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或る短かな後日談

作者:石竹
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彼女達の結末
  幕間 三


 今となっては昔の話。今此の時は過ぎた其の時。激化していく大戦、砂に飲まれていく地表と、捨て去られた街。其処から離れ、地下深くへと築かれた巨大なシェルター、隠された……新たな拠点、新都と呼ばれた。それは、生きていた頃の彼女達が暮らした街。今は亡き街。
 嘗ての要塞、地下都市も。今となっては鉄屑の山。
 嘗て、嘗ての人の世も。今となっては死人の泉。
 無数の人々が散っていった。その死体まで使い潰した。徴兵は二十歳を迎えぬ少年少女達にまで及び、その死体もまた限界まで。けれど。
 それでも。守るべきものがあった。守るべき日常、暖かな世界。今となっては夢物語の、友達、家族、恋人達が。確か、確かに、其処にあって。
 技能移植。人格改変。肉体改造。死体操作。命を弄び、生を冒涜し。禁忌を以って禁忌へ踏み込み、遥か遠く、暗がりへ、螺旋を描いて落ちて行く。そんな外法に縋ってでも、失いたくないものがあった。

「アリス」

 そんな、地下街。連絡通路を抜けた先、軍施設の一室。白い壁、白い床、背の高い円筒状の培養槽に、幾つもの機器。そんな部屋の戸を開くや否や、軍服の少女が一人の少女に声を掛ける。

「また見つかっちゃったね。お仕事お疲れ様」
「そう思うなら、仕事を増やさないで欲しいわ。アリス……あなたはある程度の自由が許されてるとは言っても、此処に入ることは許可されていないんだから。」

 少女の苦言を、アリスと呼ばれた少女は笑みで躱して。対峙した少女は、諦めたように息を吐く。

「……また、話をしていたの?」
「うん、そう。これの所為で……溶液の所為で、この子、声が出せないから……私しか話し相手がいないんだ。許して欲しいな、私だって寂しいし」

 監視カメラに目を向ける。動作はしているものの、誰かが駆けつけるでも、連絡が来るでもなく。つまりは、カメラの向こう側も。

「……五分……いや、十分だけ。私は今日、此処の警備に十分遅れた。良い?」

 言葉を投げると共に、パイプ椅子。培養槽の横に置かれたその椅子に、彼女は腰掛け。

「ありがとう。それじゃ、また始めようか」

 アリスは培養槽へと向き直る。その中で浮かぶのは、一人の少女。人の顔、身体に、獣の手足を繋ぎ合わせた。人間のそれとは大きく異なる、彼女へと向けて向き直り。
 キメラタイプと名付けられた、アンデッド兵器のオリジナル。彼女を元として様々な装備を施し。新たな型のアンデッド兵器――有る程度の知性を有し、様々な戦局に対応することを目的とした――を、量産せんとした研究、その成果物。それが、彼女で。
 そんな、彼女を。仄かな光。緑色の灯りが包み。そうして、彼女と、アリス繋ぐ。
 大戦の最中に有ってさえ、その一時は穏やかだった。暗い暗い苦境の中にあったからこそ、その一時が煌めいた。
 沈黙の中で言葉を交わし。互い、互いに笑みを浮かべる。静寂の中で心を交わし、一人が、それを見守り続ける。そんな、時間が其処に有って。



 アンデッドに関する研究は、人々が旧都に居た頃には既に行われていた。旧都の総合病院、素体が手に入りやすいその場所の地下で、秘密裏とは言え行われていたこと。新天地たる地下要塞では、その研究を引き継ぎながら大規模な生産工場、管理システムを設けただけ。砂の上の街を丸ごと捨て去り新都に入り、加わったのがESP――触れることなく物を壊す、超常の力、その研究で。
 眉唾ものの絵空事。子供の空想、与太話。そんなものを大真面目に研究し、実験を繰り返し、繰り返して。そうして、半ば、偶然の産物。奇跡の成功体。出来上がったそれが、アリスだった。

「……また、この夢……」

 与えられた個室、寝床で身を起こし。眉間に皺を寄せ、額に手をやり。アリスは呻く。

「虫と、アンデッドと、炎」

 空を埋める無数の虫と、暴走するアンデッド、地下街を飲む炎の夢。大戦の最中の不安定な精神、それを思えば特段、不可解なものでもなく。けれど。

 彼女は頭部に貼られた電極を外す。髪と髪、表皮に残ったペースト……電極を固定する為に塗られ、固まったそれが鬱陶しく。それでも彼女はそのまま、計測を行う研究員へと内線を使い連絡を取る。

「私の睡眠中に、何か観測はされている?」
『何か気になる事が?』
「夢を見るの。嫌な夢。何か観測されてない?」

 受話器から漏れる音は無く。幾らかの沈黙を挟み、研究員は言葉を紡ぐ。

『微弱ながら、ESPの発動を検知しました。午前は夢の内容についての問診を挟みます』
「ん、分かった」

 そう言って、受話器を置き。アリスは一つ、息を吐いて。
 唯の悪夢であるなら良い。問題なのは、これがもし、ESPの齎すそれであった時。超常の力、人知を超えた力。それを以って、未来を垣間見たとでもいうのならば。それは、防ぐべきもので。
 実験体とは言え、アリスは。自身の存在意義を理解していた。そして、それを是としていた。少女に対する人体実験、倫理に反するその行為が、街を守るために為された苦渋の決断であることを……半ば、狂気と錯乱に呑まれた末での決断であれど……彼女は理解し、受け入れていて。
 それは、利害の一致。同一の志。彼女自身もまた。この街を、人々を。大切なものを守る為の、その、力を欲したが為。

「シャワー、浴びないと」

 更衣室にへと足を運び、衣服を脱ぎ落とす。シャワールームの戸を開け、素足で床を踏む。
 固まりきったペーストが気持ち悪い。胸の奥で騒めく何かが気持ち悪い。夢は夢で、現のそれではないのだと。未だ確定はしていないのだと。自身に言い聞かせても、アリスは。
 込み上げる不安を拭えぬまま。自身の思いを誤魔化すように。

 ノズルから降り注ぐ。その湯を浴びた。



 日が経つに連れて夢の内容は鮮明に。観測されるESPもまた、強く。未来の予知が可能であるか否かなど確かめようがないとは言え、ESPとの関連性は確かにあると研究者達は結論付けた。
 
 徐々にはっきりとしていく夢の輪郭。朧だった景色は色鮮やかに残酷に。惨たらしく死んでいく人の顔は、表情は、虫の声は、羽搏きは。全て全てが鮮やかに描き出されて脳に焼き付く。
 暴走したのはアンデッドではない。この街におけるネクロマンシー技術の中核、無数の機器へと命令を送る、アンデッド生産における脳……ネクロマンサーと呼ばれたその装置の暴走。それが夢の内容で。
 空を埋めた昆虫の群れは、既に確認されていた昆虫兵器とその派生。隣国は確かに、それを主力に置いている。ならば。

「……やっぱり、私が見たのは……」

 アリス自身に与えられていた隣国の戦力や戦局、この大戦に関わる情報は、限りなく少ないもの。それは、彼女に行われる実験、その結果を明確にする為。そうして確かに、彼女は。自身の知り得ぬ情報を、その力に寄って得たのであって。
 その時がいつ訪れるのかも知れず。その時が本当に来るのかも知れず。しかし、それが真実なのだと……明確な判断材料、根拠は無くとも、彼女、アリスは確信していて。

「どう、すれば……」

 このまま。このままでは。皆、皆死んでいくのだ。虫に喰われて、燃やされて。生きたまま解体され、食い残しは焼かれて終い。大切な人も、見知った顔も。ゴミのように、ゴミのように。

「……あの子、達も……」

 培養槽に浮かぶ彼女も、兵士の彼女も。一人残さず殺される。
 何か。何か、無いのか。定められた道を変える、運命を覆す。そんな、選択肢は……
 答えを求めるように彷徨わせた視線、その先に有る白い壁は、白い床は。何一つとして答えを示さず。彼女達はきっと、前線へと送られるだろう。そんな中で、アリスは。きっと、今と同じように、白い壁と床に閉ざされ、囲われたまま。

 自分は。アリスは。その時、一体何をしているのか――

「――私は……」

 何を、しているのか。垣間見た未来に、自分の姿は無かった。ならば、何処で。一体何をしていたのか。

「……もしかして、私が見たのは……」

 彼女が見たのは。アリスが見たのは、もしかすると、彼女が存在しない世界なのではないだろうか、と。自分が何もしなかった未来。自分という存在が組み込まれていない、自分が何ら関わらなかった、そんな最後なのではないか。

「……止めないと。そんな終わり方には……絶対にさせない」

 自身に当てがわれた部屋から出る。長く続く廊下に人気は無く、自身の足音のみが響く。そんな、誰も居ない廊下へ。

 アリスは、足を踏み出した。



 研究施設に響く叫び声。耳障りに軋む拘束具。
 自身のESP能力の拡張訓練。更に加わえられた実験。それ等は全て、アリス自身が望んだことで。
 被験体自らの志願、跳ね除けられても何等不自然では無いその申し出も、自身等の行く末、その結末を伝えられた者達にとって……元々。国を守るために自身の肉体と精神を提供した彼女の言葉であれば、尚更。半ば感情論、縋る思いを以って受け入れ。結果、これまでに行われてきたものを遥かに超える試みが、彼女の体と、その精神を蝕んでいき。

 痛みに叫びもした。恐怖に涙を零しもした。食い縛った歯、歯茎から溢れる血。震えを収めんと抱きしめた身体は、無意識に立てた爪で浅く抉れて、掻き毟った髪、増える傷。手術痕、全身に繋げられた、管。

 けれど。それでも。苦言は一つたりとも漏らさなかった。恨みの言葉も無かった。中止を求める声も、後悔の言葉も。助けを求めて手を伸ばすことさえも無かった。只々彼女は、自身の見た先、受け入れ難いその未来を。只々睨み、見据え続けて。
 その様は。実験を行う研究員達、彼等、彼女等の心を抉って。中止を求める声は、後悔の声は。救い出さんと伸ばした手は。しかし、アリスは。小さな笑みを浮かべながらも跳ね除けて。
 彼女は力を蓄えてゆく。兵器として完成してゆく。それと共に、彼女の睡眠時間は伸びていった。半ば失神、気絶に近いそれは、自我の休眠。ESPを扱う者に必要な、拡大した自我領域の縮小、媒体の休息。実験と休息、そして更なる手術を繰り返す日々。そんな、中で。

「……アリス、起きてる?」

 彼女の部屋に、一人。訪れる少女の姿があって。

「……また、来てくれたんだ。大丈夫だよ、少し、眠たいだけ」
「……そう。なら、少しだけ」

 アリスの部屋、白い扉。其処に、背を預けて。金髪の少女、軍服の少女。彼女は、言葉を紡ぎ始める。
 彼女の部屋には現在、鍵が掛けられていて。入れるのは、限られた職員のみ。面会を希望するのが他でもないアリスであるとなれば、申請すれば許可は降りるだろう。それでもこうして扉越しに語り合うのは、アリスがそれを拒んだからだった。今の自分は、随分と酷い姿だから。後悔はしていないけれど、それでも見せたいものではないから。その言葉に従い、彼女は。アリスの部屋を訪れる時は、常に扉に重みを預けた。

「……アリスが来れなくなってから、あの子が寂しそうにしてるよ。私じゃ話相手になれないから……でも、なるべく一緒に居てあげてる」
「……そっ、か。ありがとう。……いつか、状況が、安定したら……あの子とも、ふつ、うに……話が出来るようになるのかな」

 アリスの見た夢。その未来を覆せたなら。この悪夢が終わったなら……戦いに身を置き、地下に隠れ住む生活ではあるけれど、それでも。語り合うことが出来るのだろうか。
 そんな、アリスの言葉に、彼女は。

「ええ、きっと。だから、アリスも……今は、苦しいだろうけれど。その時は、一緒に……」

 言葉を、返して。思わず、頬が綻ぶ。

「……うん。きっと。絶対に、だよ」

 その未来を。必ず、勝ち取ってみせる。未来を変える。運命に抗う。抗い切るのだと。

「……ごめん、眠たくなってきちゃった」
「ああ、此方こそごめん、少しでも休んでおかないといけないのに……」
「いや、いいんだ。こうして、話が出来るのが……一番、楽になるから」

 なら、と。扉の前から、足音と共に気配が消えて。

 眠りの淵。その淵に腰掛け、彼女は。

「……約束する……絶対、に……」

 幸せな未来を。彼女達との未来を、勝ち取るのだと。そう、誓って。





 喧騒の中で目が覚める。鳴り響く警報音と、アナウンス。告げるのは、無数の敵影、近付いてくる巨大な生物、群れを成した悪意の接近。
 遂に、この日が来たらしい。叶うので有れば嘘であって欲しかった。けれど、こうして。現にこの日は訪れていて。
 躊躇している時間は無い。寝台から体を起こし、力の入り難い足、失われかけたバランス感覚……揺れる体に鞭を打って。一歩、また、一歩と。寝台の横に置かれたままの、車椅子へと腰を降ろした。
 行かねばならない。戦いの場へと。その為に、今まで。己を傷付け、力を蓄え続けたのだから。今日、この日、この時を越えれば、きっと。
 そう。言い聞かせるように。信じ込むように。胸の中で繰り返し。

 しかし。

「――遅い……」

 人が、来ない。
 本来であれば、警報が流れた際はアリスの護衛を兼ねて移動させる人員が直ぐにでも訪れることになっていて。その人員が一向に訪れず……
 まさか、既に。内部に、敵が――その光景が脳裏に過ぎり、過ぎった、瞬間。

「被験体×××号。緊急配備の為移動を行います。」

 扉が開く。廊下の灯り、逆光。影の落ちた顔は、緊張した面持ちの男性で。

「……遅かったね。何をしてたの」
「不足の事態が発生しました。そのため、その対処に人員を割く必要がありました」
「不足の……?」
「移動しながら説明致します」

 彼は、そう言い。車椅子を押すために、彼女の背後に――


 ――立った、瞬間。彼女の脳裏に浮かぶのは、一つのイメージ。アリスの背後に立った男性。緊張と、けれど、安堵混じりの表情、そして、その手に。


 手に、注射器。


 彼女が振り向く。振り向いた先、自身の首に触れんとした針、驚愕に跳ねた男の腕、体。体が。
 発光し、捻れる。緑色の光、照らされる血は、溢れ出した液体は、肉は、色と色、混ざり、不可思議な色彩で宙に浮かんで。一瞬の悲鳴は、筋肉が千切れ、臓物が潰れ、骨が砕ける――無数の音、生き物が崩れる、壊れる音に呑まれて消えた。

「―――っ、クソッ……」

 やはり。既に、内部に敵が。いや、違う。今の男の顔は知っていた。ならば、それが、意味するのは……

 アリスの口から、一筋の血が流れ落ちる。唇を噛み、食い縛り。それでも尚、収まることなどありはせず。

 裏切りか。それとも、元々敵の工作員だったのか。何であろうと、彼女に取っては何方であろうと同じこと。
 味方の振りをし続けて。ずっと、彼女の大切なもの……それを壊さんと、計り続けていたのだから。

「……」

 人の形を留めて居ない肉片を見遣る。反射的に殺してしまったのは失敗だったか。いや、どうせ口は割らなかっただろう。それに、敵のが目標とするものも、目星がついている。

 夢に見た景色。この場所における死体操作技術の中核たる装置、ネクロマンサーの暴走。それは恐らく、彼等に寄って引き起こされた――引き起こされるそれなのだ。

 車椅子を、自身の力で以って動かす。思うように動かない体が疎ましい。ESPで動かそうとすれば、加減が効かず壊れてしまう。あれだけの苦痛を味わえど、その力は万能と呼ぶには程遠く。不完全、不安定、何をするにも儘ならず、悔しさにまた、唇を噛む。そうしてポツポツと血を垂らしながらも、人気の無い廊下を越え、扉を潜り――最後。アンロックされたままの、最後の扉を。
 扉を、開けて。


 初め目に映ったのは、モニターの逆光に数名の研究員、職員。次いで見たのは、床に転がる白衣の数名。恐らくは死んだ、殺された。

「――何を、しているの」

 声は、機械の動作音、淡々と騒々しく、そして静かな部屋に響いて。
 影が、振り向く。アリスを視界に捉えた、その顔を。

 やはり。アリスは、知っていて。

「アリスか。怖がらなくていい。もうじき終わる」
「……質問に、答えて」

 体が震える。冷たい汗が首筋を撫ぜる。奪われていく体温と、直視し難い現実。何故、気付けなかったのか。後悔は余りに遅く。嘘、嘘、嘘であれと、願えど、祈れど。

「此方へ来ないかい、アリス。私たちは歓迎するよ。君を傷付けることなんて無い。この国が無くなったら、一緒に――」

 現実は。確かな怒りに塗り潰されて。

「――なんで、そんなことが言えるの?」
「―」
「私が幼いから? 私が傷付いてるから? 一度殺そうとしておいて、それでも騙せると思ってる? 私が無理に実験を受けたと思ってるから? この街が嫌いだから? 私も嫌ってると思ってる? 私が」

 大切に思う人が居る。大切にしてくれた人が居る。優しい人が居る。心を殺し切れない人が居る。人達が居る。
 この街は。この国は。確かに、邪法に手を染めた。けれど、けれども。

「私が、何を思ってこうなったかなんて、知らない癖にッ!」

 腐り切れなかった。感情を捨てられなかった。攻めることさえ出来ず、身を寄せ合って生きてきた。軍備は、研究は……全ては、守るためだった。
 だから、守りたいと思ったのだ。愛し愛されながらも戦いに赴いた若者達を。そんな犠牲に泣いた老人達を。残された子供達を。世界を知らず笑う赤子達を。
 この街の、全てを。

「……絶対に、許さない。お前達さえ、お前達さえ居なければ……」

 空気が張り詰める。立ち昇るように輝き始めた緑光と、部品が剥がれ、砕け始めた車椅子。無機質な部屋、硬質の床、壁。弾け始めた金属片がぶつかり、響き、鼓膜を揺らし。
 向けられた銃口と吐き出された弾丸は、けれど、彼女に届く事無く傍を逸れていく。

「許さない。絶対に、許さない。此処から……この街から」

 出て行け、と。言葉は、彼等の耳へと届く前に崩壊の音に掻き消され。血液が爆ぜ肉が飛び散り、砕けた骨が空を掻く。この街を滅亡へと追いやらんとした者たち、この街に巣食い続けた悪意。週末の引き金、それを引いた者たちの最後は、余りに呆気なく。

 しかし、まだ終わっていない。

「ネクロマンサー……どうにか、しないと……」

 強力なESP、それを行使した事による目眩、吐き気、強烈な眠気。そんな中でもアリスは、ふらつき、自身の苦痛を引き起こすそれ、超常の力の助力を借りて、歩み寄り。
 手を付く。操作などした事も無ければ、その方法さえ分からない。只、眼前に聳え立つ巨大な機械、ネクロマンサーと呼ばれた……元来は死体操作術、ネクロマンシーを用いる技術者、研究者へと送られる呼称。それを冠するこの機械は、正しく、この国、街の保有する死体操作術の結晶、中核であって。

 モニターに映るのは過剰に生産されるアンデッド達。その異形を、アリスは知識として知っていた。
 低い知能しか持たず、本能に従い捕食を行うアンデッド、グール。守るためのアンデッドではない。積極的に人を襲う、都市を、街を壊滅させる。それを目的としたアンデッド生産……肉片と化した彼らがやろうとしていたのは、ネクロマンサーを利用した内部からの破壊工作。

 止めなければならない。変えなければならない。今必要なのは、侵入した虫達を掃討する為の兵器だ。成功するかどうかなんて、分からない。それでも、それしか、歩める道は残っていない。
 必死に蓄えたこの力は、この街を救う為だけに。ならば、今こそ。今この時こそ、応えて欲しい。応えて欲しいと。

「お願い……お願い……っ……」

 翳した手から、光が溢れる。溢れ出した光は瞬く間に視界を埋めて、無機質な体、機械仕掛けの脳。ネクロマンサーとアリスを繋ぎ。

 全ては感覚。知識に拠る操作ではない。言語による操作ではない。自分の手足を動かすのと同じ。イメージに拠る直感的な支配。

「大丈夫……分かる。止めれる。止めれる……」

 この状況にあってさえ淡々と生み出されるアンデッド。其れ等の生産をコントロールする画面。映し出されたそれを凝視し、慎重に、慎重に。

「これで……!」

 止まる。止めれる。人を喰うアンデッドの生産を止める。変える。変えれる。今必要なアンデッド、それは、空を飛ぶ虫達を叩き落とせる巨大な体躯。簡単な言語操作に寄って動かせる肉の重機……ゴライアス。そう、ゴライアス。
 既に生産が完了し、格納された状態のそれを解放する。それで、この状況を覆せる。覆せるのだと。
 光を。見出した、刹那。

 何処かで聴こえた無機質な音。その音と共にモニターが暗転する。緑色の世界に滲んだ青色、画面が一瞬、黒に落ちて。

「っ――!?」

 赤く染まる。鳴り響くサイレン、打ち出された文字は、侵入者に対する拒絶の意。全ての操作を、入力を受け付けず、投入できるだけの兵器を生み出し、解放する……ネクロマンサーに接続された機器、その末端さえもが狂ったように稼働し始め。彼女は、アリスは、知る由も無い。その一連の挙動は、街の中枢、この装置が、不正なアクセスに寄って操作された時……この街、この部屋が敵の手に渡った時に作動する、自決の意味さえ孕んだそれで。
 映し出される赤い画面、次々と生産が開始されるアンデッド。開かれた格納庫。一瞬の間、アリスは呆然と。しかし、それも、極度の混乱、錯乱に変わり。

「何、何で、何が……」

 映し出される文字を必死に追う。ネクロマンサーと繋がった意思を必死に辿る。辿れば、其処には、一つの鍵。カードキーの挿入を指示する、一行の文字があるばかりで。

「カードキー……何処、誰、誰が……」

 物を言わない肉片と化した研究員達に目を向ける。其処にあるのは、細切れの肉と、広がった赤。それらしき物など、影さえなく。
 求めるものは、此処には無い。救いの手などは差し伸べられない。だから。

「止まって、止まってよ、何で、何で、お願い、お願いだから」

 緑色の輝きは増していく。彼女の自我領域が拡大し、更なる支配を行わんと……伸ばされる手など無いことを知り、自身のその手で、この現状を打開せんと。しかし、それでも。
 止まらない、止まらない。只、只、膨れ上がった自我領域は、力を増した異能の力は。外の光景、屍肉の群れが作られ、落とされ、人を喰う。大切な人々を。守りたかった人々を。貪る姿を映すばかりで。

「――ぁ、あああ、ああ……」

 そうして、全てを理解する。夢に見た景色は、正に、今流れ込むこの映像。全て、全てが重なっていく。予定された崩壊は、終末は。全ては、彼女が。アリス自身が引き起こした――

「あああ、あああああああッ!! ああ……ッ!!」

 あの夢には、自身が居なかった訳ではなかった。あの世界に、アリスが居なかった訳ではなかった。
 彼女は居たのだ。アリスは居たのだ。私は、其処で。その光景を。全て、全てを、見ていたのだと。

 頭を抱え、髪を掴み。違う、違うと首を振れど、目の前の現実、光景は。脳へと届く無数の悲鳴は、狂騒は。畝り、膨らみ、そして呑み。お前の所為だと責め立てる――言葉を持たない巨大な何か、形を持たない歪な何か。離れる事も逃げる事も、頭を振って消し去る事も出来はしない。憎悪に満ちた自身の鏡像、憤怒に満ちた声の反響。胸を、喉を、掴み、離さぬそれは、蛇のように。蟲のように。アリスの心を蝕んで。

「――治さなきゃ」

 やがて、声も枯れ果てて。ぽつりと、一つの言葉が落ちる。

「全部、全部……戻さなきゃ。治さなきゃ……それで、それで、今度こそ……」

 掠れ切った少女の声が、屍人の世界に零れて揺れる。全てが壊れ尽くした世界で、過去の思い出、記憶に縋り。

 死人は再び立ち上がり、亡者の群れは歩み出す。崩れた死体は繋ぎ直され、歪んだ心を植え付けられる。


 幕は、降りず。少女、アリスの物語は。未だ、終わりが来ないまま。

 
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