ウルトラマンゼロ ~絆と零の使い魔~
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Episode of Tabasa 臆病者-オリヴァン-part1/変心する嫡子
前書き
今回初のタバサの外伝話を書きます。
時期は、ルイズたちがアンリエッタからの任務を請け負ってからラグドリアン湖での騒動に巻き込まれるまでの時期です。
久しぶりなので、もしかしたら致命的ににおかしな所があるかもしれません。
その辺りはご指摘してくださると助かります。
これはちょうど、ルイズたちがアンリエッタの頼みでトリスタニアの街に繰り出し、魅惑の妖精亭で働いている間の期間の出来事…。
補則をつけると、タバサがガリアへ帰省しキュルケがそれについてきて、ラグドリアン湖での戦いに巻きこまれるまでのことも含めての出来事だった。
「…っち」
ガリアの空を、一匹の風竜が飛んでいた。その背に乗っているのは、風竜シルフィードのご主人様である少女、雪風のタバサ。そしてもう一人は彼女の親友である微熱のキュルケ。
いつも通りの無表情のタバサに対し、その日のキュルケは酷く不機嫌そうだった。本来なら彼女自身、歪んだ顔はしわの元にもなるからなるべく避けておきたいのだが、今度ばかりはそうはいかないほど機嫌が悪かった。
それは数刻前、タバサが今回の任務の概要を聞くためにプチ・トロワを訪れた時の出来事が原因であった。
ハルケギニアの中で最大級の都市であるガリアの首都リュティスの東の端に、ガリア王家の住まう宮殿、ヴェルサルテイルがある。森を切り開いて美しく規模の大きい荘園が特徴だ。宮殿の中央部に『グラン・トロワ』が点在し、ガリア王ジョセフ一世が政治の杖を振う。そこから離れた小さな宮殿にプチ・トロワが点在している。
そのプチ・トロワを、シルフィードに乗って訪れたタバサとキュルケだが、謁見の間にて…。
「やっと来たか。人形娘」
年齢は外見から見て17歳ほど。青い髪と瞳、タバサと似た容姿を持っておきながらその顔には苦労知らずで粗暴さを体現した王女が、口汚く言葉を吐いた。王女はキュルケを見ると、はっと鼻で笑う。
「一著前にお友達なんかつくったのかい?いや、違うね。どうせ人形娘を愛でてやることで、自分はなんて優しいんだってうぬぼれに心酔してるんだろ」
キュルケはその王女の言い草に、激しい憤りを覚えた。
なんなのだこの女は!こいつが、タバサの親族だというのか。
信じられないだろうがその通り。この女はジョセフ一世の娘であるガリア王女のイザベラ。性格は、見ての通りとても王女にはふさわしくない、地球でもクラスに一人いるかもしれない地味だったり人見知りな子がいたら、真っ先に嫌がらせを働くタイプの女だった。
だが、キュルケは抑える。この女は仮にもガリア王女。逆らったら自分だけじゃなくタバサや、彼女が必死に守ろうとしている母親の立場も今以上に危なくなってしまう。
一方で、タバサは跪いたままいつも通りの無表情を貫いていた。キュルケはそれを横目で見て、不服に思った。この子はなんとも思っていないのか?いくら王権を剥奪されたからって、何か言い返したいことがあるはずだし、それが大概の人間の顔に現れることだってあるはずだ。が、彼女は数日前にオルレアン邸でペルスランに教えられたタバサの過去を、その夜母の心を奪われた時の夢を見ていたタバサが寝言で母に対して必死に警告を入れていたことを思い出した。
…そうだ、この子は父を殺され、母親の心も失ったせいで、表情を持たない人形のようになってしまった。悲しい過去を背負い、その無表情という仮面の下に隠れた本当の気持ち。それを読み取ろうともせず彼女に不満を抱くのはお門違いだ。
一方でイザベラは、タバサのノーリアクションぶりにしかめっ面をさらしていた。本来ならタバサによく似ているはずの美しい容姿が、醜く歪んでしまってせっかくの高貴さと可憐さを露ほども感じさせないほど台無しにさせている。
「あんたわかってんの?もう王族じゃないのよ?魔法がちょっとくらいできるからっていい気になってるの?」
いい気になっているのはどっちだとキュルケは心の中で悪態をついた。この言い方だと、この女はタバサと異なり魔法の才能が乏しく、天才であるタバサを妬ましく思っている。
しかし魔法の才が使えないからってなんだというのだ。才能が乏しいという点に関してはルイズも同じだが、彼女の場合自分やクラスメートたちからどんなに馬鹿にされても決して諦めたりくじけたりもしない、どんなに嫉妬したり悔しがっても努力を絶対に忘れない努力家なのだ。それにサイトに対して隠しているつもりであからさまな淡い想いを抱くなど女の子らしい可愛らしさを持ち合わせているのだ。
だが、この女はなんだ。この女とは初めて会うことになるが、キュルケは人を見る目が長けている。この女は『全く何の努力もしていない』!さっきの様になっていない椅子の座り方といい、明らかに自堕落オーラが漂っている。王女と言う立場に甘んじるあまり毎日だらけた生活を送っているのだ。とことん人のことを妬むだけ妬んで、そして嫌がらせを働く。最低だ。
実際キュルケの予測は全て当たっている。才能がない者はルイズのように必死に努力し自分を磨くことで時に天才以上に輝く。だがイザベラは自堕落な生活に甘えて何一つ努力していない癖に、自分と異なり才能にあふれたタバサに対して理不尽な嫌がらせを働くばかりの酷い女だった。
しかしそんな従姉妹にタバサは眉一つ変えない。逆にその無表情と眼差しにプレッシャーを感じたイザベラはぐ…とたじろぐ。
「ふ、ふん。いい気になってるのも今の内だよ。ほら、これが任務の概要」
イザベラは余裕をかまそうとしながらも隠せない動揺をさらしながら、紐でくるまれた用紙を投げ渡す。
「そうだ、もう一つおまけでくれてやるよ」
さらにもう一つ、彼女は古い人形を投げつける。タバサは床の上に転がったそれを拾う。いびつで古ぼけた人形だった。
「人形娘に人形。なかなか傑作だろ?」
そしてシッシ!と虫を追い払うように出て行くように言った。
キュルケはこれまであらゆるボーイフレンドを作って遊んだことで女子から反感を買い、彼女たちやタバサの才能を妬んだ同級生のヴィリエからタバサと一緒に嫌がらせを受けたことがある。とはいえ、キュルケは自分に非があっても彼らに対して『そんなだから自分にたやすく恋人を取られるのだ』と見なし、逆に返り討ちにしてやったことがある。いっそ彼女たちを裸にして翌日の朝教師一同に見られて恥をかかせてやったように、あのイザベラにも同じことをしてやりたいほど機嫌を損ねていた。
が、これ以上あんな屑女一人のために苛立ってもせっかく保たせているこの美肌にしわが残ってしまう。違うことを考えよう。
「タバサ、それに書いてあった任務っていったいどんな内容だったのよ?」
そうだ。これから愛する母のために孤独に戦い続けてきた親友タバサのために任務の手伝いを買って出たのだからそのことを考えればいい。キュルケはタバサに今回の任務の事を尋ねた。
さあ、どんと来い。友のためならこの微熱のキュルケ。地獄の業火だって…!!
「ガリアの魔法学院の不登校児を学院に登校させる」
「…………え?」
親友であるタバサのために命を持駆けるつもりだったキュルケは、予想外な任務の内容に目を丸くした。
タバサが立ち去った後のイザベラは自分の寝室にて、着こんでいた上等なドレスをしわだらけにしながらゴロンと寝転がった。
「ったく…いくら退屈だからなんとかしてって言ったら、北花壇警護騎士の団長?そんなものに甘んじていられるわけないでしょ!」
彼女は王女という何不自由ない生活を送っている。一般人から見ればとてもうらやましいものだが、彼女は起きて豪華な料理を食べて後はだべっているだけの毎日に退屈していた。とはいえ、だからって王女という身分を投げ出してまで外の世界に興味を持つ気はない。下賤な民と同じ世界を見るなんてまっぴらだし、今の王女故に贅沢な生活にとことん甘えきっているのだから当然だった。
ここで一つ解説を入れよう。『北花壇警護騎士』とは、ガリア王家に仕える騎士団の一つだ。ヴェルサルテイル宮殿の豪勢で美しい花壇に因んで東西南北の四つの騎士団が存在する。が、宮殿の北には花壇がない。よって表向きには、かつてシュウの世界の防衛組織『TLT』がそうであったように、タバサの所属させられている北花壇騎士団は存在していないことになっている。表沙汰にできない王家の汚れ仕事を引き受け秘密裏に処理するのがこの闇の騎士団の役目だった。
「父上ったら最近はこれまでにないほどおかしいわ。ここしばらく娘である私にちっとも会いに来ないし、使い魔にしているっていう『あの女』と一緒になってからは拍車がかかってるし…あ〜〜もう!退屈よ!!」
すぐそばに侍女がいるというのに、彼女はベッドの上でゴロゴロと寝返りを打ちながらくだらない愚痴ばかりをこぼしていた。
「…ご退屈なら、ゲームでも…」
近くの侍女は恐る恐るイザベラに声をかけた。
これ以上機嫌を損なわれるとこちらの首が気まぐれで飛びかねない。貴族は平民をさげすみ、平民は貴族を恐れる。このガリアでも例外ではなく、イザベラのいるこのプチ・トロワはまさにその中でも悪い意味の見本である。イザベラの我儘と悪辣さに、ここで働いている者たちは皆振り回され続け、毎日びくびく怯えながらも、生活に必要な給金のために働いている。だったら暇をもらうと適当に言って辞職してしまえばと言われても、そうおいそれと辞めることもできないだろう。イザベラのもとで働くのが嫌だから辞めます、だなんて言えるはずもないのだ。
「ゲーム?前みたいにカードやサイコロ遊びでもしろっての?もうそんなの飽きたわ。気晴らしに狩りに出かけろとか言われても、外になんか出たくないわよ」
退屈だとほざいたのはどこのどいつだ。気を遣ったこっちがまるで馬鹿みたいじゃないか。そうは思うが侍女は口に出さない。
「そもそも、なんで王女である私じゃなくて、あんな人形娘なんかに…魔法の才が…」
いつしか退屈への苛立ちの矛先が、ここにはいないタバサへの八つ当たりになる。自分にすごい魔法が使えたら、あんな奴…。それに魔法の力が優れていたら宮仕えの平民や下級貴族共からも哀れみや同情の視線だってきっと向けられたりはしない。
しかし彼女は勘違いをしている。いかに魔法の才がイザベラにあったとしても、だからといってそれが彼女の人格の評価につながるわけじゃない。それに気づいても考えてさえもいない時点で、彼女はタバサに圧倒的な差をつけられていると言えた。
それに引き換え侍女たちはそれに気づいている。魔法の才以前に、従妹であるタバサにこれまで、自分の一時の気晴らしのためだけにどれだけの嫌がらせを働いてきたことか。王女である身分を盾に、イザベラは侍女や騎士たちに、タバサの服を風魔法でびりびりに破くわ、生卵を投げつけては『笑え笑え!』と命令したり…これまで何度も悪質ないじめに加担させていたのだ。こんな下種な真似をしでかす女より、たとえ魔法の才がタバサに無かったしても、誰もがイザベラなんかよりもタバサこそが王女に相応しいと考えていた。
「…今度父上に何か面白いものを寄越せって頼もうかしら…」
窓から外に広がる青空を眺めながら、イザベラは一人ごちた。その判断が、退屈しのぎ程度では済まされないほどの、一つの騒動を招くことも知らず…。
任務の内容が、まさかガリア首都リュティスの魔法学院の不登校児を学院に登校させるというものだったとは思わなかったキュルケは拍子抜け気味だった。
ともあれ、二人は任務の概要書に記載された依頼人『ド・ロナル家』の屋敷を来訪した。
出迎えてくれた女性は、キュルケと同じ赤い髪でスタイル抜群の美少女メイドだった。しかし露出の少ないメイド服と清楚な物腰が、キュルケとはまた異なる魅力を引き出していた。
屋敷の主人であるド・ロナル夫妻は仕事で外出してばかりでほとんど屋敷に戻ることがないらしい。外で話すのもなんだろうと言うことで、メイドの女性『アネット』に屋敷に案内してもらい、タバサとキュルケは肖像画を並べられた長い廊下を歩き、客間のソファに座った。
「ところで、本当に今回の任務って、不登校児を通わせるだけなの?」
キュルケからの問いに対してタバサは黙ったまま頷く。北花壇騎士という秘密部隊に身を置いているとはいえ、タバサはガリアの騎士。普通に考えれば、こんなつまらないことで呼び出されるべきはずない。
「はい…奥様はとにかく、『オリヴァンをド・ロナル家の跡取りに相応しい男に育てるには、やはり学院に通わせるしかない』とのことでして…」
アネットも補足を着けるように口を開いた。
「不登校になった理由はわかるわけ?」
ため息を漏らしながらキュルケは、そのオリヴァンと言う少年の不登校の理由を問う。
「…いえ、それが…旦那様たちは一切お話してくれませんでした。問い返そうにも、私たち平民ごときが、旦那様たちに強く問い詰めることができるはずもないので…」
アネットもこんなことで騎士を呼び出すことになったことに違和感を覚えているようで、すっかり困り顔だった。
「ならせめて、お坊ちゃまに直接私から問うてみたのですが…ぼっちゃまは一向にお話をしてくださらないのです」
「…案内して」
いや、相手の事情がなんであっても、タバサの任務はあくまで『不登校児であるオリヴァンを登校させる』ことだけだ。同年代の男子の人生相談などではない。
「わかりました。こちらへ…」
アネットはタバサに従い、二人をオリヴァンの部屋の部屋の前へと案内した。オリヴァンの部屋は二階の方に置かれていた。アネットはマンティコアの紋章が刻まれた扉の前に立ち、ドアを軽くノックした。
「坊ちゃま、アネットです。扉を開けてくださいませ」
しかし、扉の無効からの返事は無くシーンと静まり返っている。
「坊ちゃま!どうかあけてくださいませ!アネットです!」
二度目のノックに対してもノーリアクション。ならドアノブに手を掛けてみるが、鍵が掛かっている。本当ならアネットのほうが悩むはずだが、キュルケも頭を抱えてしまう。
「はぁ〜、完全に引きこもっちゃってるわね。それに、扉の向こうからなんか臭うわ。メイドたちにも掃除させてないの?」
彼女が言ったとおり、扉の向こうから、いろんな臭いが入り混じった切ない臭いが漂っている。まるでこの扉の向こうに、ごみの中から誕生した怪獣でもいるのかと思える。
こういった男とは付き合えないな、とも思った。キュルケの好みとは間違いなくかけ離れている奴がこの屋敷の坊ちゃんなのだろう。できればサイトやシュウのようなキュルケ視点でイケてるいい男を期待したかったのだが。まぁ今回は自らタバサの手伝いを志願した以上、途中下車をするつもりはない。
「はい…今年の春に入学してからずっとこの調子で…」
アネットも女性だ。部屋に篭らせた悪臭は生理的に受け付けられない。それも含めて部屋の掃除を一人のメイドとしてこなしておくべきとは思うが、肝心の部屋の主がこれではたまらない。
「どいて」
タバサは二人にどくように言う。彼女の手には、杖がしっかり握られている。もしやと思ってキュルケとアネットは慌てた。
「ちょ…タバサ!?それはいささか強引じゃない!?」
「そ、そうですわ騎士様!これがもし奥様たちにばれてしまったら、騎士様もただでは済まされなくなってしまいます!」
しかし、タバサは手を休めようとしない。すでに詠唱を始め、風魔法エアハンマーで扉をこじ開けてしまおうとしていた。せめてコモンマジックのアンロックで穏やかに行こうとすべきじゃないのか?
しかし、意外なことが起こった。鍵がかちゃりと音を立てて解除され、オリヴァンの部屋の扉が開かれたのだ。一人でに扉は開かれ、その部屋の全貌が見える。
「あれ…?」
アネットはその光景に違和感を感じた。オリヴァンの部屋は、最後に見たときはほとんど片付いていない有様だった。食い散らかされた食器や、チェスのボードと駒、ワインの瓶が散乱していたはず。しかしそれら全てがちゃんと、床の上やテーブルの上で並べられたり棚に片付けられていたりしていた。
あれだけ散らかっていたのが嘘のように、部屋は綺麗に片付いていた。
「いやぁ、すまないなアネット。少しでもお前の負担を減らそうって思って一人で片付けもしててね。後は窓を開けて新鮮な空気を取り入れれば…」
部屋の置くから、丸々太った少年が顔を出してきた。この人物がオリヴァン少年のようだ。年齢については自分たちと変わらないか1歳程度の歳の差に見受けられる。しかし、引きこもっていたと聞いていたわりに、爽やかな表情を浮かべているではないか。
「ん?お客人かい?」
「え、あ…はい。ガリア花壇騎士のミス・タバサ様とそのご友人、ミス・ツェルプストー様です。お坊ちゃまを学院に通わせろと旦那様たちからのご依頼でここに」
オリヴァンの予想外な姿にアネットはポカンとしたが、すぐオリヴァンから問われた質問に、タバサたちを紹介した。
「ああそうか…確かに入学してから僕は学院に通わずにいたから父上たちが…。すまなかったねアネット」
「ぼ、坊ちゃまが謝るなんて!滅相もございませんわ!」
アネットは突如のオリヴァンからの謝罪にかなり動揺した。
「さて、明日に備えて学院に通う準備をしなくちゃな…。アネット、早速出悪いけど他の者たちと一緒に風呂の準備と部屋の掃除を頼む。こんな臭いが体に染み付いてたら、また笑い者にされるだろうからね。その間は書庫で出遅れた分を勉強しておくよ」
「は、はい!かしこまりました!!」
オリヴァンは頼むよ、と一言言い残し、階段を降りて行った。
「…意外と心配なさそうに見えるけど」
アネットだけではない。キュルケも目を丸くしていた。不登校になっていたという話がまるで嘘じゃないか。あんな爽やかフェイスを見せ、しかも特に自分たちが何かをしたわけではないのに、学院に自ら通うと言うとは。
「え、ええ…入学してから間もない頃、坊ちゃまはすっかり部屋に閉じこもって一向に出てこなかったのに…でも、よかった。坊ちゃま自ら自分の殻から飛び出してくださって」
動揺こそしていたが、アネットはオリヴァンが部屋から出てきて、自ら学院に通うことを決断したことに喜びを覚えていた。しかし、タバサは黙り込んでいた。
「え、あ…すみません騎士様方!せっかくご足労なさったのに…」
彼女が口を開かなくなったことに、アネットはもしやタバサが自分たちが結局無駄足になったばっかりに不機嫌になっているのではないかと恐れを抱いた。
しかし、タバサは気にしなくていいと言うと、黙ってオリヴァンが降りて行った階段を見下ろした。
「彼と話をしてくる。あなたは彼の言われたとおりにして」
「は、はい…」
タバサはアネットにオリヴァンからの命令に従うように言うと、アネットはすぐ他のメイド仲間たちを呼びに向かい、タバサとキュルケはオリヴァンを追う。
彼は言っていた通り、書庫で自主勉強の準備のため、数冊の本とノート、羽ペンを持ってテーブルに座っていた頃だった。
彼は二人が来たことに気づくと、さっきと同じ明るい表情で彼は出迎えた。
「おお、お客人。こんなところまでご足労頂くとは。しかし済まない。気の利かせが足りていなかった。せっかく来たお客人にもてなしを忘れていたなんて」
「別にいい」
「早速尋ねるけど、どうして学院に通わなくなったのよ」
タバサとキュルケはオリヴァンのテーブルの向かい側の席に座り、不登校になった理由を問う。
「…簡単に言えば、いじめられていたのさ。僕は」
「いじめ…」
なるほど、簡単な…しかし精神的にはかなりきつい理由だった。
「僕は外見が見ての通り丸々太っていてね。しかも魔法の才能も乏しい方だ。いじめっ子たちの的にされるのも無理は無かった」
「じゃあ、どうして急に学院に通う気になったの?」
今度はタバサから質問が飛んできた。
「不登校になったのは、やはりあいつらの罵声に嫌気が指したからだ。でも、父上たちが僕を心配して君たちをよこしたように、僕も内心このままではいけないと思っていたから、なら学院にもう一度通うその日まで、一人魔法の特訓をしようと思ったんだ」
「魔法の特訓ねぇ…」
話を聞く限り、この少年もルイズと同じ境遇にも思えてくる。才能が無いのなら、無いなりに努力する。最初は光るものの無い石ころが磨かれた果てに光り輝く宝石に変わるように。しかしキュルケはルイズと比べて、目の前の少年に何か違うものを感じた。
「で、部屋を出たって事は、目処は立ったのね?」
「ああ。明日は僕をいじめていた連中の驚く顔が目に浮かぶよ。
そうだ、せっかく来たんだ。今日はこの屋敷に泊まるといいよ。客室は常にメイドたちが掃除しているから心配は無い」
泊まることを勧められたタバサ。今回の任務は目の前の彼、オリヴァン少年を学院に通わせることだ。これ以上この場に留まる理由などなかった。だから本来ならせっかくのもてなしとはいえ断ることも選択肢の一つとして捉えるべきだろう。
「…ありがとう」
「タバサ!?」
しかし、タバサは泊まることを受託した。キュルケはそれを聞いて驚いた様子を見せたものの、タバサは決断を変えなかった。
「タバサ、どうして泊まる気になったのよ?もうここに用は無いはずよ」
その夜、客用の寝室に案内されたキュルケは同室のタバサに、用事は済ませたはずなのにド・ロナル家への停泊を決めた彼女に理由を問う。
「…キュルケもおかしいと思ったはず。引きこもるほどのいじめを受けた人間が、そう簡単に家を出るはずが無い」
「…」
考えてみればキュルケもオリヴァンの態度がどこか怪しいと思うようになった。自分の両親やメイドが心配をかけるほど部屋に閉じこもっていたというのに、何かのきっかけが起きたかも不明なまま部屋から飛び出してきた。何の理由もなしにこんなことが起こるだろうか?部屋に閉じこもるのが嫌になったのなら、あんな爽やかな表情を浮かべるだろうか。
キュルケもこれには違和感を覚えた。
「思い過ごしかもしれないわよ。それにうかつに首を突っ込んであなたに危害が及んだら…」
もしあのオリヴァンに怪しい何かが無かったら不敬罪、あったら秘密を守るために、逆に始末される、といういやな未来が待ち受けている気がしてならない。
「ガリアにしこりを残すことは、ガリア北花壇騎士である私には許されていない」
こう言われると、キュルケは言うことが見つからなくなる。心をなくした母親を守るべく戦う少女は、同時に母の命も握られている。彼女の言うとおり少しでも何かしらのしこりが残したことがいずれジョセフ王たちにも露見されてしまえば、タバサにも彼女の母にも何をされるかわかったものではない。
タバサに残された選択肢は、ただ一つ。ド・ロナル家での任務を果たしつつ、裏を見極めることだった。
「まずは明日、当初の予定通り彼の学院生活を観察する」
次の日、与えられた任務どおり、タバサとキュルケはオリヴァンを学院へ連れて行った。形ばかりの登校の手伝い。それでも馬車に乗ってひとまず学院に向かう。
これから向かう学院『リュティス魔法学院』はトリステイン魔法学院と異なり、国内外でも裕福で有力な貴族の子たちしか通えないほどの、名門中の名門、故にこれまでの歴史の中であらゆる優秀なメイジたちを輩出し続けてきた。オリヴァンの屋敷はこの学院からはそれほど離れていない街の一角にあり、街から遠く離れたトリステイン魔法学院と異なり自宅から通学をする学生もいる。
タバサはシルフィードを通学には敢えて使わなかった。通学に彼女の瀬を借りるとオリヴァンの不審な動きを読めないので、街の上空で待機させている。万が一ごく最近まで引きこもっていたというオリヴァン、またはその周囲に妙な動きが見られた場合の対策だ。
リュティス魔法学位の前庭につく三人。トリステイン魔法学院はすでに長期休暇の期間だが、この学院は休暇をとっている期間の時期も長さも異なるためか、授業をその日も行うこととなっているようだ。
「護衛ご苦労さん。後は僕だけでなんとかしよう」
オリヴァンは軽く礼を言うと、校舎の方へと歩き出す。すると、周囲の学院の生徒たちはオリヴァンの姿を見て、数人ほどの男子生徒たちが近づいてきた。
「おやおや!誰かと思ったら泣き虫オリヴァンじゃないか!」
「最近学院に来ないもんだから僕たち心配してたんだぜ!」
嘘だ。全く心配しているような顔をしていない。タバサとキュルケは揃ってそう思った。
「遊び相手がいなくなってさ…困ってんたんだよ?今日の授業は組み手の予定だしさ、お前がサボっていた分の稽古をつけてやるよ」
「お、いい考えだな!」
ルイズを落ちこぼれ扱いする連中と同じ目だ。相手の尊厳を根本的に否定している卑劣な目。自分はまだいい方だ、とは思っていたが、自分もあんな連中と同じ目をしていると思うと、キュルケは不思議と自分に対しても嫌悪感に近いものを覚えた。こうして、一方的に一人の人間を追い詰めるのは、こうして傍から見ると恥ずかしいことこの上ない。
それに気づくことなく、生徒たちは以前どおりオリヴァンに対する卑劣な行為に及ぼうと杖を構えている。本来こんな光景を白昼堂々としている光景を見れば、教師はすぐにやめるように警告を入れて生徒に厳重注意を呼びかけるものだが、この学院の生徒たちの親たちは、ガリア王国でも指折りの有力貴族ばかり。説教をしたところで、万が一生徒の親がその一人だったとしたら、たとえ教師でも『我が子を侮辱された』というありもしない言いがかりを突きつけられてしまうのだ。だから面倒ごとを避けるために見てみぬふり。教師の風上に置くべき教師が一人としていなかった。
圧倒的権力、それ以前にオリヴァンよりも優れていると自負している魔法の力、そして臆病なオリヴァン。彼らいじめっ子たちはそれらを盾に、間違った方向へ向かっている。このような腐敗の側面は、トリステインだけではない。やはりこのガリアでも同様だったのだ。
「タバサ、どうするの?あいつら、オリヴァンを…」
「…」
キュルケがタバサの意見を聞くが、タバサはここは手を出さないつもりか、首を横に振った。とりあえず静観しつつ、オリヴァンを観察することが今の優先事項だ。
いつもなら、こうして脅すだけで、臆病者のオリヴァンは屈する。うわべだけの強がりを言うくせに、結局涙で顔をぐちゃぐちゃにしてしまうのだ…が、今回はどういうことがそんなそぶりは見受けられなかった。それどころか、オリヴァンは不適な笑みを浮かべている。対するいじめっ子たちは彼の生意気にも取れる態度に、若干苛立ちを募らせた。
「…なんだよオリヴァン。その余裕かました態度は?」
「まさか、忘れたわけじゃないよな?お前のちゃちなドットクラスの魔法なんかじゃ、俺たちライン以上のメイジの魔法に敵うわけないって」
「それに、君はほんのちょこっと脅かせばビビッて逃げる弱虫じゃないか。僕たちに勝てない現実に絶望しすぎて頭がおかしくなったのかな?」
顔は笑っているが、目は全く笑っていない。格下の人間ごときにいい気になられて我慢できるほど器が大きくなかったいじめっ子たちは、オリヴァンに向けてつむじ風を吹かせた。
この魔法でオリヴァンのズボンのベルトを切ってしまおうとでも思っていただろう。それに対してオリヴァンは即座に杖を振るった。すると、オリヴァンの腰に近づいてきた風が彼に当たることなく跳ね返り、逆にいじめっ子たちのズボンを切り、彼らのズボンを足元までずり落としてしまった。
「うわあああ!」
無論自分の下着を露にされた彼らは両手でそれを上げて戻すが、手を離すとズボンがまたずり落ちることになる。
「こ、この弱虫…よくもやってくれたな!このアルベール様に!」
アルベールと名乗ったその学生はオリヴァンに向けてお返しに魔法を放とうとするが、片方でも手を離すとズボンの下に隠した下着が見えてしまい、やはり詠唱もロクにできない。
それに対して、オリヴァンは勝ち誇った笑みを浮かべながら、杖を振るう。すると、今度は巨大な渦巻きが巻き起こり、いじめっ子たちをまとめて校舎の方へ吹っ飛ばしてしまう。
「え、エア・ストーム!?トライアングルスペルじゃない!」
キュルケが思わず声を上げる。これはタバサや自分と同じトライアングルメイジじゃないと使えないレベルの魔法だ。これだけの魔法が使えたのに、彼はいじめっ子たちに恐れをなして引きこもっていたのか?それともまさか、本当に引きこもっている間にひそかな特訓で習得したとでも?いや、ありえない。一朝一夕はもちろんのこと、2,3ヶ月でドットメイジだったはずのオリヴァンがトライアングルにたどり着けるはずが無い。天才メイジであるタバサとてそれは不可能だった。
「あっはっは!!ざまあみろ!僕は真の実力を発揮できるようになったんだ。それも君たちのような…人を平気でいじめてはあざ笑うお前ら以上にね!」
意地の悪い笑みを浮かべながらオリヴァンは高笑いした。
「や、やめ…!!」
命乞いのセリフを告げようとしたいじめっ子たちだが、当然オリヴァンは聞き入れなかった。
これまでいじめられてきた恨みを一気に発散するかのごとく、オリヴァンは続けて魔法を放って、最終的にいじめっ子たちを素っ裸の傷だらけの姿に変えてしまった。
「この屑共め!人を散々いじめるようなお前らなんか貴族じゃない!!ただの薄汚い逆賊だ!」
「くそ…覚えてろ!!」
裸にされて、傷だらけにされて倒れたアルベールたちは、悔しげにオリヴァンを睨みつけて立ち去っていった。
キュルケは、オリヴァンの姿を見て顔をしかめていた。確かにいじめていた連中は悪い。だが、今のあのオリヴァンの姿は…果たしていじめの被害者と一概に判断していいのか…と思う。正直な話、サイトやシュウは愚か、ギーシュの方がまだ男としてましに思える印象だった。少なくとも今のオリヴァンの姿は…。
タバサはオリヴァンを見て、いつもどおり沈黙を貫いていた。が、其の目には何かを怪しむ眼光が宿っていた。
授業においても、オリヴァンは教室に入った時、「なんとか病は治ったのか?」と罵声を受けた。不登校になる直前で適当な病気の名前を言ってずる休みをしていたのだろうが、オリヴァンはその罵声に苛立ちを募らせつつも、今に見てろと不敵な笑みを浮かべた。
カリキュラムはトリステインとほとんど変わらない。この日はビーカーに入った水から、タバサも得意とする魔法〈ウィンディ・アイシクル〉を唱えるというもの。タバサほどの実力者なら空気中の水蒸気から作り出せるが、高度な魔法のため、まずはビーカーに入った水で作る。教師から誰かやる人は?という問いに、オリヴァンは遠慮することなく手を上げる。オリヴァンを見てほぼ全員の生徒たちがあざ笑っていた。ドットクラスの弱虫メイジにできるわけがないだろうと。
しかし、驚いたことに無数の矢がビーカーの水どころか周囲の空気中の水蒸気から作り出した水でいくつもの氷の矢を作り出して黒板に手裏剣のように突き刺さり、教師はへなへなとしりもちをついて崩れ落ち、周囲の生徒たちはオリヴァンの覚醒に感嘆した。すごいじゃないか、実はすごいメイジだったのだな、と。オリヴァンはその賞賛の言葉に鼻を高くしていた。
ここ数日、帰宅してからのオリヴァンは上機嫌だった。いじめっ子たちを散々いたぶりつくし、見返したことで清々したに違いない。
「まぁお坊ちゃま、そんなに嬉しそうに。何かいいことあったのですか?」
「あぁ、アネット。最近の僕は実に機嫌がいいんだ。これだけ晴れやかな気持ちになったのは生まれて初めてだよ。さぁ、夕食の準備を他の者たちに用意させろ。お客人たちの分もね」
そう言うと、オリヴァンは制服から私服に着替えるために自室に戻っていった。
「お坊ちゃま、あんなに嬉しそうに…」
アネットは上機嫌なオリヴァンを見てほっとした表情を見せていた。あれだけ晴れやかな笑みを見せた主はいつぞやぶりだろうか。
「確かに晴れやか…だけどね」
ぽつりとキュルケは呟く。すると、タバサはくいっと、アネットの服を掴んで振り向かせる。
「き、騎士様?」
「彼は、本当にドットメイジだったの?」
「え、ええ…話で聞く限りでしたが、ドットクラスでしたけど、何か…?」
「…いや、いい。なんでもない」
それだけならまだ良かったかもしれない。オリヴァンがあまりに異常に思えるようになったのは、それから翌日のことだ。
「先日はよくもやってくれたなオリヴァン…!」
「弱虫の癖に、俺たちに恥をかかせやがって!!」
「絶対に許さないぞ!この僕を誰だと思って!」
次の日、いじめっ子たちが一斉に彼に報復しようと、上級生も含めたメイジたちをかき集め、学院の近くにあるサン・フォーリアン寺院に呼びつけたのだ。
いじめっ子たちのグループはすでに20人も集められていた。どうしてここまで集められたのか、大方金で雇ったりなんて真似をしてきたのだろうが…。
「いくらトライアングルクラスのお前にも、この数のメイジを相手には勝てないだろう」
恥を承知の上での選択を自覚しているのかはわからないが、これでいつもどおりオリヴァンをいたぶってやる。すでにオリヴァン以上に見苦しい姿を晒していることに気づかず、いじめっ子たちは杖を構える。
「おいおい、君たち。一つ勘違いしていないか?」
しかし、オリヴァンはちっとも動揺しなかった。その顔にまたしても、いじめっ子たちは弱いものいじめの対称だったはずの格下の相手がまた余裕の態度をかましていることに苛立ちを募らせたが、耳を傾ける。
「僕は確かにトライアングルクラスの魔法を使ったが…だからといっても僕が『トライアングルクラスのメイジ』だということではないんだよ?」
「へ?」
オリヴァンが杖を振るうと、わずか一瞬の光がオリヴァンといじめっ子たちの間の地面に突き刺さり、地面を焼き払うと同時にゴロゴロゴロ!!と轟音を立てた。
「らら、ライトニングクラウド!!?スクウェアクラスの…!!」
「ひ、ひいいいいいい!!!!」
「おいおい何腰を抜かして逃げてるんだよ!僕はまだやり返したら無いぞ!!」
20人近い人数をそろえておきながら、彼らはオリヴァンの魔法に恐れをなして腰を抜かし、一部の者たちは逃げ出してしまう。
(タバサ…)
勝ち誇るオリヴァンの姿を茂みの中から見ていた、キュルケはタバサを見ると、タバサも頷く。今のオリヴァンは、あまりに異常さに満ちている。そんな気がしてならない。周囲の地面や木々が焼けている。これだけの規模の大きい魔法を使った暴行。いじめに対する正当防衛だとしても、これは異常すぎた。寧ろオリヴァンが、弱者をいたぶっているようであった。
すると、残っていた学生の一人、アルベールが茂みの方を向き、叫び出した。
「お、おい傭兵!何をしている!早く僕たちを助けろ!」
その呼び出しに答え、草陰から一つの人影がひょいと顔を出した。
「なんだよ…傭兵だって?はっ。たかがならず者なんかに、今の僕に勝てるわけ無いじゃないか」
「新手…」
オリヴァンを学院に通わせることが今回の任務。万が一彼に危険が及ぶようなことも避けなくてはならない。タバサは万が一に備え杖を構える。しかし、アルベールの呼び出した傭兵があまりに意外で、予想外すぎる人物であった。
「へいへい…んなにうるさく言わなくたってやってやっから…って…あれ?」
頭をかきむしりながら、肩に長い棒を担ぎながら現れたその男は、タバサたちを見て目を丸くした。
「あなたは…」
「「あああああああああああああああ!!!」」
呼び出された傭兵とキュルケは互いに指差し合って叫んだ。
その傭兵は…なんと…。
「グレン!!?なんであなたがここにいるのよ!」
そう、アルビオンの空を縄張りとしていた、アルビオン王党派と唯一結託し、怪獣を使役するレコンキスタ相手に不利な状況から彼らを一時救い出した炎の空賊団の用心棒、グレンファイヤーことグレンだったのだ!
「いや、あたりに散り散りになった仲間を探すついでに、食い扶持稼ぎのために傭兵家業も始めたんだけどよ…それよか、なんでお二人さんがここにいんだよ!」
思わず担いでいた如意棒を下ろし、グレンは質問を質問で返した。どうやらグレンは、あのアルビオンでの戦いで各地に姿を消した仲間を再び集めるために、それに伴う旅費の稼ぎのために傭兵をやっていたようだ。
「なんだ?お前たち知り合いだったのか?」
オリヴァンは思わぬ展開に目を丸くしていたが、これはこれで好都合だと思った。タバサたちの知り間と言うのなら、別に戦う必要だって無い。まぁ最も、今の自分は無敵だ。負けるわけが無い。
「ふん、知り合いだからって関係ない。やれ」
アルベールは自分の都合を優先させるようにグレンに命令する。アルベールがオリヴァンに仕返しするためにわざわざ雇っていたようだ。
グレンはため息をついた。たかが、ズレた常識に囚われた貴族の坊ちゃん同士の喧嘩じゃないか。今回アルベールに雇われたグレンだが、正直な話乗り気じゃなかった。ただ給金が悪くなかったからたまたま引き受けただけだ。
「待って」
タバサがグレンに声をかける。その真意を察してか、グレンはすぐに応えた。
「ああ、心配すんな。加減するって」
グレンもただの貴族の坊ちゃん相手に本気…、炎の巨人としての姿を見せることは避ける方針だった。あの力を人間相手に使うなんて大人気ないし、最悪自分を人類共通の敵として認知させてしまうことになってしまう。だからこの如意棒、ファイヤースティックと己の肉体を駆使して戦うのだ。
キュルケもとりあえず安心したが、問題はオリヴァンだ。彼はグレン相手に々出るつもりだろうか。オリヴァンは余裕を崩していない。いくらグレンといえど、見た目は自分やサイトよりも年下にも見える少年だ。
「ふ、ふん。逃げるなら今のうちだぞ?アルベールも落ちたもんだね。取り巻きを連れたり、代理人を立ててまで僕に勝ちたがるとは」
「ぐ…!!」
「タバサとやら、お前たちの手を出さなくていい、こんな傭兵風情の平民、僕一人で十分だ」
見たところ、メイジではない。なら余裕だとオリヴァンは最初から勝った気でいた。
グレンはオリヴァンを見て、きっと顔をしかめた。臭う…。こいつは典型的な愚鈍な貴族よりもタチの悪いタイプだ。そんなにおいがする。高潔さと誇りを保ち、王族としての、一人の人間としての尊厳を保っていたウェールズとはまるで月とすっぽんの差を感じた。
「御託はいいからかかってきやがれ。まぁ…てめえこそ今から逃げ帰ってママのおっぱい吸ってその腹にたまりまくった脂肪をさらに溜め込んでいる方がいいんじゃねえの?」
グレンの挑発を聞いて、オリヴァンの頭の中で何かがブチン!!と何かが切れる音がした。
「き…キサマァ!!」
瞬間、オリヴァンは杖を振るう。タバサも使う氷の魔法、〈ウィンディ・アイシクル〉が飛んできた。これでハリネズミか蜂の巣にしてやる!そう思って放って見せたのだが…。
「……」
グレンはファイヤースティックを風車のように回し始めると、それによってあらぬ方角へ次々と跳ね返されていった。しかも、一切炎を発火させていない。
「そ、そんな馬鹿な!?」
オリヴァンは衝撃を受ける。なんでだ?メイジなのか?いや、あいつが詠唱をした形跡はなかった。しかし奴は間違いなく、トライアングルクラスの魔法をあっさりとかわした。
「あんだよ…もう終わりかぁ?」
呆れた様子でグレンはアメリカンジョークでも言うように両手の平を返してやれやれとぼやく。
「ふ、ふざけるな!!」
今度はキュルケも使う魔法、フレイムボールを放って攻撃するが、なんとグレンは、今度は棒を一切使わず、手で軽く振り払うことでフレイムボールをかき消してしまう。
「これで炎かよ?笑わせてんのか?」
自分は存在そのものが炎といえる。オリヴァンの放った魔法はグレンからすればあまりにぬるま湯程度のものでしかなかったようだ。
「なんだよ貴様…エルフか!?」
「エルフだぁ?何言ってんだ?それより…打ち止めか?」
「は…はは!いいぞ!!そのままやってしまえ!」
グレンが圧倒的優位に立ったのを見て、所詮他人の力を借りている身だと言うのに、アルベールは愚かにも自分の手柄のように勝ち誇っていた。
「ま、まだだ…今度はこの魔法で!!」
オリヴァンは、杖を眼前にて構え、詠唱を開始する。それに伴い、彼の杖に雷がバチバチとほとばしっていく。おそらくすくウェアクラスのあの魔法…ライトニングクラウドをグレンに放つつもりだ。
「さっきも一発使ったのに…精神力がまだ切れないの!?」
キュルケが驚く中、グレンは繭一つ動かさず、肩に担いだ如意棒を握って身構える。
「食らえ…ライトニングクラウド!!」
オリヴァンは轟音をほとばしらせる豪雷を呼び寄せ、グレンに向けて振り下ろした。これで目の前の生意気な傭兵を丸焼きにしてやれるはずだった。
しかし…。
グレンは咄嗟にファイヤースティックを蹴り上げ、空に向けて放り出す。すると、オリヴァンによって落ちてきた雷はファイヤースティックに辺り、周囲に一瞬の光と轟音を立てた。結果、グレンは傷一つつくことはなかった。
「そ、そそ…そんな!!そんな馬鹿な!!」
オリヴァンは青ざめた。どうしてだ?僕はスクウェアクラスのメイジだ。それなのに、たかが棒一本を担いでいる傭兵の子供なんかに、たかが平民ごときに!!?
魔法を一切使わず、棒を避雷針代わりに蹴飛ばしただけでライトニングクラウドをかわすという荒業で回避して見せるなんて!
「すごい…素敵だわ!!」
キュルケは青くなるオリヴァンをそっちのけで、どこか熱のある目線でグレンを見ていた。表情を変えていなかったが、内心では久しぶりにぶれないキュルケを見たような気がしたタバサであった。
「…もういいや。興が冷めたから…」
グレンはオリヴァンに失望を抱き、ファイヤースティックを放り捨てて一気に駆け出す。目の前にまで一気に接近したグレンにひぃ!と悲鳴を上げたオリヴァンは、拳を振り上げてきたグレンを見て腰を抜かし、杖を落としてしまった。それを見てグレンは手を引っ込め、オリヴァンの杖を拾い上げた。
「貴族の決闘じゃ、杖を落としたら負けなんだよな?これで俺様の勝ちっていいな?」
「あ…」
オリヴァンは我に返った。負けた…。スクウェアにまで上り詰めたというのに、たかが平民、同年代の子供にあっさりと敗れた。
「おい待て。まだ決着はついてないぞ。まだこの泣き虫オリヴァンに、上下関係と言うのもをもう一度叩き込まないといけないんだからな」
そういったのはアルベールだった。もう勝負はついたというのに、格下の存在と決め付けていたオリヴァンを痛めつけないと我慢ならないようだ。グレンははぁ…とため息を漏らし、オリヴァンはアルベールに対する恐怖を思い出し悲鳴を漏らした。
「…もういいだろ。弱い奴いたぶって何が楽しいんだ?」
「楽しい?違うね、これは貴族と平民と言う二つの存在で人間を分けることが必要なように、貴族同士でも…弱者と強者の隔たりが必要なんだよ!そうした方が、弱い奴同士が混在しない分混乱が少ないだろうからね!」
いやらしい卑劣な笑みを浮かべるアルベールはさも同然のごとく言う。グレンは彼を見て酷く憤りがこみ上げてくるのを感じた。こいつの親は一体どういう教育をしてきたんだ?とばかり思わされてしまう。
「…ばーか。要は自分の立場がなくなることにびびってんだろ」
「なんだと…!」
アルベールはこめかみをひくつかせた。
「僕が雇った傭兵の癖に、僕に逆らうというのか?」
「ご自慢の権力で俺を貶める気が?それとも、あんな子供だましの花火にビビッていたお坊ちゃんの魔法で俺を殺ろうってのか?」
じろり、とグレンはアルベールを睨みつけた。睨みつけられたアルベールはグレンの視線に突き刺され、底知れない恐怖を覚えた。目を見ただけでわかった。こいつには、勝てないことを。
「く、くそ!逆らった以上、給金はやらないからな!それと覚えてろ!いつか僕の家の権力でお前を…」
後ずさりながら、捨て台詞を吐こうとするアルベールだが、沸点の低さもあいまってイライラを溜め込みきったグレンが、目の前の愚かな貴族の御曹司に向けて怒鳴り散らした。
「いいからさっさと失せろやこのくそガキ!!いい加減耳障りなんだよ!!」
「ひぃ…!!」
ついにアルベールはグレンの怒鳴り声に耐え切れず、そのままいずこかへと逃亡した。
「給金なんざ、別にいくらでも稼ぐ手立てはあんだよ。…と、改めて」
逃げ出していったアルベールを追うことなく、肩に棒を担いでタバサたちのほうを振り返る。
「おっひさしぶり!お二人さん、元気してたかい?」
「え、ええ…」
さっきの激怒した表情から一変、子供のような無邪気な笑みを浮かべながら軽い口を叩いてきた。あまりの変わりように、タバサとキュルケは戸惑いを見せる。
「よかったの?あなたの依頼主」
「ああ、別にいいって。あんな連中に頭を垂れる頭なんざねえのは、アルビオンであった時に知ってるだろ?」
タバサからの問いに対してグレンはそう答えた。確かに、彼らは独自の誇りを持ち、自由を何よりも愛すると言っていた。アルベールの脅しにまるで屈しなかったのは、本来の実力と能力からして彼らを超えているだけではない。他者の自由を踏みにじるような言い回しをしたアルベールが単純に許せなかったからだ。
「色々話してみたいことはあるけどよ…そういや、お二人さんは何でここにいんだ?」
グレンはさっき聞きそびれた、タバサたちがここに要る理由を問う。タバサは無言のまま、近くで呆然としているオリヴァンを見る。ああなるほど、とグレンはそれを見て納得した。おそらくあのお坊ちゃんのお守りを任されてしまったのだ、と。
少しの間をおいて、なんとか立ち上がったオリヴァンは、キッと三人を睨みつけて怒鳴り出した。
「どうして、さっき僕を助けなかった!僕に恥を掻かせやがって!」
「あ?」
こいつ何言ってんだ?とグレンは首をかしげた。これにはタバサとキュルケも顔をしかめた。特にキュルケが露骨だった。
「…手を出すなといったのはあなた」
「ええ。間違いなくあんたはあたしたちに手を出すなって言ってたわよ。それなのに人のせいにして恥ずかしくないのかしら?」
「そ、そんな口を利いていいと思っているのか?僕はド・ロナル家の跡継ぎなんだ。父上に言ってお前たちを縛り首にしてやれるんだぞ!」
「たかが子供の喧嘩で動くわけ無いでしょ?それに、スクウェアクラスの魔法を使っておきながら平民に負けたあなたの方がやばいんじゃなくて?」
「ぐ…!!」
キュルケの言うとおりだった。アルベールたち相手ならまだ良かったのだが、グレンは魔法を一切使ってこなかった少年一人に…魔法を全てかわされ、敗北した。スクウェアメイジの力を持つ癖にこの結果では、寧ろオリヴァンはちくったところで、家の恥さらし扱いされかねない。
「ま、自業自得ね。それに今回の諍いもあたしたちの任務とは関係ないことだし。本来はあくまで、あんたを学院に通わせろってことだけだったんだから」
「…くそ!!」
オリヴァンは結局何も言い返す言葉が見つからず、踵を返して屋敷の方へ帰っていった。結局この諍いは、オリヴァンもアルベールたちも、どちらも勝者になることはないという予想外のオチとなった。
「いいのかよ、あの坊ちゃん怒らせて」
「『怒らせてはいけない』とは言われてないから」
それはそうだろうが…と今のタバサの一言になんともいえない奇妙なものを覚えるグレン。
「けど、怪しいと思う」
タバサは、グレンなら信頼に値するかもしれないと判断し、オリヴァンのことを話した。ごく最近までドットメイジで、それもいじめが原因で屋敷に引きこもっていたにもかかわらず、突然スクウェアメイジに覚醒しいじめっ子たちを圧倒したこと。
「なるへそ…だから、必要以上に滞在してたってわけか」
話を聞いてグレンはきな臭さを覚えた。
「うし、決めた!俺も混ぜてくれや!」
「え!?」
これを聞いて二人は目を見開いた。
「けど、あたしたち払えるお金なんてないわよ?」
「おいおい、あの時も言ってたろ?俺たちは、自由を愛する炎の空賊だぜ?それによ…」
「何か…?」
「聞こえるんだよな……連中の、自由を穢すクズどもの息遣いが」
そのときのグレンの顔は、軽さなど微塵も感じさせない…一人の戦士の顔をしていた。
結局、半ば強引にグレンはタバサたちのパーティメンバー入りをし、彼女らとともにオリヴァンの屋敷を訪れることになった。出迎えてきてくれたアネットは一人連れが増えていることを気にした。
「あの、部外者の方は…」
貴族の屋敷もそうだが、他人の家にそうやすやすと入っていいものではない。せめて招くにしても事前に連絡を入れてからが常識だ。
「ん?あぁ、実は…俺も同じ任務に就いてたんだよ」
グレンは、実はタバサと同じ任務についている身であると偽った。
「そうなのですか?旦那様たちからは何も聞いておりませんが…」
「信用できる。安心して」
「騎士様がおっしゃるなら…」
所詮平民一人が意見するものじゃない、という弱腰な部分もあったのだろうが、アネットはとりあえずグレンを信用することにした。
「へぇ、なかなかの別嬪さんだなあんた。そこらへんの威張り散らすだけの貴族のメスガキよりも女としてのレベルが高いぞ」
「そ、そんなことありませんわ!それと、貴族様にそのようなことをおっしゃっては…」
急に貴族以上に女らしいと指摘されたことにアネットは恥ずかしくなると同時に、すぐ近くに貴族の令嬢二人がいることを思い出して慌てた。
「いい。気にしてない」
タバサは別に自分が対称にされているとは思っておらず、もしそうだとしても特に怒るようなことではないのに気に留めていなかった
「あたしもよ。威張り散らしてるのは、寧ろあの『ゼロ』の子の方でしょうし」
そう言いながら、キュルケは遠まわしにルイズの事を指しながら言う。同じ頃、魅惑の妖精亭で働いていたルイズがくしゃみをしていたとか。
「そういえば、先ほど帰ってきてからぼっちゃま、またご機嫌が…何かあったのですか?」
それを聞いて表情こそほとんど変化が無いが、タバサの目線がどこか鋭い。睨みを利かせているようにも見える。タバサとキュルケは久しぶりのオリヴァンの学校生活、そして先ほどの諍いのことについて明かした。教室での活躍はともかく、いじめっ子たちに対する仕打ちを聞いてアネットは青ざめた。
「まぁ!なんてことを…下手をすれば相手方のお家にも何かしらの影響が出かねないのに!いえ…それよりも…」
貴族の家名に影響する問題を懸念したが、それ以前にアネットはあの弱気なオリヴァンがいじめっ子たちを叩きのめしたという話に耳を疑った。
「オリヴァン坊ちゃまがそのような暴力行為に及んでいたなんて何かの間違いですわ!だってあの方は…」
「けど事実。嘘はつかない」
「それは…騎士様方が嘘をつくとは思っていませんが…信じられません…あの方はそのようなことをなさる方ではないのに…」
「けど、現にいじめっ子たちにやり返していたわよ?気持ちはわからなくも無いけどね。最も、いじめられていた分を過剰にやり返すってのは、根性が曲がっているとしか思えないわ。グレンが止めてくれなかったら、さらに拍車をかけていたでしょうね」
キュルケはそう言うが、アネットは首を横に振った。
「いえ、あの方は心の曲がっているような方ではございません」
「どうしてそう言えるの?」
「あれは、私がこのお屋敷でご奉公することになった…かれこれ3年前のことです」
なぜ、アネットがオリヴァンを庇うような言い方をしたのか、その理由を明かした。
当時、身寄りをなくした彼女は親戚の紹介でこの屋敷のメイドとして雇われた。田舎から出てきて右往左往するばかりの彼女は失敗を続けては同じメイド仲間や先輩たちの怒りを買い、オリヴァンが泣き虫呼ばわりされているように、彼女もまた『のろまのアネット』と馬鹿にされていた。毎日が辛くなり、行く宛てが無いとは言え屋敷を出ようと考えた矢先、彼女はついに最大の失敗として、屋敷の棚に飾ってあった壷を割ってしまった。その壷は彼女が何年稼いでも支払えないほどの大金で購入されたもので、アネットが割ったことがバレてしまえば…。彼女はいっそシレ川に身投げしようと恐ろしいことまで考えた其の時…。
「お坊ちゃまが、自分が割ったことにするから気にするな…と仰ってくださったのです。ロクに友人もできなかった私にとって、お坊ちゃまの優しさはまさに光でしたわ。おかげで仕事にも慣れ、失敗することもなくなり、友人も数える程度ですができるようになりました。今の私があるのも、お坊ちゃまのおかげなのですわ。
ですから自分に誓いました。たとえ味方がいなくとも、私だけは坊ちゃまの味方であり続けようと」
「………」
微笑を浮かべながらオリヴァンのことを、どこか熱くも語っているようにも見えるアネットを見て、キュルケはわずかに笑みを浮かべだした。
「もしかしてあなた…オリヴァンに恋してるの?」
キュルケから直球の予想外な問いを聞いて、アネットは思わずボウッ!!と顔を真っ赤にしてしまった。
「そ、そそそのようなこと!!平民でもとは田舎娘の私ごときが貴族のお坊ちゃまになんて、恐れ多い!!」
あたふたと慌てて否定するその様はかわいらしいものだった。身分違いの恋、まるで物語にあるようなシチュエーションは恋多きキュルケにとって見逃しがたいものだった。
「ヒューヒュー!なんだよあのぶきっちょ、こんなかわいこちゃんのハートを射止めてやがってたのか!やることやりやがって…憎いぞこの野郎っ!てな」
グレンまで悪乗りしてアネットをからかい、さらに彼女を赤面させる。
だが身分違いの恋とは最終的に互いの別れを促すものでもあることが必然。身分とはずいぶんとまぁ厄介なものだと思う。彼女の故郷ゲルマニアでは平民も高い金さえ払えば貴族になれる国だ。故に野蛮扱いされているものの、それは同時に貴族と平民の壁がほとんどない。だから身分違いの恋も間違いなく自分たちの知らないところで頻繁にあることと思う。できればアネットには好きな人と結ばれて幸せになってほしいところだが…。
(けど、今のオリヴァンは正直お勧めできないわね…)
身分云々以前に、今のオリヴァンは男としては魅力を感じられない。それがキュルケの見解だった。寧ろ結ばれたところであのオリヴァンが原因で家庭崩壊を起こすフラグが見える。
「かといって引き離すのも酷だし、私の趣向には合わないわね。だとすると、やっぱりあの太っちょのお坊ちゃんには…」
「話がそれてる」
「あ、あら…そうだったわ」
タバサがキュルケに喝を入れ、思わず恋バナに没頭しかけるキュルケも我に返った。今はアネットの恋(?)を実らせることじゃなくて、オリヴァンに何か不審な点が無いかを探ることではないか。
「あなたはいつもどおり、メイドとして働いて。ただ、彼に何か違和感があったら私たちに言って」
「坊ちゃまの違和感を、ですか…?」
アネットは、納得仕切れずにいた。あのオリヴァンが暴力行為に及んだこと。それに伴い、彼の魔法の腕がどういうわけかトライアングルは愚か、スクウェアにまで上昇していることの異常性。二人から話を聞いて、確かに人間が一朝一夕で強くなったことに何かおかしいとは思っていたが、信じられない。自分にとってオリヴァンは恩人。信じなければならない対象。それを、まるで疑うような行為に及ぶことはやれといわれてやり切れるようなことではなかった。
あの後、一応いやなら断ってもいいとタバサから勧められたが、アネットは貴族からの頼みごとを断れるほど貴族に対して図太くは無かった。
いつもどおり、彼女はオリヴァンのために作った食事を持って彼の部屋に向かう。部屋は片付いていたが、オリヴァンがベッドで寝そべりながら本を読んでいることについては変わらなかった…はずだった。
「お坊ちゃま。アネットです」
ドアをノックするアネット。しかし、タバサたちをはじめてこの屋敷に迎え入れた時と同様、帰ってきたのは沈黙。
「お坊ちゃま…?」
もう一度ノックしようかと思ったが、タバサの言葉が蘇る。
――――何か違和感があったら私たちに言って
アネットは、正直今やろうとしている自身の行為に恐怖さえも覚えた。しかし、アネット自身も気にならないわけがなかった。オリヴァンがいじめっ子たちに対する暴力行為同然の報復。その際、ドットクラスだったはずのオリヴァンがわずかな期間で手に入れた、スクウェアクラスの力。ある意味ではルイズの虚無覚醒並みにありえない話なのだ。タバサたちから話を聞いただけだが、事実ここしばらくのオリヴァンは妙に以前と違うあたり、嫌にも信憑性が高いことを思い知らされる。
ダメだとは頭でわかっていても、何かに引き寄せられるかのごとく彼女は扉に近づくと、オリヴァンの声が聞こえてきた。
「おい!本当に僕は無敵の力を手に入れたのか!あの傭兵にコテンパンに負けてしまったじゃないか!おかげで恥を掻いたぞ!!」
(…?)
会話が筒抜けと言うことは、サイレントの魔法が掛けられていない。メイジとは聞かれたくない会話をする際は部屋にサイレントの魔法をかけて防音措置を採るのだが、わずか数日足らずでスクウェアクラスにまで上り詰めたオリヴァンはそれを怠っていたようだ。
しかしそれ以上にアネットは気になる。誰かと話しているのか?タバサとキュルケ以外にこの屋敷に招き入れた人物はいなかったはず…。
まさか、皆に内緒で誰かを連れ込んでいるのか!?しかも『あなたのおかげ』というオリヴァンのたった一言。会話の内容を聞く限り、オリヴァンが招き入れたその人物が、ドットクラスだった彼を急にスクウェアにレベルアップさせた張本人だろうか。
「えっと…やりすぎないほうがいいって?それはまぁ…大丈夫でしょう。証拠なんて形にできなきゃ意味ないですよ。ディテクトマジックにも引っかからない方法でここまで力が沸いたんですから。…わかりましたよ。次からは控えます」
傍から聞くと、奇妙な独り言。しかし、間違いなくオリヴァンは誰かと話している。いったい誰と話しているのだ?
もし異常があれば、タバサは知らせるように言っていた。何か得体の知れないものを感じた以上、ここでタバサたちの下へ、オリヴァンに悟られること無く戻ること。
しかし、アネットは首を横に振った。
(…いえ、オリヴァン坊ちゃまは、私にとってどこまでも…)
なんと彼女はドアノブを回し、部屋に入ってしまったではないか。傍から見たら愚かな選択だったのかもしれない。しかし頭でそうだとわかっていても、アネットはドアを開いてオリヴァンの部屋を訪れた。
急に部屋に入ってきたアネットに、オリヴァンは思わずその身をびくつかせた。その様は、いつぞやのただの臆病な貴族のわがままお坊ちゃんであったオリヴァンその人の姿だった。
「な、なんだよアネット!ノックしてから入れよ!無礼な奴だな」
「申し訳ありません。ノックはしましたが、お坊ちゃまのお返事がございませんでしたから」
「人のせいに……ふ、ふん。まあいい。それで何の用だ?」
人のせいにするな、とそれこそ人のせいにしている台詞を吐こうとしたが、口をつぐんでその言葉を自ら遮り、彼は要件を問う。
「お食事をお持ちしました」
「おお、もうそんな時間か…わかった」
「では、いつものごとく…」
オリヴァンは自分の手で飯を食べない。酷いことにアネットの手で食べさせるようにしているのだ。だがこれは彼だけに限った話ではなく、ごくたまにだが彼のように、一人で食事を取れる年齢に十分すぎるほどなっているくせにメイドや執事に飯を食わせる者もいるのだ。
「まずい!にんじんが入っているじゃないか!」
にんじんを皿の上に吐き出し、オリヴァンは怒り出す。この日はタバサとはじめてあってからしばらくの間の中でやたら不機嫌だった。しかしにんじんが食えない。これをゼロが見ていたらルイズに一度言ったように『残してんじゃねえよ。いけないんだ〜』と子供臭い指摘を受けていたことだろう。
「す、すみません…でもにんじんは体に良いものですから」
「だからどうした!僕がまずいといったらまずいんだ!」
我侭を言っては、せっかく料理を作ってくれたアネットを困らせる。他人から見ればあまりに情けない。
しかしこの我侭な発言は、今のアネットを安心させた。いつもの、自分の知っているオリヴァンの姿そのものだった。きっと思い過ごしだろうと、アネットはほっとした。結局オリヴァンはにんじん以外にも自分が食べたくない分を残してしまい、皿はオリヴァンの唾液交じりの残飯が積み上がっていた。
「ではお坊ちゃま。私はこれで」
ほっと一息つき、アネットは残飯の積んだ皿を載せたお盆を持って部屋を後にした。部屋のドアを閉め、ほっと一息ついたアネット。
(やっぱり、私の知っているお坊ちゃまのままよね…)
やはり自分たちの思い過ごし。きっと強力な魔法を使ったのも、何かの間違いだ。もしかしたらあらかじめ雇っておいたメイジを茂みの中に隠し、その人に魔法で攻撃し、あたかも自分が攻撃したかのように見せかけていたに違いない。
さて、思わずうかつにオリヴァンの前に現れてしまったが、タバサに何も異常はない、と伝えておこう。そう思って廊下の方を振り返ったときだった。
「え…うっ!?」
いつの間にか、彼女の前に同じメイド仲間の一人が立っていた。彼女はアネットが認識する間も与えず、彼女の腹にドゴッ!と拳を打ち込み、アネットを昏倒させてしまった。意識が薄れ行く中、アネットはわずかな視界の先に自室から姿を見せたオリヴァンが自分を見下ろしているのが見えた。かすかに笑い声が聞こえる。
アネットは一筋の涙をこぼし、そのまま意識を手放した。
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