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世界最年少のプロゲーマーが女性の世界に

作者:友人K
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9話 一夏戦

 
前書き
ハーメルン時代では前・中・後と分けておりましたが全部まとめて投稿します。30000文字とかなり長いのでお時間ある時にでもどうぞ。 

 
 ―――キイチ、のことですか?

 ―――はい。国別対抗戦で名試合を演じた、レイアン選手に語っていただければと思います。

 ―――……そうですね。7本先取という長丁場の戦いは、体力や技術、特にメンタルがモロに影響されます。劣勢に追い込まれて苦しい状態でメンタルを維持するのは、困難です。あの時は0-6という、キイチは絶対的な不利だった。

 ―――そこから鬼一選手は驚異的な追い上げを見せましたね。連続で6本取り返すという神業を見せました。

 ―――……ワタシが6本奪った時、キイチはまるで別人に切り替わった。比喩でもなんでもなく、まさしく別人に変わりました。

―――具体的には、どのように?

 ―――キイチは戦略、戦術の構築が極めて巧みなプレイヤーです。様々な情報から対策を作り上げますが、その精度も年齢を考えれば素晴らしいものです。ですが、あれは……。

 ―――あれは?

 ―――先ほどのワタシの発言ですが、言い換えればキイチはリスクリターンの値を理性で考えていることでもあるんです。ですが、ワタシが戦ったキイチはそんなものとは無縁の戦いでした。

 ―――と、いうと?

 ―――冷静な計算の上に、ミスを恐れない、極端なことを言えば何があっても負けない、負けるくらいなら死んだほうがマシという、捨て身の精神を持っていたのです。

 ―――捨て身の精神、ですか。

 ―――使えるものは使い、自分の全てを燃やし尽くして全力でそれをぶつけてくる、ということです。ワタシは全力で捨て身の攻撃を凌ぎきった。勝ったあとで心底こう思いましたよ。『殺されるかもしれない』、と。

 ―――国別対抗戦 決勝戦終了後 フランス代表 レイアン選手 インタビューより一部抜粋

――――――――――――

 更衣室で黒が基調の赤ラインが入ったISスーツに着替えながら鬼一は情報を整理する。
 昨日、一夏が駆る白式の情報を探り、対策の構築を急いでいたが鬼一は組み立てることが出来なかった。その理由は―――。

 ―――白式にはなにか『武装』以外に何か大きな秘密があるんじゃないのか?

 という疑問が鬼一の心を占める。これが原因で鬼一は決断を下すことが出来ないでいた。

 冷静に考えれば考えるほど白式はおかしいと鬼一は考えていた。確かに白式は凄まじいの一言に尽きるカタログスペックを誇っており、鬼神と比較しても速度や単純な出力(パワー)では上回っている。操縦者の技量しだいでは現行ISの中でも指折りといってもいいだろう。
 だが、驚異的なスペックを誇っていながらもそれに対して、装備は近接ブレード『雪片弐型』しか搭載されていないことが大きな違和感を持たせていた。装備が一つしかないというのに第3世代ISを冠するには些か役不足としか思えない。

 鬼一は1週間前の一夏がセシリアに言い返した光景を思い出す。

 ―――あの様子と一夏さんの性格だと武装を出し惜しみするのは考えにくい。つまり一夏さんは全力で戦った結果、あの武装しか使えなかったんだ。となると……。

 現在のIS業界は白式のような純粋近接型のISは、少しずつ姿を消しているのが現状だ。ブリュンヒルデ織斑 千冬が剣1本で世界を制したが、同時にそれはブレードを始めとした近接武器の研究・対策を考えられる要素を示したのだ。 
 必然的に世界中で対策が進められた。ブリュンヒルデに使われるレベルの対策を、ブリュンヒルデに届かない純粋近接型には十分通用した。結果、純粋近接型ISを操る操縦者は少しずつ黒星を増やすことになった。それに慌てて新しい近接武器の開発が進められたが大きな成果を出すことはなかった。
 
 なぜか? そもそも大前提を崩すことが出来なかったのだ。『互いの武器が届くほどの距離まで詰めて使う』という前提を崩せない以上、どれだけ優れた武装が開発されようが徹底的に考えられた『距離を詰ませない』という対策が存在する以上、使う機会がないのだ。もしくは極端に減少してしまった。距離を詰ませない、封殺するという意味合いならセシリアのブルーティアーズがそれを体現していると言ってもいい。
 油断から鬼一に弱点を突かれてしまったが、セシリアが本気であれば鬼一の対策など紙切れ同然。距離を詰ませずに封殺していたであろう。

 故に現在のIS事情は大きなタクティカルアドバンテージを獲得するために『遠距離・中距離』で輝く武装の開発が主になっている。もしくは『近距離』を一方的に封殺する兵装の開発が多く、近距離で使われるブレードの類などの武装の開発はほとんど今は進んでいない。

 にも関わらず、白式はそんな時代に真っ向から歯向かったISと言ってもいい。このご時世にブレード1本しかないというのはある種、無謀じみた挑戦ともいえよう。

 だから鬼一は白式には単純なスペックやそのブレードの表面的な要素以外に、とんでもない隠し玉があるのではないかと考えた。

 白式のスペックと計算してもっとも現実的だと考えられる予想が鬼一にはある。それは、

 ―――シールドエネルギーそのものを大きく削ることが出来るブレードなのではないか?

 これが鬼一の中では一番可能性が高かった。
 確かに現在の状況だと、ISは近距離戦にまで発展させるのは極めて難しい。ステージによる広さ制限などを考慮しても、純粋近接型の不利は決して否めない。だが多大な不利があったとしても近づいて切る、ことさえ出来れば今までの状況をひっくり返せる代物であればいい。
 結論としては『切られたら他の近接武装よりもシールドエネルギーを大きく削られるブレード』である。

 これは白式の本質に当たらずとも遠からずであり、鬼一の読みは間違ってはいなかった。

 ただ、鬼一の予想を超える代物であった。

 その本質、『零落白夜』を。

 ブリュンヒルデ織斑 千冬が使っていた最強にしてISにとって最悪の単一仕様能力。機体を守るシールドバリアーを直接突破し、操縦者を守る絶対防御を強制的に使わせエネルギーを一瞬で削り切る、という悪夢めいた能力。
 この能力は第1の壁であるシールドバリアーによる防御判定を『ないもの』とし、そして第2の壁である絶対防御、通常ならIS側で判断される致命傷判定さえも『ないもの』とする。従って強制的に絶対防御を発動させてエネルギーを削るということだ。

 極端な話、1の力でシールドバリアーを破壊して絶対防御が発生しないなら10のダメージ。そして1の力で絶対防御を発動させたら100や200のエネルギーを吹き飛ばすと考えたらイメージしやすい。絶対防御に使われるエネルギーは極めて大きいのだ。

 零落白夜はこの後者に値する代物だ。他と違うのは1の力で相手の残ってるエネルギーを全て吹き飛ばすという点だが。

 鬼一自身も零落白夜の存在は知っている。世界王者の織斑 千冬もこの技を使っていたのだから公式記録を見れば分かる。だが鬼一はこの存在を白式から除外した。
 なぜならこれは『ISが操縦者と最高状態の相性になったときに、自動で発生する固有の能力』だからだ。一夏はISに乗り始めて日が極めて浅い。故に鬼一はこんなチートめいた能力が持っているはずがないと踏んだ。

 つまり鬼一は1度答えに触れながらそこから遠のいてしまったのだ。

 無論今回出した結論が完璧に正しいとは鬼一自身も思っていない。根本的に情報が少ない以上、断定など出来るはずもないのだ。

 ―――決め付けることは出来ないけど、でも、近接戦闘は極めて危険。ならどうやって押さえきるかが勝敗のキモになるな……互いに致命傷を負わせることは難しいから長期戦になりそうだ。だけど……。

 答えが分からない以上に鬼一には大きな懸念があった。それは、自身の状態であった。
 昨日のセシリア戦で発生した疲労がまだ大きく残っていたのだ。身体を少し動かせば軋むような感じがあり、痛みもある。なによりただ全身が重くて思うように動いてくれない。

 ―――かなり疲労が残っている状態で、大きな負担になるISによる戦闘。僕の調子を考えるなら短期戦がベストになるけど、純粋近接型に対してそれは敗北覚悟のリスクを背負うことになる。

 白式の正体さえ分かれば長期戦だろうが短期戦だろうがそれがベストなら鬼一は決断することが出来る。だが、それができない以上鬼一に出来ることは少ない。すなわち、

 ―――負担を減らしながら様子見しかないか。

 見、である。

 ―――徹底的に守りを固めて一夏さんの様子を探ってそこから攻略のヒントや、一夏さんの動きや考えの傾向を深く探ろう。短絡的な考えや動きは即負けに繋がるな。

 ガチャ、と音を立てて更衣室に入ってきたのは一夏だった。どうやら一夏も着替えに来たらしい。

「一夏さん、おはようございます」

 自身の疲労を探られないようにいつもと同じテンションで喋り、いつもと同じように身体を動かす鬼一。

「あ、あぁ、鬼一か。おはよう」

 どこか戸惑った様子の一夏はロッカーの前まで歩き、準備を進める。

「? どうしたんですか一夏さん?」

 鬼一にとってはここからが既に対戦になっている。前哨戦と言い換えても良い。プロゲーマー時代もこうやって対戦相手と話して、お互いの状態を図ることはよくあった。あわよくばここから攻略のヒントや戦略を決める手助けになることもある。そして自分の弱さを露呈しない。徹底的に普通と同じように振舞う癖が身体に染み付いている。それこそ意識しなくてもだ。

「……なぁ、鬼一」

「なんでしょうか?」

 俯き、準備の手を止めて、一夏は絞り出すように鬼一に問いかける。

「鬼一の戦いは本当に凄かった。どれだけ考えたらあれだけのことが思いつくのか俺には分からない。だけど……」

 そこで1度言葉を止めて、深呼吸する一夏。

「あんな、勝ち方しか出来なかったのか?」

 その言葉に鬼一の思考は一瞬止められた。

「……どういう意味ですか?」

「……どうして、あんな風に人を、女の子を傷つけるような真似してまで勝ったんだ?」

 その言葉に鬼一は考えた。鬼一からすればそもそも戦いの場に男も女もないし、戦いを行う以上必ず誰かが、何かが傷つくというのは至極当たり前のことであり、一夏の言葉の意味が本当に分からなかった。
 着替え終えた鬼一はロッカーに腕を組みながら背中を預ける。

「……戦いの場に男も女もないですし、そもそも僕は勝利手段を選ぶほど強くないですから」

「だからと言って、傷つけていい理由にはならないだろう!?」

 鬼一の感情の乗っていない言葉にイラついたのか、声を荒げて鬼一に向き直る。

 そんな一夏の様子を冷めた目で見ながら鬼一は答える。

「……何を勘違いしているかは知りませんが、僕は大切なものを守るために全力を尽くしただけですし、その結果人を傷つけることになったとしても受け入れることにしています」

 そもそも、と続ける。

「僕もセシリアさんも沢山の何かを勝ち得るために数え切れない何かを切り捨て、傷つけてきました。そして、僕たちは自分たちが傷つくことになったとしてもそれはそれで構いません」

 自分たちにも守るものがあり、他の誰かにも守るものがある。その結果対立することもある。そして傷つけあうことになる。そして何かを失い、得ることになる。

「戦えば必ず誰かが傷つく、傷つきたくないなら逃げていればいい。僕たちは傷つきたくない傷つけたくない、なんて気持ちを持って戦いません」

 何も傷つけず、何も失わずに、何かを守るというのは人の所業ではない。もはや神の領域だ。

「ただ自分にとって大切なものを守るために、得るために戦う。その結果何かを傷つけても失ってもそれを受け入れることしかできません」

「守るために戦うのに、それで傷つくほうが間違っている!」

 がぁん! とロッカーを叩く音が更衣室に響き渡る。

 その言葉に鬼一は気づく。あぁ、そういうことか、と。

 鬼一は、守るために戦えば必ず誰かを犠牲にしなければならない、という。

 一夏は、守るために戦うのに他の誰かを犠牲にするのは間違っている、という。

 犠牲の上に成り立っていることを理解している人間と理解していない人間がそこにいた。

 鬼一はぼんやりと考える、ああ、この人は自分がそこにいることをどれだけの犠牲の上で成り立っていることに気づいていないんだ。

 ロッカーから身を離し、一夏に身を向ける鬼一。

「……一夏さん、じゃあ僕を例に出して教えましょうか? ちなみに一夏さん、なんで僕が手袋をつけているか分かりますか?」

 ISスーツに身を包んだ鬼一だが、両手にはまだ黒くて薄い生地で作られた手袋がついている。

「? 何の話だ?」

 突然話が変わったことに困惑する一夏。
 確かに鬼一の両手には手袋がつけているが、一夏は特に気にもしなかった。

「以前、確か国別対抗戦の予選リーグだったかな。あの時は国別対抗戦だったから注目度も賞金関係もとんでもないことになってたんですよ。そしてその多額な賞金に目をつけたハイエナがいました。あのハイエナは当時の優勝候補を脅して、その家族にまで手を出そうとした。その優勝候補の対戦相手が僕だったんですよ」

 そう言って鬼一は右手で自身の左手の指先を握る。

「よほど必死だったんでしょうね。対戦相手の僕まで脅してきました。おまけに暴力付きでね」

 その言葉に一夏は驚きを隠せなかった。いや、信じられなかった。一夏自身はゲームを、e-Sportsを馬鹿にしていない。だけど、ゲームで人が人を傷つけるなんてことを信じられなかった。

「今の僕なら当時の僕に、逃げてもいい、と教えてあげれたかもしれませんが、当時ボロボロだった僕にとってはe-Sportsやゲームはそれこそ、救いになるかもしれませんでした。それを愚直なまでに信じていました。だからそんなハイエナに汚されるのを、僕は止めようとしました」

 淡々と、感情を込めずに鬼一は呟く。

「一夏さんは、守るために誰かが傷つくなんて間違っている、と仰いましたが安全圏にいた頃の僕もそう考えたと思います。だけど、現実はそうもいきません。これがその答えです」

「……!?」

 バリっ、と外される左の手袋。
 そして突き出される鬼一の左手を見た瞬間、一夏は言葉を失った。

 そこにあるのは5本の指。
 だけどその内の1本、人差し指が肌色のそれではなく鈍い銀色。所謂、義指と呼ばれるものが鬼一の指についていた。

「一夏さん、僕の言っている言葉は現実なんです。e-Sportsを守ろうとした僕は指を失い、下手をすれば対戦相手やその家族にまで脅し以上の被害が出たかもしれません。そこで気づきましたよ。戦うということは大なり小なり傷つけ、傷つけられるということを」

 鬼一は忘れない。あの痛みを。

「そして、僕はそれから戦うということを、何かを得るためには何かを失うことを知りました。もしかしたら何かを犠牲にしても何も得られないかもしれません。だからこそ僕たちは戦うということを、戦ってきた中で少しでも犠牲にしてきたものに報いるためにも。そして、勝負をするということを侮ってはいけないんです」

 今まで誰にも口にしなかった鬼一の勝負と戦いに対する考え方。鬼一は自身で言いながら、もう一度深く決心する。昨日のように勝負を侮るような考えは2度としないと。自分はこれからずっと長い間戦い続けることを選んだのだ。それから自分の意思で逃げることは許されないと。

「あなたの言葉に何も感じない、響き渡るものがない。その言葉は安全圏にいる人間のそれです。もし誰も傷つけたくない、傷つけられないというなら今すぐにISという力を捨てて、貴方の大好きなお姉ちゃんにでもずっと守ってもらうのをお勧めします」

「鬼一っ!」

 その言葉に怒りを爆発させた一夏は鬼一の胸ぐらを掴み上げながらロッカーに叩きつける。貴一と一夏の身長差は10センチ以上ある。必然的に鬼一の身体が地面から離れる。
 叩きつけられた痛みに顔をしかめながら、鬼一は一夏に語りかける。 

「……離してくれませんか?」

 その言葉が耳に入っていないのか、一夏は鬼一に怒声を叩きつける。

「俺は、俺は千冬姉を守ることに決めたんだ! それに誰かを犠牲になんてしない!」

「……離してくださいよ。その姉もあなたや他の何かを守るために自分を削って、数え切れないほどのものを犠牲にしてきたというのにそれからも目を背けようとするんですか? それなら織斑先生には心底同情しますよ。その痛みを家族に受け入れてもらえないなんて」

「―――!」

 手に力が入り鬼一にかかる圧迫感がより一層強くなる。その圧迫感に鬼一も我慢しようとは思わなかった。

「……離せよ。離せって言ってるだろ!」

「―――がぁ、っ!」

 鬼一は一夏の両手を力強く握りしめ、僅かに力が抜けたところに右足を一夏の腹部に全力で叩き込む。
 その衝撃に一夏は吹き飛ばされ、反対側のロッカーに身体を叩きつけられる。

「……僕やセシリアさんはもちろん、織斑先生だって例外ではありません。たくさんの人を傷つけ、蹴落として、安全圏の人間には理解できないほどの痛みや業を背負っているんです。きっと、自分にとって大切なものを守るためにそうせざるを得なかったんです」

 守るために戦えば何かが必ず傷つく。だけど守るために戦わずに家族の痛みや業を肯定して受け入れてあげて、癒して、誰も傷つかない、たった1人の家族を救う方法だってあるかもしれない。それを見つけ、生み出す権利を一夏は持っているのだ。そんな権利を持っていることに鬼一は羨ましかった。
 
 そこまで語って鬼一はもう話すことはないと言わんばかりに、更衣室から出ていく。少しだけ、心が軋んだような気がした。

―――――――――
 
 ピット内で鬼神を展開した鬼一は、静かに深呼吸を繰り返して自分の世界に入り込んでいく。近くには楯無が来ていた。様子を見に来たのだろうか。

「……たっちゃん先輩」

 様子を見ていた楯無に、鬼一は静かに語りかける。
 
「なにかしら?」

「……もし自分に誰もを、何も傷つけずに大切なものを守ることが出来るなら、先輩はどうします?」

 その言葉に意表を突かれたのか僅かに目を見開く楯無。
 だが、鬼一の様子があまりにも真剣だったため、それに対して真剣な面持ちで重く口を開いた。

「……それが出来るなら、って昔に何度も考えたわ。でも現実はいつだって残酷よ。戦う以外に、傷つける以外に守れる方法があれば誰もがその方法に縋ると思う。だけどそれをしようとする間に、考えている間に守ろうとするものが失うのが現実よ」

 楯無の脳内に守りたい人が浮かぶ。かけがえのない妹の姿。 

「考えている暇なんてない。私にだって大切なものがあるわ。それを守るためなら私は躊躇いなくこの身を差し出すことは、とっくの昔に覚悟しているわ。そしてたくさんのものを傷つけることにもね」

 そして、と続ける。

「いつか私はその罪に裁かれることも、人並みの幸せを受けれないことも分かっているわよ。私の業は間違いなくそれだけのものだから。だからせめて守りたい人には優しい世界にいてほしいと思うわ」

「……そうですね」

 鬼一はその言葉を聞いて静かに目を閉じる。

 自分を救ってくれたあの世界。

 自分を支えてくれるたくさんの人たち。

 そして、少しだけそこに新しく加わった。

 IS学園で出来た、仲間と言うべきか理解者と言うべきかは鬼一も分からないクラスメイト。そして自分を守ってくれている隣の人。なにかあれば力を貸したいと思える存在。

 今も、そしてこれからも、鬼一は戦い続けることを選んだ。

 目を開く鬼一。

 試合開始時刻になったのを確認し、スラスターを展開して外に飛び出した。

―――――――――

 鬼一がアリーナに飛び立つと一夏は既にそこにいた。一夏とは10メートルほど距離をとって対峙する。

 鬼一は既に『入っている』状態であり、いつ試合が始まっても対応できるようになっている。
 それに対して一夏は迷いを抱えているような表情である。先ほどの鬼一の言葉が突き刺さっているのか、顔色が優れない。決心をしたのか一夏は口を開く。

「……鬼一、やっぱり俺は間違っていると思う。守るために誰かを犠牲にしなくちゃいけないなんて」

「……」

 鬼一は何も反応しない。もう語ることは語ったのだから、あとは目の前の戦いに集中している。

「確かに鬼一の言葉は正しいのかもしれない。だけどそれは間違っているかもしれない。だって鬼一は諦めたんだろ?」

 その言葉に僅かに反応を示す。

「……なに?」

「鬼一は戦うことでしか守れないって言った。でもそれは、それ以外の方法を諦めたってことだ」

 一夏の言葉に鬼一の心が僅かに冷たくなる。

「もしかしたら他に誰も傷つかない方法が、戦いでも傷つかない方法があったかもしれない。でも鬼一はその方法を探そうとせずに、戦いは傷つけるものなんだって、鬼一は決め付けて諦めたんだよ」

 ―――お前に何が分かる。

 熱を宿していた心が徐々に冷たくなっていく。

「俺は絶対に諦めない。守るために誰かが犠牲になるなんて間違っている。それはあっちゃいけないことなんだ」

 ―――僕は決め付けてなんかいない。僕がそれを考えなかったとでも思うのか? 誰が好き好んで傷つけないといけないんだ。どれだけ、どれだけ戦い続けてきたと思っているんだ。

 鬼一は少しずつ黒く染まっていく。思考が塗りつぶされていく。今までの戦術が次々と塗り替えられていく。鬼一が忌名で呼ばれていた頃のそれに戻る。
 
「だから俺は負けない。鬼一の戦いを絶対に認めるわけにはいかない。それは許されることじゃないんだ」

「……」

 鬼一が何かを呟き、内容は聞こえなかったが一夏は震えそうになった。理由はわからない。だが、この瞬間、鬼一は何かが変わった。

 試合開始の合図がアリーナを満たす。

 2人の戦いが幕を開けた。

―――――――――

 2人の戦いは静かに始まった。 

 一夏は鬼一と違って理屈ではなく、肌で危険性を感じ取っていた。
 確かに一夏は雪片しか武装がない以上、必然的に前に出るしかない。だが一夏は漠然とした危機感から必要以上に前に出ることを躊躇った。迂闊に前に出てしまえばそれは敗北以上の何かを失うような気がする―――。

 故に試合は膠着状態になる。前に出てきたところを『潰そう』とする鬼一。前に出ることに迷う一夏。
 2人とも距離を離さず離れずを繰り返して互いの様子を伺う。時折、鬼一が大きく踏み込み一夏に『誘い』をかける。が、隙を見せないように雪片を小さく振って鬼一を牽制しながら後退する。それに対して鬼一は表情と呼吸を乱さず自身も後退する。

 観客席も不気味なまでに静まり返っていた。
 2人の男性操縦者の戦い、彼女たちの大部分にとっては余興。自分たちよりも下の男たちがどんな風な無様な試合を見せてくれるのか、その程度の試合。そして、ごく一部の人間たちは興味と警戒、そして自分たちが超えなければいけない『壁』の高さを知るために来ていた。
 彼女たちのほとんど、この戦いは水面下でどのような進行をしているのかは理解していない。だが、見ているだけでも何かが異常だと感じ取っていた。その異常さを感じ取りながらもそれがなんなのかが解らないため、結果としてこの静寂が生まれてしまった。

 それは自分たちが体感したことのない理外の緊張感。

 何度目かの鬼一の突進。
 
 再度雪片で牽制して隙を見せないように後退する一夏。

 それを見て追撃はせず、合わせて後退する鬼一。

 気がついたら試合開始した直後と同じ位置に戻っていた。

 2人とも足を止める。

 暗い光を瞳に宿した鬼一は、どことなく苛立ちを感じさせる口調で一夏に呟く。

「……随分と、小賢しい戦いをしてくるんですね。一夏さん……」

 その背筋を凍らせるような、とても14歳が出したとは思えない冷え切った声に、雪片を握る手に力が入る。目線は鬼一から外すことが『出来ない』。一夏だって鬼一の戦いを見ているのだ。何をしてくるかわからない怖さ、相手を研究し、封じる強さ。それだけは一夏は理性で理解している。自分を徹底的に解剖し対策をとってきていることは容易に予想できた。

 今の鬼神はミサイルポッドもライフル羅刹もない。ブレードの夜叉とレール砲のみだ。それしか武装がないことも一夏は対策の内だと感じた。

「……」

 鬼一から発せられる突き刺すような冷たさに当てられてか、一夏は声を出さない。声を出せば飲み込まれそうな気がした。
 それを無視と受け取った鬼一は、僅かに顔をしかめる。

「……」

「……」

 それぞれの武器を向け合ったまま、2人の間に沈黙が支配する。

 唐突に鬼一が口を開く。目を僅かに見開いて端正な口が三日月に歪み、感情を一切感じさせない声で呟いた。

「……僕にあんまり、踏み込みたくないのかな?」

 その言葉に一夏は鳥肌が立つ。今の声は一体誰だ? いつもの落ち着いた感じでもない。教室で見せた怒りでもない。ピット内で見せた気圧されるようなものでもない。セシリア戦で見せたあの気迫でもない。
 
 目の前にいるのが、今までの鬼一とは明らかにかけ離れた存在であることに、自身の考えを読み取られたことに、一夏は言いようのない恐怖を感じる。呼吸が僅かに浅くなり、背中に冷たい汗が流れる。ゴクリ、と唾を飲み込む。

 織斑 千冬 更識 楯無 山田 真耶 セシリア・オルコット。そして月夜 鬼一。全員過去に何度も戦いに恐怖を抱いたことがあり、全員とも長い時間の鍛錬、もしくは経験でその感情を意図的にコントロールすることが出来るため、屈することはない。

 鍛錬も経験も圧倒的に不足しており、考えを読まれた一夏は潰されてもおかしくなかった。いや、潰れそうになった。

 だが、一夏はそこで1つの事実に気づく。その事実に僅かながらに恐怖感が薄れる。

 ―――違う。

 ―――ハッタリだ。

 ―――鬼一は気付いているわけじゃないんだ。

 ―――その証拠に、あいつは今、少なからずイラついている。もしくは迷っているんだ。自分の考えていた展開から外れて。

 ―――そうじゃないと、あいつは『小賢しい』なんて言い回しはしない。

 まだ短い付き合いだが、それでも鬼一のことは知っている。それに―――。

 ―――最後の言葉は疑問形だった。あれは―――

 一夏は結論を出す。結論を出せたことに平常心が少しずつ戻ってくる。

 ―――まだ、確信を得ているわけじゃないんだ。あれはこっちの反応を引き出そうとする言葉だ。

 その考えに身体が軽くなる。浅くなった呼吸がゆっくりと平静に戻っていく。

 そして、次の言葉に、一夏は悲鳴を上げそうになった。

「―――踏み込む気、ないな……?」

 三日月の形に笑ったまま、言葉から感情が抜け落ちたまま、そして暗い光を宿した瞳から一切の光が抜け落ちる。ここまで人に無機質な声をかける、人を無機質に見れる人間を一夏は見たことない。そして信じたくなかった。人は、人はここまで自分を言葉に出来ない何かに変化できることに。

 一夏同様、ピットで試合を見ていた千冬と真耶、楯無、そして実際に戦ったセシリアはその鬼一の異常さに気づいた。全員、本当に鬼一なのかと疑問を抱いた。同時に一夏とまったく同じ印象を持つ。

「っ!」

 半ばそれは反射だった。

 その恐怖感に耐え切れず、恐怖感を振り切るために一夏はついに踏み込む。一気に加速し、鬼神に切り込む。右腕に雪片を強く握り締め、大きく間合いを詰めて上段からの振り下ろし。
 それに対し鬼一は笑みを濃くし、左手に持った夜叉を逆手に持ち帰る。不自然なくらいに自然な動作。その動作の意味を一夏は気づかなかった。そして一夏は自分の行動がどれだけ愚かだったか、身を持って理解する。

 白と黒に染まったモノクロの世界。音も一切遮断された無機質な世界。その中で、自分に距離を詰めてくる獲物が一匹。その事実に鬼一は特になにも感じず、夜叉を振り上げる。
 キィン、と甲高い金属音がアリーナ内に響く。

「え?」

 その声は一体誰のものだったか。

 理解できない、と言わんばかりに表情が崩れる一夏。

 鬼一の実力を知っており、本来なら出来るわけがない動きをして驚く楯無とセシリア

 白式の性能と鬼神の性能の差を、純粋な出力差で敵うはずがないのに覆され目を見開く千冬と真耶。

 雪片と夜叉がぶつかり軍配が上がったのは―――。

 ―――夜叉であった。

 ブレードを弾かれ重心が後ろに移動し、体制が大きく崩された一夏。

 鬼神の腰に取り付けられているレール砲が一夏に向けられ、2つの砲門が火を噴く。咄嗟に左手1本で体をかばおうとする一夏。だが、それは意味をなさない。なぜなら、

 レール砲の銃口は雪片を持っている一夏の『右腕』であったからだ。

 以前の鬼一はそれに気付こうとしなかった。いや、気づいていたがそれから目を逸らし続けた。だが、今の鬼一はそれに目を向け、なんの躊躇いも実感もなく実行する。
 そもそも、鬼一からすればなんで『手間暇リスクをかけてシールドエネルギーを0にしなければならないのか』。それが理解不能だった。絶対防御の特性を考えればそんなことを行う必要なんてないからだ。
 絶対防御の最大の特徴は『操縦者の死亡を防ぐ』ことだ。操縦者本人の生命に関わる程の火力があれば、この機能が作動しシールドエネルギーを大きく削ることになる。だが現実問題、ほとんどのISは火力の問題、武装の問題、操縦者の技術の問題でそれを何度も実行するのは困難だ。つまり絶対防御を起動させずにシールドエネルギーを0にするのは時間がかかりすぎる。
 操縦者の死亡を防ぐ、極端な話、例えば心臓が潰される、頭が潰されるなどの即死に直結するとISが判断すれば起動することになる。もしくはダメージが蓄積されて救命措置が必要になった際に起動する。

 鬼一の結論、それは『すぐに生命に関わらない部分、手足の破壊』であった。手足を破壊して攻撃力を奪って自分の安全を確保する、攻撃力を奪ったら思考と体力のどちらかを奪う。攻撃力に思考と体力の内片方を奪ってしまえば、どれだけ機動力や防御力があってももはや達磨同然だ。
 そうして相手が抵抗できなくなって降伏するか、もしくはそれからリスクなくシールドエネルギーを0にすればいい。

 だが、大きな問題がある。

 どうやって破壊するか? 確かにISの機能で全ての衝撃や痛みをカットすることは出来ない。だが言い換えればカットされることで破壊を防ぐことができる。
 基本シールドエネルギーを削ることがメインのISの武装がほとんど、いや全てであり、操縦者に対するダメージに特化された武装など誰も使わない。いや、使えない。なぜならIS操縦者にISの機能を経由せず『直接』ダメージを与える装備は、競技規定違反に繋がるので利用できないのだ。

 だが鬼一はそこに目をつけた。

 そして今回レール砲に装填されている弾丸は通常のものではなく、操縦者に直接ダメージを与えることはできないが、カットされてなお通常よりも上回る肉体的ダメージを与える弾丸。そしてそれがISを経由してIS操縦者に撃たれたらどうなるか? 
 データ取り、という名目で渡されたこの弾丸を鬼一はただ保管していた。それを使うより他にすべきことがあったから。

 2つの弾丸の内1発が一夏の右腕、手首と肘の間に刺さる。

 ミシっ、と一夏の右腕から嫌な音がする。

 鬼一は知っている。

 想像を絶する痛みに直面したとき、生半可な集中や思考など紙切れのように吹き飛ぶことを身体で理解している。

 砲弾が直撃した一夏は大きく後ろに飛ばされるが、すぐにスラスターを展開して体制を立て直す。シールドエネルギーを確認してみたら多少削られていたが、絶対防御が発動したわけではないので大きく減っているわけではない。
 よし、まだやれる、と考えたのも束の間。

 人は理解できない痛みに直面したとき、最初それがなんなのかに気付かない。

「……っあっ、ぐぅ!?」

 鉄のハンマーか何かで思い切りぶっ叩かれたような鈍痛が右腕に走る。強い内出血が起きたのか大きく腫れ上がったそれを見て混乱する一夏。熱の塊が右腕で大暴れしているような熱さと一瞬、全ての思考を奪い去るほどの痛み。
 ぶるぶる、と雪片を握る指先が急激に震え始め、慌てて左手で雪片を支える。脂汗が顔面に吹き出る。あまりの痛みに涙が目尻に溢れる。
 
 ―――……なんだ、これ!? なにが、起きたんだ!?

 一夏は昨日のセシリア戦で、IS戦についてはなんとなく理解していた。IS戦で痛みや衝撃があることやいざというときにはシールドエネルギーを大きく削り、絶対防御が自分の身を守ってくれることを。
シールドエネルギーが少ししか減っていないのに痛みだけが大きく反映されている事実に、一夏は混乱を深める。あくまで絶対防御は生命を守る最後の防衛戦だということに気づかないから。
   
 痛みに苦しむ一夏のその様子を見て、鬼一は初めてこの戦いで攻撃に転じた。
 
「っ、くっ!?」

 反応を示すアラートが一夏の耳に飛び込んでくる。

 一夏が視線を自身の右腕から、正面に向けた時には夜叉を振りかぶった鬼一が眼前にまで来ていた。
 
 先ほどとまったく同じ表情で。

「くそ!」

 震え上がる心と身体にムチを打ち、全速力で態勢を立て直す。

 両腕で持ってはいるが実質左腕1本で持っている雪片で防御しようとし、レール砲の銃口の向きが視界に入った瞬間、とっさに雪片をもった左腕で右腕を庇った。先ほどの一撃が、脳裏にこびりついていた。

 だが、それこそが鬼一の狙いだった。

「……じゃあ、こっち」

 右腕を庇った一夏を見て、鬼一はそのまま夜叉を力任せに白式に叩きつける。
 今度は絶対防御が発動し大きくシールドエネルギーを削られてしまう一夏。

「ぐ、あああぁあっ!」

 地面目掛けて叩きつけられ、視界が反転し一直線に落下する。今度はスラスターの展開すら出来ずに地面に打ち付けられる。ズゥンっ、アリーナが衝撃に震える。

 一夏が地面に落下していくのを眺めていた鬼一は追撃に入らない。鬼一は追い詰められた際の最後の力がどれだけ脅威的か、過去の試合で身を持って知っている。だからリスクを背負わず少しずつ少しずつ削ることにした。

 鬼一は一夏がIS初心者、そして剣道に身を置いていたことがあるという事実を踏んだ上でこの戦術に『変更』した。

 剣道は両手で竹刀を持って行う武道である以上、片腕を封じられただけでも大きなハンデになることを利用したのだ。そして昨日のセシリア戦では、ほとんどが右腕での雪片弐型を使用だったので右腕を封じただけで、一夏は剣道や昨日のような戦いは出来ない。
 もし、これが織斑 千冬のようなスペシャリストなら右腕をなくそうが左手1本でも十分なパフォーマンスを維持しただろう。片腕が使えなくなった程度で戦えなくなる剣士が頂点を取れるはずもない。
 だが一夏はIS初心者である以上、左腕も右腕も同じように使えるはずがない。それを行うには長い時間をかけて鍛錬をしなければならないからだ。

『少しずつ攻撃力と選択肢を削り、状況を打開するための思考と体力をなくし、最後に心まで折ってしまえばどれだけの強者であろうが関係ない』

 そこまで行ってしまえば、人などただのゴミでしかない。 
 
 鬼が忌名で使われていた頃、鬼一はこの考え方で数多くのプレイヤーを潰してきたのだ。 

――――――――――――

 セシリアと楯無の2人が観客席の一番上で話していた。
 元々は楯無がセシリアに興味があったことと、鬼一という共通の知り合いがいたから話しかけてみた。
 2人は自己紹介をそこそこに、試合を見ていた。

「……織斑さんは迷いましたわね」

 ポツリ、と小さく語りかけるように呟く。

 その言葉に頷く楯無。

「鬼一くんは自分が初心者だと理解しているわ。だから膨大な情報から研究し、対策を構築する。でも一夏くんの情報が不足している以上、相手を観察してから試合を作るしかなかった」

「だけど、鬼一さんはそれを放棄しました」

 本来、様々な情報から対策を考え構築するはずの鬼一は少しでも多くの手札を持っていなければならない。多くの手札があればそれだけ選択肢が増え、対策に役立つからだ。

 だが今の鬼神には汎用性の高いミサイルポッドとライフルの2種類がなく、ブレードとレール砲しかない。

「つまり彼は一夏くんの土俵で戦うことを選択した。そこには多大のリスクがあるはずなのに」   

 単純なスペックで劣り、しかも純粋近接型に近接戦を挑むという一見無謀な戦い。

「鬼一さんの戦いはシールドエネルギーをゼロにする戦いではなく、無力化するという戦いですわ。それがブレードとレール砲を活かしたあの戦術ですわね」

「あの様子だと一夏くんの右腕にはかなりの痛みが走ったはずよ。それこそ頭によぎるほどに」

「でもそれが鬼一さんの対策ですわ。まずは危険な攻撃力を削り、痛みを利用して思考に迷いを抱かせること。思考に迷いが生じればパフォーマンスの低下にも繋がります」

「一夏くんはこれからこの試合を通して常に意識しなくてはいけないわ。自分の攻撃力を潰されることをね」

「でも、それは言い換えれば鬼一さんはそれだけ織斑さんの攻撃力を恐れていますわ」

 一夏の切り札である『零落白夜』の存在を鬼一は知らない。だから白式そのものの対策ではなく、一夏自体を封じる方向に走ったのだ。利き腕である右腕を破壊するという選択を。

「ぶっちゃけると一夏くんは闇雲に突っ込んで斬りかかるだけでも、鬼一くんにとってはかなり嫌なはずよ。それこそ、負けを覚悟させられるほどにね」

 どれだけ対策や研究を構築したところで鬼一はまだISに乗り始めて一夏ほどではないにしても、それでも技術的には十分初心者なのだ。だから、適当に突っ込まれるだけでも対応しきれない可能性は十分にあり得る。

「だから、最初の1回目の迎撃は必ず成功させなければいけなかった。そして彼は成功させたわ。これによって一夏くんに恐怖と迷いを抱かせ、自分はアドバンテージを獲得。一夏くんは仮にまぐれだと考えたとしてもそうは簡単に割り切れない以上、苦しい展開が続くことになるわね。だけど……」

「アドバンテージがあるとはいえ、鬼一さんには強烈なリスクが付き纏っていますわ。この戦い限定ではありますがどうしても大きな弱点があります」

 鬼一の戦いはあくまでも『攻撃力と選択肢を削る』戦いだ。そのおかげで鬼一自身は試合の主導権と一定の安全を得ることに成功している。が、

「鬼一くんの体力が持つかどうか……ね」

 2人の視線の先には墜落した一夏を眺める鬼一の姿。まだ試合が始まってからほとんど時間が経ってもいないし、激しい動きもしていない。にも関わらず息が上がっているし、顔にも汗が浮かんでおり、顎を伝って地面に汗が落ちるほどだ。ISの機能でコンディションをある程度整えられるにも関わらず、側から見ていても疲労していることが分かる。実際には見た目以上の疲労が鬼一の身体を襲っているのだろう。

「そうですわね……それにこの戦い方はどうしてもシールドエネルギーを削るのが難しいですし、絶対防御を発動させることが難しい以上、試合時間は長引きますわ」

 鬼一の攻撃が一夏の右腕に焦点が合っている以上、どうしても絶対防御を発動させるのは難しい。絶対防御を発動させることが難しいとシールドエネルギーをまとめて削ることは出来ない。必然的に試合は長引いてしまう。疲労の大きい鬼一には苦しい戦いになってしまう。ならば短期戦を行えばいいのだが、鬼一にそれを行うのはどうしても難しい判断になってしまうのだ。

「白式の正体が分からないまま短期戦を行うのは極めて微妙な判断になるわね。もし一夏くんが開き直って攻めてきたら、回避行動や防御も満足に出来ないまま負ける可能性もあるわ」

 鬼一が絶対防御を起動させて大きくシールドエネルギーを削るにはどうしても、夜叉を利用した近接戦を行う必要がある。今のレール砲では火力が足りないし、ミサイルポッドや羅刹では鬼一の技術を考慮した場合、白式に直撃させるのは困難なのだ。

「だから鬼一さんは自身の優位が確定しているときだけにしか攻撃を仕掛けようとしません。先ほどみたいに織斑さんに『防御や回避の選択をさせる』状況を作り上げて、一方的に自分が攻めることが出来る状態になるまで徹底的にリスクを抑えるつもりなのでしょう」

 鬼一が一夏に対しての最後の対策は『自分が常に攻撃の選択権を獲得し、相手に防御を強制的に迫る』、だ。それを実行するためには一夏の行動を後手に回させる必要が生まれる。そのために攻撃力を削り、思考の迷いを抱かせ、そして利用することで防御の選択をさせる。鬼一は人間が迷いを抱いた時、もしくは、痛みから逃れるために受身になりやすいことを理解している。そして迷いを抱いた時にそれを加速させてやれば人は混乱に陥るのも分かっている。思考を壊してしまえばもう後は詰み将棋だ。

 鬼一は一夏を警戒しつつ、呼吸を整えながら静かに地面に降りる。鬼一の視線の先には雪片弐型を杖にして立ち上がる一夏の姿。叩き落された衝撃が強かったのか首を左右に振って、意識を覚まそうとしている。その姿を確認した鬼一は笑みを深めて鬼火を全開で吹かす。黒い弾丸と化した鬼一は逆手に構えた夜叉で払うように振り抜く。そこにはただ、人を傷つける意志だけが存在した。

「……うっ!?」

 間一髪のところで防御に成功する一夏。ビリビリと痺れるような痛みが右腕を襲う。その痛みに表情が苦痛に歪み、悲鳴が体の底から溢れそうになる。
 グラリと揺れる身体。そして隙を逃さずレール砲が再度火を噴く。肘に撃ち込まれる楔。減少するシールドエネルギーなど気にもならない。人を壊す痛みだけが右腕から脳に伝達する。

「ああああああっ! っ……うぅ!」

 一夏の悲鳴がアリーナ内に木霊する。その悲痛な叫びはこの試合を観戦している女生徒たちの身体を震え上がらせるものだった。
 だがそんなことを気にせずに鬼一は笑ったまま追撃に移行する。その笑みは見ているものからすれば只々不気味で肌寒さを覚えさせた。

 力が入らなくなったのかブラン、と垂れ下がる晴れ上がった右腕。ダメージをカットされている以上、容易に折れたりはしないが、一夏はそれを気にしている時間はない。目の前には鬼が斬り込んできているのだ。残った左腕で雪片弐型を握りしめる。だが利き腕が思うように使えなくなった今、練習していない左腕だけで目前の相手を凌ぎ切ることは困難だ。今の鬼一は一夏の事情など知ったことではない。ルール内に則った手段で戦っているのだ。その結果、相手がケガを負ったとして今の鬼一からすれば何も感じることはない。故に全力で仕掛けてくる。

 ISには操縦者のコンディンションを整える機能があるが、それとて限度はある。時間が多少あれば右腕も充分使えるようになるだろう。だから鬼一はそんな時間も与えない。自分の優位を活かして一方的に攻め続ける。そして一夏を受身にさせることで、攻めるチャンスを与えない。

 絶対防御を発動させる一撃が一夏に襲いかかる。

「―――くぅっ!?」

 利き腕の右腕に比べて思うように操作できない左腕での防御。その様は稚拙の一言に尽きる。上から夜叉を叩きつけられ雪片弐型が左腕から離れて地面に突き刺さる。
 この瞬間を持って、一夏の攻撃力の無効化に成功した。そして一方的な戦いが始まる。

――――――――――――

 何度目か分からない鬼一の打突に絶対防御が発生し、紙切れみたいに吹き飛ばされる。もう身体に力が湧いてこなかった。抵抗しないでこのまま終わるまで嬲られるのだろうか―――。ブレードの一撃を避けると、ボディブローが腹部に打ち込まれる。

 「ごふっ!」

 耐え切れず吐きそうになる。いてえ、IS戦ってこんな痛いのかよ。チラリ、と右腕を見てみると、青く晴れ上がっていて本当に自分の腕なのかと思う。痛みを超えてもう痺れきっているから動いてくれない。
 俺は迂闊だったんだと思う。なんとなく近い距離での戦いはヤバイ、と思っていたけどそれは間違っていなかった。

 鬼一は最初から俺の右腕を使えないようにするために戦っていたんだ。俺は右利きだし剣道をしてたから、鬼一は何もさせないようにこうしたんだ。でもなんでだ鬼一? なんでお前はこんな人を傷つけるような形でしか戦えないんだ。

 ―――戦うということは大なり小なり傷つけ、傷つけられるということを。

 さっきの鬼一の言葉が頭から離れてくれない。それは今でもおかしいと思う。間違っていると思う。何かを助けるために戦うのに、どうして傷つけなくちゃいけないんだ。人に痛みを強いるなんておかしい。なんで最後まで傷つけない方法を探さなかったんだ鬼一。昨日だって、そして今もこれだけの力があるのになんでそんな形でしか使えないんだ。お前ならもっと別の方法があったんじゃないのか?

 暴力を振るわれたり、指を失ったことは本当に理不尽だし怒りだって覚える。俺だってそんなこと許せないよ。でもさ鬼一。俺よりも年下で痛みを、理不尽を知ったお前だからこそ他の誰にも真似できない、たった1つの方法を探して見つけることが出来たんじゃないのか? 誰も傷つけない方法だっていつか見つけられたんじゃないのか?

 痛みに痛みを返して、そうやってずっと繰り返していたら誰も喜ばないし、すげえ悲しい。それで守れたとしてもそんな自分に胸を張れるのかよ鬼一。

 無機質な笑みを浮かべた鬼一がブレードを逆手に持ち、勢いそのままに突っ込んでくる。薙ぎ払うように振るってくるブレードを飛んで避けようとしたが、それもダメだった。飛んだ瞬間、右足を鬼一が掴んでいたからだ。次の瞬間には思い切りアリーナの壁にぶん投げられていた。

 背中から叩きつけられてほんの数秒、呼吸が止まる。

「―――っ、が……はぁっ」

 さっきから頭痛がひどい。頭の中に鐘があるみたいだ。

 ―――その姉もあなたや他の何かを守るために自分を削って、数え切れないほどのものを犠牲にしてきたというのにそれからも目を背けようとするんですか? それなら織斑先生には心底同情しますよ。その痛みを家族に受け入れてもらえないなんて。

 違う。俺は千冬姉の為ならどんなことだってやれる。どんなことだって受け入れられる。そこまで考えて気づいてしまった。

 違う。千冬姉は確かに自分から何をしているか話さなかった。ISのことを話さなかったり俺が知ることも認めてくれなかった。千冬姉は知られることが怖かったんだ。自分が沢山のものを傷つけてなくしてしまったことを、俺の負い目にさせたくなかったんだ。

 ガリっ、と音を立てて歯が欠けた音が聞こえた

 違う。なんで俺は知ろうとしなかったんだ? 俺は知ろうと思えば知ることだって出来たはずだ。誰よりも一番近いところにいたのに。たった1人の家族なのに。千冬姉が隠したがっていることを、負い目になっていることを知ろうともせずに、その痛みを知ろうとせずに何が守るだ。

 そうか……。だから鬼一は怒ったんだ。あいつは家族がいないって言ってた。俺にしか出来ない方法で、誰も犠牲にせずに家族にしか出来ない方法で千冬姉を守れるかもしれないのに、それをしないことにもあいつは怒ったんだ。鬼一、悪い。お前からしたら口だけの、軽さしかない言葉だったと思う。気付けなかった俺がバカだったよ。

 だけどな、鬼一。

 あの時、俺が言った言葉は、俺なりに本気の、真剣な言葉だったんだ。千冬姉は守る、って。それだけは本物なんだ。それだけは間違いないんだ。お前が俺を安全圏にいる人間だって、そう言って俺の覚悟が軽いものにされたくないんだ。だから俺はお前と戦うよ。
もちろん、誰かを傷つけるなんて嫌だ。もしかしたら時には誰かを傷つけるかもしれない。だけど誰も傷つかない方法をこれからずっと俺は考えるよ。探し続けるよ。絶対に見つけるよ。必ずお前に示して見せる。そして自分が傷つくことを受け入れることはできるさ。千冬姉のことを思い出したら何も怖くない。
 動けなくなった右腕に感覚が蘇る。抵抗するのを諦めかけていた身体に熱が蘇る。空っぽだった心に光が差し込む。シールドエネルギーはもう200もない。あと数回くらいしか攻撃できないな。だけど、大丈夫だ。もう逃げることはない。こんな痛み、俺は怖くない。内側からハンマーで殴るような痛みがずっと続いている。でもこれからの戦いを考えたら些細なものだ。



 だから白式―――。

 
 ―――俺に力を、貸せ。

 
 ギュン、と音を立ててスラスターが俺に呼応する。鬼一が俺に止めを刺すために切り込んでくる。鬼一の何も宿っていない瞳を見ると身体が縮こまりそうになる。

「……ない」

 身体に宿った熱が膨れ上がる。心を照らす光がより一層輝きを増した。右腕で強く拳を握り締める。

「なにも……、ない」

 鬼一が目前にまで距離を詰めていた。このままだと斬られるんだろうな。不思議だ、あれだけ怖かったのに今は。

「なにも怖く、ないっ!」

 迫り来る鬼一の一撃を紙一重で避けて、鬼一の脇をすり抜けながら全力で雪片弐方に向かってスラスターを使う。突然やってきた衝撃に引っ張られる感覚があるけど、それも今は心地いい。

「……!?」

 見えないけど、この試合で初めて鬼一が驚いたような気がした。ピピっ、とセンサーにアラートが表示される。鬼一のレール砲にロックされたことが分かる。あれだけあの攻撃から逃げたかったのに、今は何も感じない。

 ガオン! と空気を切り裂く発射音が耳に飛び込んできた。でも、今は白式が俺に応えてくれる。

 背中のスラスターを静止させ、地面を蹴り上げる。グルリ、と足が上に頭が下にくるように身体を回転させる。鉄棒の逆上がりのように回る。視界には目を見開いて驚いている鬼一が入ってきた。そのまま回ると反対側の壁にレール砲の弾丸が着弾していた。

 着地なんて待っていられない。相手は鬼一なんだ。わざわざ着地なんてしたらあいつにチャンスを与えてしまう。それはダメだ。

 回っている途中でスラスターを使って、体勢が水平の状態で全身する。鬼一は俺に武器を与えたくないんだ。

 鬼一は零落白夜の存在を知らない。俺だってセシリアとの戦いのあとに聞いたんだ。知っているのはあの場にいた数人。でも鬼一は昨日の試合からきっと白式に、なにかあると考えたんだ。だから俺に攻撃の選択権を与えないように、右腕を壊しに来たんだ。

 突き刺さっている雪片弐型を右手で抜き取り、左手を地面に差し込みそれを軸にして回転して鬼一に向き直る。鬼一は鬼火を全開にして追いかけてきた。鬼一、らしくないぜ。

 両腕で雪片弐型を構えて、鬼一の一撃に真っ向から俺は迎え撃った。

――――――――――――

 先ほどまで不気味なまでに静寂していた観客席が一斉に湧き上がる。
 腕を振り上げ、席から立ち上がり声を張り上げる。2人の戦いの熱が観戦者にまで伝播し始めたのだ。

 鬼一の夜叉は刀身が折れ、長さは半分ほどになってしまった。ヒュンヒュン、と音を立てながら2人から離れた位置に落ちた。これではリーチの差で雪片弐型に挑むことは出来ない。自分が一方的に攻めるにはどうしてもある程度のリーチが必要だったというのに、それを失ってしまった。今よりも踏み込んで仕舞えば離脱するよりも先に『零落白夜』が待っている。そうすれば今の鬼一に回避することは出来ない。必然的に敗北が待っている。

 鬼一は零落白夜の存在を知らない。だがこの局面になって甘い読みは決してしない。雪片弐型から繰り出される一撃には決着をつけるほどの何かがあると。

「……状況が優位だった側はそれをひっくり返された時、勝ちを逃してしまった分、精神的な疲労もプレッシャーも半端なものじゃないわ。それはいくらメンタルの強い鬼一くんだって例外じゃない」

 口元を扇子で添えながら楯無は今の状況を冷静に分析する。

「この状況で勝敗が見えなくなるというのは、織斑さんには大きな希望となってパフォーマンスの向上に繋がりますわね。鬼一さんには今の疲労が更に大きなものとして跳ね返ってきますわ」

 一夏とのぶつかり合いで負け吹き飛ばされた鬼一は体勢を維持するのも辛いのか、右手に折れた夜叉を持ったまま左手を膝に置き身体を支えている。あまりにも激しい呼吸のせいか、遠目からでも身体が上下しているのが分かる。

 鬼一は大きな疲労からくるダメージがより一層の負担が全身にのしかかっていた。モノクロの世界は霞始め、遮断されていた音はノイズ混じりに脳内に響き渡る。脱水症状も起き始めたのか手足に力が入らず、痙攣症状も見え始めていた。
 だが、それ以上にこの局面になって再度対策を練りなおさなければならないこの状況に、精神が悲鳴を上げ始めていた。

 もう、一夏は痛みに恐れない。前に出ることに躊躇いを抱かないという事実、そして攻撃力が削られても最後まで攻めの姿勢は崩さない。

 ―――……それが、どうした。

 だが、それでも、鬼一の集中力は衰えない。

 この程度で崩れるような精神なら彼は、1つの世界の頂点に14歳という若さで立つことなどあり得ない。光を宿さない瞳はさらに黒く染まり、底なし沼のようなどこまでも飲み込んでしまいそうな恐怖を宿す。

「―――っ、ぐ、ぁあ!」

 ここまで執拗に攻められた右腕が激痛という形で一夏の身体に襲いかかる。だが、それにもう怯まない。勝つためには乗り越えなきゃいけない痛みなら、乗り越えると。そう雰囲気から伝わってくる。

 ―――負けねえ。

 一夏の気迫が鬼一の肌を焦がす。スラスターを吹かし鬼一に突撃を仕掛ける一夏。鬼一は幽鬼のようにユラリ、と立ち上がると折れた夜叉で迎え撃つ。

「ぐ、あぁああ!」

「……っ!」

 ガキィン、と2つのブレードがぶつかり合う。その衝撃に一夏は筋肉が断裂しそうな痛みを刻み込まれ、鬼一は疲労からブレードを支えることが出来ずに吹き飛ばされる。だが鬼一も勝てると思っていなかったからか、すぐに鬼火、スラスターを展開し勢いを利用して距離を取ろうとする。

 だが目の前の男はそれに食らいついた。

「うおおおおおおおっ!」

「……!?」

 全速力で再度踏み込んできた一夏は雪片弐型で鬼一を薙ぎ払う。
 かろうじて反応できた鬼一は夜叉でガードするが、あまりのパワーにぶっ飛ばされ、今度はスラスターを展開することも出来ずに壁に叩きつけられる。もはやスラスターを展開するだけの体力もないのか、そのままズルズルと地面に崩れ落ちる。

「通常よりもワンテンポ遅れる攻防。いつもの鬼一くんよりも動き出しが遅いわ……身体をコントロールできていないのよ。そんな状態ではタッチの差を競う近距離戦はあまりにも厳しい。必然的に勢いを利用して離脱を図るけど……」

「それを織斑さんに読まれて踏み込まれてしまっています……」

「……鬼一くんもあの様子だともう限界。まだシールドエネルギーそのものはリードしているけど、彼の未来のためにもこの試合はここまでよ」

 立ち上がった楯無はそのままピットに向かう。教師2人にこの試合を止めてもらうために。楯無のその言葉にセシリアは声を荒げる。

「お待ちくださいませ! まだあの人の戦いは終わっていませんわ!」

 セシリアの制止に楯無も苦い顔を隠せない。本人も理解しているのだ鬼一はそんなことを望んでいないと。IS学園で誰よりも近い位置で鬼一を見てきた楯無だからこそ、試合を止めることは只々心苦しかった。

「そうね、でも鬼一くんにはまだ次があるわ。今、ここで身体を壊してしまえば彼のためにもならない」

 だけど、と言葉を続ける。

「私はIS学園の長なのよ。私には壊れそうな生徒を止める義務と責任がある。そして、あの子の戦いも痛いほど理解しているわ。だけどあの子に恨まれたとしても、私はあの子が壊れるのを黙って眺めていられるほど、人間辞めていないわ」

「……っ!」

 その凄みさえ感じられるほどの発言に、セシリアは沈黙する。そして、絶望的な悲しさを宿して呟く。

「……鬼一さん、申し訳ありません。貴方の戦いを汚してしまいます」

 誰よりも近くで鬼一を見てきた楯無の気持ちは理解できる。そんな楯無が鬼一の戦いを汚してでも止める、というのはどれだけの葛藤があったのか。そして鬼一の戦いを身を持って知っているからこそ、自分に止める権利はないこともセシリアは理解している。

――――――――――――

 地面に両膝をつけた鬼一に悪魔の声が囁きかける。

 もう逃げちまえ、と。

 もう諦めてしまえ、と。

 もう戦うな、と。

 脳に酸素が回っていないのか思考が安定しない、常にブレているのような違和感。意識を強く保たねば今考えていたことが1秒後には忘れていそうな感じ。呼吸が強く荒れた状態が続いているせいか肺と心臓が今すぐにも爆発しそうだった。呼吸のせいか喉が痛く、唾液さえも止まらなかった。

 ポタ、ポタ、と唇から顎へ、そして地面へ唾液が流れ落ちていく。

 両手足の痙攣はより一層強くなり、身体が今すぐに休みたいと信号を上げ続ける。ここまで精神が肉体を支えていたがそれももう限界だった。満足に立ち上がることもできない。

 体力と精神がピークを迎え、集中を維持することさえ困難な状況。それでも鬼一は諦めない。みっともなくとも勝負に食らいつく。その先に勝利があることを信じて。

 いつだって、そうだった。

 何度も何度も似たような状況はあった。負けそうになり、挫けそうになり、立ち上がれなくなりそうになった。

 それでも、自分の心が否定し続けるのだ。

 まだやれる、と。

 まだ諦めるな、と。

 まだ戦える、と。

 鬼一の中に熱風が吹き荒れる。静かに鬼一は両目を開く。

 其処に見えていたのは、かつての、自分が全てを賭けて挑んだあの世界。

 地面を揺るがすほどの大歓声。

 肌を焦がすようなスポットライトの熱。

 身体を震わすほどの人々の情熱。

 対戦相手のプレッシャー。

 そこに立つまでにどれだけのものを切り捨ててきたのか。どれだけのものを守れたのか。今でも鬼一はそれは分からない。だけど、決してそれは胸を張れるものであったと思う。正しかったのか、間違っていたのか、そんなことは重要じゃない。『後悔だけはしない』。それだけが重要なのだ。後悔をしてしまえば自分はもう、あの世界を思うことも許されないだろう。ただ後悔をしないためにも全力で戦った。

 そして今も、これからも、たくさんのものを犠牲にして戦う。

 もしかしたら守れるのはとてもちっぽけなものなのかもしれない。

 もしかしたら無意味なのかもしれない。

 もしかしたら何も守れないかもしれない。

 それでも、後悔をしてしまえば、今まで犠牲にしてきた、捨ててきたものを、否定することになってしまう。その程度のものだったのかと。

 そして最初から最後まで、自分の意思で戦い、自分の意思で傷つけることを決めたのだ。自分の意思で逃げることも許されないところまで来た。

 あの世界で信じたこと、感じたことは誰にも否定させない。否定させちゃいけない。

 あの世界は鬼一にとって『戦いであり救い』だから。

 だから『勝ち続けなくちゃいけないんだ』。そう鬼一は思う。

 いつかはどうしようもない、どれだけ足掻いても覆せない致命的な敗北が来ることも予感している。

 その時が鬼一にとって、戦いという長い旅路の終着点だろう。

 でも、今はその終着点ではないと否定する。

 壇上の真ん中に立っていた鬼一は静かに歩き出す。

 歩き出した鬼一の背中に声がかけられる。

 ―――もう、大丈夫? もう一度歩けるかい?

 聞きなれた人たちの声が重なって聞こえた。

 もう、あの場所で会うことのない人たち。

 その悲しさに涙が溢れる。そしてその言葉に力が湧いてくる。

 鬼一は声に出さずに心で答える。

 ―――はい。また歩きます。僕は、戦います。最後まで―――

 最後の言葉が出てくる前に、鬼一は今に戻ってきていた。

――――――――――――

 立ち上がった僕は真っ白な世界に包まれていた。風景も、空も、太陽も、何もない、足元すら何もない世界に鬼神を纏った状態でただ立っていた。身体は限界だと叫んでいる。痛みはピークを超えたのか、逆になにも感じなくなっていた。人として失ってはいけないものをどんどん欠けていくような気がする。

 僕は、何をしているんだ?  僕は、なんだ?

 どんなものよりも大切な世界があったような気がする。代え難い大切な人たちが声をかけてくれたような気がした。何か大切なものを忘れているような気がする。ただ心だけが張り裂けるような悲鳴だけが聞こえた。

 ―――負けられない、勝ちたい。

 ……そうだ。僕は負けたくないんだ。勝ちたいんだ。でも、何にだ?

 パキリ、と心が欠けたような気がした。大切な場所が静かに消えた。いや、大切な場所とはなんだったのか。そんなことも思い出せない。戦うということを教えてくれて、僕が何かを誓った場所だったとは思う。でも、僕は何を誓ったんだ? それは僕の信じた、信念のようなものじゃなかったか?

 痛い、何も痛くないのに、とても痛い。怖くて、不安で、大声で叫びたくなる。僕は、僕自身が、怖く感じる。僕は、この世界にいたら、きっと殺されてしまう。どんどん欠け落ちていく。それを拾い集めることが出来ない。

 身体なんて、どうでもいい。そんなことをして―――ことはない。だから身体が殺されるのは、どうだっていい。

 だから、恐ろしいのは、なによりも怖いのはたった1つなんだ。

 この身体がバラバラに壊れることなんてよりも、それよりも速く、僕が、僕がいられるための、たった1つの心が壊れて、終わってしまうことが、耐えられない。

「―――嫌だ。嫌、だよ」

 こん な痛みに耐えられるはずがない。きっと何もかも判らなくなって、僕が信じた全てを、僕が得てきたもの全てを、僕が失ってきたもの全てを、僕が傷つけ壊してきたもの全てを、何もかも判らなくなってしまうのか。そんなことは許されないのに?

 判らなくなって、あの世界での全てが思い出せなくなるのか。いや、あの世界ってなんなんだ。

 怖い。その怖さから逃げ出したくなる。でも身体は動いてくれない。心が否定する。

 自分の声が聞こえた。暗く、重く、腹の底に響き渡るような声だった。

 ―――お前は、ここを何度も歩いてきたんだろう?

 パキリ、再び心が割れた。その痛みに、心が崩れ落ちそうに なる。

 ……僕の中にある、ここは正気の沙汰とは思えない。

 心が痛みに耐えかね、僕が壊れてしまったら、どうなるんだろう?

 いや、この痛みと恐怖はこの世界が有り続ける限り、ずっと続くはず。

 ここは僕を殺す、悪夢のような場所だ。それがわかってしまう。

 さっきの声とは別に、感情のある、生身のある声だった。これも、僕の声だ。

 ―――じゃあ、なんでそこまで判っていて、この世界を残していたんです?

 早く、無くしてしまえばいい。

 きっとそう思ったことは1度や2度ではないはず。そう思いながら今も、ここまで残した理由は1つしか 考えられない。

 この世界は僕にとって必要なものであり、使われる為に存在し続け、僕に託したんだ。僕は僕自身に追い詰められ、裁かれる。でも、何に裁かれるんだ?

「―――うるさい」

 今度は僕自身の言葉だ。ブチリ、と口の中で嫌な音がした。

 自分を傷つけ、多くのものを捨てて走ってきた。

 それでも絶対に譲れないモノがあり、この世界はその為に在り続けてくれた。

「……もういい―――それだけで、もう、充分だ」

 カラン、と音を立てて心の破片が落ちた。

 視線を上げると2人の僕がいた。

 勝負の世界を遵守して いた『今』の僕と、そして忌名である僕の2人。……じゃあ、ここにいる僕はなんだ?

 2人はそれぞれ身体をどけ、今の僕は左手で、忌名の僕は右手で、道を指し示してくれる。

 それに縋るように1歩を踏み出そうとする。さっきまで身体は動いてくれなかったのに、今度はスムーズに動いてくれた。身体がすごい軽い。

 挑むように深呼吸をして、大地を踏み砕くようにして、最初の1歩を踏み出した。

 この1歩が、僕を崩壊させた。

 白い世界は崩れ落ち、2人の僕はそのまま奈落の底へ飲み込まれていった。2人は最後に何かを呟いていた。

 ―――あの2人は、勝て、と言わなかったか?

 自分の存在を燃やしかねないほどの業火。圧倒的な熱量が僕を焼き殺そうとした。人どころかあらゆる生命の存在を拒否する炎が僕に纏わりつく。あまりの熱量に鬼神も僕も焼き尽くされそうだ。

 全身が燃え尽きそうになる。

 足は燃え尽き、灰になりつつある。

 腕は皮が焼け、肉が焼け、骨が見えそうになる。

 胴体はもう内蔵なんて全部お陀仏になっているだろう。

 それに痛みなんてなかった。痛みを感じる必要なんてなかった。

 燃え尽きる。

 抵抗することなんて許されない。

 2人に導かれて踏み出したんだ。先に進まないといけないのに 、思うように進めない。

 視界が赤く染まる。前に進む。

 思考なんて必要ない。ただ前に進む。
 
 身体がどうなってもいい。がむしゃらに進む。

 心が少しずつ砕け始める。ひたすらに僕の戦う場所へ。

 それでも『勝つ、負ける』ことに比べれば些細なこと。この炎を超えて、あの世界へ。

 赤く燃えていた視界が何も映さなくなる。食いしばるために力をいれていた顎に感覚がなくなる。肺も喉も燃えてしまったのか、呼吸さえも出来ない。

「―――ふざ、けるな」

 光を映さなくなった視界に光が戻る。炎に焼かれていた身体が炎を飲み込む。炎を宿した身体はその熱量を武器にして。

 たった1つの思いを胸に、渾身の力で踏破した。

――――――――――――

 アリーナに舞い戻る。炎はなくなっていた。白黒のモノクロの世界から色鮮やかな世界に切り替わる。その情報量に頭がパンクしそうだ。視界には僕の対戦相手が立っていた。敵まで約30メートル。白式、鬼神の速度なら2秒もいるまい。

 思考が冴えている。己の状況は把握出来ている。身体的疲労は限界を超え、強制的にシャットダウンされるまで残り2分弱。シールドエネルギー残量435。ミサイルポッド及び羅刹は使用不可。レール砲は残弾4、熱暴走の危険有り。夜叉は刀身が折れ、半分になっている。鬼手は使用可能。『単一使用能力』は条件を満たしていないため使用不可。それに伴い特殊兵装『百鬼』も使用不可。鬼火リミッター解除。全スラスターを強制解放。制御は鬼神に受任。それに伴い身体的負荷は全て無視する。

 敵のシールドエネルギーは残り推定200前後。絶対防御約2回で終了。右腕の無力化には失敗。雪片弐型健在。能力は未だ不明。だが、試合を終わらせることの出来る危険性有り。斬られれば即座に敗北。疲労によるパフォーマンス低下は無し。精神の回復に伴い集中が深まっていると判断。

 己と敵の状態、五感を通じて入ってくる多種多様な莫大な情報量。五感が冴え渡っているせいか、敵の呼吸、筋肉の軋む音まで聞こえてくる。その情報量から脳がフル回転し、様々なバリエーションに富む戦術が脳内を駆け巡る。

 目の前の事象に全てで集中する。胸が躍る。湧き上がる衝動を言葉に乗せる。

 状況は限りなく危険。経験した戦いの中でも指折りの不利な事態。

 だが、それさえも打ち壊して見せよう。それくらいのことができなくては、鬼などと呼ばれることはなかった。

「……負けない」

 ここは終着点ではない。まだオレは歩いている途中なんだ。こんなところで敗れている場合じゃない。

 邪魔だ。立ち塞がる奴はなんであろうとねじ伏せる。お前も所詮、オレの前で屈することしか出来ない。

「オレは負けないっ!!」

 証明してやる。ただ勝つことで証明してみせる。

――――――――――――

「オレは負けないっ!!」

 鬼一の裂帛の気合が込められたその声はアリーナを震わせる。その意志が痛いほど伝わる。絶対に敗北しないという意志が。

 一夏はその気迫に飲み込まれそうになった。今の鬼一から先ほどとは違って、不気味さから来る恐怖が消え去り、寒気と鳥肌を立たせるほどの圧力が全身にのしかかってくる。一夏は自然と右足を1歩下がらせていた。

 それは一夏の直感だった。なにかを考えていたわけではない。ただ、自分のいる場所は鬼一の『間合い』だということに気づいた。

「―――っ!?」

 気がついたら自分の頭があったところを鬼一の夜叉が通り抜けていた。文字通り見えなかった。反応すらも出来なかった。ただ怖かったから全速力で左に飛んでいた。そしたら避けていただけのことだった。

 夜叉を振り抜いた鬼一と視線が交差する。冷たい炎を宿した瞳。全速力で回避した一夏は体勢を立て直して、鬼一に構えようとして一呼吸ついた。その瞬間。

「な―――っ!?」

 呼吸をついた瞬間、既に鬼一が眼前に迫っていた。驚愕している場合じゃない、今は全力で―――!

 鬼一を迎撃するために雪片弐型を振り下ろす。だが鬼一は既にいない。まるで一夏の一撃を読みきったかのように避けていたからだ。

 混乱する一夏。再度迎撃することもできず、折れた夜叉の一撃を胸部に打ち込まれる。身体が浮き上がる一夏。そしてその致命的な隙を見逃すほど、鬼一は微温い相手でもない。レール砲が一夏の胸部に叩き込まれる。

「がぁっ!?」

 絶対防御が発動し後方に吹き飛ばされる一夏。夜叉の一撃に加えてレール砲の2発をほぼゼロ距離で撃たれたのだ。当然生命を守るために絶対防御が起動する。しかも弾丸は特殊仕様であるため、一夏の右腕を襲った痛みが胸を突き刺す。しかも2発分だ。その痛みは筆舌し難いだろう。

 まさしく神速の踏み込み。このアリーナ内で一体どれだけの人間が鬼一の引き起こした離れ業を理解したのだろうか。一夏だって鬼一を警戒していたのだ。にも関わらず、一夏の反応を凌駕するほどの踏み込み。ただのイグニッションブーストでは起こりえない偉業。

「……スラスター、鬼火のリミッター解除ですって……!?」

 目の前の現実を否定したいのか信じ難い声色で驚愕の言葉を漏らす楯無。その言葉で理解し、自分の体をかばうように抱きしめるセシリア。その行動からどれだけの危険が伴うのか分かってしまったからだ。

 鬼神に搭載されているスラスター、鬼火は12門の大型スラスターから構成される4枚のカスタムウイングと、そして旋回性能、機動性能の大幅な向上を実現するために肩・腰・手・足にそれぞれ取り付けられている合計8つの小型スラスターの総称を鬼火という。そこから生まれる機動性能は半端なものではない。単純な機動性能、鬼火の2枚のカスタムウイングで標準的なISの機動性能と同等なのだ。4枚ということは単純に倍以上、更に小型スラスターを含めればもはや予測不可能な機動性能を獲得できる。

 だが、その膨大な機動力を鬼一が扱うことは出来ない。技術的な問題も少なからずあるが、一番は身体の問題だ。鬼一はまだ14歳であり、しかもIS利用のための身体作りも満足に出来ていないのだ。如何にISの機能である程度負担を軽減出来ていても、下手をすれば大怪我に繋がりかねない。故に、鬼一の成長に沿って少しずつ解除してコントロールしてもらうつもりだった。

 当然、鬼一も開発者も危険性を理解している。だからリミッターをかけていたのだ。オート機能で最低限の機動を制御し、2枚のカスタムウイングと4つの小型スラスター以上はコントロール出来ないようになっていた。

 この段階での機動力では一夏の白式のほうが上回っている。だが、全てのスラスターのリミッターを解除すれば白式の機動力を以てしても食い下がることは許さない。その気になれば最先端軍用ISとも張り合える。それだけの機動力さえあれば、生半可な反応などあってないようなものだ。

 しかし、それはあくまでも操縦者の危険性を顧みなければのことだ。ボロボロの鬼一の身体にリミッター解除は到底耐えることはできない。つまり―――。

 ―――『死』が待っていてもなんの不思議でもないのだ。

 鬼一からすればそんな心配などいらなかった。鬼一の心は既に目の前の敵に焦点が合わさっている。故に考えることは敵の絶殺のみである。そしてその先にある『勝利』のことしか考えられない。試合で迷うことなどありえない。答えは既に出ているのだ。ならば、その答えに到達するために死力を尽くすだけのこと。

 そして楯無とセシリアからすれば、そんな愚行を見逃すことはできない。全力で鬼一を食い止める。楯無からすれば苦悩の果ての責任感。セシリアからすれば両親の死と並ぶ、理解者、友人の死。鬼一から恨まれるかもしれない。だがそれは絶対にあってはならないことなのだ。

 楯無が管制塔に目を向ける。こんな状況、気がついていたら千冬も真耶も止める。だが2人は管制塔のモニターで状況を確認しているのだ。実際に見るよりもモニターに映し出されている情報の方が少ないのだ。鬼一の行動に気づいていないことだって考えられる。それに気づいた楯無は全力で駆け出そうとした。ここからでは管制塔に連絡出来ない。ならば直接向かうしか方法はない。楯無は駆け出そうとして、自分の足が動かないことに気づいた。セシリアも自分の身体が動かせない。

 2人の視線はアリーナ中央に注がれる。鬼一から発せられる何かが2人をそこに留まらせた。この2人が動けるようになるのはこの戦いが終わってからとなる。

 そんな2人を余所に、鬼一と一夏の戦いは続く。

 リミッター解除した鬼火から青みがかった紫色のブーストが噴出される。鬼一が高速で動くたびに紫が尾を引く。通常のISでは決して行えない挙動。この尾がユラリユラリと揺れるたびに一夏は、視線で追いかけるがそこには鬼神の姿はなく、気がつけば踏み込まれている。

「く、っそぉおおぉおっ!」

 零落白夜を起動した一撃が鬼一に振られる。

 右から左への一閃。鬼一ではどうしようもない不可避の一撃。

 避けることはできない。だが、『軌道』をズラすことはできる。

 鬼一の左足が振り上げられる。その蹴りは一夏の指先を穿つ。強引に軌道を変えられた一撃はそのまま鬼一の鼻先を過ぎていく。

「っ!?」

 鬼一と一夏の視線が交差する。

 片や、勝利をもぎ取るために全てを犠牲に出来る者。

 片や、唯一の家族を守るために剣を握ることを覚悟した者。

 まったく違う2人だが、胸に宿る答えはただ一つ。

 ―――勝つんだ!

 ―――俺は負けねえ、勝ってみせる!

 互いが互いにこの戦いから退くことは出来ない。ただ、目の前にいる敵を倒すことに全てを注ぐ。

 足に取り付けられた小型スラスターが火を噴き、振り上げられた左足が強引に軌道を変更され一夏の右側頭部を打ち抜く。揺さぶられる脳。ブラックアウトしかける意識はISの保護機能と、受けた痛みを超える気合いで無理矢理支える。

 ブレる視界を気にせずに一夏は迷わず後ろに飛ぶ。今の鬼一は明らかに先程と違うことを身を持って知ったからだ。そして一夏自身も自分が限界に近いというのを悟った。鬼一のそれとは違って直感的ではあったが。

 一夏自身もほとんど気づいていなかったが、鬼一によって様々な形で体力を消耗させられていたのだ。

 序盤の鬼一の不気味さから来る恐怖。それにより精神と集中力を削られ、不必要に体力を使わされてしまい、レール砲の砲撃による激痛がスタミナを蝕んだ。

 中盤は鬼一の猛攻を受け続け、そこからの逆襲で鬼一を削ることも出来たが自身の体力も削ることになった。

 そしてこの最終局面。鬼と化した鬼一の膨れ上がったプレッシャーに挑むこともそうだったが、セシリア戦と違って体力と集中力を問われる近接戦が多くなることで、更にスタミナを削られた。

 鬼火を展開した鬼一は、一夏を逃さんと言わんばかりに襲いかかろうとした。ポテンシャルが全て引き出された今、鬼一は先手を取り続ける自信がある。一夏の呼吸と顔色から心理を読み取り、筋肉と骨格の軋む音さえも感じ取れる今、一夏の行動を全て『先読み』出来る。

 鬼一のいたe-Sportsでは電脳世界を通じて、モニターの向こう側の相手の心理を読み取っていた。だが、直接顔を合わせて戦っている今、より深く鮮明な情報を得ることが出来た。これが鬼一の先読みを強く支えていた。

「っ!」

 だが、一夏のセンスは鬼一の神がかった力を嘲笑う。

 鬼一と違い戦いにおける経験値が圧倒的に不足している一夏は、自分と相手の状況を客観視できないため、戦術と対策を組み上げることはできない。だから感覚的に感じ取った情報から大雑把に答えを導き出す。

 極めて厄介なことにその大雑把な答えは、


 ―――正解なのだ。


 離脱した一夏を見て、鬼一は追撃を断念した。残り2発のレール砲を直撃させることは難しいと判断し、そして前に踏み出そうとした右足が崩れ落ちそうになったため、鬼一も後ろに離脱する。

 疲労はあくまで誤魔化しているだけであり、決して無くならない。今の鬼一が出来ることは、疲労をこれ以上相手に悟られないようにするだけだ。悟られたらそれこそ敗北に直結する。

 ―――なら、その疲労を補えばいいだけのこと。

 距離を空けた両者は深く、深く、落ち着くように深呼吸する。

 両目を見開いた一夏は全速力で斬り込む。白い流星と化した白式を見て、鬼一もそれに受けて立つ。これからどう試合が動こうが、時間が無くなっていくたびに鬼一の勝率は無くなっていくのだ。

 故に、鬼一は速攻に全てを託す。自分の感性と読み、そして相棒である鬼神を信じて。

 だが、シンプルな考えに対して余計な意識は削ぎ落とされ、動きのパフォーマンスを向上させる。

 時としてそれは、神業、と言われるものを生み出すほどに。

 正眼に構えて突進してくる一夏に対して、鬼一は折れた夜叉を全力で―――。


 ―――投擲した。


「うっ!?」

 最大速度に到達した一夏にそれを回避することは出来ない。直撃したところで絶対防御が発動するわけではないのだが、IS初心者の一夏は咄嗟にそれを迎撃してしまった。しかもせっかくの速度を落としてしまった。

 それが地獄の十三階段だと気付かずに。

 キィン、と甲高い音を立てて上に打ち上げられる夜叉。

 打ち上げた夜叉を目で追った一夏は視線を正面に戻す。

 そこには全ての鬼火を展開し、突貫してくる鬼神の姿。

「おおおおおおおっ!」

 切り上げていた雪片弐型の刃を返し、全ての力を込めて振り下ろす。

 一夏の気合を全身に浴びても決して怯むことなくその一撃に飛び込む。

 ―――そして鬼一は奇跡を起こす。

「……え?」

 一夏は目の前の出来事を信じられず、意識が凍りつく。

 零落白夜を受ければどんなISだろうと問答無用でシールドエネルギーを削りきり、行動不能にする。


 じゃあ、なぜ目の前のISは未だに起動し続けているのか―――!


 雪片弐型に宿っていたエネルギーが離散する。

 無力化武装『鬼手』。

 鬼一はこの土壇場で、刹那にも満たない時間でタイミングを合わせて雪片弐型の一撃の無力化を成功させた。

 鬼一の両手、その掌で雪片弐型を挟んでいる。所謂真剣白刃取りを鬼一は行った。

 ピピっ、と白式からアラートが伝わる。レール砲にロックされる音。

「―――っ!」

 一夏は離脱するために雪片弐型を抜こうとするが、鬼一は強く握りしめて離さないようにする。

 レール砲が火を吹く。

「っ!?」

 鬼一は思わず舌打ちが漏れそうになった。

 目の前にいる敵はどれだけ食い下がってくるのか。

 一夏は自分の唯一の武器である雪片弐型を手放して、レール砲の射線から身を投げ出したのだ。しかも身を投げ出すために鬼一の腹部を蹴り飛ばすというオマケつき。

 蹴り飛ばされた際に照準が大きく狂いあらぬ方向に着弾する。

 蹴り飛ばされた鬼一は雪片弐型を手放してしまい地面に落とす。鬼火を展開し態勢を整える。空中を舞っていた夜叉が落下し、それを左手でキャッチする。

 一夏も態勢を崩していたが鬼一が離れたのを確認し、雪片弐型を素早く回収する。

 だが、鬼一の目的は達成した。

 鬼一が起こした神業にセシリアは額から汗が滑り落ち、楯無は呆然と呟いた。

「……信じられない」

 そして観客席がその技に応えるかのように爆発した。アリーナを押しつぶしかねないほどの驚愕混じりの歓声が鬼一と一夏の全身に降り注ぐ。だが、それは決して嫌悪感のあるものではない。もはや性別など関係ない。ただ、目の前の戦いが自分たちを興奮に駆り立てた。

 鬼一への声援が大きくなる。

 鬼一は知っている。観客の力を。

 鬼一は知っている。そこから生み出される力を。

 鬼一は知っている。失った体力を一時回復させる力があることを。

 管制室から試合を見ていた千冬がつぶやく。

「……観客を味方につける、というのは想像以上に侮れない。しかし、こんな方法があるとはな……」

 かつて千冬もこれを体験したことがある。

 自分にとって空気が悪い、雰囲気が自分の敵だと少なからずメンタルに影響が出るし、それが原因でパフォーマンスの低下になる。逆に自分にとっての声援が増え、雰囲気が良くなれば確実にプレイヤーのテンションは上がる。

 それは一部とはいえ失ったスタミナを埋めるほどの力を発揮する。

 千冬も何度も体験したことあるが、鬼一のそれとは違う。千冬のは結果的に生まれたものに対して、鬼一は自分で意図して作り上げた。千冬は考えもしなかった。観客を利用して自分の力にするなど。

「観客を利用する、なんて発想普通出てきませんよ……」

 呆然とした面持ちで呟く麻耶。

 同じ世界王者ではあるが、鬼一と千冬では勝負してきた数も質も大きく異なる。ISではモンドクロッソのような世界大会と複数の部門が存在するが、だがそれは3年に1度だけだ。モンドクロッソとは違う別の公式戦も存在するが、ISの歴史の浅さと相まって決して数は多くない。しかもISは女性なら乗れる、ということから勘違いを起こしやすいが実際にISに乗れる、乗ろうとするのは一部の人間である以上、競技人口も限られてくる。ISの数も限られていることから敷居が極めて高い。

 それとは対照的にe-Sportsは参加するための敷居が低い。男女年齢問わず環境を用意するための初期費用、もしくは実際にプレイするためには料金があれば誰でも出来る。という手軽さもそうだがプロゲーマーの普及に伴って競技人口が爆発的に増えた今、数多くの世界大会が存在するし、性別も年齢も関係ないから様々な人間がいる。世界各地を転戦していた鬼一は、1つの大会に参加するたびに環境に振り回されその国ならではの特色に苦しめられたことは1度や2度ではない。そんなハンデを背負わされた鬼一が勝つために出した結論の1つが『観客』を意図して味方につけることだ。どれだけ環境が変わろうとも必ず観客は存在する。その観客を利用することで自身のパフォーマンスを向上させる、という技術を身に付けたのだ。数多くの逆転劇を生み出してきた鬼一の原動力でもある。

 常にトップとして独走状態のまま戦った千冬。

 常に劣勢からスタートし、何らかのハンデや未熟さを抱えたまま戦った鬼一。

 成長の余地、改善の余地が多く残されているかなど考える必要もない。そして鬼一はそれから目を逸らさなかった。

 結果として月夜 鬼一という存在は14歳という若さで百戦錬磨の手練れのような狡猾さを手に入れることに成功した。

 勝負する世界が変わっても勝負という土俵である以上、鬼一の強さは様々な形で発揮される。ISも例外ではない。

 体力が一時的に回復した鬼一に対し、一夏は自分の身体が重くなるのを実感する。呼吸が浅くなり、汗が吹き出る。この状況がどれだけ自分に悪影響を与えているのか一夏は理解していない、いや、理解できない。

 どれだけ才能があろうが、体力と経験値、そして自分にとって異常な雰囲気を跳ね返すだけの精神的な強さは決してすぐに手に入れることは出来ない。相手が1人だけなら一夏はどうにでもなっただろう。だがここにきて自身の意識の一部を、観客から生み出される何かに削らなくてはならない。

 精神的な意味合いを含めても鬼一からすれば自分の有利ではないと分析する。

 結局、どれだけ追い詰めても一撃をもらえばそこで決着の可能性がある以上、鬼一は有利を獲得することは出来ない。

 単純に考えれば、未だ拡張領域に保管しているミサイルポッドや羅刹を取り出せば表面的な有利は獲得できる。

 中距離、遠距離で使用できる武器は一夏の白式と致命的なまでに相性が悪い。鬼一の技術的な問題を考えても使用すれば鬼一は安全に攻撃をすることができるのだ。命中率は低いがそれであっさりと勝利するかもしれない。

 だが、鬼一は選択しない。いや、選択できないのだ。

 確かに安全に攻撃できるというのは極めて魅力的だ。しかし、鬼一からすればこれだけお互いの対応と反応が極まっている状態で安全策に走れば、一瞬で敗北に転落することになるだろう。

 故に、鬼一の戦術は変わらない。僅かとは言え体力が回復したアドバンテージを活かして余力のある今のうちに速攻で決める。それしかない。自分と鬼神を信じて、身を投げ出すしかない。左手に持った折れた夜叉を逆手に構える。

 呼吸が苦しそうな一夏も正眼に構える。どうやら同じ結論に到達したようだ。

 歓声の中、2人の視線がぶつかる。

 そのあまりの緊張感に観客席が静まり返る。全員が感づいた。

 
 ―――次で、この戦いが終わるのだと。


 静寂に包まれたアリーナで鬼一と一夏の乱れ切った呼吸だけが反響する。

「っ!!」

「うおおおおおおっ!!」  

 一瞬で最高速度にまで加速した2人は互いの間合いに踏み込む。

 上段から振り下ろされる雪片弐型。

 左から右へと薙ぎ払われる夜叉。

 どちらも紛うことなく必殺の一撃。

 零落白夜が鬼一の左肩に叩き込まれる。一瞬でシールドエネルギーが0にまで削られそうになる。

 それに対して鬼一の夜叉はまだ届かない。敗北が見えた。

 だが一瞬という極めて短い時間があれば、それだけで充分。

 さらに踏み込んだ鬼一の一撃が一夏に炸裂する。絶対防御が発動し僅かに残っていたシールドエネルギーが消費される。

 互いの一撃が交差し、2人は勢いを殺せずに体勢を崩しそのまま地面を転がる。シールドエネルギーが0になった2人にはどうしようもなく、そのまま意識を失い転げ回り、勢いを殺して最後には反対側の壁に身を預けることになった。

 そして、アナウンスがアリーナに響く。


『試合終了。両者、同時にシールドエネルギー0につき、引き分けとする』


 意識を失った2人にはその声は届いていなかった。

 そのアナウンスで身体が動くようになった楯無とセシリアは急いで駆け出した。鬼一の身を案じて。
 
 

 
後書き
 次回は番外編になります。ハーメルン時代では上げていないお話なのでアップまでに少々時間かかりそうです。 
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