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俺達は何を求めて迷宮へ赴くのか

作者:海戦型
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27.君散り給うことなかれ

 
 天国とはどんな場所なのだろうか。

 きっとそこに死はないのだろう。病の苦しみも、差別も、区別もないのだろう。飢えもなく、不便もなく、人を縛る有限の法則すら曖昧になるのだろう。まさに一切の苦難から解放された楽だけの世界だ。全てに満足し、何一つ焦燥に駆られることもない。この世界に存在しない筈の永遠を、きっとそこでは誰でも平等に抱いている。

 だが――それは本当に天国なのだろうか。

 飢えが無いのなら、食べる喜びもなくなる。不便が無いと、向上心は失われる。不可能が世界から消滅すると、人は何をする必要もなくなり、何もしなくなる。なれば、天国に辿り着いた人間は一切の人間性を失ってただ悠久の刻を無為に重ねていくのではないか。己が地獄を避けた理由も、存在する意味や恐怖の理由さえも崩れ落ちてゆくのではないか。

 神曰く、確かに天国(エリュシオン)らしい場所や地獄(タルタロス)らしい場所はあるそうだ。
 しかし、誰もがいつかはそこから離れ、輪廻へと還っていくという。
 何故ならば、天国とは魂の休息所でしかないから。

 天国にも地獄にも、あるのは永遠の停滞だけ。

 魂はいつか、自らがただ世界から取り残されているだけだと理解する。

 まさに天界に飽いた神々の姿こそが答えだった。

 人は、結局どう足掻いても前へ進まなければならないのだ。


 だから――

 だから、いいかげんに甥離れしろこのぼけ神は。


「……ヘファイストス。もうアンタが俺を膝の上に座らせようとするのもアーンを要求したり強要してくるのも膝の上で耳掃除させられるのも、やめさせるのは諦めた。――だが、いい加減に風呂に一緒に入るのは止めてくれないか」
「嫌よ。貴方来るたびに血腥い臭いがするんだもの。自分で自分を洗えてない証拠だわ。いいからほら、こっち向きなさいオーネスト。次は手を洗ってあげるから」
「……………頼むから、自分で洗わせてくれ」
「ダ・メ♪」

 ここは地獄だ。誰が何と言おうと絶対に地獄だ。
 何が楽しくてそろそろいい大人になろうかという俺が人に体を洗って貰わねばならない。しかも、背中だけに留まらず全身を。尻と股間だけは何とか自力で洗えているが、それも黙っていれば勝手にやられそうで恐ろしい。

 目の前には一糸まとわぬ裸体をさらけ出したヘファイストスがボディスポンジ片手に座っている。風呂の湿気と熱気で火照った肌は、彫刻のように完成された女性の裸体をより妖艶に、扇情的に染め上げていた。普段付けている眼帯は取り払われてその『中』が露わになってはいるが、彼女ほど大人びた人物だとそれさえ美しさの一部となる。
 普通なら男に裸体を見られて恥じらいの一つでも見せる所であろうに、この女神はまるで5,6歳の子供を風呂に入れるような笑顔で俺の手を取った。確かに数億年の永き刻を生きた彼女からしたら俺など精々が受精卵程度の年齢かもしれないが、平気にしている理由は多分それではない。

「そう嫌がることでもないでしょ?昔はヘスティアとだってお風呂に入っては二人ではしゃいでのぼせてたじゃない」

 絶対に、絶対に、特にヴェルトール辺りには聞かれたくない過去を掘り返され、俺は辟易した。
 恥ずかしい過去だとは思わないが、随分昔の、まだ裏切られる前の話だ。あの頃まで、本当に俺はただの子供だった。いや、女神と風呂に入る経験は普通それほど出来るものでもないらしいが、その頃はそれをおかしい事だとは思わなかった。
 ――そんな話をしたところで、あの頃は還ってこない。だから、無駄な話だ。

「女神と風呂に入ったそれは『オーネストじゃない』。生憎と、風呂を楽しむ文化は名前といっしょくたにして8年前に捨ててきた。返り血が鬱陶しい時は水浴びくらいするが、長風呂はしない。時間を無駄にする」
「無駄にした結果臭くなったら意味ないでしょ。それに、貴方にも休息が必要よ。どうせ今は何に追われている訳でもないのだし、時間の無駄遣いをしなさいな」

 鍛冶屋とは思えないほどに美しい彼女の手が俺の腕を掴み、その肌に泡立ったスポンジを丁寧に滑らせていく。強すぎず弱すぎずの力加減でスポンジが肌の上を滑っていく感触は、認めたくはないが心地よい。

「……爪の間に血糊がこびり付いてるわね。魔物の返り血?」
「ガントレットの中に入りこんだのが指先に溜まるんだ」
「爪の手入れはしてるんだから一緒に血も落としておけばいいのに……変なところでものぐさね」

 長い爪は戦いの邪魔になる。だから冒険者は誰しも爪の手入れを欠かさない。俺もまたそうではあるが、こまごまと爪の間の塵まで取り除くことは、少なくともダンジョンの中ではやらない。少し間が空いた時くらいにはやることもあるが、優先順位が低い。

「……指先に血が溜まらないように新しいガントレットを――」
「それはアンタの仕事じゃない。防具はフーの担当だ。そこを(たが)える気はない」
「……………むぅ。オーネストの友達の仕事かぁ……シユウ・ファミリアの子よね?あの神とも知らない仲じゃないもの、仕事を取る訳にはいかないわね……」

 残念そうだが、同時に嬉しそうでもあるヘファイストスは、人の手の爪から汚れを丁寧に削いでいく。自分の出来ることをやらせてもらえないのは不満だが、こうして俺の世話を焼いている人間が一人ではないことは嬉しいらしい。
 気が付けば、結局人間は独りでは生きていけない。オーネストとして生きるにしても、協力者がいなければ続かないことが多い。そんな当たり前の事を思い出さされることを言った時、この神はいつも嬉しそうだ。

「どうしてそんなに嬉しそうなんだ、あんたは」
「だって嬉しいじゃない。ヘスティアに見つかるまで私たちを頼らないで、見つかった後も色んな人を押しのけてきた貴方が、『それはあいつの仕事だ』なんて言うのよ?自分の殻から一歩も出る気がなかった貴方がよ?」
「……気が付いたらそうなっていただけだ。俺が望んだんじゃない」
「でも嫌じゃない。だから受け入れているんでしょう?……それでいいのよ」

 爪を洗い終えたヘファイストスは、もう一方の手を取ってそこに自分の手を重ねた。

「貴方は甘えていいの。ワガママを言ってもいいの。それが普通に生きているって事だから」
「俺はいつだって自分勝手でワガママだ。俺以上に我儘な奴なんて業突く張りのフレイヤしか見たことがない」

 あれは真正の業突く張りだ。自らが欲しいと決めればどんなに危険で外道な方法であっても一切躊躇う気が無い。純粋に、ひたすら純粋に欲しいものを手に入れる事に対して妥協がない。自分以外はどうでもいい、自分の気に掛けるもの以外はどうでもいい。そんな自分勝手を人から抽出して濃縮させたような欲望の化身だ。
 そして、俺もそのような性質を持っている。やると決めたら断固やるし、やらないと決めたら断固やらない。こうあるべきだと思った時には既に手や足が出ている。我慢と嘘は俺の行動に存在しない。
 しかし、ヘファイストスは首を横に振った。

「そうかもしれない。でもその一方で、貴方は『当たり前』を……失ったものを取り返すことをどこかで諦めていたんじゃない?欲しくないからと、無意識に遠ざけていたのではなくて?」
「それは………必要ないから必要ないんだ」
「不必要と断ずるものでもない。違う?」
「………そうかもしれない」

 本当は分かっている。そんなことは、言われなくとも心の奥底では理解している。
 ヘファイストスが俺に何を望んでいるのかなんて、最初から分かり切っていた。
 『母さん』がいたら、同じことを言うのだろうから。

 けれど。

「だが、それではオーネスト・ライアーは死ぬんだ」

 戦わなければ、オーネスト・ライアーは死を迎える。暴力の化身として荒れ狂い、ダンジョンを蹂躙し続けなければ、オーネスト・ライアーはオーネスト・ライアーでいられなくなる。甘える。致命的な妥協をする。腐抜ける。牙を抜かれ、今度こそ終わる。

 そして――その先に待っているのは、『おなじみの結末』だ。

 それだけは御免だ。『二度と』御免だ。どんな汚泥と屈辱を被ろうが、俺はそれだけは受け入れてはならない。

「俺は戦う。誰にも邪魔させないし、それだけは止めない。それが俺の自由だ」

 後悔しない生き方。未来(あす)を欲しない生き方。
 馬鹿で無力な糞餓鬼には、そんな方法しかとることが出来なかった。
 微かに目を細めたヘファイストスは、そんな俺を見つめて小さくため息を吐く。

「………まだ踏み出す事は出来ないか」
「……?どういう意味だ?」
「さあ?それはきっと、今の貴方には関係のないことよ」
「そうか」

 今は関係ないと言うその言葉に、嘘偽りはないのだろう。神は嘘を見通すと言われているが、俺も些か勘には自信がある。ヘファイストスはつまらない嘘はついていない。
 いつの間にか、ヘファイストスは爪を洗い終えていた。
 
「………じゃあそろそろ浴槽に浸かりましょうか!ほらおいで?昔はお風呂の深さが怖くてよく私の太ももの上に座ってたじゃないの!さあ、カモン!」
「しねーよ馬鹿。体格差と年齢考えろ」
「うーん、流石にもう恥ずかしいのかしら。男の子だものねぇ……じゃあ、オーネストの太ももの上に座らせてよ。ね?」
「………してやったら満足するか?」
「する。すっごくする!」

 結局してやることになった。
 ヘファイストスのお尻から太ももにかけた柔らかな体が俺の身体の上に乗る。
 多分、俺以外がこれをやられたらヘファイストスを襲うか鼻血を噴いて気絶するかの二択だと思う。それほどにこの人は美しいのだ。本人は眼のせいかあまり自覚がないようだが、たまにそういう所が周囲を不安にさせる。案外、何かのきっかけにコロッと落とされてしまうかもしれない、と。

 当の本人は御機嫌に鼻歌を歌いながら人を座椅子にしている。
 神というのは変なところでガキっぽい……と思っていると、彼女の身体が一層俺の身体に押し付けられた。

「………もう盛りだと思うのに、勃たないのねぇ。私の身体じゃ色気が足りないのかもしれないけど、ちょっと心配だわ」
「品のねぇ話をするな。まさか狙って座ったのかこの変態女神は?」
「変態じゃないわ、貴方のおばよ。で……実際問題、どうなの?」
「気合」

 欲求不満は別の物事に昇華させれば減退できる。それでも消滅するわけではないが、生理現象とは言え俺の身体が起こす事。ならば俺の意志でコントロールできない道理はない。

 ――ちなみにこの後ヘファイストスは「私、気合いれないと勃っちゃうくらい女らしい?」と恥じらいながら聞いてきた。……この女神、実はかなりアホなんじゃないかと心配になった。というか、甥にそんな下世話な話をするな。心配っていったい何の心配だ。

(早くこの混沌地獄から脱出したい……未来(あす)はいらないから、刻よ疾く過ぎ去れ……)
(久しぶりなんだし、今回は剣を折ってないから明日には帰っちゃうんだもの。今日はた~っぷりスキンシップ取るわよ~~~♪)

 この後に夕食や就寝時の地獄の絡みがあることを考えると、憂鬱な気分にしかならない。



 = =



 オーネストが地獄(ある意味天国)の責め苦に遭っているその頃、彼とは正反対の地獄に堕ちている一匹の白兔がいた。

「ほらほら、段々と動きが鈍くなってるよ~?はいワンツー!ワンツー!」
「はひっ、はひっ……!!も、もう休ませてくださ~~~いッ!!」
「コラッ!この程度の危機で弱音を吐くんじゃありませんよ、ベル様!」

 背中に背負われたリリの愛のシバキがすぱぁん!!と頭に入って「ごめんなさぁぁぁ~~~いッ!!」と叫んだベルは更に体を酷使してアズ主導の訓練に耐え続ける。

 現在アズがやっているのは『くらえッ!ベルッ!半径20M『選定の鎖(ベヒガー・レトゥカー)』をーーーッ!!』という特別訓練だ。このアズ、例え相手が親友ヘスヘスのファミリアとて――いいや、ファミリアだからこそ容赦せん。
 見学人はそれプラス、全ゴースト・ファミリアの中でも1,2を争う付き合いの良さを誇る――というか、主神のメジェドと二人暮らしの超弱小ファミリアなのに基本的にヒマしてるガウルだ。彼は眷属一人だけファミリアの先輩として彼の行く末が気になるらしく、団員が増えるかレベル2になるまでは面倒を見る気らしい。

「なかなかにえげつない訓練だな。文字通り半径20M程度の部屋にリリを背負わせたベルを閉じ込め、四方八方から鎖を飛ばしてそれを避けさせるのか………ちなみにこれ、どういうコンセプトの訓練なんだ」
「冒険者なりたての頃、ギルドでの説明を馬鹿正直に信じて魔石とドロップ全部拾ってたら30層過ぎた辺りで魔物が地面から攻撃しかけてくるようになって……荷物抱えたままてんやわんやになった俺の経験が基になっている」
「なるほど、えげつないのはそれを経験したお前とそれをさせたオーネストの方だったか……」

 その頃からアズは純度が一定以下の魔石は荷物がかさばるので全部砕いて捨てることにしている。態々砕くのは、砕かず捨てるとその魔石を魔物が拾って強化される可能性があるからだ。一度考え無しに捨てていたら「アズ・オーネストの後ろを行けば魔石が手に入る」と学習した魔物が延々とついてきて、まぁ恐ろしい目に遭った。あのバケモノ、恐らく撃破推奨レベルは6超えだったろう。
 ちなみに地面から攻撃してくるタイプの魔物はとても珍しいらしく、滅多にお目にかかれないようだ。

 ジャラララララララッ!!と音を立てて次々に飛び出す鎖は壁や地面を透過して出てくるため前触れが殆ど無く、しかも結構な速度で迫ってくるためベルは避けるのに必死だった。しかもベルの脳裏には、あの日にまるで小石を投げるように魔物を粉砕したアズの姿がこびり付いて離れないため「鎖=超即死」の図式が完成している。加えて女の子を背中に背負わせることで「ミスしたらこの子を怪我させる」というプレッシャーまでかかっている。
ここまで計算してた訳じゃないんだけど、ガウルが「やるなら徹底的にだ!」と言うのでこうしてみた。

「まぁ、当たっても死にはしないんだけどね。手加減してるから精々デコピンくらいの威力しかないさ」
「いやいやいやいや迫力がヤバイんですよこれ!!腕一本くらい持って行かれそうなプレッシャーと存在感が……ひょわあああああッ!!今掠った!カカトらへん掠ったぁ!」
「これを乗り越えればベルはダンジョンに必要な危険察知能力と回避力を身に着けるだろう。長時間持続させられればスタミナ増強にもなる。ステイタスが伸びれば女の子にもモテるぞ!」
「ベル様ぁ~♪ベル様がノーミスでこの試練をクリア出来たら……リリ、惚れちゃうかもぉ♪」
「う………うわああああああああああッ!!やってやる!やってやりますともぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 モテたい。それはベルの願望の中でも大きなウェイトを占めた強力な願い。それに火をつけられたベルは今まで以上の体裁きで鮮やかに鎖を躱し始める。
 夢の為、愛する主神の為、そして何より自分自身の為に。
 熱き覚悟を決めたベルは跳躍する。

「僕は、強くなって女の子とイイ感じの出会いを果たすんだぁぁぁ~~~~ッ!!」

 なお、そんな彼の姿を見たガウルとリリは悪代官のような悪い笑みで彼の頑張りを見守っていた。

(くっくっくっ……単純な奴め。この試験にクリア時間などないわ!お前がスタミナ切れで鎖の餌食になるまでが訓練時間だ!!)
(ふっふっふっ、チョロいですねぇこの白髪。ノせるのが簡単すぎて笑えて来ますよ~!)
「なんで俺の周囲ってみんなちょっと腹黒いんですかねぇ……」

 アズのぼやきはベルの雄叫びにかき消されて誰も聞いていなかった。

 数分後、ベル撃沈。

 耐久時間……8分12秒。まぁ、相当頑張った方だろう。何人かこの練習のテストに付き合ってもらったが、みんな8分を越えずして負けている。名付けて『死の8分』……ベルも十数回の失敗を越えてやっとたどり着いた8分だ。ここまで来るのにまる3日かかっているが、逆を言えば3日で順応したのかもしれない。
 リリの座布団にされてうつぶせに突っ伏すベルの手を、ガウルがそっと握った。

「よく頑張ったな、ベル………まだレベル1なのにここまで耐えるなんざ、大したもんだ!」
「が、ガウル師匠~っ!!」

 その時のベルには、優しく助け起こしてくれたガウルが天の御使いのように輝かしく見えた……のだが、次の瞬間にガウルはベルに一本の瓶を手渡す。

「……という訳でこの疲労回復ポーション飲んだら今度は剣術訓練だぞ。戦いでは人より長く走れる戦士こそ生き延びるんだ。頑張って次の苦境を乗り越えてみろ!!」
「し、師匠の鬼畜生~~~~ッ!!!」
「じゃあリリは先にアガりますんで、ベル様頑張って~~♪近くで応援してますから、ねっ♪」
「う………うわああああああああああッ!!やってやる!やってやりますともぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 重ねて言うが、ベルには夢がある。以下省略。

(こいつマジでチョロイわー)
(チョロ甘ですねっ!)
(リリちゃん何か手慣れてるなぁ。流石は接客業(サポーター)やってただけのこたぁある………)

 ……レベル不明のオラリオ最強候補であるアズ。一応ファミリア団長でレベル4のガウル。そして経験豊富で素人へのアドバイスが上手いリリ。最高とはいかずとも、新人を鍛えるにはかなり贅沢な教官に囲われて、今日もベルは戦い続ける。

「ほ、本当にこれで英雄になれるのぉぉぉ~~~~ッ!?」
「逆に考えろ。この程度の苦難も乗り越えずして……何が英雄かぁッ!!」
「ハっ!?そ、そうか……だからこそ英雄なんだ!!うおおおお!僕は自分が恥ずかしい!もっと稽古を付けてくださいガウル師匠ぉぉ~~~ッ!!」
(やっぱこいつチョロいわ)

 ……半ば「みんなのおもちゃ」と化している気がしないでもないが。

「ま、直情径行の方がステイタスの伸びはいいのかもな……んじゃ、俺も応援に加わろうかな」

 今までずっと眷属のいなかったヘスティアがせっかく迎え入れた冒険者なのだ。あっさり死んでしまって大泣きするヘスティアを慰める役など御免である。彼女もゴースト・ファミリアの一人ではあるのだ。多少入れ込んで鍛えたって問題はないだろう。

 それに、多分あの子は伸びる。アズと違って夢があり、戦いの才能もあり、何より『何色にも染まれる可能性』を感じられる。多分フレイヤ辺りの好みなんじゃないだろうか、とても澄んだ魂を感じる。案外あの少年なら、荒唐無稽なその夢とやらも叶えられる日が来るのかもしれない。

「羨ましいな……俺は未だに夢も見つからずに宙ぶらりんの昼行燈(ひるあんどん)だ」

 やりたいことをするのと夢を追うのは違う。
 片やその時凌ぎの行動を延々と無意味に重ねる行為。片や目指す目的の為に一直線に行動を重ねて踏み出す行為。目標のためなら辛酸だって舐めるし泥も被る。夢のある奴は俺みたいに小奇麗な姿ではいられないんだろう。反面で夢もないくせにぼろ雑巾みたいになってしまうオーネストみたいなのもいるが、あれはまぁ……例外だろう、色々と。

(目標ねぇ………ダンジョン制覇は、面白そうではあるが何年か頑張りゃ終わっちまうな。俺とオーネストが二人で無茶すりゃ最悪1年以内に全部ブチ壊してみせる。商売……まぁ、あれは趣味であって夢じゃあないんだよな)

 この世界の真実を解き明かすみたいな話もオーネストとやったことがある。が、それも結局天界に殴り込めば全部終わりそうだという結論が出た筈だ。こうして一つ一つ夢でないものを潰していくと、最終的にはなにもなかった。最強なんてガラじゃないし、大富豪なんて別になりたくもない。別段誰かの為に人生を奉げたいわけでもなければ無償の愛を世界に広げる旅に出たりもしない。

(宙ぶらりんに加えて伽藍堂(がらんどう)か。命という灯以外に何も詰ってないとくれば、本格的に行燈だなぁ、俺は。昼行燈じゃあ夜の暗闇を照らせもしねぇぞ)

 ここまでダメ人間だと自分が笑えてくる。
 向こうからこっちの世界に来てそれなりに楽しいことは否定しないが、実は元いた場所とここはそんなに違いがないのかもしれない。

 そういえば、向こう――俺のいた世界はどうなったのだろうか。
 原因も分からない大災害に見舞われて、俺は意識を世界の向こう側――つまりこちらに持って行かれた。なら、向こう側の俺は死んだんだろうか。オーネストの奴は自分は死んだと断言していたが、自分の死なんて客観的に認識できるものでもない。

(『死』………か。試してみるか?)

 『死望忌願(デストルドウ)』――俺の死、俺の命、俺がこちらで一緒になった『死に向かう意思』とやら。こいつが死を司るというのなら、その身に纏う鎖を辿ればその先に俺はいる筈だ。それが生きているのか死んでいるのかは別として。

「単なる思いつきではあるが、暇だしやってみますか。何が出るかな……っと」

 掌に鎖を出現させ、自分を強く意識しながら、手繰る。


 手繰る、手繰る、仏陀の垂らした蜘蛛の糸を手繰るように――







『――害から3日が経過し……――場では自衛隊が急………すが、地盤が脆………者は市の指定………』


 ひどくつめたい雨ざらしの下で、途切れ途切れの雑音を聞きながら。


「……――!………!――」


 だれかが横たわる俺を、呼んでいる。


「………ろ!意識――……ッシュ症……段……るしか……!――……!」


 からだの感覚はどこか遠く、意識はふわふわと彷徨うように。


「………る君、ごめんなさ……!――……し、無くな……――、――!!」


 耳には、聞き慣れただれかの悲鳴染みた声がこだまする。


『………氾濫の恐れが………――……療施設は………さんは、その場から………返しお伝えし………』


 見上げた世界は、半分だけ黒く染まって――







「――ッ!?」
「……ん?アズ、どうかしたか?」

 空から落とされたように、唐突に意識が舞い戻る。
 耳はよく聞こえ、身体の感覚はいつもの重力を感じ、意識ははっきりと保たれている。

 気が付けばその場の皆が俺の事を見ていた。

「立ったまま居眠りなんてみっともないコトしてませんよね、アズ様?」
「え?あ、うん………今頃オーネストの奴は地獄を見てるかなぁ、って」
「???」

 事情を知らないリリとベルは首を傾げるが、ガウルは何かを察した。

「あ、ああ……俺は見たことがある訳じゃないが、なんかすごいらしいな……」
「ああ、すごいんだよ。オーネストを意気消沈させるのなんてあの人くらいだからな」
「ガウル師匠、何の話をしてるんですか?」
「まぁ、いつか教えてやるよ。それよりもベル、おまえその腰の投げナイフどこで買ったんだ?高いやつだぞ、それ」
「ああ、これはシルさんっていう人からプレゼントで……」

 話が逸れていくのを感じる中、俺は鎖を手繰った自分の掌を見つめた。

(今のあれは、一体――)

 困惑する意識の中で、俺はひとつだけ思い出すことがあった。
 オラリオに訪れる直前――聖者の如く十字架に張り付けられた、死に損ないの青年。あれは俺に死のうと言った。安楽死のように、永続する苦痛からの脱却を提示した。

 ――何故だ。

 俺が死んだのなら、何故その後になって選択する必要があった。
 死という終わり、黄泉路への途を一時的に遠ざけたかりそめの現世の旅人。
 それが俺だとしたら――俺の『死』、俺の『命』とは、『死望忌願』の本当の意味は――

「ま、別にいいか。オーネスト曰く、『神、天地にてくたばろうが、なべて世はこともなし』……俺がどうなろうと、さしたる問題はなかろうよ」

 俺は『告死天使』、耳元にて汝の死を告げる。
 もとより現世の者に在らざれば、其の在り処など泡沫の夢の如く。
 今日に悔いはないのだから、俺に未来(あす)はいらないのだ。
 俺はへらへら笑いながら(うそぶ)いた。
  
 

 
後書き
ロバート・ブラウニング&上田敏「誠に遺憾である」

※神、空にしろしめすなべて世はこともなし……「春の(あした)」という詩の一節。色々と訳し方がありますが、作者的にはヒネリなしに「この世界は神が天より治めているので、みんなが何やろうと万事問題なく(世界は)続く」という風に考えます。 
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