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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百七話 狂える獣

帝国暦 487年8月 4日  フェザーン ニコラス・ボルテック


「大変です、自治領主閣下。オーディンの弁務官事務所との連絡が途絶えました」
「!」

ルビンスキーは睨むような視線で俺を見た。そして眉を寄せ押し殺したような声で
「ボルテック、ブルクハウゼン侯と連絡は取ったか」
と問いかけてきた。

「残念ですが侯とは連絡が取れません。侯だけでは有りません、ジンデフィンゲン伯爵、クロッペンブルク子爵 ハーフェルベルク男爵もです」

「ローエングラム伯の出征前に手を打ったか……。どうやらこちらの動きを読んでいるようだな」
呟くような声だった。

「マクシミリアンとは連絡が取れました。帝国軍は相変わらず、カストロプを囲んでいると」
「嘘だな」
「!」

ルビンスキーは俺の言葉をさえぎるように声を発した。
「弁務官事務所もブルクハウゼン侯達も帝国の手で取り押さえられたのだ。情報源はマクシミリアンだろう。そうでもなければ、手際が良すぎる」

「マクシミリアンが降伏したということですか? アルテミスの首飾りが破壊されたと?」
俺の問いにルビンスキーは首を振りながら答えた。

「分らん。あるいは父親を殺したのがフェザーンだと知ったのかもしれん。それで帝国となんらかの取引をした可能性はある……」

確かにそうだ。鎮圧が難しいとなれば、帝国が懐柔に走る可能性は有る。
「マクシミリアンはいつから帝国に付いたのでしょう?」
俺の言葉にルビンスキーは忌々しそうな声で答えた。

「……もしかすると最初から反乱などなかったのかもしれん」
「どういうことです?」

「帝国とマクシミリアンがフェザーンをそして同盟軍を嵌めるために一芝居打ったと言う事だ」
ルビンスキーの忌々しそうな口調は続く。

「まさか……」
「父を殺したのがフェザーンだと知ればその可能性はある。しかし、今の問題はヴァレンシュタインが何処に居るかだ。カストロプには居るまい。同盟軍の迎撃に向かったとすれば……」

ルビンスキーは一点をじっと睨みすえた。彼の見据えているものは何なのか? ヴァレンシュタイン? この戦争の結末? それともフェザーンの行く末か?

「……」
「ボルテック、同盟に一報入れておけ。カストロプの反乱は鎮圧された模様。ヴァレンシュタインは同盟軍の迎撃に向かったと思われると」
「はい」



宇宙暦796年8月 6日  イゼルローン要塞 司令室 ドワイト・グリーンヒル


「総司令官閣下、ハイネセンより連絡が有りました」
「うむ」
「帝国内の反乱は鎮圧された模様。ヴァレンシュタインは同盟軍の迎撃に向かったと思われる。注意されたし、との事です」

一瞬にして司令室内に沈黙が落ちた。無理も無いだろう、帝国軍五個艦隊、六万隻を超える艦艇が行動の自由を得たのだ。それがローエングラム伯率いる迎撃軍に合流すれば二十万近い大軍になる。味方はその七割程度の戦力しかない。

「艦隊を後退させるべきではないでしょうか、このままでは優勢な敵とぶつかる事になります」
「……」

ドーソン総司令官は目を激しく瞬かせながら周囲を見渡した。自分では判断できないのだろう。どうしてこの男が総司令官に、宇宙艦隊司令長官になったのか……。

政治家達が彼を選んだのだが、これ程の不適格者はいないだろう。忌々しいことに軍の人事は政治家たちの勢力争いに利用されている。

軍が政治に関与するなというのなら、政治も軍を政争に巻き込むなと言いたい。一体どれほどの人間を馬鹿げた政争の犠牲者にすれば気が済むのだ。

「小官は反対です。むしろ前進すべきです」
「フォーク准将、貴官は何を言っている。味方が劣勢な状況に有るのだぞ、分っているのか」

「総参謀長、むしろ各個撃破の好機です。そのためにも急ぎ進撃し、敵の合流を阻むのです」
「戦いが長期化すれば、敵が合流する。危険すぎる、退くべきだ」

戦いが常に自分の思うように動くとは限らない。常に最悪の場合を想定して動くべきなのだ。最悪の場合、味方は二十万近い敵と戦う事になる。

まして味方は敵地に攻め込んでいるのだ。地の利を得ていないことも、補給線が常に分断の危機にあることも忘れるべきではない。敵地で孤立した軍隊が勝つことなどありえない。

そのことを私は周囲に説いた。だが説きつつも無力感を感じざるを得なかった。遠征軍総司令部の人間は私を信用していないのだ。フレデリカがヤン中将の副官を務めている事が影響している。

彼らにとって敵とは帝国軍のことではない。イゼルローン要塞攻略で宇宙艦隊司令部の顔を潰したヤン中将たちなのだ。そして私は憎むべき敵ヤン中将に愛娘を差し出した裏切り者にすぎない。馬鹿げている。敵と味方の区別も付かない愚か者たちが司令部を構成しているのだ。

「恐れる必要は有りません。ローエングラム伯は用兵家としては見るところは有りません。前回のイゼルローン攻略戦がそれを示しています。それに人望も無い。部下たちが彼の指揮に従うとも思えません」

「それに、ヴァレンシュタインも艦隊指揮の経験の無い素人です。おまけに病弱でまともに艦隊指揮など出来るわけがありません。各個撃破のチャンスです」

馬鹿な、何故そんな考えが出来るのだ。ヴァレンシュタインはミュッケンベルガーの腹心といわれた男だ。彼の恐ろしさは、第六次イゼルローン要塞攻防戦で嫌というほど思い知らされた。フォーク准将、貴官もその一人だろう……。

「うむ、フォーク准将、貴官の言うとおりだ。全軍を前進させるのだ」
「閣下、それは」
「総参謀長、貴官は帝国軍と戦うのが嫌なのかね?」

総司令官が顔面を歪めながら問いかけてきた。口調には一片の好意も無い。無力感が私の心を占領する。総司令官に信頼されない総参謀長など何の意味があるのだろう。

「そうでは有りません、ただ……」
「だったら黙っていたまえ、消極的な意見など私は聞きたくない」
「……」

ドーソン総司令官は不機嫌そうな声で私を拒絶すると顔を私から背けた。その様子をフォーク准将が嫌な笑いを浮かべて見ている。私は屈辱よりも娘を助けてやれないことへの罪悪感、死んだ妻に対するすまなさに苛まされていた。

フレデリカ、すまない、お前を助ける事が出来ない。フランシア、頼む、私達の娘を守ってくれ、必ず生きて私の元に戻してくれ。


帝国暦 487年8月 6日  オーディン ヘルマン・フォン・リューネブルク


「今の所は何も問題は無いな、リューネブルク中将」
「そうですな」
「何時までこの警備が続くのやら」

モルト中将はそう呟くと溜息をついた。ローエングラム伯が出兵し、宇宙艦隊の正規艦隊が全てオーディンを離れた。この間オーディンの治安は憲兵隊と装甲擲弾兵第二十一師団に委ねられた。

今、俺とモルト中将はTV電話でお互いの状況を報告している。全く問題は無い。近衛師団、装甲擲弾兵も早々にこちらに協力を申し出てきた。帝都オーディンはこれまでに無いほど完全に守られていると言って良い。

近衛兵総監ラムスドルフ上級大将、装甲擲弾兵総監オフレッサー上級大将もあの黒真珠の間に居た。皇帝と三人の重臣達の狂態を目の当たりにしたのだ。そのことが彼らを従順にさせている。

「モルト中将、遅くとも今月中には終わりますよ。まあ、司令長官が勝つのを待ちましょう」
「そうだな。待つしかないな」

今現在、憲兵隊を率いているのはモルト中将だ。クラーマー憲兵総監が更迭された後、憲兵総監はエーレンベルク元帥が兼任している。万一の場合にはヴァレンシュタイン司令長官が憲兵副総監を継ぐはずだった。

しかし司令長官が出兵した事で、モルト中将が代わりに憲兵隊を指揮している。切れるタイプではないが、誠実で信頼の置ける人物だ。この職には打って付けだろう。ただ、臨時の代理という事で本人はやりづらいのかもしれない。

「大丈夫ですよ、モルト中将。司令長官は必ず勝ちます。今の司令長官には大神オーディンも逃げますよ」
「大神オーディンも逃げるか……。本当にそうであって欲しいよ」

俺は嘘を言っているつもりは無い。俺が大神オーディンなら今の司令長官と戦おうとは思わない。俺は本気のヴァレンシュタインの恐ろしさを良く知っている。

ヴァンフリートの会戦で出会ってから二年になるが、ずっと見て来て分った事がある。ヴァレンシュタインは有能ではあるが、どちらかと言えば甘いところのある男と言って良い。その彼が、ある一点に関しては酷く警戒心が強くなる。

自分の命が危険に晒された時だ。普段甘いところのある彼が、生き延びると言う生物の本能を剥き出しにする。彼の中で普段は眠っている凶暴な獣が目覚めるのだ。その獣は異様なまでに嗅覚が鋭い。

ヴァンフリートで何故あれほどまでにミュッケンベルガーの意に背くような事をしたのか? 生き延びるためだ。俺はあのグリンメルスハウゼン艦隊にいたから分っている。

あの艦隊は酷かった。司令官は凡庸な老人、参謀、分艦隊司令官は役立たずな貴族で艦隊行動がやっとの有様だった。戦争などとても無理だ。だがその部隊を前線に出した。

そのことがヴァレンシュタインの警戒心を、彼の中の獣を呼び起こした。

ヴァンフリート会戦で勝っても喜ばなかったのは何故か? 生き延びる確証が得られなかったからだ。事実その後にヴァンフリート4=2の戦いが起きている。

勝利後の将官会議でミュッケンベルガーの不機嫌にも動じなかったのも 彼にとって大事なのは生き延びる事であって出世では無かったからだ。ミュッケンベルガーの不興など何ほどのことでもなかったろう。

彼がローエングラム伯を地上戦に投じたのもその所為だろう。生き延びる事に全能力を傾けている彼にしてみれば、個人的な武勲に一喜一憂しているローエングラム伯など憎悪の対象でしかなかったのではないだろうか。

生き延びると言う事の難しさを地上戦で学んで来い、そんな思いではなかったか……。


同盟は誤った。イゼルローン要塞の奪取はもっと後にすべきだったのだ。皇帝が死に、帝国が内乱状態を防ぎ安定した後だ。それまでは帝国軍など、おそらくはローエングラム伯の出征だろうが適当にあしらっておけばよかった。

ヴァレンシュタインの凶暴な獣は眠っていたのだ。地位が上がり、事実上宇宙艦隊を支配していた事が獣を安らかな眠りに誘っていた。そのまま眠らせておけば良かったのだ。

しかし、先日イゼルローン要塞を落としたことで獣は目を覚ました。皇帝が死に、内乱状態になった時点で同盟軍が攻め込んできたらどうなるか? フェザーンが同盟に与したらどうなるか?

鋭い嗅覚は危険を察知した。獣は恐怖したのだ、そして狂った。自分を殺そうとしているものが居ると。殺される前に殺せと。そして今、獣はフェザーンを追い詰め、同盟を鋭い牙で噛殺そうとしている。

同盟の損害が多ければ多いほど、流れる血が多ければ多いほど獣は喜ぶだろう。流れた血に身体を浸しながら、その血臭に歓喜の声を上げるに違いない。そして安らかに眠るのだ。

ヴァレンシュタインは苦しむだろう。獣が眠った後、その犠牲の多さに苦悩するに違いない。自分のしたことに苦しむに違いない。だが俺は助けようとは思わない。俺の助けなど何の役にもたたんだろう。

俺に出来る事はただ一つ。彼と共に流れた血に身体を浸しながら、その血臭に歓喜の声を上げるのだ。自分だけが特別なのではない、そう思うことが彼を苦しみからは救えなくとも孤独からは救うだろう……。


 
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