俺達は何を求めて迷宮へ赴くのか
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26.これだから神ってやつは
前書き
最近ちょっとだけ閲覧者数が増えた気がします。
少しだけ、頑張れる気がしました。
オーネスト・ライアーという男は他人の想いを省みない。
心配してると告げると「それがどうした。俺の行動には何の関係ない」と言い、好きだと告白されると「それがどうした。俺は別にお前のことなどどうでもいい」と言い、あれをするなこれをするなと注意されると「俺は俺のやりたいことをやる。お前のそれは俺には必要ない」といった具合にバッサリ切られる。他人の話を聞くのは、それこそ「気が向いた時」だけだ。
あの『豊穣の女主人』女将のミア・グランドの雷が落ちても1ミクロンも引かないどころか前に出て嵐を飛ばす胆力を持っているのはこの街でもこいつくらいのものだ。
しかし、そんなオーネストのウィークポイントとなる存在がこの街には3人いる。
一人、三大処女神が一人のヘスティア。
一人、隻眼赤髪の鍛冶神ヘファイストス。
一人、エピメテウス・ファミリア団長のリージュ。
理由はそれぞれだが、オーネストはこの3人にだけは少しばかり弱い。そしてその中でもヘファイストスには殊更弱い。それは武器を提供してくる弱みでもあり、彼女の持つ性質であり、その他でもある。そうして色々な条件が重なり合った結果が現状なのだ。
なお、この街で唯一オーネスト相手に『力尽く』という方法を取れるアズは例外にあたる。
そして、ヘファイストスが彼の弱点である事実に内心で喜んだ苦労人が一人。
「御足労頂き感謝する。貴殿にはいつも苦労を掛けるな」
「ふん、苦労しているのはお前だろう。胃薬常用者め。………追加、いるか?」
「すまぬ……すまぬ……!」
「泣くな鬱陶しい。他のファミリアの連中に見られるぞ」
涙を流しながらブラス(オーネスト)から薬の入った瓶を受け取るその女の名は椿・コルブランド。
ある意味オーネストとヘファイストスの関係がバレることを最も恐れている哀れな女性である。
彼女はオッタルの事件より以前からヘファイストスがオーネストに対して尋常ならざる入れ込みをしているのは知っていた。何故かと言うと、剣の代金をヘファイストスが受け取ろうとしないことを快く思わなかったオーネストが代金分の金を定期的に椿に押し付けていたからだ。
当時、ファミリアでは何の報告もなく勝手に鉄材が行方をくらましたり、ヘファイストスの私財がちょっとずつ質屋に入れられていたり、消滅した鉄材分の資金がどこからか捻出されていたりとおかしなことが度々起きていた。そこに来てのオーネストからの『代金』。
直ぐに事情を問い詰めた椿にヘファイストスはあっさりと真相を話した。
つまり、ヘファイストスはファミリアに内緒でオーネストの為の武器を作っており、消えた鉄材はその原材料になっていたのだ。しかし仕入れ分が勝手になくなると不味いので、ヘファイストスは損失分を自腹を切って埋め合わせていた。
『これは個人的な事情だから………ファミリアの仕事には出来ないのよ』
『な……何故です!?あの少年はこうして金を工面して持ってきているではないですか!』
『そうよ。でも……その金を短期間で工面するために、あの子はきっと幾度となくダンジョンで死にかけている。一人で下層まで向かい、死にかけて、それでも戦って、更に死にかけて………もしこれを仕事にしてしまったら、私はあの子の危険を願っている事になるわ』
『それは!冒険者ならば誰でも同じことです!誰しも得る物の為に必死にもなる!』
そも、冒険者として大きな対価を得るためにリスクを負うのは当然だ。誰だってより良い武器を得るにはより多くの金を稼がなければならないし、それに伴った力をつけなければいけない。出来ないのなら高い装備を求めるのは分不相応というものだ。
むしろ、椿はオーネストが代金を持って来るまで「実はこの少年は剣を転売しているのではないか」という疑いさえ抱いていた。ヘファイストスが手ずから打った最高級の剣は、そうそう簡単に壊れたりメンテが必要になるものではない。所属ファミリア不明で所在の知れない子供だから、疑いを抱くのは当然だろう。
『手前には分かりません!主神様は何故そこまであの童に入れ込んでいるのです!?我々の仕事は戦いと背中合わせ……それは女子供とて同じことです!貴方はどうして他の者とあの童を区別するのです!』
あの少年が真っ当な冒険者でないのは分かっている。この街の歪みや暗部を押し付けられて育った者特有のギラついた眼光。神に、ファミリアに、夢に希望を崩された者が纏う拒絶の気配は、一度身に付けば消すのは難しい。
だが、言葉は悪いがそういう子供というのはいつだって一定数存在する。全体数は少ないかもしれないが、力と金が物を言うこの街では自然と発生するものだ。
『この街には親を喪った者だって裏切られた者だって、不幸な者は幾らでもおります!』
『そうね。そんな当たり前の事に皆が目を逸らしているから社会というものはよく廻る。私達ファミリアもそれは同じことだわ』
『ならば何故あの童にはそこまで拘るのです!』
そこが、椿にとっては納得がいかなかった。
鍛冶ファミリアの在り方として、商人として、特別扱いというのは大きな問題があるのだ。ヘファイストス・ファミリアは今や街で有数の知名度を誇る。そんな組織が特定の誰かに武器を無償で与えているという事態は、著しく平等性を欠く。それが他ならぬ主神の手で行われているとなれば、あの少年にも当然火花が降りかかるということだ。
それを判らないほどこの主神は暗愚ではない筈だ。
『主神殿は確かに優しい、それは手前もよく知っています!ですが、同時に貴方は無償の愛を振りまくほど自己犠牲精神の強い者でもない!ならば、客として扱うべきでしょう!それが真っ当な付き合いというものです!あの少年だって金を用意しているのです!貴方が身を削る理由がどこにあると――!!』
その言葉は、翳されたヘファイストスの手によって制止された。
『そう言う問題ではないのよ。私にとっては、ね?』
その瞬間の眼を、椿は未だに忘れられない。
鍛冶屋として、主神として誰よりも敬う師の単眼が見せた、哀しみに満ちた眼。
『私にとっては、あの子だけは違うのよ。決定的に、致命的に………だから、客には出来ない。お金なんかあの子に『理由』を与えるだけ。重くて邪魔なしがらみにしかならない。今となっては武器を与えることぐらいしか、私はあの子にしてやれないから……』
椿は、主神に何と声をかければいいのか分からず、暫く黙っているしかなかった。
痛いほどの沈黙ののちに出た言葉は、当たり障りのない安い慰め。
『………少年はそれでも金を工面しております。貴方に身銭を削って欲しくないから、こうして持ってきているのではないですか?』
『――そうだと嬉しいのだけど、ね』
結局、お金は受け取ることになった。
………ここまでがシリアスな話。
そしてここからがシリアルな話だ。
「オーネストは来ていないの?」
「は、はい……」
「オーネストは、もう私の元に来てくれないのかしら……」
「さ、さあ……」
「オーネスト……オーネストぉ~……う、ううっ……」
「主、主神様!!大丈夫です。きっとそのうち来ますから!!」
「そんなこと言ったって本当に来るかどうかなんてわからないじゃない!あの子の事を他人事みたいに言うのは止めてちょうだい!!あの子はねぇ……あれでも子供の頃は私の眼帯を見て『格好いい!』とか『付けてみたい!』とか言いながらきゃっきゃとはしゃいでそれはもう可愛かったのよ!?それが今は何よ!すっかり不良みたいにヒネクレちゃって!!武器持たせなかったらギルド支給のすぐ折れるクソ剣持って冒険するし、折れないように剣を渡したら渡した分だけきっちりへし折ってボロボロで帰って来るし!!そうじゃないでしょ!?剣を大切にして戦いを控えるとかしなさいよ!!しかも私はファミリアなんかやってるから怪我したあの子を温めに行くことも出来ない!!ああ、妬ましやヘスティア!無職でヒモで紐なくせにあの子といつでも会えるからって独占して!私だって剣渡す以外の用事で来てほしいわよ!!『顔を見たかったから……』とか言われたいわよ!!………もういい!仕事なんてやってらんない!飲みに行くわ!後の仕事よろしく!!」
「え?え?あ、ええっ!?いやいやいやこの書類は主神様の捺印と署名が必要で……」
「そんなの筆跡真似て書けばいいのよ!私は行くから、あとの雑務よろしく椿!!」
「主神様ぁぁぁ~~~~ッ!?!?」
後の事情は知っての通り。本気で仕事をしないヘファイストスのせいでファミリア存続の危機に陥ったため、オーネストに泣き寝入りしてどうか来てほしいと24時間頼み込んで妥協してもらった。幸いだったのが、傍若無人と名高いオーネストがヘファイストスの名を聞いて首を縦に振ってくれたことだ。ここで別の神だったら間違いなく『知ったことか』で交渉は終了だったに違いない。
今では椿もオーネストと同じ苦悩(というよりヘファイストスの煩悩に対する頭痛)を共有する仲間。
そう、彼女も立派な『ゴースト・ファミリア』……本人に自覚はないが潜在危険人物の仲間なのだ。しかも見ようによってはブローカーよろしく自分の主神と危険な部外者が出会う仲介をしている状態。何ともリスキーな立場である。
既に魔法を解除したオーネストは神妙な面持ちで椿と共にツカツカと歩む。
「して、ヘファイストスの様子は?」
「うむ、昨日から既に掃除やインテリアの見直しなどの準備を始めておった。今朝は5時に起床して既に主神用の別室で活動しておる。炉には火を入れ、最高純度のオリハルコン等々を用意し、手前にさり気なく人払いを頼んできた。他にももてなしの為の入念なシミュレーション、昼食の準備、おめかし、午後の予定、話したいトークの確認、化粧にドレスアップまで済ませておる。今頃は貴殿の到着を今か今かと心待ちにしておるだろう」
二人の脳裏に過る、ソワソワしながら来訪を心待ちにする眼帯のお姉さん系神様の姿。
孫が遊びに来る前のおばあちゃんと彼氏を家に迎える少女を足して2で割ったようなその姿にファミリアの長としての威厳などある筈もなく、もし万が一こんな光景が外に流出すると本気でヤバい。7:3くらいの割合で、オーネストの社会的な立場が。
「あ、頭が痛くなってくる……来るたびに少しずつ悪化しているぞ」
「もてなしとしては洗練されている筈なのだがな……」
もてなしが豪華になればなるほどオーネストはヘファイストスに長く拘束されることになる。今回はオーネストは一本も剣を折っていないため明日には解放されるはずだが、折った日には以前に説明した通り最長で1週間は拘束されるのだから、彼としては堪ったものではない。
オーネストは弱点を晒すことを何より嫌う。そういう意味ではヘファイストスというのは弱点そのもの。リージュやヘスティアと違って彼女は最近まったく自重というものをしていないのだ。オーネストの本音としては、二人の関係が公にされた時にヘファイストスに盛大に暴走されるのが一番怖い。
「……もし主神様が暴走めされたら、ヘファイストス・ファミリアは色んな意味で面目丸つぶれだ。あんな恥ずかしい主神がトップとなると正直どんな顔をして表を歩けばいいか分からなくなるし、団員たちやギルドがどんな顔をするのかがとても怖い。かといってこれをやらねば……」
「みなまで言うな、分かっている……!俺に会えないフラストレーションを溜めたあの人の所為でヘファイストス・ファミリアの活動は滞り、主神が姿を現さないファミリア内に不安が伝染……挙句本気で出奔などされてみろ!あの人は間違いなくうちの屋敷に住みつくぞ……!?混沌だ!!混沌しか残らん!!そして誰も知らんところで俺の地獄が始まるッ!!」
この男を以てして『地獄』と断言させるのはここの主神くらいのものだ。苦渋に満ちた二人の表情は、まるで死地へ赴く寸前の兵士のような悲壮感が漂っている。
「分かっている……!あのテンションの主神様と同居することがどれほどの苦痛を伴うのか……!だからこそ、手前にはもう祈る事しか出来ん……!!」
「祈るな!祈れば目が塞がる……てめぇに出来ることは何だ!?この恥の塊が外に漏えいしないように見張ることだろうが!!」
『………ってコラぁ!人のことを恥の塊とか言うんじゃない!!全部ドア越しに聞こえてるからさっさと入って来ないかオーネストぉ!寂しいやら悲しいやらで切ない気持ちになってきたよっ!』
既に、ヘファイストス私室前。
オーネストの受難が始まる。
= =
一方、相方が悲壮な戦いに赴いているその頃。
「さぁ、行くぜヘスヘス!!新商品の発表だ!!」
「わー!ぱちぱちぱちぱち!!」
「これぞ乾坤一擲の逸品!『どこでもステイタス自動更新薬』だッ!!」
「はいアウトォォォォォォォォッ!!!」
暇を持て余したアズと偶然バイト休みだったヘスティアは、新作発表会で妙に盛り上がっていた。
「何て物を作ってるんだいキミはッ!そんなの裏の方でしか流通しないに決まってるだろ!」
「あっれー?だってダンジョンの中で更新できなかったら困るんだろ?イケると思ったんだけどなぁ……」
「イケないよ。主神の正式な儀礼なく勝手にステイタス更新とか……確かに便利だけど、更新は神とファミリアの絆を確かめ合う機会でもあるんだよ!?というかそもそもソレ、更新でどこが伸びたのかをどうやって確認するんだい!?」
「や、床に紙切れ敷いて背中押し付ければ一応ステイタスの写し出来るけど……」
「………アズライール。普通の冒険者は神聖文字読めないからスキルの解読とかが出来ないよ」
「え?そうなん!?」
ちなみに(アニメ準拠で言えば)神聖文字の正体は字体が盛大に潰れた日本語のひらがなとカタカナで構成されている。ところがこの文字、単語の部分の解読に神独特の解釈技法があるらしく、通常の人間は勉強しても完全に解読することが出来ないのだ。
しかし、アズは『完全に読める』。そしてアズには『主神がいない』。だから自分の発明がどれほどの危険性と問題を孕んでいたのかを理解できていなかったようである。
ヘスティアは覚えている。かつて、ステイタス更新の仕組みを聞いたこの男が「そんなのあるんだ。やったことないから知らんかった」と小さい声で漏らしたのを。そしてステイタスやレベルを詰問されたときに「俺も知らない」という問題発言を漏らしたことを。
アズライールは強い。それは間違いないが、レベルは不明だ。そも、考えてみれば彼はオラリオに来たときには既に他の冒険者など歯牙にもかけないほど強かった。本来は『恩恵』によって成長力にブーストをかけられることで強くなるのが冒険者のカラクリなのに、彼はそんな単純な構造を理解しておらず、なのに既に強かった。
もしアズが人間ならば、元々冒険者としての素養が高かった上に僅か数週間の短期間で最低でも5回は偉業を達成してランクアップしたらそれくらいの強さと知識量になる。しかし断言するが、人類にはそんなことは実現不可能だ。偉業とは英雄的な活躍――つまり、乗り越えようと思って容易に乗り越えられるほど生易しい内容ではない巨大な壁なのだ。
ともすれば、アズは以前から強かったということになる。
ならば何故彼は強いのか。
これは本当に可能性の話で確率は低いのだが、アズが『人間じゃない』のだとしたら……ある程度の説明はつく。彼がある種の『超越存在』か、冒険者のそれとはまったく別の力を与えられたのだとしたら、説明はついてしまう。その考えに到った時、思わず「キミは本当に人間なのかい?」と聞いた。そして「さあ?」と本気で首を傾げられた時は、こっちも本気で頭を抱えた。
(キミが人間だとボクは信じてる……信じてるけど……!キミは人間っぽくなさすぎだッ!明らかに雰囲気とか態度が超越存在側なんだよ!!)
湧き上がる熱い想いを必死で内に抑え込み、ヘスティアは変なところで無知なアズに説明する
「………あのね、知らないかもしれないけどこの街には『開錠薬』という、と~ってもあくどい非合法の薬があるんだ。どこぞの神が小遣い稼ぎに開発した、他人の『恩恵』を暴くための薬だ。キミのこれはそれと同じことが可能なんだよ?つまり、この薬も非合法だ。この街でステイタスを知られることの危険性くらいは知ってるだろ!?」
「うん。だから面倒くさいけど一杯プロテクトかけたんだけどなぁ……ほら、説明書」
「なになに?『他人のステイタスを覗き見る目的で使用した場合は薬が使用者の精神に呼応して出鱈目な内容を表示します。また脅迫などによって使わされた場合はエラー表示となります。あと、変な使い方をしたら――分かりますね?用量、用法を守って正しくご利用ください。『告死天使』はいつでも君たちに微笑んでいます』………怖ッ!!最後の一文とてつもなく怖ッ!!」
「えー、そんなひどい。俺が微笑んでたらなんか問題なの?」
「キミさ。『死神の微笑み』って聞いていいイメージある?」
「やだ、死ぬ予感しかしない……この街にそんな恐ろしい奴が!?」
「キミだよキミ」
これじゃあみんな怖がってどっちにしろ売れないのでは?と思わずにはいられないくらいにホラーなメッセージだ。祝福の言葉なのに不吉と恐怖しか感じない。てへペロしてる本人としてはちょっとした悪戯という感覚なのだろうが、内容があんまり笑えない。
「ま、そう言う事ならこの薬は生産禁止にするか……新商品界開発は難しいなぁ」
「もっと普通で平和的なのはないのかい?」
「後はアレかな………頼まれて作った髪染めとかマニキュアとか………ドライじゃが丸くんとか」
「ドライじゃが丸くん?」
「これなんだけど」
取り出されたのはタッパーに収まるちょっぴり大きな乾パンのようなもの。触ってみるとすごく乾燥しており、乾パンより更に固そうだ。微かに揚げ物特有の匂いはするが、これをじゃが丸くんと呼ぶのには抵抗がある。
彼を疑う訳ではないが、流石にこれは首を傾げる品物だ。
「おいしくなさそうだね、コレ」
「ところがどっこいコレに沸騰させたお湯を少量かけてやると……」
自作らしい魔石保温ポットからタッパーの中にお湯が注がれると、間もなくして大きな変化が起きる。その変化にヘスティアは思わず身を乗り出した。
「おおッ!?水分をどんどん吸い込んで見慣れたサイズのじゃが丸くんにッ!?」
「これぞアスフィさん協力の元で開発されたフリーズドライ製法が実現した究極系!!さあ、味付けはしてあるから食べてみるんだヘスヘス!!」
言われるがままにじゃが丸くんを手に取る。あのじゃが丸くんが纏うしっとりとした温かみと衣のザラつき指に伝わり、押すと中のイモが柔らかく変形する感触。これが、こんなにもしっかりとしたじゃが丸くんがさっきの乾パンもどきにお湯をかけただけで誕生するなど、奇跡としか言いようがない。
たまらず一口齧りつく。
しゃおっ、と歯に伝わる衣の子気味がいい歯ごたえと、下の上に広がるジャガイモの風味。程よい塩分が食欲をそそり、ヘスティアの口のなかにどばりと唾液が溢れ出て『早く食べろ』と唆す。欲望と腹の虫が掻きたてるままに、ヘスティアはそれを一気に食べた。
「~~~ッ!!ほ、本物のじゃが丸くんだ!!信じられない……何をどうすればこんな革命的なのにそのまんまなじゃが丸くんを作れるって言うんだ!!」
「そこはそれ、企業秘密という奴だよ!だがヘスヘス……こいつは素敵だ、食の革命だ!!流石に味は本物には劣るが、この技術を応用すればオラリオの食文化に激震が走るぞ!!フリーズドライ製法で作られたコイツは湿気にさえ気を配ればきわめて保存性が良く、体積も小さく、ただお湯をかけるだけでこの通り美味しい料理が出来上がる!!分かるかいヘスヘス、冒険者の食生活が一変するぞ……!!」
ヘスティアは想像する。今の時代、食材を長期保存する方法が限られる文明レベルのこの世界に激震を走らせるであろう発明が呼ぶ、津波のような波紋を。ただ、お湯と「それ」があるだけで主婦は料理から解放され、食に飢える冒険者たちは「それ」を抱えて嬉々としてダンジョンに突入し、いつしかそれはヘスティアのような貧乏な存在にさえ『恩恵』を……人の子が作り出した『恩恵』を浴びる。
世界は祝福に満ちて――人は、食楽の路へと。
「アイズちゃんの言葉が始まりだった……『ダンジョンの中でもじゃが丸くんを食べたい』……その一言が、歴史の流れを変えたんだ!!」
「歴史が変わる……悠久の時と営みの中に鎮座していたオラリオそのものが動くんだ。歴史の風が吹いている、確実に!!」
「今はまだコストパフォーマンスの問題で大量生産は出来ない……でも、確実に計画は前へ進んでいるんだ!中途半端はやめよう、とにかく最後までやってやろうって、あのサボリのヘルヘル(ヘルメス)でさえ真剣になって出資者を募ってる!沢山の仲間がいる。決して一人じゃない。開発者の一人として、これ以上嬉しいことはあるか!?」
「ボクもこれは応援せざるを得ないぜ、アズ……!ボクに手伝えるのは試食くらいだけど、これを商品化すれば素晴らしい世界が待ってることは分かる!流されるなよ、アズ……もしこの技術を鼻で笑うような連中が出てきたら、ボクがぶっとばしてやる!」
「信じるぜその言葉!!今日からヘスヘスもこの時代の一部だ、歴史を変える力だ!!」
「共に戦おう。共に耐え抜こう。一緒ならやれるさ……掴もうぜ、未来ッ!!」
交わした握手はどんな金属より固く、暖炉のように暖かく、そして草原をなぜるそよ風のように心地よい。
それは、世界の悪戯が生んだ奇跡。
1000年を超えても開発されるかどうかさえ分からないたった一つの着想が生んだ革命の軌跡。
少女はじゃが丸くんを語り、天使は知恵を囁き、万能者は神の遺産を建造する。それは紛れもなく聖人の所業、新たなる『愛』の誕生。
――この世界の歴史に本格的な『インスタント食品』の開発が始まったことを告げる文章が、この出来事の数千年後に発見される。
日記の著者はヘスティア。その日記に記されていたのは、インスタント食品開発の父とされる男から聞いた激闘の戦記であった。構成の人々はこの日記を歴史的な文章として解読し、その偉業を世界に改めて知らしめたという。
これは、異世界から来た男と幻想の神々とそれを取り巻く人々が紡ぐ《食譚》。
後書き
アズたちの熱意が世界を変えると信じて……!
いやぁ、なんだか久しぶりにはっちゃけた気がします。自分でもどうしてこうなったのか分かりませんが、取り敢えず次回はオーネストの話を続けます。
でもはっちゃければはっちゃけるほど、後で叩き崩すのが楽しみで楽しみになりますね。
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