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ソードアート・オンライン‐黒の幻影‐

作者:sonas
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第2章 夜霧のラプソディ  2022/11
  誰かの記憶:微睡を醒ます曙光

 最期の瞬間――――狼のモンスターに飛び掛かられ、HPが無慈悲に奪われてゆくのを満足に抵抗することも出来ないまま、私のSAOでの戦いは幕を閉じた。レイは、リゼルは、ニオは、無事に街まで辿り着けただろうか。出来れば《蘇生アイテム》なんてものに執着せずに、これから誰一人欠けることなく、無事にこの世界から生還してほしい。
 でも、その願いが私の最大の心残りとなった。皆が無事に逃げ切れたのかを私は見届けていないし、これから先だって無事に生還できるのだろうか。その不安が強く私の心の底に淀んで、己が無力さを嘆いた。そして私の嘆きは、このやり場のない感情は焼けつくような怒りとなって、この世界を構成する全てに向けられた。実在するはずのない浮遊城、今なお私を拘束するナーヴギア、そしてこの世界へ私達を引き込んだあの言葉を。
 同時に、最期の瞬間に交錯した視線に言い知れない恐怖を覚えた。迫り来るモンスターの先、茂みの中に潜んでいた女の子は、ともすればそのまま私に存在を気付かせることさえないまま居過ごせただろう。だが、彼女は()()()姿を見せたのだ。その意図を理解することは叶わなかったが、同時に伺えてしまった笑みの秘める薄ら寒さは、誰かが死にゆく光景を愉しむ意思の現れに違いなかった。

 気付いたら、私は叫んでいた。リアルから異世界へ渡るための魔法の呪文だった言葉を、今は忌むべき記憶の発端である言葉を、有らん限りの感情を振り絞って、何度も何度も叫び続けた。この世界に引き込んだのならば、私を元の世界に戻す義務がある筈だと、その役目を課せられただけの言語の羅列に訴え続けた。声になっていたかも分からない、幾度目かの絶叫で、ついに私の視界は森の風景から離れ、その結果として私の意識が途絶える事はなかった。

 霧の立ち込める森から白だけの空間へ。その空間は行き着く果てのないくらい広くて、音も形も何もない場所だった。少なくとも、ただ理解できるのは《私は今なお考えることが出来る》という、脳の機能が健在であるという事実だけ。いや、実際にはそれさえも確かめる術など私にはない。脳を破壊されるまでの数瞬の猶予期間(モラトリアム)を感覚的に引き延ばして生に縋り付いているだけかも知れないし、もしかしたら既に脳が破壊された後なのかも知れない。あるいは、何らかの支障によってナーヴギアが脳を破壊するためのシークエンスに移行出来ない状況にあるのか。

 しかし、これがこの奇跡の限界なのだろう。この白い空間だって、どんな拍子に消えてしまうかも分からない。電源を落とすように、意識が霧散してしまうとも限らない。そういう意味では、今の私は既に終わっているのかも知れない。そう思うと、死にたくないという焦燥感が急激に冷めていくのが分かる。そう思うと、私は心変わりの早いというか、切り替えが早いというか、少しだけ呆れてしまいそうになる。


「皆は、大丈夫よね………」
「に゛ゃッ!? ………お、おしりが………あうぅぅ………」
「………え、だ……誰、というか、大丈夫ですか!?」
「ご、ご親切にどうも………」


 それまで誰もいなかった筈の場所に、黒エルフが落下してきた。涙目になりながら辛そうに腰をさする彼女の頭上にはしっかりとカラーカーソルが存在して、しかもモンスターを示す立派な赤。弓に剣に盾にと重装備なのだが、不思議と敵対的な印象は受けない。それどころか、痛みが引いてようやく立ち上がったあたりで「………あ、この剣と盾なんですけど少しだけお借りしてました。貴女と仲間の方の持ち物ですよね?」と装備の一部を差し出される始末だ。
 そして、それは私のアニールブレードと、ニオのタワーシールドだった。柄尻に付けた羽のストラップはリゼルが初めて作った生産アイテムだし、この盾を構えたニオには幾度となく助けられている。見間違えるなんて絶対に在り得ない。どうして彼女が装備していたのかは気に掛かるものの、害意はない相手なのだし、悪気はないのだろう。不思議と信用できるような、そんな気さえした。


「初めましてですよね。私はティルネルと申します」
「え、わ………私は、その………」
「《クーネ》さん、ですよね?」


 自己紹介を返すべきか、どうして私のプレイヤーネームを知っていたのかを問うべきか、返答を決めかねて言葉に詰まる。
 しかし、黒エルフさん――――ティルネルさんは若干狼狽えたように見えたかもしれない私を慮るように笑顔を見せる。いや、見せてくれたのだろうか。優しい人らしい。


「あ、えっと?………なんで………じゃなくて、ティルネルさんはどうしてここに………?」
「名前を知っていたのは貴女の記憶を夢で見たからです。どうしてここにいるのかという質問ですが、それについてはリンさん………いえ、とある御方に御力添えを賜ったからでして、やっぱり聞いてみないと………こういう異種族のまじないには疎いもので………」


 何らかの理由で私の記憶を知ったという事は分かった。本来なら、警戒して然るべき状況かも知れないけれど、今までこの空間に独りでいた事もあって、自分の事を知ってくれている人が傍に居てくれるのがとても心を落ち着かせてくれる。ただ、不穏な台詞も見え隠れしていたようだが………


「そうですか………ところで、私の記憶を見たって言ってたような気がしましたけど………ホントなんですか?」
「え、ええ………その、私の意思というわけではなくて、偶然見えちゃったというか………割と、細部まで………」
「細部!?具体的に何を知ってるんですか!? 何を見たんですかぁぁぁぁ!?」
「ほ、ほとんどこの浮遊城での記憶と………ふいゅ、浮遊城へ訪れる数日前までの記憶ですごめんなさいぃ!?」


 気が動転してティルネルさんの肩を揺さぶってしまうものの、聞くところに依ると最近のものに限られているらしい。乱れた呼吸を整えながら、少しだけやり過ぎてしまったのを反省しつつ、溜息を漏らして手を放す。感情の起伏が極端に薄れていた所為か、ひどく疲れた心地さえする。プライバシーの露見で取り乱したところで、何が変わるわけでもないのに。


「………こっちこそ、ごめんなさい………はぁ、何やってんだろう………私………」
「いえいえ、むしろこうして気兼ねなく接して下さって嬉しいです」


 そして、失礼な真似をしてしまってもティルネルさんは変わらず笑顔でいてくれる。本来ならばシステム的に生成された無機質な存在である筈なのに、人間と大差ない受け答えを見せる彼女は確かに不可思議であるのだが、それ故に不安にもなる。
 ここに迷い込んだティルネルさんは、どうなってしまうのか。それよりも、この人は自分が置かれた状況の得体の知れなさに何も思うところはないのだろうか。あまりに事態を把握していないような様子で、危機感が無さすぎるというか、違う意味で不安にされる。流石に失礼だから口に出せたものではないけど。


「それにしても、何もないところですねー」


 辺りを見渡しながら、ティルネルさんが呟く。何も考えていないわけではなかったらしいので、先の懸念は撤回するとして、エルフの視力――――弓を扱うとすれば視力は高めなのかも知れない。多分――――を以てしても、特異なものを観測できないということだろうか。


「私も少しは探索してみたんですけど、色も形も無いと現在地さえあやふやで………」
「一面真っ白ですから仕方ないですよ。でも、きっと大丈夫です」


 妙に優しい、落ち着かせるような響きの大丈夫という言葉が胸に落ちる。
 この場面における大丈夫とは、どういう事なのか。どうにも理解に至らない。でも、この人の言葉や態度は根拠や理屈を超えて心に届いてくるような気がする。それに何故か、親近感のような何かさえ感じる。まるでこの前にもどこかで会ったことがあるような既視感があって、とても会ったばかりという気がしない。本当に不思議な人だ。


「そうだ。少しだけお話しませんか?」
「………お話?」
「はい。私はクーネさんの事を存じ上げていますけど、クーネさんからして見れば私なんて知らない人なんですし、私だけっていうのが不公平というか………えっと、うまく言えないですけど………せっかく会えたから、私の事も知ってほしいですし………ヒヨリさんだってお話は大事って言ってましたし………」


 そう言いつつ、ティルネルさんは自分で広げた風呂敷で躓いて言葉に詰まる。でも、その言いたい事は良く分かるし、この人は優しいだけじゃなくて、本当の意味で気に掛けてくれている。偶然出会ったような私にさえ、こうして気遣ってくれているのに、まるで値踏みするように観察ばかりしている自分が少し恥ずかしくなってきた。最近は自分に嫌気が差す事が多くなってきた気もするが、この際は気にしないでおくとしよう。


「………そうですね。私もティルネルさんの事をもっと知りたいです」
「………良かったぁ………クーネさん、ずっと気難しそうでしたから、断られるんじゃないかと………」
「いや、そんな事は………というか、私そんな顔してたんですか………?」


 無言でおずおずと頷かれる。諦めたようでいて、この状態に最も不安がっていたのは自分だったのかも知れない。と、深く考えるのも無駄にしかならない。後ろ向きな思考の無意味さは、ティルネルさんを見れば良く分かる。

 とりあえず、目下の疑問は横へ置いて、ティルネルさんと会話をする。会話と硬めの言い方をしても、内容はティルネルさんの身上話や交友関係といった世間話や、友達――――話を聞く限りプレイヤー、しかも女の子――――から聞いたり、記憶で垣間見た《外の世界(リアル)》における情報の中で、ティルネルさんが興味を持った話題なんかを掘り下げただけの他愛もない会話。文化というか、設定というか、根本的な《見てきた世界》が違うだけに話題も受け答えに困るような内容の話題も幾つかあったけれど、それでも気兼ねなく話せる。誰かが傍に居るというだけで、麻痺していた感情の起伏が蘇っていくような感覚を実感しながら、ついつい時間も忘れて話し込んでしまう。


「すごいお姉さんなんですね」
「騎士としては尊敬できるんですけど、女性として振舞って欲しいというか………」
「でも、羨ましいです。私は一人っ子だから、姉妹や兄弟にずっと憧れてたんです。それに、ティルネルさんみたいな優しい妹がいたら、私だったら可愛くてずっと傍にいちゃいそうだなー」
「うぅ、私は別に優しくなんか………」
「お姉さんの話になるとずっとそればかりなんですもん。楽しそうだなって羨ましくもなりますよ。お姉さんに会ってみたい………でも、会えるのかな………」


 ティルネルさんのお姉さんに会ってみたいという、その気持ちに偽りはない。
 しかし、無理だとも、同時に思う。この白い空間に囚われている以上は、私はどこに行くことも、何をすることも出来ない。それどころか今こうして生きているのかさえ不明瞭な状況で夢を持ってしまう事に、未来に希望を持ってしまう事に、明確な恐怖を感じる。叶わない願望を抱いてしまうほど、辛いものはきっとないのだから。



「………という事は、クーネさんも、ここから出ないとですね」
「だって、ここは………」
「出られますよ。私にはもう三人、大切なお友達が出来たんです。ここからクーネさんと一緒に抜け出して、あの浮遊城に戻らないと、私は死んでも死に切れません。今思えば、あの時リンさんに会うために、ヒヨリさんやアルゴさんに会うために、そしてクーネさんに逢うために、きっと、私は生き返ったんです。ここに来る前にリンさんも言ってました。《一度成功した事が、もう二度と成功しないなんて確証はない》と。全てを諦めてしまった私に言ってくれたんです」


 「クーネさんは、諦めるんですか?」と、問いかけを以てティルネルさんは言葉を終える。
 答えは否だ。諦められる筈なんてない。もう一度、レイやリゼルやニオと一緒に過ごしたい。ティルネルさんのお友達という人達にだって会ってみたいし、お姉さんに会ってみたいという願いも偽りのないものだ。これだけ、未練が生まれてしまったのだ。それこそ、潔く死を受け入れてなどなるものか。往生際が悪くとも、私は生きたい。その先をもっと見たい。


「諦めたくないんですよね?」
「………私は、仲間達の許に行かなくちゃいけないんです。あの子達を置いてなんて逝けない………生きなくちゃいけないんです!」
「そう、ですよね」


 気付くと、視界が潤んでいた。ティルネルさんは涙混じりの私の叫びを真正面から受け止めて、相も変わらない優しい声で答えてくれた。そして不意に強く胸元に顔を引き寄せられる。抱き締められたと認識が追いつく頃には、ティルネルさんの隙間から覗く白い空間が僅かに光を放っているような、そんな幻視が映ったような気がした。


「………よく、出来ました」


 より一層きつく抱き締めながら、ティルネルさんはそっと私の頭を撫でる。安心させるように二度、三度と髪を撫で下ろす。


「帰り―――。み-な――――――………」


 頭を撫でられて幾度目か。意識がふと遠くなるような感覚が訪れる。ナーヴギアを起動した時と似たような浮遊感に似たそれは、私の意識を確かにさらっていった。

――――最後のティルネルさんの言葉を、掻き消しながら……… 
 

 
後書き
2章冒頭から遠く離れて二回目となる《クーネ》視点、完結編。


ようやくプレイヤーネームを晒したレイ達のリーダーことクーネ。彼女がティルネルと出会うシーンはどうしても書きたかった場面です。ヒヨリ仕込みの《話せば皆友達理論》を引っ提げて、希望を失って死んだ魚の目状態だったクーネを救う感じでした。二人とも口調が似過ぎですな。
そして、遠くキリトさんと行動を共にする黒エルフの女騎士様は与り知らぬ場所にて増加する謁見希望者にどう立ち向かうのか。まあ、触れる気はないので気にしなくても問題ないでしょう。

ところで、SAOにおいては度々ステータスやシステムの仕様を覆す隠しステータス《意志力》なるものが登場します。本編にもちょくちょく出てくるこれですが、実は2章の裏テーマがこれだったりします。GM権限で発動させた麻痺を打ち破ったり、HP0の状態でアバターが消去される前に攻撃したり、ちょっとトンでもない現象を引き起こすものなのですが、これを考えてるときの私でさえ「《生きたい》という意思がこんな軌跡を起こしたんだなー」って程度のイメージです。

設定的なところで説明すると、アバターが消失したプレイヤーのナーヴギアは脳を破壊するためにSAOからオフライン状態となります。しかし、回線切断から脳破壊シークエンスに移行するまでのタイミングで発せられた「リンク・スタート」の合図はナーヴギアがログインと誤認して再度プレイヤーの意識をオンライン環境へ接続しようと試みます。しかし、オンライン接続が成功したもののアバターがないというエラーを引き起こし、やむなくティルネルをアバターとして収まる形で、かなり不安定なログインとなったわけです。アバターは消えてもプレイヤーデータは健在であり、この状態のティルネルはクーネのポップアップ・メニューを操作可能となりますが、その発想はなかったようですね。ともあれ、不安定な状態であることは変わりなかったのでカーディナルに削除修正されそうなところで手鏡を使って………というところまで来た感じでしょうか。当然、登場人物は誰も知らない裏設定です。


話は変わりますが、2章の幕引きは幾つかルートを考えているのですが、少し決めかねています。
脳内でザックリと纏めたルートは以下の通りです。


1、ハッピーエンド
2、それなりのハッピーエンド
3、ある程度のバッドエンド
4、現実は非常である
5、ひどいよ……そんなのあんまりだよ……


4と5なんてありませんよ。自分の中では1か2なのですが、それを決めるのにまた時間が掛かりそうなので、更新はまた遅れそうです。ですが、次で2章完結です。

ずっと前に1~2話で終わらすとか言ってた気もしますけど、やっぱり無理でした/(^o^)\


ということで、また次回よろしくお願いします。




ではまたノシ 
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