或る短かな後日談
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或る短かな後日談
一 情動
通されたのは一つの小部屋。何処か、違和感を感じる部屋。暖色の灯り、暗い灰色の壁、絨毯の敷かれた硬い床。材質は異なるものの木製のそれを模した棚に、継ぎ接ぎだらけの縫いぐるみ。
そこは、少女の部屋。若しくは、少女の部屋を模した――彼女の部屋。壊れきった世界で精一杯に取り繕った安らぎの場所、若しくは、そう見える……部屋の隅に並べられた、高さも材質もてんでばらばらな四つの椅子、その内二つを宛がわれ、促されるままに腰掛け、部屋に入った瞬間に感じた違和感が、埃が全く積もっていないことから来るものなのだと其処で気付く。
「……すみません、その……卑怯な手を使ってしまって」
彼女がしたいと言った、話。一人の少女がその身を捧げ、そして堕ちていく話。全てが終わった時の話。過去の話。その終わりに添えられた言葉に、思わず辺りを警戒する。彼女の手に、武器は無い。伏兵の気配も、敵が近付く音もしない。
「……どういう意味? まさか、罠――」
「い、いえ! 違うんです! 違うんですの! ただ……」
彼女は、慌てふためきながら。しかし、確かな否定の意を込めて言葉をつむぐ。
「ただ……母様の……アリスの名を、出してしまったから。あなた方は、私の話を聞かざるを得なかったでしょう。着いてくる以外の選択を、することなんて出来なかったでしょう。そのまま罠に嵌めることだって確かに出来たんです。それが……」
「ううん。いいの。あなたはそうはしなかったでしょう? それに」
リティは続ける。小さな笑み、敵へと向けるそれではない、優しい……私に向けるそれにも似た笑み。二人きりで言葉を交わすときの笑み、それに似た顔を彼女に向けて。
「あなた、助けてくれたじゃない。だから、信じてみたかったの。……一度手を握った人が、その手で私達を突き落とす……そんなことばかりじゃないんだって。こんな世界でも、手を繋いだままで居てくれる人が……マト以外にも居るんだって」
言葉の途中。私に一度柔らかな視線を向けて、そう言い。只々、その瞳を見つめ続けるだけの私から視線を外し、彼女は黒髪、その奥に隠れた瞳を見つめる。
「聞かせてくれてありがとう。助けてくれてありがとう。あなたのお陰で、私達は……全部を知れた。どうして今、此処にいるのか。なんで、こんなことになったのかを」
そうして、彼女は手を伸ばす。黒髪を撫ぜ、頬を撫ぜ。
「……アリスを止めて、幕を降ろしに行きましょう……もう、全部終わったんだから」
「……本当の終わりを。本当の結末を……アリスの結末を」
私が零した言葉を拾い、彼女はふつと、笑みを浮かべて。
「ええ。本当に、これで終わり……アリスを迎えに行きましょう。既に一度終わりを迎えた私達が」
「アリスを迎えに行く。……今度は、もう」
離しはしない。もう、手を。繋ぎ損なったりはしない。
「……ありがとう、ございます。ありがとう……母様を想ってくれて。ありがとう……」
リティの伸ばした手に、手のひらを重ね。クイーンは、長い前髪、その奥。溢れた涙が筋を引き。
「……でも、まだ分からないことがあるの。アリスは……確かに私達と一緒に目覚めた。それが、どうして?」
すん、と。鼻を鳴らし。少し、呼吸を整えて……必要無いはずなのに。そんな動作に、少し、頬が綻ぶ。
「少しだけ、専門的な話になります。まず、母様がドール……あなた方のような、ネクロマンサーによって作られた、心を持ったアンデッドとして目覚めたのは他でもない、母様の意思です」
「アリスの……?」
「母様は一度、本来の身体と自身の自我次元の接触を断ちました。そして、予め製作しておいたドールとしての身体と自我次元を接触させ、ドールの身体に精神を移したんです」
あなた達と行動を共にする。そうして、姉妹を装って、あなた達を苦しめるために、と。彼女はそう、付け加えて。
「母様は長い年月の中で狂ってしまいました。初めは確かに、あなた達を……全てを元に戻すため。けれど、段々と捻じ曲がって……加虐的に、と、言っても差し支えありません。きっと、誤解もあるんでしょう。その結果が、今、この状態です」
「……えっと、ごめん」
「ああ、説明するわ。多分、マトは元々、そういうことを知らされていなかったのね」
自我次元。死体操作術を支える理論の一つ。生物の自我は脳における科学的反応に拠って生み出されるものではなく、別の次元……自我次元と呼ばれる領域と脳が接触することで発生するとした理論。脳は情報を蓄えたレコードであり、自我次元はプレイヤー。その二つが接触することによって、思考する自我が発生する――そう、リティは私へと語り。
「……私はそれを、好機と捉えました。故に、私は……細工をしたんです。母様のドールとしての身体、脳から、ネクロマンサーとしての記憶を削除しました。そして、与えられた仕事……ドールとしてのアリスの脳を、自我次元へ接触させたんです。もう一度、彼女が……お二人と生きることが出来るように。けれど」
「……ごめんなさい。守れなかった」
「いえ。母様の配置した悪意は……あなた方を壊し尽くしてしまう程に強大だった。あなた方が無事で、本当に良かった……」
そうして。私達に伝えるべきはもうないのか。彼女は、そして、私達は。少しの間、沈黙して。
「……母様の元へ向かうのであれば、私も同行します。母様の止めるのであれば、それは、私の願いでも――」
「クイーン」
彼女の言葉に、誰か。機械的な声。抑揚のない声。それが投げられ、重なって。思わず身を翻し、構えれば。
「……バルキリーさん」
「クイーン。ネクロマンサーの元へ向かうと、そう言ったのか」
浮遊する身体。機械の下半身。改造に改造を重ねた、一体のサヴァント……街で私達と交戦した、バルキリーの姿があって。
「……また、戦うつもり?」
問いを投げる。言葉は、振られた頭に躱される。
「私は今、クイーンに問うている。クイーンの意思を知りたい」
「……私は、彼女達と共に行きます。……母様と、戦います」
「賛成しかねる。クイーン、貴女では、ネクロマンサーには敵わない。無論、お前達もまた」
向けられる視線。それは、感情の起伏が読み取れない……レンズのような、冷たい視線で。
「……あなたはあの時、ネクロマンサーの元へと辿り着けと言った筈よ。それに、私達は、二人で此処まで来た。沢山のアンデッドを倒してきた。それでも」
「不足。ネクロマンサーは元より、自身が対処しきれないアンデッドは製作しない。確かに私はネクロマンサーの元へと誘導してきた、しかし、それはネクロマンサーを討つ為ではない。不完全とは言え、アリスが死体操作術を行使する以上、交戦は無――」
「それでもっ!」
クイーンの声が、バルキリーの声を掻き消す。感情的な声は、無機質な声は。互いに、一度。一度、止まって。
「……それでも。私は、母様を止めたいんです。このままだと母様は……ずっと、ずっと苦しみ続けることになるんです」
「苦しみなんて無い。彼女の精神は歪み切った。私達への行いに付随するのは悦楽しかない」
「違う、今はそうであったとしてもッ! 本当の、本当の母様は……!」
母様は、と。
昂ぶった感情が、冷めていくように。進んでいく道の、標を見失ったように。クイーンの言葉が、消え入る。
「……違うんです。本当の母様は、優しい……優しい、人、なんです」
「理解している。本来のアリスは……彼女らと行動を共にした個体と行動原理を同一とする。しかし、今は異なる」
項垂れるクイーンを、抱くように。腕を回し、髪を撫ぜ。変わらず、抑揚の無い声ではあるものの。その動作が表すのは、同情、慰めのそれ。睫を伏せて、そう、言い聞かせるそれが、彼女を宥めるための動作なのか。口調、振る舞いからは読み取れず。
「……ソロリティ、オートマトン……いや、リティ、マト。お前達がアリスを連れて旅立つことが出来たのであれば、それが最善だった。しかし、アリスが此処に戻った以上……このエリアに平穏は無い」
彼女の白く、細い。死体のような、死体らしい、そんな指が、黒髪を攫い――名残を惜しむように、本の少し伸びた後に――彼女から離れ、私達へと向き直る。
「クイーンを連れてこの地を離れることを勧める。否。懇願する。クイーンと共に、この地を離れ……ネクロマンサーの手から、逃れて欲しい。出来得る限りの準備はしてある」
「バルキリーさんっ!?」
クイーンの驚愕に動じはせず。彼女は、真っ直ぐに私達を、身動ぎ一つせずに見て。
「そんなこと、出来る筈が……此処にはキメラさんだって、ネメシスさんだって……」
「……彼女たちは、ネクロマンサーの側として戦闘を継続することを受容した。ネクロマンサーに抗う意思は無い」
「それでも……っ!」
白く脱色した髪の下、彼女は一度、瞼を閉じて。本の、少し。少しの間、沈黙する。そうして。
「脱出経路は確保してある。知性を持たないアンデッドでは侵入は不可能。昆虫兵器の侵入も見られない。その経路を使って、クイーンと共に、逃げて欲しい」
再び目を開け、紡いだ言葉は、相変わらず静かで。しかし、段々と……僅かに、早く。そして、瞳は。その瞳は。
微かに。けれど、確かに揺れていて。
「頼む。私はアリスによって作られたアンデッドではない。この計画にアリスの悪意は関与していない。クイーンがネクロマンサーの手駒として動くことも無い。彼女の意思決定は全て彼女に委ねられている。心を持っている。庇護に値する。懇願する。クイーンを、彼女を連れて。この地からの脱出を求める。懇願する……」
言葉が紡がれる。言葉と共に、瞳が揺れる。用いられる言葉は、矢張り、事務的な。そういう言葉しか知らないままに過ごして来たのだろう。そういう言葉しか使えないように、作られ、生きてきたのだろう。それでも……
「……ずっと、私たちを誘導してきたのは、この為?」
「そうだ。ネクロマンサーからクイーンを引き離す……それだけが、私の目的。それだけが」
私の、願い。
彼女の言葉は。彼女の目的は……その願いは。他の何かによってではない。誰かによって植え付けられたそれではない。唯一の、無二の。彼女自身の、その、心が齎した――
「――」
思わず。手を、伸ばそうとする。彼女の肩に触れようとして、其処で漸く、自身の爪に気が付き。手のひらを返し、手の甲を。彼女の肩に。そして。背に。
「……オート、マトン……?」
理解する。彼女もまた、心を持っているのだと。只、無感情に、機械的に見えたとしても……私達と同じなのだと。私がリティを想うように。リティが私を、思ってくれるように……同じ心を持っているのだと。全部、全部、理解して。
「……ごめん。ずっと、疑ってた。あなたも、他のアンデッドと同じなんじゃないかって。ごめん。ごめんなさい……」
「……私に対する謝罪は、不要――」
「する。……させて、欲しい。あなたの、彼女を守りたい気持ちを……信じられなかったことを。あなたを信じられなかったことを。せめて、後悔させて欲しい」
回した腕に、力を込める。傷つけないように抱き締める。細い、細い身体。リティよりも細い身体。折れて、潰れてしまいそうな程……軽い身体。幼ささえ残る。
そんな、身体。脱色した髪、私の黒髪。彼女は、重みを。触れ合う髪と髪、頬に感じる擽ったさ、私に、預けて。
「……抱擁は、親しい仲で行うコミュニケーションと記憶している」
「ごめん。不器用なんだ。でも……親しくは、なりたい」
「……返答次第。私は……クイーンを守りたい」
目を閉じる。彼女の体の内から響く、鼓動にも似た駆動音に耳を澄ます。少しでも、彼女のことを知りたくて。少しでも、彼女と心を通わせたくて。
「……大事なんだね」
「言うまでも無い。私がこうしていられるのも……こうして、クイーンを思えるのさえ。全て、クイーンと出逢えたから」
「……なら……私は、謝らないといけない」
体を、離す。目と目を合わせ、視線を重ね。
「私は……アリスの所に行く。……アリスを、止める」
「何故……」
「……あなたも……バルキリーも、分かってる筈だよ。あなたがクイーンを大切に思うのと同じ。私は……私たちは、アリスを救いたい」
「救いなど無い。アリスの精神は、既に壊れた。……この先にいるのは、お前たちの知っているアリスでは、無い。お前たちの知るアリスなど、もう居ない」
叫びにも似た彼女の言葉に、小さく首を振る。
「ううん。そこに居るのは、アリスだよ。終える時を逃してしまっただけ。私たちが、先に、アリスを置いて行ってしまったから……だから、今度こそ。もう、終わったんだって伝えないと」
「……それは……お前たちの、エゴだ」
彼女は、私の胸に、額。重みを預けて、そう言い。エゴと言うならば、確かにそう。少しだけ苦笑して……それでも、私の思うことを。私たちの答えを、返す。
「そうかもしれない。けれど……置いてなんていけない。もう、アリスから……離れることなんて、出来ない」
そんな、答えに。腕の中で、彼女は……少しだけ、強張っていた、彼女の体から。力が抜けていくのを感じて。
「……私は、どうすればいい。クイーンは……クイーンの幸せは、何処に在る」
「何処かに。……でも、其処まで連れて行けるのは、私たちじゃ無いよ。それはきっと、あなたの役目」
手を。彼女の体から離す。向かい合ったまま。目を合わせたまま。私の答えを、彼女へと。そして。
「私たちのことは……アリスと、私たちのことは。私たちがきっと終わらせる。その後に、二人が……バルキリーとクイーンが幸せに生きる道を、そこに続く入り口を、必ず作ってみせる。だから……」
私の言葉、心からの言葉、約束。彼女は黙して、考えるように、迷うように。唯々私の言葉を聞き。
「……確実性に、欠ける。可能性は、限りなく、低い」
それは。彼女の紡ぐ言葉は。拒絶の――
「しかし」
一度離した体が近付く。白い肌が、また。私と重なり、その、重み。額を通じて預けられた、彼女の重みを、胸に感じる。
「……しか、し……」
私の腕の中、胸に抱かれた彼女が、迷うようにそう、小さく呟く。私は、そんな、彼女の背を。
私は只、力無く。撫ぜる事しか、出来なかった。
◇◇◇◇◇◇
二人から離れ、部屋の外。アンデッドの聴覚であっても話し声の届かない程、十分に離れた通路に立って。マトと二人で、灰色の床、鉄柱。遠く高い天井は闇に呑まれて見通せず、突き出した鉄骨が視線を遮る……冷たい空気と、積もった埃……虫の羽音も、足音もない。只々静かなその場所で――ひとつ、近付く影はあれども――彼女に言葉を投げ掛ける。
「……マト、どうするつもり?」
思い描くのは、無機質の体。白い体、細い体……感情を押し隠した、否、知らないと言った方が正しいのかもしれない。もしかすると、彼女もマトのように。誰かによって作られた、そんな存在なのかもしれない……そう思う程に、不器用で、そして、無垢で。
姿形は似ていないけれど、傍に立つマトと重なる。そんな、少女。
「……バルキリーは……多分、クイーンと一緒に居ないといけない。……離れちゃ、いけない気がする」
「そうね。私も、そう思う。けれど……」
「……バルキリーが望んでるのは、アリスをクイーンから遠ざけること……だから」
暗がり、影の先。遠く近付く歪な足音。その音だけが微かに響くこの空間で、彼女の爪が、僅かな明かりを受けて輝く。鉄骨に巻き付いたコード、その先に咲いた電灯。彼女の髪、体、這い出した影が……まるで、蛇か、蟲のように地を這う影が、やけに暗い。
「……知るのって、つらいのね。何も知らないままだったら、私達は……バルキリーの望みに、応えたかも知れない」
「けど……思い出すことが出来たから、私達は……」
「そう。だから、後悔はしてないわ。寧ろ」
寧ろ。私は、思い出せたことを感謝してる。今度こそ……正しい結末へと向かうことが出来ることを。閉じた物語を今一度、やり直す事が出来たことを。
「……そう。だからこそ、ね。後悔するようなことは――」
「しない。させない。……何が何でも、アリスを倒す……迎えに行く。そして、クイーンを解放する……私達が残していったアリスの……悪意から。そして」
彼女は。強く、言葉を紡ぐ。その目は、落とされた影。暗い暗い陰影。その中でも、尚、明るく。眩しく。まるで、そう、例えるならば。
「……眩しいわ」
「え……?」
まるで、未来のそれのように。
「……怖かったの。今度も、また。間違えてしまうんじゃないかって。私達はアリスに壊されて、そして、クイーンやバルキリーが今度は、歪んだ終わり方をしてしまうんじゃないかって。でも」
でも。けれど。今のマトを、彼女を見ていると。
「今なら、信じられる。私は……マト、あなたが居れば。あなたさえ居れば。きっと、過つことなんてない。だから、ね」
彼女の両手を、手のひらで包む。
闇に、視線を向ける。影から這い出すその影に。爛々と輝くその瞳に。
「……聞いていたなら、信じて欲しい。私達は、アリスを救う。クイーンを救う。救ってみせる……私達自身も、含めて」
キメラ、と。闇へと向かって声を投げる。近付く足音、それは、人間のそれではない。彼女の持つ足、硬質の多脚。歪められた姿は、余りに痛々しい姿は。
マトと同じ、顔で嗤う。
「ア、ハ、アハハハ、ハァ……今度は、クイーンを奪うつもり……?」
マトの顔が、一瞬。訝しげに引きつる。言葉の意味が理解できない。
「奪う……? 一体、何を……」
「私、は……ネクロマンサー……お母様の……ああ……」
彼女の腕。マトが切り落とした、三本の腕……それは、今。機械の腕……彼女の体、少女としての細い胴、肋骨、顔。歪められる前の体、マトと同じ体には、不釣合いなほどに巨大な腕。軋むような、泣くような。耳障りな機械音、駆動音……それと、共に。
「私達はッ! お母様の為に生まれたッ! なのに、全部、全部奪いやがってッ!」
吼える。叫び声は、通路、満たす空気を震わせて。
マトに、目配せする。今、言葉を交わすことは出来ない。まずは。
地を蹴る。一歩、引く。金属質の床を叩き、音、響くと同時にその音は、鋼の拳に砕かれて。飛んだ破片が散り、降り。いつかに聴いた雨のように、連鎖して鳴る瓦礫の波紋。その音に紛れ、時に、合い。踏んだ床、ステップと。
右から左。横薙ぎに光る爪と、影。黒い尾。彼女の指が爪に置き換えられたように、鏡合わせの彼女の指もまた、鋼。擦るように、流した一閃は、甲高い金属音と共に過ぎ去り。マトの姿、視界の端へと外れるが早いか、銃弾を二発、キメラへと放つ。
弾丸が身に埋まる。埋まる程度では彼女は止まらない。死体の体に、痛みは無い。心もまた、壊れてしまえば痛みなど無い。だから。
まだ。壊れていないことを祈る。祈りながらも、銃弾を放つ。放つ。
「あ、ハァ……今度こそ、今度こそ……今度こそ、殺す、殺す……そして」
何もかもが、元通り。と。
「何が……戻ると言うの」
「戻る、戻るんだよ……ッ! お母様も、クイーンも……私をまた……ッ」
愛してくれる。
言葉に、不意を突かれる。隙が生まれる。下がった一歩、半歩の間に、踏み込み。彼女の拳、第三の腕……薄暗い電灯に照らされた、鈍い鈍い色をしたそれが。
腹部を穿つ。骨が砕ける音がする。綿が千切れる音と、次いで。くすんだ様な銀色に、赤。堪える間も無く吐き散らかした、無臭の赤。
意識が飛ばないのが、唯一の救いで、そして、悪意だった。その悪意が在ったが為に。
続く、指。先の尖った、錐にも似たそれが、吹き飛ぶ私に追い縋り、この目を貫く、その前に。
マトの刃が彼女の腋腹へと突き立てられる。ほぼ、同時に。私の銃弾、二丁の拳銃が、彼女の顔、片目を穿つ。
「ぁ、く……」
ごめんと呟く。一発は外れ、髪を浚った。数本の黒糸が宙を舞い、彼女が仰け反るその一瞬に、体勢を――
思わず小さく漏らした悲鳴、バランスが崩れる。背骨が砕けている。アンデッドとして与えられた肉、粘菌。力を込めたそれを以って、無理矢理に立つも、揺れ。揺れた体を。
「リティ」
抱かれる。抱かれるままに、キメラから離れ。腕の中で、ライフルに弾を装填して。
「あは……は、は……殺すの、上手くなったじゃん?」
「……もう、やめよう。キメラ……もう……あなたと戦いたくなんてない」
「黙れよ、黙れ……全部打ち壊して、壊した挙句、身勝手に……」
マトの腕の中から、身を降ろし。対峙した彼女は、片目を抑えたまま、言う。零れた液体、透明な液体。硝子球のような何か。
「畜生が……折角、クイーンが治してくれたのに……クソ……」
離れた手。流れる赤、空洞。骨の白と、やっぱり、赤。
「救うんだろ……なら、救って見せてよ……この私をさぁ……ねぇ……」
ふらつく体。苦しんでいる、心が震えている。なら。
「このままじゃ……あなたは、壊れてしまう。お願いだから……この手を取って。全部……全部、終わらせるから」
口元まで垂れた粘菌、薄く開かれた唇と、覗く舌。それは、口元まで這ったその赤色を拭い取り。
唾液と共に、吐き捨てて。
「空いたその手で打っ壊すんだろ。私も……お母様もさぁ!」
そして、仕掛ける。腕、腕、腕、開かれたそれは、私達を掴み、抉り、引き千切らんと。
ライフルを構える。彼女の腹を……否。腹じゃ、止まらない。けれど。銃口は、上。腹の上、胴の上、腕の上……頭に。
「っ」
躊躇い。其処にあるのは、紛れもない。既に傷つけてしまったとは言え。
彼女の顔だ。
「リティ、ありがと」
マトが言う。刹那。腕と腕、掌と掌。三つ、三つ、合わせて六つ、繋がり。
金属同士がぶつかる音。少女同士の腕が合わさり、鳴る音では無い。そんな音を響かせて、彼女達は互い、止まって。
「……躊躇して、くれたんだね。……ありがとう」
「……褒められるような、ことじゃないわよ」
「そうだね。でも、その分嬉しいかも」
掴み合った鉤爪と、鉄の拳が震える度に、無機質同士がぶつかり、鳴る。甲高く小刻みなその音が、通路に響いて反響する。
「悠長な……ッ」
「戦う意味も、話す意味も……私たちにはもう、同じだから。ねえ、キメラ」
「煩い、煩い、壊しにこい、壊してやるから……」
私ね。マトが好きなの。
「あ……?」
音が、静まる。見開かれた片目、小さく空いた口。そんな所まで、彼女、マトにそっくりで。
「あはは、あは、何、こんな時に! 殺しあってる時に! 女同士で恋人ごっこかよ!」
「そうね。私は……愛してる。マトのことを。誰よりも」
「っ」
まだ。まだ間に合う筈なのだと。キメラと言うこの少女は、クイーンが抱いた此処への未練。クイーンの心は、キメラから離れてなどいない。だから。
「初めは、怖かった。銃さえ向けてしまった……けど、それでも。今はこうして、二人で居る。もう、離れることなんて無い」
私たちがそうであるように。彼女たちもまた、一緒に生きることが出来る。キメラがクイーンを求める限り――再び手を取り、一緒に生きる未来がある。あるのだと。そう、自分に言い聞かせながら、一歩踏み出す。踏み出せば、彼女の顔が歪み。粘菌に塗れ、白を覗かせ。僅かに剥いた歯を軋らせながら、唸るように言葉を紡ぐ。
「クソ……っ、何のつもりだよ、何なんだよ、お前、お前は……」
「キメラ。私たちは、貴女とだって手を取り合える……クイーンだって、変わらない。彼女はまだ、貴女のことを、」
愛している、と。
手を伸ばし、紡ごうとした言葉は。伝えようとした言葉は。
一発の、銃声。背後から抜けて、私の体。この身を散らした、轟音に消えた。
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