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SNOW ROSE

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兄弟の章
  Ⅳ


 レストランでは、男爵家の葬儀後の会食が行なわれていた。
 男爵も各々の客も、出された料理には満足してくれたようである。
 しかし、ここで思わぬアクシデントが起こってしまった。
「誰ぞ、音楽を奏でられる者はおらぬか。」
 ここはレストランである。予め言っておけば楽団も雇うと言うものだが、今日のこれは違う。全く以て想定外のことであった。
「申し訳ないが、今日は奏者を呼んでおりませぬ。」
 オーナーのサンドランドは男爵の前に出て、苦笑いをしながら男爵に告げた。が、どうにかならんのかと駄々を捏ね始めた。
 酔いもあるが、元来そういう気質なのであろう。
 サンドランドは仕方なしに厨房の中に行って、誰か楽器が出来ないかと問ってみたのであった。
 勿論のことながら、誰も名乗りをあげることはしなかった。そこにいるのは料理人だけだったからだ。
「困ったなぁ…。」
 サンドランドが苦笑いしながら厨房を出ようとした時。
「僕が遣ります。ホールに飾ってあるリュートを貸して頂ければ。」
 そう言ったのはジョージだった。
 傍にいたメルデンは目をパチクリしている。
「先輩…音楽なんて出来るんですか!?」
「少しね。」
 ジョージは仕方ないといった風にサンドランドの下へ行った。
「どんなものでも構わない。あいつは言いだしたら聞かなくてな。この分は賃金に上乗せさせてもらうから、数曲遣ってくれ。」
「分かりました。」
 サンドランドはホッとした表情で、ジョージと共に厨房を出てホールに入った。
 サンドランドはホールの飾り棚からリュートを取出し、そのままジョージに手渡した。
「随分長いこと手入れはされてないが、大丈夫か?」
 不安げに聞くサンドランドに、ジョージは笑って答えた。
「ええ、大丈夫です。弦もしっかりしてるし、調律に少し時間を頂ければ平気です。」
 そう言うや、ジョージは十三本の弦の調律をし始めた。
 サンドランドは男爵の所へ行ってジョージが演奏することを伝え、彼の調弦が済むのを待った。
 数分後、調律を終えたジョージは客の前に進み行き、軽くお辞儀をしてから用意されていた椅子に腰を下ろした。
 周囲から騒めきが起こり、直ぐに静かになった。この幼さの残る青年が、一体…どのような演奏を聞かせてくれるのかという好奇心からだろう。
 ジョージは一先ず、誰でも聞いたことのある舞曲を演奏した。メヌエットやジーグなどの小品を幾つか奏し、その技術が本物であることを証明した。
「まだ十七か八程であろうに。ここまでとは…。」
 フォールホルスト男爵のみならず、客や厨房の料理人一同をも彼の演奏に感嘆の息を洩らした。
 そうして舞曲を演奏し終えたジョージは、最後に歌曲を披露した。
 その歌曲は、葬儀などでもしばしば演奏された馴染みの深い曲の一つでもあった。
 リュートの切ない響きが空間を満たし、ジョージのボーイ・アルトが彩りを添える。


ああ、大地の女神よ
愛しき者が死に逝く時
どうか我も去らせ給え
慈しみ深き女神よ
その優しき心もて
雪の花を咲かせ給え
愛しき者と
永久にあるために

ああ、大地の女神よ
わが願い枯れし時
白き風もて憩わせ給え
その流るる涙もて
わが心潤し給え
愛しき者を
見失わぬように

ああ、大地の女神よ
卑しき者が臨む時
花の棘もて退け給え
おお、情厚き女神よ
その温かき御心もて
永遠の愛を抱かせ給え
この死もて叶えさせ給え


 緩やかな旋律が、聞く者の心を包み込んでいた。
 彼がリュートでの後奏を終えた時には、惜しみない拍手が送られたのであった。
 その中には、感極まって涙するものまであったと言う。
「彼の奏でる音は、どこかしら祈りにも似ている。」
 そう呟いたのは、コック長のアッカルドだ。その横にいたサンドランドも頷いた。
「ジョージの弟だが…あまり躰が良くないと聞いている。彼は必死なのだ。自分に出来ることは全てやってのけるだろう。どうにか力になってやりたいのだがな…。」
 サンドランドはアッカルドに寂しげな顔を見せ、そのまま厨房へ入って行ったのであった。
 そんなサンドランドにつき従うかのように、アッカルドも拍手の鳴り止まぬホールを後にした。

 未だ鳴り止まぬ拍手の中、男爵がジョージの前に歩み出て来た。そして、自らが着けていた指輪を外し、それをジョージに与えて言った。
「実に見事な演奏であった。近年稀に見る逸材よ。亡き我が弟も、さぞ喜んでおるだろう。汝、名を何と申すか。」
 ジョージは指輪を受け取り、膝を折って恭しく礼を取った。そして問いに答えるように、男爵へ顔を上げた。
「私の名は、ジョージ・レヴィンと申します。」
 その名を聞いた男爵は少し驚いた表情を見せ、ジョージに一つ質問を投げ掛けた。
「もしや…六年程前に馬車事故で亡くなった、あのマルクス・レヴィンの息子ではないか?」
 マルクス・レヴィン。リュート奏者であり名高き吟遊詩人でもあった彼は、当時世間を賑わせていた。
 死の三年前に王宮の宮廷楽長に就任し、そこで数多くの歌曲を残した。
 リュート奏法に関しての著書もあり、十三弦の調律を微妙に変化させることにより、多彩な音を紡ぎだしたことでも有名であった。
「はい…。マルクスは…私の父です。」
 その答えに男爵のみならず、周囲の人々も目を丸くした。
 それは無理もない。
 マルクス・レヴィンの家族四人は馬車事故の際、全員が死んだとされていたからである。
「なんと!生きておったのか!何故に王に庇護を願いでなんだ。マルクスの息子であれば、相応の待遇が受けられように。」
 男爵は不思議そうにジョージを見つめたが、ジョージは寂しげに笑って首を振った。
「それは出来なかったのです。私たちを死んだことにしたのは、伯父達だったからです。もし、それを王が知ったならどうなりますか?そんなことより父だったら、全て財産を奪われたとしても心豊かに生きろと言ったと思います。あれ以来、祖父母の下に身を寄せておりましたが、今はこの店で働かせて頂いております。お気遣い有り難いとは存知ますが、どんなに苦労しようとも、皆で生きていさえすれば私は幸せなのです。」
 ジョージは男爵にそう言うと、またリュートに手を掛けた。
 美しい響きが再び空間を満たした。
「ファンタジアか…。」
 今度は亡き父を偲んでか、ジョージが演奏しているのはマルクスのものであった。
 切ない旋律が幾度も繰り返される変奏形式によるこの幻想曲は、マルクス・レヴィンの代表作にも数えられる程の名曲だった。
「なんと美しい…。そうであったか。さぞ辛い思いをしたであろう…。」
 人々はその甘美な響きに酔い痴れ、そして深い感銘を与えられた。
 暫らくの間は閑かであったが、その後、嵐のように拍手が響き渡った。
 ジョージはこれで話しは終わりという風に男爵を見上げた。
 しかし男爵は、何やら考え込んでいる様子で「暫し待て。」と言い、自ら厨房へ足を向けた。
 暫らくの後、男爵はサンドランドと共にジョージの前にやってきてこう告げた。
「ジョージ・レヴィンよ、汝を今よりフォールホルスト家の楽師長に任命する。任命状は明後日正式渡すゆえ、我が館を訪れよ。これより後、汝はその身分もて演奏に対し報酬を受け取ることを許可する。」
 それはまるで宣言のようであった。
「男爵様、それは…。」
 ジョージは男爵の言葉に慌てふためいた。
 楽師長になるということは、実に名誉なことではある。しかし、普通は楽団員から上り詰めるか、名のある楽師に師事して数年修業し、それに見合った力量に達してから推薦されるのが一般的だ。
 ジョージのこれは、それから見ても普通でないことは理解出来よう。
 そして何より、楽師長とは常に使える主人の下に居なくてはならない。それは、この店を辞さねばならぬということでもあった。
「私はこの店ですら見習いの身。直ぐに職を辞せと申されましても…。」
「案ずるな。汝の仕事は月に一度、我が館で演奏することだけだ。」
 男爵の後ろでは、サンドランドが笑っている。
「男爵様、それでは楽師長の名に傷が付いてしまいまゆえ、どうか御撤回下さりますよう…」
「ならん!」
 フォールホルスト男爵は、相当ジョージのことを気に入ったようである。何回かこのやり取りが続いたが…到頭ジョージが根負けしてこう返したのであった。
「…謹んでお受け致します…。」
 このジョージの返答に、周囲から拍手が沸き起こった。だが、当のジョージはため息混じりである。
 その後、ジョージは男爵家の楽団構成を聞き出し、こう付け加えた。
「では、月に一度の演奏には新作を書いて演奏致します。これで楽師長の位にも傷が付くことはないと存知ますゆえ。」
 この言葉は男爵の嬉しい誤算であった。作曲が出来るとは考えていなかったのだ。
 何とも後先考えぬ人物である。
「うむ、それは良い考えだ。晴れた春の日和りには、この店のテラスで演奏させるとしよう。」
 男爵は満面の笑みでそう言ったが、しかし…この男爵の言葉が実現することはなかった。
 それは少し先に語るとしよう。

 こうして二日後には、正式にジョージは男爵家の楽師長の職を賜り、プロとして認められるようになった。前代未聞の出来事として、街中を騒がせたと言う。
 この際、ジョージは男爵とサンドランドの好意で演奏会を開き、思う存分その力量を街の人々に披露したのであった。
 弱冠十六歳の、天才楽師の誕生である。
 時は王暦三百四年三月三日のことであった。

― ケイン、やっとお前の病を治してやれる…! ―

 しかし…その思いは冬の粉雪のように、淡く儚ないものであったのである。



 
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