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藤崎京之介怪異譚

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case.6 「闇からの呼び声」
  Ⅳ 12.14.AM10:13



 この日、とある大学教授の葬儀が執り行われていた。その為、俺も楽団員達も駆り出され、それは厳かに行われていた。
 だが、ここでは通常とは異なり、亡くなった教授自ら指定した葬儀の遣り方で進行されており、演奏曲目も全て指定されていたのだった。
 しかし…その曲目の中に、一曲だけ不可思議なものが紛れていた。大体はブクステフーデ、パッヘルベル、バッハの葬儀用の音楽が充てられいるのだが…その一曲だけが葬儀用のものではないのだ。その一曲とは最後の演奏曲目で、バッハの“復活祭オラトリオ"からの終結合唱。
 この曲はキリストの再来を歌ったもので、無論、葬儀用の音楽ではない。家族にも確認はしてはみたが、何故それを選んだかは解らない様子だった。それでも指定があるのだからと、家族はそのままで演奏してほしいとの要望だったので、俺達はその通りに演奏することにしたのだ。
 この葬儀は、およそ三時間に及ぶ大きなもの。通常はここまでしないが、今回の葬儀は特別だという。
 宣仁叔父の話しでは、この亡くなった教授は随分と顔が広く、自分の専門分野以外にも幅広い知識を有していた。その為、友人知人だけでなく、学生達からも厚い信頼を寄せられていたそうだ。奥方は五年前に亡くなっていて息子夫婦と共に暮らしていたが、歳のせいか風邪を拗らせてしまい、そのまま悪化させて亡くなってしまったそうだ。
 今、俺達の前には溢れんばかりの人々が集い、それがこの教授の人柄を偲ばせていた。
「彼は実に素晴らしい人物でした。彼は自らに与えられた才を惜しむことなく、誰よりも教育の為に力を注ぎました。信仰心も強く、毎週欠かさず教会へ通い、貧しい人々のために多くの寄付もしておりました。彼は地の富ではなく、天にその富を備えることが出来たことでしょう。」
 この日、宣仁叔父は神父としてではなく、故人の一友人として弔辞を述べていた。長い付き合いがあったようで、様々な事柄を聖書の引用などを用いて人々に語っていた。
 だがその時、急に辺りがざわめき出し、中には叫び声を上げる者や失神する者まで現れ、宣仁叔父と俺達は後ろ…祭壇の方へと視線を向けた。すると…そこには棺に横たわっている筈の故人が起き上がっていたのだった。
 さすがに宣仁叔父も俺達も、余りの衝撃で声も出せなかった。まさか遺体が葬儀の真っ最中に起き上がるなんて…予想なんて出来ようもない。
 起き上がった教授の瞳は濁っており、無論、血色など無いに決まっている。そんなものが起き上がって見ているのだから、人々が恐怖で怯えるのも仕方無い…。
「…なんと言うことだ…!」
 これは…シンクレア神父の時と同じ…。忌まわしい悪霊共が、今度は叔父の友人の中へと侵入したのだ。
 宣仁叔父は周囲の人々のざわめきを余所に、友人の変わり果てた姿へと叫んだ。
「イエス・キリストの御名により命ずる!忌まわしいき悪霊よ、我が友の躰より退け!」
 そう言うや、近くに備えてあった聖水を手に取り、それを遺体へと浴びせかけた。だが…それは何の効果も齎さなかった。遺体となった教授はそれに対しニタリと笑い、茫然とする叔父へと言い放った。
「このようなまやかし、何故我に効くや?愚かな人間、真実を知らぬ者。貴様らはただ、死ぬために生きているのだ。今、その身が朽ちても良かろ?」
 奴がそう言ったかと思った刹那、宣仁叔父は弾かれる様に飛ばされてしまった。それを見た人々は恐怖に狂い、聖堂内はパニック状態になってしまったのだった。
 俺は飛ばされてしまった宣仁叔父の元へと駆け付けて抱え起こすと、叔父は囁くように言った。
「何をしている…早く…早く演奏をせんか…!」
「何を言ってるんですか!そんな場合じゃ…」
「早くせい!」
 叔父はなけなしの力で俺を怒鳴ると、痛む躰を引き摺るように立ち上がった。
「私が足止めしているうちに…早く始めるのだ!」
 俺はハッとした。次に演奏されるべき曲は…例の最後の曲だったのだ。何かが関係しているとは思っていたが、まさか…こういうことだったなんて…。
 その事に気付いた俺は、団員達の元へと戻った。そこには誰一人欠けることなく、全員が俺が戻るのを待っていたのだった。内心は今にも逃げ出したいだろうに…。だが、これさえも自分達の仕事だと感じているようだ。長い間、こんなことばかりに付き合わせた俺が悪いのだ。
 こんなことに慣れてはいけない…俺が一番良く解っている筈なのに、俺は団員達へとそれを強いていたのだ。何て無様なんだろうな…俺は…。
「先生、始めましょう。」
 俺にそう言ったのは、他でもない田邊だった。彼がこういうのを一番嫌ってるのにな…。
「ああ、そうしよう。」
 俺は今ひととき、自らの罪悪感を切り離してそう言い、そのまま団員達の前に立った。すると、皆は一斉に楽器を構え、俺の合図を待ったのだった。
 音楽…これが俺達の武器であり、そして…神への祈りそのものなのだ。いかなる攻撃にも負けない。いや…どんな悪にも屈しないものなのだ。
 俺は一呼吸置くと、そのまま勢い良く腕を振り下ろした。すると、目の前から高らかなトランペットと華麗な合奏が響いた。その音に、聖堂で乱れ惑っていた人々の動きが止まった。それどころか、動く屍となった叔父の友人さえ動きを止めたのだった。
 この音楽"復活祭オラトリオ"とは、初稿は貴族のために書いた世俗的なカンタータだった。それをバッハ自身が教会用のカンタータに打ち直し、その後の改訂時にオラトリオの名を冠した。現在演奏される稿は改訂時のもので、教会カンタータ稿には現在のものに小さな4声コラールが付随していた。今演奏しているのは、無論オラトリオ稿で、コラールではなく晴れやかな自由合唱曲。歌詞に至っては既に復活後のことに触れており、イエスの再来にまで及んでいる。イエスの復活と再来は全ての死や悪の滅びを意味し、神への信仰を鼓舞するに相応しい楽曲と言える。だが、何故この曲を加えなくてはならないと解っていたのか?俺にはそれを知る術はないのだ。
 俺達が演奏を終えた時、人々の混乱は収まっていた。そして、人々を怯えさせたあの動く屍も…ただの骸へと戻っていたのだった。
 後から宣仁叔父に聞いたのだが、この時、奴は未だ完全に覚醒してなかったというのだ。だから、この程度で引き剥がすことが出来たのだ。もし、完全に覚醒していたら…シンクレア神父と同じ様になっていたという。
 あんなもんが幾つも町中を徘徊してるとこなんて…想像もしたくない…。そんな光景はホラー映画だけで充分だ。早くこれを解決せねば、次に誰が狙われるか分からないからな…。
 団員達に人々を落ち着かせるよう指示すると、俺は宣仁叔父を探した。すると、宣仁叔父ではなく、アウグスト伯父が俺の所へと来て言ったのだった。
「京之介、宣仁は病院へやるために別室へとやったわい。わしが見たところ、肋が数本折れとったし、腕や足も打撲しとったからのぅ。」
「そうですか…。完治にはどれ程かかると思いますか?」
「あやつも歳じゃし、一月は見た方が良いじゃろうな。」
 アウグスト伯父はそう言うと、仕方無しと言った風に溜め息を吐いたのだった。
 俺はこれからのことを考えた。宣仁叔父が戦線離脱となれば、今まで考えていた作戦は使えない。アウグスト伯父が言ったように、宣仁叔父も随分なお歳だ。完治するまで迂濶に動かすなんて出来ないからな…。だが、ここで足踏みしている訳にもいかない。
「かなり活発になってきとるのぅ…。」
 アウグスト伯父は周囲に聞こえないよう俺へと囁いた。
「ええ…。このままでは、また次々に犠牲者が出るでしょう。何としても止めなくては…。」
「そうじゃのぅ…。これはもはや空間記録の模写とは違い、そう容易く事が運ぶとは考えられんしのぅ。」
「それが問題なのです。今までの対処法で、どこまで太古の霊を追い込めるかが分かりません。私には音楽と信仰しか武器がありません。だから…これで遣るしかありません。」
 俺がそう言うと、アウグスト伯父は俺の肩に手を掛けて言った。
「お前はそれで充分じゃ。それ以上のことは考えんで良い。今、お前が遣るべきことは、その音楽で人々を癒すことじゃ。」
「しかし…それでは…。」
「いいか、よく聞くのじゃ。この件で、少なからず町に恐れが広がるじゃろう。人の恐怖は霊を助長させおる。それを少しずつでも取り除けるならば、早い段階で悪霊どもの計画を打ち崩すことも出来ようて。」
 俺は伯父の言葉に、妙な引っ掛かりを覚えた。アウグスト伯父は“悪霊共の計画"と言ったが、今まで誰も“計画"なんて言わなかったし、そういった風には考えていなかった。飽くまでも、何かが点在しているといった感じだからだ。伯父とてそれは解っている筈なのだが、なぜそんなことを言ったのだろう…。
「伯父様…。」
「お前の疑問は分かっとるよ。」
「それじゃ…どうしてそんなことを?」
「…それはな、この地方にある聖堂や教会が…同じような伝承の上に建てられとるからじゃ。」
 それを聞き、俺は眉を潜めた。それが初耳だったからだ。だが、そのアウグスト伯父の話を聞いてはっきりしたことがあった。
「伯父様…まさか、私はこのために呼ばれたのですか?」
 俺がそう問うと、アウグスト伯父は顎髭を擦りながら渋々と話始めた。
「その通りじゃ…。当初はお前を呼び寄せるつもりは無かったんじゃ。先手を打って早々に片を附ける予定じゃったが…わしらだけではどうにもならんかった…。」
「えっ…!?宣仁叔父様も居てですか?」
「そうじゃ。最初に元さえ断てばどうにかなると考えとったんじゃが、その肝心な大元が分からんかったんじゃよ。どの教会や聖堂の古文書を調べても、全てが似たり寄ったりでのぅ…。原本が分からんようになっとったんじゃ…。」
 そこまで言うと、アウグスト伯父は深い溜め息を吐いた。
 恐らく、伯父達が当初考えていた事柄だけでなく、新たに分かったことが伯父を悩ませているのだろう。まるで先の見えない螺旋階段を登っているようだ…。
 俺は困り果てているアウグスト伯父に、こう問い掛けてた。
「それは…誰かが故意に手を加えた…と?」
「そうとしか考えられんの。その為、お前をわざわざ呼び寄せたんじゃしな。未だ時間があるのであれば、お前を平穏な生活から逸脱させたりなどせなんだ。」
 その答えを聞き、俺も伯父と同じ様な溜め息を洩らした。
 恐らく、この件については何年も前から動いていたのだろう。この伝承はこの地方では有名らしいし、前回の資料からも年月が分かってるし…。
 だが…宣仁叔父とアウグスト伯父の二人でも解決出来なかったことを、どうして俺なんかを呼び寄せて解決出来ると考えたんだ?それに…聖アンデレ教会のことはどうも手を着けてなかったようだし…。一体どうなってるんだ?
 俺が思考を巡らせていると、伯父は徐に窓辺へと歩み寄り、そこから外を眺めながら再び溜め息を洩らした。
「わしらが迂濶だったんじゃ。もう少し早ぅに気付いておったら、こうも後手に回らずに済んだんじゃ…。」
「何が…ですか?」
 俺がそう問うと、伯父はこちらへと振り返ってこう答えた。
「全ての教会、聖堂に保管されとる同種の資料は、同じ者によって書かれとったんじゃ。」
「それって…」
「お前の考えとる通りじゃ。その同一人物が、意図的に同じ事件に別の脚色を施してばらまいたんじゃ。それ故に原本が辿れんかったんじゃよ。要はじゃ、その人物が各地で同じ禍を意図的に起こした可能性があるということじゃよ。単なる噂だけでは、さすがに教会や聖堂は建たんからのぅ。」
 俺は…正直分かっていなかった…。伯父の言ったことが正しければ、何故そんなことを行う必要が?それも、この伝承は一つ二つじゃない。
 それじゃ、それらが全て実際に起きた事件によるものなのか?いや…それはいくらなんでも飛躍し過ぎてる。ともすれば、他の事件さえ同一犯に仕立てたと考えた方が筋が通る。とすれば…この資料を書き残した者は、例のエルネスティという人物ではないに違いない。
 では、この資料を書き記したのは…一体誰なんだ?悪戯にしては度を越えている。これはもはや…“執念”と言っても良いだろう…。
「伯父様…この件、エルネスティという人物とは無関係なのではないでしょうか?」
「…何故そう思うのじゃ?」
 伯父に問われ、俺は暫し考えを纏めてから口を開いた。
「第一に、残されている不鮮明な内容の資料ですが、どれも犯人が別人である方が自然です。それを故意にエルネスティなる過去の人物を登場させることで、わざとうやむやにしています。第二に、ここまで資料を改竄出来る人物は…かなりの地位がなくてはならない。わざわざ教会や聖堂を建てさせられる程に…。これでは、まるで犯人を知っていて庇っているように感じます。」
「要するに、事件そのものを闇へと葬りたかった人物が居る…と、そう言いたいんじゃな?」
 伯父の言葉に、俺は頷いて答えた。
 俺の反応に、伯父は腕を組ながら再び窓の外へと視線を変えて呟いた。
「では…一体誰が…。」
 それに俺は答えなかった。未だその答えに辿り着くヒントを得ていないのだ。恐らく…残された資料を書いた人物の近親者が事件を起こしたと推測出来るが、その人物を探し出す手掛かりはどこにもないのだ。
「メスターラー氏の調査を待ちましょう。」
 俺がそう言うと、アウグスト伯父は「そうじゃな…。」と囁くように答えたのだった。



 
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