藤崎京之介怪異譚
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case.6 「闇からの呼び声」
Ⅴ 12.19.PM7:41
この日の夜、メスターラー氏より報告があると聞いたため、俺は再び聖堂にある食堂へと足を運んだ。
食堂へ入ると、もうアウグスト伯父や父は席に着き、メスターラー氏も話せる状態で待っていた。無論、宣仁叔父は病院のベッドの上だが…。
「遅くなり申し訳ありません。」
俺がそう言うと、アウグスト伯父は「いや、皆が早すぎなんじゃよ。」と言って笑ったので、周囲もつられて笑みを溢した。それはピンっと張り詰めたその場の空気を弛め、俺達の心を少しばかり軽くしてくれたのだった。
だが、それも束の間…。メスターラー氏の報告が始まって直ぐ、俺達はその不可解さに騒然とした。アウグスト伯父の推測と重なっている部分もあったが、流石は本職の探偵だけあって深い部分まで調査されていたのだ。
彼によると、現在残されている資料は、全て浄書の形をしているという。要は、それ以前にメモの様に書かれた草稿…下書があったと考えられるのだ。
だが、その草稿が一つも発見出来ず、仕方なく書いた人物を突き止めようとした。すると、ある人物が浮かび上がってきたそうだ。
その人物とは、当時この地方を治めていた公爵だ。
メスターラー氏の話によると、大きな事件があった際には公爵に資料を見せた上で保管することになっていた。土地を治めているのだから当然と言えば当然なのだが…。
「その公爵の名が…ニコラウス・アウグスティヌス・フォン・ヴェッベルグ。」
メスターラー氏がその名を口にした時、俺達は驚きの余り言葉に詰まった。ヴェッベルグ…古文書資料の中で不可解な死を遂げたとされる、あのハインリヒ=フォン・ヴェッベルグ伯に関係があると考えたからだ。
いや…そう考えざるを得ないだろう…。
「フリッツ。して、そのニコラウスは、あのヴェッベルグ伯とどう繋がっておるのじゃ?まさか…全くの無関係ではあるまい。」
アウグスト伯父はメスターラー氏へとそう問うと、メスターラー氏は不敵な笑みを浮かべながらそれに答えた。
「実は…子がなかったとされているヴェッベルグ伯の直系なんですよ。」
「―!」
俺達は騒然となった。この事実は、もはや過去からの告白としか言いようがない…。その驚くべき事実に、俺達は各々意見を口にし始めたが、それをアウグスト伯父が制した。
「少し黙れ!」
俺達はその一喝で静まり、アウグスト伯父はそれを見計らってメスターラー氏へと言った。
「それで、そのニコラウスはどのような役を演じとったんじゃ?」
「それなんですが…再び昔話へと戻らねばなりません。」
そう答えて後、メスターラー氏は静かに口を開いた。
先ず、ハインリヒとの関係だが、彼はニコラウスの曾祖父にあたるという。
俺達が調べた古文書の中で、唯一ヴェッベルグ伯の話の大枠は合っていた。彼…ハインリヒは自殺だったそうだ。だが、その自殺の原因が問題だった。
ハインリヒの自殺の原因は…"愛"だったのだ。
ハインリヒ=フォン・ヴェッベルグ伯は、実は死の六年前に、とある公爵家の娘と婚姻を結んでいる。これは極一部の古文書にしかなく、どうも伏せられていたようだ。
伯爵の相手の名はエリーザベト=フォン・エルネスティ。しかし…この姫君にはある秘密があった。
「顔の左半分に火傷の痕があったんです。そのため、彼女は二十代半ばまで嫁ぎ先が見付からなかったそうです。」
そう付け足すと、メスターラー氏は話を先へと進めた。
エリーザベトは最初、ヴェッベルグ伯からの申し出を拒否した。自分の醜い容姿は承知しており、民さえ彼女を忌み嫌っていたことも知っていたからだ。
だが、父である公爵はそんな娘に追い打ちをかけるように、伯爵との縁談を断れば館から追い出すと脅したらしい。実の父ですら、彼女を恐れていたようだ…。
エリーザベトはそんな父の心を知ってか、涙を飲んで縁談の話を了承したのだった。
しかし、彼女がヴェッベルグ伯の元へ嫁ぐまでに一年を要したそうだ。何故なら伯爵のことを考え、裁縫から料理まで…貴族である彼女が遣らなくてよい筈のことを、自らが全て出来るようにするためだった。伯爵の使用人達のことさえ気に掛けていたのだ。
それだけではない。彼女は自らの醜い容姿を隠すため、幾つかの仮面作らせていた。それにかなりの時間を要したようだ。これさえ自分のためでなく、夫になる男性のためなのだ…。
そうして準備を整え、エリーザベトはヴェッベルグ伯の元へと嫁いだ。すると、そこには想像もしなかった世界が広がっていたのだった。エリーザベトは伯爵の元で、「愛」と「幸福」を手に入れたのだ。
ヴェッベルグ伯はエリーザベトの容姿をよく知っていたようで、それでいて縁談を申し込んだらしい。そのため、エリーザベトが仮面を着けることを伯爵は許さなかった。伯爵はそのままのエリーザベトを愛していたのだ。
二人の仲睦まじさは、そこで働く使用人達でさえ幸福にしたという。最初は確かにエリーザベトの容姿に驚愕したが、それさえはね除ける程に、エリーザベトとヴェッベルグ伯の愛は深かったそうだ。
だが…そんな幸福も長男が生まれるまでだった…。
「長男が生まれたと聞いた公爵は、理不尽にもその長男を取り上げ、公爵家の後継ぎに据えてしまったんです。理由として、公爵に男の子供が居なかったことが挙げられます。それ故、公爵はエリーザベトの子供を取り上げたんだと考えられます。」
そこまで言うとメスターラー氏は徐にお茶を啜り、そしてまた話を続けた。
息子を奪われたエリーザベトの悲しみは深く、それは伯爵とて同じだった。しかし、息子を取り返そうと公爵家へ幾度も足を運ぶものの、公爵は話し合うどころか顔すら出さなかった。当然、我が子の顔を見ることも叶わず、それを繰り返すうちにエリーザベトは病に倒れ、そして悲哀の内にその生涯を閉じた。ヴェッベルグ伯も妻の死の半年後、絶望の中で自ら命を絶った…というのが話の全てだという。
「だが…なぜ公爵家に入れられたヴェッベルグ伯の息子の子孫が、わざわざ伯爵家の姓を名乗ったんじゃ?曲がりなりにも公爵家は王族の血筋。格下である伯爵家の姓を名乗る必要もあるまいに…。」
そうアウグスト伯父が問うと、メスターラー氏は後の話をするために口を開いた。それはニコラウスの話であり、伯父の問いに対する答えだった。
エリーザベトとヴェッベルグ伯の亡き後、エルネスティ家は没落の一途を辿った。ニコラウスが公爵の地位に就いた時には、もはやその座も危うい程に傾いていたという。
そのため、ニコラウスは王にある嘆願を出した。それは、既に滅んだヴェッベルグ伯の姓を復活させ、伯爵家を再興するというものだった。
どうやらニコラウスは伯爵家と公爵家の関係を知っていたようで、王にもそれは嘆願書で触れていたようだ。その嘆願書は紛失しているが、そうでなければ公爵家が伯爵家を復興させるなど王が許す訳がないだろう…。
そうしてニコラウスは伯爵家の復興を果たすが、その後なのだ…資料が改竄され始めたのは…。
「メスターラーさん。今の話だと、公爵家…自身が守るべき家に非難が及ぶよう仕向けていることになりますが、それは一体どうしてなんです?」
俺は首を傾げて問い掛けた。この話が真実ならば、自身さえその身分が危ぶまれる筈だ…。なのに、ニコラウスはそれと知りながら伯爵家を復興させたことになる。
だが、それにさえメスターラー氏は答えを調べていたのだった。
「ニコラウスは恐らく、公爵家自体を討ち滅ぼしたかったのではと考えます。その理由として、彼には公爵家の血が半分しか流れていない。いわば純粋な直系ではないのです。そうなると、わざわざ伯爵家を復興させたことも頷けます。王がそれを了承したこともね。そして何より、先祖が自分の娘であるエリーザベトの死に無関心であったことが、このニコラウスには赦せなかったのでしょう。そのためか、資料内でのエルネスティは全て格下として描かれ、ともすれば単なる使用人扱いなのも理解出来ようというものです。」
エルネスティ家への憎悪…だとすれば、それはにわかには信じられない程に大きなものだったに違いない。資料の中には、民が暴徒化して伯爵を殺した…なんてものもあるくらいだから、当初のニコラウスは民さえも憎悪の対象だったのかも知れない。
だが…そこまで憎めるものか?顔も知らない曾祖父母なんて他人も同じ。そんな二人のために地位や名誉を捨てるなんて真似出来るのか?
いや…未だ何かあるはずだ。そこまで彼…ニコラウスを突き動かした何かが…。
「ニコラウスというのは、一体どのような人物だったんですか?」
俺がそうメスターラー氏へ問うと、彼は溜め息を洩らして答えた。
「それですが…彼を知る手掛かりは、全て意図的に抹消されてるんです。どうもニコラウス自身が消した様で、若かりし頃の彼を知る術は皆無でした。晩年の手記が少し残るのみで、後は全く見付からなかったんです。」
「そうですか…。」
まぁ…そうだとは思ってたが、晩年の手記しか残らない程に自分の何を消したかったんだろう…。
現在では、もうヴェッベルグ家もエルネスティ家も存在しない。この二つの名家に、一体何が隠されてるというんだ?
それに…ヴェッベルグ伯とエリーザベトの婚姻理由もいまいち良く分からない。幸福だった…それは資料からも解るが、婚姻以前、二人はどこで知り合ったんだ?そもそも、ヴェッベルグ伯が公爵家の令嬢に自ら結婚を申し込むなんて…。
たが、最大の謎は…エリーザベトがなぜ顔半分を失う程の火傷を負ったかだ。この件には、未々疑問点が多い…。
「フリッツ。エリーザベトだが、なぜ顔に火傷を負ったんじゃ?」
アウグスト伯父も俺と同じ疑問を持った様で、メスターラー氏へエリーザベトの火傷の理由を問った。メスターラー氏はその伯父の問いに、表情を曇らせて驚くべき事実を口にしたのだった。
「エリーザベトの火傷ですが…父である公爵に負わされたそうです。」
「…!」
俺達はそれを聞き言葉を失った。負わされた…ということは、故意に焼いたということだ…。実の父が娘の顔に火傷を負わせるなんて…尋常じゃない。
「なぜ…父が娘の顔を?」
俺が恐る恐る尋ねると、メスターラー氏は深く溜め息を吐いてこう話してくれたのだった。
「どうやら…夫人が浮気していたと思っていたようです。公爵は思い込みの激しい性格だったようで、相手の男は八つ裂き刑にされ、夫人は地下牢に入れられたとされています。男と夫人が刑に処され時、既に三歳になっていたエリーザベトは公爵に折檻され続け、その時運悪く暖炉へ倒れ込んでしまったと古文書にはありました。尤も、これは三つ隣の町のぺテロ教会に残されていた筆者不明の古文書で、七十年程前に古い聖書の表紙から見付かったものだそうです。聖書に隠す程、この事実を後世に伝えたかったのでしょう…。」
隠さなければ消されてしまう…そう筆者が考えていたのなら、これは事実で間違いないだろう…。
しかし、そんな怪我を負ってよく生きていたと思う。当時の医術ではかなり厳しかったに違いないからな…。そもそも、暖炉へ倒れるなんて…意図的にやったとしか考えられない。夫人が浮気して作った子だと断定する術もなかった筈だが、その思い込みが娘すら憎悪の対象にするなんて…。
恐らく、公爵は娘エリーザベトを消したかったのだろう。だが、いかな公爵でも身内を手にかければ周囲に責められる。王にさえ煙たがれる筈だ。
しかし…不慮の事故だったらどうだろう?それであれば責められることもなく、公爵にとっては好都合というものだ。
だが、エリーザベトは生きていた。その誤算は公爵を震え上がらせたに違いない。
その後のエリーザベトには、王がわざわざ遣わした乳母がつくことになったのだから…。
「しかし…こんな公爵が領主なんて、民が知ったらどうなっただろうな…。」
溜め息混じりに俺が呟くと、メスターラー氏はそれを聞き取って言った。
「知っていたようですよ。ですが…彼の機嫌を損ねると、公爵はその家族でさえ領地から追放したそうで、民は常に見て見ぬふりをしていたらしいです。」
とんでもない暴君だな…。だとしても、公爵は王より強いわけじゃない。曲がりなりにも領地を預かる公爵なのだから、酷ければ王の耳にも入った筈だが…。
まぁ…現代社会にしても、表と裏の顔を使い分けてる地位ある人間なんてごまんといるし、この公爵にしてもまた然り…と言うことなんだろう。
全く…虫酸が走る…。
人の欲が欲を呼び、それが人の身を滅ぼす。それを解ってながら、人はなぜ同じ過ちを繰り返すのか…俺には理解出来ない。それが人の性だとしても、またそれに打ち勝つだけの精神だってある筈だ…。
俺はそんな答えの出ない問いを自分に投げ掛けながら、再びメスターラー氏の話に耳を傾けたのだった。
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