機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-
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86話
鳴動する閃光。
《リゼル》のロングバレルのビーム砲から高出力で吐き出された光の柱が常闇を文字通り切り裂き、ガンダリウムの装甲に接触するや、秒ほどの抵抗すら許さず堅牢な金属を溶解させていく。
高出力でビームライフルを照射し続けることで、さながらビームサーベルのように目標を両断する。そう言えば、士官学校の教官はそれを「ギロチン・バースト」なんて呼んでいたな、と思った。
溶解した金属はまるで生血だった。超高熱のメガ粒子に穿たれ、傷口を歪に変形させながら血のヘドロを撒き散らしていく。飛び散った血液の飛沫が機体にへばりつき、苦しげに身悶えながらどす黒く変色する。
熱いな、なんていう感触は無かった。そりゃそうだ。メガ粒子の砲弾は数千度―――数万度にも達しようかというものだ。人間が熱いと感じる以前に人間の身体の歯の一本まで蒸発させる。ビームの死の前に、人間らしい痛みなどという感情は許されてなど、いない―――。
(―――悪いな、中佐!)
頭の奥底で閃く鮮烈。泥のように淀んでいた意識が明瞭になり、全身に電撃的な衝撃が奔る。
漆黒の中、白亜の『ガンダム』の蒼い瞳に驚愕が混じる。灼熱の光軸が右脚の膝に直撃し、金属液の血飛沫が飛び散っていく。両断され、死に体となった『ガンダム』の脚が視界の脇を逸れていく。ビームサーベルのグリップを放棄し、白い『ガンダム』が腰にマウントしたビームライフルに手を伸ばした瞬間、その白い体躯目掛けて桃色のメガ粒子が屹立していく。
ビーム光が『ガンダム』の肩を掠る。白い『ガンダム』が怯むのに合わせて蒼の《リゼル》がビームサーベルを抜刀し、《ガンダムMk-Ⅴ》と『ガンダム』の間に割って入るように滑り込むや、ビームライフルの銃口から発振したロングビームサーベルを叩き付けた。
(08、聞こえているか!?)
もう、名前も憶えていない男の声が耳を叩く。
(いいか、良く聞けよ! 中佐が戻ってきてお前を引き入れようとしたってことは何かしらミスでフランドール中尉を取り逃がした可能性がある! だからお前を引き入れて、確実に確保しようとしたわけだ。つまり、今彼女は奴らの手の中には居ない!)
ビームライフルを引き抜き、構えた瞬間に《リゼル》が打ち付けたビームサーベルが銃身を叩き切る。即座にそれを投げ捨て、最後のビームサーベルを引き抜いた白い『ガンダム』がメガ粒子の刃の刺突を閃かせる。左腕上腕部のグレネード/サーベル収納部からビームサーベルのグリップを射出し、マニピュレーターで握りこむや即座にビーム光を力場で固定させ、光の剣を形成し、刺突の剣先を掬い上げる要領で弾き返す。そのまま《リゼル》がコクピットを両断するようにビームサーベルを振るい、間髪入れずに反応した『ガンダム』が打ち上げられた体勢のままビームサーベルを振り下ろし、接触した光の刃同士が鮮烈なスパーク光を迸らせる。
ぎちりと頭が軋む。ぐるぐると身体中を回り始めた血液が沸騰寸前―――否、既に沸点などとうに超え、それでも液体として煮えたぎり続ける血液が思考を明晰化していく。
(今のお前ならフランドール中尉がどこにいるのかわかるはずだ。だからお前が行け!)
「だが!」
(この白い野郎は俺が引き受ける。テメーの女はテメーで取り戻せ。いいな!)
通信ウィンドウの向こうで男が口の端を釣り上げる。不敵な笑み―――それでも、確かに見覚えのある人の良さそうな男の笑みが滲んでいた。
歯を食いしばる。どうして自分はこの男の名前を憶えていないのか。どうして、忘れてしまったのか―――。
(早く行け! お前に構いながら戦える相手じゃねぇ―――!)
至近からのビームライフルの砲撃を躱した白い『ガンダム』の剣光が奔る。袈裟切りせんと放たれた剣が銃身を両断し、立て続けに閃いた刃が《リゼル》の胴体を撫でるように切り裂く。
「―――すまない!」
(あぁ―――じゃあな!)
フットペダルを踏み込む。スラスターを爆発させた《ガンダムMk-Ⅴ》は、剣戟を重ねる2機のMSの脇を抜けるようにして突き抜け、デュアルアイに常闇を映した。
お前ならわかる。
ニュータイプ、という言葉が頭蓋で悲鳴を挙げる。頭のあちこちに遍在する何ものかが、神経を鋭敏に研ぎ澄ませるごとに肥大化し、頭を圧迫していく。
わかっている。その言葉を認めること、己がそれであることを認めることが何を意味しているのか。否、どのような意味を生じさせ、そしてどのような意味を打ち砕くのか。
世界が瓦解していく音だ。ニュータイプという言葉が大地を揺るがし、その上に築かれた世界ががらがらと倒壊していく音。出来上がるのはクレイ・ハイデガーという男の人生という瓦礫の山だ。
だが、そんなことはどうでもいい。先ほど決めたばかりではないか。たとえそれが単なる人形の生き方だとしても、己にできることは己を己として引き受けることしかないのだから。
薄く目を閉じる。
だが、譬え決意なんかしてみたところで頭痛が収まるわけではない。ずきりずきりと硬化し刃のように鋭利になった神経が脳を内側から貫いていくようだ。その度に苦悶の喘ぎが口の端から零れていくのが鬱陶しくてたまらない。
意識を保つのだ。でなければ、エレアのことを―――。
(ハイデガー少尉、聞こえていますか?)
どこかで聞いた声。ミノフスキー粒子に干渉を受け、ざらざらと鑢掛けされたような声が無線通信越しに聞こえたのは、そんな時だった。
※
迸るはメガ粒子の閃光。
迎え撃つは右手に保持したビームサーベルが描く弧を描く煌めき。
接触と同時に炸裂する殺戮の迸りが網膜を焼く――――。
――――神裂攸人がその組織を知ったのは、単なる偶然だった。
士官学校でも成績上位に位置する知り合いのつてでその組織の存在を知っただけで、攸人の方から入ろうと意思したわけではない。ただ、友達付き合いの一環で、その組織の集会に参加しただけだったのだ。
曰く、民主主義という政治概念への拒絶と、新たな秩序の形成。それが、その組織の理念だった。
攸人には馴染み易いイデオローグだ。宇宙世紀に入ってなお、彼の出身である日本では全くと言って民主主義という言葉が浸透していない。元々被害者意識ばかり強く、己の力で何もしていない人種の集まりだ。人からもらったものをただ使い潰していくだけの、無能の集まりなのである。まぁ、それは既に日本だけの話ではないのだがそれはいい。ともかく、民衆に政治を任せていては人間と社会は頽廃するだけであり、より高い身分の人間が政治を執るべきであるという主張を、残念ながら身近に感じることは出来たのだ。
少しだけ、面白そうだな、と思った攸人はそれに参加して、そして元々気品はあったし才気も持ち合わせていただけにすぐに組織に受け入れられていった。
クレイ・ハイデガーの監視を任されたのは、そんな経緯の途中である。将来的に予定されているとある計画のキーパーソンとして、その動向を探る。それが攸人が請け負った任務だった。
クレイがどういう人生を歩んでいるのか―――その裏の内実をも知ったのも、その時である。
初めて見かけたときは知らなかった。だが、その事実を―――人形の人生を知って、攸人の頭に浮かんだのはあの夕暮れの光景だった。
ただ、色のない表情でずっと汗を流し続ける男の姿。
その行為は単に誰かの掌の上で、マリオネットのように動かされるだけの行為以上のものではない。それは単なる無為な行為で、それ以上でも以下でもないものなのだ。
それでも。
それでも、その光景を愛しいと感じたのは何だったのか。偽りの生、虚構の生き様に心が微かに揺らいだのは、何だったのか。
根本的に違うのだ。
神裂攸人は全てを持っていた。特に努力も無く全てを高水準にこなし、全てをそつなくこなせるからこそ、己の人生に満足を感じられない。充実が無い。単なる出来事の通過以上の横溢が無い、空疎な人生。取るに足らないことで満足を覚えている愚かな人間を目にし続けることで感じる世界の愚劣さと、それに共感できない己の非人間感。
クレイ・ハイデガーは何も持っていなかった。どうあがいても自力では水準を少し上回ることしかできず、背後からの権力の戦略ゲームが無ければ凡庸なだけの人生しか歩めなかったはずの人間。己の無能を自覚し、努力を重ね、その度に自分の無力を突きつけられる。その過程で得た微かな達成感を積み上げて建築した砂上の楼閣に満足を覚えながら、そしてその満足の脆さを自覚しながら、懸命にもっと上に行きたいと願い続けた男。操り人形の癖に元々存在していない己の人生に意味を求めようとした、愚かな生き方。
根本的に違う存在で、にも関わらず同じものを、背を向け合って眺めている。
だからこそ思う。
己の対極な人間。その人間がこれから如何に生きていくのか。
ただ、それを見届けるのが己の人生なのだから―――!
(貴様が二重スパイだとは思わなかったな)
閃光の向こう、蒼い双眸が機体の装甲越しに攸人を睨めつける。
(お前はもっと気高い人間だと思っていたがな!)
声が電撃となって鼓膜を突き刺す。スラスターを唸らせた《デルタカイ》が無理やり《リゼル》のビームサーベルを弾きにかかる気勢を察知し、その白い胴体目掛けて右主脚の蹴りを叩き込んだ。
「アンタが変わっちまうからだろうが!」
(何を言っている!?)
「アンタは無辜の民に平気で銃を向ける人間だったか、と問うているのだ!」
蹴りの反動で怯む《デルタカイ》めがけて左腕のを掲げる。上腕部の装甲の一部が持ち上がり、内蔵されたグレネードの弾頭が光の尾を引いて射出され、そのまま《デルタカイ》の胴体に直撃するや、MS1機を破壊するに十分な威力の爆光が膨れ上がった。
倒した、などとは思っていない。だが、微かにだけ―――これで終わった、という雑念が脳裏を掠めた―――のを見計らったように白無垢の《デルタカイ》が炎を切り裂き、蒼い瞳を鋭くと光らせる。
一瞬の油断。それが致命的だったと気づいた時には、ビームサーベルを振りかぶった《デルタカイ》が近接領域を侵略していた。
シールドは間に合う―――ダメだ、と即断する。
既に満身創痍の《デルタカイ》の右腕から、ばちばちとスパークが漏れる。Iフィールドで固定しきれないメガ粒子が揺らめき、まるで中華刀のように幅広く、鋸のように波打ったサーベルが視界に飛び込む。ビームサーベルのリミッターを、解除している―――。
《ゼータプラス》用のシールドを装備している現状、このシールドでビームサーベルは止められない。シールドごと機体を叩き切られるのがオチだ。
(私には為さねばならぬ大義があるだけだ。その道のためには外道にも畜生にもなろう! それが私という存在の負う義務だ!)
乾坤一擲。振り下ろされた刃が《リゼル》に迫る。そのまま攸人の視界を無機的白で埋め尽くし、《リゼル》の体躯ごと両断する―――刹那。
《デルタカイ》の身体が強張るのも束の間、3条の光の槍が上から《デルタカイ》へと降り注ぐ。
1撃は胴体へ。
1撃は右腕へ。
1撃は背部へ。
正確無比の砲撃を、されど白い《デルタカイ》は事前にその砲撃の瞬間を知っていたかのようにスラスターを焚き、攸人から見て左の方へと弾けるようにして飛びのく。一撃だけが背部のバインダーを掠り、赤い残痕が黒い無に尾を引く。
(先行量産型の《リゼル》ではあいつに勝つのは無理だ。お前は下がっていろ!)
「大尉、あいつは―――」
あの機体は、と口にしかけるのと同時に、ビームサーベルを発振した灰色のゼータプラスが視界の上から飛来し、そのまま直下へと過ぎ去る。
青い光刃と桜色の光刃が剣戟を撃ち合う。スパークが連続して真空に爆ぜる光景は―――場違いにも、日本の夏に見られるあの花火を想起させた。
と、機体に何かがぶつかり、鈍い音がコクピットの中を震わせる。
ちょうど、《リゼル》の肩のあたりだ。視線をそちらにやれば、担い手を失った漆黒の銃器が目に飛び込んだ。
銃口部分が長く、ほっそりしたバレル。上側部分には赤いケーブルが走り、蝸牛を思わせる弾倉がブルパップ方式で装備された長躯のメガ粒子砲、KBR-L-94bビームライフルの銃身が、銃把が、銃の細部と全体がひっそりと語りかける。
使え―――と。
静かに、しかし確かな輪郭を持つ声が心臓を捉えた。
《リゼル》の右手を伸ばし、銃把を握りこむ。FCSが認証したサインがディスプレイに立ち上がり、銃の詳細なデータが次々と並んでいく。
(貴様は後でしっかり軍法会議で処罰させてもらう。それまで貴様は貴様の任務を履行しろ)
「―――了解!」
レーダーを一瞥した後、攸人は2機のZが剣戟を打ち合う方目掛けて、フットペダルを踏み込んだ。
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