ソードアート・オンライン -旋律の奏者-
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アインクラッド編
平穏な日々
紅色の策略 03
「すまなかったなキリト君。 企画はフォラス君とダイゼン君に任せていたのだが、こんなことになっているとは知らなかった」
「……ギャラは貰いますよ」
「それはフォラス君に請求し給え。 あくまでこちらに請求しようと言うのなら……そうだな、任務扱いにさせて頂こう」
「気が早いですね。 もう勝った気ですか?」
キリトの挑発的な苦笑の返答は、言葉ではなく濃密な殺気だった。
常人であれば咄嗟に後退するほどの威圧感だが、キリトはただ淡々と殺気を身に受け、その眼をヒースクリフに向ける。
「ほう」
思わず漏れた声は僅かな驚きと、確かな感嘆。
まさか自分の殺気をものともしないプレイヤーがいるとは思っていなかったヒースクリフだが、その理由に数瞬遅れて辿り着いた。
フォラス。
キリトの弟にして、アインクラッドに於いて非常に稀有な対人戦のスペシャリスト。 今でこそ大人しくしてはいるものの、今夏まではオレンジ狩り……否、レッド狩りをしていたPKK。 彼の名を聞けばレッドの誰もが恐怖し、彼の視界に映るレッドは例外なく殺された。
元々あったもの変換しただけの単純な二つ名《戦慄の葬者》
レッドを戦慄させ、レッドを葬りさる者。
故に《戦慄の葬者》
少女と見紛う愛らしい外見に内包された狂気は、最悪の殺人ギルド《笑う棺桶》すらをも凌駕するだろう。 正確な数は算出不可能だが、彼が殺したプレイヤーは既にレイドの上限人数を越えるとまで言われている。
キリトはそんなフォラスの殺気を、狂気を、真正面から受け止め、そして受け入れたのだ。 今更、この程度の殺気に怯むほどやわではない。
(なるほど。 さすがは彼の兄、と言うことか)
内心で呟きながらキリトから視線を外すと、ヒースクリフは手慣れた動作でデュエル申請のメッセージを飛ばした。 一瞬の逡巡すらなくデュエルが受諾されると、宙空にカウントダウンが表示される。
「ところでキリト君」
「なんでしょうか、団長殿?」
「これが終われば我がギルドの団員になるが、実はもう1人、優秀な人材が入ることになる」
「……どう言うことだ?」
もったいつけたようなヒースクリフの言葉にキリトは眉をひそめる。 嫌な予感が脳内を駆け巡り、思わず今まで取り繕っていた敬語が吹き飛んだが、それを咎める声はない。
しかし、ヒースクリフはとんでもない爆弾を落とした。
「フォラス君さ。 彼は君が私に負けるようなことがあれば、自分も血盟騎士団に入ると言った。 このデュエルに介入する条件として私が提示し、彼はそれを受け入れた」
「なん、だと……」
「これで君は負けられない理由が増えたが、それでも君は私には勝てない。 私はこの余興で優秀な部下を2人も手に入れることができる。 礼を言おう、キリト君」
感情の抑制されたヒースクリフの鉄面皮の奥に、キリトは明らかな歓喜を見た。
自分が負ければ血盟騎士団に入る。
それは別に構わない。 嫌ではあるが、それは自分の言葉の責任だ。 フォラスにも言われたように挑発に乗った自分が馬鹿だっただけ。
しかし、フォラスは違う。
フォラスまで巻き込むのは、いくら何でも許されない。
ギリッと歯を鳴らしたキリトは、おもむろにメニューを開く。
使うつもりはなかったスキル。 フォラスが軍の一団やクラインたちを脅してまで秘密にしてくれた奥の手。
だが、負けられない戦いを前にして、それを隠しているわけにはいかなかった。
軽やかな音と共に背に加わった新たな重み。
リズベットが鍛えてくれたもう一振りの相棒と、元々装備していた相棒を同時に抜き放つ。
《エリュシデータ》と《ダークリパルサー》
漆黒と純白の二刀を携えたキリトは、カウントダウンがゼロになった瞬間、ヒースクリフに向けて駆けていた。
「もしも団長と戦うとなったら、フォラスさんならどうしますか?」
「んー……圏外で闇討ちが現実的かな」
「その冗談は全く笑えません」
「じゃあ、パーティーを組んでおいて後ろから、とか? 麻痺毒を使えば更に成功率は上がると思うよ」
「ですから、それも笑えない冗談です」
僕の軽口をバッサリ切り捨てたアスナさんは、視線をキリトに固定したままため息を吐く。
ちなみにアマリは僕の太ももに頭を乗せて、控え室のベンチに横たわっている。 いわゆる膝枕だ。
「まあ、真剣に答えるとするなら、正々堂々、正面から不意打ちするよ。 心渡りはそのための技だからね」
「あなたなら団長に勝てると?」
「初撃決着で、なおかつ周囲に誰もいない状況ならね。 今の状況だと僕は勝てないかな」
「なぜですか?」
「さあ、どうしてだろうね」
「……これ以上の詮索は無駄だと言うことですか」
わざとらしく息を吐いたところで、キリトとヒースクリフとの間にカウントダウンが表示される。
この勝負の先は見えている。 キリトは負け、血盟騎士団に入ることは確定だ。
キリトに限って言えばそれは自業自得なのでどうだっていいけど、それが与える影響を考慮していないのはいただけない。 主にサチ姉に対するフォロー不足的な意味合いで。
「ところでフォラスさん。 先ほどのかたですが……」
「ああ、うん。 サチ姉のこと?」
「ええ。 あの人がキリトくんの、その、彼女さん、ですか?」
「まあアスナさんなら気付くよね」
げんなりとした調子を隠さずにため息を吐くと、意外なことにアマリが口を開いた。
「なんだか儚い感じの人だったですね、サチ姉さん」
「ん、そうだね。 でも、怒ると怖いから気をつけてね」
「そうは見えなかったですよ?」
「前にキリトと一緒に悪ふざけしてたら怒られたけど、いやもう、本気で怖かったよ。 目が笑ってない微笑みで延々と《お話し》。 アスナさん以上に怖かったね、あれは」
その時のことを思い出して、僕は思わず身震いしてしまう。
あれはそう、僕が攻略組に復帰してしばらくした時のこと。 リズさんのところに遊びにいくアマリを見送ってから、僕はキリトと合流して《アインクラッドを外周から登っちゃおうぜツアー》を敢行したのだ。
結果は大方の予想通り失敗。 80mほど登ったところで侵入不可能領域を知らせるメッセージが眼前に現れた。 いきなり表示されたことの驚いた僕とキリトは手を滑らせて、そのまま落下することになった。
もちろん、落下中に転移結晶を使って事なきを得たわけだけど、それを知ったサチ姉(観客だった黒猫団のメンバーがリークしたらしい)は、僕たちがキリトのホームに帰るなりハラハラと泣き出してしまって、それをどうにか落ち着かせたら今度はお説教。
無事ではあったものの危険なことをした僕たちを心配してくれたサチ姉に反論できるわけもなく、僕とキリトはひたすら謝罪の言葉を繰り返したのだった。 ちなみにその日のキリトの晩御飯は《はじまりの街》で売っている丸パンひとつだったらしい。
「……それはフォラスくんたちが悪いです」
そんなあれこれを聞いたアマリの第一声は、アマリにしては珍しい、明らかに呆れた調子のお言葉だった。
サチ姉に対してそうだったように、返す言葉がないので苦笑いを浮かべつつ肩を竦める。 ちなみにアスナさんは言うまでもなく絶対零度の視線込みの呆れ顔だ。
と、肩を竦めながら視線を向けた先で、キリトがメニューを開いていた。
デュエル開始まで10秒を切った状況で何を? そんなことを考えていると、キリトの背に新たな剣が追加される。
「なっ……」
キリトの愛剣。 《エリュシデータ》と《ダークリパルサー》。
今回のデュエルで使わないと宣言していたそれら二振りの剣を、キリトは公衆の面前で音高く抜き放つ。
歓声や野次に包まれていたコロシアムの空気が、その二刀を前に困惑とどよめきとに変わった。
「あの馬鹿……」
思わず口から溢れた罵倒の言葉は、けれど、誰の耳にも届かなかっただろう。
キリトとヒースクリフとの間にデュエル開始を告げる表示が瞬き、瞬間、キリトは10mほどあった距離を駆けた。
キリトは勝てない。
二刀流を使おうが、たとえどんなスキルを使おうが、現時点でのヒースクリフを打倒する術はないのだ。 キリトが劣っているわけではない。 むしろ、単純な戦闘能力で言えば、キリトに分があるだろう。
けれど、それでもヒースクリフは負けない。 絶対に。
何故なら、ヒースクリフが思い描いているだろう思惑を全うするには、彼自身が最強であり続けなければならないのだから。 だから負けない。 どんな手を使ってでも勝つ。 それが彼自身の主義に反していようとも躊躇わない。
僕たちの眼前で繰り広げられているデュエルは長期戦の様相を呈している。
手数で押す二刀流。 あらゆる攻撃を盾で捌く神聖剣。
攻め立てているのはキリトだけど、攻撃と攻撃の僅かな隙をヒースクリフは逃さない。 どうしても捌ききれない削りダメージによって少しずつ減っていく互いのHP。 やがて、両者のHPが半分を切ろうとした瞬間……。
世界は時の歩みを止めた。
キリトが繰り出した16連撃にも及ぶ必殺のソードスキル。 上下左右からヒースクリフを食い千切らんと殺到する剣戟に対応しきれず、最後の一撃を彼はその身で受けるはずだった。
しかし、間に合うはずのない位置まで振らされた十字盾は本来であれば絶対に不可能な速度で動き、キリトの一撃を弾いて見せた。
直後に訪れる技後硬直に囚われたキリトの身を、ヒースクリフの無慈悲かつ最低限の攻撃が襲う。 的確な一撃はキリトのHPを半分以下まで落とし、そして勝敗は決した。
盛り上がる観客の声を聞きながら、僕は深いため息を吐いていた。
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