ソードアート・オンライン‐黒の幻影‐
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第1章終節 離別のポストリュード 2024/04
死者の想い:絆と証
半年前、親友とさえ呼んだ一人のプレイヤーから差し伸べられた手を、私は《抱いてしまった恐怖》に任せて拒絶した。
喉が張り裂けるくらいの悲鳴と、記憶に靄が掛かったように思い出せない語句の羅列。それが彼に対してどれほどの苦痛となってしまったことか。その心情を吐露したような表情を、自分の言葉とは裏腹に鮮明に憶えている。
――――それは今にも泣きそうで、叫び出しそうで、壊れてしまいそうで………
――――でも、目の前に居る私にはもう助けを求めることさえ出来なくて………
伸ばした手を力任せに払われた彼は、一度晒してしまった心の弱い部分を再び隠すように、憔悴した自らさえ顧みることもなく、呪詛の一つさえ無いまま私に居場所だけを残して去っていってしまった。それ以来、彼とは一切の連絡を取っていなかった。取れるはずが無かった。恩知らずな私は、この苦しみを抱えて日々を無為に過ごすことを選んだ。その時点で、親友だった《彼》との絆は途絶えてしまったのだから。
そしてこれからも、私は彼に与えられた日陰でひっそりと過ごしていくのだと、そうだとばかり思っていた。
でも、突然だった。
何の前触れもなく、ただ重苦しいだけの沈黙の日々に穴を穿つように、唐突にメールが送られてきたのはほんの一時間前。
いつかは向き合わなければならないけれど、まだ向き合うには覚悟の足りない相手から差し出されたメールには、まるでこれ以上逃げ続ける事が出来ないという死刑宣告のような、最後通牒のような、冷酷な現実を突き出すような酷薄さを感じてしまう内容が端的に記されていた。同時に、この状況をどうにかして欲しいという懇願に似た文面は、何もなくなってしまった私へ向けられた最後のチャンスだった。逃げてばかりの《これまで》から抜け出すならば、今しかない。
………今更になってしまったけれど、それでも私は皆のギルマスだったんだ。
膝を抱え込んで見て見ぬフリをするなんて、絶対に出来ない。
そんな事をしたら、私は今度こそ旦那にも親友にも顔向けできなくなる。
気付くと、私は借り物の部屋から飛び出していた。
部屋から出るのも十日ぶり、ましてやギルドホームから外へは、あの日以来出たことさえないくらいだろうか。そんな臆病な籠城は容易く瓦解し、廊下を擦れ違う女の子達と肩がぶつかってしまっても脇目を振る余裕さえなく、私は主街区を駆け抜けて転移門広場へと駆け込んだ。
生身じゃない筈のアバターなのに肺が熱くなるような錯覚を感じながら、息せき切って狩りから戻ってきたプレイヤー達の波を掻き分けて、もうずっと戻ることはないだろうと思っていた場所を、もうずっと昔の、もしかしたら夢だったとさえ思えてしまうほど遠くなってしまった頃の居場所を、ギルド《黄金林檎》のホームだった主街区の名を呼び、私は転移の光に包まれた。
浮遊感の後に、水車の回る長閑な風景から、人の気配のない寂れた景色へと視界が様変わりする。ほんの少しだけ懐かしいような気がするけれど、何を置いても私には為すべきことがある。
目標は主街区の北、フィールドにそびえる十字架の形をした木のオブジェクトを目指してフィールドを駆けた。半年前に彼との別れ際に無言で手渡された《純白のベール》が秘める隠れ率上昇効果を頼りに徘徊するモンスターを遣り過ごしながら、AGIが許す限りの速度で地面を蹴った。
森が急速に流れてゆく。
それはスレイド君と一緒に攻略した《剣の櫃堂》というダンジョンへの順路だった小路。記憶をなぞるように小路を進み、ダンジョンと主街区の中間地点というところで路が二又に別れる。ここを右に向かった先が隠しダンジョン。
そして、左に進んだ先にある丘の頂上には、十字架の木のオブジェクトと《黄金林檎》の仲間が待っている。
――――きっと、殺人プレイヤーも………
「………だから、何だってのよ!?」
止まりそうになる自分に怒鳴りつけて、分かれ道を左へ走り込む。
せっかく踏み出せた。止まってなんていられない。
あの時、スレイド君が私の為に来てくれたのだって、同じくらい怖かったはずなのに。
私だけ止まっているなんて、この世界に負ける以前に自分の弱さに負けてしまうようなことは絶対に嫌だ。
――――第一、スレイド君に出来たのに私に出来ない道理なんてないじゃない!
半ば気合で恐怖を制して、地面を蹴る力をより強める。
やがて緩やかな傾斜が現れ、一息に上り切った先に彼等を視認する。咄嗟に木陰へと身を隠したのは、そこにいた面々と状況によるところが大きかった。
先ず、膝をつく重装備プレイヤー。大きな身体だから、シュミット君だと思う。
その隣に二人で肩を並べているのはカインズ君とヨルコちゃん。交際しているような雰囲気があったから、そのどちらも掛けていないことに安堵が押し寄せる。
でも、胸を撫で下ろすのも束の間、その奥にひっそりと立つ旦那――――グリムロックの姿に喉が狭まる。
旦那は、白と赤の装備で身を固めた女の子に剣を突きつけられて、それを黄金林檎の三人と真っ黒な男の子がそれを見つめている状況だった。
その場に居合わせた全員のカーソルは緑。つまり、犯罪行為が発生していないことを意味する。
というより、この場においては剣を抜いている女の子よりも旦那の方が警戒するべき相手に見えてしまう。半年前のオレンジプレイヤーが私に聞かせた誘拐事件の背景が正しいものであるならば、旦那が私を殺そうとした張本人ということになる。
出任せに聞かされた嘘だと言い聞かせて来たけれど、もし事実であったならば、事件の根幹に近い存在ということになるのだから。
今でこそ無力化されているけれど、まさか彼が皆を………
内心で否定しつつも背筋に冷たいものが走る最中、旦那が、三人と墓標を見てから低い声を響かせた。
「やあ………、久しぶりだね、皆」
それは、まるで久しぶりの再会を祝したような挨拶だった。
でも、モンスターの攻撃さえ怯えてしまう彼が、プレイヤーの武器を向けられても全く動じないその胆力に違和感を覚えてしまう。私の知る限りでは、彼にあれほどの精神的な強さは無かったように思える。
「グリムロック……さん。あなたは……あなたは、ほんとうに………」
応じるように、震える声でヨルコが呟く。
途切れてしまった言葉の先は容易に予想出来たけれど、どこか認めたくはないものだった。
あなたは、ほんとうに《私達を殺そうとしたのか。》
この場で、私が来る前にどのような遣り取りがあったかは知らないけれど、それでもヨルコは確証も無しに誰かを悪くいう事はない。更に言えばヨルコはとても賢い女の子だ。何らかの結果として得たその確証は、彼女の鋭い見識から為っている筈なのだ。それでもなお、私はまだ彼を信じてしまっているが………
やがて、剣を鞘に納めて旦那の背後から黒一色の男の子の隣に移動するのを見送って、微笑を浮かべた旦那が唇を動かした。
「……誤解だ。私はただ、事の顛末を見届ける責任があろうと思ってこの場所に向かっていただけだよ。そこの怖いお姉さんの脅迫に素直に従ったのも、誤解を正したかったからだ」
「嘘だわ!」
白い装備の女の子が、鋭い声で否定した。
「あなた、ブッシュの中で隠蔽してたじゃない。わたしに看破されていなければ動く気もなかったはずよ!」
「仕方がないでしょう。私はしがない鍛冶屋だよ。このとおり丸腰なのに、あの恐ろしいオレンジたちの前に飛び出していけなかったからと言って責められねばならないのかな?」
白熱する女の子と、穏やかな調子を崩さないグリムロックとの応酬は平行線を辿ってしまう。
でも、どうやらレッドプレイヤーは既に撤退した後みたいだった。どんな経緯かはさておき、それでもこの場にスレイド君の姿が無いというところに少しだけ不安が過る。考えもなく飛び出してしまった為に碌な作戦も無いし、私が無策に飛び出してしまえば、この均衡がどう壊れるか予想出来ない。
――――それに、彼の歪んだ平静が恐ろしく思える。
シュミット、カインズ、ヨルコの三人は何も言うことなく論争を黙って聞いている。
私も、気付いたら傍観者となっていた。皆の命の危機が去っていたという安堵と、そこに付け入るように込み上げるグリムロックへの恐怖と、同時に彼を裏切ってしまった罪悪感、旦那の凶行を認めたくないという現実への拒絶。それらが綯い交ぜになって、事の成り行きを見つめ続けるだけになっていた。
「初めまして、グリムロックさん。俺はキリトっつう……まあ、ただの部外者だけど。――――確かに、あんたがこの場所にいたことと、《ラフィン・コフィン》の襲撃を結びつける材料は今は何もない。奴らに聞いても証言してくれるわけはないしな」
一拍おいて、黒い装備の男の子――――キリト君は、目つきを鋭く変えて問い質す。
「でも、昨年の秋の、ギルド《黄金林檎》解散の原因となった《指輪事件》………これには必ずあんたが関わっている。いや主導している。なぜなら、グリセルダさんを殺したのが誰であれ、指輪は彼女とストレージを共有していたあんたの手元に絶対に残ったはずだからだ。あんたはその事実を明らかにせず、指輪を密かに換金して、半額をシュミットに渡した。これは、犯人にしか取り得ない行為だ。故に、あんたが今回の《圏内事件》に関わった動機もただ一つ………関係者の口を塞ぎ過去を闇に葬ることだ、ということになる。違うかい?」
キリト君が口を閉じると、丘の上に沈黙が生まれた。
でも、グリムロックは口許を歪ませて、声音を抑えながら話し始める。
「なるほど、面白い推理だね、探偵君。……でも、残念ながら、ひとつだけ穴がある」
「なに?」
キリト君の反射的な問い掛けに、グリムロックは鍔広帽を引き下げる。
「確かに、当時私とグリセルダのストレージは共有化されていた。だから、彼女が殺されたとき、そのストレージに存在していた全アイテムは私の手元に残った……という推論は正しい。しかし………、もしあの時指輪がストレージに格納されていなかったとしたら? つまり、オブジェクト化され、グリセルダの指に装備されていたとしたら?」
「あっ…………………」
「…………え……?」
女の子が幽かに声を漏らす。
その声に掻き消えるように、疑問符が宙に融けていった。
どうしてという問い掛けは、彼の無実を信じる想いと共に押し流されてしまった。
彼の証言は、つまり《自分はあの指輪》を手に入れていなかったという意思表示。でも、それは在り得ない。
半年前のあの日、スレイド君に助けられたその場で私は《離婚》と《スレイド君以外のフレンドの削除》と《ギルドの離脱手続》を行っていたのだから。
それは、スレイド君からの申し出だった。もし仮にグリムロックの主導で私の誘拐殺人が計画されていた場合、生き残っているという状況こそが目障りな状況になるだろうと推測した彼は、誰かにメールで数度遣り取りを済ませた後に、私の死の偽装を実行させたのだ。
離婚したことで私のストレージは余すことなくグリムロックの元へと渡り、フレンド登録していたギルドのメンバーとも縁を切り、ギルマスであった私は次期マスターへと権限を譲渡するように設定するだけで離脱に対しては誰かに承認を得る必要はない。私に関わるコミュニティから《Griselda》のネームが消滅したことで、《グリセルダ》のアカウントの消失を演じたのである。
つまり、システム的には一方的な《財産分配比率 10:0》の一方的な離婚でありながら、プレイヤーの死に付随して《レッドプレイヤーによる捜索妨害》を模倣することで《死別》を暗喩する状況に見せかけたのが、あの後の顛末。とはいえ、実際に指示をくれていたのは今の居場所を与えてくれているクーネさんだけれど。
話を戻すと、グリムロックの手元にはあの指輪が渡っていなければおかしいのだ。
それに、私にはどうしても指輪を付け替えてステータスを向上させるという方法が取れなかった。自己満足な理由ではあるけれど、当時の私の両手は既に大切なものでいっぱいになっていたのだから。それを否定するという事は、論理的に考えるならば《自身は指輪を持っていない》から殺人には関与していないという釈明。裏を返せば、指輪について突き崩されれば、殺人についての関与を認めざるをえないという《最後の砦》ということになる。
けれど、それは今の私でさえ捨てられていない《旦那との本物の絆》。たとえ欺瞞に塗れて生に縋っていようとも、私は………
――――いや、止まってはダメ。
今が好機とばかりに、グリムロックは畳み掛けるようにキリト君の推理を論破してゆく。
でも、それは私と彼の絆を否定されていくようで、とても心が痛かった。
死を偽装して、結婚まで破却した私が抱ける痛みではないかも知れない。それでも、愛する人が歪んでいくなんて、私には耐えられなかった。
いつの間にか溢れていた涙を拭い、再びベールを握る。それだけで装備していると判定されるのかは知らないけれど、視界の端に表示される隠れ率は依然として90パーセントを越えた数字を維持している。強力な性能のベールに感謝しつつ、私はそのまま歩を進め――――
「ヨルコ、お願い。このまま振り向かないで聞いて」
「…………え?」
ヨルコの背に身体を預け、耳元に小さく声を落とした。
一瞬だけ隠れ率の数値が揺らいで50パーセントまで下降するものの、ヨルコは振り向かず一つ頷いて返答を済ませる。隠れ率も再び90代まで戻るのを確認してから、限界まで声を落として再び口を動かす。
「………指輪のことを、思い出して」
指輪。
それはスレイド君が黄金林檎に届けてくれた私の遺品。私の死を確実なものにするために創り上げた《嘘の象徴》と、無惨にも打ち棄てたギルドの皆との《絆の証明》。
嘘と誠とが半分ずつ納められたそれは、スレイド君の言葉を信じるならば、ヨルコに託されたそうだ。
僅かに肩を震わせたヨルコはそれでも振り向かず、再び頷いて答えてくれる。
真意を汲んでくれる彼女への感謝と、彼女達を裏切ってしまった罪悪感が鬩ぎ合うのを無理矢理抑え、最後の言葉を遺そうと喉から声を絞り出した。
「あり、がとう………あとは、おねがい……」
涙と嗚咽の混じった声でお礼を残して、後退りの格好で木陰に戻る。
隠れ率は上限値の百パーセントを示している。もう、この周辺で私を看破できるプレイヤーはいないだろう。
「では、私はこれで失礼させてもらう。グリセルダ殺害の首謀者が見つからなかったのは残念だが、シュミット君の懺悔だけでも、いっとき彼女の魂を安らげてくれることだろう」
するりと、グリムロックが翻る。
もう用はないとばかりに去っていく彼の背に、ヨルコが鋭く言葉を投げかけた。
「待って下さい………いえ、待ちなさい、グリムロック」
呼び掛けに応じて足を止め、少しだけ振り返って見せる。
柔らかい表情はそのままだけれど、彼の放つ雰囲気からはどうしても棘のようなものを感じてしまう。
「まだ何かあるのかな? 無根拠かつ感情的な糾弾なら遠慮してくれないか、私にとってもここは神聖な場所なのだから」
「グリムロック、あなたはこう言ったわね。リーダーは問題の指輪を装備していた。だから転送されずに殺人者に奪われた。でもね………それは有り得ないのよ」
「………ほう? どんな根拠で?」
向き直るグリムロックに、ヨルコは苛烈な声を浴びせる。
「ドロップしたあの指輪をどうするか、ギルド全員で会議をした時のことをあなたも覚えているでしょう? 私、カインズ、それにシュミットは、ギルドの戦力にするほうがいいと言って売却に反対したわ。あの席上でカインズが、本当は自分が装備したかったのに、まずリーダーを立ててこう言った――――《黄金林檎》で一番強い剣士はリーダーだ。だからリーダーが装備すればいい。
それに対して、リーダーがなんて答えたか、私はいまでも一語一句思い出せるわ。あの人は、笑いながらこう言ったのよ。――――SAOでは、指輪アイテムは片手に一つずつしか装備できない。右手のギルドリーダーの印章、そして………左手の結婚指輪は外せないから、私には使えない。いい? あの人が、その二つのどっちかを解除して、レア指輪のボーナスをこっそり試してみるなんてこと、するはずないのよ!」
鋭い声は、まるで私の思いを弁明してくれているようだった。
やっぱり、私はギルドメンバーに恵まれていたらしい。
「何を言うかと思えば。《するはずがない》? それを言うならば、まずこう言ってもらえないかな? ――――グリセルダと結婚していた私が、彼女を殺すはずがない、と。君の言っていることは、根拠なき糾弾そのものだ」
「いいえ」
グリムロックの否定に、ヨルコが呟くように返す。
ゆっくりと大きく首を振る彼女の目には、明らかな怒りが燃えているように見えた。
「いいえ、違うわ。根拠はある。………リーダーを殺した実行犯は、殺害現場となったフィールドに、無価値と判断したアイテムをそのまま放置していった。それを発見したプレイヤーが、幸いリーダーの名前を知っていて、遺品をギルドホームに届けてくれた。だから私たちは、ここを………この墓標をリーダーのお墓にすると決めたとき、彼女の使っていた剣を根元に置いて、耐久度が減少して消滅するに任せた。でもね………でも、それだけじゃないのよ。皆には言わなかったけど………私は、遺品をもう一つだけ、ここに埋めたの」
言い終えて、ヨルコは墓標の裏を素手で掘り返し始めた。
その場に居る誰もが彼女を見守るなか、やがて立ち上がったヨルコは右手に乗った銀色の小箱を差し出すように見せつけた。
「あっ………《永久保存トリンケット》………!」
女の子が小さく叫ぶ。そして、ヨルコの手に収まる小箱はマスタークラスの細工師だけが作成できる《耐久値無限》の保存箱。その容量の小ささ故に大きなものは保存できないが、アクセサリー類は幾つか仕舞っておける。そして、これに納めたアイテムは、たとえフィールドに置き去りにしたって耐久値が減少することはない。
その蓋をそっと開き、白い絹布の上に乗せられた二つの指輪のうち、銀製で少しだけ大き目な指輪を取り上げてグリムロックに突き出す。
「これは、リーダーがいつも右手の中指に装備していた《黄金林檎》の印章。同じものを私もまだ持っているから比べればすぐ解るわ」
それを戻し、もう一方の黄金に輝く細身のリングをそっと取り出す。
――――形も大きさも、今の私の左手薬指に嵌ったものと同じ指輪を。
「そしてこれは――――これは、彼女がいつだって左手の薬指に嵌めてた、あなたとの結婚指輪よ、グリムロック! 内側に、しっかりとあなたの名前も刻んであるわ! ………この二つの指輪がここにあるということは――――リーダーは、ポータルで圏外に引き出されて殺されたその瞬間、両手にこれらを装備していたという揺るぎない証よ! 違う!? 違うというなら、反論してみせなさいよ!!」
木の幹に預けていた背中が、地面に滑り落ちる。
へたり込んだまま項垂れた私は、ヨルコのすすり泣く音に隠れるように涙を流していた。
泣く声だけの沈黙が十秒以上続き、グリムロックの声に静寂が破れる。
「その指輪……。たしか葬式の日、君は私に訊いたね。ヨルコ。グリセルダの結婚指輪を持っていたいか、と。そして私は、剣と同じく消えるに任せてくれと答えた。あの時……欲しいと言ってさえいれば………………」
声に次いで、崩れる音。
グリムロックがこの件に関わる殺人への関与を認めた瞬間だった。
その後も彼等《生者》の問答は続いた。
グリムロックの言葉は、どうしようもなく私を責め立てるものばかりだったけれど、この痛みは受け入れなくてはならないものだと思う。
私が自分を偽ったから、あの人は私を誤解してしまった。
私が仮面を剥ぎ取ってしまったから、あの人は私を信じられなくなった。
私が頑張るたびに、あの人は開いていく距離に心を痛めた。
女の子――――アスナちゃんはグリムロックが私に抱いた感情を《所有欲》だと言ったけれど、それでも、私はそんな彼に《依存》してしまっていた。私が仮面を取り払い、戦う理由として、都合よく旦那の為にと思い続けて、彼を理由にしてしまった。ここから抜け出す為に剣を振るう理由付けにその方が楽だったから。
………やがて、グリムロックは黄金林檎のメンバーに連れられて去っていった。
私は、残るキリト君とアスナちゃんを迂回するように木々の陰を伝って墓標に歩み寄った。ヨルコの掘り返した痕が残る十字架の木に触れながら、主街区へと戻ろうと歩き出す二人を見送ることにした。
この一件に関して、とくに旦那の罪を暴いて更生の道を示してくれたのは、あの子達が頑張ってくれたからというような気がする。
それに、伴って歩く二人の姿がいつかPC画面の中で寄り添った、ただの神官と騎士だった在りし日の自分達に似ているようで、どこか懐かしいような、これから頑張ってほしいような、複雑な思いが込み上げてくる。
――――と、観察しているのが悪かったか、キリト君と目が合ってしまった。
隠れ率も30パーセントまで下回ってしまったものの、このベールには《看破されてから四十秒間だけ隠れ率を30パーセントで踏み止まる》という特殊効果が付与されている。つまりは《視認されていてもプレイヤーとしてシステムに認識されない》という、カラーカーソルが表示されない状況が成立する。しばらくは私をプレイヤーとは思わないでいてくれるかも知れない。
スレイド君はどんなお針子さんと知り合いなのか気になるところだけれど、そんな疑問も彼等の視線も、私にとってはどうでもよかった。それほどに、あの二人には他人を引き込むような強さを感じさせられる。
彼等を見れば分かる。あの時、決死の覚悟で戦ってくれた《私の親友》や《受け入れてくれた皆》と同じように強い輝きを秘めた瞳は、このデスゲームを終わらせてくれるという確信を感じさせてくれる。
きっと、触れることは許されないのだろうけれど、それでも私は二人に右手を伸ばした。
それに応えるように、二人も右手を同時に伸ばしては、きゅっと握る。
「あなたの意思は………俺たちが、たしかに引き継ぐよ。いつか必ずこのゲームをクリアして、みんなを解放してみせる」
「ええ、約束します。だから………見守っていてください、グリセルダさん」
ああ、本当に良い子達だ。
あの子達なら、このゲームを本当に終わらせてしまうかも知れない。
安堵と高揚の感情は半年振りの笑顔になって………
後ろ手に操作したModの発動を以て、二人との最初で最後の邂逅は幕を閉じた。
――――でも、まだ終わってなんかいない。
――――あともう一度だけ。
――――どうか、半年前の決着をつける勇気を………
後書き
燐ちゃんの隠し玉が見た二つの事件の真相回。
安心してください、あの人妻生きてますよ。というか人妻視点です。
というわけで、ミステリーの答え合わせに犠牲者が現れてしまうという異常事態ではありますが、ヨルコさんが指輪のことを思いだしたときに「グリセルダさんの声が聞こえた気がする」とか言っていたあのシーンと、キリアスがグリセルダさんの幻影を見たあのシーンを《実は本人でした》という形で書いてみました。ローゼリンデさん驚異の謎技術がグリセルダさんを完全に幽霊にしてしまったわけですね。
グリセルダ「幽霊だと思った? 残念、グリセルダちゃんでした!」
スレイド君「自分で言って恥ずかしくねえの?(真顔)」
グリセルダ「…………………ごめんなさい(涙目赤面)」
ともあれ、原作登場キャラのセリフは原文抜粋です。
原作でも黄金林檎に遺品を届けたプレイヤーはグリセルダさんの名前を知っていたとのことなので、そこに燐ちゃんお得意の暗躍が組み込まれました。ほんとにフィットしますね。
次回、今作における《スレイド君》最後のDEBANです。そこから先は《燐ちゃん》が主人公として頑張ります。
ではまたノシ
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