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姉ちゃんは艦娘

作者:おかぴ1129
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8.姉ちゃんの正体

 比叡さんの謎に僕なりに迫ることを決めた次の日は、さすがに母さんが登校を許さず、学校を休んだ。母さんは比叡さんに対し、

『絶対にシュウを学校に行かせちゃダメだからね』

 とだけ言い残し、僕の方を睨んでから仕事に向かった。比叡さんは今日はバイトは休みらしく、

『気合! 入れて!! 看病します!!!』

 と言い、濡れタオルを絞る時に力を入れすぎて、濡れタオルをミシミシ言わせていた。それ、濡れタオルの意味がありませんよ……

 僕はというと、一晩ゆっくり休めたおかげか……それとも比叡さんの膝枕で安心して眠りにつけたおかげか、体調的にはまったく問題ないレベルにまで回復してはいた。そのため母さんが仕事に向かったあと、折を見て学校に向かうつもりだったが……

『ダメだよシュウくん! お母様との約束だから!!』
『シュウ、これ以上母さんに心配をかけるな』

 と、妙に使命感に溢れた比叡さんと、母さんより出勤時間が遅めな父さんに釘を刺され、今日だけはおとなしくしていることにした。

 一日中寝ているのもイヤだったので、比叡さんの許可をもらって居間でテレビを見ていたのだが、うちの近所の港では、ついに海上保安庁の巡視船が沈没したというニュースがやっていた。ちょくちょくチャンネルを変えたが、どの番組もその話題でもちきりで、ちょっとした全国的な騒ぎになっているようだった。最近、夜の小田浦港で海面に立つ女の子の目撃例が多いという、ちょっとオカルトめいた話もあった。

 テレビを見ながらの朝食が終わったところで、僕は自分の部屋に戻り、インターネットで岸田がプレイしていた『艦これ』について情報を集めた。まず、艦これは現在ネット上で人気になっている、いわゆる岸田好みのゲームであること。戦前から戦時中ぐらいまでの日本海軍の軍艦を擬人化した『艦娘』というキャラクターを集めるゲームであること。そして集めた艦娘で艦隊を組み、深海棲艦と呼ばれるモンスターのような存在と戦うゲームであること。わかったのはこの辺りだ。

 ぁあ、あと18歳以上じゃないとプレイ出来ないゲームってのは別に関係はないだろう。どう考えても3回以上の留年を繰り返しているようには見えない岸田がプレイしていることは、僕の胸の内にとどめておく。

 加えて、戦艦比叡と、同じく金剛型の戦艦3隻を擬人化した『金剛四姉妹』を見てみた。全員が、初めて比叡さんと会った時と同じ……いや随所に違いはあるけれど……巫女装束のような服装に身を包み、確かに姉妹といえる感じのキャラクターだった。長女は金剛。帰国子女という設定で、以前に比叡さんが言っていた『帰国子女の金剛お姉様』という話とも矛盾しない。

 三女は榛名で四女は霧島。確か以前に比叡さんは、妹の名前が榛名と霧島だと言っていた。これも矛盾してない。

 そして、肝心の次女、比叡。基本的に料理は下手ではないが、気合を入れると失敗する点、表情豊かで『ひぇええ~』という口癖。そして何かにつけてのトリプルリズム。あらゆる点で、うちにいる比叡さんと特徴が一致する。

 動画サイトにアクセスし、岸田が探し当てた比叡のキャラボイス集をすべて聞いてみる。聞けば聞くほど、比叡さんとしか思えない。『ひぇええ~』の言い方も何もかもだ。

 ある程度インターネットで情報を集めた後、僕はベランダで洗濯物を干している比叡さんを居間に呼び、色々聞いてみることにした。

「姉ちゃん、ちょっと来てくれる?」
「分かった。全部干し終わるまで待っててね」

 比叡さんには、かつて比叡さんがいた 叢雲たんチュ……岸田鎮守府に、一体誰がいたのか聞き取り、すべてメモった。

「えーとね、まず金剛お姉様を始めとした、私たち金剛型の四人でしょ……それから、長門さんと陸奥さん、伊勢さんと日向さんに、扶桑さんと山城さん……あとは大和さん。戦艦勢はこんなとこかな。空母勢は一航戦の赤城さんと加賀さん……二航戦の……メモするの大変じゃない?」
「大丈夫。だから続けて」
「分かった」

 すべて聞き終わったあと、それらの艦娘が存在するのか、攻略サイトの艦娘一覧で調べてみた。結果はもちろん、全員艦娘として存在していた。本当は、この攻略サイトを比叡さんに見せるのが一番手っ取り早かったのだが、なぜかそれは、今はやってはいけない気がした。

「シュウくん、お昼ごはん出来たよ」
「分かった。ありがとう」

 お昼ごはんで比叡さんの玉子焼きを堪能したあとは、さっき比叡さんから聞いた艦娘たちの名前の一覧表をパソコンでリスト化して印刷。明日学校で岸田にこれを見せ、もう一度岸田のデータを見せてもらう。とりあえず、今日家で出来る事はもうない。病み上がりの状態で、ずっとパソコンの前に座ってパチパチ作業するだなんて慣れないことをしたせいか、少し疲れた……ちょっと眠ろう……そう思いベッドで横になった途端、両まぶたが急に重くなり、僕の意識は途絶えた。

 結局その日はそのまま晩御飯まで睡眠。そして晩御飯が済んだらいつものようにお風呂に入って再度落ちた。

 次の日、朝一で岸田に話をつけ、再度岸田に艦これのプレイ画面を見せてもらうべく、放課後に岸田の家におじゃました。相変わらず岸田の部屋の中はフィギュアがたくさん置いてあるな……まぁ来たのは一昨日だから、1日2日で劇的に部屋の中が変わってたら、それはそれで気持ち悪いけど……

「それにしてもびっくりだな」
「? 何が?」
「一昨日うちに来て、そのあと体調崩して、次の日休んだろ?」
「うん」
「おれ心配してたんだよ。そしたら今は元気どころか、艦娘のリスト作ってきて、また艦これ見せろって言ってうちにまた来るし……しかも顔は妙に真剣だし……」
「真剣だよ」
「ほーん……何があったかはしらんけど……でも無理すんなよ。辛くなったらすぐやめるからな」
「うん。ありがとう」

 こんな感じでちょくちょく岸田はイケメンなんだよなー。キモヲタのくせに」
「声に出てるぞ」

 岸田が何回がマウスをクリックし、『かんこれ!』という声が再生され、一昨日見たゲーム画面が映しだされた。このゲームでは、自分が一番気に入ったキャラを常に表示させておく『秘書艦』というシステムがあるらしい。今岸田が秘書艦に設定しているのは、海外の戦艦ビスマルクを擬人化したキャラクター、ビスマルク・ドライ。このキャラはリストにない。

「何が知りたいんだよ?」
「とりあえず、このリストと岸田が持ってるキャラを比べてみたい」
「わかった。ちょっと待ってろ……」

 岸田がマウスを操作し、今持ってるキャラクターのリストを表示してくれた。

「ほら。これで見れるだろ?」
「うん。ありがとう」

 リストと岸田のキャラたちを比較してみる。確かにリスト……というか、比叡さんの仲間たちと思しき艦娘たちを岸田はすべて持っていた。だが、岸田サイドからリストを比べた場合、リストには数人の艦娘の抜けがある。さっきのビスマルクもそうだし、武蔵、ローマ、照月……抜けてるキャラは決して少なくない。

「ところどころ抜けてるね……」
「うーん……まぁ、まったく同じだと逆に気持ち悪いけどな……」
「このリストさ、並び替えは出来るの? 例えば入手順とか」
「出来るぞ。やってみるか?」
「お願い」

 岸田がマウスをクリックし、キャラの入所順にリストをソートしてくれた。その入手順のリストの一番後ろからリストを確認していくと、ちょうど武蔵を境にして、武蔵以降に手に入れた艦娘は僕のリストに載ってなかった。しかし逆に、武蔵より前に入手した艦娘は漏れ無くリストに乗っている。武蔵自体は前者にあたり、リストには載ってない。

「うわ! マジかよ……お前、どんな方法使ってうちの鎮守府調べたんだッ!」
「それよりもさ。この武蔵っていつごろ手に入ったの?」
「キモッキモッ……ぁあ武蔵か。武蔵は確かやけくそで半べそをかきながら大型建造を回したら一発で来て、めちゃくちゃ大騒ぎした覚えがあるから……確か梅雨ぐらいの時期だな」
「梅雨時……」

 確か、比叡さんと初めて出会ったのもその頃だ。

「ちなみになんで半べそかいてたのさ?」
「言ったろ? うちのかわいい比叡タンが轟沈もしてないのにいなくなっちゃったんだよ。それでやけくそで泣きながら大型建造を最大値で回したら、武蔵が来たんだ」
「……」

 以前何かで、『偶然が3つ以上重なれば、それは偶然ではない』という話をきいたことがある。岸田のゲーム内での名前と、比叡さんが以前いた施設の名前が偶然同じだった。岸田は『比叡』というキャラクターを梅雨時に失くし、同じ時期に偶然、僕は比叡さんと出会った。比叡さんがかつて一緒に施設で暮らしていた仲間は、偶然岸田が『比叡』を失うまでに揃えていたキャラクターと同じだった。さらに、岸田が失った『比叡』というキャラクターは、見た目からセリフ、そしてキャラ的特徴、性格、すべてが比叡さんと偶然いっしょだ。

 偶然が4つも揃った。ならばこれは、偶然ではないのだろうか。ものすごく馬鹿げた話だけど……やはり比叡さんは、岸田が失くした『比叡』なのではないだろうか……

「シュウ……」
「……ぁあ、なに?」
「汗出てるぞ。大丈夫か?」
「うん。大丈夫。……岸田、戦闘画面見せてくれないかな」
「?」
「いや、だってこのゲーム、深海棲艦と艦娘を戦わせるゲームなんだろ?」

 馬鹿げた話だけど、もし本当に比叡さんが岸田が失くした『比叡』だとすれば、僕は、比叡さんが何をしていたのかを知りたい。知らなければならない。

「……分かった」
「出来れば、その『比叡』がいなくなった場所を知りたい」
「了解した。じゃあ、比叡たんがいなくなったステージ……海域っていうんだけど、そこに行こう」
「うん」
「条件は出来るだけ合わせる。比叡たんの代わりにビス子を入れれば、条件はあの時と同じはずだ」
「頼む。ありがとう岸田」
「いいよ。お前にそんな深刻な顔で頼まれたら、イヤとは言えないだろ」

 岸田はマウスを操作して、六人の艦娘でチームを組ませた。面子は戦艦の金剛と榛名、霧島、『比叡』の代わりのビスマルク。そして空母の大鳳と加賀。ステージを選択し、そのチームが出撃した。

 ステージは双六のようになっていて、ルーレット(岸田は羅針盤といっていた)を回し、出た方向のマスに進む。進んだ先には、同じく6体の深海棲艦のチームが待ち構えていて、その深海棲艦のチームと、岸田の艦娘たちが戦うというシステムだ。

 僕はその戦いを見た。小さなカード状で表示された艦娘たちと深海棲艦が、互いに列からちょっと飛び出ては攻撃をし合い、相手にダメージを与えていく……

―んー。いつもは戦ってたからね。
 敵の砲弾に比べたら、あの程度のボールなんていくらでも跳ね返せるよ!!

 榛名が大ダメージを負ったようだ。榛名の服が破け、痛々しい表情をし、装備品が壊れているグラフィックになった。そのまま戦いは終了し、岸田のチームの勝ちになったようだった。

「榛名が中破か……まぁいい」

 画面は、撤退と進軍の選択肢が表示されていた。岸田はマウスを操作して、迷わず進軍を選択していた。

―私たち、いつもシンカイセイカンと戦ってたんだけど、
 自分のせいで仲間が大怪我しちゃったり、ちょっとしたミスが大失敗になっちゃって、
 それを悔やんで落ち込む子がやっぱりいるの

 僕はその一連の光景を見て涙が出てきた。比叡さんは……本人の言うとおりなら、きっと命をかけて戦っていたはずだ。必死に敵の攻撃をかわし、時にはその攻撃を受け、身体に傷を負い、死の恐怖を感じながら、必死に戦っていたはずなんだ。それがこんな……こんな簡単な表示で済まされて……服が破け装備品が破壊され大怪我を負っても、『中破』の文字と、こんなグラフィックだけで済まされて……

 羅針盤が回され、緑色のアイコンに簡略化された岸田の艦隊が次のマスに進む。さっきの戦いで傷を負った、比叡さんの妹の榛名は大丈夫だろうか……艦娘のみんなは今、どんな気持ちで進軍しているのだろう……金剛と霧島は榛名の姉妹だ。傷を負い、それでも懸命に戦う榛名の姿を傍らでどんな気持ちで見ているのだろう……大鳳は……加賀は……

 比叡さんは、僕が体調を崩しただけで、あんなにも取り乱すほど優しい。もし比叡さんが、今この子たちと同じ艦隊にいて、ダメージを負っている自分の妹を見たら、どんな気持ちになるんだろう……そして比叡さん自身、今までに一体何度こんな大ダメージを追ってきたんだろう……何度その状態で、岸田に進軍させられたんだろう……考えれば考えるほど悲しくなってきた……そして比叡さんの命がけの戦いも、こんな風に表現されていたのかと思うとやるせなくて、辛くて……

「おいシュウ……」
「……ん?」
「ん? じゃねーよ……なんで泣いてるんだよ」

 自分では気付かなかったけど、僕は知らないうちに泣いてたようだ。

「なんでもない……大丈夫」
「もうやめるか?」
「大丈夫だから。『比叡』がいなくなったとこまで進めて」
「……分かった。ちょうど次のところが、比叡たんが消えたマスだ。ここにはレ級って敵がいる」

 レキュウというのがどんなものなのかは分からないが、ぼくはその名前を比叡さんの口から聞いた覚えがある。

―確かレ級と戦ってて、もみくちゃになって海の中に沈んだとこまでは……

「レキュウってどんなやつ?」
「このゲームの雑魚キャラの中でも最強クラスの雑魚キャラだ。下手なボスより強い。しかもこのマスにいるのは、レ級エリートって言って、普通のレ級よりも強いやつだ」

 岸田は僕に簡単かつ明確なレクチャーをしてくれながら、戦いの陣形を選択する。今回選択したのは、攻撃力は高いがその分相手の攻撃を受けやすいらしい単縦陣。

 陣形の選択が終わると、戦いがはじまる。また艦娘たちの命がけの戦いが、単なるカードとカードが互いに相手の数字を減らし合うだけのチープなアニメーションで表現され、それを眺める時間が始まる……

「あれ?」

 戦いが始まった途端、岸田がそう口走った。

「どうしたの?」
「いや、さっきここのマスにレ級がいるって教えたろ?」
「うん」
「そのレ級がいないんだよ。ほら、相手5隻しかいないだろ?」

 確かに、今相手は5人しかいない。

「本来だったら深海棲艦側の一番上に、真っ赤になったレ級エリートってやつがいるんだけど……」

 岸田がブラウザを起動し、どこかのサイトにアクセスした、数秒のラグの後、ブラウザに表示されたのは艦これの攻略サイト。岸田が手際よくリンクをたどり、今戦っているステージの攻略ページを表示させた。

「ほら、ここに“レ級エリート”って書いてあるだろ?」

 岸田が画面を指差す。そこには、このステージの各マスの敵チームの編成が記録されている。今戦っているマスの敵編成は……構成は何種類かあるようだけど、確かにすべての編成に“レ級エリート”が入っている。

 続いて岸田は、同じくブラウザで検索をかけ、レ級の画像を表示させた。頭からフードをかぶり、笑顔で敬礼する女の子の画像がレ級のようだ。その笑顔は、お日様のような比叡さんの笑顔とは異質な、裏に狂気をはらんだ凶悪な笑みに見えた。

「ほら、こいつがレ級だよ……つーかバグか? シッカリしろよ運営!! まぁ攻略は楽でいいけど……」

 岸田がそう毒づきながら、画面を艦これに切り替えた。どうやらプレイしている人にとって、このマスにレ級という敵が出てこないことはけっこうな珍事らしい……。しかし普段このゲームをやらない僕にとって、レ級がいないことなどどうでもよかった。もし比叡さんが、本当に岸田がプレイしている艦これの世界から来たのだとしたら、比叡さんの必死の戦いがあんな風に扱われていたことが、僕にはただただ悲しかった。

 岸田の家を後にして家路につく。足取りが重い。比叡さんに『分かったことは必ず話す』と約束したが、それでもこんなことを話していいものなのか……こんな現実離れして馬鹿げた話……僕は話す決心が持てず、まさに両足を引きずるかのように、のっそりのっそりと歩いた。家に帰りたくなかった。

 気が付くと、初めて比叡さんと出会った神社の前まで来ていた。岸田の家と僕の家の間の、ちょうど真ん中の位置にこの神社はある。まったく決心が出来ないまま、家路の半分に到達してしまったのか。

―たまにね。来たくなるんだ。ココに来たら、色々分かる気がするから

 そんな比叡さんの一言を思い出し、重い両足を引きずりながら神社に入った。あの日、比叡さんが立っていた位置に僕も立ち、比叡さんの様に上を見上げる。季節がもう秋のためか、まだ6時前なのにすでに空は薄暗い。夕方特有の赤みがかった空の部分はまだ残っているが、それでも空の大部分は、もう黒く染まっていた。

 空を見上げながら、岸田の家で見た一部始終を僕は思い出していた。あのチープな戦闘アニメーション、中破して傷だらけの榛名、それを知っていて、なお進軍の指示を出す岸田……岸田が悪くないのは分かっている。あいつはあいつなりに、自分のキャラを失ってしまわないよう細心の注意を払ってプレイしていることを僕は知っている。あれはゲームだ。それは分かっている。だがそれでも、もし本当に比叡さんがあの世界から来たのだとすれば、釈然としない部分はある。

 僕は命がけの戦いをしたことはない。死の危険を感じたこともない。でも、どう思うだろう? 戦場で命がけの戦いをしている人が『これはゲームです。あなたの命がけの行動は、誰かがゲームとしてあなたを操作している結果なんです』と言われたら、その人はどう感じるのだろう? 比叡さんに今日の話をするということは、きっとこういうことだ。

 ……そして白状する。いつの頃からか、僕は比叡さんに帰って欲しくないと思っていた。この数カ月、比叡さんに振り回され、世話を焼き、困らせられ、そして励まされながら生活してきた。比叡さんと共に生活する中で、僕にとって、いつしか比叡さんは本当の姉のような存在になっていた。

 話をすれば、必ず僕を笑わせてくれた。僕が落ち込んでいたら、全力で包み込んで励ましてくれた。ご飯は必ず人の何倍も食べた。お風呂あがりには隙だらけの格好で僕を挑発し、家に帰ればお日様のような笑顔で出迎えてくれた。

―私! がんばるから!! 見ててねシュウくん!!!

 そんな比叡さんと、僕は離れたくなかった。きっとそれも、僕が話をためらう理由の一つだった。僕は比叡さんと、ずっと一緒に暮らしたかったんだ。いつまでも一緒にいたかったんだ。あの人の横で、お日様のような笑顔をいつまでも見ていたかったんだ。今日のことを話してしまえば、比叡さんは僕の前から消えてしまうんじゃないか……そんな不安でいっぱいなのだ。

「……先輩がいる」

 聞き覚えのある声が背後から聞こえ、僕はゆっくりと背後を振り返った。学校帰りと思しき、制服姿の秦野がいた。

「……なにやってんの? 今日は部活は休んだの?」
「こっちのセリフですよ。3年生はとっくに帰ってる時間でしょ。もう部活終わってますよ」

 秦野が怪訝な顔をしてそう言う。ぼくは胸ポケットからスマホを取り出して時刻を見た。岸田の家を出て1時間以上経ってたのか……ここから岸田の家まではゆっくり歩いて20分ぐらいだから、30分以上ここでこうしてたんだな……。

「……もうこんな時間だったのか……」
「早く帰って受験勉強しなくていいんですか?」
「お前、厳しいね……」
「キャラメルくれるまでは厳しくいく所存です」

 秦野がこっちに来て、僕の目の前に立った。手を前に出せば、伸ばさずとも触れられるほどに距離が近い。

「何かありましたか? 悩み事ですか?」

 その直後、僕達のそばの街灯に明かりが灯り、秦野の顔がぼんやりと照らされた。いつになく真剣な面持ちで、僕の目をまっすぐに見つめていた。

「……なんで?」
「去年の今頃、先輩パートリーダー任されて、悩んでましたよね」

 誰にも言ってなかったのに、お前よく知ってるね……確かにパートリーダーに抜擢されたけど、自分の腕がパートリーダーって重責と釣り合ってない気がして、けっこう悩んだんだったなぁ……

「ずっと隣にいましたから。……で、今の先輩、その時と同じ顔してます」
「そっか……」

 そういや秦野が入学して吹奏楽部に入部してから、合奏の時はずっと僕の隣の席は秦野だったもんなぁ。ずっと隣にいりゃ、そら分かるか……

「……なぁ秦野?」
「はい」
「もし僕が、秦野自身も知らない、秦野の秘密を知ってるって言ったら……聞きたい?」
「聞きたいです」
「たとえそれが、秦野にとってショックすぎることでも?」
「はい」

 うーん……秦野ならそう言う気はしてたけど、即答するとは思わなかったなぁ……

「自分が傷つくことになったとしても?」
「先輩の話なら」

 少しだけ強い風が吹き、秦野のポニーテールが揺れた。なんだかすごく恥ずかしいことを言われた気がしたが、僕の目をまっすぐ真剣に見つめる秦野を前にして、照れる気にならなかった。

「私は先輩のことを誰よりも信頼してます。だから先輩には、それがどれだけ辛い内容だとしても、話して欲しいと思います。それが先輩の言葉なら、私は受け止めます」

―シュウくんみたいな頼りがいのある弟に、最初に出会えてよかった

「……そっか」

 僕は、自分の家に続く道に目をやった。道はしばらくまっすぐで、点々と街灯がついている。すべての街灯に灯が灯っているのが、この場所からも分かった。

 同じタイミングで、秦野がややうつむいた。相変わらず風が秦野のポニーテールを揺らしていた。秦野に目線を移したが、彼女が俯いているせいで、僕からは彼女の表情が見えない。

「先輩、しゃがんで下さい」

 秦野がうつむいたままこう言った。秦野がうつむいているせいで表情が見えず、その言葉に少しだけイライラが篭っているように感じた。

「? なんで?」
「いいからさっさとしゃがんで下さい」

 僕は疑問を感じながらも秦野の意味不明な命令に従い、腰を落としてしゃがんだのだが、その途端、秦野は僕の頭をくしゃくしゃっと撫でた。不思議とその撫で方は、比叡さんの、優しくてちょっとガサツな撫で方と同じたった。

「秦野?」

 しゃがんだまま秦野を見上げると、秦野はこっちを見て微笑んでいた。街灯の逆光になっていてよく見えなかったが、今まで見たどの秦野よりも、今の秦野の表情は優しく見えた気がした。

「先輩、こうして欲しそうな顔してました」
「そお?」
「はい。……先輩?」
「ん?」
「多分ですけど、その人もきっと私と同じです。先輩の言葉なら、どんな言葉でもきっと受け止めてくれます」
「……」
「だから、話してあげて下さい」

 風が止み、秦野のポニーテールの揺れが止まった。僕は頭を撫でてくれている秦野の右手を掴んで頭から話すと、そのまま勢い良く立ち上がった。

「ありがとう。秦野のおかげで勇気出た」
「キャラメル3つで手を打ちます」
「そんなにキャラメル好きだったっけ?」
「好きですよ。多分、先輩にとってのクールミントよりも好きです」

 そういってケラケラと笑う秦野は、いつもの秦野に戻っていた。

 僕は秦野に別れを告げ、家路を急いだ。もしぼくの推論が間違いであるならばそれでよし。当たっていたとしても、秦野の言うとおりなら、きっと比叡さんは僕の話を受け止めてくれるだろう。

 少なくとも、約束をしたのにずっと黙って悶々としているよりはいい。正直怖いし緊張もする。足だって重いし、さっきから心臓はバクバクしている。手には力が入らず、話す時のことを考えただけで顔から血の気が引くほどに、僕の気持ちは怖気づいている。

 それでも話す。重い足を力づくで引きずり、少しでも早く家に着くように、僕は急いで歩く。うちのドアの前まで来た。鍵を開け、いつも以上に重く感じるドアを開ける。

「ただいま!!」

 緊張で震えた喉から、僕はできるだけ大きな声でそう言った。家の中に漂う匂いから、今日の晩御飯のメニューは麻婆豆腐だということが分かった。

「ふぅふんふぉふぁふぇふぃ~!! おふぉふぁっふぁふぇ~!!」
「比叡ちゃん? 口の中のご飯は飲み込んだら?」

 廊下の奥から、麻婆豆腐の大皿を抱え、右手にレンゲを持ち、口いっぱいに食べ物を頬張った比叡さんが、笑顔で僕を出迎えてくれた。

「……」
「ごくり……ふぃ~……あれ? どうしたの?」

 なんだか、そんな比叡さんをずいぶん久しぶりに見た気がする。郷愁にも似た感覚を比叡さんの表情に感じ、何やら胸がいっぱいになった僕は、目に涙が少し溜まったのを自覚した。

「ただいま姉ちゃん」
「うん! おかえりシュウくん!!」

 僕は覚悟を決めた。今晩、僕はひょっとすると、比叡さんのこのお日様のような笑顔を曇らせることになるかも知れない。それでも話す。比叡さんなら受け止めてくれると信じて。

「姉ちゃん。今晩話をしよう。わかったことを話すよ」
 
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