銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第七十一話 暗雲(その2)
■ 帝国暦486年10月6日 クレメンツ艦隊旗艦ビフレスト エルネスト・メックリンガー
クレメンツ少将に呼ばれ戦艦ビフレストに行くと、まだ若い士官が会議室に案内してくれた。部屋に入ると驚いたことに新編成二個艦隊の司令官達が席に座っている。それだけではない、ミューゼル艦隊のケスラー少将、それにヴァレンシュタイン中将もいる。
「ようやく揃ったか」
「クレメンツ、 一体どうしたんだ」
「それはヴァレンシュタイン中将に聞いてくれ」
クレメンツはそう言うとヴァレンシュタイン中将の方を見た。
「メックリンガー少将、適当なところに座ってください」
「どうしたのです。中将」
「今お話します。長くなるでしょう、お座りください」
長くなる? どういう事だ。周りを見渡すが皆不審そうな表情をしている、クレメンツもだ。まだ誰も話を聞いていないらしい。訝しく思いながら手近な席に座る。
「今度の遠征ですが、上手くいかない、いえ惨敗するかもしれません」
「!」
常に無い沈鬱な表情で話すヴァレンシュタイン中将に皆顔を見合わせる。
「中将、それはどういうことでしょう、我々が当てにならないと?」
「違いますよ、ワーレン少将。私はここにいる方の実力を疑った事はありません」
「では、一体何が?」
ヴァレンシュタイン中将は一瞬俯くと顔を上げ辛そうに話し始めた。
「ミュッケンベルガー元帥は総司令官の任務に耐えられる体ではありません」
「!」
一瞬の絶句、その後悲鳴のような抗議の声が上がる
“馬鹿な”、“何を一体”、“そんなはずは”
「中将、冗談は止めて下さい。小官は先程まで元帥閣下と打ち合わせをしていたのです。元帥はお元気でした」
私は、中将を見据えながら言った。いくら冗談でも酷すぎる、言って良い事と悪い事が有るだろう。周囲の人間も強い視線で中将を見据えた。しかし中将は悲しそうな表情で私を見ている。どういうことだ、嘘じゃないのか?
「元帥閣下は心臓が良くありません。……狭心症です」
皆声が無い。ただ眼で語り合うだけだ、“本当か”と。そして中将の声が静かに会議室に流れる。
「既に二度発作を起しています。元帥から聞きました」
目の前が真っ暗になりそうだった。元帥が狭心症? 発作?
「本当なのですね?」
「本当です」
私は自分の声がかすれていることに気付いた。中将は唇を噛み締めている。
「……総司令官を誰かに代わってもらうべきだろう」
「誰に?」
「……例えば、メルカッツ大将はどうだ」
ファーレンハイト少将とルッツ少将が話している。賛成するように何人かの人間が頷く。確かにメルカッツ大将がいる。彼なら大丈夫だろう。ただミュッケンベルガー元帥が素直に受け入れるか?
「メルカッツ提督は駄目です」
「中将?」
「その件については既に私が元帥にお話ししました。残念ですが受け入れてもらえませんでした」
我々は皆顔を見合わせた。元帥とメルカッツ提督の関係が良くないことはわかっている。しかし、これは戦争なのだ。好き嫌いで済む話ではない。
「勘違いしないでください。元帥とメルカッツ提督の関係を邪推する人がいますが、それは違います。メルカッツ提督を拒否したのは理由があってのことです。私もそれに同意しました。」
理由が有る? それは、いやその前に確認する事がある。
「では、元帥は自分で指揮を取ると?」
「ええ」
私の問いにヴァレンシュタイン中将は短く答える。私たちはまた顔を見合わせた。
「しかし、発作が起きたら……」
「当然、指揮は取れんだろう」
「戦闘中に起きたらどうなる」
「最悪だな」
提督たちの間からささやきが漏れる。確かにそうだ、最悪の事態と言っていいだろう。
「指揮権を委譲した場合、序列から言うと指揮を執るのはミューゼル提督か……。ケスラー少将、ミューゼル大将はどうなのだ?」
ビッテンフェルト少将がたくましい腕を組んで問いかける。
「能力は問題ないだろうな」
「それなら問題はなかろう。違うか」
組んでいた腕を解いてビッテンフェルト少将は周囲に同意を求めた
同意するように頷く提督たちを止めたのはヴァレンシュタイン中将の声だった
「そうも行きません」
「?」
「ミューゼル提督が指揮を取ると言う事は、元帥が指揮を取れないことを意味します」
「?」
提督たちの表情に怪訝な色が浮かぶ。今更何を言っているのだろうと。
「そのことが兵にどんな影響を与えるか、私には想像もつきません」
「!」
部屋中にうめき声が満ちた。
確かにその通りだ、士気はガタ落ちに違いない。だが士気だけの問題で済むだろうか。ただの指揮官ではない。名将ミュッケンベルガーが指揮を取れないのだ。どんなパニックが起きるか、確かに想像がつかない。
「それに司令部が素直に指揮権を委譲するかどうか」
「……」
つぶやくように中将が続ける。私たちはその言葉にまた顔を見合わせた。
「兵を動揺させないためと称して指揮権を握り続ける事はありえます。戦闘前でも最悪である事は変わりません。司令部とミューゼル提督の間で指揮権をめぐって争いが起きるでしょう」
ありえない話ではない。いやむしろ有り過ぎる話だろう。
この場合、指揮権の委譲はあまりにも危険すぎるのだ。ミューゼル提督の能力とは関係ないところで危機が発生する。
「司令部で力を持っているのは……」
奥歯に物が挟まったような口調でファーレンハイトが問いかけてくる。彼は私の答えを判っているのだろう。
「シュターデン中将だ、ファーレンハイト少将」
案の定、周囲から溜息が漏れた。気持ちは判る、私も溜息を吐きたい。
「駄目だ、あの男に指揮などできん。勝ってる戦いも逆転負けするぞ」
クレメンツが吐き捨てるように言った。
「メックリンガー、卿が指揮を取れんのか?」
「無理だ。新任参謀の私では、周囲が納得しない」
クレメンツ、無理を言うな。私が新規編成の二個艦隊のパイプ役だということを司令部の参謀たちは知っている。
彼らは私たちを胡散臭く見ているのだ。ヴァレンシュタイン中将が後ろにいると知っているから露骨には態度に表さない。態度に出すのはシュターデンだけだ。そんなシュターデンでもヴァレンシュタイン中将の前では大人しくしている。
「ヴァレンシュタイン中将、中将が参謀として遠征に同行することは出来ませんか。閣下なら司令部を抑える事が出来るでしょう。我々も安心して戦える」
ケンプ少将が訴えるように言う。ヴァレンシュタイン中将は苦しげな表情だ。
「それは駄目だ、ケンプ提督。中将はオーディンにいなければならん。万一の場合、内乱になるだろう。そうなれば戦争に負けるどころではない」
ケスラー少将がケンプ少将に答えると周囲から“うーん”、“どうすれば”等の声が上がった。
ミュッケンベルガー元帥が発作に倒れた時から私たちは地獄に落とされるだろう。指揮権を委譲すれば艦隊全体に混乱が生じる。委譲しなければ、艦隊全体の指揮統率は滅茶苦茶なものに成る……。
八方塞だ。圧倒的に優勢だと思っていた。今度こそ反乱軍に致命的な一撃を与える事が出来ると信じていた。しかし、こんなところに落とし穴があるとは……。綱渡りだ。渡り切れば私たちは勝てる。しかし落ちれば敗北が待っている……。
「一つだけ手があります。兵の士気を落とさず、指揮を混乱させない方法が」
救われたように発言者を見る。私たちを助けてくれるのは、やはりヴァレンシュタイン中将だった。
「それは」
「ただ、あまり褒められた手ではありません。シュターデン中将は怒るでしょうね、ミューゼル提督も不満に思うかも知れない」
ヴァレンシュタイン中将はやるせなさそうにつぶやいた。彼自身不本意な策なのかもしれない……。
「ヴァレンシュタイン中将、それは一体」
「それは……」
ビッテンフェルト少将の急かすような問いにヴァレンシュタイン中将は答え始めた。彼の話が進むに連れ、私たちの間で驚きと困惑の声が上がり始めた……。
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