機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-
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41話
「ごめんなさい、ねぇ」
ニューエドワーズ基地の中でも、最も大きなブリーフィングルームに入ったのは初めてだった。まるで士官学校での座学の講義をする講義室のように、前面に壇が1つ。その壇を囲うように、半分切り取られた波紋のように席が広がっていく。司令の趣味かはわからないが、モカブラウンのモダンな木製で作られたチェアは、薄暗いブリーフィングルームも相まって『いい雰囲気』を醸し出していた。
クレイたち第666特殊戦技教導試験隊の面々は比較的前の席に座っていた。周囲に座るのは、ソウリュウに所属する《メタス改》のパイロットたちとその整備士たちだ。
「なんかお前無理な注文でもしたんじゃねーか?」
深刻そうな顔をしながらも、ヴィルケイの顔色には野卑なそれがありありと滲み出ていた。
「さぁ……覚えはありませんが…」
「そういうのが質わりーんだ。例えばヤるときに変なコスプレしてくれって頼んだとかよ、中でイかせてくれとか無理に頼んだとかよ。デート先のセンスがカスってのも十分ありうるな」
ヴィセンテがそうだそうだ、とさも甚大な出来事に直面した裁判官のように険しい顔をする。発言が発言なだけに威厳もクソもないが、クレイは思わず思惟に耽った。
一昨日の夜に彼女が語ったエレアのあの言葉は一体何を意味するのか。結局彼女はそれについては語らず、未だ闇に包まれたままだ。
自分の素行に問題があった―――ない、と思う。確かにエレアとの行為の際に、何度か『変わった方法』を頼んだことはあったが、エレアはふざけながらも喜んで同意していたハズだ。後者についてはそもそも頼んですらいない。デート先―――サイド3から帰ってから一度だけ歓楽街に2人で遊びに行ったがどうだっただろう? 後で攸人にでも聞いてみようか。
いや―――クレイはなおもって顎を人差し指と親指で挟む力を強めた。クレイにとって問題がなかっただけで、彼女に何か問題が生じていた、と考えることは可能だろう。もちろんそれは行為に関係なく、だ。だがだとしたら「ごめんなさい」と言うだろうか?
うーんと悩んでいると、ぱかんと軽く頭を打つ衝撃を感じた。
「バカ2人の言うことをマトモに受け取るんじゃないわよ」
目を細めたジゼルがヴィルケイとヴィセンテを睨めつける。
「あんまし事情はよくわかんないけど、多分エレアはエレアで悩んでるんだと思うから待ってあげたら?」
「聞きに行かなくて大丈夫でしょうか。悩みがあるなら一人で抱えるべきではないかと思うのですが…」
「まぁそれはそうなんだけど。でも、なんでもかまってあげるのが良いことじゃないからさ。愛をもって接すれば誰しも応えてくれるってのは、ちょっと違うと思うんだよね」
言いながら、ジゼルは備え付けのデスクに置いてあったプラスチックカップのコーラを呷った。
「もちろんクレイの気持ちが間違ってるって言いたいわけじゃないよ。もしあの子が頼ってきたら一杯話を聞いてあげてね」
ジゼルが微笑を浮かべる。はい、とクレイが頷くと、ジゼルは荒々しくクレイの髪をぐしゃぐしゃにした。
ブリーフィングルームを見回す。クレイの周辺はともかく、だだっ広い『講義室』には彼女の姿は無かった。フェニクスの姿も無いのは、多分ウォースパイト機動打撃群司令やらお偉いさんとの話し合いに出ているためだ―――。
と、視線を巡らせていたクレイは、入り口から男が入ってくるのを確認した。
黒髪で、東洋人に特徴的な幼げな顔立ちながらがっちりとした体つきをした男―――攸人はブリーフィングルームに入ると、きょろきょろと視線を巡らせた。呼ぼうかどうか迷っているうちに、クレイの姿を見つけた攸人は入り口付近でぴょんぴょんと跳ねた。
「遅かったな?」
オーウェンは特に表情も変えずに、通路を降りてきた攸人に声をかけた。
「寝てたんだ」
てへ、と舌を出す攸人。「お前って奴は……」とクレイが言いかけると、クレイの小脇をヴィルケイが小突いた。
「お偉いさん来なすったぜ」
くいと顎をしゃくる。攸人が入ってきた上階の入り口と異なり、部屋の隅っこの物々しいドアが開く。入ってきた男は、案外ひょろひょろとしていたが、纏っていた雰囲気はなるほど参謀のそれだった。
襟章は赤地に黄色のラインが2本。2つの星が煌めくそれは、中佐を示す階級章だ。佐官クラスともなれば基本雲の上の人間である。自然、クレイは身を引き締めた。
男が壇の上に立つ。それを合図に、ブリーフィングルームの人間全員が立ち上がり、男に敬礼をおくった。中佐は特にそれに圧倒された風でもなく敬礼を返すと、すぐに身振りで座るように指示する。
「ウォースパイト機動打撃群司令補佐官のポール・カニンガン中佐だ。初見の人間もちらほら居るだろうが、自己紹介は資料に目を通しておいてもらう」
ポールと名乗った男がクレイたちのほうを一瞥した後、逆側へと視線を向ける。クレイもその視線を追うように、向こう側へと目を向けた。
薄暗がりの中で、金髪を撫でつけるようにしたオールバックの男が目に入った。同じニューエドワーズの試験部隊で、今回の実戦試験に参加する部隊だ。確か―――パラパラとクレイは手許のタブレット端末の資料を探索した。
AN-02。《ゴッドフリート》と暫定的に愛称が付けられた、《ジェガン》の強化発展機の実戦実証を行う部隊だ。配備されている機体は《ゴッドフリート》2機にベンチマークに《ガンダムMk-V》のインコム非装備型が2機―――隊長は、ケネス・スレッグ少佐とあった。
「さて、では今回の作戦の概要を説明しよう」
男が壇の上に置いてあったリモコンを操作すると、鈍い音を立てながら大型のスクリーンが天井から展開する。プロジェクターが投影スクリーンに映し出した映像は、L1ラグランジュポイントに存在する旧デラーズ・フリートの拠点『茨の園』の戦略マップだった。
「わざわざ説明するまでも無いとは思うが、今年連邦政府が発表した防衛整備計画に伴って再びコロニー復興計画を再始動することとなった。壊滅したまま放置された新生サイド4が『ルウム』から『フロンティア』へと改められることになったのは、諸君らの記憶にも新しいだろう。本格的にL1ラグランジュで新造コロニーを建設するに際、障碍となったのが茨の園だ」
ポールが降り返る。ブリーフィングルームに集う人間たちも、一斉に茨の園の戦略マップを見やった。
茨の園。一年戦争最後の戦いとなったア・バオア・クー戦の後、連邦軍に降伏するのを良しとしなかった旧ジオン公国軍残党は、地球圏から遠く隔たった小惑星地帯へと向かった勢力と、地球圏にとどまり、地球連邦軍との戦闘を望む抗戦派に分かれることとなる。ギレン・ザビに心酔したエギーユ・デラーズもそうした抗戦派の1人であり、UC.0081年にデラーズ・フリートを結成。2年後のUC.0083年の宣戦布告と「星の屑作戦」は公には秘匿されることとなり、その全貌が明らかにされたのはつい最近のことだ。一年戦争後最大の紛争となった『デラーズ紛争』の首謀者たるデラーズ・フリートの拠点『茨の園』が、L1ラグランジュポイントに存在していたのだ。
クソッタレなテロリストども―――琳霞の声が残響となって鼓膜を揺らした。ジオン共和国国防軍の面々の姿は、前列に座っているが故にすぐに見つかったが、薄暗いせいで誰が琳霞なのかはわからなかった。
サイド3出身の人々はどう受け取っているのだろう。そもそも彼らが作戦に参加した理由は、形式上は地球連邦軍とかつてのジオン公国軍を母体とした共和国国防軍の固い結束などとは言われているが、その内実は地球連邦政府への帰属を示すためでしかない。琳霞のような人ならともかく、サイド3ではナショナリズムが称揚されているという。一歩間違えればクーデターでも起きかねないのではないか―――そんなことはお偉いさんが考えている筈だが、それでも多少は気にしてしまうものだ。
―――なるほど、と理解した。新生サイド4の開発に手を出せなかったのも、同ラグランジュの茨の園の存在が障碍だったということだ。下手にコロニー公社の調査が立ち入れば、葬ったはずのデラーズ紛争の闇が噴出しかねない。
「理由は従来まで無人地帯だった茨の園を武装勢力が不法に占領している点にある。度重なる降伏勧告を無視、地球連邦政府に対し武力行使を辞さない態度を表明した。武力衝突は避けられない事態だ。我々の任務は茨の園を不法に占拠する敵性武装勢力を排除、新生サイド4フロンティアの秩序の回復にある」
一端そこで話をきったポールは壇の上に置いてあったペットボトルの水をぐいと一飲みした。
「さて諸君らMSパイロットに重要なのはこんな情報ではないな―――敵性武装勢力の大半はジオン残党が占めるが、旧連邦系の装備も確認されている。そのほとんどは実弾装備で我々の現在の装備に対しては敵ではないと言えるが、近年ネオ・ジオンが茨の園の基地能力から接近しているとの噂もある。諸君らにはMP兵装を実装しているとの認識で行動してもらいたい。また詳細は各部隊大隊長から説明があるとは思うが、茨の園の直接的な破壊は極力避けるようにしてもらう。かつてのデラーズ・フリートの軍事力を支えた茨の園の軍事拠点としての能力は、フロンティアサイド復興に大きく寄与するからだ」
そこまで言って、ポールは咳払いした。
「なお、茨の園の直接の制圧はECOSが行うことになる。諸君らMS部隊は、ECOSの陸戦部隊潜入の障碍となる敵MS部隊、あるいは迎撃用に各所に設営された固定砲台の破壊を担当することになる。いいな?」
さっとブリーフィングルームが静まったように感じた―――それは、きっと気のせいではないのだろう。
地球連邦宇宙軍特殊作戦群は、新設の特殊部隊として地球連邦軍でも知られた存在だった。
曰く、『人狩り部隊』。対テロ用に新設されたばかりの即応部隊の任務は情報収集・拉致・暗殺と多岐にわたる。しかし、テロ集団暗殺任務において結果として33人もの子どもを死傷させた一件以降、地球連邦軍の一般部隊からは忌み嫌われる部隊となってしまっていた。そのECOSが参加する。もちろん事前に通達のあったことであるが、改めて複雑な感情を惹起させてしまう。
だが、とブリーフィングルームに姿を見せない特殊部隊の姿を思う。特殊部隊のその実力には疑いを挟む余地がないのは事実だ。百戦錬磨の部隊が味方に付くのは、それはそれで有益なのだ。
感情は別問題ということか。未だ連邦軍に入りたてのクレイはあまり思うところがないが、どこかピリピリしたブリーフィングルームの雰囲気が雄弁に物語っていた。
「任務の概要は以上だ。さて、我々は当政府命令第29871号をオペレーション:シャルル・ド・ゴールと命名した。壊滅したルウムの奪還とフロンティアの復興のため、諸君らには尽力してもらいた」
ポールが敬礼する。ブリーフィングルームの全員が立ち上がり、敬礼を返した。
壇の上のペットボトルを持ったポール・カニンガン中佐が敬礼を解き、出口へと去っていく。その姿を眺めていたところで、後ろの席に座った攸人がクレイの肩を突いた。
「なんでド・ゴールなんだ?」
「機動打撃群の司令がフランス系のルウム育ちだからじゃないの。予想だけどね」
納得したように頷いた攸人は、椅子に腰を下ろしてポールの方をなんともなしに眺めていた。
その旗艦がかつての英国の戦艦の名を受け継いでいるというのも洒落が効いているのか皮肉が効いているのか。一応、『救国の聖処女』の名を関する艦はいるのが救いか―――。
ざわざわと騒ぎが大きくなっていくブリーフィングルーム。
どこか日常の延長のようにも感じられるその喧騒を、クレイは途方に暮れたように眺めた。
実戦―――。
クレイは、形をもったその言葉に、隠微に身震いした。
※
ラー・カイラム級機動戦艦ジャンヌ・ダルク。
第一次ネオ・ジオン抗争―――正確にはそれ以前から見られたが―――以降、戦争が大規模な戦乱から小規模な武装組織が起こすテロリズムへと移行していくにつれ、地球連邦軍が武装の性能の中で重視したのは一重に機動力だった。武装勢力が出現した場所への素早い展開力の重視は軍事システムの改革に及び、それに伴い要を成す艦船の見直しへと進むことになる。即応部隊として編成される機動打撃群や、独立作戦群『ロンド・ベル』は、従来のマゼラン改級戦艦では機動力に難ありとし、新型の戦艦の開発を要求。それに応える形で開発されたのが、ラー・カイラム級機動戦艦だ。24機2個大隊規模のMS搭載能力を有する厖大な格納庫は、しかし今は酷くこざっぱりとしたがらんどうだった。
格納庫には人間味を感じさせる音はしておらず、ただ機械的な音だけを立てながら、ECOSの隊員たちは人員輸送艇V-SFS-90C《ベース・ジャバー》の整備をしていた。
ガントリーに立ち並ぶ機体は2機。内1機、ダークブラウンに染め上げられた機体もまたECOSのMSだった。
RMS-139B《ハンブラビ》。航空機の鋭角さと海洋生物の滑らかさを感じさせる特異なデザインのMSは、可変機ながらも《ゼータプラス》より遥かに簡便な変形機構による高い整備性の高さと閉所における格闘戦能力を見込まれ、特殊部隊向けに少数生産された機体だった。本来歩兵を主要な戦力とするECOSにあって、MSは歩兵支援目的で投入される戦力だが、それでもMSを運用すること自体は珍しいことではなかった。
―――だが。
《ハンブラビ》の隣に佇む機体は、明らかに異様だった。
四肢をもった様は人体そのものだが、その背部に装備されたユニットは翼を想起させる。ダークブラウンに身を窶しながらも、全身に施された増加装甲で全身を覆い隠し、人体に相似的であるのに対して怪物のようでもある外観はセラフィムのごときであった。
RX-93-N2《νガンダム》。ヘビーウェポンシステムを装備した伝説の名機の改修機は、光の宿らない鋭利な盲眼で下界を睥睨していた。
ECOSの人間は誰もその《ガンダム》に目をくれない。むしろ存在すらしていないように振る舞っていた。
『Need to know』―――知るべきことを知り、知る必要のないことはわざわざ知る必要も無い。軍人としての当然の心得だ。軍人は己に課された任務をこなし、余計なことに手を出せば火傷を負う―――それは、特殊作戦群たるECOSが最もよく心得ていたことでもあった。だから、《ロト》の周辺で装備の整備をこなす屈強な精密機械たちは、《νガンダム》のコクピットハッチが解放されたことにもやはり、気を留めなかった。
ゆっくりと解放されたハッチの上に立った《νガンダム》のパイロットは、窮屈そうにヘルメットを脱ぎ、顔全体を覆う目出し帽を脱ぎ去ると、ぷはぁと無邪気な声を出した。
扶桑みさき少尉は、普段着ているオーガスタ製の強化ノーマルスーツと異なるECOSのノーマルスーツの窮屈さに顰蹙を覚えながら、さらに髪を覆うヘアカバーを片手で取り去った。
無重力空間故に夢のように広がった茶髪を素早く手で纏め、髪留めのゴムで一房をサイドポニーに縛り上げる。汗ばんだ感触が不愉快だった。早くシャワー浴びたいな、と思ったみさきは、嫌に静かな格納庫を見下ろした。
声一つ出さず、時折出しても歯車がかちゃかちゃと鳴るほどにしか声を出さないECOSの人たち。もっと楽しそうにすればいいのになぁ、と暢気に思いながら視線を動かしたみさきの視線が1か所で止まった。
隣に決まり悪そうに立ち尽くす《ハンブラビ》の足元。片やECOSのパイロットスーツに身を包んだECOSのMSパイロットだ。
そしてもう片方は―――。
「中佐!」
自然と笑みが浮かぶ。
ハッチを蹴ったみさきは、無重力に任せて飛び出した。声を聞いた中佐、と呼ばれたショートポニーの女性が視線を左右にめぐらせた後、上から降ってくるようにするみさきを見やった。
ベアトリーセ・ハイデガー中佐は、腰に手を当てて呆れたような笑みを浮かべた。
そのまま宙を浮遊したはいいが、みさきはふと自分が無重力下での移動に欠かせないWSS(ワイヤーショットシステム)をコクピットに忘れてきたことを、今更に思い出した。
「わー! そこの人止めて止めて!」
ほとんど音の無かった静謐にみさきの声がはじけた。鉄の訓練で冷静さを旨とするECOSの人間たちも、あまりにも場違いで無邪気な声色にぎょっとしてみさきの方に視線を向けた。
あたふたと足をばたつかせるみさきの先に居るのは、ベアトリーセと話をしていたECOSのパイロットだ。金髪にほっそりしていならも、ちゃんとがっちりとした体つきの男は呆気にとられたように目を丸くしてたが、さすが特殊部隊の人間だった。素早くみさきの手を取り、ぐいと身体を引き寄せた。結果的に密着することになり、そのECOSのパイロットは申し訳なさそうにしながらみさきを離した。
「失礼」
「いえいえいいんですよ。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる。ECOS所属のMSパイロット、オリェーク・ジュガーノフ大尉も、一礼を返した。
「さっきも話したがやんちゃな娘でしょう? 大尉は苦労するかもしれないけれどしっかり守ってあげてください」
「いえいえ守ってもらうのは私の方ですよ。扶桑少尉は中佐の秘蔵っ子として相応しい実力をお持ちです」
「あ! また私のこと馬鹿にしてたんですね、中佐は!」
ぷー、と頬を膨らませる。少しだけ、オリェークが笑みを見せた。
「だって事実でしょう?」
「むー、そんなこと言ってると息子さんのこともう教えてあげませんよ?」
「あら、それは困るわね…」
ほとんど困ったような顔などはせず、上品そうにプラチナブロンドの髪を揺らして首をころんと首を傾げて見せた。実際、わざわざみさきを介する必要などなくとも、ベアトリーセは息子のことを調べられるだろう。それでも、みさきから見た彼の母親の姿を求められるというのは、どこか自分がベアトリーセに頼られているようで嬉しかった。
「ジュガーノフ大尉、少しいいですか!」
上から降ってきた声に3人で顔を上げると、《ハンブラビ》のコクピットから上半身だけ身を乗り出した整備士が18m先で手を振っていた。女性の整備士に応じたオリェークは、「それでは」と額に手を構えた。
「ええ、それじゃ」
「また後で」
みさきとベアトリーセも敬礼を返す。踵を返したオリェークが地を蹴り、無重力を泳いでいった。
※
「我々が護衛―――ですか」
大隊長が肯く。
琳霞はやや気抜けする感触を味わいながらも、表情に間の抜けた雰囲気を漂わせるほどに新人ではなかった。
「正確には、諸君ら第1大隊第2小隊は666試験部隊の第2小隊、サナリィ主導の新型ビーム砲の性能評価試験の護衛、ということか」
琳霞は、シャルンホルストに備え付けられた執務室のマホガニーのデスクに慎ましやかに座る大隊長の顔をまじまじと見た。
細面のこけた顔に薄くなった頭は、いかにも薄幸そうで―――だが、琳霞が見ていたのは大隊長のディティールなどではなく、重さをもってその背後に実在した言論だった。
666試験部隊―――1人の男の顔が思い浮かんだ。
その、護衛―――?
「なんだ不満か?」
細い身なりの割に柔らかい視線の男が琳霞の視線を見返す。
「いえ、そういうわけでは―――」
慌てて居住まいを正すと、大隊長はその壮年に似合わない無邪気な笑みを浮かべた。ちょっと不気味で、親しみ深かい笑みだ。
「我々が試験部隊の護衛をしなければならんことは理解しているな?」
琳霞は、一度頷いた。
国防軍が地球連邦軍の主導する作戦に参加するのは、一種の誠意の表明だ。だが、一方で国防軍の正面装備である《ハイザック》の性能は、現在の地球連邦宇宙軍の主力機《ジムⅢ》の後期生産モデルと《ジェガン》には遠く及ばない―――つまり、いざ連携を取ろうとしたなら足を引っ張るのだ。通例、国防軍は最前線に赴くと同時に補給線の保全などが主な任務を担うことが多い。
試験部隊の護衛もまた、そうした「比較的過酷になることが少ない任務」のうちの1つというわけなのだろう―――。
「貴様たちの中隊は『本国』で彼らとの模擬戦闘を最もこなしている。ニューエドワーズでの連携度が最も高いのも貴様たちというわけだ」
「は―――」
「あと、中尉はどうやらあの試験部隊に気になる相手がいるそうじゃないか」
「は?」
大隊長が俗っぽい笑みを浮かべる。
「よく気にかけているそうじゃないか。前なんて夜中に2人で居たんだろ?」
「あぁ、ハイデガー少尉のことで…」
琳霞は内心溜息を吐いた。
クレイとあの基地の裏手の丘の上で喋った後、酔っぱらった琳霞はそのまま眠ってしまい、国防軍が借りている宿舎にクィーンを運輸する際の様式で―――簡単に言えば『お姫様抱っこ』して運ぶという凶行を敢行し、国防軍の中で奇妙な噂になっていた。
もちろん琳霞にその気はない。ミリほども無い。Q.E.D証明完了。
とにかく、そういう感情は抱いていないのだ。
「少尉に特別な感情を抱いた覚えはありません。もしあったとしても任務に私情を挟むわけがありません」
「冗談だよ冗談」
慌てたように身を竦ませる大隊長。琳霞はふん、と鼻を鳴らした。
「貴様にはいい経験になるだろうと思ってな」
顔色を真面目にした大隊長は肱をテーブルにつき、含みのある視線を投げた。
「将来は教導隊になるのだろう? その仕事ぶりを間近で見るのも良いだろう」
「まぁ試験武装の運用など本来の教導隊はしないだろうがね」笑った大隊長に、琳霞も笑みを浮かべて、感謝の意思表示をした。
「後後ブリーフィングで通達することになるだろうが、中尉には先に伝えておこうと思ってな―――わざわざすまなかった」
「いえ、ありがとうございます」
「それでは訓練に励んでくれ」
ぱりっとした敬礼をする。大隊長が返礼し、先に手を下ろしたのを確認して敬礼を解くと、踵を返して歩みを進める。
ドアの手前まで来て、振り返ろうとしたときに、大隊長が琳霞を呼び止めた。
「そういえばUC.100年の式典でMSの展示をするのは知っているか?」
大隊長の顔はいつもの柔和さだった。
自治権放棄の式典の、ことだろう。内容についてあまり調べてもいなかった琳霞は、いえ、と首を横に振った。
「パフォーマンスで実機を稼働させる予定らしいんだがな、その中に14ナンバーもあるらしい」
「《ゲルググ》ですか?」
琳霞の声が上ずったのを、大隊長はしっかりと把握し、大人びた笑みを浮かべて肯いた。
《ゲルググ》。それは琳霞にとって思い入れのある機体なのだ。
厳つい体躯に愛らしい豚顔という奇妙なギャップを含んだ一年戦争末葉の傑作機。かつての共和国軍での正面装備は《ゲルググ》だったようだが、残念ながら今の正面装備は《ハイザック》である。
「正確には《ゲルググ・イェーガー》らしい。サイド3でパイロットにわたる前に終戦を迎えた白い《イェーガー》があったらしくてな。そいつを塗りなおした奴なんだが―――そのパイロット、やるか?」
「え!?」
思わず素っ頓狂な声を上げた後、琳霞は慌てて敬礼して謝罪の言葉を口にした。大隊長は気にせずに声を出して笑った後、
「開催委員会? みたいなところから打診が来てな。腕のいいパイロットが居ないかと言うから貴様を推薦しておいた」
琳霞は視界が眩むのを感じた。
「ありがとうございます!」
びしっと敬礼すると、「ゲンキンな奴だな」と大隊長は苦笑いを浮かべた。
「貴様が《ゲルググ》を敬愛しているのは知っている。6年後を楽しみにしておけ」
威勢よく了解の声を上げる。敬礼し、退出の言葉を述べた琳霞は、勢いよくドアを開け放つと執務室を後にした。
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