ダンジョンに復讐を求めるの間違っているだろうか
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怪物祭 (上)
前書き
やっとここまで来ました。
このシーンは四か月前から頭になったのでが、ここまでこぎつくのにかなりかかってしまいました。
「思った以上に時間を食ってしもうた」
テュールは椿の工房を出ると、真っすぐ円形闘技場に向かって走っていた。
先ほどまでいた工房が北東のメインストリートにあり、東のメインストリートにある円形闘技場に直接行った方が、西のメインストリートにあるホームに向かうより早いということもあったが、テュールはすっかり遅れてしまったことに焦り、誰かがホームで待っていることなど考えつくができなかったのだ。
「しかし、やけに人が多いのう」
東のメインストリート付近の路地をテュールはひたすらに人を掻き分けて走っている。
既に円形闘技場は目と鼻の先だったが、狭い路地や、そこまで人が溢れていることもあって、それにテュールは気づいていなかった。
が、すぐに気付くことになる。
「モ、モンスターだぁああああああああああああっ!」
円形闘技場から喧噪を塗り潰すような大音声が上がった。
その途端悲鳴と怒号ともに人々が波が周囲に押し寄せた。
「な、なんじゃっ――ふみぎゅっ!?」
それはテュールのいた路地裏も例外ではなかった。
背があまり高くない――つまり、低い――テュールには視覚で得られる情報からは周囲の状況を掴みきれず、まともに人の波に呑まれ、何度も蹴られたり、押し倒されたりして完全に前後不覚に陥った。
「うぅ…………」
そうして一分にも満たない時間の間の末に完全に人の波が引き、取り残されたテュールはいつでも着ているほどに気に入っていたワンピースをぼろぼろにして横たわっていた。
『グゥルルルル……』
地響きを起こしながら、その路地にぬぅっと現れた体高二Mの緑の大躯を揺らすモンスター、『トロール』が捉える。
その瞬間、彼は口端を凶悪に吊り上げた。
――小さな私を追い掛けて?――
そのトロールの耳にはただ『魅了』された相手の声が、眼前にはあの時の映像が繰り返し再生されていた。
檻の向こうにいる女神から頬を撫でられただけで体の心を正体のわからない何かが駆け巡った。
体が熱を帯び、心に今まで抱いたことのない感情が芽生える。
――ホシイ。ジブンノモノニシタイッ!――
ただのモンスターに芽生えるはずのない独占欲に駆られる。
――小さな私を追い掛けて?――
トロールは耳朶に残る声に体を震わせ、その女神の意図と異なる目標に足を踏み出し、
『グルァっ!』
爆走した。
「うぅ………………っ」
地響きでモンスターに気付いたテュールは力を振り絞り、ふらつきながら立ち上がった。
しかし、その間に、トロールはその肩で、狭い路地の壁面を盛大に削りながら、巨大な足で地震を発生させながら、そのテュールとの距離を一瞬で詰めて剛腕を伸ばした。
その光景をテュールは立ち上がった状態のままで見ていた。
(妾は何故こんな目に合っている?)
テュールからすればまさにこの展開は急転直下、晴天の霹靂だった。
愛すべき子供達とともに怪物祭に行くはずだったのが、今では、死、否天界への強制送還される状況に陥っている。
(妾が約束を破ったからか)
昨日のうちに帰るというタイムリミットを大幅に超過したからかとテュールは考えた。
(確かに、妾は眷族との大事な約束を破った――じゃが、眷族達はそんな些細なこと気にしなくていいと言ってくれはずじゃ)
しかし、テュールはそれを否定する。
(なら、妾が何をしたというのじゃ!妾はまだここにいたいだけじゃ!!まだあの二人といたいだけなのじゃっ!!)
目前まで迫った緑色の巨大な掌に目をつむって、テュールは心の中で叫んだ。
「テュールーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
その意思に呼び込まれたようにテュールは自らの眷族の声を聞いた――そして、聞いたが早いか、体を包み込むような感触と同時に衝撃が駆け巡った。
そして、一瞬の浮遊感の後に、誰かと固い地面を転がっている感覚を数秒味わった末に自分が下になって止まったのを知覚した。
「大丈夫かっ!」
声に目を開く。
次の瞬間視界が揺れる。
自分に覆いかぶさるのは自分の眷族。
その眷族の輪郭が涙であやふやになる。
「大丈夫じゃ…………約束破ってすまぬな」
「何のことだ!」
「一緒に行くという約束じゃったのに」
「そんなことどうでもいい!早く逃げないと!」
デイドラは起き上がると、自分に手を差し伸べてくれた。
(ほらな?どうでもいいって言ってくれたじゃろう?)
その手を握りながら、テュールは誰に対してかは定かではない台詞を心中に呟き、涙を拭いながら笑む。
起き上がらせてもらうと、デイドラの背後に獲物を奪われて怒り狂うトロールが迫り来ていた。
しかし、テュールは全く焦っていない。
(妾はまだこの下界にいたいと思おたから、デイドラが救いにきてくれた。なら、妾が妾とデイドラが生き残ると思えば、生き残るのじゃ!)
トロールがLv.2の部類のモンスターも知らず、何の根拠もなくテュールは確信していた。
「捕まって」
そのテュールの内心を知らずにデイドラは死に物狂いの思いでテュールを、今どこぞの白髪の冒険者しているように、横抱きに抱えて、駆け出した。
『グルァアアアアアアアアアアアッ!!!』
その後を不必要に壁を破壊しながら突き進むトロールが追う。
◇
―五分前―
「それにしても賑わっていますね~」
リズがデイドラの腕にしがみつきながら大したことないように見回す。
「そうね。毎年飽きずにやっているのに、客足は減らないわね。まあ、それよりこれがまだオラリオの人口の一部でしかないことの方が驚きね」
それに同意するミネロヴァもまたデイドラの腕に自分のを絡ませている。
しかし、人の多さや賑わいを感心したように眺め回すデイドラはそのことに頓着していなかった。
「一部?」
デイドラは数日前まではただダンジョンを往復していただけの生活を送っていたために、言葉で聞かされはしたものの、オラリオの広大さやそのオラリオが抱えている人口の大きさに実感は持っていなかった。
が、こうしてメインストリートを埋め尽くすばかりの人々がただの片鱗であることを知り、その人口の計り知れない膨大さに実感が更に困難になったとデイドラは感じた。
――聞こえているかしら?――
しかし、そんなとき、それを遥かに凌駕する驚きに見舞われる。
直接に脳内に声が響いたのだ。
まるで頭蓋の中が空っぽでそこに設置されていた魔石動力のスピーカーから声が発せられているかのようだった。
例の幻聴かと思ったが、
――と聞いたところで、今は通信が一方通行だから、意味ないわね。まあ、いいわ。これから私の言うことを聞きなさい――
村では聞いたことない声で、まったくとしてその声に怨嗟の念はこめらていなかった。
あるとすれば、僅かな焦燥だった。
「そうだよ!冒険者はほとんどここに来ないから、ここに来てるのは未所属の一般人がほとんどだよっ」
「ここでは一般人よりも冒険者の方が多いから、そう考えると、ここにいる人達はほんの一部ね」
「って、あれ、デイドラ聞いてる?」
「何だかボーッとしているわね、今日のデイドラは」
驚愕のあまり、近距離で顔を覗き込んでくる二人に構うこともできない。
――何処かの年中発情期の色ぼけ猫の所為であなたの主神が危険な状況に陥るかもしれない。いいえ、きっとなるわ。だから、今から言う通りに動きなさい――
そして、真偽を確かめる間もなく下される、右の路地を円形闘技場に向かえ、という命令。
デイドラは逡巡する。
命令を下した途端気配を消した幻聴なのか否かも定かではない耳を介さず聞こえた流麗な声。
その声が告げる真偽の不確かな危機。
何を信ずればいいのかまるでわからない。
だが、デイドラは数瞬の迷いの末、従うことにした。
確固たる根拠はない。
しかし、強いてあげるならば、声に窺えた僅かだが確かな焦燥感。
それが、声が幻聴ではなく、血の通った何者かのそれであることと声が自分に伝えた内容が偽りではなく真のことであると告げているような気がしたのだ。
「二人とも、先に行っていてくれ」
デイドラは滑らせるようにして、苦もなく拘束から抜け出した。
「えっ!」
「デイドラっ!」
そして、二人の声を背後に置いていく速度で、人込みを掻き分け、告げられた場所に向かって走った。
◆
「くそっ!」
デイドラは全力で走りながら、吐き捨てるように言った。
場所は人気のない狭い路地裏。
テュールを抱えているとは言え、トロールとの距離を全く突き放せない。
怒りで燗燗と目をぎらつかせ、口からは鼻が曲がりそうな程に臭い唾液とともに蒸気機関と思うような白い吐息を吐いていた。
トロールには僅かな理性も残っていないと窺えた。
それを表すように進路を阻むものなど目に見えていないように、その巨躯で弾き飛ばして破壊している。
にも拘わらず、デイドラはトロールとの距離を広げられていなかった。
「ここを右だ、デイドラっ」
抱えているテュールに従って、より一層狭まった路地裏に進路と直角に跳び込む。
『ガァアアアアアッ!』
それに応じてトロールは巨躯を急停止させて同じく狭まった路地に入ろうとする。
しかし、勢いが足りず、両肩を角に減り込ませるだけだった。
路地裏は極端に細くてトロールの巨躯では到底通れる幅ではなく、現に通路はトロールの頭部が入るか入らないかという程だ。
体を横にすれば、もしかすれば入れただろうが、理性を失ったトロールがそんな考えに及ぶはずもなく、ただ両肩をより深く減り込ませて進もうとするトロールの速度は僅かなものだった。
「よし、逃げられるぞ、デイドラっ!」
それを見てテュールが喜びを表すように、両手を突き上げる。
「まだだ」
しかし、トロールから一〇M離れたところでデイドラはそのテュールをゆっくり降ろし、振り返る。
「ど、どういうことじゃっ!まさか、あれと戦うつもりか」
「うん、そのつもり」
デイドラは防具も武器も持たず、平然と言う。
「だめじゃっ。デイドラっ」
テュールは縋り付くようにして、デイドラを止めようとするが、それを拒絶するようにデイドラは今なお壁を破壊しながら少しずつ近づいてくるトロールに一歩踏み出す。
「ここで、逃げてももしかしたら追いつかれるかもしれない。だけど、ここで俺が気を引けば、少なくともテュールだけでも安全に逃げ切れる。きっともう周りには強い冒険者もいる」
そして、冷静な声で囁くように言う。
「じゃが、汝ではあれには敵わぬっ!」
「わかってる。だから時間稼ぎしかしないつもりだ」
「だめじゃあっ、だめじゃあ!それで汝が死ねば、妾は妾を許せんっ!」
テュールはついに大粒の涙を流しながら無謀な戦地に向かう子供を止める母親のように留まるよう懇願する。
「それならテュールと別れることになれば、俺は俺を許せない。それに、俺は死なない。テュールのためなら俺は必ず生き残る!」
デイドラは力強く言った。
「だから、先に行ってくれ。そして、駆け付けた冒険者に助けを求めて。お願いだ…………俺にまた家族を失わせないでくれ」
そして、語調を弱くして続けた。
「……………………わかった。その代わり、もし戻って来なかったら許さん…………妾自身も汝も許さんからな」
テュールは涙を堪えるように歯を噛み締めてから、搾り出すように言った。
「わかってる」
それにデイドラは語気に確固たる意志を秘めさせ答えて、歩き出す。
既に一〇Mあったトロールとの距離は五Mに縮まっていた。
「…………デイドラ、これを渡す」
トロールに向かって歩きだそうとするデイドラを止めて、テュールは背負っていたワンピース同様にぼろぼろの背嚢を下ろすと、中身を取り出した。
「短刀…………」
「ただの短刀じゃないが、それは汝が帰ってきたときに死ぬほどこの短刀がどれほど凄い業物か教えてやる」
怪狼の牙を素材に椿が打ったオラリオの中でも並び立つ業物は数えるしかないほどの短刀を四振りをデイドラの前に並べる。
四振りとも銀の鞘に納められていたが、隙間から隠しきれない青黒い障気が噴き出ていた。
「デイドラ早く背を見せろ。すぐに済まさねばならぬ」
「わかった」
こちらに突き進むトロールを見遣ったテュールの意図を汲み、デイドラは上衣を脱ぎ捨て、テュールに背を向ける。
テュールはすぐさま親指を歯で噛み、神血を滴らせると、その血で全ての短刀に矢印、否テュールを象徴するルーン文字を刻むと、続けてデイドラの背に同じように神血でルーン文字を描く。
これはステイタスの更新ではない。
その証にデイドラのステイタスは浮かび上がらず、代わりに五つのルーン文字が光を放ち、デイドラの背から四条の白熱するように白く輝く半透明の鎖が生え、デイドラの腕にとぐろを巻くように巻き付き、そのまま四振りの短刀に絡み付き、やがて姿を消した。
「終わったぞ。これで、汝からこの短刀は離れぬようになった。手放したとしても、汝が念ずれば、汝の手元に戻る。この訳も帰ったときに教える」
「わかった」
勿論デイドラは短刀がどんなものか、何故手元に戻るのか訳を知りたかったが、好奇心を打ち捨てて、答える。
「嫌じゃろうが、妾の子を頼むぞ」
テュールは意地の悪い笑みを浮かべて短刀に語りかけながらデイドラに渡すと、
「すぐに助けを呼ぶ。じゃから、それまで必ず、生きるのじゃぞ」
デイドラの方を見ず、そのまま駆けていった。
「うん、必ず、倒して、生き残る」
その背中にデイドラは届かない言葉を送り、背中が角に消えたことを見て再びトロールに向き直る。
トロールはまるでデイドラが眼中になく、遠ざかっていくテュールに焦点を合わせ、もがくように路地を破壊しながら突き進む。
しかし、デイドラはそれを気にすることはない。
短刀を腰に二振りずつ左右に差した。
「これで一匹目」
デイドラの眼前にあるのは、炎の海。
その炎の海の中に現れる黒い巨躯。
その輪郭は目前にいるトロールのそれとわずかさえも違わない。
それを再度確認して、デイドラは唱える――今ある全ての魔力を練って。
「【怨敵を喰らえ】!!」
後書き
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