銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第七十二話 第三次ティアマト会戦(その1)
■ 帝国暦486年12月3日 帝国軍総旗艦ヴィルヘルミナ エルネスト・メックリンガー
反乱軍はイゼルローン要塞付近にまで来ていたが、帝国軍のイゼルローン要塞出撃を知ると、全軍をティアマト星域に振り向けつつあった。要塞攻防戦をするつもりは無い、しかし帝国軍に好き勝手をさせるつもりは無い、ということらしい。
前回こちらの陽動作戦に引っかかった事が反乱軍を用心深くさせている。要塞付近まで近づいてこちらの動向を監視したらしい。こちらとしてもティアマト星域に展開しつつある敵を無視してヴァンフリート、アルレスハイムには行き難い。後方から追撃される可能性がある。
なによりこちらの目的は敵に大きな損害を与える事だ。ミュッケンベルガー元帥は“艦隊決戦は望むところだ”と言ってティアマト星域への進軍を命じた。敵戦力は四個艦隊、約六万隻に近いだろう。帝国軍も同じく四個艦隊、約五万五千隻。戦力は互角と言っていい。後は兵の錬度と指揮官の質が勝敗を決するだろう。
今の段階で元帥に不安を感じさせるものは無い。このまま問題なく終わって欲しいものだ。敵も味方も戦列を整えつつある。もう直ぐ戦いが始まるだろう。そうなれば、戦場の緊張感が元帥の心臓を襲う。心臓にかかる負担は秒単位で重くなるに違いない……。
~ 指揮権の委譲は出来ません。委譲がスムーズに行くかどうかも有りますが、委譲した場合、士気の低下、兵の混乱が想像されます。また直属艦隊が素直にミューゼル提督の指示に従うかどうか……。~
~ミューゼル提督は才能はありますが実績は少ない。それに歳が若いため、周りの反感を買いやすいという欠点があります。指揮権の委譲は危険すぎるのです。~
ヴァレンシュタイン中将の言葉が耳にこだまする。
帝国軍は中央にミュッケンベルガー元帥率いる直属艦隊、ミューゼル艦隊、右翼にクレメンツ艦隊、左翼にケンプ艦隊だ。少しずつ少しずつ、両軍は距離を詰めつつある。もう直ぐ両軍とも火蓋を切るだろう。
「ファイエル!」
ミュッケンベルガー元帥の命令と共に帝国軍の戦列より砲撃が放たれる。同じように反乱軍からも砲撃が放たれた。戦闘が始まった。
■ 同盟軍宇宙艦隊総旗艦ラクシュミ ヤン・ウェンリー
戦闘が始まって三時間が経った。帝国軍の中央の二個艦隊が攻勢をかけてくる。こちらは敵の新規編成の二個艦隊に対して攻勢をかけている。帝国軍が中央を分断しようとし、同盟軍は両翼を粉砕することを目論んでいる、そんな形だ。
こちらは左翼から第三、第七、第八、第九艦隊の布陣で対している。指令部は五千隻の予備兵力と共に第七艦隊の後方にある。
戦局は有利ではないが不利でもない、そんなところだろう。敵の新規編制の二個艦隊はこちらの攻勢を粘り強く凌いでいる。司令部では予想外にしぶとい新規編制の二個艦隊に苛立っている。やはりあの艦隊は寄せ集めでは無い。精鋭と言っていいだろう。
中央の二個艦隊はミュッケンベルガー元帥の直属艦隊とミューゼル提督の艦隊だ。攻勢を強めてくる。徐々にではあるが艦列が後退しつつある。しかし、まだ決定的な差ではない。
「敵左翼、混乱しつつあります!」
「崩れたか!」
「手間を懸けさせおって」
敵の左翼が混乱しつつある! 少しずつではあるが後退している。ドーソン大将をはじめ参謀たちは色めきたった。指令部に喜色が満ち溢れた。
「第三艦隊を前進させろ、敵の左翼を粉砕するのだ」
攻撃を命令するドーソン大将を私は慌てて止めた。
「お待ちください。あれは罠です。その証拠に敵の左翼には無傷の部隊が後方にあります。前進は待ってください。もう少し様子を見ましょう」
「何を言う、敵は寄せ集めなのだ。今こそ攻撃のチャンスだ!」
「敵中央攻撃を強めつつあります!」
オペレーターの声が指令部の緊張感を高める。
「このままでは中央が持たん。第三艦隊を前進させよ」
「……」
駄目だ。目の前の好機に目が眩んでいる。しかしあれが本当に敵の混乱だとは思えない……。
■ 帝国軍総旗艦ヴィルヘルミナ エルネスト・メックリンガー
事態は急変した。突然元帥が崩れ落ちると顔を蒼白にさせ、体を海老のように丸めて胸をかきむしった。司令部の空気が一瞬にして凍りつく。
“元帥”、“ミュッケンベルガー元帥”司令部を悲鳴が包む。
「元帥、これを、ニトログリセリンです」
私は元帥に駆け寄り、用意して有ったニトログリセリンを元帥の口に押し込むと、元帥の胸元、ベルトを緩めた。元帥は脂汗を滲ませて床に突っ伏したままだ。
「軍医を呼んでくれ、それと毛布を」
こうなった以上、行動に出ざるを得ない。ヴァレンシュタイン中将の言葉が蘇る。
~指揮権の委譲が出来ない以上、全軍の指揮は司令部より行なう事になります。シュターデン中将に指揮を任せられない以上、メックリンガー少将が指揮を執るべきです。~
~司令部の参謀に協力を求めても無駄です。彼らは反発するだけでしょう。協力が期待できない以上、残る手段は制圧しかありません。~
時間はかけられない。先手を取る。
「小官が指揮を執ります。指示に従ってください」
「何を言っているのだ卿は。指揮は私が執る」
馬鹿が! シュターデンは全軍の指揮を執る機会に顔を紅潮させている。お前に指揮を執る力が無いからこんなに苦労しているのだ。
「小官はミュッケンベルガー元帥より、指揮を執るように命じられています」
「なんだと」
呆気にとられるシュターデンに私は懐から文書を取り出した。そして読み始める。
「万一の場合は、宇宙艦隊を指揮し適宜と思われる行動を執れ。宇宙艦隊司令長官グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー」
「馬鹿な」
「元帥閣下は心臓を患っています。狭心症です。中将はご存じなかったでしょう? 元帥は万一の場合、小官に指揮を執るように命じられました」
私は言外に“お前は信用されていないのだ”と意味を込める、周囲に理解できるように。
~司令部の制圧には二つのものが必要です。一つは権威、もう一つは力です。権威は此処に用意しました。使ってください。~
私が使った文書はミュッケンベルガー元帥がヴァレンシュタイン中将のために用意したものだ。
オーディンで万一の事態が起きたとき使うはずのもの。しかし中将は自分には不要だと言った。宇宙艦隊の残留部隊は自分に従うことを確認済みだと。そのために時間がかかったと。
「馬鹿な、そんなもの認められるか!」
「認めないと言われるのですか」
「そうだ」
「キスリング大佐。シュターデン中将は精神に混乱を生じているようです。医務室に連れて行って鎮静剤でも投与してもらってください」
「承知しました」
“何をする、放せ”と喚くシュターデンを憲兵が連れ去る。制圧に必要なもう一つのもの、“力”、キスリング大佐率いる憲兵隊百名がそれだ……。シュターデンがいなくなった今こそ司令部を制圧する。
「シュターデン中将は精神に混乱を生じ、私の指揮権に異議を唱えた。しかし、今後異議を唱えるものは、命令不服従、並びに利敵行為として処断する。異議のあるものはいるか?」
「……」
「では最初の命令を出す。クレメンツ、ケンプ艦隊に連絡、フェンリルは解き放たれた……復唱はどうした!」
「はっ。クレメンツ、ケンプ艦隊に連絡します。フェンリルは解き放たれた」
「さらに、ミューゼル艦隊参謀長ケスラー少将にも同様の連絡を送れ」
「はっ。ミューゼル艦隊参謀長ケスラー少将にも送ります」
これから先は時間との競争だ……。
■ クレメンツ艦隊旗艦ビフレスト アルベルト・クレメンツ
「閣下、旗艦より電文が」
「うむ」
オペレータより通信文を受け取る。通信文には“フェンリルは解き放たれた”と有った。
妖狼フェンリル、ロキと女巨人アングルボダの間に生まれた怪物。神々の滅びに関与するという予言のもと岩に繋がれていたが、ラグナロックに解き放たれ、オーディンを殺す化け物だ……。いまそのフェンリルが解き放たれた。
俺は直ちに、ワーレン、ビッテンフェルト、アイゼナッハに連絡を取った。前方のスクリーンに三人が映る。
「司令部から連絡が有った。“フェンリルは解き放たれた”」
「!」
三人の顔に緊張が走る。覚悟をしていたとは言えミュッケンベルガー元帥が本当に倒れるとは……。だがメックリンガーは司令部の掌握に成功したようだ。これから先は俺たちの行動にかかっている。
「かねての手はずどおり行動してくれ」
「判りました」
「任せてくれ」
「……」
俺の言葉にワーレン、ビッテンフェルトは答え、アイゼナッハは無言で頷いた。ごく自然に敬礼を交わす。短期決戦で勝負を決めなければならない。ヴァレンシュタインの言葉が耳に蘇る。
~指揮権を得たら、こちらの行動を正当化するために誰もが納得する勝利が必要です。そして早期に戦闘を終了させてください。戦闘が長くなれば押さえ込まれた参謀たちが不満を表し始め、制御できなくなります……。短期に終了させるには敵を引き寄せて接近戦を挑む必要があるでしょう……~
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