ソードアート・オンライン‐黒の幻影‐
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第2章 夜霧のラプソディ 2022/11
14話 帰り道
階層の外縁――――あまりにも近い地の果てから空が淡い紫に染まり、森に霧が立つ。夜から朝への境界の時分。探索の必要のない帰途はまさにスムーズの一言、事もなげに森を巡る道へと抜け、第三層主街区《ズムフト》の入口たる橋の前まで至る。
ズムフトは、厳密には三本の大樹と、それらが根付く島――――湖に浮いている程度のものだが――――で構成される。そのため、正当な順路で街に進入する場合は《橋》を経由する必要がある。湖を泳いで上陸するという手段も不可能ではないが、水棲のモンスターが生息している。実践する意欲が欠片も湧いてこない。荷物を担いでいる以上、敏捷値に制限がつく水場での戦闘は避けたいというのが俺の意見だ。
――――とはいえ、安全策と思しき橋ルートでさえ気が許せるわけではないのだが………
しかし、腹を括って橋を渡る。木造ならではのくぐもった音が回数を重ねるたびに、街側に待機する武装した《衛兵》NPCの一種である《門番》に迫る。本来ならば、犯罪を犯したプレイヤーやモンスターが街に近付くのを防止する為に設置された超高ステータスの化け物であるというのは周知の事実。これ自体は門番に直に話しかければ分かる、いわゆるSAOの常識的な部分である。しかし、それが彼等の存在意義であるとは誰も証明し得ていない。彼等は《圏内》を脅かす存在を能動的に攻撃するだけのNPCなのか、それ以外では完全な非敵対性NPCでいてくれるのか、検証が行われた事などないのだ。
そして、犯罪という行為もまた然り。窃盗や《圏外》での攻撃やそれに伴うPKも含めて犯罪と扱われるが、果たして《モンスターをアイテムに擬装して街や村に運び込む》行為はシステム上、如何なるものとして認識されるのか。リアルに置き換えて考えるとするならば、住宅街に猛獣を持ち込むのに近しいものがあろう。されど、SAOにおいての犯罪の定義がリアルにおける倫理規定に沿うものはであるかは判断出来ない。はっきり言って分からない事だらけだが、同時に無謀だと判り切っている水路は選択肢から外れてしまっている。空を飛べるわけでもなし。一度離れてしまったことが原因で遭遇からのフラグがリセットされるというのも真っ平御免被る。そのために、当初は忌避していた挑戦に打って出る。恐らくは空前絶後となる検証の火蓋が切って落とされようとしていた。
――――《門番》との距離はおよそ十メートル。
橋の両端に立つ門番の視線が向けられる。手にした武器――――ここでは両手槍のようだ――――は貧弱なデザインではあるものの、放たれる威力は八階層で名を馳せたPKを一息に斬り伏せてHPを全損させてしまうほどの攻撃力と攻撃速度を誇るらしい。正式サービスにおいて悪即斬が適用されているかは定かではないが、いざとなれば湖は避難路になるだろうか………
――――更に進んで五メートルを切る。
両手槍の穂先が揺れた。武器に細心の注意を払っていたためか、脳内に鳴り響いた警鐘に従って咄嗟に後方へ飛び退く。しかし、こちらの気など全く意に介さずに欠伸を漏らす。NPCの眠気の演出がこれほど恨めしく思ったことはなかった。
――――ついに《門番》の至近距離へと踏み込む。
「やあ、ここは《ズムフト》だ。ゆっくりしていってくれ」
「驚いただろう。この樹が我々の故郷なんだ」
………歓迎された。
ともあれ、やがて表示される【INNER AREA】のシステムメッセージ。緊張が一気に切れそうになるのを堪え、一応の安否確認も兼ねて肩に担いだ寝袋の中のエルフに声を掛ける。
「大丈夫だったか?」
「はい。とくに問題はありませんけど、今のはすごいです! 本当に私の事が勘付かれなかったです! 人族の寝袋には《朧夜の外套》のようなまじないが掛けられているんですね!?」
「マジナイ? よくわからんが、これはテクの応用が偶然ハマっただけで………って、言っても分からないよな………」
正直、成功してもらわなければ困るのだが、成功自体を信用出来なかったというのもまた事実だ。
キリトがアスナを第一層迷宮区から救助する際に用いた手段は《内部に収納スペースを有するアイテムは、その内容量に問わず元来の重量を保つ》という特性を用いたものだ。つまりは、寝袋等の収納スペースに収まった重量の設定されたプレイヤーも含むオブジェクトそのもの重さは、収納される間は消失するという解釈が出来る。
しかしながら、寝袋に入ったアイテムに起こる現象は重量の消失だけではないのではないかという疑問が浮上した。というのも、ティルネルを寝袋に納めて安全地帯を目指していた道中、ティルネルはうなされていたのか時折呻くことがあったのだが、周囲で行動するモンスターの聴覚感知には一切引っかからなかったのである。
当時は《無音動作》が発動していたのだが、それ自体は使用者以外の発する音は当然の事ながら消音の対象にはならない。発動中に使用者が声を発した場合は厳密には認識可能であるものの、音を認識できるのは使用者のみであり、外部に漏れる音は全てシステムによって遮断されてしまう。しかし、ティルネルは独立したアバターのはずだ。使用者のみを対象とする効果の恩恵を享けたというのであれば、ある一点に焦点が向けられる。
つまり、寝袋だ。その内部は《収納スペースの内部》という一時的なフィールドであると仮定すれば、呻き声をあげていたティルネルは《その場に居ながらに異なる座標に存在する》状態にあり、その座標が《無音動作》使用者である俺の装備する寝袋の中にあれば、音は確かに遮断できるものとなる。見切り発車も甚だしい博打ではあったが、確かに《門番》の監視を掻い潜ってみせたことからティルネルはシステム上消失したことで感知不能となったことが確認できた。こうしてレアエルフの確保が叶ったばかりか、奇しくもここに謎テクが誕生したのである。
「まあいい。それより、ここまで連れて来ておいてアレだけど、森から離れても大丈夫なのか?」
そして、こうして彼女と会話を途切れさせないようにしているのは、彼女を操作するシステムに変調がないかという確認と、未だ現実として受け入れていない為に繰り返す無意味な存在確認だ。後者を解かりやすく言うと、夢オチだったという結果になるのではないかと疑い怯えているのである。決して誘拐した罪悪感からの現実逃避ではないと思いたい。寝袋で自由を奪われてこそいるが、同意は得ているはずだ。口を縛って視覚が無くなってしまったかもしれないが、無理矢理ではないはずだ。だから俺は悪くない。
「それは、大丈夫です………多分」
――――そして、思う。どうして断言できないのか、と………
「あ………済まないが、ここからはプレイヤー………じゃなくて、人族の戦士が多く現れる。彼等に姿を暴かれれば良い様にはならない。決して動かないようにな」
「わかりました」
大樹の根元付近で手筈を伝え、背負うようにして運んでいたティルネルを、まさに荷物を運ぶように肩に担ぐ。あまり重さを感じないようにという配慮から背中に密着してくれていたが、これからは物を演じて貰う以上、可能な限り脱力しているようにしてもらう必要がある。最後に、不要意な場所に手を触れないよう留意しつつ、《無音動作》を使用して洞へと入る。
「これが《人族の住まう霊樹》………まさか踏み入れる機会が訪れるなんて思ってもみませんでした」
「霊樹って、そこまで有難いものかは微妙だけどな。この樹の精霊、頭おかしいし」
「あたま、って………精霊に逢ったことがあるんですか?」
「ああ、あるけど………いや、でも………やっぱり精霊なんだろうけど、どうなんだろうな………」
声音を弾ませるティルネルを見遣り、話のタネにでもなればと、ベータテストが行われていたころのSAOでの記憶――――クエスト《ヒトリノセイレイ》の仔細を思い起こしつつ語る。
NPCから得た、隠しクエストに繋がりそうな幾つかの情報を参考に深夜の《ズムフト》を探索し、ついに発見した樹の精霊。淡い青の燐光に包まれた女性の姿をとるそれは最上層の枝葉の森の中に腰を下ろした姿で待機していて、神秘的な佇まいと憂いに満ちた表情によって彩られた美貌をよく覚えている。
………しかし、いざクエストを受けようと声を掛けてみると、予想の範疇を超えたものだったことに気付かされる。
『独身って、イケない事なの………?』
怖気のはしる問いかけ。憂いを帯びた麗人というイメージに亀裂が走り、精霊NPCの向こう側で数本の酒瓶が散乱していたのは、未だに記憶が定着を否定するところである。
回れ右して立ち去ろうとする足をなんとか制止して、気を取り直して声を掛け直そうとするものの――――
『別に寂しくなんかないの。………でも、友達がみんなゴールインして、私だけ取り残されて………私だって頑張っているの! 本当よ!?』
といった具合に力説が始まってしまったのである。しかもよりによって、彼女によって胸倉を掴まれ、そのまま前後に揺さぶられる。半透明で細身のくせに驚異的な筋力値を持ち合わせていたために引き剥がそうにもビクともせず、いつしか号泣しだした頃にクエスト受注の是非を問うウインドウが出現し、若干やる気を殺がれながらも了承。
その後は《エルフ秘伝の若返りの霊薬》の製法を探るために野営地へ単身潜入したり、その薬品を再現する為の材料に東奔西走したり、異性を虜にするという――――プレイヤーには花の香り程度にしかならない――――《古精霊の芳香》なる香水を取りに行かされたり、やたら露出のきついデザインの《霧絹のドレス》とやらを調達させられたりと、行き遅れた精霊の婚活のために馬車馬の如く使い走りさせられるというお使いクエストに付き合わされる羽目になる。それでも挫けずに全ての要求を応え、一定時間を経てまた会話するという段階まで漕ぎつけて期を待つ。お世辞にも簡単なクエストとは言えなかった。だが、要求アイテムを渡すごとに希望と活力が増していく彼女には、NPCとはいえ少なからず仲間意識に近しいものを感じるまでに至っていた。会話をする機会も多く、設定程度とはいえ、彼女の事はある程度理解してしまっていた。その待ち時間も、彼女が婚活パーティーにおいて奮闘している裏返しだ。
精神面に難点が山積されていようと、容姿だけは非常に恵まれている。黙っていれば、いや、せめて問いに対して暴走せず、頷くだけにしてさえいれば………などと考えているうちに、待ち時間は過ぎ、クエスト進行を伝えるウインドウが出現。報酬と彼女の戦果に期待しつつ、大樹の頂に赴く。
『私の、何がいけないの………? ただ、温かい家庭が築けたらって、子供をたくさんつくって、家族に囲まれて、幸せに暮らしたいって………ただ未来予想図を話し合おうとしただけなの! でも、みんな逃げていくのよ!? ひどいわよ! 横暴よ! ………ねぇ、アナタモソウオモウデショ?』
『みんな正常だ! どうして黙っていられなかった!?』
よりにもよって惨敗の報告が聞かされる。しかも自分で墓穴を掘ってしまっては救いようがない。
まさか、クエスト失敗なんてことにはならないだろうかと危惧していると、いきなり抱き付いてきて、上目遣いで覗き込んでくる。ハラスメントコードは作動しなかった。
『ごめんなさい。………あなたは私の為に頑張ってくれたのに、無駄にしちゃった………彼氏をゲットして、ありがとうって言いたかったけど、こんなに近くに大切な人、いたんだもん………私、諦めない………自分の気持ちに嘘は吐かない。振り向いて貰えるまで、これからも頑張るわ』
そう、意味不明な決意を告げて彼女は消えていった。やっと達成されたお使いクエスト、その報酬アイテム入手を報せるウインドウに触れ、アイテムをオブジェクト化すると、淡い青の結晶が一つ。
――――アイテム名は《解けぬ恋心の結晶》。効果はテイムモンスター【Spirit Of Youtree】の召喚。
掌で使用されるのを待つ結晶を見つめ、深呼吸。散乱する酒瓶の山にそっと置いてその場を後にした。
………と、そのクエストの一部始終をプレイヤーの用いる用語を出来る限り排した言い回しを以て聞かせる。それと同時に苦い思い出に精神が病んでいくような心地さえした。どう記憶を精査しても、あれに有難味を求めるのは困難だ。精霊というより、もっと別の何かだ。悪霊に近い。
「………その精霊は、今も独りでいるんですか?」
「さあな。普通に旅をしていれば出会う事さえ困難だ。俺の場合は巡り合わせが良かったのか悪かったのか知らないが、どちらにせよ精霊と人は相容れない。共にいるのは互いの為じゃないから、あれとはそれっきりだな」
MMOにおけるプレイヤー同士での恋愛面での縺れというのは往々にしてあるようだが、例え仲間になるとはいえ面倒臭い性質のNPC――テイムモンスターである以上は、厳密にはNPCではないのだろうが――に絡まれては、ソロでの活動を主とする俺ではおちおちゲームを楽しむ事さえ出来ない。ティルネルの懸念している、精霊の抱える孤独も可哀想なのだろうが、お断りする誠意もまた優しさなのである。
「でも、きっと、リンさんに逢えて嬉しかったんだと思いますよ」
「どうだろうな。体の良い逃げ道にしか見られていなかったのかも知れないけど、依存するだけで自発的に動こうとしなければ、そいつの為にならんのさ」
クエストの話をしていたつもりだったのに、どうして脱線してしまったのか腑に落ちないが、過去の話もいい具合に暇潰しにでもなれば十分だ。借家の門前まで、然して時間が気になることもなく到着していた。ボソボソと何やら呟くティルネルを担いだまま、ドアノブを捻って進入する。
ベランダから差し込む朝日に目を細めつつも、視界はすぐにアジャストされる。出入り口を施錠して、リビングのソファにティルネルの入った寝袋を横たえ、縛っていた口を解放して顔を出させると、大きく息をついて安堵の表情を見せる。
「ここが俺達の拠点だ。窮屈な思いをさせて済まなかったな」
「いいえ、私も保護して頂いた身です。感謝こそすれ不満を感じる道理なんてありません」
「そう言ってくれると救われるよ」
主に誘拐疑惑からくる罪悪感からな、と内心で付け足しつつ、リラックスしてもらえるように――――仮にもモンスターである彼女にこの気遣いが意味を持つかは不明だが――――昨日も客に振舞った茶を用意する。ポップアップ・メニューの操作では味気ないので、常にマニュアルで行っているお茶汲みも、今では手慣れたものだ。部屋の隅のチェストの上に備えた茶器で淹れた茶と、ありあわせの茶菓子も適当に用意して、テーブルへと戻ろうとした、その時だった。
「………燐ちゃん?」
「あ、起こしたか」
ちょうどティルネルの横たわるソファの後ろ側に位置する一室からヒヨリが姿を現した。自らの《裁縫》スキルによって作成したネコ――――のような《へちゃむくれ》――――が無数にプリントされた寝間着を纏った姿の相棒は未だ覚醒していないらしく、覚束ない足取りでリビングの中央まで歩を進め………
「ちょっ、待っ………ごふっ!?」
「………あれ、やわらか………って、ええええ!?」
ソファに、正確にはソファに横たわったティルネルの胸あたりに腰掛ける。寝袋から勝手に抜け出すと思って放置していたが、どうも律儀にそのまま包まって待っていたらしい。これについてはティルネルの性質に一抹の不安を覚えずにはいられない。
ヒヨリもヒヨリで、腰の下で起きた惨劇に気付くと突如として悲鳴をあげる。一気に眠気も失せたらしい。少々面倒な状況だが丁度良い。ティルネルについてヒヨリにも話をしておくに越したことはないだろう………
「燐ちゃん! どうしてこんなことしたの!?」
「床に置くのも可哀想だろう?」
まさか、踏んづけたことを俺の所為だと言いたいのだろうか?
だとしたら、確認を怠ったヒヨリにも責任の一端は帰せられるべきだと思うのだが………
「そうじゃないよ! どうして女の子を誘拐しちゃったの!?」
「ち、違う! 誘拐じゃないぞ!? ここまで同行してもらうのに許可だって取ったんだ!」
誘拐などではない。いつまたエンカウントできるか分からない上に、先の突然気を失う様子を見ていれば、到底放置しておくという判断は出来ない。あの場面において最善の策だったはずだ。それをしてなぜこれほどの仕打ちを受けねばならぬのだろうか。納得できるはずもない。撤回を要求する所存である。
「フゥーン、ヒヨリちゃんだけじゃ満足出来ずに女子を拉致監禁カ。………リアルじゃ事件ダゼ?」
そして、背後からは最も聞きたくない人物の声に酷似したそれが聞こえる。この感情は第一層での厨二装備購入以来だろうか。昨晩、一旦PTから離脱して部屋から出ていくのを確認している。PTでないのに部屋を開錠することは専用スキルを取っていなければ出来ないだろうし、部屋に居続けたというのも記憶と矛盾している。
「なんでアンタが当たり前のようにいるんだよ………」
「面白そうなモノ担いでるリンちゃんを見掛けて、そのまま追跡してきたんダ。………そしたら見事にビンゴだナ。そのままリンちゃんが開けた入口からお邪魔して突撃取材をさせてもらってイル」
この《鼠》油断も隙もあったもんじゃないな。正直慣れる事は永遠になさそうだ。
「わかった。説明するから変な情報捏造するな」
一先ずは、この誤解を何とかしよう………
後書き
燐ちゃんがティルネルを連れて帰る回。
《寝袋の中の一時的フィールド》の解明、明かされる燐ちゃんの知られざる戦い、誘拐騒動、話題はそれなりにあったのに進展らしい進展もなく、いまいちパッとしない感じでした。この流れ結構続きますね………
さて、今回は燐ちゃんの昔話ということで第二章ボツストーリーをサラッと入れてみました。NPCから情報を得るのは隠しクエストを探す上でも大切なことなのですが、そのクエストは《情報を持つNPCと特定の順番で会話しなければならない》という発生条件付きのクエストだったりします。情報を持つNPCは総勢6名。720通りの順番があるなかで燐ちゃんがこのクエストに辿り着いたのは運の良さとしか言い様がありませんでした。報酬アイテム《解けぬ恋心の結晶》によって召喚された精霊はテイムモンスターとして、以後HPが全損するまでプレイヤーと共に在り続ける仲間となります。戦闘においては、打撃属性武器《鞭》の広範囲攻撃は言わずもがな、暇さえあれば夢を語ったり、甘えてきたりと多彩な感情表現をみせてくれるところまで考えましたが、どうにもアレなので見送りとさせていただきました。キャラが濃すぎるので今は無理です。
ではまたノシ
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