ソードアート・オンライン -旋律の奏者-
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アインクラッド編
平穏な日々
紅色の策略 05
SAO最強ギルド、《血盟騎士団》副団長、《閃光》のアスナは悩んでいた。
キリトに関するあれこれは解決した(正確には『させられた』。 主にと言うか完全にどこぞの少女然とした腹黒少年の策略だ)ので、昨日までに比べれば気持ちは随分と楽だ。 詳しくは追い追い話すとして、キリトのKoB入団が本人の意思ではないことは、彼の恋人であるサチは納得してくれた。
と言うより、そもそもそこまで疑ってはいなかったらしい。 その点で言えば、完全にどこぞの腹黒少年の杞憂であり、それでもその無駄に細かい配慮はアスナも感心してしまった。
『ああ、大事な人なんだな』と、本人に聞かれれば間髪入れずに否定されるだろうことを胸中で呟き、思わず笑ってしまったのは完全に余談だろう。
とりあえずは、キリトが血盟騎士団に入る上での問題は粗方解決され、後は部隊の配置やらキリトの待遇やらを決めるだけになっていた。
もっとも、周囲が何を言おうと直轄部隊にキリトを配属すると決めているので、アスナとしてはそこまで悩むことはない。 フォワード隊の責任者に実力を見せると言う意味合いで、今は訓練を名目とした中層迷宮区攻略にいってはいるけど、それもやはり一応以上の意味はなく、今日から晴れて同僚なのだ。
その事実が嬉しくないかと問われれば、答えは迷うことなく否だ。
攻略組トップクラス剣士として《閃光》の二つ名を頂戴しているアスナだが、そんな些細なことを除いてしまえばただの女の子。 それこそどこぞの腹黒少年が揶揄するように、恋する乙女のアスナにとって、片想いの相手と同じギルドになると言うことが嬉しくなかったら恋する乙女失格だろう。
けれど同時に、あの儚げな少女のことを思い出してしまう。
サチと言う名の少女。 キリトの彼女にして、人嫌いで有名なフォラスが姉と慕う少女。
彼女の顔を思い出すたびに、アスナの胸はチクリと痛んだ。
別に疚しいことをしているわけではない。 キリトに恋人がいることを知って以来、少なくとも本人にはアピールしていないつもりだ。 あくまで旧知の仲として、あるいはかつての攻略パートナーとして、その領分で接していた。
だからと言って今までの自分を許せてしまうほど、アスナは自分に甘い性格ではないと言うだけの話しだ。
いっそ彼女に責め立てられれば、そうなればキリトのことをスッパリ諦められたかもしれない。 諦めるまではいかずとも、身を引こうと素直に思えたのかもしれない。
だと言うのに、彼女はアスナを責めなかった。 キリトとの関係性を問うこともなく、少しだけ気まずそうにしながらも笑顔を見せてくれさえした。
アスナの立場でこれを言うのは些か問題だろうが、そんな中途半端な彼女の態度に苛立ちを覚えたのも確かだ。
このままだとキリト君を奪っちゃうよ、などど口にも思考にも上げられないアスナではあるが、どうしてもキリトを諦める理由が見つからないのも事実。 そして、キリトと彼女との関係性に疑問を持ったのもまた事実。
「フォラスさんだったら詳しく知ってると思うけど……」
どこぞの腹黒少年の名を呟いてから、アスナは盛大にため息を吐く。
どこぞの腹黒少年はその辺りの事情を完璧に把握しているだろう。
人の感情の機微や表情の変化に敏い彼のことだ。 うっかりすると当事者たち以上に理解している可能性さえある。
かと言って、その辺りの事情を聞いたとしても素直に教えてくれるとは思えない。 昨日、《友達》などとアスナにとっては意外極まる単語を使って黒猫団の面々にアスナを紹介した彼だが、友達を相手にしたからと言ってペラペラと事情を話すような人柄でないことはアスナも知っている。
知ろうと思えば本人たちに聞くのが手っ取り早いのだが、キリトはその手の人間関係の機微に疎いし、彼女とはそこまでの話しができるほど打ち解けていない。 と言うか、たとえ打ち解けたとしても流石に聞くのは憚られる。
となると、やはりどこぞの腹黒少年に聞いた方がいいのかもしれない。 教えてくれるかどうかは別にして、聞くだけ聞いてみても無駄にはならないだろう。 そうと決まれば早速どこぞの腹黒少年を呼び出して……と、思考がそこまで行き着いたところで、メッセージの受信を知らせる電子音が鳴った。
特に考えることなく開いたメッセージの差出人は、可愛い妹のアマリだった。
「ーーーーっ!」
そのメッセージを読んだ瞬間、アスナは短く息を飲んで、その直後に自身の執務室から飛び出した。 攻略組の中でもトップクラスの敏捷値を誇るアスナの疾駆。 ギルド本部の長い廊下をさながら光の速さで駆け抜けながら、アスナの鋭い眼光はひたすらに先を見据える。
メッセージの差出人はアマリ。
しかし、そのメッセージの本当の送り主を、アスナは聞かずとも察した。
「お願い……間に合って!」
今の今まで信じてもいなかった神に縋りながら、アスナは短い祈りを吐き出した。
『キリトが殺される』
たったそれだけの8文字は、アスナの平静を吹き飛ばすには十分だった。
「どうよ……どうなんだよ……。 もうすぐ死ぬってどんな感じだよ……。 教えてくれよ……なぁ……」
狂気によって掠れた声を聞きながら、キリトは自分のHPが緩やかに、されども無慈悲に減少していく様を見た。 このままの調子でいけば確実に殺されるだろう。
「なんとか言えよガキィ……死にたくねえって泣いてみろよぉ……」
尚も譫言のように囁くクラディール。
ことが起こったのは迷宮区を目前にした休憩時のことだった。
ギルドから支給された固焼きパンと瓶に入った水と言うなんとも質素な昼食にため息を吐きつつ、水で喉を潤したキリトたちに、一斉に麻痺毒が襲いかかったのだ。
何が? 誰が?
そんな疑問は既に意味をなさない。
ただ1人麻痺を逃れたクラディールは狂気の哄笑と共にフォワード隊の責任者、ゴドフリーともう1人の団員を躊躇なく殺した。 そして今、キリトをすら殺そうとしている。
「おいおい、なんとか言ってくれよぉ。 ホントに死んじまうぞォ?」
自身のHPが危険域にまで落ちているが、それをキリトはどこか遠い世界の出来事のように眺めていた。
諦念。
ここでこれ以上抵抗しようとも無意味なのだと、諦めていたキリトの脳裏にとある人物が浮かぶ。
純白と真紅の騎士服を着た少女。 少女と見紛うほど可憐な顔立ちをした小柄な弟。
誰などと問うまでもない。
アスナとフォラス。
ーーーー俺がここで死ねば、アスナにこの男の毒牙が向けられる……
ーーーー俺がここで死ねば、フォラスはどんな手段を用いてでも犯人を特定して、そして絶対にこの男を殺す……
それはキリトが死ねば確実に起こる絶対の未来だろう。
「くおっ‼︎」
故にキリトは両の眼を見開き、自身のアバターに突き刺さっているクラディールの剣の刀身を掴んだ。
「お……お? なんだよ、やっぱり死ぬのは怖えェってかぁ?」
「そうだ……。 まだ……死ねない……」
「カッ‼︎ ヒャヒャッ‼︎ そうかよ、そうこなくっちゃな‼︎」
必死に抗い、片手で剣を引き抜こうと試みるキリトと、狂気に惑い、キリトを殺さんと剣に全体重をかけるクラディール。
結果は明白だ。
いかにキリトのレベルが高く、筋力値で勝ろうとも、片手と両手では勝算はない。 そうでなくとも麻痺毒に侵されているのだ。 この抵抗も死の刻限を十数秒遅らせるのが精一杯だろう。
それでも諦めるわけにはいかないのだ。
強いようでいて脆い少女のために。 いつも飄々としているくせに繊細な弟のために。
「死ねーーーーーッ‼︎ 死ねェェェーーーーーーッ‼︎」
金切り声を上げたクラディールの顔が愉悦に歪む。 キリトの死はすぐそこに迫っていた。
それでもキリトは諦めない。 諦めるわけにはいかない。
ーーーー俺は……
ーーーーまだあいつに何も伝えてない……
ーーーーだから頼む……
ーーーーどうか保ってくれ……
瞬間、純白と真紅の色彩を帯びた風が吹いた。
ギャリンッ、と。 不快な、それでも耳に馴染んだ金属同士が激しく擦れ合う音を聞きながら、その直後に舞い降りた1人の少女にキリトは目を奪われた。
「間に合った……間に合ったよ……神様……間に合った……」
震える声で風は続ける。
「生きてる……生きてるよねキリト君……」
「……ああ……生きてるよ……」
キリトの掠れた声を聞いた風……否、閃光のアスナは、治癒結晶でキリトのHPを回復すると、一瞬だけ小さく微笑んだ。
「待っててね。 すぐ終わらせるから……」
立ち上がり際に囁いたアスナは、そのまま躊躇うことなく細剣を抜く。 絶対零度の厳しい眼光とは別種の、憤怒の業火に満ちた瞳はクラディールを捉えていた。
ーーーーこいつがキリト君を
殺そうとした。
ギリっと歯を食いしばると、アスナを見て今更な言い訳の言葉を無視して細剣を突く。 怒りで剣先が鈍っているのか、クラディールの口を掠めただけの攻撃に、けれどもクラディールは大袈裟に仰け反った。
ようやく言い訳が通用しないと悟ったのだろう。 クラディールは大剣を振りかぶり反撃に出ようとする。
だが、アスナの剣尖がそれを許すはずもなかった。
宙空に引かれる無数の光の帯。 剣先はキリトの動体視力を以ってしても捉えることはできず、ひたすらにクラディールのHPを喰らい続ける。
HPが赤の危険域に達した段になって勝ち目がないと理解したクラディールが剣を放ると両手を上げ、地面に這い蹲るようにして命乞いを始めるが、それらの言葉をアスナは全て無視した。
否、アスナはクラディールの命乞いを、それ以前にクラディールの存在を正しく認識できていないのだ。
ーーーー許サナイ
ーーーーキリト君ヲ殺ソウトシタコノ男ヲ許サナイ
ーーーー殺ス
ーーーーキリト君ヲ殺ソウトシタコノ男ヲ殺ス
ーーーー殺ス!
ーーーー殺ス‼︎
正常な思考の働かない状態で、アスナは殺意の赴くまま最後の一撃を……
『私は認めません‼︎ 絶対に、絶対に認めません‼︎』
振り下ろす直前に止まった。
頭の中で響くのは、かつての自分の言葉。
『たとえ大切な人の仇だからって、人を殺していい理由にはならないはずです‼︎』
かつて、殺人を犯した友人に向けた断罪の言葉。
『復讐は何も生まない! そんなことはあなただってわかっているでしょう‼︎』
まるで今の自分を責め立てる鋭利な言葉。
『フォラスさん‼︎』
そう。 仲間を殺され、狂気の赴くままに復讐していたフォラスを責めた時の言葉だ。 あの頃のフォラスを真っ先に責め立てたのは誰あろうアスナだった。
だと言うのに、自分は一体何をしているんだ?
その疑問がギリギリの位置で細剣を止めた。 あるいは、ギリギリの位置で細剣を止めてしまった。
「ッヒャアアアアア‼︎」
そんな決定的な隙を見逃すような良識を、目の前の殺人者は持っていなかった。 当然だ。 何しろ、この手のプレイヤーが考えていることはただひとつ。
殺すことだけ、なのだから。
甲高い金属音が周囲に響き、アスナの手から細剣が弾き飛ばされる。 短い悲鳴をあげながらも体勢を整えようとするが既に遅かった。
絶叫と共に撒き散らされるどす黒い赤のライトエフェクトを、アスナはどうしてか酷く冷静に見ていた。
ーーーー私は何もわかってなかった
ーーーーフォラスさんのこと
ーーーーアマリのこと
ーーーー大切な人が殺されると言うこと
ーーーー何も、何も、本当に何もわかってなかった
それは懺悔だったのかもしれない。
減速した世界でグルグルと回り続ける思考の渦に飲み込まれながら、アスナは笑い出してしまいたい気分だった。
実際にクラディールがキリトを殺そうとしている現場を見て、アスナは間違いなく狂ったのだ。
かつてあれだけ責め立てたフォラスと同様に、ただただ狂気に支配され、敵を殺すこと以外の思考は消失した。
ーーーー私もフォラスさんと……ううん、フォラス君と同じ
ーーーー今ならちょっと、フォラス君の気持ちがわかるよ
ーーーーねえ、フォラス君。 今更だけど、あの時のことを謝ったら許してくれる?
ーーーー多分、君は笑ってこう言うよね……
ーーーー『謝らないで』って……
ーーーー『僕も謝らないから』って……
ーーーーああ、最後にもう一度、あの頃みたいに笑い合いたかったなー
ーーーーキリト君とアマリとフォラス君と、それから私で、もう一度……
「アアアア甘ぇーーーーーんだよ副団長様アアアアアア‼︎」
振り下ろされる大剣の切っ先を見つめ、けれどアスナの意識はそこにはもうなかった。
だからこそ気がつくのが遅れたのだろう。
自身の髪を掠めるように突き出された純白の刀身に。
トンと、軽やかな突きでモーションから外れた大剣は、その身に纏わせていたどす黒い赤のライトエフェクトを霧散させ、持ち主に多大な硬直を強いる。
剣技阻害。
ソードスキルが攻撃判定を持つ直前の一瞬を狙い、その武器を僅かにずらすだけの地味な技。 しかし、それはソードスキルに対して絶対的な防御となり得る。
それ自体は割とポピュラーなシステム外スキルだが、アスナはこれが誰の手によるものかわかっていた。
「本当に甘いよね、アスナさんは。 でもまあ……」
グリンと雪丸の刀身が翻り……
「アスナさんのそう言うところ、僕は結構好きだよ」
平時と変わらない穏やかな声と同時に、クラディールの身体を切り裂いた。
「アマリの次にだけどね」
HPを完全に吹き飛ばされ、ポリゴン片へと変わるクラディールを見ながら、彼はいつもと変わらない調子で惚気てみせた。
そして紡がれるのは短い詩。
「さようなら、狂気に溺れた愚かな騎士。 今更赦しを請うつもりはない。 それでもどうか、あなたの眠りが穏やかなることを」
この時の彼の横顔を、アスナは生涯忘れないだろう。
その最後の言葉と共に、毎夜毎夜思い出すだろう。
おやすみ
そう言って、彼は目を伏せた。
後書き
今回の反省。
夜勤明けのテンションで書いたらダメですね。
と言うわけでどうも迷い猫です。
いやもう、支離滅裂の極みです。 夜勤明けのテンションで書くのは危険ですね、本当に。
でも、書きたい描写は書けたので、まあ良しとしましょう。 今回の話に関する批判は……なるべくなしの方向でお願いします(土下座
ではでは、迷い猫でしたー
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