こちらを見下ろすグラハムを双葉は見上げていた。
それは鋭く睨むわけでも、負けじと抗うわけでもない。
ただ見上げていたのだ……『破壊』を楽しめる少年を。
その少年に双葉のよく知る男が覆いかぶさる。
高杉はいつも笑っていた。
どんなに皮肉を言っても拒んでも。危険に囲まれようが、旧友と袂を分かとうが、刃を向けられようが、不気味に笑っていた。
最初は狂気に堕ちた高杉は何も感じられず、ただ笑うしかできないと思っていた。
あの小屋でもう笑うしかなかった自分のように。
だがそんなの思い違いだった。
高杉は本当に起こる事すべてを当然と楽しんで笑っていたのだ。
まさに今のグラハムのように。
「だから『破壊』を楽しむのも幸せを感じる一つの手段としてアリだと、オレは主張したい。幸せの通りなんてこの世の人間の数だけ存在するんだから、壊れたら壊れたでそれを楽しもう」
壊れてしまった人間はそのまま狂気の道へ進むしかない。
だが、双葉はまだ違う。
殺して快楽を感じた後に、必ず後悔が押し寄せる。それはまだ壊れていない証拠だ。
しかしもう普通の人間とは違う感情がある。それをどうしたらいいのか分からない。
「なら、こわ――」
気づけば勝手に口が開いていた。何かを求めるように双葉は尋ねようとしていた。
それはグラハムの高笑いにかき消されてしまう。
「ダハハハハハハハハハハ!いやイイね。実にイイ。何事も初心を忘れないでおくことは大切だ。その心を二十歳を迎える寸前になっても覚えてるオレはなんと義理固い奴と称賛されるべきだろうか。よし恋人よ、初めての愛情表現としてオレを褒めてくれ」
ハイテンションに高らかと『愛』を欲求してくるグラハムだが、当然彼に注がれるのは罵倒の視線のみ。
こんな奴に訊こうとした自分が馬鹿だった、と双葉は無意識とはいえ先ほどの行動を恥じた。しかし自己嫌悪に陥りながらも、左手を伸ばしグラハムの喉元を押さえこむ。
だが片腕がダレてるせいで思うように力が入らず、結果的にグラハムの発言を許すことになってしまった。
「アレ?もしかしてアンタ、オレを殺そうとしてる?」
「その減らず口を二度と開かないくらいにはするつもりだ」
首を絞められてやっと命を狙われていた事に気づいたグラハムに、双葉は淡々と告げる。
どう考えても殺意しかこもってない言葉を、グラハムは都合良く解釈した。
「それって殺したいほどオレを愛してるってことか。ならオレも殺されたいほどアンタを愛さなきゃいけねェな。全力で向かってくる『愛』を全力で受け止められたなら、それは
真の愛――そう真実の愛になる。さぁ遠慮はいらない。恋人よ、オレと一緒に『愛』を奏でよう」
「ほざけ!」
甘かった締めを強めようとしたものの、即座にモンキーレンチで身体を勢いよくド突かれ、双葉は再び倒れこんでしまう。
それでも敵意を向けてくる彼女に、グラハムは諭すような口調で言葉を紡ぐ。
「勘違いしてるようだから言っておくが、オレはアンタを殺す気はない。というよりオレは人を殺さない。形のない見えない触りもできない『命』を壊しても実感が湧かないし、あんな虚しい思いはこれ以上この上ない事で、それは女に手を挙げても同じだが――」
“ガン”
「ぐっ」
「決して何も感じないわけじゃない」
さっきとは別の錆びついた鉄パイプに伸ばしかけていた双葉の手を、モンキーレンチで押さえつけてグラハムは告げる。
「そう。オレは人を殺すのは嫌いだし女を殴るのも好きじゃないが、快感は生まれる」
狂った道化師のような笑顔が双葉の眼前に広がる。
「なので久しぶりにあの『快感』を味わってみる為に惚れた女を壊して楽しむのも悪くない!」
一本の巨大なモンキーレンチを輝かせる姿は、まさに銀の棒を手にした蒼い鬼。
鬼が握る銀の棍棒は双葉めがけて振り下ろされた。
“ガゴン”
廃倉庫に響いたのは骨が砕かれる音――ではなく別の物によって阻まれた音。
身構えていた双葉は、身体に想像していた衝撃と痛みがないことを疑問に思い、瞳を開いた。
目の前には大きな背中があった。まるで自分を護るように立っていた。
太い木刀を盾にして鬼の一撃を防いだのは、彼女と同じきらめきを持つ銀髪の青年。
「兄者!?」
木刀越しに睨みつけ僅かに苦笑しながら銀髪の青年は――銀時はグラハムに言う。
「おいおい
兄ちゃん。モンキーレンチってのは、人に向けて遊ぶモンじゃねぇって教わんなかったのかァ!」
突然の銀時の乱入にグラハムはおろか双葉も目を見開いて驚いた。
ただグラハムだけはその驚きを子供のような喜びに変えて楽しんだが。
「おお!なんだ!?銀髪の人間がまた一人現れたぞ。しかも今度はグルグルだ。なんでこんなにグルグルしてるんだ。まるで鳥の巣みたいだな」
「オイィィ!テメーあいさつ抜きでいきなり天然パーマ馬鹿にしやがるとはいい度胸してんじゃねェか!かぶき町流のマナー叩きこんでやろうかァ!」
額に図太い血管を浮かべて叫ぶ銀時。
だがグラハムは好奇心に溢れた笑顔であちこち跳ね上がった銀髪をまじまじと眺める。
「鳥の巣頭なんて初めて見たぞ。お前はそのグルグルの毛で卵を暖めてるのか。ということは、その頭からは新たな生命の誕生が起きるかもしれないってわけだな」
「コラァ!人の話聞け!!」
「天は髪の上に小さな命を宿すとは、なんと奇妙奇天烈で神秘的な話だ」
「全然人の話聞いてねぇな!少しは人の話を聞きやがれェ!!」
怒鳴って銀時は木刀でご機嫌に笑うグラハムを押しのける。
対するグラハムは後ろへ跳ねてドラム缶の上に飛び乗り、前髪に隠れていない片目で銀時を見下ろして言う。
「生まれた小鳥たちは巣の中に小さな家族愛を実らせるが、いつかは巣立ちの時が訪れる」
しみじみと語るグラハムは一呼吸して、そしてモンキーレンチで銀時の頭を指差した。
「さぁとっととその頭から小鳥の《生命(いのち)》を巣立たせてくれよ。じゃないと――」
「!?」
跳躍。グラハムのやせ細った身体が宙に浮かんで
「盛大に壊せないだろ」
黒い笑みが落ちる。
同時に銀時の頭めがけてモンキーレンチが振り下ろされる。
即座に構えた木刀に衝撃が走り、激しい音が廃倉庫に木霊する。
鋼鉄の打撃をくらった木刀はそのままへし折れそうに見えたが、驚くことにヒビ一つ入らずモンキーレンチをしっかり受け止めた。
金と銀の髪が一瞬触れ合うと、二人は後方へ飛んで互いに距離をとる。
「ほほう、オレの一撃から逃げず正々堂々と完璧なまでに受け止めるとはお前凄いな。英雄を手にした勇者と称えよう。でもぶっちゃけソレ痛いだろ」
小刻みに震える銀時の手を指差して、グラハムが歪んだ笑みで尋ねる。レンチの攻撃を完全に防いだものの、木刀から伝わる衝撃は凄まじいようだった。
「これはちげーよ。携帯のバイブが鳴ってるだけだから」
実にしょぼすぎる言い訳。だがグラハムは嘲笑するよりも称賛を述べた。
「お前も凄いがオレのレンチに直撃しても折れないその木の棒が遥かに凄いな。頑丈すぎるにも程があるそれは何だ」
「修学旅行で買ったおみやげだ」
へっと短く笑って吐き捨てる銀時の返事に、グラハムは目元を押さえて大笑いした。
「ダッハハハ!お前本当におもしろいな。おもしろすぎて笑いがワクワクに変わったぞ」
「こっちはテメェのせいで頭ン中ぐちゃぐちゃ不機嫌だコノヤロー」
グラハムの笑い声と銀時の怒声が飛び交う中で、すっかり枠の外へ弾き出されてしまった双葉はただ見ているしかなかった。
本来ならまたそこらの鉄パイプを拾うなりして銀時と共闘すべきだろう。だが、間の抜けた会話のせいですっかり緊張の糸がほつれてしまい身体に力が入らない。
実は兄が現れて知らず知らずのうちに安心しきってしまったせいもあるが、彼女にその自覚はなかった。
それはさておき、傍観者になったことで双葉は忘れかけていた『違和感』を思い出していた。
グラハムと出会った時から感じていたもの。銀時が乱入して来た事でさらに大きくなった。
この二人が並ぶとかなり『違和感』がある。
それが何かと聞かれれば、双葉も答えに困った。
しかし、その『違和感』に真っ先に気づいたのは、意外にもグラハム本人だった。
「おうっと、驚きがまだ一つあった。オレたち声似てないか?」
グラハムの発見に、ハァと呆れた表情を返す銀時。
「なーにフザけたこと言っちゃってんの。オレはそこまでダラダラ陰険がかった声してねーよ。糖分とってっからな!」
何を根拠にしてるのか不明だが、銀時は自信満々に断言した。
だが即否定されようと気にせずグラハムは、モンキーレンチをパシリと回して語る。
「感動だ、感動的な話をしよう。世の中には自分と顔が似てる人間が7人いると聞くが、声が似てる人間ってのは初めてだぞ。こんな出会いは人生の中で一つとして味わえるかどうかも分からない希少な体験だ。そんな体験を果たしたオレは千年に一度のラッキーボーイなのか?本当はオレすごい星の下に生まれた人間だったんだろうか!」
「ギャーギャーギャーギャーやかましいんだよ。ハッチャけたい年頃ですか。なに興奮してんですか。若者だからって十五の夜みたいに暴れ回っちゃいかんですよ。少しは人の迷惑考えて行動しろ」
普段ぐうたらして周囲に迷惑かけてる兄者が言うなと、双葉はツッコミたかった。とはいえ二人の口争いが巻き起こる中で言ってももみ消さるだけなのでやめておいた。
「ま、声が似てるのを抜きにしてもだ」
パシリとモンキーレンチを手で鳴らして、グラハムは銀時を改めて見る。
「こうして逢えたのも何かの縁だ。それを記念してお互い仲良く手を組もうじゃないか。まずその手始めにお前、負けろ」
「ああん!?」
「オレはもう二度もお前に《レンチ(攻撃)》を受け止められた。正直驚いて自分にガッカリしたよ。だがその分お前は勝利の余韻に浸れてさぞ気持ちよかっただろう。お前だけ幸せでオレだけ悲しみに暮れるなんて、こんなの万物平等を主張する世の中に対して不公平だ!
それで、だ。喧嘩両成敗のもと人類皆平等を目指して、ここでお前がオレのレンチに二度ぶたれて負けてくれれば何もかも全て公平に終わる。それは世界が望むラブ&ピース、そうラブ&ピースだ!」
「なにコイツ?もうキレていい?銀さん我慢の限界なんですけどォ!」
理に適ってるようで無茶苦茶な発言によって、ついにシビレを切らして振り下ろされた木刀がモンキーレンチとぶつかり合う。
その後も何度か激しく衝突し合う銀の棒と木の棒。
そんな喧嘩し合うグラハムと銀時を眺める双葉は、本人達以上に思い知っていた。
――この二人、物凄く似てる……。
声だけじゃない。
寝ぼけたような半開きの眼。長ったらしい口調。呆れるほどの向上心のなさ
だるさを放つ雰囲気に性格や思考もそのまんま似ている。
銀時は絶対に認めたくない事実だろうが、双葉は案外すんなりと納得していた。
この短い時間で嫌というぐらいグラハムに兄と同じモノを感じていたからだ。
ただ、一つだけ違う点がある。
それは『狂気』。
グラハムは高杉と同じ狂気を持っている。
だからこそ、ありとあらゆる事を楽しめるのだろう。
普通なら苛立たしい、こんな奇妙な事実さえも。
銀時は木刀を振りかざしてグラハムに向かって走る。
だが直後に銀色の円盤が目に飛びこんできた。それはグラハムが投げ放ったモンキーレンチ。その勢いよく回転する凶器が銀時を襲う。
とっさに身体を仰け反らせ豪速に回るレンチをすれすれのところで回避し、銀時は再び目標を捉えようとした。
「兄者!」
妹の呼び声で反射的に銀時は後ろを振り返った。モンキーレンチがブーメランのように曲線を描いて再び自分に迫ってくる。
だが銀時は避けず逆に木刀をバットのように構え、そのまま回転するモンキーレンチをグラハムめがけて打ち返した。
木刀に殴られて余計に回転数を増したレンチは、電動ノコギリばりの脅威となってグラハムの元へ返っていく。
しかし
主の手を噛み千切ろうとする飼い犬を、グラハムは素手のまま手慣れた動きでモンキーレンチを受け止めた。
それからも人間離れした男たちの戦いが幾度も繰り広げられ――
「クク……クハハハハハハハハハ!」
吹き出して突然笑いだす。
地面を転げ回りたいのを堪えるようにグラハムは腹を抱えて爆笑する。
「ダハハハハハハハ!面白い。おかし過ぎて笑いが止まらない。困ったなこりゃ爆発しちまいそうなくらいオレの鼓動が鳴り止まない。この胸の高鳴りをどうやって抑えよう?壊すかァ。やっぱ壊すしかないだろ!」
そうしてグラハムは廃倉庫にドンと置いてあった鉄の塊へ向かう。
先刻双葉とグラハムが出会った時に彼が腰かけていた巨大な機械だ。それを宙へ投げ飛ばし、次にグラハムはモンキーレンチを振り回して永遠と鉄の塊を回し続ける。
その間に攻撃する隙はいくらでもあった。だが、あまりに人間離れした業(わざ)に圧倒され、銀時は呆然と立ち尽くし、双葉も見ているしかなかった。
そうこうしているうちに巨大な機械からは少しずつ少しずつ小さな鉄が、やがて大きな鉄の革が崩れ落ちていく。だがそれは無理矢理剥がされたモノではない。驚く事に一つ一つ丁寧にネジや金具が解体されていた。
大道芸人なら拍手喝采を貰ってもいいくらいだが、今送られてくるのは沈黙のみ。
それでも芸は続き、数分経たぬ間に巨大な機械は跡形もなく姿を消した。
「バラせた」
荒い息をもらすグラハムは、左右対称に並べて解体した部品を眺めながら満足そうに呟いた。
「超バラせた。一回も床に落とさないままバラせたよ。見たァ見たァ見ただろ。うわぁすっげースッキリしたけどヤバいヤバいヤバいヤバいぞまた笑いがこみ上げてきた。クハハハハハハハハァァ…ん?」
その時、解体された機械の最後の部品がストンとグラハムの手元に落ちた。
「あったァァ!」
それが目に止まった途端大喜びして跳ね上がるグラハム。
彼が天井に掲げるのは、未知なる力を秘めているように紅黒く発光する玉だった。
どことなく見た者を不安にさせるような淀んだ雰囲気を放つそれを、グラハムはまるで《ダイヤモンド(宝石)》を掘り当てたかのように目をキラキラさせた。
「さて、コレが今オレの手元に舞いこんできたことで悲しい話は嬉しい話へとチェンジした。すっかり忘れていた約束を思い出したと同時に果たすとは、何と奇しくも素晴らしい話だろう。ずばりベストタイミング、宇宙のすべてをかけた奇跡だと言っても過言じゃない。そんな悲しくも嬉しい奇跡の話をぜひしたいところだが、そろそろ戻らないとアニキにマジで怒られちまう。こりゃどう考えてもヤバいな。というわけで、さらば!」
グラハムは紅い玉を強く握りしめたまま廃倉庫から飛び出して行った。
その後も港に響いていた奇怪な笑い声は、しばらくして聞こえなくなった。
静寂に戻った廃倉庫が返って不気味に思えてきた頃――
「アイツ、何?」
やけに疲れた表情で銀時が尋ねた。
港を迷って歩いていたら人の声が聞こえ、この廃倉庫に入った。
そこで妹が襲われているのを目の当たりにし、無我夢中に闘ったのだ。
本来ならお礼を言うべきところだろう。
だが妹は無愛想に――けれどどこか疲れ果てたように――冷たく答えた。
「知るか。私にふるな」
「ただの破壊狂だろ」
* * *
結局あの嵐のような金髪の少年が誰だったのかはわからない。
この世界からズレたような異常な人間だったが、関わると碌なことになりそうにないのであまり深く考えないようにした。
それから数日後。
調査をしたあの日から金髪の少年は現れなくなった。廃倉庫から奇妙な音も声も聞こえなくなり、若干うやむやなモノを残しつつも依頼は無事に解決した。
久しぶりの報酬に万事屋は豪華な料理に浮かれ、夜のかぶき町をはしゃぎまくった。
それでまた金欠になるのがオチだが、そうした変わらない日常を過ごす中で、次第に今回のことは記憶の中から薄れていった。
ただ一つ。
彼女が受けた『影響』だけは消えることなく、また表に出てくることもなく、後に大きな変化をもたらしていく。
=つづく=