SAO-銀ノ月-
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第百五話
「……えー、そんな訳で。水泳の授業を始めます」
「はい!」
「はい先生!」
先のシャムロックと俺たちによる合同攻略により、新たにアインクラッド第二十二層が解放された。キリトたちは速やかに、二週間程度ではあるがSAO時代に住んでいた、湖畔のログハウスを一括で購入することに成功。今は家族団欒の生活をしていることだろう。
そしてこの浮遊城の新たな層である、第二十三層を守るフロアボスの居所を救いながら、新たなフィールドをプレイヤーたちは探索し始めていた。シャムロックやサラマンダー領、シルフ領にケットシー領などは、黒鉄宮に自らの名前を刻まんと競い合っている。とはいえドロドロしたものではなく、あくまでスポーツのような競争だ。
そんな新たなフィールドの探索は、もちろんギルドでもない俺たちも行っている。見たことのない新たなフィールドの冒険は、かつてのデスゲームでは体験する余裕はなかったが、今の俺にもその楽しさは分かる。もちろん学校や諸々の用事が終われば、今日もこの妖精境を訪れていた。訪れていた、のだが……
……何故か俺は今こうして、少女二人を前に水着姿となっていた。
「……どうしてこうなった」
アインクラッド第四層――別名《水の都》とも言えるその場所に、俺の呟いた言葉が放たれていったが……誰も答えてくれる者はなく。代わりに俺と同じく水着姿に扮した、ユウキとセブンがじゃれあっていたが。
……ともかくこの層は、全面に水路が施設されており、移動のためにはゴンドラの制作が必要不可欠で、ここは随分苦労した――とキリトは語っていたが、あいにくと今の俺たちには翼がある。不信げなキリトから人気やモンスターの少ない場所を聞き出し、俺たち三人はここにいた。
もちろん目的は、二人に泳ぎを教えるためである。
VR研究家として、水という特異な空間を体験しなくてはならない――と熱く語るセブンと、ついでに泳ぎたくなりたいユウキに、熱心にコーチ役を頼まれてしまい。出来るだけ他人に知られたくない、という二人の懇願もあり、秘密の練習として俺たち三人だけでここにいた。……セブンがギルドリーダーを務める、シャムロックの皆様を撒きながら。
「……でもやっぱりいいわね。この水着。撮影に使いたいくらい」
「……気に入っていただいたなら何より、だ」
泳ぎの練習ということでもちろん水着であり、俺とユウキは件の水着コンテストで使った水着を持っていたが、セブンはこの日のために新たに用意していた。そんな身につけたワンピース型の水着を、アイドルらしくクルクルと回って楽しんでいた。……こちらから見ると、セブンの普段着であるステージ衣装も似たような感じなのだが。
「でもいい針師の方知ってるのね。何だか意外だわ」
「まあ……色々あってな」
セブンの衣装はかのSAOでのカリスマ裁縫師、アシュレイさんに頼んで作ったものだ。同じく水着コンテストで知り合った彼女――彼女? とにかく彼女に頼んで、シャムロックの皆様から隠れるついでに制作してもらっていた。……急な仕事と騒動の代金として、後日に武具店に顔を見せてくるそうだが。
「そんなことより、さっさと始めるぞ」
「なーに? レディーの水着姿を見て、そんなことなわけ?」
「ダメだよ、セブン。ショウキが褒めていいのはさ、その……1人だけなんだから」
レディーというような年と外見か――とツッコミたくなった口を抑えていると、ユウキが少し顔を赤らめながらセブンを引き止める。言っていて照れるくらいなら止めておけばいいのに、と思っていると、当のセブン本人はいまいち意味が分かっていないようで。キョトンとした様子で、普段は被っている帽子がない銀髪を揺らす。
「どういうこと?」
「ほら、その……リズが、えっと……」
「あっ……あー、その……」
チラチラとフォローを求めるようにユウキは視線をよこしてきたが、特にこちらからそれを返すことはなく。たどたどしく遠回りに直接的な表現を使わず、身振り手振りも交えて語るユウキに、ようやくセブンは彼女が何を言いたいか察したらしく。
「ショウキとリズって……そういう関係なの?」
「じゃあ、まずはこれを使うか」
照れたような表情がユウキから感染した、セブンの小さな声の質問をまたもやスルーしながら、俺はストレージから二つのアイテムを取りだした。それは軽装戦士が片手に装備する、小さな盾のようなものであり。
「……何ソレ? 盾?」
「ビート板だ」
余った資材で制作したビート板が二つ。……何故か手持ち部分が日本刀の柄になっているのは、制作者の遊び心ということにしておくとして、それらを不思議がる二人に渡す。
「へぇ、これがねぇ……」
興味深げにビート板を眺める二人。天才少女として、VR研究家にアイドルと過ごしてきたセブンにとって、こうした物は珍しいのであろうか。同じようなリアクションをしているユウキはどうなんだ、という話であるが――詮索するようなことでもない。
「とりあえずそれ持ってれば水に浮く。まずは、ビート板を持って泳ぐところからだ」
「はい!」
返事だけは立派なもので――ようやく揃って移動すると、底まで見通せそうな円型の水場が俺たちを迎える。やはり水場の近くとなると緊張でもするのか、二人の表情に緊張の色が混じる。
「け、結構深いわね……そういえばショウキ、水中で移動出来るようになる魔法、って使えるの?」
「溺れなければいいんだろ?」
「…………」
セブンからの質問にノータイムで答えた返答に、さらに二人の緊張感が高まっていく。もちろん俺が持っていなければ、始めたばかりのセブンはもちろん、水場に縁もゆかりもないユウキも習得してはいないだろう。
「水中でも活動出来るようになるなら、泳ぎの練習にならないからな……そういえばユウキ、水中を泳ぐゲームとかやったことないのか?」
もちろん溺れるような状況になる前に助けるつもりではあるが、本当に魔法がないことが伺われる俺の言葉が、どうやら緊張感のトドメになったらしく。そんな様子と雰囲気に苦笑しながら、俺はかねてより気になっていたことをユウキに聞いた。
「うーん……ないことは無かったけどさ。このゲームで言う翼みたいな、あんまり現実で泳ぐのとは違ったかなぁ」
「そうね。水はVRでの再現が難しいから……こんなに水中を推してるのは、『あのゲーム』の流れを汲んだ、このゲームぐらいじゃないかしら」
スリーピング・ナイツはこのALOに来るより以前は、様々なVRゲームをあのメンバーで遊んでいたらしいのだが、水中を泳ぐようなゲームはなかったのか。俺のふとした質問にユウキが困ったように答えると、セブンが専門家からの目線で推測する。
「なるほど……」
アイドルや俺たちと遊んでいる時のセブンではなく、VR専門の博士としての風格を漂わせるセブンが語った、『あのゲーム』の参加者として1人納得する。スリーピング・ナイツたちと同じく、様々なVRゲームをプレイしているレコンから聞いたことはあるが、水中というのは大体はダメージゾーンと同義であるそうだ。そのVRゲーム全体の水場への認識については、かつての《死銃》事件で水中を利用した奇策を取ったのが、SAO生還者たるキリトに《死銃》だけだったことからも頷ける。
対してこの――いや、『あのゲーム』ことSAOは、開発者が『もう一つの現実世界』を目指して完成させたものだ。水がない世界など存在しないのだと、専門家であるセブンに『難しい』と言わしめるそれを、違和感なくあの男は作り上げたのだろう。
「……また話がそれたな。とりあえず飛び込もうか」
「……ショウキくん、結構スパルタよね。そうよね?」
思えばこのVR空間とは、たかだかダメージを食らう程度で、溺れはしても死にはしない。自分も学校でリハビリにVR空間を使ったトレーニングをしていたが、こういうVR空間の利用法を、セブンのようなVR研究家は調べているのだろう。……少しばかり興味は出て来たが、今は考えるべきことではなく。考えたくもないあの男のこととともに、思考を頭から追い出しながら手を叩いて二人を促していく。
「よ、よし! リズも言ってた……女は度胸だ!」
ユウキがそう叫びながらビート板を持ち――あとでリズには話を聞かねばならない――勢いよく、無駄に綺麗なフォームで水場に飛び込んでいく。当然ながら沈んでいくものの、ビート板の浮力によってユウキごと水面に浮かび上がる。
「ぷはぁ!」
「ま……待ちなさいよ! わたしも……」
先の攻略戦の最中に、どちらが先に泳げるようになるか勝負、などと言い出した手前。セブンもユウキに続いて水場に入ろうとするが、流石に彼女のように飛び込むことはせず、ゆっくりと足をつけて水場に入っていく。
「……あれ、あったかい」
「ホントだ! ……ショウキ、ありがと!」
足をつけたセブンに飛び込んだユウキ。どちらもが思った感触と違ったのか、不思議そうに自分の肌を濡らす水の感触を確かめていて、ユウキが何かに気づいたようにこちらへ微笑んだ。……わざわざこの層の場所に太陽が南中する時間を調べたとか、そんなことが言えるわけもなく、ユウキの輝くような表情から目を逸らす。
「これなら……っと!」
暖かい水にいくばくか緊張感が薄れたのか、セブンはゆっくりと水の中へと入っていく。必死にビート板に掴まってはいたが、どうにかこうにか彼女も浮かぶことに成功したらしい。
「じゃあ、その柄を掴んで泳ぐ体勢になって、ばた足でもいいから進んでみてくれ」
水場の上から二人に指示を出していく。ビート板の胴体に掴まっていた二人は、持ち手となっているビート板の柄を掴むと、身体も自然と浮かんで泳ぐ体勢となっていく。
「ショウキー! この柄のところスッゴく持ちやすいよー!」
「………………まあな」
謎の柄を絶賛するユウキに対して、俺にはどう答えていいか分からない。あのビート板も一種の日本刀と言えるのか――と頭を抱えていると、二人はビート板を持ちながらも泳ぎだした。
「っと、とっ、と」
「お、泳いでる……ボク泳いでるよ!」
「慣れてきたら水にも顔つけてな」
まだ少し苦戦しているセブンに対して、ユウキはコツを掴んだようで、なかなかの速さで泳いでいく。元々走るスピードや飛翔するスピードが規格外な彼女にとって、水泳もコツが掴めればあの程度容易いことだろう。ならばセブンを教えるか――と思えば、ユウキに負けじとスピードを増していた。
「……負けないわよ!」
……ああ見えて負けん気は強いらしく。根性だけでユウキに肉迫せんと泳ぐセブンに、心中で少しばかり感服しながら――俺は暇になった。水に顔をつけて泳いでいくなど、何も言わずとも徐々に水中に適応していく彼女たちに、特に今は言う必要があることもなく。
「……ん?」
――ユウキたちから意識を逸らした故か、一瞬だけ、どこからか視線の気配を感じた。こちらを見ているような、監視しているような……周囲を眺めてはみるが、やはりそんなことをしている者の姿は見えない。
十中八九、《隠蔽》スキルによるものだ。キリトにレコンなど、どうも身近にそれを行うプレイヤーが多く、かのゲームでの経験もあって断定できる。それを見破ることの出来る《索敵》スキルを俺は持っていない、が……
「二人とも、ちょっと泳いでてくれ」
ユウキとセブンに言い聞かせながら、ストレージを操作してクナイを手に取りだした。一応付き合いやもしものために水着姿のため、日本刀《銀ノ月》を帯びることは出来ない。それでもこちらを……いや、水中で泳ぐ二人を見る視線を感じながら――俺はそちらに向けて、反射的にクナイを投げ放った。
「――――ッ!」
だがクナイは不自然な場所で中ほどから切り裂かれ、その姿はポリゴン片となって消失する。だが行動を起こしたことで《隠蔽》スキルが解除され、その姿が現される――前に。銀色の刃が俺の無防備な首筋に添えられた。
「……動くな」
こちらが丸腰ということを差し引いたとしても、動くことの出来ない高速の斬撃。通常のカタナよりも鈍重な筈の野太刀を軽々と振るったその姿は、長身のウンディーネの青年。
「……スメラギ?」
「動くな。いいな?」
セブンがリーダーを務めるかのギルド《シャムロック》の副リーダー、スメラギの姿がそこにはあった。彼の申し出にコクリと頷くと、スメラギはリズベット武具店でお買い求めになった野太刀を、ゆっくりと鞘にしまっていく。
「手荒な真似をした。すまない」
「いや……どうしたんだ? セブンに用か?」
野太刀に晒された首筋を触りながら、俺は深々と頭を下げるスメラギに質問する。……とはいえ用事ならば《隠蔽》スキルで隠れる必要もなく、その質問が本当に答えだとは思ってもいなかったが。
「セブンが泳ぎの特訓をするというので、警戒していた」
「……それだけか?」
「ああ」
……何かの冗談だと思っていたが、スメラギの表情はまるで変わらない。本当に彼はただセブンを見守る為に来ていたのだと、あまりにも嘘のような理由に疑わしげな視線を向けるものの、その自信ありげな仏頂面はまるで動かない。……これで本当の理由を隠しているようなら、大した役者だと思わざるを得ない。
「……心配しすぎじゃないか」
「確かに……そうだが。彼女は博士などという役職ではあるが、まだVR適応ギリギリの子供だ」
自らでも自覚はあったようであるが、スメラギはあくまで仏頂面のまま真面目に語る。……リズに「スメラギがあんたに似てる」などと言われたのだが、このストーカーと同じだと言われると釈然としない。
「そもそも……スメラギはセブンの助手なんだったか?」
「ああ」
ひょんなきっかけから知り合ったセブンが、フレンドリーにこちらに接してきているため、必然的にその腹心である彼とも顔は付き合わせているのだが。あまりスメラギは自己主張することはなく、彼についてはまるで知らなかった。
「……改めて、だが。こちらでの名前はスメラギ。現実ではセブン……七色の助手をしている」
彼自身もその事実に気づいたのか、ばつが悪そうに自己紹介を始めた。長身のウンディーネ――野太刀を武器としたスメラギは、特に気にした様子もなく現実における自分のことを話す。セブン――七色自体がオープンにしているからだろう。……助手らしく、必要以上に心配性で過保護のようであるが。そしてその実力は――こちらが気が付かぬうちに、その鈍重な野太刀を俺の首筋に置く事が出来るほどらしく。
「改めてよろしく。……一つ、聞いていいか?」
「答えられる限りならな」
……そしてどうやらリズに言わせるに、どこか俺に似ているとのことで。カタナを使う仏頂面な事ぐらいしか、当の本人には分からないが、セブンには聞きづらかったを問うてみた。
「……どうして、この世界に来たんだ?」
VR世界の研究者たるセブン――七色がこの世界に来た理由。ギルド《シャムロック》を結成し、無邪気に楽しむ彼女を見ていると、とても何かを研究しているような博士には見えない。
だが、彼女が時折見せるVR世界の研究者としての顔は、俺が会ったことのある茅場や須郷にどこか似ているのだ。自分の目的のためには、どこか禁忌にすら踏み込まんとするような。
「そうだな」
俺の疑惑の視線に何かを感づいたのか、スメラギはしばし返答をどう言うか考え込む。そしてその口から紡がれた返答は、ある意味予想だにしない言葉だった。
「セブンや俺たち。シャムロックの仲間たち。全てを使って俺たちはある実験をしている。……このゲームを選んだのは、ただ実験に最適だっただけだ」
「…………」
――こちらの怪しんでいた言いづらい情報を、まるっきり馬鹿正直に答えられてしまう。完全に予想を外された俺は虚を突かれてしまい、どこか間抜けな表情をスメラギに見せてしまっていた。そんなこちらの様子を見たスメラギは、その仏頂面に小さく笑みを浮かべ。
「もちろん、一般プレイヤーや法律に問題のある行為をするつもりはない。だからこれからも、セブンと仲良くやって欲しい」
「あ、ああ……」
こればかりは信じて貰う他ないが――と続くスメラギの言葉に、俺はただ頷くことしか出来なかった。そして思ったことは、彼ら――セブンにスメラギ、シャムロックを立ち上げたメンバー――は、底抜けに善人なのだと。
「変な質問をして悪かった。許してほしい」
「気にするな。……怪しいのは確かなのだからな」
疑ってしまったことを謝罪したい気持ちに襲われ、丁寧に頭を下げた俺に浴びせられたのは、恐らくはスメラギ流のジョークであるらしく。こちらも小さく笑みを浮かべると、感謝しながら頭を上げる。
「ただ詳しくは言えないが、セブンに実験と目的があることも確かだ。俺は助手として、彼女を手助けするだけだがな」
「ああ……そうだな」
……少し、スメラギという人物が分かった気がした。今度店に来た時は、少しサービスでもしてやろう――とは思ったのは確かだったが、ここからが大変なところだった。
「それでショウキ。どこか、セブンをよく見張れる場所はないか」
「……帰ってやれ」
――それから激闘を経て何とかスメラギに帰還していただき、ひとまずは誰かの気配のようなものは感じなくなった。スメラギが《隠蔽》スキルの質を上げてきた、という可能性も無くはないが、彼の良心をひとまず信じることにする。……いや、良心を信じればまだセブンを見守っていそうだが。
スメラギは過保護なんだから――とセブンが愚痴っていたが、今までその立場から仕方ないとは思っていたが、これから少しセブンに同情することにする。本人としては、真面目に真摯に彼女の為に、と仕事をしているのが厄介そうだ。
「悪い、泳げてるか?」
「あ、ショウキ! もう完璧だよ!」
「ふふん。ま、このわたしにかかればね!」
慌てて二人が泳ぐ水場に戻ってみると、ユウキにセブンがどちらも、今までも嘘のように水場に馴染んでいた。……ただ、その手にはしっかりとビート板が握られており、どうやらあと一息のところであるらしい。
「よし、じゃあビート板を手から離してくれ」
「えっ!?」
「えっ」
思ってもみなかったような驚愕の声をあげられ、むしろこちらが驚いてしまう。ずっとビート板を持って泳ぐつもりだったのか、それともずっと使っていて愛着が湧いたのか。もしも愛着がついたならば、制作者冥利に尽きるというものだが、水に顔をつけたまま泳げるようになった彼女たちに……もうあのビート板は必要ないのだ。
「泳ぐまであと一歩だ。その為には……そのビート板を離さなくちゃいけないんだ」
「そっか……そうだよね……」
「ええ、寂しいけど……」
ドキュメンタリー番組ならば、壮大なバックミュージックが流れそうな、彼女たちとビート板との涙の別れ。この日のために制作した結果、何故か持ち手が柄になった上に仕込み刀が入った、完全にビート板としてはイロモノなアレを――そこまで気に入ってくれるとは。その様子に制作者としても涙しながら、俺はアイテムストレージのメニューを選択する。
「今まで……今までありがとうわぁ!?」
長くなりそうだったので、ユウキがビート板に語りかけている間に、二つのビート板をメニューからアイテムストレージにしまい込む。当然ながら彼女たちが頼りにしていた浮力は消失し、驚愕とともに水音をたてて沈んでいった。
「――ぷはっ!」
「――っぺぺ……あれ、わたしたち、浮いてる……?」
とはいえそれは一瞬のこと、すぐさま二人は浮かび上がってくると、水に浮かんでいる自分たちを確かめ合っていた。それから少しばかり泳いでみせると――まだまだ泳ぎ方は雑だったが――試練を乗り越えたのを喜び合うように、互いに互いの肩を抱き合って賞賛しあう。
「やったねセブン! ボクたち泳げるようになったよ!」
「ええ! ええええええ! ショウキもほら、一緒に泳ぎましょうよ!」
ハイテンションに騒ぎだす二人の少女を眼福だと眺めながら、地上で拍手を送っていた俺に誘いの申し出が来る。そんな様子に苦笑いしながらも、せっかく水場に来たのに入らないとは損だとばかりに、俺も二人が待つ水場に飛び込んでいき――
――すっかりこのアインクラッドの時間では、夕方頃となってしまった。それからはクロールや平泳ぎといった、特に水泳に詳しくない俺でも教えられることを教え、冷え込んできたあたりで解散となった。
「ショウキくん。何度も言うようだけど、今日はありがとうね!」
「大したことは教えてないよ」
みんな着ていた水着から普段着に着替え、水色のドレスの裾を摘みながら、セブンは上品にお礼を言ってみせる。特別なことはしていないこちらにとって、そこまで大げさにされると少し照れてしまい、髪をクシャクシャと掻いてそっぽを向く。
「ううん。ボクたち、その大したことじゃないのも、やったことなかったんだから。ありがと、ショウキ」
「そういうこと! これ、お礼ね?」
このことが無くても、あげるつもりだったんだけど――と言いながら差し出されたのは、数枚のチケットだった。煌びやかなそれを見てみると、どうやらそれはライブチケットらしく。アインクラッドにおいて生ライブだそうだが、果たしてそれは生ライブと言えるのだろうか……?
「この前のボス戦のお礼も兼ねて、ね。はいユウキにも。あのノームの人はユウキのギルドメンバーなのよね?」
「う、うん」
先のアインクラッド第二十一層攻略作戦。仲間の一人が《バーサクヒーラー》などと呼ばれるようになり、かつこの水着に来ることにもなった戦いだ。そのシャムロックとの共同戦線を張ったことへのお礼らしく、こちらに渡されたのは四枚。ユウキには彼女の分とテッチの分とすると、パーティー七人に対して一枚足りない。
「セブン、一枚足りないみたいだけども」
「ううん。ルクスはこのゲームで最初に友達になったから、わたしの手で渡したいの!」
二十一層に参加した俺たちのパーティーの分としては一人足りないが、どうやらルクスにはセブン自ら渡したいようで。セブンのサインと『ルクスへ』と書かれたチケットを見せつけてくる彼女は、こちらからはとても微笑ましいものだった。
「ああ、ルクスも喜ぶよ」
「でしょう? それじゃあショウキくん、ユウキ、ダスビダーニャ!」
ロシア語で『さようなら』だったか――セブンのファンであるルクスが喜ぶところを想像していると、セブンはその音楽妖精の翼を広げると、ついでにこの層を見回りたいのか、どこかへと飛翔していく。その小さい姿から本当の妖精のようだったが、空中に飛翔することで翻ったスカートに、慌てて空から目を逸らした。
「ショウキ、どうしたの?」
「……いや、何でもない」
それに気づいていないらしいユウキは、空を飛翔するセブンに手を振りながらも、不思議そうにこちらの顔を覗き込んできた。もちろん馬鹿正直に言える訳もなく、曖昧にごまかして顔を背けた。
「……変なショウキ。あ。それじゃあボクも、スリーピング・ナイツのみんなと用事があるんだ!」
「用事?」
この練習が始まるまでの水中とは、まるで別人のように違う動きで空中に飛翔すると、その翼でフワフワと浮遊する。どんな用事なのか問いかけようとした俺の眼前に、一枚のチケットがユウキから差し出されていた。
「はい、ボクからのお礼! セブンと被っちゃったけど……って、もちろんライブじゃないよ?」
一瞬ユウキまでライブでもするのかと思ったが、もちろんそんな訳もなく。差し出されたそれを受け取りながら見ていると、どこかの店のペアチケットのようで、これを持っていくと特別なメニューが頼めるという代物らしい。
「貰ったんだけど、ボクには行く相手もいないし。リズとのデートにでも使ってよ!」
「……ありがとう」
アスナと一緒に行こうかとも思ったんだけど、キリトに悪いしね――と語りながら、慣らし運転のようにクルクルと旋回するユウキと、貰ったチケットを交互に見ながら。ところでこのチケットを貰った――ということは、このチケットをユウキにあげた某氏は、ユウキをデートに誘ったのではないだろうか。
「今日はありがとね! ちょっとスリーピング・ナイツのみんなと、フロアボス倒してくる!」
「え」
デートを申し込まれたのではないか、などと聞くよりも早く。ユウキは衝撃的な発言だけを残して、その一瞬後にはどこにも姿はなかった……相変わらずの神速に、もはや苦笑いも出て来ない。
「……ふぅ」
色々終わった後に色々渡され、何にせよ今日の用事は終わったようで、自然と息を吐いておく。他のメンバーにも渡すセブンのライブチケットに、ユウキから貰ったペアチケットをアイテムストレージに入れ、終わった証拠に全身を伸ばしていると。
――殺気
「…………ッ!?」
俺にのみ向けられた明確な殺意。久々に向けられたそれは、先のスメラギのように生易しいものではなく。やはり姿はどこにも見えることはなく、探りを入れる前に自然とその気配は消えていった。
「…………」
このゲームのプレイヤーキラーにしては、随分と濃い殺気だったとは感じたが、わざわざ追い立てるようなことはしない。わざわざ構ってやる義理も暇も、今の俺にはないのだから。そう、やらなければならないことが自分にはある。
「どうする……」
――どうやってこのユウキから貰ったチケットを使って、リズをデートに誘うか。それこそが今の自分に襲いかかっている最強の敵だった。
後書き
それにしても色気のない水着回である
ページ上へ戻る