銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第七十三話 第三次ティアマト会戦(その2)
■ 帝国暦486年12月3日 ミューゼル艦隊旗艦 ブリュンヒルト ウルリッヒ・ケスラー
「味方右翼、混乱しつつあります」
「敵右翼、前進してきます」
オペレータ達が悲鳴のような報告を上げる。
「何をやっているのだ、クレメンツは!」
ミューゼル提督が怒りの声を上げる。表情が怒りで歪んでいる。
「司令部より連絡。右翼に構わずミューゼル艦隊は敵中央を攻撃せよ、との事です」
「中央突破を優先させるか……。わかった、ミュラー、ロイエンタール、ミッターマイヤーに連絡。攻撃を前方の艦隊に集中せよ」
オペレータからの報告を受けミューゼル提督が指示を発した。
“フェンリルが解き放たれた”危惧していた通り、ミュッケンベルガー元帥が倒れた。幸いなのはメックリンガーが指揮権を握った事か。事態はこれから急展開で動くだろう。こちらもそれにあわせて動かなくてはならない。
~ミューゼル提督に事前に知らせる事は出来ません。指揮権をめぐり司令部と争いが生じかねない。どのような形で決着するにしろ、そのままで落ち着くとも思えません。提督に知らせない以上、分艦隊司令官にも知らせる事は出来ないでしょう。~
確かにミュラー達分艦隊司令官に知らせる事は出来ない。もし自分だけが知らなかったとミューゼル提督が知れば、これ以後ミューゼル提督は孤独感を深めるだけだろう。周囲に対し、疑心暗鬼になるに違いない。
この艦隊で全てを知っているのは自分だけだ。これからは司令部と歩調をあわせて動かなくてはならない。ミューゼル提督を暴走させる事無く、勝利を目指す。それが私の役目だ。
「味方左翼も混乱し始めました」
「ケンプ艦隊後退しつつあります」
「味方右翼さらに後退しつつあります」
オペレータ達の報告に艦橋が緊迫に包まれる。ミューゼル提督もキルヒアイス中佐も憂色が濃い。敵の中央は押され少しずつ後退はしているが、未だ崩れたつ程混乱はしていない。
「司令部より連絡。中央を突破するべく攻撃を続行せよ」
「時間との勝負だな」
ミューゼル提督が吐く。隣でキルヒアイス中佐が無言で頷く。その通り、時間との勝負だ。後はビッテンフェルトとファーレンハイトの攻撃力が全てを決めるだろう。そして反撃のタイミング、メックリンガーが何処まで耐えられるか……。
■ 同盟軍宇宙艦隊総旗艦ラクシュミ ヤン・ウェンリー
艦橋は喜色に溢れている。敵は左翼だけでなく右翼まで混乱し始めた。敵は中央を突破するべく攻撃を強めているが、両翼が後退しているため圧力をかけ切れずにいる。味方には余裕がある。
「第三、第九艦隊に連絡、前進し敵を粉砕せよ、その後敵の後背に展開し前後から挟み撃ちにする。急げ」
ドーソン大将が命令を発する。本当にあれは混乱しているのだろうか? 私には擬態としか思えない。
敵の左右両翼にはほとんど戦闘に参加していない部隊がある。周りは皆、寄せ集め部隊の脆さが出たと言っているが本当にそうだろうか。何度かドーソン大将に警告したが全く受け入れてもらえなかった。
あれが予備部隊だとすれば敵は未だ余力があるということだ。いやむしろあれは反転攻勢のための部隊に違いない。敵の狙いはこちらを引きつけておいての反転攻勢だろう。中央部隊が攻勢を強めているのも、両翼が当てにならないから中央を突破しようとしていると思わせる策だろう。
敵は短期決戦を目論んでいる。こちらは敵の思惑に乗りつつある。絶望感と無力感が私を包み込む。酷い戦いになりそうだ……。
■帝国軍総旗艦ヴィルヘルミナ エルネスト・メックリンガー
艦橋は憂色に包まれている。戦況が良くないことに不安がっているのだ。既に何度かあれは擬態だと説明した。しかし、なかなか信用できないらしい。ミュッケンベルガー元帥は簡易ベッドで休んでいる。軍医がそばについているが容態は安定しているようだ。
指揮官と言うのがこれほどきついものだとは思わなかった。改めて宇宙艦隊司令長官の任務の厳しさに慄然とする。このような仕事を何年もすれば体に支障が出るのも当然だろう……。
中央が攻勢を強め、両翼が少しずつ後退していく。両軍の陣形はU字型になりつつある。もう少しだ、もう少し敵を引き付けたい。敵はこちらの思惑に乗りつつある。もう少し我慢するんだ、エルネスト。
「敵、左翼、右翼さらに前進します!」
かかった、この出鼻を挫く。敵を一気に殲滅する。
「全艦隊に命令。反撃を開始せよ!」
■ クレメンツ艦隊旗艦ビフレスト アルベルト・クレメンツ
「反撃命令が出た」
ワーレン、ビッテンフェルト、アイゼナッハの顔に不敵なまでの笑みが浮かぶ。
「ようやく下手なダンスを踊らずに済む」
「下手なダンスでも踊れるだけ良かろう。こちらはずっと壁の花だからな」
ワーレンの冗談にビッテンフェルトが下手な冗談で言い返す。彼の鬱憤を思うと思わず笑いが出てしまった。
「待たせたな、ビッテンフェルト提督。此処からは卿の働きが鍵となる。頼むぞ」
「任せてもらおう、では、始めるぞ」
「うむ。期待させて貰おう」
その言葉が合図のように、三人の表情が引き締まった。敬礼を交わし映像が切れる。上手くいけば敵を包囲殲滅できるだろう。妖狼フェンリルが大神オーディンを飲み込んだように……。
■ 同盟軍第三艦隊旗艦ク・ホリン ルフェーブル中将
戦局は急激に変化した。これまで混乱していた敵艦隊が整然と反撃してきたのだ。
「敵艦隊反撃してきます!」
「うろたえるな、攻撃を続行せよ」
オペレータの報告に指示を出しつつ、戦況を確認する。
嫌な予感がする。胸中にどす黒い不安が渦巻く。偶然だろうか、それともこれまでの混乱は擬態だったのか……。弱気になるな、敵の中央があれだけ攻撃を集中しているのは、両翼が当てにならないからだ、そのはずだ……。
「敵別働隊、外側より接近中!」
「第三分艦隊に迎撃させよ」
これまで動きの無かった敵の分艦隊が動き出した。やはり擬態だったのか……。
艦橋の雰囲気が先程とは一変している。参謀もオペレータも不安そうな表情で周囲を見渡す。いかんな、落ち着かせなくては。
「何を慌てる事がある。最後の足掻きだ、落ち着け!」
迷うな、此処まで攻め込んだのだ。敵の別働隊は第三分艦隊に防がせる。敵に比べれば兵力は少ないが、防ぐだけなら大丈夫だろう。その間に正面を突破し敵の後背に出る。司令部の作戦は間違っていない。此処で攻め切れば良いのだ。
「敵別働隊、第三分艦隊と接触します」
どうやら落ち着いたようだ。大丈夫だ、我々は勝っている。
「正面の敵に攻撃を集中せよ。突破して敵の後背に出るぞ、それで我々の勝ちだ」
「だ、第三分艦隊押されています!」
落ち着いたと思ったのもつかの間だった。敵の別働隊は圧倒的な勢いで第三分艦隊を攻撃している。このままでは突破されるのも時間の問題だろう。
どうする? 増援を出すか? しかしそれでは正面の敵を防げない。なし崩しに後退せざるを得ないだろう。第三分艦隊も増援に出した部隊も敵中に孤立しかねない。
「正面の敵、接近してきます!」
■ 同盟軍宇宙艦隊総旗艦ラクシュミ ヤン・ウェンリー
「敵左翼、右翼、反撃してきます!」
「外側から別働隊が接近中!」
「中央の敵、攻撃を強めつつあります!」
戦況は一変した。オペレータ達の報告に緊張感が走る。ドーソン提督も顔面を引き攣らせ敵の動きを注視している。敵の両翼が反撃してきたのだ。これまで戦闘に参加していなかった艦隊が攻撃に参加しだした。やはり擬態だったか……。
第三、第九艦隊は別働隊に対応するべく分艦隊を振り向けた。大丈夫だろうかと思う間も無く圧倒的な勢いで敵に粉砕されつつある。やはりそういうことか……。あの艦隊が後方で待機していたのはこのために用意された艦隊だったのだ。攻撃専用の艦隊、それにしてもとんでもない勢いだ。
「ドーソン提督、第三、第九艦隊を後退させて下さい」
「何を言う。今後退させたら、敵の攻勢を助長させるようなものではないか」
「このままでは、敵の別働隊に側面を突かれます。正面の敵と連動されたら壊滅しかねません。それよりは多少の出血を覚悟の上で後退し、艦隊を再編するべきです」
私とドーソン提督の遣り取りに艦橋は沈黙に包まれた。わかっている、言うのは容易い。しかし実行するのは至難の業だ。損害もかなりの物になるに違いない。
しかし、やらなければ両翼は壊滅し、自由になった敵はこちらを包囲殲滅しようとするだろう。こちらが援護したくとも正面の敵に押し込まれている現状では不可能だ。おまけに第三、第九の両艦隊は余りに敵陣に踏み込みすぎた……。
味方は右翼、中央、左翼の連携が取れなくなっている。最初からこれが狙いだったのか。敵は優勢にあると思わせつつ、各個撃破の機会を伺っていたのだ。そして、両翼は今各個撃破の危機にある。同盟軍に残された時間は短い……。
「提督、ご決断ください!」
ドーソン提督は、顔を引き攣らせたまま戦況と私を交互に見た。早く決断してくれ。
「……第三、第九艦隊に後退命令をだせ……」
震えを帯びた搾り出すような声だった。
なんとかこれで各個撃破の危機は免れるかも知れない。しかしまだ包囲殲滅の危機は残っている。同盟軍にとっては長く辛い時間が続きそうだ……。
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