銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百八話 両軍接触
宇宙暦796年8月 7日 第十三艦隊旗艦ヒューベリオン ヤン・ウェンリー
艦隊はアムリッツアを抜けボーデン星系に向かっている。先行するウランフ艦隊はボーデン星系に達した頃だろうか……。ヴァレンシュタイン司令長官が帝国内の反乱を鎮圧したと総司令部より連絡が有ったのは一時間前だった。
敵は新たに五個艦隊が動員可能になった。総司令部は撤退の指示を出すかと一瞬期待したが、総司令部の指示は更に前進し、敵を各個撃破せよとのものだった。困難な命令といって良い。それ以来艦橋の雰囲気は暗いものになっている。
最初にぶつかる敵でさえ味方と同数かそれ以上の兵力を持つ。それを撃破した上でヴァレンシュタイン司令長官率いる五個艦隊を撃破する……。どう見ても不可能としか思えない。
最初の戦いで勝てるという保証が何処に有るのか。長期戦になれば敵の兵力は増え味方が危険な状況になるとは考えないのか? いや、大体ヴァレンシュタイン司令長官が反乱鎮圧に梃子摺っていたのは本当なのか?
タイミングが良すぎる。各個撃破できると思わせるため鎮圧を遅らせたと考える事は出来ないだろうか。あるいはもっと早く鎮圧しておき、鎮圧の報告を遅らせたか……。
ヴァレンシュタイン司令長官が行動の自由を得たのはもっと前の可能性が有る。となると敵は最初から合流してくるか、あるいは彼が別働隊として同盟軍の側面、あるいは後背を衝くのではないだろうか。
「グリーンヒル中尉、帝国の星系図を出してくれないか」
「はい、閣下」
スクリーンに星系図が表れる。
オーディンからカストロプは往復で六日はかかる。五個艦隊を動かしたのだ、反乱の鎮定は短期間に終わったのではないだろうか。鎮圧に二日掛けたとすれば、先月の二十六日に反乱鎮圧に向かったヴァレンシュタイン司令長官は今月の二日、遅くとも三日にはオーディンに戻っている。
ローエングラム伯がオーディンを出たのは四日、合流するのは可能だ。
「ヤン提督、何をお考えです?」
訝しげな表情でムライ参謀長が問いかけてきた。気が付けば皆が私を見ている。
「いや、どうも腑に落ちなくてね」
「?」
私の答えに皆顔を見合わせてから、こちらを見る。
「ヴァレンシュタイン司令長官は反乱鎮圧に本当に今まで梃子摺ったのだろうか」
「……もっと早く鎮圧されたと提督はお考えですか?」
パトリチェフ大佐の問いに私は頷き、先程から考えていた事を話し始めた。
私が話しを進めるにつれ、皆の顔が青ざめてくる。合流すれば二十万近い敵と戦う事になるのだ、青ざめもするだろう。
「戦場はおそらくシャンタウ星域になるだろう。もし、帝国軍が合流してせめて来るなら二十万近い敵と戦う事になる」
「……敵が別働隊を用意する可能性はないでしょうか? リヒテンラーデ、トラーバッハ、そしてシャンタウ……」
「ラップ少佐の言う通りだ。敵が別働隊を用意する可能性もある。その場合、ざっと二十日はかかるだろうね」
「八月の二十四日から二十五日にはシャンタウ星域に着くというわけですね」
「そうなる」
私とラップの会話に皆の表情が更に青ざめた。同盟は二十万を超える敵を一戦で打ち破るか、各個撃破しなければならなくなった。
「総司令部は本当に各個撃破が可能だと考えているのでしょうか?」
「……」
ムライ参謀長の言葉に誰も答えない、私も答えられない。総司令部は勝てると判断しているのではあるまい。勝てると盲信しているだけだ。九個艦隊を動かした事が総司令部を退けなくしている。
あの馬鹿げた噂、ローエングラム伯は無能でヴァレンシュタイン司令長官は経験が無いという馬鹿げた噂に縋っているのだろう。
司令部に意見を具申しよう。このままでは敵の思う壺だ。ビュコック、ウランフ、ボロディン、そして私。四人の連名で総司令部に意見具申をする。出兵している司令官のほぼ半数が危険を訴えるのだ。
総司令部も少しは考えてくれるだろう。それにグリーンヒル総参謀長ならこの危険が判っているはずだ、きっとこちらの意見を支持してくれるに違いない。グリーンヒル中尉をみすみす死地に追いやるような事はしないだろう。
最悪の場合、撤退は無理でも進撃するのではなく、何処かの星系で待ち受ける形に出来ないだろうか。それだけでも敵の思惑を外せる。かなり違うはずだ。
帝国暦 487年8月14日 シャンタウ星系 帝国軍 ローエングラム艦隊旗艦ブリュンヒルト ラインハルト・フォン・ローエングラム
そろそろ敵と出会う頃だろう、そう思うと心地よい緊張が全身を包む。イゼルローン要塞陥落後、正直に言えば二度と戦場に立つ事はないだろうと覚悟した。だがこうして大艦隊を率いて雪辱の機会を得ている。
無理をすることなく勝てるだろう。これから始まる戦いに俺は何の不安も持っていない。唯一不安が有るとすれば敵が逃げてしまうのではないかという事だ。
もっともヴァレンシュタインによれば敵は退きたくても退けない状況になっているそうだ。九個艦隊を動員したことが敵を退けなくしていると彼は見ている。
今回の戦いで俺のなすべき事は勝つ事。自分が決して飾り物の副司令長官ではないと皆に認めさせる事だ。
今の俺は、ヴァレンシュタインの副将でしかない。リヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフ両元帥の態度を見れば分る。それだけではない、フェザーンも反乱軍も俺を認めてはいない。
少しずつ自分を周囲に認めさせなければならない。特にヴァレンシュタイン、彼に俺を認めさせる。彼は俺に十一個艦隊を率いさせてくれる、それなりに俺を信頼しているのだろう。だが万全の信頼とは言えない。
今回彼はケンプ、レンネンカンプ、ビッテンフェルト、ファーレンハイトを連れて行った。別働隊の司令官としてはおかしな人選ではない。いずれも攻勢に強い男たちだ。だがそれだけだろうか?
ケンプとレンネンカンプは剛直な男だしビッテンフェルト、ファーレンハイトは攻撃精神の旺盛な男だ。俺では指揮がしづらいだろうと思ったのではないだろうか。
考えすぎかもしれない。しかしそう思ってしまうと言う事は、まだまだ俺は力不足なのだ。俺が望むのは労わられる事ではなく彼に警戒される事だ。
俺に大軍を預けるのは危険だ、そう思われる程の男になりたい。今は無理だ。俺は彼に及ばない。今回の戦いで嫌と言うほど見せ付けられた。反乱軍、フェザーン、そのフェザーンに通じた貴族たち。ヴァレンシュタインは全てを操ってこの会戦を演出している。
戦場で勝つのではなく戦場の外で勝利を確定する。戦って勝つのではなく、勝ってから戦う。彼にとって戦場で戦うのは敵味方にその事実を認めさせることでしかない。
ヴァレンシュタイン自身は当初、戦場に出るつもりはなかった。俺に本隊を率いさせ、別働隊はメルカッツに任せるつもりだった。彼にとってはある一定の能力さえあれば誰が指揮官でも良かったのだ。
能力に自信のある人間ほど自分の力で勝ちを収めたがる。かつての俺がそうだった。イゼルローンでは其処を敵に突かれた。僅か一個艦隊で攻め入ろうとは何を考えていたのか。
今なら自分がどれ程危うい戦いをしていたのか判る。キルヒアイスとも何度も話した。二人で得た結論は自分の武勲に拘る余り戦闘に勝つ事と戦争に勝つ事を混同していたということだ。愚かな話だ。
指揮官の能力に頼るのではない、誰が指揮官でも勝てる戦争を作り出す。その上で有能な人間を指揮官に据える。それが将ではない、将の将たる者の務めだ。これから俺が目指すべき道でもある。
これからだ、これから少しずつ彼との差を縮める。そしていつか追い抜く。そのとき俺の前に道は開けるだろう。皇帝への道が。
宇宙暦796年8月16日 第五艦隊旗艦リオ・グランデ アレクサンドル・ビュコック
総司令部への申し入れは何の意味も無かった。こちらの危惧は極楽トンボとしか言いようのない小僧の楽観論、敵への過小評価の前に拒否された。総司令部に慎重論を唱える人物が居ない事がどうにも不思議じゃ。
ドーソン総司令官にいたってはイゼルローンでの様に独自行動では戦えても宇宙艦隊としては戦えないのかと嫌味を言う始末。とても正気とは思えん。何処か狂っておる。
総司令部はこの危険を認識しておらん。いや認めるのを拒否しておる。九個艦隊を動かした以上、何の戦果も無しに撤退は出来ん、イゼルローン攻略組みの意見など聞きたくない。彼奴等にあるのはそれだけだ。
唯一わしらの意見を真摯に受け止めてくれたのはグリーンヒル総参謀長だけじゃった。総参謀長はこちらの言い分を認め口添えしてくれたが、ドーソン総司令官は顔を歪めて口を出すなと叱責し、周囲の参謀たちは嫌な笑みを浮かべて見ているだけじゃ。
総参謀長は全く孤立しておった。総司令官に対する影響力は欠片もないの。ヤン提督の言う通り、せめて待ち受ける形に変えてくれれば少しは違うのじゃがそれも拒否された。命令は前進して帝国軍を各個撃破せよ、それだけじゃった。
それにしても総参謀長は辛かろう、娘がヤン提督の所に居るからの。何とかしてやりたいが、どうにもならん。全くやり切れんわ。
それにしても厄介な敵ではある。エーリッヒ・ヴァレンシュタインか……。恐ろしいほどに切れる男じゃ。ヴァンフリートではわしもボロディンもまんまとしてやられた。
まさか偽電を使うとは……。後で分ったときには唖然としたものじゃ。これからあの男と戦うのかと思うと気が重いことよ。生きて帰れるじゃろうか。
わしはもう年じゃから死は恐ろしくはない。兵卒上がりで大将にまで出世した、本来あり得ん事じゃ。もう十分じゃ……。待てよ、ここで戦死するとわしは元帥か、たまげたの、軍の階級を全て制覇した事になる。
これもあのイゼルローン要塞攻略のおかげじゃの。あれは楽しかった、全く楽しい戦いじゃった。わしの生涯でもあれほどの完勝はなかった。死んでもあの世で自慢できる。
ヤン・ウェンリーか……、なかなかの用兵家じゃの。シトレ元帥が高く評価するのも分る。あのヴァレンシュタインに対抗できるのは、彼しか居るまい。
出来ればもう一度共に戦いたいものじゃ。こんな馬鹿げた戦いではなく、あの男の描いた戦いで。
「閣下、先行する第十、第十三艦隊から連絡です」
取りとめもないことを考えていると、ファイフェル少佐が緊張した声で話しかけてきた。第十、第十三から連絡か……。どうやら敵が来たか。
「何といってきた」
「敵の偵察部隊と接触、直ちに後退し第十二艦隊と合流されたし、との事です」
「分った、第十二艦隊に連絡。第十、第十三艦隊が敵偵察部隊と接触。直ちに第十艦隊との合流を目指すとな」
どうやら、帝国軍がわしらをもてなそうと出張ってきたらしい。律儀な事じゃ、せいぜい期待に副える戦いをしたいものじゃが、はて、どうなるかの……。
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