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ソードアート・オンライン‐黒の幻影‐

作者:sonas
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第1章終節 離別のポストリュード  2024/04
  壊れかけの黒:隠者の矜持

 ニ十層主街区の下町、その一角に構える酒場の前で足を止めたキリトとアスナは物陰に身を潜めた後に周囲を見渡し、一件の宿屋を視認するや否や一目散に中に入っていった。
 見失う可能性が脳裏を過り、屋内まで追跡を試みようと思った矢先に彼等は二階の個室の窓を開けて酒場を監視し始めた。宿屋にエントリーする一組の男女を追うにも気まずさは少なからず付き纏う。すんなりと姿を見せてくれたことには感謝をするより他はない。

 とはいえ、今はキリトとアスナに姿を見られるわけにもいかない。彼等が追う事件が如何に凶悪であるかは理解できなかった訳ではないが、それでも俺は《自身の罪の清算》という利己的な選択を躊躇なく決めてしまえるくらいに浅ましい人間なのだ。他者の為に死力を尽くせる善性を備えたあの二人とは、恐らく相容れることはないのだろう。見えないし触れることも出来ないけれど、確実に存在する決定的な障壁に隔てられたようで、どこか寂寞めいた感傷こそあるものの、もうどうにもならないと諦めることにした。

 今はとにかく、あの二人の保有する情報と推理に賭けるのみ。圏内PKの凶器を制作したプレイヤーの名を耳にしたとき、俺は流石に記憶を疑った。《あの人》の旦那が手掛けた武器が、あろうことか彼女のギルドの仲間だった筈のプレイヤーの命を奪ったというのだから。如何なる因果か、こうして再び彼女の周辺にいた人物が巻き込まれた事件の一報が俺のもとに届いたとあれば、もはやこの数奇な縁からは逃れられはしないのだろう。どんなに振り払っても追い縋ってくる。ましてや、逃げようと思うほどに記憶にこびりついた情景が脳内で騒ぎ立てる。いくら目を背けても起こってしまった結果を覆すことなんて出来やしない。だったら、とことん向き合う。今更、逃げ続けた俺に言えることではないだろうが。


『………張り込みはいいけど、わたしたち、グリムロックさんの顔知らないよね』


 窓際に寄せた椅子に腰かけて酒場に視線を向けていたアスナが、眉を寄せて隣に控える黒づくめに質問を投げかける。《聞き耳》スキルの効果で、彼等の潜む一室から六十メートルほど離れた屋根の上から会話を傍受しつつの高難度の追跡に思いも寄らぬ綻びが露見した瞬間だった。つられて眉根を歪ませてしまいそうになるが、それでも追跡を断念するという選択肢を保留する。
 まだ、彼等を見限るには早計過ぎる。それに、問いかけに対するキリトの返答を判断材料にしてもまだ遅すぎることはない。急いては事を仕損じると、昔から相場が決まっているものだ。


『ああ。だから最初はシュミットも連れてこようと思ってたけど、あの様子じゃちょっと無理そうだったからな………俺は一応、さっきローブ越しとはいえグリムロックらしきプレイヤーをかなり近距離から見てる。身長体格で見当を付けて、ピンと来る奴が現れたら、ちょっと無茶だけどデュエル申請で確認する』


 一瞬、聞き耳スキルのバグを疑った。


『えーっ』
「嘘だろ」


 目を丸くして驚愕するアスナと、俺の呆れた声が、隔てた距離を越えて重なった。
 つまるところ、彼等は情報も碌に仕入れられずに行き当たりばったりの張り込みを敢行したこととなるだろうか。無謀な計画というか、見込みが杜撰というか、あまりにも粗末極まる諜報活動を目の当たりにして頭が痛くなりそうだ。せめて、生存している関係者から容姿の特徴くらいは聞き込めただろうにとも思ってしまうが、彼等とて圏内でプレイヤーが死亡する様を目の当たりにすれば冷静でいられなかっただろう。ましてや、俺など彼等を利用しようとコソコソ嗅ぎ回る立場なのだ。致し方ないとすることにしよう。
 しかし、最初から最終手段の行使を厭わないというキリトの言に対して、アスナは何かを言い淀み、しかし言葉にすることなく険しい表情のまま頷き、改めて口を開く。


『………でも、グリムロックさんと話す時はわたしも一緒に行くからね』


 きっぱりと、拒否権も与えられないくらいに宣言されたキリトはやや面食らったような表情であっらものの、それ以上は何も言わず頷くのみ。観念したような面持ちでメニューウインドウを確認する素振りがあってから、そのまま酒場の入口に視線を落とし始めた。どうやら本格的に張り込みを開始したようだ。
 グリムロックを直接捕捉するとまでは行かなくとも、より詳細な情報にありつけると踏んでいただけに徒労の感も否めないが、別段これといって制限時間が課せられているわけでもない。しかし、二人が見つめる先にある酒場はさしづめグリムロックに関係のある場所であるということで相違ない筈だ。そうなれば、遺品を届けて接触したことのある俺にはまだ目はある。キリトとアスナを出し抜くようで悪い気もするが、圏内PKは彼等に任せるとしよう。

 ともあれ、徐々に日も暮れてゆき、街路を行き交うプレイヤーの数が少しずつ増していく。
 二人の視線の先にある酒場のスイングドアも頻繁に揺れては入店する客を迎え入れている。しかし、どんなに待てどもグリムロックの姿が見当たらない。何かしらの動きがあれば即座に察知できるようにキリト達も視界に納められる位置取りで監視を続けてはいるものの、双方に変化がない。ハズレを引いたという不安が膨らんでいく矢先、あろうことかキリトとアスナは何やら紙で包まれたものを口に運びだしたではないか。張り込みのオトモ(あんぱん)のつもりなのか、それともピクニック感覚なのか、彼等の緊張感の無さには度し難いものを覚えてしまう。二人の動向についてはこの際無視するとしよう。呆れて思わず溜息が漏れてしまった。


「………何しに来たんだ、あいつら…………――――ッ!?」


 思わず、息を呑む。
 キリトとアスナが食べ物をついばみながら会話しつつ見下ろす酒場の前の街路を悠然と歩く長身の人影に、呼吸を忘れて釘付けになった。

 つばの広い帽子に、銀縁で丸いフレームの眼鏡、裾の長い前留の衣服はどこか大陸系の雰囲気を漂わせる。柔和な顔立ちは微笑を浮かべながら、キリト達が見張っている筈の酒場のスイングドアを揺らして中に消えていったのだ。そもそも情報量の少なさが災いしたといったところか。


「………グリム、ロック」


 無意識に零れたのは、ようやく見つけた相手の名。
 当時と寸分違わぬ格好であったが、ただ唯一の違いといえば、最愛の妻を失い、言葉を詰まらせながら無念の涙を流していた男とは思えないほどに、()()()()()()()()()という心痛がきれいさっぱり見受けられなくなっているということ。その微笑には、俺の警戒心を強めさせる不気味さがあった。

――――さも、再び《凶行(身内殺し)》に走る先触れのように、彼には危いものを感じ取ってしまう。

 しかし、如何に屋内という閉塞された場所に入ったとはいえ、その後どのように行動するかは未知数だ。仮に中で転移結晶など使われたならば、完全に見失う羽目になる。
 既に窓から目を離して声をあげているキリトとアスナを放棄し、屋根から路地裏に飛び降りる。そして、隠蔽スキルMod《無音動作(サイレントムーブ)》と《視覚透過(インビジブル)》を同時に発動し、通りに歩み出る。
 大仰な名称のModではあるが、これはあくまでも保険だ。事実、聴覚と視覚での索敵に対して優位的な補正を得ている状態ではあるが、更に上手の索敵スキル保有者がいれば看破されないとも限らない。幸い、街を行き交うプレイヤーには知覚されていないらしい。俺が注意を払わなければ肩をぶつけられかねないくらいに、猪突猛進に雑踏を行き交わせている。そんな歩行者の合間を縫って、酒場目当てのプレイヤーの背後を借りつつ入店。

 周囲を見渡すと、香港映画の兇手(ヒットマン)じみた長身は、壁側のカウンター席に腰をおろしていたローブ姿のプレイヤーに声を掛け、隣に座るところだった。
 かなり厚手の素材で拵えたであろうローブは、しかし着用者の小柄で細く、しなやかな身体のラインを所々に浮かばせていた。女性と思しきプレイヤーの背格好には、キリトの話にて登場した《圏内PK》の実行犯の姿が重なって見え、同時にかつての記憶から妙な既視感を覚えてしまう。とりあえず、念を入れる意味で酒樽の陰に身を隠す。店内の客には知覚されていないが、それでも死角へと回り込んでおく。


「やあ、今日は早かったね」


 グリムロックの妙に気さくな声を受け、ローブ姿のプレイヤーは空のグラスを差し出す。酒瓶から深い赤の液体を注がれては礼を述べ、グリムロックはそれを少しだけ呷る。それだけを見れば、別段変わった様子のない夜半の一時だ。しかし、問題はグリムロックさんに酌をしたローブのプレイヤーにある。
 屋内でさえフードさえ外さないでいる女性はそれだけで気味の悪い印象を受けてしまう。何か底知れぬ影を内包しているような、ただのプレイヤーでは在り得ないような程に底冷えする怖気を感じずにはいられない。得体の知れない相手は、しかし意外にも容易に沈黙を破った。


「いえいえ~、わたしも今来たところですから~」


――――耳朶を撫でる、間延びした声。既視感は突如として精度を増し、ある記憶を想起させた。

 それは霧に鎖され、鬱蒼とした古樹に覆われた第三層において、策略を講じてクーネを一度殺害せしめた者。自らは決して手を汚さず、獲物として狙ったプレイヤーの死に様を《作品》として鑑賞することを嗜好とした最悪の殺人者。

 名を、《ピニオラ》と言っていたか。

 この二人に如何なる接点があったとしても、その間に交わされていた遣り取りを想像するだけで怖気が走る。それこそ、これまで《あの人》のギルドに起きた悲劇が、彼女が根源であるとさえ思えるほどに。


「ところでぇ~、昔のお仲間さん達はどうですかぁ?」
「ああ、君の筋書き通りに踊ってくれているよ。今頃、彼女の墓の前に集合していることだろう」
「わぁ~、それはそれは~」


 懸念のない晴れやかなグリムロックの言葉に、ピニオラも満足そうに頷いて返す。


「それにしても、まさか狂言殺人の小道具作りを持ち掛けて来るなんて思いも寄らなかったけれど、このまま、彼等が本当にいなくなれば………グリセルダは……、ユウコは、僕だけのものだ………」


 グリムロックが恍惚とした声で呟く。死んだ筈の妻の名を含んだ独白には、酷く(いびつ)で悍ましい響きが潜んでいるように思えてならなかったし、彼の発言には看過できない文言が秘められていたように思える。

――――このまま、彼等が本当にいなくなれば………

 もし、ヨルコさんやカインズさんが既に死亡しているならば、わざわざ《本当にいなくなれば》などとは言うまい。それどころか、《狂言殺人》とはつまりキリト達が追っている圏内PKの事ではないか。彼等が追っている事件で犠牲者はいないことになる。キリトは隠されたロジックによるシステムの穴を疑っていたようだが、それさえも見当違いで、掌で踊らされていたことになるのだろうか。
 いや、それよりもピニオラが圏内PKの関係者の居場所を把握してしまっているばかりか、会話の流れからいって、グリムロックはかつてのギルドに共に所属したメンバーを残さず殺害するつもりだ。狂言などでは済まなくなる。


「本当に、君には感謝してもしきれないよ」
「あっはは~、そんなに喜んでくれたらぁ、私も頑張った甲斐がありますよぉ~………っと、もうそろそろですよねぇ~、センパイ達がお仕事の現場に入るのってぇ。わたしはご遠慮しますけどぉ、鑑賞されるんでしたらぁ、早く向かわれた方がいいですよぉ?」
「そうだね………では、お暇しようか。これはお代にでも使ってくれ」


 言って、グリムロックはカウンターに金貨(コル)を置いては足早に立ち去ってゆく。
 その後ろ姿に手を振りつつ、ピニオラは一仕事遣り遂げたかのように深く息をついて背筋を伸ばした。

 PKの実行犯も間もなく現場に到着する。
 つまり、ピニオラの言う鑑賞とは《かつての仲間が殺される光景を見届ける》ということで相違ないだろう。彼等をダシに使った手前で都合の良い話だが、とにかくキリト達にこの事を伝えて、PKを未然に防いでもらった方が賢明かもしれない。メニューウインドウからフレンド欄を開いてはスクロールする最中、俺はようやく気が付いた。

――――遮蔽物である樽越しに、嗜虐的な視線が向けられていることを。


「どちら様でしょう? お客さんが居たものですからぁ、ず~っと無視しちゃってましたけど~………こんなお店でかくれんぼするのってぇ、楽しいですか~?」


 背筋が粟立つような悪寒が走る。
 よもや、看破されてしまった隠蔽スキルは俺を助けてはくれないだろう。しかし、ここで顔を見られると厄介だし、下手に転移結晶で逃げ(おお)せれば、警戒したピニオラが計画を加速させて早々にヨルコさん達を始末することも十分に考えられる。幸い、如何に索敵スキルとはいえ、遮蔽物越しにいる相手が何をしているのか、その詳細な情報をダイレクトに受け取れるものではない。あくまでも《存在する座標》や《発生させている音》などの情報から推測するしかなくなってくる。つまりは、ピニオラは俺が誰であるかを判別できていない状態にあるのだ。

 故に、賭けるしかない。それ以外に、方法はない。

 スクロールした先のフレンド欄に記されたプレイヤー名に触れ、手短に情報を纏めて送信する。あとは、受信先の裁量次第となってしまうが、依頼する立場である俺からは上手く行くことを期待する。
 ………むしろ、受信先の相手以上に適任もいないだろうが、いささか酷な申し出だ。それこそ運任せといったところか。

 そして深く息を吸い、一番近くの窓を見定めて突進。
 観音開きのガラス窓は破砕音を立てることなく、非破壊オブジェクト特有の圧倒的な硬度で衝撃を耐え抜き、窓本来の機能である開閉のみを忠実に実行する。結果として、俺は街路に投げ出される格好となるが、そのまま足を止めずに酒場の向かいに細く伸びた路地裏に駆け込み、転移結晶を引っ張り出す。


「転移、《ラーベルグ》」


 可能な限り声量を抑え、屋根の上に立つローブのシルエットに視線を返す。
 敢えて俺が選んだのは、可能な限りの最悪手。相手方から見れば《こちらが敬遠するであろう手段》だからこそ可能性を第一に排除する遣り口。だからこそ試しに賭けに出てみたが、意外と効果はあったらしい。ここまで飛んできたということは、計画を早めるように指示を出していない証明だ。それに、どれほどAGIを強化しようとも、それはあくまでアバターの動作にのみ反映される数値だ。メニューウインドウ等のシステム処理については反映されない。故に、処理に()()()()()()()という本末転倒な現象が発生する筈なのだ。
 それもなく、俺に追いついたということは、メニューウインドウの操作を行っていないという何よりの証左。恐らく、実行犯に連絡するより先に俺の正体を判別するべく優先順位を設定したのだろう。かなり分の悪い博打だったが、賭けてみた甲斐があったというものだ。相手の頭が切れるだけに、不確定要素を潰しに掛かってくれたわけだ。上手く行けば、まだPKの実行までに間に合う可能性だってある。

 さらに、このまま現地に入ってしまえば、仮にピニオラが付いて来たとしても《自分から手を汚さない》というポリシーが邪魔して行動を自ら制限せざるを得なくなる。彼女の手口の性質上、圏内で獲物を見繕わなければ殺害は成立しない。だからこそ、この見立てには確証があった。
 《保険》を依頼した相手がどう動くかも未知数な今、圏内PK騒動で死人を抑えるには俺が出張った方が確実なのだから。

 ピニオラとの睨み合いは、やがて俺が青い燐光に消えるまで続いた。 
 

 
後書き
二つの事件(指輪事件と圏内事件)の裏側回。


前回、感想版にて「キリアスが8割くらい活躍する」と言いましたが、文章量的には4割程度でしたね。予定は未定。致し方ないのです。

今回のシーンは原作《圏内事件》における張り込みシーンとなっております。
アニメ版ではバッサリとカットされたシーンではありますが、原作8巻ではキリアスはシュミットからグリムロックさんの行きつけのお店を聞き出して張り込みをするというものなのですが、今回は燐ちゃんが張り込みする二人を監視するという立ち回りから事件の核心に迫っちゃったという流れでした。
そして、SAOには珍しい圏内での逃走シーンは心理戦メインのつもりで書いたのですが、よくよく考えると、これってただ女の子から逃げ出しただけなんじゃ………(震え声)

さて、指輪事件当初から上辺だけの情報を持っていた主人公視点の《事件を解決しないで暗躍する系圏内事件》も大詰めです。
というか、圏内事件とは名ばかりの別物になってしまっていますが、温かく見守っていただけると幸いです。


ではまたノシ 
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