応が遅れる。
「な、何……言ってるんですか……?」
左手に持っているカタナがカタカタと勝手に震える。それが怒りからなのか恐怖からなのかは自分でもわからない。
「でも、カタナってオレが思ってたよりも攻撃力が低いのかな。どれだけユウくんが斬ってもまったくニナさんのHP減らなかったし。こりゃ、ユウくんがまだ曲刀使ってた頃に実行したほうがよかったかもね」
「ふ――」
ざけるな。
僕がそう言う前に、一陣の風が巻き起こる。
気づくとニナさんが接近し、プレイヤーに向かって片手剣を一閃していた。片手直剣単発ソードスキル《スラント》だ。
だが、プレイヤーはローブを翻しながら、同じく短剣の単発ソードスキルで相殺していた。二つの軌跡がぶつかり合い、激しい火花を散らす。
「おっとっと、危ないな〜ニナさん。いきなり何するんですか、怖いですよ」
「うるさい。今ここでぶった斬る」
感情剥き出しの言葉を絞り出すように呟いたあと、ニナさんは戦闘を続行した。
互いの剣を打ち落とし合い、互いの剣が空を斬り裂く。
すさまじい斬り合いの応酬だった。攻略組同士のデュエル並みに高いレベルが繰り広げられる。
ニナさんの片手剣による剣技をプレイヤーは短剣で完璧に防御されていく――まるで、自分にとっては簡単だと言わんばかりに。
しかし、ニナさんも負けていない。たまに繰り出されるカウンターを難なく捌き、猛攻を再開する。
――だが、そんな戦闘が続いたのは一分も保たなかった。
「……ッ!」
「どうしました? もしかして疲れてるんですか?」
フードを被っていてもわかる。プレイヤーの口元がつり上がっていることが。
プレイヤーの言う通り、ニナさんの疲労が顔を出し始めたのだ。ここに来るまでに、ニナさんは僕との戦闘も行っている。あれだけハイレベルな戦闘をしたあとでは仕方のないことだ。むしろ、よく続けた方だといえるだろう。
「くそ……っ!」
ニナさんは毒づきながら、苦し紛れに片手剣を上段に構える。
「ニナさんっ! ダメだ!」
反射的に叫び、身体が動いていた。
プレイヤーの背後に飛び込み、左手にあるカタナを斬り払う。ソードスキルではない。だが、今まで自分でも見たことないほどの刀速で放たれる。
さすがのプレイヤーも驚いたのか、ギリギリで短剣がカタナの軌道に割り込み、防がれる。しかし、刀速と遠心力の力が思っていたよりも強かったのか、一メートルほど吹っ飛ぶ。
「ひどいな〜、ユウくん。後ろから攻撃するなんてさ」
「……あなたにだけは言われたくないですよ……」
プレイヤーのフードが勢いでふわり、と舞って外れる。
表れたのは、整った青年の顔だった。見た目からして年齢は高校生ぐらいだろうか。優しそうな見た目とさっきまでの言動がマッチしない。
僕は、このプレイヤーと出会った記憶はない。流れからすると、ニナさんは会ったことがあるはずだ。
そう思い、上段斬りの構えを解いたニナさんの方を見ると信じられない、といった顔をしていた。
「あんただったの……? ザド」
ニナさんの言葉に、《ザド》と呼ばれた青年は口元の笑みをさらに深くした。
「そうだよ。さっきまでわざと声低くして喋ってたからね。わからなかっただろ?」
右手にある短剣を器用にくるくると手中で回しながら、彼の言葉は続く。
「あと、言っとくとオレの名前はザドじゃないよ。オレのアバターネームは秘密さ。また会った時にでもバラすよ。お楽しみってことで」
「あんた、この状況で逃げ切れると思っているのか?」
ニナさんの後ろから顔を険しくしたキリトが片手剣を突きつけながら、そう返す。すると、ザド――と名乗るプレイヤー――は少しつまらなさそうな、残念そうな顔をした。
「《黒の剣士》キリトか……君もなかなか面白いけどね。俺は君にはちょっかいは出さないよ、先約がいるからさ。オレはしっかりルールを守る良い子ちゃんなんだ」
気がかりなセリフを出しながら、ザドはローブの下から片手で持てるほどの小さな何かを取り出した。
「させるか!」
正体は転移結晶だと予測し、僕は駆け、キリトは腰からピックを取り出し投擲する。
だが、予想は大きく外れ、ザドはその持っているものを地面に向かって叩きつけた。次の瞬間、視界が一気に真っ暗に染まった。
「しまっ……煙幕⁉︎」
反射的に顔の前に右手を出して顔を守り、目を細める。かなり広範囲に煙は発生しているらしく、数メートル離れている場所からソラの驚きの声が上がった。
近くに味方がいるかもしれないので、闇雲にカタナを振り回すこともできず、ただ立ち尽くしていると、どこからともなく声が聞こえた。
「じゃあ、機会があればまた会おうね――《疾風》くん」
聞こえたあと、次いで転移が起動するサウンドエフェクトを耳が拾った。
数秒後、ようやく煙が晴れる。周りには全員が武器を持ち、立ち尽くしていた。ザドの姿はそこにはない。
「く、そぉ……っ!」
どうしようもない気持ちが湧き上がるのを感じながら、カタナを鞘にしまう。相手は僕の索敵スキルを上回るほどの隠蔽スキルを持っているのだ。捜索は不可能だろう。
深く息を吐きながら、気持ちを何とか切り替える――全員無事だったんだ、良しとしよう。
「これでようやく終わり、かな」
「ひとまずはな」
キリトが僕の方へ来ながら、片手剣を背中の鞘にしまう。そして、僕の後ろにある木に刺さっているピックを抜いて、腰のベルトに戻した。
「今日はありがとね、キリト。キリトがいなかったら、きっともっと酷いことになってたよ」
「いや、それよりもユウ、厄介なプレイヤーに絡まれたな」
「それを言うなら、キリトもでしょ? あの人の言い方からしてキリトにも結構厄介なプレイヤーが付きまとってるっぽいけど」
「……まあ、思い当たらない節がないわけじゃないな……」
「というか、もともと僕もキリトも少なからず憎まれてるわけだし……」
「そうなんだよな〜……」
二人して大きなため息をつく。まだこれからも大変なことが起こりそうだ。
拭いきれない不安感が頭の中で渦巻くのを感じながら、僕はさっきまで今日の一連の犯人が立っていた場所をただ傍観することしかできなかった。
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