K's-戦姫に添う3人の戦士-
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2期/ヨハン編
K17 正義のために悪を貫け
本拠であるエアキャリアに帰り着いた時、すでにマリアとナスターシャは帰艦していた。
ナスターシャのそばには調が寄り添い、隣で切歌が所在無げに立って、声を上げて泣くマリアを見つめていた。
「「ヨハンっ」」
調と切歌が声を合わせてヨハンを呼んだ。
帰ったら真っ先に、ナスターシャに東京スカイタワーで何があったのかを問い質そうと思っていた。
だがその考えは、涙するマリアを見て霧散した。
「この手は血に汚れて……セレナ…私はもう…っ」
「マリア」
歩み寄り、マリアの両肩を緩く掴んで引き寄せた。
マリアはそのままヨハンの胸板に縋りつき、また泣き声を上げた。ヨハンは幼子にするように、ストロベリーブロンドの頭を撫でた。
「教えて、マム。一体何が」
そこにドアがスライドする音が割り込んだ。
「僕がお話しましょう。ナスターシャは、10年を待たずに訪れる月の落下より一人でも多くの人々を救いたいという崇高な理念を、米国に売ろうとしていたのですよ」
「ドクター・ウェル……」
「それだけではありません。マリアを器に“フィーネ”の魂が宿ったというのも、とんだデタラメ。ナスターシャとマリアが仕組んだ狂言芝居」
「それじゃあマリアは……」
ぎゅ。マリアがヨハンにしがみつく力が強くなった。
「ごめん――みんな、ごめん――っ」
しばし呆けたが、すぐに胸に安心が浮かび上がった。
(マリアじゃなかった。これからもマリアという一個人の人格が消えることはない。マリアはずっとマリアのままでいられるんだ)
「僕を計画に加担させるためとはいえ、貴女たちまで巻き込んだこの裏切りは、あんまりだと思いませんか?」
「思いません」
場の全員の視線がヨハンに集まるのを感じた。
ヨハンはマリアを離し、ウェルをふり返った。
「過程がどうあれ、月の落下から人々を救うために、僕らはこれまでベストを尽くして来ました。その過程に他人を利用し、血で汚れ、罪を犯しても」
マリアを見て、ナスターシャを見て、切歌を見て、調を見て、
「誰かを助けたいという気持ちが間違いだなんて、決してあるはずないんだから」
ヨハン・K・オスティナの本心から、笑ってそう言い切った。
「むしろドクター、見事に騙されて計画に加担してくれて、あなたには感謝しているくらいです」
ウェルが今にも舌打ちせんばかりにヨハンを睨んだが、ヨハンは笑顔を崩さずウェルに歩み寄り、手を差し出した。
「これからも我々“フィーネ”のブレーンとして、よろしくお願いしますよ。ドクター・ウェル」
調は思った。ヨハンが勝った、と。
ウェルが忌々しげに部屋を出て行ったのを見て、彼らが何か勝負事をしたわけでもないのに、確かに先ほどのやりとりには勝敗があり、勝利を掴んだのはヨハンのほうだったのだと思った。
「――ドクターへの恭順。それがあなたの答えなのね、ヨハン」
マリアが俯いたまま呟いた。
「偽りの想いで世界は守れない。セレナの遺志を継ぐことなんてできやしない。全ては力。力がなければ正義を成すことなんてできやしない。だからドクターにああ答えた。そういうことなのね?」
「ああ」
肯いた声は、調が知るヨハンの声の中で一番低く、暗かった。
(そんなのイヤだよ。だってそれじゃ、力で弱い人たちを押さえ込むってことだよ。そうしないで人を助けることができるって言われたから、わたしもきりちゃんも付いてこうって。なのに。マリア。ヨハン。二人ともどうしちゃったの? どうして変わっちゃったの?)
考えていた調の前で、ヨハンが唐突に跪き、調の手を取った。
戸惑う調にお構いなしに、ヨハンは調の手の甲に、騎士が姫君にするように、口づけた。
「大丈夫。例え道具にされたって、心まで支配されることは絶対ありえないから」
先と異なり、どこかさびしげな微笑み。こんなヨハンを調は知らない。
「それが偽りの“フィーネ”とその騎士ではなく、マリア・カデンツァヴナ・イヴとヨハン・K・オスティナの選択なのですね」
「――――」
「はい」
マリアとヨハンを見つめていたナスターシャが、咳き込んだ。
「「マムっ」」
調はナスターシャの手を取った。
ヨハンが立ち上がってナスターシャを見下ろした。
「今日の騒ぎでマムの体には相当な負担があったはずです。今日はもう休んでください。明日からのことは、明日に考えましょう」
「――そうですね」
ヨハンが車椅子を押して部屋を出ていく。
調はヨハンの背中を見つめていたが、彼の真意は読めなかった。
(こわい)
未来はケージの中、膝を抱えて顔をそこにうずめた。
――東京スカイタワーで響が戦いに行った直後だった。床を突き破ってマリア・カデンツァヴナ・イヴが現れたのは。
“死にたくなければ来い!”
マリアが伸べた手を、未来は掴み返した。
敵であっても、命が助かるならば。響が言うように、生きるのを諦めてはいけないと思ったから。
(響。早く来て)
部屋のドアがスライドした。未来はびくんと肩を跳ねさせた。
入ってきたのは、ヨハンだった。
「まだ起きていたんですね。……こんな硬い床で眠れるわけもないか」
ヨハンは歩いてきて未来の正面に立った。
彼が床に置いたのは、薄い毛布と、湯気の立つシチューの入った器と、ミネラルウォーターのペットボトル。
「逃げないでくださいね。逃げたらキミを、もっと強引な方法で連れ戻さないといけなくなりますから。そうでなくとも、ここがどこかも分からず遭難して、二度と友達に会えなくなるのはイヤでしょう?」
「――はい」
未来が肯くと、ヨハンはケージのスイッチを押した。光熱の格子が消えると、ヨハンは持ってきた物を未来の前に置き、再びスイッチを押した。光熱の格子が再形成された。未来は再び虜囚となった。
シチューの器を持ち上げる。
「――――」
「毒なんか入れてませんよ。そんなことをするくらいなら、そもそもスカイタワーでキミを助けてません」
未来はスプーンを持ち、思いきってシチューを一口食べた。
一度物を口に入れると、自分が空腹だったのだと自覚して、未来はいつもよりハイスピードにシチューを食べ進め、あっというまに器をカラにした。後味は、ミネラルウォーターを一気に飲んで消した。
「あの…ごちそうさま、でした……これ、ヨハンさんが作ったんですか?」
「作ったのは調。冷蔵庫の残り物を材料にね。口に合ったのならよかった」
不思議な人だ、というのが未来の率直な感想だ。
マリアのように終始厳しく眉根を寄せるでもなく。
ここに連れて来られた時に見かけた少女二人のように元気のない顔をするでもなく。
笑っている。
この状況で。
未来を本心から気遣って――憐れんで。
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