姉ちゃんは艦娘
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6.姉ちゃんは魅力的
夏休みも終わり9月に入った。あれから僕は比叡さんのことを比叡姉ちゃんと呼ぶようになった。……いや、なってしまった。あの日、場の勢いに呑まれて『比叡姉ちゃん』って呼んでしまって、それ以来……
「比叡さんおはよー」
「シュウくんおは……ハッ!」
「ん?」
「つーん……」
「ん? 比叡さーん? おはよー?」
「ぷーい……」
「……姉ちゃんおはよう」
「パァァアアア……おはようシュウくん!!!」
とこんな感じで、『姉ちゃん』と呼ばないと反応してくれなくなってしまった。ちなみに『つーん……』『ぷーい……』てのは、わざわざ口に出してるセリフで、決して擬音語ではない。……まぁイヤじゃないから別にいいけど。
部活も終わり、受験生の僕はこれから本格的に勉強に力を入れることにした。これまでが部活に力を入れるという方針だったため、特に家での自主的な勉強はしてこなかったのだが、これからはそうはいかない。とりあえずは、苦手な歴史から勉強していくか……というわけで、ぼくは今晩、自分の机に向かい、歴史の教科書を片手に問題集を開いて問題を解き、答え合わせを繰り返している。
ぶっちゃけ、歴史の面白さが僕にはよくわからなかった。同級生たちの中にはやたら三国志に詳しい『三国志フェチ』とか、やたら戦国大名に詳しい『戦国時代フェチ』とかが必ずいるわけだけど、彼らの言葉を聞いても歴史の面白さが今一よくわからないんだよね……今こうやって日本近代史の勉強をしていても、結局覚えることが多すぎて何が何だか……という具合だ。
しばらく頑張っているとなんだか頭がぼんやりしてきた……眠いわけではないのだが、普段使わない頭を使っているせいで知恵熱でも出たのかな……とりあえず台所に行き、いつものようにココアでも飲んで少し休憩しようと思った。
台所へと続く居間は、すでに電気が消されて真っ暗になっている。父さんと母さんはもう寝たらしい。もう12時だし、父さんも母さんもどっちかというとロングスリーパーだから、この時間にはすでに寝ている事が多い。
フと、レースのカーテンが静かになびいた。今日は窓を開けているととても涼しくて気持ちのいい風が部屋を通り抜けていく。その風がカーテンを動かしたようだ。窓の方を見ると比叡さんが、いつかのようにこちらに背を向けて、空を見上げていた。
「あ……」
ぼくは声をかけようとしたが、やはりいつかのように躊躇してしまった。声をかけてしまうと比叡さんが消えてしまうんじゃないか……そんなことを感じさせる危うい綺麗さが、ベランダの後ろ姿の比叡さんからは感じられた。なんでだ。
そして、優しい風にたなびく比叡さんの髪やTシャツの裾のせいなのか、比叡さんの後ろ姿はとても美しく見えた。いつもの元気一杯な姿からは想像出来ないほどの、綺麗で、触れるだけで消えてしまいそうなほど、儚い後ろ姿だった。
「あれ? シュウくん起きてたの?」
僕が息を呑んでいたら、急に比叡さんはピコンと反応し、こちらを振り返った。その時の表情はいつもの比叡さんの元気な表情で、背中もすでに、いつもの元気が満ち溢れている比叡さんの背中だった。
「あ、うん。比叡さ……姉ちゃんはなにやってたの?」
「私は夜風にあたってただけ~」
比叡さんにしてはうまいけど、これがウソだってのはなんとなく分かった。
「しかし……ついにシュウくんは名実共に私の弟か……ウヒヒヒヒヒ……」
失礼なッ! 比叡さんが返事してくれないからじゃないかッ!!
「シュウくんは何やってたの?」
「うん。勉強してたんだけどちょっと疲れちゃって……ココアでも飲もうかなと」
「ココア好きなんだねぇシュウくん。どんな勉強してるの?」
「受験勉強。今は歴史の勉強してるの。近代史の勉強をしてるんだけど、中々覚えてないことが多くて苦労してるんだよね……」
僕は比叡さんと会話をしながらココアを淹れるべく、牛乳を火にかけた。自分のカップを戸棚から出し、比叡さんのカップも出して比叡さんに見せると、お日様のような笑顔で目を輝かせたので、比叡さんの分も作ることにした。まぁ毎度のことだ。
「そっか~。歴史の勉強ってどんなことしてるの?」
「んーとね、日本の歴史なんだけど、戦前から戦後ぐらいまでかな?」
「戦前? 何戦争の前なの?」
「太平洋戦争」
「たいへ……?」
「知らない? アメリカと日本が戦った……」
「ぁあ~大東亜戦争のことか。私、大東亜戦争の頃のことならある程度は分かるよ!」
これはあとで知ったことなのだけど、戦時中、太平洋戦争のことを日本人は大東亜戦争と呼んでいたのだとか。太平洋戦争より大東亜戦争の呼び名のほうが馴染み深いって、比叡さんって何者なんだろう……?
その後二人分のココアを淹れ、一つを比叡さんに渡した。比叡さんはホクホク顔でココアをすすり始め……
「あっちゃちゃちゃ……」
期待通りココアの熱さで舌を火傷したのか、舌を出してパタパタ仰いでいた。芸人レベルだなこりゃ……。
そしてココアを飲みながら、僕は自室から社会の問題集を持ってきて、ちょっと比叡さんに手伝ってもらおう……というか比叡さんが近代史に詳しいというのが今一信じられなくて、ちょっと色々問題を解いてみてもらおうと思った。
「それでは、問題を出します。ででんっ」
「気合! 入れて!!」
「シィー!! 姉ちゃん、夜中だからシィー!!」
「しょぼーん……気合~入れて~……しょぼーん……」
ちくしょう。いちいち芸人のようなリアクションをしてくるこのクセをなんとかしてくれ。
「では第一問。太平洋戦争……だいとうあ戦争だっけ……は何年に始まったでしょうか?」
「昭和16年!!」
「西暦でお願いします。キリッ」
「えーと…1941年……かな?」
「ピンポーン正解」
お、本当に詳しいのかな?
「ちなみにその時の総理大臣は東条英機さんだよ!」
「お、おう……」
「アメリカとは色々あって、結局戦争になっちゃったんだよね~……」
「そ、そうなのか……」
「真珠湾を攻撃した時もね、開戦するなら“ニイタカヤマノボレ”、開戦しないなら“ツクバヤマハレ”って合言葉を決めてて……」
「ストップ! ストップ姉ちゃん!! 西暦が分かればそれでいいから!!」
「しょぼーん……」
とはいうものの、開戦の年号を聞いただけでここまで話がスラスラ出てくるってことは、やっぱり詳しいのかな?
「じゃあ終戦は何年ですか?」
「えーと……」
「あれ?」
「えーと確か榛名の話だと昭和20年ってことだから……1945年!!」
「ピンポーン正解」
「よかったぁ~……私その頃にはもういなくて、妹の榛名にしか聞いたことなかったから……」
ん? いなかった? どういうことだ? まぁいいか。
「ところでね! 開戦の時は真珠湾の前にマレー半島の方も攻撃したんだよ!」
「ほ、ほう……そうかね」
「ミッドウェーまでは私たちも大活躍だったんだけどね……しょぼーん……」
時々当事者みたいなセリフを吐くのはなんなんだ……?
「でも以外だなぁ。姉ちゃんが歴史に詳しいだなんて」
「ちょうどその頃私たち頑張ってたからね!」
ほら、まただ。
「んじゃ理科とか英語とかも教えてもらおうかな~」
「ぷ、ぷり~ず、へるぷみ~……」
「詳しいのは歴史だけですか……」
「金剛お姉さまなら帰国子女だから英語詳しいんだけどね~……でね! でね!」
比叡さんは、また生き生きとした顔で戦争の時のことを話し始めたが、その時、ぼくは比叡さんのキラキラと輝く目を見てしまった。
―なんてキレイな目をした人なんだろう……
そう。比叡さんは、スッキリと澄んだ、とても綺麗な目をしていた。比叡さんは少しブルーがかった目の色をしているが、そのせいなのかとても澄んでいて、キラキラと輝いて見えた。
「でね、その時の艦長が……」
比叡さんが嬉しそうに満面の笑みで話している。ぼくに話をするのがとても楽しいみたいだ。口唇の色がとてもキレイだ。キレイな赤色だけど、口紅の赤じゃなくて、もっと自然だけど、とても元気な感じのする赤で……
「んで、そのあとで私たちが……」
比叡さんのほっぺたが少し赤みがかっている。さっきからずっと喋ってるせいかな……よく見たら比叡さん、すごくキレイな肌してる……どうしよう……すごく触りたい……柔らかそう……すごく触りたい……
「シュウくん聞いてる?」
「……ハッ?!! ごめん聞いてなかった……」
「ひぇえええ……お姉ちゃんがんばって色々話したのにぃ~……」
いけない。これが“見とれてた”という状態なのか……比叡さんの目とか口とかほっぺたとかにばっかり気を取られてて、全然話を聞いてなかった……。
その後、三歳児のようにへそを曲げた比叡さんのご機嫌をもとに戻すため、今度カレー屋さんでカレーライスをおごる約束をした。小遣い足りるかな……。
この日以来、なぜか妙に比叡さんが輝いて見えるようになってきた。……いや、妙に色っぽいというかなんというか……。
言っておくが、僕は別になんとも思ってない。思ってないんだよ。だけどこう、あるだろう。思春期の男子なら、グラッとくる瞬間が。
一番ヒドかったのはあの日だ。テレタビーズの試合のときだ。
その日は日曜日で、僕は午前中はずっと勉強。午後からは大滝川テレタビーズの試合観戦の予定だった。テレタビーズのヒーロー、比叡さんが試合に出るからだ。
『4番~。サード~。ひえい~。ひえい~』
「気合! 入れて!! 打ちます!!!」
以前に僕がプレゼントした、『ひえい』の署名入りバットを比叡さんはブンブンと振り回し、バッターボックスに立つ。あのバット、度重なる比叡さんの超絶バッティングで、もう原型を留めないほどにベッコンベッコンなんだけど、それでも比叡さんは使い続けてくれて、しかもあれでホームランを量産してるんだよね……。
「比叡ちゃ~ん! がんばって~!!」
「はい!! 私! 頑張るから!! 見てて下さい!!!」
母さんからの声援に応えるように、恒例のトリプルボイスの儀式を終えたあと、比叡さんはバッターボックスに入る。僕らがいるところから、比叡さんの真剣な横顔が見えた。
「あれ……比叡姉ちゃん……」
さっきまで、あれだけ賑やかで朗らかな顔をしていたが比叡さんが、バッターボックスに入った途端、キッと前を見据え、真剣な面持ちになったのが見えた。そしてその瞬間、比叡さんの周囲の空気がピリッと張り詰めたのが、離れている僕にも伝わった。
「あんな凛々しい顔が出来るんだ……」
あのキレイに澄んだ目で、まっすぐに前を見据える比叡さんの顔に、僕はしばし釘付けになった。ピッチャーがボールを投げ、その次の瞬間。
「ほりゃぁあああ!!!」
比叡さんの雄叫びとともに『ゴワキョォオオッ!!!』という音がグラウンドに鳴り響き、比叡さんが打った球はホームランとなった。今日の球場はバックボードが無い為器物破損はなかったものの、遥か彼方まで飛んでいったボールは、キラーンという音と共に、星になった。
「お母様~! シュウく~ん! 見ててくれました~?!」
「比叡ちゃ~ん! 見てたわよ~!!」
「よかった! なら、打った甲斐がありました~!!」
こっちに向かってそう叫ぶ比叡さんの顔は、さっきまであんなに真剣で凛々しい表情をしていた人と同じ人と思えないような、本当に朗らかで、見る人を温かい気持ちにさせるお日様のような笑顔をしていた。正直に言うと、打った時のキッとした凛々しい表情も、今の笑顔もとてもキレイで、僕の目は釘付けになっていた。
試合が終わり、一足先に家に戻ってしばらく経つと、泥だらけになった比叡さんがバット片手に帰ってくる。
「ただいま戻りましたー!! お腹すいたー!!」
大声かつ上機嫌でそう言う比叡さんの顔は、まさに無邪気な五歳児の笑顔だ。なんだか夏休みで思いっきり外で遊んで帰ってきた子供を彷彿とさせる。鼻の頭に泥汚れついてるし。
「比叡ちゃんおつかれさま~。とりあえず先にお風呂入ってらっしゃい」
「はい! お母様!!」
時々、比叡さんと母さんの関係性が、飼い主とワンコみたいな感じに見えてくるのは気のせいだろうか……いやワンコって言うと失礼だけど……でも今の比叡さん、絶対大喜びで尻尾フリフリしてる感じだよね。
「ん? シュウくん何か言った?」
「言ってないよ?!!」
比叡さんが入浴中、僕は特にすることがないので居間でテレビを見ることにした。日曜の夕方から見るテレビといえば、僕は笑点と決めている。小田浦港での漁船の沈没を取り上げているニュースチャンネルから、ぼくは笑点のチャンネルへと変更した。よし。大喜利は今からだ。
「はわぁあ~……お風呂気持ちよかったぁ~……入渠完了しましたぁ~」
大喜利が始まってしばらくして、お風呂あがりの比叡さんが、Tシャツ短パン姿で緩みきった表情をして居間に入ってきた。あの凛々しい比叡さんはどこへやら…鋭い眼差しをしていた両目もトロンとし、ほっぺたは温まったためかちょっと赤くなっている。
「お母様~牛乳もらっていいですか?」
「冷蔵庫に入ってるわよ」
「ありがとうございまーす」
冷蔵庫そばの椅子に座る僕の前を素通りし、比叡さんは冷蔵庫のドアを開けた。僕はつい比叡さんを目で追って……
「ちょっと待てぇええええ?!」
「ひぇえ?」
「シュウどうしたの?」
「背中!! 背中丸見え!!!」
そう。ちゃんと背中の水滴を拭いてなかったせいなのか、比叡さんはTシャツが肩甲骨あたりで背中にくっついてめくれ上がっており、その分背中が丸見えになっていた。
「ひぇえええ。全然気付かなかったよ~」
「おっちょこちょいねぇ~比叡ちゃんアハハハハ」
「申し訳ございませんお母様~アハハハハハ」
気づけよ姉ちゃん! 母さんも笑ってる場合じゃないだろッ!! つーか下着!!! 男の僕が言うのもなんだけどブラはどうした?!
「いやお風呂あがりだし……つーかお姉ちゃん、普段からブラは付けてないけど……」
「なん……だと……ッ?! んじゃ今日だけじゃなくてずっとノーブラだった……?!」
「いやそうじゃなくて、お姉ちゃんいつもサラシだから。もそもそ」
「あそっかー。ならしょうがないね~」
「そうだよ~。変なシュウくんだなぁ~。もそもそ」
比叡さんはそう言ってケラケラ笑いつつこっちに背中を向けたままTシャツを直している。……いや違う!! 違わないけどなんか違う!!! というより、なぜめくれを直すまでの間、ずっとこっちに背中を向けているんだッ!! そんなに僕に背中を見せたいのかッ?! ……いや下着をつけてないのなら逆にマズいか……。
Tシャツのめくれを直してこちらを向いた比叡さんは、腰に手を当てて牛乳をパックから直に飲みながら、目線をすぐそばの僕を通り越して、テレビの笑点に向けている。イヤな予感がするのは僕だけか……回答者は楽さんこと六代目三遊亭圓楽。
『先日、エジプトでミイラの展示を見てきました』
『ほう、どうでした?』
『よく見たら歌丸師匠でした』
「んっく…ククッ……んふー……んふー……」
あ、まずい……今更ながら、牛乳飲みながらの笑点はヤバイ……比叡さん口の中に目一杯牛乳含んだままの状態で、鼻呼吸が荒くなってる……
「んふー…んふッんふふふふふ……ふーんふー……」
『山田くん。楽さんの座布団全部持って行きなさい』
「ブハッ!!! ブハハハハハハハッ!!!」
笑点のお約束を見て比叡さんは盛大に笑い、そのせいで、比叡さんが口に含んでいた牛乳は……
「ひええええ!!! シュウくん!!!」
そう……比叡さんのそばにいた僕に、全部かかった……
「ごめん! シュウくんホントごめん!!」
「いやいいんだ……姉ちゃんが牛乳飲んでる時に笑点を見てた僕がダメだったんだ……」
「ごめんね……んっく……ごめ……ぶふっ……」
「姉ちゃん……謝るのか笑うのかどっちかにして」
「ホンットごめ……ブホッ……ブフッ……」
夢だ……これはひどい夢だ……ベタ過ぎる夢なんだ……。楽さん……歌丸師匠……僕はあなた達を恨みます……。
比叡さんに牛乳を吹きかけられてしまったので、仕方なく僕も夕飯前にお風呂に入ることにしたわけだけど……さっきから比叡さんのあの背中が頭から離れなくて困っている。
「キレイだったなぁ……姉ちゃんの背中……」
そう。比叡さんの背中はめちゃくちゃキレイだった。肌はキレイだし、体の線も華奢で……ヤバい段々荒ぶ
「シュウくーん。そろそろ晩ごはん出来るけど、先食べちゃうよ?」
めちゃくちゃタイミングよく比叡さんが洗面所からドア越しに話しかけてきた。
「タイミング!! 姉ちゃんタイミング考えてッ?!!」
「へ? なにが?」
「いやなんでもないッ! 分かった!! 分かったからッ!!」
「? 変だねぇシュウくん」
誰のせいだと思ってるんだ誰のッ!! 比叡さんがちゃんとTシャツ着てれば、僕のもこんなに荒ぶることはなかったんだよッ!!
「困ってることあったら言ってね! お姉ちゃんも手伝うから!!」
「結構です!! つーかそんなこと言っちゃダメッ! 手伝っちゃダメ!!」
「そっか~……しょぼーん……」
でも、比叡さんが言ってることは半分当たっている。最近の僕は、妙に比叡さんのことが気になりだしている。気が付くと目で追い、色々な表情を見る度に目が釘付けになっていく。比叡さんは本当に表情豊かで、目で追う度に新たな表情を見せてくれている気がする。
そしてある日のことだった。その日は夏の暑さが落ち着いて、秋口らしい涼しさで過ごしやすい一日だった。僕は学校の授業が終わったあと、用事で久々に吹奏楽部に顔を出し、家路についたのは周囲が暗くなってからだった。そして、あの小さな神社に差し掛かった時だった。
「あれ……姉ちゃん……」
神社には申し訳程度の街灯が立っており、その街灯にうっすら照らされる形で、比叡さんが立っていた。僕が立っている場所からだと、ちょうど比叡さんの横顔が見えた。あの、いつもうちのベランダで背中越しに感じた、儚い美しさを感じさせる横顔だった。
そして、街灯の薄明かりに照らされ神社の闇に浮かび上がる比叡さんの姿は、息を呑む美しさだった。ここが初めて出会った神社だというのも関係しているのかもしれないが、神社で立ち尽くし、夜空を見上げる比叡さんの横顔は、今まで見たことがないほど神秘的だった。今まで見たどの顔よりも感情が読めず、今まで見たどの顔よりも儚げで、それでいて、今まで見たどの顔よりも美しい横顔だった。僕はその脆さと美しさに、しばらくの間声をかけることが出来ず、ただただその横顔に心を奪われた。
「……ぁあ、シュウくん」
どれだけの間、比叡さんの横顔を眺めていたのか、僕にはさっぱりわからない。比叡さんに声をかけられるまでの間、僕はただずっと比叡さんの横顔を眺めていたのだから。
「や、やあ姉ちゃん」
「おかえり」
「うん。姉ちゃんもバイトお疲れ」
「うん。……帰ろっか!」
「うん」
先ほどのガラスのような繊細な美しさを称えた比叡さんは、もういなくなっていた。今目の前にいるのは、いつものお日様のような比叡さんだ。
「姉ちゃん」
「ん? なーに?」
「神社で何やってたの?」
比叡さんは少し考えた後、いつもより少し控えめな笑顔を僕に向けた。心なしか、その顔とさっきの横顔が、僕には重なって見えた。
「たまにね。来たくなるんだ。ココに来たら、色々分かる気がするから」
「色々?」
「うん。色々」
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