世界最年少のプロゲーマーが女性の世界に
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外伝1 国別対抗戦予選リーグ編 1話
前書き
外伝なので過去編です。本編、というか鬼一に関するお話なのですが外伝なので特に読まなくても問題ないと言えばないです。鬼一くんを理解するためのヒントがある、だけのお話とも言えますので。
「随分と調子が良さそうじゃないキーチ」
独特のイントネーションで呼ばれた少年は、白と青のラインが入ったパーカーのフードを被ったまま振り返った。そのフードの背中には小さく『TEAM Arc Catz』とロゴが入っている。
キーチと呼んだ女性は少年に比べて背丈が大きく、女性の身長は170を超えており細くはあるが均整の取れた肉体であるためか中性的に感じさせる。腰ほどまである長髪は首元でシュシュで纏めていた。
「……別にそんなことありませんよアヤネさん」
キーチと呼ばれた少年、鬼一は淡々と感情を感じさせない声色で背後から声をかけてきた女性に応答する。
少年と同じように白と青のラインが入りチーム名が刻まれたパーカーを羽織ったアヤネは、少年のその色のない言葉に困ったように笑う。久方ぶりに会ったというのに可愛げのない弟分をどうしてやろうかと首を傾げる。
「子供の時からそんな不景気なツラしてるとこの後シンドイよ? まぁ、それはいいわ。どう? そっちは無事に予選抜けられそう?」
アヤネ自身、鬼一の成績はよく理解している。低迷していたこの弟分がようやく少しずつ浮上してきたのだ。自然とその内容を目を追っかけるのは当然のことだった。
ただこの弟分はなにかしら喋っていないとどこかに姿を消してしまうから、引き止めるために適当な話題を振っただけだ。純粋にお喋りしたいという思いもあったからだが。
鬼一はその言葉にアヤネから視線を切って無言のまま1点を指差す。その指先にはこの予選の成績を表示している電灯掲示板があった。
「……ふーん、そっちのリーグはあの天才さんとキーチの2強の世界みたいね。次の最終戦で勝った方が決勝リーグ、か」
今年度から新しく始まった、過去の大会と比べても一際規模の大きいこの大会、国別対抗戦。世界各国で火蓋を切った予選リーグは熾烈を極めている。
日本だけでも2000人以上参加しており、ツアーポイント上位者は予選トーナメントを無条件で突破し2次予選であるこの予選リーグからスタートなる。アヤネもその1人だ。しかし鬼一はまだポイントをほとんど獲得できていない。その事実だけでも鬼一の成績が振るっていないのは間違いなかった。
しかし、1500名以上で繰り広げられた1次予選トーナメントを突破して、この2次予選リーグでも現在全勝中。残りは1戦。相手は日本プロゲーマー史でも最古参に部類される女性プレイヤーが相手だ。
大方の予想としては鬼一不利と読まれていた。アヤネから見ても鬼一の不利は避けられないと踏んでいる。キャラの相性や経験差などもあるが、それ以上に鬼一のメンタルが問題。
鬼一はこんな大舞台を1度たりとも経験したことがない。e-Sportsの大舞台ともなればどうしても『慣れ』は必要なのだ。『若さ』から来る怖いもの知らずなど大した盾にもならない。言葉に出来ないほどの独特の雰囲気があることをアヤネは熟知している。
だが、目の前の少年が負けるとも思っていないが。
目の前の鬼一は特にプレッシャーを感じていないように見える。気負いもせず、普段通りに見えた。普段通りというか、プロになってからのスタンダートの姿。
「どう? あの人に勝てそう? 最近復活してきただけあって動きもかなり仕上がってるように見えたよ。生半可な仕上がりじゃ届かないわね」
「勝算はあります。確かに手強い相手ですが少なくとも負けるとは思わないです」
アヤネに視線を向けず、電灯掲示板を見据えたまま鬼一は呟く。その強気な発言を聞いてアヤネは苦笑を零す。随分とプロゲーマーらしくなったものだと。
しかし、そんな昔の話でもないのに鬼一は随分と変わったようにアヤネは感じていた。感情、表情豊かな子供ではなく、機械的になってしまったこの少年に対して自分は今も無力なんだと痛感する。
鬼一の両親が事故で亡くなったその日から、淡々とした必要最低限のことしか喋らなくなってしまった。まだ、立ち直れていないというのは間違いない。今見せている顔は鬼一の内面を隠すための仮面のようなもの。
プレイヤーとしてのスタンスも大きく変化した。荒削りではあったが、どことなく人を惹きつけるプレイング、華やかなプレイが特徴であったが今は無情で慈悲なく、冷酷なまでに勝利に近づくプレイ。
その変化が悪いとはアヤネは思わない。プロが何千といる以上、様々な方向で個性を発揮したり新しい個性に変化することは決して間違いではないだろう。
それでもアヤネは少し寂しくなる。
「それよりもアヤネさん。Bリーグ1抜けおめでとうございます。代表内定は確定ですよね」
「そうね。現状、私と柿原さんが代表確定だと思うわ。残り5名がこの大会で決まる。なんとか残ってよ。柿原さんだっていつまで現役でいられるか分からないんだから。下手すればこれが最初で最後のチームプレイになるかもしれないわ」
「分かってます。あの人からはまだ教わりたいとがたくさん残ってますから」
プロゲーマー以前から対戦していた日本最初のプロゲーマーからは、まだ吸収できることがある以上残ってくれなければ困ると鬼一は顔を顰める。
鬼一のその感情のない言葉を聞いてアヤネは肩を竦めた。鬼一が口にした言葉の本来の意味を理解しているからだ。
建前でこんなことを言っているが、実際の所は『まだ自分は勝っていないんだから、自分が勝つ前に引退するなよロートル』と言ったところだろうか。プロゲーマー以前にボコボコにされたことをまだ根に持っているのだろう。
「……ま、そういうところは変わっていないみたいだから大丈夫そうね」
誰も聞こえないような音量でアヤネは呟く。その呟きは不安よりも懐かしさや安堵感の強いものだった。
―――――――――
世界初の国別対抗戦ということもあって会場は従来よりも極めて大きな箱が選定されており、予選であるにも関わらず1万人を収容することが出来る会場。
試合が実際に繰り広げられる舞台と観客席のあるアリーナ。3人目の代表者がもうすぐ決まるためか会場は既に埋め尽くされていた。舞台とアリーナが埋まっているためかホールを始めとしたそれ以外の場所には人の姿が見えない。
会場の中にある小さな倉庫。そこでは、後に一つの事件となるキッカケが生まれていた。
「分かったな。絶対に勝つんだ。お前に拒否権は存在しねえんだからな」
やけに機械的な声が投げかけられる。明らかに生身の人間の声ではなかった。ボイスチェンジャーか何かを通した声。
「……ぐっ……!」
ギシリ、と胸元を押さえている足の圧力が更に強くなる。その圧力に思わず苦悶の呻き声が漏れた。だが抵抗することすら出来ない。身体を倒され地面に全身を押し付けられているだけなら抵抗は出来た。
しかし倒れている女性の目の前に突き出されている、携帯の画面に映し出されている1枚の画像が原因で抵抗する意志を根こそぎ奪い取っていた。
そこに映し出されているのは男にとってe-Sportsとは比べられないほど大切な人たち。自分の最愛の夫と2人の子供がそこに映し出されていた。
「安心して。アンタが無事に勝ってこの代表になればこれらは開放してやる」
―――嘘を付け。
自分を踏みつけている人間を見て毒づく。自分を囲んでいる人間たちはそれぞれマスクを被っていて顔が分からないようになっており、ご丁寧に体格すらも分からないようにコートを着ている。
最初から開放する気なんてないことくらいは見抜ける。目の前の人間たちは金という金をしゃぶりつくすまでは絶対に自分を手放すことはないだろうと思った。
この国別対抗戦はe-Sports史に残るほどの大会になる。規模も賞金も今までの大会とは比べほどにならないほどだ。最大で1億ほどだった優勝賞金だが、国別対抗戦の予選だけでもこれ以上の賞金がかかっている。本選ともなれば優勝チームには文字通り桁外れの賞金が授与されるだろう。しかもプレイヤーには別途スポンサーもつく可能性が大だ。スポンサーが絡めば、更に大金が動く。
―――汚いマネを……っ!
拒否権がないことは女性も理解できている。自分が信じている世界と自分が愛するものを危険に晒されて怒りを覚えない人間などいない。できることなら今すぐに立ち上がってこいつらを殴り倒して、突っぱねてやりたいところだった。
だが、そんなことをすれば容赦なく自分の宝物に手を出すことになるのは明白だった。目の前にいる人間3人以外にも他の連中がいるのは容易に予想が出来る。
この会場の何処かに夫と子供がいるのは間違いない。今日、女性の応援の為にこの会場に来ているのだから。しかし、連絡が1度も取れないのは明らかにおかしかった。考えるまでもなく目の前の連中の仲間が動いているのだろう。
この会場に来るまでの間や、会場で押さえるにしても何事もなく押さえるというのは困難のはず。安全を兼ねて人通りの多い道を来るように伝えてあったのだから。仮に力づくで押さえるにしても、そんなことをすればすぐに通報が入る。日本という国の警察の優秀さは一級品だ。
だが、会場や会場の近辺では騒ぎになっていない。
それだけでもこの連中が頭が働く連中なんだと理解する。
同時に疑問一つ沸く。
頭の働く連中がたかが金なんかの為にこんなマネをするとは考えにくいのだ。金に関しては表向きの理由で、もっと別の理由があるように感じる。単純に金だけの目的ならばもっとやりようはあるからだ。要はアンバランスなのだ。頭を使った行動もあれば、そうではない行動もあるのが不可解。
「―――――――――」
「―――――――――」
周りの連中がそれぞれ話し始める。
―――……どこの言語?
少なくとも自分たちの言語である日本語、世界で一番メジャーな英語でもない。世界を転戦したことのある人間でも何処の言語かハッキリと分からないものだった。
話し終えたのか3人の内2人が姿を消す。
「……アンタ1人が強いと言っても紛れというのは存在するわ。だから、もう1個仕込んでおかないとね」
独り言のように呟いているその言葉を聞いて新たな疑問が浮き上がる。
―――……この人たちもしかして、女性? でも誰?
湧いた疑問は1度頭の片隅に置き捨てる。それよりもその独り言で気になる単語が存在。
―――……『仕込み』? なんのこと。
「確か、アンタの対戦相手は13歳のガキだったな。たかが子供が大人のアンタに勝てるとは思わないけど万が一もあるかもしれないし?」
―――ふざけるな。
その言葉に激昴の言葉が溢れ出そうになる。e-Sportsの世界において大人も子供もない。身体能力や体力の問われる競技ではない、重要なのは個人の感性と感覚に尽きる。そこに年齢や性別の壁など存在しないのだ。
にも関わらず、そんな当たり前の事実を目の前の人間は抜かしたのだ。それだけでも目の前の人間はe-Sportsの関係者ではないことが理解できる。
「でもまぁ、こんな野蛮な男も優秀な女も一緒くたになっている世界なんて心底下らないから、修正させてもらおうかしらね」
―――こいつ、まさか。
ISという軍事兵器が生まれ世間では女尊男卑が当たり前になってきているが、e-Sportsにおいては極めて例外的な状況だ。
それは女性のトッププレイヤー達がそんなものを認めていないということもあるし、数多くいるプロゲーマーを支援しているスポンサーの大半が『骨』のある企業が多いということもある。
模範となるべき人間たちがその姿勢を徹底しているからこそ、下の人間たちにもその意識を伝播させることができるのだ。故に、この世界に女尊男卑や男尊女卑と言った考え方は蔓延していない。ある意味では真の平等が維持されている。
「……まさか、女尊男卑なんて最高に下らないものをこの世界に持ち込むためにこんなことをしたの?」
「あら、ISを動かせない男なんている意味なんてないでしょう? ISを動かせる女性こそが最上であり、至高の存在。その女性が無能な男と横並びの世界なんて一体なんの価値があるの?」
その言葉に思わず笑ってしまう。下らないと。
「……何、笑ってんのよ!」
そもそも、自分一人を潰した程度でこの世界を根底から覆せるわけがない。自分たちの世代がそれを良しとしなかった。その考えを第2世代に受け継ぐことが出来て、それを実践してくれている。そして、新しく出てきたプレイヤーたちにもその芽を植えているのだ。
簡単に潰されるほどこの世界がヤワではない。もしそんなヤワな世界なのであればとうの昔に潰れている。
自分1人を標的にしたところで根底を崩せるはずもない。
故に彼女は次の試合を全力で勝ちにいくことを誓う。家族を救い、こんな愚行を必ず止めてくれる人たちがいることを信じられるから。
「本当に何も知らないのね。この世界を作ってきた人たちの情熱や思いを。そして、この世界に救いや希望を持ってくれている人たちの祈りを。そんなものでひっくり返されるほど、この世界に全てを賭けて戦っている人たちは甘くはないわよ」
足で胸を圧迫されるがそんな痛みなど気にもならない。
「私は家族を助けたいから次の試合、確かに勝ちに行くわ。でも、それでアンタたちのような連中が何かを成し遂げられるはずがない」
だが、彼女の予想を遥かに超えた出来事がこれから起きようとしていた。それこそ、言葉を無くすほどの。
―――――――――
「……試合が始まるまで、あと2時間後か」
鬼一は無機質な瞳で時計を一瞥しどうしたものかと考える。選手控え室で時間を潰してもいいが確実に人がいるだろうし、控え室は殺気立ってるからこちらも疲れてしまう。
―――今頃、別グループの代表を決める試合をしているんだろうな。
鬼一が1人でいるホール内は無人であり、広いホール内で1人しかいないと言うのは寂しさを感じさせるだろうが、普段から1人でいる鬼一からすれば気にするものでなかった。
―――食事取る感じでもないし、仮眠取るのもまた違うな。研究は全部終えているし、練習も充分に行った。どうしようかな。
2時間という短くも長くもない中途半端な時間。緊張していないわけではないが、肩の力は抜けているしテンションも普段と変わりない。
鬼一にとって代表の椅子など副産物。彼にとって大切なことは自分の全力で勝利を得られるかどうかの1点であり、勝敗が第一にある以上国別対抗戦の代表などオマケと言っても差し支えない。
そう考えているからこそここまで勝ち残ったという部分もある。余計な思考を混ぜていないからこそ純粋に試合に集中出来ているのだ。
―――……しょうがない。飲み物でも買ってくるか。ちょうど切らしてるし。
ホール内にあるベンチから腰を上げて立ち上がる。アーケードコントローラーを左手で抱えてホール内を歩き出す。
カツンカツン、とホール内に歩行音が反響。
歩いている途中で鬼一は唐突に、その違和感を覚えた。
―――……ん?
一度足を止めて振り返る。そこには誰もいない。
もう一度歩き出す。
―――……なんか、音が複数あるような……。
自分が歩く音に混じって別の音が聞こえる。それも複数。
再び足を止めて振り返った。やはり何もない。
特別何かを感じ取った訳ではない。だが、『なんとなく嫌な感じ』がしただけだ。
前を振り向いた瞬間―――、鬼一は全力で走り出す。
アリーナ目指してホール内を駆け抜ける。
同時に、後方から複数の足音が鬼一の鼓膜を叩いた。
もはや振り返る余裕もない。ただ全速力でホール内を駆け抜ける。認めたくはなかったが明らかに異常な状況だ。理由は分からないが、とにかく自分が複数の人間に追い回されているということだけは理解出来た。
そして、捕まったら洒落にもならない事態が待っているような気がした。
―――人様に追われるようなマネをした記憶がないんだけど……っ!
階段を駆け上がり2階ホールに到達。運動不足の身体を呪いたくなる。こんなことなら先人のアドバイスを素直に受け取って自分も身体を鍛えておけばよかったと後悔。後方からはまだ複数の地面を叩く音が聞こえる。
会場が特殊な構造をしていなければもっと楽だったのに。と内心愚痴る。
―――……もう少し!
足音に混じって歓声が耳に飛び込んでくる。アリーナまで距離が無いことを示している。
だが、そこまでだった。
両足のスネに走る衝撃。遅れて全身が硬質な地面に叩きつけられた。一瞬何が起きたのか鬼一には分からなかった。
視線が先ほどまでの高さに比べて遥かに低い位置にあることに気づいて、そこでようやく自分の身体が物理的に倒されたということが理解出来た。
「……っ、な……!?」
力が入らなくなるほどの鈍痛が両足の自由を奪う。身体を起こそうと思い両手を地面に立てようとした。
しかし、その前に両手を抑えられ締め上げられる。完全に身動きを封じられた。
視界に映るのは見たことのない数人の女性。後ろから走ってきているのも含めれば10人いるかどうか。
混乱する思考。少なくとも視界に映る女性達に対して鬼一は何らかの行為を働いた覚えは一切ない。故に、この理不尽にしか考えられない痛みに怒声を張り上げた。
「……何をしやがるっ! はな……ぎっ!」
大声で相手の行動を咎めようとした瞬間、両腕の拘束が強くなり、頭を踏みつけられた。
鈍い音を立てて右側頭部を打ち付けられる。混乱が強くなるが、痛みで怒りが加速。恐怖よりも先にこんな愚行をする連中に対して、全身を燃やそうとするほどの激情が感情を支配する。
自由は封じられたがそれでも激情を押さえ込もうとせずに身じろぎを繰り返す。
鬼一の頭を押さえつけていた足が無くなり、頭を上げようとした。
瞬間、視界に火花が散り頭の中で鐘が鳴り響く。
「っ……あ……?」
鬼一には何が起きたのか理解することすら許されなかった。
1人の女に手に持っているのは金属バット。それが容赦なく鬼一の頭に振り下ろされたのだ。四肢を無力化されている鬼一には為す術もない。防御も出来ず、衝撃を逃すという技術もない以上、その全ての衝撃を頭に叩き込まれることになる。
子供の頭部に対して一切の容赦のない一撃で鬼一は暗闇の底に抗うことすら出来ずに飲み込まれた。
―――――――――
鬼一が眼を覚ましたのは時間に直して30分ほど後のことだ。
思考が纏まらないほどの頭痛で何をされたのか分からない。霞がかった視界のせいかどこにいるのかさえもハッキリしない。動かない両手はガムテープで右と左の手首を固定されている。両足には特に何も動きを阻害するようなものはないが、先ほど受けた一撃のダメージで身動きはほとんど出来ない。左半身がヒンヤリと冷たく硬い板のようなものに触れているところから地面に転がっているのだと理解する。
さっきの連中が何なのか、自分が今どこにいるのか、自分が何をされたのか、それさえもハッキリしないがとにかくにも今は時間を知りたかった。重要なのは自分の試合までの時間と自分が無事に出れるかどうかのその1点に尽きた。
「……ねえ、ちょっと。いくらなんでも頭をそれでぶん殴るなんてやりすぎ。万が一死んだらどうする気? 相手は子供なのよ」
「男なんだから別にいいでしょ。1人2人死んだところで誰も気づかないわ。どうせ今頃全員ゲーム見ているんだから」
「それより、あの女の夫と子供どうする? いくら監視もつけているからって、誰か来て見つけられたら面倒なことになるわ。厄介なことになる前にさっさと解放したほうが……」
「馬鹿ね。今解放したら私たちが捕まってしまうじゃない。解放するなら当分先よ。それこそあの女をトップに立たせてから」
「この会場の古い倉庫は使われなくなってから大分経つから人が来るなんてまずないわよ。仮に来ても1人2人くらい黙らせるくらいの武力は持たせてあるから大丈夫」
「少なくともの売女は人質取られているんだから何も出来やしないわ。あの女にはトップに立ってもらう。その障害は今回みたいに排除してしまえばすぐよ」
―――なんの、……話をしているんだ?
ぼやけた意識の中で鬼一は会話を聴き、その意味を理解しようとする。
「で、この子供はどこで解放するの? 少なくともこの大会が終わるまでは解放しない方向でいいわけ?」
「あんな一撃を入れられたらまだしばらくは起きないわよ。このまま放置で構わないわ。大会が終わって逃げる時に証拠を全部回収すればいいし、そのガキも有名なんでしょ? だったら大会が終わって姿も表さないようなら誰かが探しに来るわ」
まだ意識がハッキリと取り戻しているわけではなかったが1個だけ理解できた。つまり、目の前にいる連中は自分を試合に出さそうとしないということ。
となると鬼一が考えることは1つ。どうやってここから脱出するか。
緩慢な動きで眼球を動かして周りを見渡す。視界はまだ霞んでいるが時間が経つごとにクリアになっていく。一刻も早くここを出て試合に備えなければならないし、マスクを被っているこの連中がこれ以上何かを仕出かす前に防ぐこと。
鼻の奥が小さな痛みと共に痺れ。多分埃が原因。周りに置いてあるスコアボードや畳。バレーボールなどで使うポールなどが置いてある。そして小さくはあったが歓声と実況の声が確かに聞こえた。そのことから会場内の何処かの倉庫なのは間違いない。
自分が転がっているのは倉庫の一番奥。鬼一の位置からは出入り口が1つしか見えない。そこには自分に暴行を働いた連中もいる。つまりそこから入ってきたのだろう。倉庫自体も大きいのか鬼一と連中の間の距離は開けている。室内が暗いこともあって多少動いても気づかれにくい。
そして、ここがもし倉庫なら裏口のようなものがあっても不思議でもないし子供1人が通れそうな抜け口のようなものがあるかもしれない。それさえ見つけられればなんとかなるかもしれなかった。が、
―――ダメだ。この態勢じゃ思うように見渡せない。いっそのこと、この荷物の中に隠れるか? そしてやり過ごす―――。違う。そんなことしても向こうは僕の姿が見えなくなったら間違いなく徹底的に僕を探すに違いない。
思考を続けていく中で鬼一は気付く。
―――……そうだ。携帯電話。
自分が持つ唯一の連絡手段に気づく。そしてある事にも気づいた。
―――……まさか、こいつら唯の馬鹿か? 普通こういうのって連絡手段を無くすのが基本だと思うんだけど。いや、僕のような子供が携帯電話を2つ持っているとは思わなかったのか。
鬼一には2種類の携帯電話がある。仕事用とプライベート用の2つ。仕事用は会社から渡されてズボンのポケットに入れていたが今はない。間違いなく奪われたのだろう。しかしプライベート用は今着ているパーカーの内ポケットに入れている。
―――なんとかしてこれを出さないといけないんだけど、両手はガムテっぽいので固定されているからまずはこれを外さないと。
出入り口付近に固まっている連中の動きを注意しながら身体を僅かに動かす。
―――何か、何か、何でもいいからこれを切れそう。もしくは剥がせるようなものは……。
カッターとかハサミか何かあればよかったのだが、室内が暗いということもあって見つけることは難しい。かといって探すために迂闊に動いてはバレるかもしれない。
―――……いや、待てよ。手首は固定されているけどそれだけだから持つことが出来れば操作は出来るんだ。それなら。
別の出入り口を探すのは一端諦める。
横に倒れた体勢からうつ伏せへ。そこから腰を上げて身体を左右に小刻みに振る。傍から見ればかなり情けない体勢だったが背に腹は代えられない。今はとにかく内ポケットの中にある携帯電話と取り出さなければならなかった。
―――……あと、少し……っ。
ゆっくり、ゆっくりと内ポケットの中から携帯電話がズリ落ちる。
―――よし、……うっそ!?
取り出すことだけを考えていたためか、取り出した時のことを鬼一は何も考えていなかった。
それは携帯電話がポケットから『落とした』時の『音』だ。
とても小さくはあったが、携帯電話と地面が接触した音が響いた。その音に鬼一は慌てて最初の格好に戻る。携帯電話は自分の身体の下に隠すようにしてた。
おそるおそる出入り口の様子を観察する。幸いなことに連中は気づいていなかったのかまだ話していた。
―――……怖かった。ラッキーとしか言えない。
身体を僅かに起こして両手を身体の下に差込み、携帯電話を取り出す。操作の際は明かりは非常に怖かったがこのままだと最悪の結末が待っているようにしか感じられなかった。
両腕の自由はほとんどないが携帯の操作程度はほとんど問題にならない。右手で携帯電話を持って左手で連中から少しでも見えないように隠す。
―――……先ずはアヤネさん達に連絡を。
メールを新規作成。文面は簡潔にして要点だけを記載する。『かいじょうないのそうこ たすけて』。たったそれだけのシンプルなメール。アヤネともう1人の代表である柿原の試合はもう終わっているのだ。それなら気付く可能性は充分にある。
―――よし、送信。送信ボックスのメールは削除。これで―――……っ!?
「……ぐっ! ごふ、げほっ!?」
その突然の衝撃に胃液が逆流し口内から地面へと吐き出す。鬼一は自分の腹部をバッドで突かれたことに一瞬気づけなかった。
鬼一の行動に気づいた女の1人が慌てて走ってきたのだ。激烈な怒りを伴って。
「ガキ! アンタ何をしてやがる!」
2回目は金属バッドではなく、腹部を蹴り上げられた。それでもう一度戻してしまう。
「おい! このガキ携帯で連絡取ろうとしてやがるぞ!」
その大声に仲間達もそれぞれ声を上げながら出入り口近辺から走ってくる。自分の手から落ちた携帯を拾われた。だが、もう必要ない。鬼一は自分のすべきことをしたのだから。あとは時間の問題だ。
髪の毛を掴まれて頭を持ち上げられ、女の拳が何度も鬼一の顔に打ち付けられる。女の拳と言っても子供である鬼一からすれば充分な威力を伴っているそれ。鬼一は抵抗することもままならずただ歯を食いしばって殴られ続けることになる。
―――――――――
アヤネは自分の試合が終わった後は他のグループの試合を観戦していた。自分の弟分以外のグループはほとんど波乱はないだろう、と考えていたがそういう時に限って面白い展開が起きることを知っているアヤネは疲れている身体を起こして観戦に足を運んだのだ。
だがアヤネの当初の予想通り、波乱はほとんど起きずに着々と進行していく。
観客席の1番後ろでモニターに映っている試合を眺めながら『先輩』と話す。
「随分と退屈そうだねアヤネちゃん」
先輩、というよりも日本のe-Sportsの宝と呼ばれている男の苦笑が混じったその声にアヤネは不満そうな顔を隠そうともしない。
「……そりゃこんなしょうもない試合が続いたら誰だって退屈ですよ。ほら、さっきに比べてお客さんのテンションも低いですし」
アヤネは足を組んだまま乱暴な手つきでペットボトルに口をつける。
―――どいつもこいつも沢山の人に見られている、っていう意識ないんじゃないの? 勝てばなんでもいいと思っている連中の多いこと多いこと。しかも中途半端で徹してきれていないから寒いどころか、見苦しいだけなんだよね。
心の中で愚痴を漏らす。昔、最初期の頃のプロゲーマーは間違いなく観戦者を惹きつけるプレイを量産していたというのに、今はルール内の中なら何でもやって勝てば人が見ると勘違いしていることにイラつく。
別に勝つのが全てならそれはそれでいいとアヤネは思う。それだってそのスタイルを突き詰めていけば立派な個性であり、人を惹きつけるもになりうるのは間違いない。今の時代なら自分の弟分がそれの代表格だろう。
だが、中途半端でそれに似たり寄ったりのスタイルが多いならば個性もへったくれもない。中途半端なものじゃ人を熱くさせることはできない。
「どうせやるなら昔のてきどさんみたいに徹底すれば面白いんですけどね。あれじゃ劣化とか模造品、ううん、今だったらキーチの格下もいいところじゃないですか」
中途半端なスタイルでも勝てるならアリかもしれないが、アヤネから言わせてもらえれば技術だけとしか言えないし、もっと言えばメンタルも経験も情熱も足りない。そんなんでトップクラスの連中に勝てるとは到底思えないし直対したら自分も負けないだろう。
「……もう、なんでてきどさんやいっちーさん負けちゃったのー? このままだと対抗戦の団体メンバー、面白くないじゃない」
「……あいつらも大分年齢食ったからなあ。流石に1次予選から勝ち上がっても2次予選リーグも勝ち残るだけの体力はないでしょ。2つの予選合わせれば40試合以上続くし、1次予選の敗者復活からだったらマックスで倍近い本数こなさないといけないしね」
「まぁ、それはしょうがないんですけどね。でも、このままだと私たち『3人』除けば技術だけの2流(いっぱん)が代表を占めることになりますよ」
そんなんで海外の代表に勝てるはずがない。ただでさえ、ここ数年海外勢に優勝カップを独占されそうになっている。
―――いや、まあ良くはないけど最悪優勝カップを譲ってもいいけどさ。
初めての国別対抗戦で盛り上がっているのに、格闘ゲームの聖地である日本勢が観客を燃え上がらせることが出来ないというのは流石にいただけない。そういう意味ではベテランのプレイヤーに勝ち上がって欲しかった。
―――あの人たちならどんな結果になろうとも面白い、熱いプレイングが出来るのに。
「ところでアヤネちゃん? 今『3人』って言ったけどまだ2人しか決まってないけど。後1人は結果を見なくても分かるの?」
その言葉にアヤネは笑う。
「当然です。アレの対戦相手はかの天才が相手ですけど、私はあの子の勝利を微塵も疑ってはいませんよ」
「……まぁ、俺も鬼一とは組んで見たかったから勝って欲しいけどさ。というか今あいつどこにいるの?」
そこまで話してまったく同じタイミングで2人の携帯にメールを知らせるバイブレーションが起動。
「……っとメール。会社ですかね?」
「かもしれないね」
2人そろって携帯のメールボックスを開きメールを確認。
そして、そのメールを見て2人は。
「……どういうことだと思います。これ?」
「……少なくとも言えるのは警察と会社に伝えないといけない、ってことだね。鬼一が悪ふざけでこんなもんを送るとは到底考えられん」
『かいじょうないのそうこ たすけて』
後書き
すげえ、疲れました。多分外伝1は後1・2話くらいで終わります。この女たちのアンバランスさの調整に手間取った。
まあ、次からの話はもっと面倒な調整や表現が待っているんですけどね。
あと、ツッコミどころ(伏線)の回収はキッチリ行えると思いますが内容次第では修正するかもしれません。
感想と評価本当にありがとうございます。感想、お待ちしておりますので是非とも。
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