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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第四十五話 敗戦

■同盟軍宇宙艦隊総旗艦アイアース ヤン・ウェンリー

 艦橋は安堵と絶望そして困惑の入り混じった何ともいえない空気が漂っている。同盟軍は敗れた。五万隻を超えた艦隊は約二割を損傷し、今戦える戦力は四万隻をわずかに超える程度だ。帝国軍のティアマト方面への陽動に引っかかったため兵は強行軍に疲れ切っている。補給も十分に行なえず、戦力の補充も出来ない。次に戦っても勝てる見込みは少ないとしか言いようが無い状況だ。

絶望感が胸を襲う。その一方で何故敵が攻撃を打ち切ったのか、追撃を止めたのか困惑があり、助かった事への安堵がある。あのまま攻撃を受けていれば損傷率は五割に達しただろう。会戦に参加した第三、第七、第八、第九の四個艦隊は戦力として計算は出来なくなったはずだ。残りは本国で首都警備にあたる第一、ティアマト方面で警戒中の第二、さらに現在艦隊再編成中の第五、第十、第十一、第十二を中心に決戦を挑む事になったろう。敵がその時間を与えてくれればだが…。

「何故、敵は攻撃を打ち切ったのだ?」
ロボス総司令官が問いを発する。しかし参謀たちの反応は鈍い。今回のロボスの指揮に不満があるのだ。ティアマト方面への陽動に引っかかった事はロボスだけの責任とは言えないかもしれない。

しかし、民間の輸送船を帝国に拿捕されたのは間違いなくロボスの責任だった。決戦用兵力を必要とするあまり、護衛艦までを引き抜いてしまったのだ。いくらティアマトが主戦場になると思ったとはいえ、アルレスハイム方面を疎かにしていいという理由にはならない。本国に戻ればこの問題で大きく叩かれる事は判っている。そして今回の敗戦…。

「判りません。しかし我々が時を得たのは間違いありません。艦隊の再編成を急がせましょう」
グリーンヒル中将が答える。もっとも艦隊の再編成は既に取り掛かっている。ロボスを落ち着かせるための回答に過ぎない。

「敵、後退します!」
「なんだと」
「どういうことだ」
「間違いないのか」
オペレータの声に参謀たちが反応する。
「間違いありません。帝国軍は後退しつつあります」

「どういうことだ、何故帝国軍は撤退する」
ロボス総司令官が改めて疑問を投げた。
誰も答えない。いや答えられない。互いに眼を見合わせるだけだ。

「敵の罠ではないでしょうか」
「馬鹿な、いまさら罠の必要が何処に有る」
「しかし…」
仕方ないな。私が答えるか…。

「本国で何か有ったのではないでしょうか」
「本国でだと」
周囲の目が私に集まる。これが嫌なんだ。ロボス総司令官は私を睨みつけるように見ている。

「ヤン大佐。それはどういう事かね」
グリーンヒル参謀長が続きを促す。
「帝国でミュッケンベルガー元帥を必要とする何かが起こったのではないかと言う事です。おそらく政治的混乱が起こったのでしょう。具体的には反乱か或いは皇帝が死んだのかもしれません。もちろん推測にしか過ぎませんが」
周囲がざわめく。“皇帝が死んだ?”、“あり得る”などの声が上がる。

「なるほど」
「追撃だ!」
いきなりロボス総司令官が叫んだ。
「敵を追撃し、一撃を与える」

「おやめになったほうがよろしいでしょう。敵は敗退しているのではありません。勝った上で撤退するのです。十分な備えをしているに違いありません。安易な追撃は返って危険です。むしろ敵に合わせてこちらも引くべきです」
「なにを言うか。政治的混乱が起きたのなら、敵は帰国するので気もそぞろであろう。十分な備えなど出来るはずも無い、追撃だ」

眼が血走っている。体も少し震えているようだ。まともな判断力など有るのか?
「閣下、ヤン大佐の言うとおりです。これ以上の戦いは避けるべきです。後退しましょう」
「追撃するのだ、参謀長。このままでは軍の名誉は…」
「帝国軍は撤退しております。同盟は守られたのです。これ以上は無理です」

「参謀長の仰るとおりです。第一、補給も十分でない現状で追撃など不可能です」
話しているのは私と参謀長だけだ。他の参謀はみな白けた顔をしている。名誉などと言っているが、ロボス総司令官が自分の地位を守るため、帝国軍を撃退したという実績が欲しいための追撃論だ。誰もまともには取り合わない。皆の頭の中でロボス総司令官は既に更迭されているだろう。

だれも自分の意見を支持しないとわかったのだろう。ロボスは不満げに口を捻じ曲げると“腰抜けが”と吐き捨て艦橋を出て行った。



同盟軍は首都ハイネセンに向かっている。私はキャゼルヌ先輩と話をしていた。場所はキャゼルヌ先輩に与えられた補給将校用の部屋だ。部屋には書類が山積みになっている。
「よかったよ。追撃など行なわなくて」
「全くです。ロボス総司令官の保身のために無駄な犠牲を出すなんて馬鹿げています」
「それよりも補給が間に合わなかった。追撃途中で補給切れなんて事になりかねない」
首を振りながらキャゼルヌ先輩が答える

「そこまで酷かったんですか」
「ああ、補給はほとんどがティアマト方面に行っていた。今こちらで補給をすぐ行なえと言われれば民間に頼らざるを得ない。しかしな」
キャゼルヌ先輩の表情は苦い。おそらく私も同様だろう。
「だれも引き受けないでしょう」
「その通りだ」

「ロボス総司令官も更迭だな。国防委員長にとってロボス総司令官の更迭は痛手だろうが次の宇宙艦隊司令長官はだれだと思う?」
「難しいですね。宇宙艦隊は厳しい状態にあります。再建も大変ですが、信頼も失いました。この状態を切り抜けるのは容易ではありません」
「国防委員長はその当たりをわかっているかな」

トリューニヒトか、軍に勢力を伸ばす事しか考えていない男にわかるだろうか。この軍の惨状が。
「順当に行くならボロディン提督、ウランフ提督、クブルスリー提督の三人から選ばれるでしょうね。あるいは思い切ってビュコック提督という人事も有るでしょう」

「ビュコック提督か」
ちょっと驚いたようだ。
「士官学校卒業では有りませんが、兵の人望は厚い。今の現状では適任でしょう」
「なるほどな」

「シトレ元帥に伝えますか」
「フン、判るか?」
「シトレ元帥は出来れば自分に対して協力的な人物をほしがっている。そうじゃありませんか?」

「否定はしない。しかし保身のためじゃない。ロボス総司令官は自滅に近い。シトレ元帥へのライバル意識がこの事態を引き起こしたと元帥は考えている。俺も同感だ」
確かにそうだ。否定は出来ない。それを彼に利用された…。

「ヤン、帝国でなにが起きたと思う?」
「判りませんね。しかし、遠征軍を呼び戻したのです。帝国内で軍事的な緊張が生じたのだと思います」

「軍事的な緊張か、何かな?」
「…皇帝が死んだか、重態、一番可能性が高いのはそれでしょう」
「……」
「皇帝は後継者を決めていません」
「後継者争いか」
私は頷いた。

「皇帝の容態は以前から思わしくなかったのかもしれません」
「何故そう思う」
「ミュッケンベルガー元帥は今回の事態を予測していた可能性があります」
「どういうことだ?」

「今回の遠征軍に彼がいません」
「彼? 」
「ヴァレンシュタイン准将、いや少将です」
「…しかし、彼がいないからといって…」
私はキャゼルヌ先輩の言葉をさえぎった。

「彼が今どこにいるか判りますか?」
「いや、知らない」
「情報部から宇宙艦隊司令部に回ってきた情報によると兵站統括部です」
「兵站統括部、どういうことだ。兵站統括部といえば…」
キャゼルヌ先輩もおかしいと気付いたらしい。
「彼が行くような場所じゃありません」

帝国では補給担当将校の地位は同盟より低い。それも圧倒的にだ。何故そこに彼がいる。
「ミュッケンベルガー元帥の不興を買ったということは無いか。副官をこちらに戻そうとしたのだろう、彼の怒りを買ったということは…」
「有りません。イゼルローン要塞攻防戦の後、彼はすぐに兵站統括部に異動になっています。しかし、今回の遠征計画の作成には参加している。不興を買ったというのなら計画の作成に関与するとは思えません。もしかするとティアマト方面への陽動も彼の発案かもしれない」
「…」

「遠征中に皇帝が死去して、国内で内乱が発生したらどうなります」
「補給を含めた後方支援は滅茶苦茶だろうな。…そうか、だから兵站統括部に」
「それもありますが、もし、反乱を起した者たちがミュッケンベルガー元帥の帰国を喜ばなかったら」
「…どうなる」

「内乱終結後、謀叛の嫌疑をかけるかもしれません。ミュッケンベルガー元帥がオーディンに帰国するまで一ヵ月半はかかるでしょう。内乱が終結している可能性は否定できません」
「しかし、彼になにが出来る。彼はまだ少将だぞ」
まだ疑っているな、キャゼルヌ先輩は。

「帝国軍の宇宙艦隊は全てが遠征軍に参加したわけでは有りません。本国にとどまっている部隊も数多くいます。彼らに万一の場合はヴァレンシュタイン少将に従えと言ったとすれば」

「可能なのか、そんな事が」
「彼らの多くはミュッケンベルガー元帥と共に戦った人間です。ミュッケンベルガー元帥が失脚すれば、彼らもただで済むかどうか。ヴァレンシュタイン少将の指示に従う可能性は高いと思います」
「…」

「それにリューネブルク少将がいます」
「…陸戦隊か」
うめくような声だ。
「陸戦隊と宇宙艦隊、彼なら十分に活用するでしょう。そうでもなければ、彼ほどの用兵家をオーディンに置く理由がわかりません。今回の戦いはミュッケンベルガー元帥にとって決戦だったはずです」



 私は、キャゼルヌ先輩の部屋を辞し、自分の部屋に戻った。紅茶を飲みながら考える。自由惑星同盟は今回の戦いで大きなダメージを負った。戦力的な面だけではない、国民の信頼の喪失もだ。これを立て直すのは容易ではないだろう。希望があるとすれば帝国が混乱してくれる事だ。そうなれば時間を稼げるかもしれない。二年、いや一年でいい。時間が欲しい。しかし帝国がそれを許すだろうか?

難しいだろう。帝国には人材が揃ってきているようだ。ヴァレンシュタイン少将もそうだが、今回の左翼を指揮した司令官、見事な艦隊運用だった。彼がいなければあそこまで損害は酷くはならなかったはずだ。殿も彼が勤めたということはミュッケンベルガー元帥の信頼も厚いようだ。

 それに比べて同盟の人事は酷い。政治家に媚を売る人間ばかり出世する。次の司令長官が誰になるか?まともな人選ならいいが、ロボス総司令官の方がましだった、なんてことになったら眼も当てられない。

本当にいいのはシトレ元帥が宇宙艦隊司令長官に降格する事だ。統合作戦本部長にはクブルスリーを持ってくれば良い。彼はどちらかと言えば実戦指揮官としてより戦略家としての評価が高い人物だ、適材だろう。

シトレ元帥が宇宙艦隊司令長官になれば、それだけで国民は軍に対する信頼を回復するだろう。軍内部も今回の事態に反省せざるを得ない。なんといっても統合作戦本部長が自ら降格して宇宙艦隊司令長官になるのだ。キャゼルヌ先輩に話してみようか。……話してみよう。もう一度先輩の所へ行って見るか。




 
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