ザアザアと雨が降る中、お天気お姉さんは今日も天気予報を伝えていた。
【ハーイ結野です。昼間はまた予報はずしちゃってごめんなさい。明日の天気こそは必ず――】
【うるせェェェ!!何回天気はずしたら気がすむんだ小娘!!】
【当たらねェ天気予報なんてやめちまえ!】
【そうだそうだ。お前うざいんだよ!】
だが彼女に降ってくるのは罵詈雑言。
当たりもしない天気予報を聞く人はもはや誰もおらず、野次馬たちは容赦なく誹謗中傷を投げ飛ばす。
そんな騒々しい現場の中でも、結野アナはいつも通りにこやかな顔でカメラの前に立っていた。
その様子が気に食わないのか、群がる野次馬たちはゴミを投げ、注意するスタッフの声が入り混じる。
【モノを投げるのをやめてください。結野アナ危ないから逃げて!】
【それでは今日の天気をお伝えします】
【ちょっ何やってんの結野アナ!?…ああ!大丈夫結野アナぁ】
縁側に座ってそんな光景―テレビから流れる音声を耳にしながら、晴明は画面に背を向け雨に身を濡らしていた。
だが妹に降りかかる批判の嵐、そして何かがぶつかる物音にいてもたってもいられず部屋に駆けこんでしまう。
するとそこには、寝転がって何食わぬ顔でテレビを見ている銀時がいた。
「……ぬし、クリステルのファンなのじゃろう。よくも見られたものだな」
「ああ俺ドSなもんで」
平然と言って、銀時はテレビを見続ける。
「それに結野アナが耐えてんだから。それでも伝えようとしてんだから見なきゃいけねェでしょ、俺達も。ねェお義兄様」
「誰が『お義兄様』じゃ」
溜息をつきながらも、晴明は今やるべきことを悟った。
「わしが目を背けてはいかぬな。しっかりと己の目で見なければ」
晴明は銀時の横に座りテレビを見る。
そこには市民から叩かれてもゴミを投げられても、笑顔で天気予報を伝える妹がいた。
雨の日でも風の日でも、クリステルがお天気を伝えない日はなかった。
どんな強風にも屈せず立ち続け、今こうして罵倒を浴びても弱音一つ見せずに笑顔で
市井を元気づけようとしている。
もし自分が同じ立場であっても笑ってはいられない。いや、あの場に立つ事すらできないだろう。
そう、
妹は強い。兄である自分よりも。
なのに格式を守るための道具にした。
「わしはな、以前結野衆頭目としてお家を守ろうとするあまり、その使命に目がくらんでおった」
寝転がる銀時に晴明は言った。
全ては両家の深き因縁を絶ち切り、もうこれ以上対立の溝を深めないために。
何をしても
厭わないと思った。平和協定を結べば争いも憎しみも消え、共に手を取り合う未来が見えると信じていた。
だがその先に見えたのは、やせ衰えていく妹の姿。
失ってやっと気づいた。自分がどれだけ愚かだったか、どれだけ妹が大切だったか。
それは無数の式神を使っても見えなかったモノだ。
「全てを見通し江戸を守ってきた最強の陰陽師が聞いて呆れるじゃろう。いくら無敵の式神を使おうと 見えやしない。本当に大切なモノは、この両の眼で見据えねば見えやしないのじゃ」
だが見えた時はもう遅かった。
自分勝手に妹を政治の駒に利用し、自分勝手に道満から妹を奪い、目先だけの利益を求めた結果――仲間も、妹も、かつての親友も失ってしまった。
「全てわしの仕業じゃ。道満を闇の道へ
誘ったのも、止まぬ雨の中にクリステルを立たせてしまったのも。……同じ兄として軽蔑するであろう」
自嘲めいて晴明は言う。護りたかったモノを雨の中に追いやった自分は、誰からもけなされて当然だと。
だが、銀時は責めも蔑んだ目で見ることもしない。
ただ彼も自嘲気味な表情を浮かべ、言った。
一体何のことを言っているのか分からなかったが、晴明は聞けなかった。
その瞳はあまりにも遠いところを見ているようだったから。
「ところで義兄上、ソイツはなんですか」
晴明が戸惑っていると、話をそらすように銀時は彼の懐から見える手紙を尋ねた。
「誰が『義兄上』じゃ。道満から送られてきた書状じゃ」
溜息をつく晴明から手渡された書状には【家柄と妹のどちらも護りたければ『式神タッグ呪法デスマッチ』で巳厘野衆と勝負せよ】と書いてあった。
両陣営から術者を三名選出して召喚した式神とタッグを組み戦の勝敗を決する陰陽師式の武闘大会で、両家の因縁とお天気戦争に決着をつけようというのだ。
つまり果たし状である。
「なるほど。結野アナだけじゃ飽き足らず
義兄様まで直接潰しにかかってきたか」
「わしはいつからぬしの『義兄様』になった」
「お
義兄も根暗陰険男に目つけられて大変ですねェ」
「わしはぬしのお義兄ではない。オイ、いい加減にせい。どんだけ親族に食いこもうとしとるんじゃ。 勝手に『義兄』呼ばわりされ、迷惑してるこっちの身も考えんか」
「いやいやお義兄たまの気持ちよくわかりますよ。俺も昔同じことされましたから」
そう言って、銀時はフッと思い出す。
攘夷戦争で出会ったあの関西バカを。
――そういや…アイツもよく笑ってたっけか。
にんまり笑って勝手に『お義兄さん』と呼んできたアイツ。
いつも笑ってばかりでムカつく奴だったが、アイツの笑顔は見てて嫌じゃなかった。
むしろ逆だ。戦いで重苦しい空気の中にいても、アイツが笑えばみんな笑った。
暗い空を明るく照らすような、不思議な奴だった。
双葉に惚れたアイツからいつも『お義兄さん』呼ばわりされ迷惑してたが、気づけば自分も似たような事をしていた。
なんでああもしつこく呼んでたのか分かる気がする。アイツもこんな気分からだったんだろうか。
どうであれ、今ならアイツと酒飲んで笑い合えそうだ――とほんの少しだけ思える。
だが、それは決して叶わない。
もうアイツは――
「なら余計やめんか。『お義兄たま』って気持ち悪いぞ」
「いや~俺ずっと兄貴やってましたから『弟』って奴になってみたいんですよ、たまきん兄さん」
「『たまきん兄さん』って何?最早たまきんの兄さんになってるよね。どんどん悪質になってるぞ。フザけておるのか!?」
「それで行く気なんですか。勝ち目なんてないでしょうに」
気の抜けた表情は変わらないが、不意に真面目な目つきになって銀時は話題を戻した。
呪法デスマッチは両陣営から三名の選出だが、結野衆の陰陽師は先ほどの巳厘野衆の呪法によりほとんど倒されてしまった。
今戦えるのは頭目の晴明一人だけ。数だけ見れば圧倒的に不利である。
「……言ったはずじゃ。この件は全てわしに責任がある。わしが一人で決着をつけねばならんのじゃ。 クリステルの盾はもうわししかおらん。妹を護るのが兄の務めであろう」
晴明の言葉は銀時に重くのしかかった。
晴明は一人の妹の『兄』だ。銀時もまた一人の妹の『兄』であり、二人は同じ立場の人間だ。
どちらも妹を傷つけてしまった『兄』。
攘夷戦争で銀時は大切なモノを護るため戦場に立った。やがてそこには双葉も立つようになった。
それは双葉自ら望んだ事だ。彼女も護りたいモノのために、刀を振るう決意をしたのだ。
兄として最初は反対した。だが双葉の意志は本物で、刀を手にすることを許した。
それは戦いの苦痛も辛さも全て背負わせることだとわかっていた。だが、それが妹の決めた道なら止める理由はどこにもなかった。
しかし、双葉に降りかかったのは全く別の苦しみ。
戦いの中で目覚めた感情に双葉が溺れたことを知っていた。
それでも、妹を立たせてしまった。
血の
狂気の中に。
止められただろう。
血を求め、狂気に溺れた妹を止めることができただろう。
いや、兄である自分が止めるべきだった。
……だが、そうしなかった。
大切なモノを護るために戦っていたはずなのに……ただ傷つけただけ。
――妹も護れねェ駄目な兄貴だな、俺ァ。
――………。
――……今さらウジウジしたって仕方ねェだろ。
つまずいたのを石ころのせいにしたところで何も変わらないし、振り返ってその場でジタバタするくらいなら、前を向いて歩いていこう。
そうして自分なりの生き方《ルール》を通してきたが、今になって――双葉と再会してから、本当にそれでいいのか分からなくなってきた。
双葉は時々おかしい。どこも見ておらず、ぼーっとしていることがある。
虚空を見つめるようなあの瞳は、あの時と似ている。
もしかしたら今も狂気の衝動に駆られて、無理矢理抑えこんでいるのかもしれない。
過激な毒舌が絶えないのは、抑えた欲求からはみ出た感情の顕れだろうか。だとしたら双葉はまだ狂気に縛られている。
そんな妹を前にして、自分の生き方に迷いが生まれ始めていた。
変わらないと割り切って振り返らないようにするのは、過去の過ちから目を背けることじゃないかと。
――……なに迷ってんだよ、らしくねェな。
――俺は俺の美しい生き方して俺の武士道貫くだけよ。
――そうだろ。別に俺は……。
『逃げてる』
妹から逃げてる。
双葉が自分で決めた道ならそのまま歩かせればいい。アイツは強いから大丈夫だと信じていた。
だがそれは、そう思いこんでただけじゃないのか。
勝手に信じて全部押しつけて、放っておいただけじゃないのか。
双葉は今も狂気の衝動に駆られている。
あの時止めもせず、そのまま狂気の道を歩ませた自分のせいで。
――俺はアイツから逃げてんのか?
――アイツは俺が護りたいモンの一つだ。今も昔も変わらねーよ。
だが、どうしてそう思うのだろう。
今あるこの気持ちは、双葉を傷つけてしまった罪悪感からなのか。
晴明は妹を護り抜こうとするが、結野アナに負い目を感じているからか?
負い目があるから護る……そんなのは罪悪感から逃れたいただの自己満足だ。
なら辛い想いをさせてしまった妹に、自分が抱いてるのは何だ?
ずっと心の中に雲がかかって何も見えない。
「そこまでして結野アナを護ろうとしてんのは、その負い目のためなのか」
内心で渦巻く戸惑いを銀時は尋ねてみた。
別に迷いを無くすためじゃない。
ただ聞いてみたくなったのだ。
たった一人の妹を背負う、もう一人の『兄』に。
「……負い目か。いや、ただ妬んでいただけなのかもしれぬ。己の格式を護る為だけに力をふるうわしに比べ、人々に天気を伝えるためにいきいきと力を使うアイツが羨ましかったのかもしれぬ。だが、テレビに立つアイツを見て気づいたんじゃ」
物憂げに答える晴明は、テレビに映る妹を見据える。
「人々に天気と笑顔を伝え幸せに導いているアイツは、わしよりよっぽど偉大な陰陽師じゃと」
その表情から少しずつ陰が晴れゆく。
また彼の言葉は、銀時にかかっていた雲も少しだけ晴らした。
「わかるか。クリステルは
結野衆の『誇り』であり――」
「わしの自慢の妹なんじゃ」
そう言い切る晴明を覆う陰は、もうどこにもない。
雨が降る中を澄んだ微笑を浮かべて、晴明は巳厘野衆の屋敷へ歩いて行った。
晴明にあったのは負い目でも罪悪感でもない。
ただ妹を護りたい想い一つだけ。
――……そうだったな。
――何かを護ンのに、理由なんているかよ。
――俺にとっちゃ
双葉は大切な妹。
――そんだけだ。
戸惑うことなかった。ためらうことなかった。
負い目があろうとなかろうと、そんなの関係ない。
ただ護りたいんだ。
大切なモノを護りたい一心で、刀を振るっていたあの頃のように。
昔も、今も、これからも妹が大切であることに変わらないから。
――……たく、俺ァとことん情けねー兄貴だな。
心の中で呟きながら、銀時は自嘲でも皮肉でもない微笑を浮かべる。
そして木刀を腰に携えて、雨が降る中傘もささず縁側を降りた。
「銀時様。どこへ行くつもりでござんすか?」
いつの間にか部屋でせんべいをボリボリ食べる外道丸に呼び止められ、銀時は懐にしまっていた回覧板を取り出した。
「なぁに、お隣さんちに回覧板届けに行くだけだって」
「ボロボロの紙持ってってどうするでござんすか」
外道丸の言う通り、回覧板に挟まった町内会秋旅行のお知らせの連絡網は、雨に濡れて字が滲みほとんど読めなくなっていた。
それを見て銀時は不満そうに口を尖らせる。
「何でもかんでも濡らしやがって。この雨いつになったら止むのかねェ」
「さあ。あいにくあっしは天道は読めないでござんすから、何とも言えやせん。ただこれだけは言える。晴明様は死ぬでござんす」
無表情に外道丸は断言した。
千年以上両家の力は互角だったが、巳厘野衆頭目の道満がとてつもなく強大な力を身につけたことで戦況は一気に変わった。
なぜ急に強くなったのかは不明だが、頬に刻まれた邪印から晴明に勝ちたいが為に道満は外法に手をつけたのだろう、と外道丸は言う。
それでも最強と謳われる晴明に勝機がないわけじゃない。
ただ江戸守護のために無数の式神を配して力が分散している状態の霊力が弱まった晴明には、ほぼ勝ち目がないのだ。おそらく晴明は全ての責任を自分の命で償おうとしているのだろう。
このまま晴明だけなら、結野衆と巳厘野衆の因縁の結末がどうなるか見えている。
そう、彼一人だけなら。
「俺達が行けばそいつは変わるのか」
「……銀時様、こういっちゃなんですが、これ以上この件に深入りするのはよしなんせ」
「おいおい。ドロドロのご近所トラブル見せつけておいて全部忘れろってか。目ん玉に焼きついた衝撃 映像はレコーダーみてェにポンポン消せるモンじゃねーんだよ」
「銀時様、あっしがあなたのお傍にいたのはあなた達を守護する為でも敵を退ける為でもありやせん。あっしは『妙な件に深入りするようならこれを阻止しろ』とあなた達の命を最優先に行動するようクリステル様に命じられてきたのでござんす」
「……つまりテメーはただの見張りか。最初から俺に仕えるつもりなんかなかったってわけか。まぁ、いいさ。人に仕えられるなんて慣れてなくて息苦しかったんだ。これで自由になれた」
そう言って歩こうとしたが――
轟音。
銀時の足元に巨大な金棒が落下した。
振り下ろした金棒で道を阻んだ外道丸は、銀時を鋭く睨む。
「止まれといってるでござんしょ。いらぬ悲劇を起こすつもりでござんすか」
「兄ちゃんが死んだら誰が一番悲しむかわかってんだろ?」
「あっしはクリステル様に仕える式神。式神は主の命に従うだけでござんす」
「式神のてめーじゃねぇ。俺はテメー自身に聞いてんだ」
揺るがない瞳で銀時は外道丸を見据えた。
「結野アナが泣いちまってもテメーはかまわねぇのか。どうなっちまってもいいってのか」
「あっしは外道を歩む者。主が泣こうが喚こうが、思うことは微塵もありやせん」
誰が傷つこうがそんなの知ったことじゃない。
嫌われようが蔑まれようがどうなろうとかまわない。
ずっと孤独に生きていた自分が感じることは、今更何もないのだから。
「でも―」
……ただ。
たった一つだけある。
式神でも外道でもない自分の心に感じるものが。
「友達の涙を見るのは嫌でござんす」
あの時のようにクリステルはまた悲しみの中にいる。
だが自分に何ができるだろう。
命令がなければ動くこともできない式神の自分が、どうすれば主を救える?
この身に代えても護ると誓ったが、どうすれば護ることができる?
所詮式神は――
「聞かねーよ」
その一言に俯いていた外道丸は銀時を見上げる。
「オメーは
自分の友達泣かせたくねーんだろ。だったらそうすりゃいいのに、式神だ主だつってそこで突っ立ってるだけじゃねーか。俺ァ泣いてる
友達ほっとく奴の頼みなんざ、聞くつもりはねーよ」
――!
銀時の言葉で外道丸は悟った。
クリステルは『友達』としてみてくれていたのに、自分はそうじゃなかった。
ずっと人間達にこき使われ恨みしかなかった外道丸は人を拒み続け、心の奥底に主従の壁を作り、クリステルですら遠ざけていたのだ。
空ばかり見ていたクリステルを助けることができなかったんじゃない。
『式神だから』と諦めて何もしようとしなかっただけ。
「……その通りでござんす」
金棒をしまい、外道丸は首を傾げる銀時に薄く笑いかける。
「言ったでござんしょ、式神は常に主を見定めていると。あなたがつまらない枠に縛られる
器の小さい人間でしたら撲殺するところでござんしたが――」
もちろん、これは半分今思いついたことで、本当は自分に向けた言葉。それは胸の内に潜め、外道丸は改めて銀時を見据えた。
「銀時様、認めたでやんす。今からあなたがあっしのもう一人の主でござんす。正真正銘あなたの式神としてお仕えする事を誓うでござんす。これよりあなたの
命はいかなる無理難題も必ずやりとげ、いかなる弾丸風雨の中とてあっしがあなたをお護りしましょう」
今まで仕えてきた中で、クリステルだけは他の陰陽師たちと違った。
そしてまた、この男も他の者と違う。
外道丸は全てをこの銀髪の侍に託す事にした。
「だから銀時様。どうか一緒にあっしの友達を救って欲しいでござんす」
改まった口調で頼みこむ外道丸に、銀時はやれやれと頭をかいた。
「言われなくてもそうするさ。だがその代わり主従だのなんだのナシだ、メンドくさい。それから銀時様はやめろ。俺のことは『社長』と呼べ」
気取った口調でそう言って、銀時は走り出した。
「わかりやしたでござんす、社長!」
外道丸もいつもより明るい調子で答えて駆け出した。
友達を助けるために。
ふいに。
一つの声が走り出した二人を引き止める。
「待て、兄者」
それはどこか重みのある低い声。
振り返ると縁側に銀髪の女が立っていた。
=つづく=