ソードアート・オンライン‐黒の幻影‐
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第3章 黄昏のノクターン 2022/12
29話 陰に在る者達
不可解な商品の鮮度と価格設定を目撃してから翌日。
俺達は価格変動について、より正確な傾向を把握するべく街に繰り出した。その手始めに訪れたのが、大家である防具屋だ。彼等の店に入るとやはり店主はどことなく顔色を悪くして、算盤に向かいっぱなしになっているところを目撃したのである。そして、少し会話を交わして今に至るのだが………
「………木箱?」
告げられた言葉は脳内で反芻し、しかし理解に苦しんだ俺の脳は、その最たる部分を鸚鵡返しに口にする。
「そう………搬入される商品に使う木箱如きでと思うかもしれないが、この街ではとても重要なものなんだ」
頭を抱える防具屋の店主は、溜息混じりながらも俺の口にした単語に注釈を加えてくれる。
「いいか? ここは水路でしか物を運べない街なんだ。普通の街路とは違って、波打つ水上を船で輸送するぶん、商品は当然の事ながら傷んでダメになる。武器や防具だって、水を浴びれば傷んで商品としての価値が損なわれる。だからこそ、この街の流通は商品を木箱で梱包して丁寧に運ぶんだ」
「………で、物流を取り仕切る水運ギルドは木箱を有料にすると言ってきたわけだな?」
やや辛気臭い店主に同情しつつ、彼が述べようとする下の句を先に述べて話をまとめる。
要は、昨晩の市場で見た品質と価格の正体は《木箱に詰められた適正品質の薬草》と《木箱に詰められず乱雑に運ばれて劣化した薬草》ということになる。価格帯の差から察するに、木箱はかなり高額な商品ということになりそうだ。しかし、それだけならば対応策は思いつきそうなものだ。
「別に、木箱を再利用すれば良いだけの話じゃないのか?」
対応策の例をあげるならば、再利用だろう。
NPC露店商は例外として、商品が固定されたショップであれば、商品の企画に合わせて木箱を変えるにせよ、同じものを再利用すれば問題は解決するのではないか。意外と呆気ない問題の終結を予想した俺は、しかし油断していた事を思い知らされる。
「違うんだ。この木箱の価格というのはあくまで《使用料》なんだ。商品を搬入すれば回収されてしまうから再利用なんて出来るわけないし、仮にこちらで木箱を渡しても………どうも、水運ギルドの連中にくすねられてしまうみたいなんだ………梱包の木箱を指定して渡したのに商品は裸のまま渡されて、貸した木箱の行方は知らぬ存ぜぬさ。二軒先の武器屋なんかは裏に置いてあった空箱まで持って行かれたなんて言ってたし………」
「そいつは、災難なことで………」
なんというか、この八方塞がりな状況には御愁傷様としか言い様がない。
加えて、昨日の荒い操舵で運ばれれば水路から浸水して余計に品質の劣化に繋がりそうだ。とても苦しい状況である。
「このまま木箱に防具を詰めないで納品されても布以外は全滅だろうな………大人しく木箱に詰めて貰うか、それとも水晒しで運んでもらうか………冒険者のあんたに言うのも気が重いけれど、こればかりは許してくれ………」
辛そうに胃の辺りをさすりながら、店主は青い顔で再び算盤に向き合う。
………しかし、この様子だと本当に値上がりも在り得るということか。さもなくば、もれなく水濡れエフェクト付きの劣化装備を掴まされるか。何れにせよこの二択だろう。プレイヤーとしては断固阻止せねばならない事態だ。
一先ず、このまま胃潰瘍になられて休業されても困るので防具屋からは情報収集を切り上げ、外に出ることにする。次は順当に武器屋か、それとも別の店を覗いてみるべきか。決めあぐねていると、涼やかなサウンドエフェクトが響き、クエストログの進行が知らされる。
「………なんだろう?」
不思議そうに傾げるヒヨリを余所に、俺はクエストログを開き内容を確認する。
そのウインドウに記された内容に眉根を潜めつつ、内容を目に焼き付けんばかりに睨み付ける。
【ロービアで借りた宿で一夜を過ごし、商人や露店の店主が困り果てていることに気付いた。もう一度船匠に会え】
「燐ちゃん、これって………?」
「ロモロさんの事、ですよね?」
ヒヨリと、隣からウインドウを覗き込んでいたティルネルの両名の疑問符に首肯する。しかし、まだこのクエストに息の根があったのかとうんざりする反面、《ロービアで借りた宿で一夜を過ごす》という条件は、俺が狙っていた隠しクエストの発生条件を想起させる。未だ隠しクエストの存在は確認できていないが、この主街区にいるプレイヤー全員に影響を及ぼすであろうこの案件は無視できないものがある。
「リンくーん、このクエストログって何なのー!?」
となれば、隠しクエストは一旦保留か。と結論に至る前に、クーネの大声にカットインされる。
昨日の時点ではPTから離脱していなかったので、俺達が防具屋から事情聴取をしたことによるクエスト進行のトリガーを共有したのだろう。ともあれ、簡単に状況を説明した上で彼女達にも同行を依頼。熊狩りPTは継続して維持され、再びロモロ邸へと赴くこととなった。
………そして、通り過ぎる水運ギルドから罵声を受けること幾度か知れず。ようやく辿り着いた船匠の家は昨日と相も変わらず、ロモロはロッキングチェアに腰掛けて酒瓶を呷っていた。
「おじいちゃん、おはよう!」
「………フン、今度は何の用じゃ?」
開口一番朝の挨拶から入るヒヨリに、初対面の時に比べて当たりの強さが柔らかくなったロモロは、それでもぶっきらぼうな台詞で出迎える。
しかし、世間話をする暇もなく、クーネが単刀直入に質問を投げかける。
「ロモロさん、水運ギルドが商品を梱包する木箱を有料にした件、何か思い当たる事はありませんか?」
「………あやつら、今度は商人を狙いおるか」
「何かご存じなんですか!?」
「ああ、聞かせてやるとも」
酒瓶を一口呷って机に置き、ロッキングチェアを揺らしながらロモロは話す。
「水運ギルドが船材を無暗に抱え込むようになってから、やつらは急に羽振りが良くなったのじゃ。街の木こりという木こりを皆雇い入れて、材は他の職人の手に渡さないほどの徹底した独占ぶりじゃった。おかげでワシらは見事に廃業させられたが、商人どもの荷卸しだけは木箱を融通して運んどったんじゃ」
「………つまり、商人には木箱を回す意思はあった。という事か?」
俺の問いに、ロモロは静かに頷く。
「商人はワシらとは違って、商売敵ではないからの………じゃが、こうしてその木箱でも金を取ろうとしとるのは、ワシには商人から金を巻き上げようというよりも、もっと別の目的があるような気さえするわい」
「他に思い当たることは何かないのか?」
話し終え、喉を潤すようにというよりは何かを流し込むように酒を一息に飲み干した老人は、ついぞ俺の質問には口頭で答えず、代わりにテーブルにあった適当な紙に何かを書き込んでは半分に折って突き出してくる。
「………この件については、ワシよりも、ここを訪ねた方がええ」
「………マップデータ、それにここは………?」
手渡された紙は筆記体の流れるような文字が記されているものの、生憎と英単語ではなさそうなスペリングが目立つ。しかし、手書きの粗雑な地図をタップすると現れるマップデータは、北西の観光エリアの片隅を指し示していた。
「行ってみりゃあええ。滅多なことをしなければ殺されはせんじゃろうが、一応はこのロービアを守っとるヤツらじゃ。コイツを見せて話をすりゃあ、あとは力になってくれるはずじゃて」
何やら物騒な発言が聞こえたが、これで《船匠の願い》は終了。
今度の目的地はこのマップデータの示す地点となるのだが、念のためにポーション類を確認してから目的地へ。道中で立ち寄った道具屋のお姉さんも頭を抱えていたが、瓶詰の商品が多いことから有料木箱を使わなくてはならないことを明かしてくれた。同時に、ポーション類を取り扱う店は同じような品卸しをせざるを得ないだろうとも。つまり、ポーションの値上がりは近日中に確実に起こることになる。確実に、価格高騰か劣化商品の足音は近づいているようだ。
そして、何とか目的地に到着したのだが、予想の斜め上を行く光景に唖然としてしまう。
先ず、目の前には高く白い塀と鉄格子のように強固な柵、そこに収まる大きな二枚扉。迷宮区往還階段の終点と比べれば小さなものだが、その堂々とした構えは立派なものだ。
………しかし、その扉の左右に立つNPC――――もとい黒づくめの偉丈夫はどう見ても一般の方には見えないのである。目に見えた武装こそしてはいないものの、体術スキルはカンストしていると言われれば信用してしまえるくらいに屈強な肉体であることが服越しにも判然としている。
「………リン、こんなときこそ男を見せてくれ」
「随分と雑なフリだな。まあ、行かなきゃ始まらないか」
「私も行ってくるねー」
「では、私も」
流石の女マフィアでさえ怯えてしまう威圧感の中、ヒヨリとティルネルを伴った俺は男達に歩み寄る。
「………止まれ」
「中に入るならば、何か身分を示せるものを見せてみろ」
「これでいいか?」
詰め寄る男達にロモロから渡された手紙を見せると、すぐさま筆記体に視線を這わせ、精査すること一分。周囲の黒づくめに何やら指示を飛ばす、一際と逞しい体躯の男は俺に視線を幽かに向けつつも、何とか納得してくれた様子で手紙を返される。
「………紹介状は本物のようですね。失礼致しました。………おい、御客人だ。執務室まで案内して差し上げろ」
もう一方の門番らしき男が重々しい柵と二枚扉を開くなか、後ろで固まっている女性陣にもこちらに来るよう呼びかける。戦々恐々としながら、重い足取りで門の前まで来たクーネ達には確認は一切ないらしい。
PT全員が窓口確認を済まされたと見做されたらしく、全員が白い塀の内側に通され、かなりの規模を誇る豪邸の敷居を跨いでは廊下を数回曲がる。やがて案内役の男が立ち止まった扉は、他の部屋の扉と比べて頑丈そうな造りに見えた。
「さあ、こちらです」
一礼され、持ち場へ戻る案内役を見送るのもそこそこに扉をノックする。借りてきた猫の如く委縮する女性プレイヤー達のことはさほど気に掛けず、中からの返答を待つこと一秒弱。
「………どうぞ」
「失礼する」
返事を受けたことを確認し、ドアを開けて室内に進入。
外壁と同じ純白の内装と深い色合いの床の木目のコントラストを誇る執務室は、調度品に彩られて高貴な雰囲気が漂うが、やはり無骨な男達が二人立っていることで物々しさも感じさせる。
その男を左右に配する位置、執務机に掛けているベスト姿の男だけは波風の立たない水面のような無表情でこちらを観察し続ける。野獣のような男に囲まれた彼の無機質さは、いっそのことこの部屋の誰よりも冷酷な印象を受けるものの、彼の頭上のカーソルはNPCを示すカラーリングだ。少なくとも、敵ではない。
「若い者に聞いた。ソファにでも掛けて楽にするといい」
言われ、俺は男を正面に据える位置に、女性陣は後ろの応接用の大人数掛け用のソファに腰掛ける。かなりグレードの高い家具アイテムなのか、この層におけるベッドほどはあろうかというクッション性を見せる座り心地に戦慄しながら、改めて向き直る。
「さて、紹介状を持ってくるくらいだ。どんな用向きか、聞かせて貰いたい」
「水運ギルドの動向について教えて欲しい。彼等が木材を独占する理由、船を持つ者に対しての挑発行為、彼等には不審な点が多いように思える」
「………そうか、是非とも手を貸したいところだが、生憎と話を聞く限りでは、互いに持てる情報は似たり寄ったりと言ったところか。我々も彼等については同様の疑問を抱き、調査を進めている段階に過ぎない」
言われるままに要件を伝えると、僅かな逡巡を挟んで心許ない答えが返ってくる。しかし、男の臆面もなく堂々としている様は、どこか《含み》を感じさせる何かがある。
「………だが、どうだろう。水運ギルドの一件を解決するにあたり、君達の力を借りることは叶わないだろうか? ………無論、我々も協力は惜しまないつもりだ」
「………随分と急な申し出だな」
「好機は逃すに易く、得るに難いというものさ。………例え、初対面の他人とはいえ我々と方向性は一致せずとも、近似であることには変わりはない。メリットを得るのに、双方の間柄ほど些末なものはない。互いに悔いのない選択をしようじゃないか」
そして、こちらの思考の暇さえ与えないで男が語り出し、協力の要請を持ち掛けてくる。
何も情報が得られないうちに男の口から出た何らかの方向性を匂わせる《解決》の二文字は如何なる意味か、この雰囲気それ自体が彼等に根源的な不信感を抱かせているのも事実だが、男の頭上に出現した《?》のクエストアイコンと、目の前に開いたクエスト受領を確認するウインドウは、彼等に人間を教唆する術はないことを何よりも雄弁に伝える。彼等に意思と呼べるものはなく、あくまで与えられたシナリオ通りに役を演じる俳優として。いやむしろ、いっそ小道具としてだろうか。クエスト名にある《清算》の二文字が不穏な香りを立ち込めさせるが、これもきっと思い過ごしだと思いたい。
突然出現した、男の頭上にあるクエストアイコンをもう一度見遣り、受領ボタンを押下する。頭上にはカラーカーソルのみだった筈の通常NPCが突然、こうしてクエストを依頼してくるということは、何かしらのトリガーによる隠しクエストであることが窺える。
………ともあれ、クエスト受領を確認した男は一つ頷き、側近に何かを伝えて更に奥の部屋へ送り出すと、再び話し出す。
「………協力を承諾して頂けること、感謝する。私は《コルネリオ》という。この………まあ、なんだ。この自治組織を取りまとめている者だ」
自治組織という単語に行き着くまでに時間を要したかに思えたが、触れてはやるまい。
「さて、これから我々と君達は同盟関係――――いや、一蓮托生だ。故に、ここへ立ち寄る機会も多くなると思う。我々も歓迎しよう。………だが念のため、これを身に付けてもらいたい。見張りが中へ通しやすくなるのでね」
コルネリオが言い終えると、使いに出した側近が奥から持ち出した革張りのアタッシュケースを俺達の前まで運び、開いて見せる。
中には、鷹の意匠を刻まれた銀の指輪が人数分だけ納められていて、手に取るまではアイテムとしてフレーバーテキストも開けない仕様になっているらしい。装備できる装飾品であればプロパティも確認したいところだが、この様子では自分に合った数値のものを選べないのが難点だろうか。
「……………………」
「………あ、すんません」
指輪について確認している間も無言でケースを差し出し続ける側近には、流石に悪い気がしてきたのでそそくさと指輪を抜き取る。それについては殊に咎められることもなく、側近は無言のまま後ろの女性陣の前に立って同じように指輪を取るよう無言の要求を訴え続け、ようやく全員に行き渡る。
右中指に装備した指輪の固有名は《シギル・オブ・オメルタ》とあり、AGIとSTRにそれぞれ1ずつ上昇のボーナスと、スキル熟練度上昇率に僅かな補正を加えるというもの。なかなかに良い性能といえるだろう。
「それは我々からの親愛の証だ。本来であれば格式張った儀式を催すのが掟ではあるが、協力者にそこまで強いるのも酷というものだろう………しかし、頼んだ身ではあるが、我々も目に余る失態を冒された場合にはこの依頼は破談とし、今後は絶縁とさせて頂くことを前以て伝えておこう。難しい事を要求しているようだが………まあ、要は失敗さえしなければ問題はない。深く考え込まないでほしい」
プレッシャーを掛けて気にするなとも無茶な話だが、表現を分かりやすく置き換えて、かつ要約すれば《このクエストは失敗すれば二度と受け直せない》と言われているようなものだ。つまり、プレイヤーやPTに対して、チャンスは一度きりの難関クエスト、むしろ価格変動というイベントがトリガーになっていれば、一定期間内にしか受けられないクエストか、或いは一回限定のクエストであることさえ考え得る。何れにせよ失敗は許されないということか。
………どちらにせよ、これまでの隠しクエストと同じようにクリアさせてもらうのだが。
後書き
燐ちゃんとコルネリオが話す間、後ろの女性陣は空気を読んで終始無言でした。
隠しクエスト受領回。
ようやく動き出した隠しクエスト《清算》は、ロービアの治安維持に尽力する人達とのお仕事になる感じでしょうか。
一応、このクエストのフラグ回収の手順としてはロモロから受けられる《船匠の願い》を最高級素材納品でクリア後、《水運ギルドの態度の変化》と《市場の様子》を同日中に確認した上で《ロービアに一泊する》ことによって、トリガーが起動する設定でした。ぶっちゃけ、燐ちゃんの知っている隠しクエストは《清算》にリメイクされてしまっているので登場しません。
ちなみに、今回登場したアクセサリー《シギル・オブ・オメルタ》ですが、元ネタはそちらの世界の戒律です。《オハブ・レイ》でもそうですが、装備に元ネタが存在するものも幾つかあったりします。当然、意味のないものもたくさんありますが………
次も出来るだけ早い更新を目指したいです。
ではまたノシ
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