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藤崎京之介怪異譚

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case.4 「静謐の檻」
  Ⅶ 同日 PM7:49


 俺は午後からずっと練習に付きっきりとなっていた。演奏会初日は直ぐそこなのだから、それまでには何としても全曲通して練習しなくてはならなかったからだ。
 ま、彼らもプロだ。もう大半は出来上がっているため、指示は必要最低限で良かった。
「もう数回合わせれば良いだけだな。」
 俺は旅館の自分の部屋で一人呟いた。帰る時はまだ薄暗い程度だったが、さすがに八時近くになれば暗いな。
 俺がそんなことをぼんやり考えてると、誰かが部屋をノックする音が聞こえた。俺は「どうぞ。」と一言声をかけると、扉が開いてそこから田邊が顔を見せた。
「先生。今、宜しいでしょうか?」
「ああ。何か分かったのか?」
 田邊が来たのは、演奏会についてのことではないのは分かっていた。彼がこの時間に来るのは、決まって副業に関する話だからだ。
 田邊は扉を閉めると、直ぐ様俺の方へ歩み寄って、俺に幾つかの紙を渡してくれた。
「これは?」
 それらは何かのコピーのようで、中には筆で書いたものまであった。他はネットの類いから印刷したものや、何かの書類をコピーしたものだったが、その中で、その筆で書いたものはかなり目立っていた。
「その筆書きのものですが、山之内家の菩提寺である永福寺の住職に頼んでコピーしたものです。今はお寺にコピー機なんてあるんですねぇ。」
「田邊…こりゃ一体何をコピーしたんだ?」
「山之内家の過去帳です。」
 俺はなんと返答してよいか分からなかった。寺が、そう簡単に過去帳なんてのをコピーしてくれるのか?と言うか、この事件に何の関係があるんだ…?
「で、田邊君?この過去帳…一体どんな関係があるって言うんだい?」
「先生。最後に書かれてる名前と日付、見てもらえますか?」
「…?」
 そう言われた俺は、その読みづらい字を見た。そこには“龍之介"と言う先々代の名前と、その下には日付が書かれていた。
「これは…龍之介氏が失踪した年じゃないか!」
「そうなんです。今の住職に伺ったところ、これを書いたのは先代住職とのことで、この日付が書かれた経緯は分かりませんでした。ですが、どうやら尚輝氏がその日付の記入を頼んだようですね。」
「それはおかしいだろ?少なくとも失踪後七年以上経つと、法的には本人の死亡が認められる。それなのに、過去帳には失踪した年を記入させるなんて…矛盾している。」
「そうなんですよ…。せめて先代住職がご健在なら話を伺えたんですが…数年前に亡くなられたそうで…。」
 俺はその過去帳のコピーを見ながら考えた。先々代である龍之介氏の失踪捜査を止めさせたのは、先代である尚輝氏だ。父の銀行口座が時折動いており、それが生活に必要な分だけ引き出されていたことが理由だった。
 だが…この過去帳から推測するに、尚輝氏は龍之介氏が失踪したとは考えていなかったのではないか?もしかすれば、既に死んでいると確信していたのかも知れない。そうでなければ、過去帳に失踪した年を書こうなどとは思わないんじゃないのか…?そもそも、これではあの掛け軸は一体どう説明すれば良いのだろうか…?
「あと、これなんですが…。」
 考えて事をしている俺に、田邊は俺が持っていたコピーから一枚取り出して見せるように置いた。
「これは山之内さんに頼んで、市役所で取ってきてもらったものですが、ここ…見てください…。」
 それは山之内家の戸籍謄本だった。一般的に亡くなった人は除外されるが、そこには何故か、未だ龍之介氏の名前が記載されていた。一応削除印はあるが、まるで古い手書き時代の産物の様で、全く不自然なものだったのだ。
「…なんだこれは?」
「そうなんです…。ちょっとおかしいですよね?通常じゃ考えられないんですけど、どうも…これも尚輝氏が頼み込んだみたいです。一応は亡くなったことにはしてみたものの、全て削除するでもなく、まるでアリバイ作りみたいな感じがしますよね…。」
「アリバイ…ねぇ…。」
 果たして…公的機関がこんな頼みを受け入れるんだろうか?何にしろ、龍之介氏の死亡年月日は失踪後九年目の日付が入っていた。尚輝氏が亡くなった今でも、なぜ修正されないまま残っているのか?まぁ、役所の人間も解らないだろうがな…。
「一体…三十三年前に何があったんだ?」
 俺が疑問を呟くように声に出すと、田邊は徐に手帳を出して話出した。
「先生。その三十三年前なんですが、龍之介氏はこの旅館を土地ごと売ろうとしていたようです。」
「はぁ!?ここを全てか?」
「はい。ですが龍之介氏が失踪したため、その話は白紙になったんだそうです。」
「だが、当時でも山之内家はここを売る必要は…。」
「ええ、ありませんでした。山之内家と言えばこの土地の名士で、古くからの資産家です。ですが…龍之介氏という人物は、どうも金に執着する人物だったようで、高く売れる時に売り払いたかった様ですね…。」
 随分と意地汚い人物だったようだな…。確かに、今ではそう高値では売れないだろうが、先祖伝来の土地を金に換えようなんて…。
「だが田邊。それで龍之介氏が失踪するなんてのは、ちょっと考えられないんじゃないか?」
「それも調べてみましたが、何一つ出てきませんでした。」
 田邊はそう言うと、そっと手帳を閉じたのだった。
 外は漆黒の闇…。だがこの闇の中で、得体の知れない何かが蠢いているような気がした。
「田邊君、もう休みなさい。明日は十時から練習だからな。」
「はい。それじゃ先生、失礼します。お休みなさい。」
 そう言うと、田邊はそのまま部屋から出ていった。俺が考え込むと長いことも、それを邪魔されたくないことも田邊はよく心得ている。
「良く出来た助手だよ。」
 田邊が出ていった扉を見詰めて苦笑すると、再び何かが起こる予兆を感じて俺はゾッとした。それは…窓から入り込む闇がもたらしたのかも知れない。
 何も無ければいい…。俺はそう願っていたが、現実はますます厳しさを増す状態となっていったのだった。

 それはまた、終幕へのレシタティーヴでもあった…。



 
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