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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第四十四話 撤退命令

■ミューゼル艦隊旗艦タンホイザー ラインハルト・フォン・ミューゼル

 反乱軍が我々帝国軍を阻もうと陣を敷いたのはアスターテ星域までの距離が三十光時まで迫ったところだった。アスターテ星域は間近に有ると言っていい。反乱軍はこれ以上の後退は出来ず、きわめて困難な立場に追いやられた事になる。帝国軍の作戦勝ちだ。総司令官ミュッケンベルガー元帥は直ちに攻撃を開始した。強行軍で疲れているだろう敵を休ませることなく叩き、敵に決定的な痛打を与えることで帝国の優位を確定する、戦闘前に出された訓辞に俺も同感だった。

閃光が煌めき、スクリーンが白光に包まれる。反乱軍の中性子ビーム砲が発射されたのだ。
「先頭集団、攻撃せよ」
「敵ミサイル群、接近」
「囮ミサイル、発射します」
「主砲斉射」

命令と報告が慌ただしく交錯する。先頭集団が敵に喰らいついた。ミュラー准将もあの中にいるだろう。彼には無事に帰ってきて欲しいものだ。オーディンから此処に来るまでの間で彼の有能さは十分に俺を満足させた。この遠征での最大の戦果はケスラーとミュラーを知った事かもしれない。二人とも優に一個艦隊は指揮できる能力は有るだろう。

俺の率いる艦隊は帝国軍の最右翼を担当している。順調に敵を押し込み、敵の側面を削り取りつつある。敵は徐々に中央に押し込まれ全体の陣形が少しずつ歪に成りつつある。後は中央部が敵を押し崩し、それに合わせてこちらも接近戦で敵を混乱させる。おそらくそれで敵の右翼は戦線を維持できなくなるはずだ。

「閣下、ワルキューレを発進させますか?」
「うむ。そうしてくれ」
ウルリッヒ・ケスラー。出来る参謀長がいると司令官は楽だな。俺はそう思い、ふとグリンメルスハウゼンを、ヴァレンシュタインを思い出し苦笑した。
「いかがなされました?」
キルヒアイスが不思議そうな顔で聞いてくる。

「いや、出来る参謀長がいると司令官は楽だと思ったのだ」
「これは、恐れ入ります」
キルヒアイスは穏やかに微笑み、ケスラーは面映そうだ。グリンメルスハウゼンの事はケスラーには言えんな。

「中央部、敵を押しつつあります」
「味方ワルキューレ、敵右翼を攻撃中」
「敵右翼混乱しつつあります」

「閣下」
ケスラーが俺に攻撃命令を促す。
「全艦に命令。最大戦速で敵右翼の側面に突入せよ。我が艦隊の力で勝利を勝ち取るのだ!」
「はっ」

オペレータ達が命令を伝達する。艦隊が速度を上げ敵の右翼に近づく。それと同時に敵の反撃も厳しくなる。レーザー水爆ミサイルが囮ミサイルが飛び交い、互いに主砲を打ち合う。しかし、押しているのはこちらだ。敵右翼の混乱は益々酷くなった。

「突入します!」
「敵右翼分断されつつあります!」
「味方中央、敵に対し接近中!」
「左翼部隊も敵を圧迫しつつあります」
「総司令部より命令! 攻撃せよ! 攻撃せよ! 攻撃せよ!」

その通りだ。今こそ攻撃すべきときだ。
「全艦に命令! 攻撃せよ! 攻撃せよ! 攻撃せよ!」
「はっ」

敵は全線で押されつつある。もう一歩で崩壊するだろう。今一押しだ。
「敵右翼潰走します」
「敵中央部、左翼後退しつつあり」
「閣下。追いますか、それとも中央部を攻撃しますか」
「全艦に命令、敵中央部を側面より攻撃せよ」
「はっ」

勝敗は決した。あとは追撃を行い戦果の拡大を図ればいい。
「総司令部より命令! これは」
「ん、どうした」
「はっ、つ、追撃を中止し、撤収せよとのことです」
「馬鹿な! 総司令部は何を考えている! 千載一遇の機会ではないか! 気でも狂ったか! 」

俺は思わず、提督席から立ち上がった。何を考えている、ミュッケンベルガー、貴様の望む艦隊決戦、その勝利を何故捨てる!
「閣下、落ち着いてください」
「何を落ち着けというのだ、ケスラー」
「味方は攻撃を打ち切りつつあります。このままでは我が艦隊は敵中で孤立します」
「……攻撃中止、撤収せよ」
俺は床を蹴りつけた。



■帝国軍総旗艦ヴィルヘルミナ ラインハルト・フォン・ミューゼル

 会戦は中途半端な形で終結した。敵右翼には損害を与えたが、左翼、中央部は戦線を維持したまま後退に成功。決定的な勝利を収めるには行かなかった。会戦終了後、総旗艦ヴィルヘルミナで将官会議が開かれる事になった。俺は憤懣を胸に秘め会議室へ向かった。

「ご苦労である。此度の攻撃停止命令、皆納得のいかぬことであったと思う。良く我が指揮に従ってくれた。礼を言う」
ミュッケンベルガーの顔色は暗い。後悔しているのか? 妙なのはシュターデンだ。妙に興奮しているように見えるが、どういうことだ?

「我々は軍人です。上官に従う義務があります、しかし、何故攻撃停止命令を出されたか、其の訳をお話ください」
俺のような若造が口を出すべきではないのは判っている。それでも俺はミュッケンベルガーに言わざるを得ない。勝っていたのだ。

「帝都オーディンより撤退命令が出た」
「!」
周囲がざわめく。撤退命令? どういうことだ、誰が出した? シュタインホフ? それともエーレンベルクか?

「皇帝陛下不予、遠征軍は至急撤退せよとのことだ」
ミュッケンベルガーの声は重く暗い声だった。部屋が凍りつく。皇帝陛下不予! フリードリヒ四世が死に瀕しているのか、あの男が。
「残念では有るが、帝都オーディンへ向け撤退する」
「はっ」

「ミューゼル中将、卿が殿を務めよ。敵は今回の戦いに不満を持っていよう。我等が撤退すると知れば追撃してくる可能性が高い。くれぐれも油断するな」
「はっ」
「では各自撤退準備に入れ、ミューゼル中将、卿は残れ」


 誰も居なくなった会議室に俺とミュッケンベルガーが残る。ミュッケンベルガーは俺に背中を見せている。少し気落ちしているようだ。無理もない、もう少しで大勝利を得られたはずなのだから。

「ミューゼル中将。今回の戦い、見事であった」
「はっ」
「…無念だ」
「…」

「中将、私は運の無い男だな」
「! 何を仰られます。我が軍は勝ったでは有りませんか」
「しかし、止めをさせなかった…」
「それは…」
「…無念だ」

俺は何も言えなかった。ミュッケンベルガーの気持ちが痛いほどわかる。もしかするとミュッケンベルガーは泣いているのではないだろうか。そんな事を思わせる背中だった。気を取り直して声をかける。自分でも驚くほど優しい声が出ていた。俺はこんな声が出せたのか?

「閣下、再戦の機会があります、それを待ちましょう。今回の戦い、決して無駄ではありません。敵に大きな損害を与えたのです。帝国の優位はより大きくなりました。運が無いなどと仰られてはいけません」
ミュッケンベルガーは苦笑したようだ。俺の慰めなど返って侮辱にでも感じたか。

「そうだな。宇宙艦隊司令長官にまでなった男が運が無いなどといっては、死んでいった者達に怒られよう。私は勝った! そして卿やヴァレンシュタインのような部下もいる。不運などではない」

ミュッケンベルガーがこちらを振り向いた。驚くほど柔和な眼をしている。この男はこんな目をする男だったか…。
「見るが良い」
ミュッケンベルガーは懐より通信文を取り出し俺に差し出した。

“帝都オーディンはヴィルヘルミナの加護を願う”
「オーディンはかなりまずい事になっているようだ」
「はっ。“ヴィルヘルミナの加護を願う”ですか」
「それも有るが、発信者を見たか?」
発信者? 慌てて見る。軍務尚書エーレンベルク元帥、帝都防衛司令官代理ヴァレンシュタイン大将…帝都防衛司令官代理? ヴァレンシュタイン大将?

「閣下、これは」
「おそらくヴァレンシュタイン少将を帝都防衛司令官代理にしてオーディンの治安を任せたのだろう。大将というのはよくわからんな」
「…」
「卿も判っていよう。オーディンは内乱の危機に有る」
「はっ」

その通りだ。フリードリヒ四世は後継者を決めていない。馬鹿が、おかげでこの有様だ。
「軍務尚書は事態が自分の手に負える状況ではないと判断したのだろうな」
「それでヴァレンシュタイン少将を」
「うむ。おそらく陛下は意識も無かろう。意識があれば後継者を指名させれば良い。それが出来ぬ状態にあるのだろう」
「…」

「私が居ればな。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯も抑える事が出来るのだが。こうなってみるとヴァレンシュタイン少将を残したのはせめてもの救いだ。軍務尚書は彼に帝都防衛の全権を与え我らの帰りを待とうというのだろう」
「一ヵ月半はあります。持ちましょうか」

「あの男なら何とかするだろう。いやしてもらわなければ困る。卿も他人事ではないぞ」
「は? 小官もですか」
「わかっておらぬか。陛下がどこで御重態になられたと思う」
「……まさか」
「そうだ、グリューネワルト伯爵夫人のところだ、おそらくはな」
「……」

「恐れ多いことでは有るが、万一の場合、卿を敵視するものどもが何を考えるか、もう判るであろう」
「姉が陛下を害し奉ったと」
「うむ。卿を敵視する者たちにとって今回は千載一遇の機会なのだ。ミューゼル中将、これからの卿にとっての戦いは戦場だけではない。今オーディンで行なわれているような戦争も卿は行なわなければならん」

貴族を相手に陰謀、謀略か。俺に出来るだろうか、参謀が欲しい。俺を助けてくれる有能な参謀が。
「シュターデンには気をつけよ」
「は? シュターデン少将ですか」
「あれはブラウンシュバイク公に近い。私に何度かブラウンシュバイク公に付くように誘い掛けてきた」

「お付きになるのですか」
「馬鹿な、私の仕事は外敵を討ち、陛下の宸襟を安んじ奉らん事だ」
「はっ。失礼をしました」
「ミューゼル中将、焦るな。一つ一つ片付けるのだ。先ずは殿をしっかり務めよ。この遠征軍が敗北すれば、それだけでオーディンは内乱に突入しかねん」
「はっ」

ミュッケンベルガーのいうとおりだ。先ずは殿を務める事に専念しよう。オーディンの事はその後だ。ケスラーは元々憲兵隊にいた男だ。頼りになるだろう。それとヴァレンシュタイン、今はあの男を信じるしかない…。





 
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