ソードアート・オンライン -旋律の奏者-
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
アインクラッド編
龍皇の遺産
戦慄の記憶 02
笑う棺桶。
アルゴさんが言った奴らとは、確認するまでもなく彼らのことだろう。
ラフコフの名がアインクラッドに駆け巡ったのは、今年の元日のことだった。
大晦日の夜、観光スポットのフィールドで野外パーティーを楽しんでいた小規模ギルドを襲い、メンバー全員を殺したと、ラフィン・コフィンの名と共に主だった情報屋に送付したのが始まりだ。
それから約8ヶ月。 彼らは多くのプレイヤーを襲い、奪い、殺し、ただただ暴虐の限りを尽くした。
最終的には攻略組から、フロアボス戦と同等クラスの討伐隊が派遣され、既にラフコフは存在しない。
討伐戦の際に出たラフコフ側の死者は8人。 捕縛者は36人で、戦場から逃れて生き延びているラフコフのメンバーがいることは間違いなかった。
少なくとも5人、多ければ10人以上のラフコフの残党はいるだろうけど、その誰もが今まで大人しくしていた。 それが動き出しているのなら、ろくなことにならないのは確定だろう。
もっとも、だからと言って僕にできることは何もないし、たとえあったとしてもやるつもりはない。 こちらにちょっかいを出してくるのなら話しは別だけど、彼らが勝手に何かをしているのなら放っておいて構わないだろう。
僕の復讐は既に終わっているのだ。 だからもう、誰も殺さない。
それは僕自身の誓いであり、アマリのお姉さんと僕の兄との2人と交わした約束だ。
でも、もしも彼らが僕の周りにいる人たちを殺したりすれば、その時は約束を律儀に守ったりはしない。 そう。 そうなれば僕はまた復讐の鬼となるだろう。 《戦慄の葬者》と呼ばれたあの時のように……
「ーーって、フォラスくん、聞いてるですかー?」
そんないつもの緩い声で我に返ると、僕を心配そうに覗き込んでいたアマリとバッチリ目が合った。
どうやら考え事に没頭していたらしい。 僅かな後悔と反省を胸に、至近距離にあるアマリの頭をそっと撫でてから僕は笑う。
「ごめん。 ちょっと考え事をね。 えっと、何の話しだっけ?」
「あんたっていっつも考え事してるわね? そんなんだと将来ハゲるわよ」
僕の問いに答えてくれたのはアマリではなく、僕たちの向かいでコーヒーを啜っていたベビーピンクの髪のぼったくり鍛冶屋さんだった。
ここは彼女が経営するお店、リズベット武具店の奥にある工房。 強化を終えてからもアマリと彼女はここでおしゃべりしていたらしく、迎えに来た僕も巻き込まれた形だ。
店の方は接客のために雇っているNPCがいるので問題ないそうで、そもそもの話し、今は基本的に暇な時間帯なのだとか。 だからと言って店主が工房に篭っておしゃべりに興じているのもどうかと思うけど、僕がわざわざ心配することでもないだろう。 大体、こうして一緒になっておしゃべりをしている時点で同罪なので、僕から言えることはないのだ。
改めてぼったくり鍛冶屋のリズベットことリズさんに視線を移す。
アマリの冗談みたいに長い桜色の髪も大概だけど、彼女のベビーピンクのショートヘアもかなり派手だ。 ダークブルーの瞳は大きく、それでいて口や鼻は小さい。 古風なエプロンドレスに身を包んでいる姿を見ると、鍛治師と言うよりはウエイトレスと言った方が通じるかもしれない。 歳は僕よりも幾つか上だろうけど童顔で、なんて言うか可愛らしいお人形のようにも見えるけど、その実、性格はその外見を大きく裏切っている。
気に入らないお客さんを怒鳴りつけたりすることがあったり、口もまるで大人しくはないし、おまけに失礼ではあるけど女子力はかなり低い。 それでも今は絶賛片想い中らしく(お相手は僕も良く知る人物だ)、その話しをする時は決まって女の子の顔になるので、そんなところは素直に可愛いと思える。
僕やアマリなど、仲の良い人と話す時はあまり遠慮することがなく、今も完全にプライベートモードだ。
「で、今度は何を考えてたの?」
「今年のクリスマスにリズさんがしてくれるミニスカサンタが楽しみだなーって」
「するわけないでしょ、そんなの」
「え、しないの?」
「なんで普通に残念そうなのよ……」
頭痛がするのか呆れたのか、リズさんは額に手を当ててため息を吐いた。
ちなみにリズさんはツッコミ役だ。 奇人変人が多い僕の周りにしては珍しく常識的な人で、話すのが楽しかったりする。 僕との交流に限って言えばアルゴさんもツッコミ要員だけど、あの人はあの人で間違いなく変人の部類だろう。
例えば、さっきの話しをアルゴさんにすれば、『ミニスカサンタならしてやってもいいゾ。 1万コルだナ』と言うのが目に見えている。 更に、実際にしておいて『フー坊に辱めを受けタ。 この情報はマーちゃんにいくらで売れるかナ?』と強請ってくることも確実だ。
「あーあ、残念。 リズさんのミニスカサンタ、結構楽しみにしてたんだけどね」
「彼女の前で何言ってんのよ。 ほら、あんたも何か言ってやんなさい」
「あはー、私もリズ姉様のミニスカサンタを楽しみにしてるですよー」
「あんたもか⁉︎」
「仕方ないなー。 じゃあ、僕がトナカイをしてあげるからさ」
「なら、一緒にプレゼントを配って……って、しないって言ってるでしょうが‼︎」
「じゃあ、私もフォラスくんと一緒にトナカイさんです。 あはー、楽しいクリスマスになりそうですねー」
「人の話しを聞けー‼︎」
リズさんの絶叫が部屋に響き渡ったところで、僕とアマリは一緒になって笑う。
こう言う反応をしてくれるからやっぱりリズさんは面白い。
「あー、もう、話しを戻すわよ?」
「あ、うん。 お願いします」
「雪丸の強化素材をどうするかって言う話しだったでしょ。 あんたの相棒のことなんだからちゃんと聞いときなさいよね」
「あはは、面目無い。 まあ、強化素材の方はなんとかなるよ。 アルゴさんから情報を貰ったしね。 大型モンスター討伐系のクエストもあるらしいから一石二鳥なのです。 今日はディオ・モルティーギの慣らしをしないとだから、行くのは明日以降になるけどね」
「一石二鳥?」
事情を知らないらしいリズさんは首を傾げる。
「クエストボスにトドメをさせなかったからアマリが拗ねてるんだよ。 だから、大型モンスターの討伐でご機嫌取りでもしようかなーって」
「相変わらずね。 じゃあ、明日の攻略は休むつもりなの?」
「クエストが終わったら迷宮区でも暴れるですよー。 明日は質と量を両取りの欲張りデートなのです」
「ずいぶん物騒なデートがあったもんね。 ま、あんたたちなら大丈夫だと思うけど、気をつけなさいよね」
「分かってるよ。 ありがとね。 心配してくれて」
ニッコリと笑いかけると、リズさんは顔を赤らめてそっぽを向く。
こう言う照れ屋なところはアマリにも僕にもないリズさんの美点だ。 素直に羨ましいと思う。
それからお客さんが来るまで僕とアマリとリズさんは笑いながら色々な話しをした。
そして、現在。
リズさんのお店にお客さんが来たのをいいタイミングとして、僕たちはリズベット武具店を後にした。
特にあてがあるわけではないけど、適当なフロアでディオ・モルティーギの慣らし運転をしようと転移門に向かう途中で、それまでいつも通りの馬鹿話をしていたアマリが突然、柄にもなく真剣な調子で言う。
「ねえ、フォラスくん。 リズ姉様と話してた時、ホントは何を考えてたですか?」
「ん? んー、そうだね。 アマリには言っておかないとだよね」
変なところで勘のいい相棒に苦笑してから、僕もまた真剣な表情になる。
「ラフコフが動いてるらしい」
「…………っ!」
「具体的な話しは聞かなかったし、明確な証拠もない情報だけど、あのアルゴさんが不確定情報を僕に言うとは思えない。 だから、彼らが動いてるのは間違いないだろうね」
言って、僕は顔を前に固定したまま動かさない。
街を行き交う人。 長閑で落ち着いた街並み。 平和そのもののリンダースを歩きながら、僕は続けた。
「別に彼らが何をしていようと構わないんだ。 僕らの関係ないところで何をしようと、そんなのはどうだっていい。 でも、もしも僕の前に現れて、僕の今を侵そうって言うのなら、その時は容赦しないだろうね。 僕は僕のために雪丸を振るう。 その結果、彼らの命を奪うことになったとしても僕は躊躇わない。 だけどさ、そうなったら約束を破ることになる。 もしかしたら、また攻略組から追放されるかもしれない。 それでも僕は……」
「そうならないといいですね」
「うん。 そうだね」
そして無言。
あれだけの戦いを経て、彼らはそれでも殺人者であろうとする。 自身の快楽のため、人を殺そうとする。
それを責めるつもりはない。
僕も彼らと同じ殺人者だから。 そして今も、僕は僕のために雪丸でモンスターを殺し続けている。
あの頃の僕はモンスターだけじゃない。 人すらも殺した。 何人も、何人も……。
復讐。
あの頃の僕にそれ以外の動機はなかった。 リーナを殺した彼らへの復讐だけを生きがいにしていた。
もし、もしもアマリの身に何かあれば……アマリだけじゃない。 アルゴさんやリズさん、他にもたくさんいる僕の友人たちを彼らが殺そうと言うのなら、僕はまた復讐を選ぶだろう。
でも、もうあんなことは嫌だ。 だから、彼らには大人しくしていてほしい。
それが僕の本音だった。
「ねえ、アマリ」
「ですです?」
「リーナはさ、今の僕を見たらなんて言うかな?」
復讐に囚われ、生き返らせるために全てを拒絶し、けれど復讐は遂げられず、生き返らせることもできなかった。 だと言うのに、今は多くの人に囲まれて笑い合えている僕を見て、果たしてリーナはなんて言うのだろう?
粗雑で粗暴なようでいて実のところ誰よりも優しかったあの片手剣士は、果たして何を思って自身の命を散らしたのだろう?
何よりも解放を願い、どれだけ絶望的な状況だろうと弱音を吐かず、それでも死の恐怖に怯えていた彼女。 リーナの涙を、僕は一度だけ見たことがある。
本当は怖いのだと、僕に縋って泣いたあの夜のリーナを、僕は今でも夢で見る。 夢に見て、そして何度だってそんなリーナを抱き締めるのだ。
アマリに対して抱く想いとは別の想い。
それは恋じゃない。 愛でもない。 かと言って友情でもなければ、もちろん家族に向ける情とも違う。
僕は未だに、リーナに向けていた自分の想いの意味を測れないでいる。
死者の声が生者に届くことはない。
どれだけ望もうと、その言葉は聞こえない。
リーナは死んだ。 死者の思いは誰にも語ることはできないし、そして語るべきではない。
それでも僕は願ってしまう。
リーナの声が聞きたい。 リーナの思いが知りたい。
それが怨嗟の声だろうと、失望だろうと、僕は祈ってしまうのだ。
「『相変わらず女々しい奴め』」
聞き覚えのある口調でアマリが言う。
「リーナ様ならそう言うですよ、きっと。 そう言って欲しいだけかもですけど」
「…………」
「フォラスくんが言うように、リーナ様が何を言うかなんて分からないです。 でも、分からないなら勝手に捏造すればいいですよ。 こう言って欲しいって思えば、それがリーナ様の言葉です」
ロマンチックなようでいて自分勝手な思想。
僕の頼れる相棒であり、愛する妻は笑った。
「私はフォラスが好きですよ。 リーナのことも、リズのことも、アルゴのことも、お姉ちゃんのことも好きです。 もちろんアインのことも好きだし、エリエルのことだって大好き。 他にもいっぱい好きな人がいます。 だから、もしもまた、誰かが殺されたら復讐を選ぶでしょう。 きっと壊れてしまう。 今度こそ私は人を殺します。 フォラスにだけは背負わせませんよ」
いつもの緩い口調じゃない、素のアマリの言葉。
「どんな時でも一緒にいる。 そう言ったでしょう? だから、何を悩んでいるかは知らないけど、フォラスはフォラスのままでいいんです。 私も、私のままでいますから」
普段の様子からは想像できない凛としたアマリ。
彼女のお姉さんと共通する、ただひたすらにまっすぐな声は、僕の心に染み込んで闇を祓う。
いつだって僕はアマリに助けられてきた。 アマリに救われてきた。
だから僕は、何度だって笑えるのだ。 笑って、こう言えるのだ。
「ありがとう、アマリ。 大好きだよ」
「私も大好きですよ、フォラス」
そう言って僕らは手を繋ぐ。
指を絡め、ギュッと、ギュッと……
ページ上へ戻る