藤崎京之介怪異譚
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case.4 「静謐の檻」
~epilogue~
「藤崎君。いやぁ、入っているねぇ。」
俺の目の前にそう言いながら姿を見せたのは、にこやかに微笑む天宮氏だった。
「天宮さん!まさか来て下さるなんて…!」
「仕事が一段落したから来てみたんだよ。でも君、また何かゴタゴタに巻き込まれたようだが、まぁ終わり良ければ全て善しだ。実を言えばな、初日の《マタイ》は宮下先生と聴きに来ていたんだよ。」
「ええっ!?」
天宮氏の話を聞き、俺はとっさに宮下教授がブツブツ呟く姿を想像してしまった。十年ほど前のコンサートではかなりお小言を頂戴し、それ以降は教授と俺のスケジュールが合わずに聴いてもらっていなかったからだ。
だが、そんな心配は次の天宮氏の言葉で消し飛んでしまった。
「先生はとても喜んでおられたよ。特に合唱の表現が素晴らしく、細部まで念入りに仕上げたことが分かると仰っておられたよ。」
「教授がそんなことを…。」
嬉しかった。俺なんて教授に比べればまだまだだが、この言葉に、俺はもっと実力をつけて良い演奏がしたいと強く思った。
「今日は三曲振るのだろ?私は客席から期待して聴かせてもらうとしよう。頑張ってくれ。」
「はい。期待に沿うよう、皆で頑張ります。」
俺がそう返答すると、天宮氏は笑いながら楽屋を出ていったのだった。
この演奏会は山之内氏の意向で、彼女の名前は伏せられた。無論、彼女の会社が一番のスポンサーだが、市や俺達に影響があってはならないと、市長と話し合って決めたのだと言う。
さて、初日の《マタイ》も中日の《メサイア》も好評で、その合間にやった俺自身のソロ演奏も満席だった。客の中には、あの旅館で宿泊していた人もいて、わざわざ足を運んでくれことが俺は嬉しかった。
確かに、あの血生臭い事件は幕を降ろし、表向きに二人は病死、見つかった龍之介氏の亡骸については時を経過しすぎており、それ以上に事件の首謀者が死亡しているため、さして騒ぎを起こすことなく処理されるようだ。まぁ、山之内氏と天宮氏が手を回したであろうことは言うまでもないが。ま、佐野さんは天手古舞の様だが、結局は迷宮入り事件が一つ増えるだけで終わることだろう…。
「先生、そろそろお願いします。」
田邊が呼びに来たので、俺は楽屋を出てステージへと向かった。
今日が演奏会の最終日。当初、この最終日は三曲の予定だったが、客からの強い要望があって一曲追加したのだ。あの旅館で演奏したバッハのカンタータ第106番がそれだ。下で拍手を贈ってくれた人達が、どうしてもと何人も言ってきてくれたため、俺は現在最大のスポンサーである市に了解を取ってプログラムに載せた。本当は後半のモーツァルトの《レクイエム》が今日の本命だったのだがな…。
「さて、始めるとしよう。」
今日は全て祈りのための音楽だ。俺達は一体、この深い祈りの中で何を想うのだろう…。
今回、俺は一つの怪我もせずに済んだが、次はどうか…。俺のこの先に、どんな未来が待ち構えているかなんて分からない。なぜ俺の周囲で、こんなにも不可解な事件が起こるかも分かっちゃいないんだからな。
後になって分かったことだが、あの揺れ落ちた掛け軸…水墨画の下にもう一枚隠されていたものがあったのだ。
それには五芒星とラテン語らしきものが描かれていて、一種の護符の様だったと言う。かなり古いらしいが、なぜ描かれたかも水墨画の裏に隠されたのかも謎だそうだ。
だが、龍之介氏や尚輝氏は、このことを知っていたのだろうか?いや…今となってはもう聞きようもないが、そんな掛け軸があの壁に掛けられていたのならば、霊にとっては一種の檻のような役割を果たしていたのかも知れない。その掛け軸の効力が衰えて最初に犠牲となったのが尚輝氏だとすれば…それは辻褄が合うのではないか?一番近くに居たのだから、精神や肉体が不安定になったとしてもおかしくはない…。そうして半ば強引に檻を破ろうとした霊は、掛け軸の絵をかえしてこちらを見つめ、落とすことで意思表示した。それがあの事件へと発展したのだ。
しかし、これも結局は推測に過ぎず、この事件を完全に解明するだけの根拠はない。それはある種“科学的見地に依れば"であって、俺にしてみれば別に大したことじゃない。しかし、それを世の全ての人に受け入れろとは言わない。何も知らずに暮らし、何も知らずに逝く方が幸せかも知れないからだ。それがたとえ罪だと言われても…。
空は夏一色に染まって、それが過ぎれば高い秋の空へと変わる。そして冬が通り過ぎ、再び春が到来する…。
この幾重にも繰り返される四季の中で、俺は一人考え続けるんだろう。人が人である限り、霊はいつもその隙を狙っている。人は弱い生き物だからだ。だから…俺は音楽を奏で続ける。
今はまだ、それだけで充分だと思うから…。
case.4 end
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