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藤崎京之介怪異譚

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case.4 「静謐の檻」
  Ⅸ 同日 AM10:43


「田邊君、測り終えたかい?」
「はい。やはり1メートル近く誤差がありますね。多分、以前に廊下があったのかも知れません。改築したそうですし、埋めたのかもしれませんね。」
 俺は数名の楽団員を連れて、旧館の和室へと来ていた。そこには相模に山之内氏、佐野さんとその部下二人も来ていて、とても全員部屋へ入れる状態ではなかった。よって、楽団員以外は廊下を挟んだ向かいの部屋へと入ってもらっていた。と言うか、全ての襖は取り払ってあるため、別に何の不自由もないのだが…。
「相模君…藤崎君は何をやってるんだ?」
「さぁね。京のやることは僕にも理解不能ですから。ま、考えがあってのことだと思うし、死体でも出てくるんじゃないですかね。」
「はぁ?」
 向こうではなにやら愉快な話をしているようだ。山之内氏も二人と同じく、俺達が何をやっているのか解らないと言った風に、怪訝な顔をこちらへと向けていた。
「さて、始めようか。」
 そんな周囲の人達を横目に、俺達はあの掛け軸の前に並んだ。四人の声楽に合奏のメンバーが加わり、ソロにリコーダーの二人が加わっている。それを見た佐野さんは、どうも童謡か何かをやると勘違いしていたようだが…。
「一体何を…」
「しっ!もう黙って…!」
 質問しようとした佐野さんは、相模によって止められた。俺の演奏が始まることを察知したからだ。
 辺りには自然の音だけが残る中、俺の合図で演奏が始まった。
 今回選曲したのは、やはりバッハのカンタータだ。彼自身、哀悼行事用と書き記したカンタータ第106番「神の時」。素朴な美しさがあり、その中に深い信仰心がある初期の葬送カンタータで、ここで演奏するに相応しいと考えたのだ。前半は逝ってしまった者への深い哀しみが描かれるが、後半では天での希望が歌われる。
 前半では何も起きはしなかったのだが、後半のバスのアリアでその異変は現れた。バスは聖書でのイエスの言葉をそのまま歌詞として使っていて、イエスと共に磔になった罪人に、イエスが「あなた方は私と共に天国へいるでしょう。」といった歌詞。演奏がそこへ差し掛かると、いきなり掛け軸が何の前触れもなく床に落ち、白壁には見る間に罅が入っていったのだ。その罅から徐々に壁が剥がれ落ち、段々とその中が見えてきたのだった。
「壁が…!」
 山之内氏は驚いて目を見張っていたが、周囲の人達も例外なく驚きの表情を浮かべてそれを見ていた。俺はそのまま演奏を続けさせ、終曲の合唱まで行きついた。すると、壁はもう耐えきれないとばかりに一面が崩れ落ち、曲が終了した時には、その閉じられていた空間が完全に露になったのだった。
「こんなことが…あるのか…?」
 佐野さんはポカンとした間抜けた表情で、その露わになった空間に目をやっていた。
 だが次の瞬間、外から思いがけない拍手が聞こえ、俺は不思議に思って窓から顔を出した。下には、なぜか宿泊客らしき人達が何人も集まっており、今の演奏を聴いていたようだった。仕方無く、俺は数回頭を下げて中へ引っ込むと、今度は呆けている佐野さんと相模、そして山之内氏を解放された空間へ促し、俺はそれを見せて言ったのだった。
「こちらが…三十三年前に失踪した龍之介氏です。」
 そこには白骨化した骸があり、その体は針金で巻かれていた。
「まさか…こんなところに!藤崎君、何で分かったんだ?」
 佐野さんが聞いてきた。相模も山之内氏も、その理由を知りたそうにこちらを見ていた。
「簡単なことです。ずっとここだと示していたんですからね。多分、龍之介氏が最後に願ったことは、誰かに気付いてほしいってことじゃなかったのかと思います。亡くなる寸前、彼の周りには誰も居なかったと考えられますからね。しかし、薄れ逝く意識の中で龍之介氏は、報復も考えたんでしょうね…。身から出た錆びですが、彼には不当だと…多分ですが、自分を殺した人物が死ねばいいと思ったんだと思います。そのため、直接手を下した人物にしか危害が及ばなかったんだと…。」
 俺がそう言うと、佐野さんは頭を掻きながら言ったのだった。
「藤崎君…山桜事件の時もそうだったが、私にはどうも君の言っていることがまるで解らないんだけどねぇ。解りやすく言ってほしいんだが…。」
「山桜事件の時も話しましたが、霊とは、人が亡くなってそうなるものではなく、霊は最初から霊として存在しているんです。霊は人を別の道へと引っ張り込むため、死者の記憶や、その縁の場所に残った記録を利用するんです。今回の場合、龍之介氏の記憶や思いを利用しようとしてこうなった訳ですが、あまりに限定され過ぎていて、大きな禍を起こせなかった。確かに、三人はこの禍によって亡くなってしまいましたが、悪くすれば、もっと多くの死者が出ていたと思いますよ…。」
「もっと多くって…どうしてなのです?」
 俺の説明を聞き、山之内氏が問い掛けてきた。俺は暫し空を眺めてから、静かに答えを口にした。
「霊はある程度の力は使えても、それ以上を自らの意思で使用できないと考えて下さい。力を使うには、何か媒体が必要となるのです。その媒体…と言うよりも、力を具現化するための増幅装置として、死者の記憶や思いを使っているんです。」
 俺はそこで一旦言葉を切ると、窓辺に寄って空を仰ぎ見た。
「ですがこの場合、死者の思いが強い程に、霊の方が耐えきれないこともあるんです。私はそれを“暴走"と呼んでますが、そうなると際限なく力が外へと放出され続け、その力は人間へと刃を向ける…。」
 そこまで言うと山之内氏だけでなく、佐野さんも怪訝な顔をしていた。仕方無いことだが、こういうことは深く関わらないと理解は難しい。だが、こんなことに深く関わらない方がいいんだ…。俺は心からそう思う…。
「無理に理解する必要なんて無いんじゃないか?だが佐野警部殿…それよりこれ、どう報告するつもりだ?外にも死体、中にも死体だぞ?」
「…大問題だ…!君、裏庭にまだ鑑識の野本君がいるはずだから、直ぐここへ来るよう伝えてきてくれ!あぁ、こうしちゃいられん!」
 相模に現実を突き付けられた佐野さんは、何かを思い出したかのようにバタバタと動き始めたのだった。
 だが…この手の事件は迷宮入りだ。なんせ現代科学ですら解明出来ないんじゃ、警察でもお手上げだろうからな…。俺はそんなことを思いながら団員達を下がらせ、それから山之内氏に歩み寄って言ったのだった。
「ここまで事が大きくなった以上、演奏会は延期になさるのが賢明かも知れません。それに…私にはこれを受け取ることは出来ませんので、お返ししたく思います。」
 俺はそう言って、前に渡された封筒を山之内氏へと渡そうとした。しかし、山之内氏はそれを受け取らず、俺にこう言ったのだった。
「何を仰います!こうして見事に解決されたではありませんか!これでやっと落ち着くことが出来ますし、義父のことも解明されたんです。これは先生に受け取って頂かなくては。それに、こういう時こそ音楽で多くの人達の心を癒すのも先生方のお仕事と存じますし、演奏会のスケジュールは変更無しでお願いしたいと…。」
 山之内氏の言葉を聞き、正直俺は驚いた。こんな警察沙汰でゴタゴタしている中、演奏会はそのまま行ってほしいと言うのだ。
「で、ですが…貴女は大丈夫なんですか?ここまで事件が大きくなれば、恐らくマスコミだって…」
「お気遣い痛み入りますが、私のことでしたらどうとでもなりますわ。聞けば、藤崎先生は天宮さんとお友達でいらっしゃるとか。」
「山之内さん…天宮さんをご存知なんですか?」
「ええ、もう二十年以上もお付き合いさせて頂いておりますわ。正直な話、この旅館の経営が苦しくとも、会社が順調であれば旅館をたたむ必要など無いんですのよ。マスコミくらいあしらってみせますわ。」
 この山之内氏との会話で、俺は思い出したのだった。山之内洋子と聞いて、俺はなぜそれを思い出さなかったんだろう…。彼女は…ここ数年で大成長した、某医療機器メーカーの社長だったのだ。そうだ…確か天宮氏も彼女の話をしていたような…。
 俺がそんなことを思い出さして慌てていると、山之内氏は笑いながら言った。
「藤崎先生。お金持ちは、別に偉くはありません。私は運が良かっただけですよ。これは私一人で築き上げたものではなく、働いてくれた従業員全員の力の賜物です。ただ、それを充分に生かしてきただけですもの。先生、私は先生の方が余程に偉いと思いますわ。それでは、私は事後処理がありますので、これで失礼させて頂きます。演奏会を楽しみにしておりますわ。」
 そう言って微笑みながら深々と頭を下げると、山之内氏は佐野さんと一緒にこの場を離れたのだった。



 
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