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2部分:第二章
第二章
「許してはならない。この文を書いた学者を処刑せよ」
「は、はいわかりました」
「それでは」
こうしてであった。この学者は即座に死刑になった。
この学者だけではなかった。次々とだ。
多くの名を知られた学者がだ。粛清されていってだ。それを見てだ。
残った学者達はだ。さらに慎重さを強いられることになった。彼等はだ。
密かに集まりだ。話すのだった。
「何を書けばいいのだ」
「道という言葉なぞ普通に使うではないか」
「そうだ、天の道にしろだ」
「帝を褒め称える言葉だというのに」
「それを書いて死刑だと」
「しかもその死刑がだ」
ただの死刑ではなかった。これがさらに問題だった。
「腰斬のうえに八つ裂きだ」
「秦の始皇帝ですらしなかったぞ」
「うむ、焚書坑儒どころではない」
「元の方がましだ」
その漢人を冷遇し儒者、即ち学者を軽く見ていた蒙古人の王朝よりも酷いというのだ。
「元ですらあそこまで無道ではなかったぞ」
「一体何を書けばいいのだ」
「ただ帝を褒め称えればいいのだろうか」
「それしかないのか」
「そうだな。下手なことを書けば」
まさにだ。それだけで、であった。
「首が飛ぶどころではない」
「我等も八つ裂きになるぞ」
「屍は曝される」
「そんな最期は御免だ」
「身を慎まねば」
こう言い合いだ。彼等は。
文にも極端に慎重になった。とにかくだ。
皇帝を褒め称える無難な文に徹した。そうしていた。
だが、だった。これまたある学者がだ。文を書いたがだ。
皇帝はその文を読みだ。また言ったのだった。
「この文を書いたものを死罪にせよ」
「あの、この者は何をしたのでしょうか」
「何を書いたのでしょうか」
大臣達はまた恐る恐る尋ねた。
「一体」
「何を書いてのことでしょうか」
「光とある」
皇帝はまずはその文字をし敵した。
「光とは僧侶を指すものだ」
「僧侶を?」
「それを」
「朕はかつて僧侶だった」
これは確かなことだ。皇帝自身も認めている。そしてだ。
仏教の教えは光と連想される。それが問題だというのだ。
「朕のそのことを謗っているものである」
「だからですか」
「この者は死罪」
「左様ですか」
「すぐに処刑せよ」
こうしてだった。この学者もだった。
処刑されることになった。彼はすぐに捕まえられ死刑が行われる市場に出された。歴代王朝の伝統としてだ。処刑は市場で行われるのだ。
そこに引き立てられながら。学者は項垂れた顔で呟いた。
「何故だ」
「何故か?」
「何故かというのか」
兵達がだ。死を前にして項垂れる彼に対して問うた。
「殺されることについてか」
「何故かというんだな」
「何故私が殺されるのだ」
ひいてはだ。文を書いた者達がだ。何故それだけでだというのだ。
「私も他の者も帝を貶めてはいない」
「どうせ貴方は死ぬ」
「だから言おうか」
兵達は小声でだ。学者に囁いた。周りにいる群衆に聞こえない様にして。
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