姉ちゃんは艦娘
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9.姉ちゃんと共に来たもの
「シュウくんごめん……ちょっと一人で見させて……」
比叡さんはそう言うと、僕の部屋で艦これのプレイ動画を繰り返し、何度も再生していた。
父さんと母さんが寝静まったのを見計らい、僕は比叡さんを自分の部屋に招き入れ、事の次第をすべて話した。比叡さんはゲーム『艦これ』の登場人物の一人ではないかという僕の推論、そしてその推論にいたった事実の数々。この三日間で僕が突き止めた事実のすべてを、比叡さんに話した。
「そんなぁ~! シュウくんも冗談が好きだなぁ~!!」
と最初は僕の話にまったく耳を傾けてなかった比叡さんだったが、僕が動画サイトで見つけてきた艦これのプレイ動画を比叡さんに見せたところで、比叡さんの表情が変わった。
「これがそのゲーム? ……あれ……金剛お姉様……あれ? 私? あれ?」
最初はただ困惑している比叡さんだったが、見続ける時間に比例して、比叡さんの表情が感情を見せなくなっていった。特に戦闘中のプレイ動画には、何か思うところがあるようだった。
「この敵……この前戦った空母棲姫だ……」
僕も、比叡さんの隣でその動画を眺めていた。プレイ動画では、比叡さんの姉にして金剛型戦艦の一番艦、金剛がチーム……比叡さんの話では艦隊というらしい……の一員にいた。
「お姉様……避けて下さい……」
金剛に敵の攻撃が直撃し、金剛は中破状態になった。服が破け、力なくへたり込む金剛のグラフィックが、その妹である比叡さんに突きつけられた形になった。
「お姉様……もう充分です……撤退を……」
動画では、戦績を見ることもせず、迷いなく進軍が選択されていた。
「シュウくん……」
「……なに?」
「シュウくんに出会う少し前ね。すごく大規模な戦いがあったの」
「うん」
「金剛お姉様も、榛名も霧島も……赤城さんも加賀さんも……みんな命がけで、ボロボロになりながら、それでも司令のために、みんなのために戦ったの」
「うん」
「戦いが終わった後、金剛お姉様やみんなと、無事生きて帰れたことを抱き合って喜んだの」
「うん……」
「それも……みんなの命がけの戦いも全部……シュウくんたちから見たら、こんなゲームのワンシーンに過ぎなかったのかな……」
「姉ちゃん……」
僕は比叡さんの手を握ろうとしたが、比叡さんの手はスルッとすり抜け、僕を拒絶した。その手が拳を握りしめ、ワナワナと震えていたのが、すり抜けた時の感触で分かった。
「シュウくんごめん……ちょっと一人で見させて……」
比叡さんはそう言うと、僕に刺々しい背中を見せながら椅子に座り、マウスを握った。
「……分かった。居間で待ってるから。再生の仕方は分かる?」
比叡さんからの返答はなく、無言でマウスをクリックし、動画の再生を繰り返した比叡さんの態度が、僕にはとてもつらい。僕は自分の部屋に比叡さんを残し、居間に向かった。部屋を出るときにちらっと見えた比叡さんの背中は、今まで見たどの比叡さんよりも、刺々しく見えた。
居間についた僕は、フとベランダを見た。最近、僕が夜に居間に来ると、いつも比叡さんがベランダで夜空を見ている印象がある。
ベランダに続く窓を開けてみた。開けた途端、涼しくて心地よい風が居間を吹き抜け、レースのカーテンが優しくたなびく。外に出てみた。もう夜中なため、見える景色の明かりは少ない。ただそれでも、遠くで車や電車が走る音が心地よく、見上げれば所々星が見えるいい天気で、綺麗な月が出ていた。
はじめてここで夜空を見上げる比叡さんを見た時から、比叡さんが何を考えながら夜空を見ていたのかを時々考える。なぜ比叡さんは、ここでいつも夜空を見上げていたのだろう。なぜ夜空を見上げる比叡さんの背中は、あんなにも美しく、それで儚げで、声をかけただけで消えてしまいそうに見えたのだろう。
今まではよく分からなかったが、今日はなんとなく分かる気がした。比叡さんは、姉の金剛さんや妹の榛名さん、霧島さんたちに、思いを馳せていたのではないだろうか……。僕は……僕にとっては、比叡さんがいなくなってしまうのはイヤだし、考えられなかった。だが、やはり比叡さんは帰りたかったのではないだろうか。比叡さんを見てると、毎日とても楽しそうに過ごしていたように見えたが、それでもやはり心のどこかでは、愛する姉妹の元に……鎮守府のみんなの元に帰りたかったのではないだろうか。そう考えていると、『帰ってほしくない』とわがままを言っている自分が恥ずかしくなった。
僕の家のベランダからは港が見える。港の遠くの方から、1隻の大きな船がこっちに向かっているのが見えた。その船は貨物船のようで、巨大な船体のところどころにライトが付いているのがここから見ても分かった。
夕方、秦野のポニーテールを揺らすほどの強さだった風は、その力をすっかり弱めていた、柔らかく冷たい風は、僕の頬を撫でるように駆け抜けていく。
「ひぇぇぇ……これでは……ッ」
背後から声が聞こえた。それまで僕は窓に背を向けて景色を眺めていたのだが、振り返ると、そこには両手にティーカップを持ち、網戸の前で困った顔をしている比叡さんがいた。
「姉ちゃん……」
「シュウくんどうしよう……両手がふさがって網戸が開けられない……しょぼーん」
「……僕が開けるよ」
「パァアアアアア……ありがとうシュウくん!!」
正直なところ、先ほどの比叡さんの姿とはまったく違う、言ってみれば元に戻った比叡さんの姿に僕は多少の戸惑いと、それ以上の安心を感じた。
比叡さんが両手に持っていたのは、比叡さんが淹れてくれた紅茶だった。なんでも姉の金剛さんが紅茶が好きで美味しい紅茶を淹れるのが得意らしく、お姉様大好きな比叡さんもそれを真似ているうちに、紅茶を淹れるのが得意になったんだとか。ならなぜ今まで紅茶を淹れてくれなかったのか……比叡さんにそう文句を言ったら、
「え~……だってシュウくんのココア飲みたいし」
というあまり答えになってないような答えが返ってきた。字面だけ見ると五歳児のようなセリフだけど、見ようによっては殺し文句にも見えなくもない……
ベランダで比叡さんと一緒に、夜景を見ながら紅茶を飲む。外気にあてられいい感じに温度が下がったためか、紅茶を飲んでも今回は『あちゃちゃ』とは言わなかった。紅茶に対する並々ならぬこだわりを持つ姉直伝の比叡さんの紅茶は、確かにお店で売られている普通の紅茶とは比べ物にならないほど美味しい。
「……姉ちゃん、どうだった?」
「さっきの話と、あのゲーム?」
「うん」
比叡さんに聞く事自体怖かったけど、聞かないわけにも行かない。伝えた以上、ちゃんと結果を知る必要がある。
「シュウくんがあのゲームのことを知ったのは、倒れた日?」
「うん」
「そっか」
比叡さんは僕から視線を外し、遠くの港を眺めた。さっきはまだ離れた場所にいた貨物船が、今はもうだいぶ近くまで来ているのが分かった。
「最初に話を聞いた時はね。『シュウくんがついにおかしくなった……』て思ったよ」
だろうね。僕自身そう思ったもの。
「……でもシュウくんにあの動画を見せられて、何度も見てるうちに『そうなのかもしれない』って思って……あと、すごくイライラしてきて。金剛お姉様や私達の命がけの戦いが、ここではあんなゲームでしかないだなんて……って」
「だよね……」
気持ちは分かる。もし僕があれだけ本気で臨んだ夏のコンクールが、岸田にとってのリズムゲームでしかなかったとしたら……もし、僕が二年半のすべてをぶつけて臨んだあのコンクールが、岸田にとっては単なるリズムゲーの難易度ハードのステージでしかなかったのだとしたら、僕だって気持ちが穏やかではいられない。生きるか死ぬかの世界で生きてきた比叡さんならなおさらだろう。たとえ岸田が、戦死者を出さないように細心の注意を払ってプレイしているとしても。
「でもね。その時シュウくんを思い出したの」
「僕のこと?」
「うん。シュウくん、いつもバカなことやって空回りしてる私のこと、すごく大切にしてくれてたんだなぁって。だから、きっとこれを見てショックを受けて倒れちゃったんだなぁ……さっき私に話をするときも、コンクールの時みたいな泣きそうな顔で話してたんだなぁ……シュウくんは優しいんだなぁ……って」
比叡さんはそう言い、まっすぐに僕を見据えてニコっと笑う。ここまでストレートに言われると、なんだか恥ずかしい……。
「やっぱり、こっちに来てはじめて会ったのがシュウくんみたいな弟で、よかったなぁ……って改めて思ったよ。そしたらね、もう……」
「もう……?」
比叡さんの雰囲気が変わり、さっきまでの笑みが消え、真剣な表情になった。草野球の試合でバッターボックスに立った時のような、場の空気を一変させるほどの、前をまっすぐにキッと見る比叡さん特有の眼差しに、僕の心は射抜かれた。
「シュウくん……お姉ちゃんね」
「うん」
不意に、ズンという重い音が聞こえた。比叡さんにもその音は聞こえたようで、比叡さんはハッとして僕の背後に見える港の方を見た。つられて僕も振り返り、港の方を見た。先ほどから見えていた貨物船から、黒煙が上がっているのが見えた。
「事故かな……110番したほうがいいのかも……」
そう思った僕がスマホをポケットから取り出し、110番しようとしたところを、比叡さんが制止した。
「ちょっと待ってシュウくん。双眼鏡か何かない?」
「へ? なんで?」
悠長に見物するつもりかと思ったのだが、比叡さんの顔を見ると、テレタビーズの試合でバッターボックスに立っている時以上の真剣な表情をしている。有無を言わさない比叡さんの表情に呑まれ、僕は110番をするのをやめた。
「姉ちゃんちょっと待ってて」
スマホのカメラを起動し、それを港に向ける。幸いなことに港の方は貨物船の明かりで照らされていて結構な明るさになっている。僕のスマホのカメラでどこまで望遠出来るか分からないけど、出来るだけ画面を拡大し、比叡さんと画面を覗きこんだ。
意外なほど望遠が効いたおかげで、貨物船の様子が少しは把握出来た。貨物船では小さな火災が発生しているらしく、所々から火が上がっている。
「シュウくん! さっきの所もう一回見せて!!」
僕は少しスマホの角度を戻した。
「あの時のレ級……」
比叡さんがそう呟いた。そこに写っていたのは紛れもなく、海面に立つ一人の少女だった。その少女の腰辺りから怪物としか形容出来ないものが生えていて、その怪物のようなものが口から火を吹く度、『ズン……』という音が聞こえ、貨物船から新たな火柱が上がっているようだ。
レ級がこちらを向いた。目一杯望遠と画像拡大をしたためにスマホの画面は非常に荒くなっているが、あの少女の怪物がこちらを見てニヤリとしたのが分かった。秦野に冷たいペットボトルを首に押し付けられた時以上の不快な悪寒が、僕の背筋を駆け巡った
―そのレ級がいないんだよ。ほら、相手5隻しかいないだろ?
そうだ思い出した。岸田がこんなことを言っていた。今、港で暴れているあの怪物は、岸田が見せてくれた『レ級』のイラストそのものじゃないか。
レ級がニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべながら、こちらをジッと見据える。怪物の口をこちらに向け、次の瞬間『ズン…』という音とともに怪物の口が火を吹いた。
「シュウくん!!」
比叡さんが僕をものすごい勢いで押しのけ、僕はバランスを崩して倒れた。仰向けに倒れたから良かったけど、コンクリートのベランダの床に尻をしこたま打った。
直後、港に向かって左手をまっすぐ伸ばす比叡さんから、『ゴウッ』という音と風圧のようなものを感じた。窓ガラスもガタガタッと音をたてて揺れたことから、これはぼくの気のせいではない。それはおそらく、衝撃波と言うものだろう。
「痛ったぁ~……ッ!」
比叡さんが左手の平を開いた後、左手をブンブンと振る。ゴトッという音と共に、丸くて紫色に濁った、水晶玉のような物体が床に転がった。
「姉ちゃん…これは?」
「レ級の砲弾。防げてよかったぁ……」
比叡さんの足元に転がっている、ヤツの砲弾を持ってみた。
「あづッ?!!!」
触れた途端にジュッという音を立てるほどに砲弾は熱く、とてもじゃないが僕には持ってられない。……そういえば、比叡さんはさっきこれを素手で受け止めてたけど、手は大丈夫だろうか……。
「お姉ちゃんは艦娘だから大丈夫。それよりも……」
比叡さんは港のほうにキッと睨む。恐らく港の方では、あのレ級と呼ばれた怪物が、さっきの凶悪な笑顔を漏らしながら、こちらにいる比叡さんを見据えているのだろう。
「レ級を倒さなきゃ……」
「え……でも……」
比叡さんが突然こんなことを言い出した。ヤバい。いくら比叡さんがスポーツ万能でテレタビーズのヒーローだとしても、あんな化け物に勝てるわけない。死ぬ。このままでは比叡さんはアイツに殺される。
「大丈夫。お姉ちゃんは艦娘だから」
比叡さんはそう言うと、ベランダから出て行った。比叡さんの後を追うと、比叡さんは僕の部屋に入っていく。……僕の部屋には、まだうちに来て間もない頃、僕が比叡さんから預かっていたものがある。
『シュウくん、この艤装と主機をシュウくんの部屋の押入れに入れておいて欲しいんだけど……』
『いいよ。でも必要なときはちゃんと行ってね。勝手に家探しされたら色々とマズいものが……』
『分かった! シュウくんありがとう!!』
『人の話は最後まで聞いてね?!!』
しばらくして、比叡さんが部屋から出てきた。比叡さんは初めて出会った時の巫女装束に身を包み、あのXアームの艤装を身に付け、主機を足に装着していた。ボロボロだった巫女装束が母さんの手によって新品同様に修繕されている以外は、あの、初めて神社で出会った時とまったく同じ格好を、今の比叡さんはしていた。
あの日以来、僕は比叡さんの艤装をしっかり見たことがなかった。こうやって改めて見ると、確かに艤装は戦闘用の機械だと言うのが分かる。例え所々ヒビが入り、折れ曲がって使いものにならない砲塔があるとしても、これがとんでもない力を秘めた兵器であることが、空気を通して伝わってくる。
Xアームの先端に取り付けられた4つの砲が、機械音を立てて動き、アームそれぞれが独立して稼働する。折れ曲がった砲塔はあるがアームは4本とも無事なようで、多少ぎこちない動きは見せるが、稼働そのものには問題ないようだった。初めて見る艦娘としての比叡さんの姿が、僕には少し怖かった。
「燃料は約半分……弾薬も充分とはいえないけど……これならまだ行ける」
そう呟く比叡さんの顔は、テレタビーズの試合ですら見せたことがないほどの険しい、怖い表情だ。
「姉ちゃん……」
僕の身体が自然に震えた。さっきの比叡さんとレ級の一瞬の攻防を見ただけで、ヤツの恐ろしさがよく分かる。あんな恐ろしいヤツと戦うなんておかしい。
「シュウくん。お姉ちゃん、行ってくるから。もし何かあったら……」
「もし何かあったらって……なに……」
「お父様とお母様に、“ありがとうございました”って言っておいて」
比叡さんはそう言い、玄関のドアを開けガッシャガッシャと音を立てながらウチから出て行った。
本当はここで、父さんや母さんを起こし、警察に110番をするべきだったのだろう。冷静に考えれば、その対応が一番正しい。
ただその時、僕は気が動転していた。再度居間に戻り、ベランダに出た。ベランダには、先ほどレ級がこちらに撃ちだし、比叡さんが食い止めた砲弾が、湯気を立てながら転がっている。
おっかなびっくり手にとってみた。先ほどのように持てないほどではないが、砲弾は未だに熱を帯びていて、手に取ると火傷しそうなほど熱い。そして、気を抜くと片手では持てないほど重い。以前に陸上部の仲間に持たせてもらった砲丸投げの砲丸と似たような大きさだが、体感では恐らくその何倍もの重さだ。
こんなものを、衝撃波が発生するほどのスピードで撃ちだすレ級。そしてそんなものを、もしまともに食らったら……何度か手を繋いだことはあるが、比叡さんの手は普通の女の人と変わらず、あったかくて柔らかい。さっきは砲弾を受け止めていたけど、きっと本質は普通の人と変わらないはずだ。
僕の頭の中に、血みどろになって倒れる比叡さんと、その傍らでニヤニヤと笑うレ級のイメージが浮かんだ。
「ヤバい……ヤバい……姉ちゃん……」
恐怖で身体がさらに震えてきた。足から力が抜け、立ってられなくなり、僕は膝から崩れ落ちた。ベランダを風が駆け抜け、その冷たさが僕の体温を奪い、信じられないほど寒くなってきた。血の気が顔から引いていくのが自分でも分かり、歯がガチガチ音を立てるほど身体が震えてくる。
「姉ちゃん……ッ!!」
不意に、居間の全景が視界に入った。居間の戸棚には、比叡さんがはじめてテレタビーズの試合に出た時の、満面の笑みで写っている写真が飾ってある。そしてそのそばには、僕が比叡さんにプレゼントした、『ひえい』と書かれた金属バット。
―シュウくん……気合、入れて、がんばれ……!
コンクールの日、静かに僕にエールを送る比叡さんの姿を思い出した。
「……気合……入れて……がんばれ……」
足の震えは止まらない。体中をかけめぐる悪寒も止まらない。手には力も入らない。それでも、僕はベランダの手すりに捕まって立ち上がり、震えて上手くものが持てない手でスマホを操作し、港にむけた。解像度の荒い状態でも分かる。さっきウチを出て行ったばかりのはずの比叡さんが、もう港に到着した。
「姉ちゃん……もう……」
比叡さんは海面に立ち、レ級に向かって突撃していく。比叡さんとレ級の周囲に水しぶきが上がり、冗談ではすまされない戦いが始まったことが、僕のいるベランダからも分かった。
もう一度……今度は意識して、比叡さんのトリプルボイスを思い出す。そしてもう一度、自分自身を奮い立たせる。
「気合……! 入れて……!! いきます……ッ!!!」
僕は居間に戻り、『ひえい』と書かれたベコベコの金属バットを握りしめ、ウチを出た。
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