Shangri-La...
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第一部 学園都市篇
第4章 “妹達”
八月一日・夜:『黒夜』
時刻、二十一時三十分。場所、純喫茶ダァク・ブラザァフッヅ。一際濃い、夜闇を湛えた第七学区の路地裏に聳え立つ黒い屋敷。或いは『微睡みの蟇王』の鎮座する神殿、ン・カイの深遠。闇色の不定形の落とし子が跋扈するかのような、闇の中で。
冒涜のドアベルの音色が響く。内から外へと向かう彼女らの店内の記憶を、魔術的な彫刻の施された木製の扉と共に削ぎ落とす鐘の暗示が。
「ありがとうございました、またのご来店をお待ちしております」
「ええ、中々だったわ」
「それじゃあ、ばいばい」
沈利と離后に向けて、頭を下げる。先に述べた暗示により、本来ならばもう二度と彼女らが来る事は有り得ない。だから、普段は白々しく感じる言葉。
だが、その慣例を破ってまた現れた今回の事から、嚆矢は恐々としながら。
「じゃあ、バイバ~イ。麦野、滝壺♪」
「……では、超また今度」
「………………」
笑顔のフレンダと仏頂面の最愛に両脇を固められた、逃げ場の無い状態で。最早、苦笑いしか浮かばない。
しかもフレンダには右腕を抱き締め……ている風に見える関節技をガッチリ決められており、最愛からは左腕を骨が砕けそうなくらいの圧力で掴まれている。無理に振り解けば、両腕を諦めねばなるまい。こう言う時、昔の能力があればと思わないでもない。
「なんだい、フレンダ。『カラオケ行きたい』とか駄々こねてたのは、あんただろうに」
「だって麦野、結局これは運命の出会いって奴な訳よ。私と絹旗の事は気にしないで、楽しんできてね」
「こっちは此方でェ、超楽しみますンでェ」
「訳分からないわよ……てか絹旗、あんたキレてる?」
「いえ、別に」
「ふぅん……」
矢張、訝しんだらしく沈利は腕を組んで何か思案しながら、鋭い眼差しを此方に向けて。
「…………そんなに良い男かしらねぇ? ま、人の趣味にとやかく言っても仕方ないか」
「………………………………」
此方を値踏みして、『理解できない』と肩を竦めた。実に大きなお世話である。
「コッチとしては、仕事に支障を出さなきゃ文句はないけどさ。ホドホドにしとくんだよ」
「は~い」
「はい」
「………………………………」
それだけ口にすると、沈利は少し先で待っていた離后と合流して夜の帳が降りた学園都市に消えていく。
それを最後まで見送って、実に三分は経っただろうか。漸く拘束が解ける。その刹那────
「さて、と。じゃあ」
「超尋問タイムといきますかねェ」
「………………………………」
夜の闇の中ですら炯々と光って見えた程の眼光で、フレンダと最愛が此方を見遣る。それは底冷えがする程に、嗜虐的な瞳だった。それは底冷えがする程に、無慈悲な瞳だった。
それを暗澹たる瞳で見遣る。陰惨な蜂蜜色の黄金瞳で、遠く空の彼方の三日月と朧な星影を浴びながら決意を固める。
──ヤるしかねェな……幸いと言うか何と言うか、彼女らは麦野沈利達には俺の事は報せてない。それは、“剱冑”の『音響探査』で把握した。
同僚の初春飾利に、下級生蘇峰 古都にそうしたように『空白』のルーンを刻んで記憶を消す。それしか、手は残されてねェ。
漸く自由になった右手で『兎脚の護符』から、頭痛と共に『空白』のルーンを励起する。闇に煌めく無色の励起光を、誰も見る事は出来ない。後はなんとか、触れる事が出来さえすれば。
「──良い眼ェすンじゃねェですか、まるで餓狼ですねェ」
「結局、私らに何かあれば送信予約してあるメールが麦野に届く訳よ。下手な事はしない方が良いのよね」
「………………チッ」
だが、このルーンは『空白』。他の文字とは併用が出来ない。自然、『話術』や『博奕』の消えた状態となり、暗部として経験を積んでいる彼女達にそれを見咎められてしまう。舌打つも、もう取り返しはつかない。
それでなくとも『正体非在』等と言う能力を騙り、詳細を明かしていないのだから警戒はされていたのだろうが。
『空白』のルーンを終息させて、代わりに『話術』のルーンを励起して。
何にせよ、これで四面楚歌だ。後は鬼が出るか蛇が出るか、なるようにしかなるまい。
「それじゃ、とりま散歩でもする訳よ」
「わ~い、全男子の夢『両手に花』だァ。美少女二人に挟まれてうーれしーいなー」
「………………」
嘲笑うフレンダに促され、自然体である沈思黙考から軽佻浮薄に。巫山戯つつ店外に向かう。無論、背後は殺意を隠しもしない最愛に固められていて逃げ場はない。
師父には告げない。告げなくても、理解しているだろう。それでも手や口を出してこないのは、信頼からか諦観からか。何にせよ、一人でやるしかないのは確か。
そんな、夜の闇の底で。まるで、処刑の為に市中を引き回される罪人のように。
無貌の夜鬼がせせら笑うかのような風力発電塔の軋む音を、遠く聞きながら。
………………
…………
……
時刻、二十一時四十五分。場所、第七学区のとある公園。昼間はウニ頭の高校生が自販機に金を飲み込まれて喚いたり、ビリビリする中学生がその自販機を後ろ回し蹴りしていたりするような、何処にでもある緑化公園だ。
蒸し暑い夏の暗闇の中、気の早い虫達は既に熾烈な伴侶獲得の為の歌謡祭を催している。無論、虫に限った話ではないが。
青春を謳歌する学生が逢瀬をしたり、それを邪魔する落第生が屯していたり。昼間とは真逆の表にはでない騒がしさが、満ち潮のように溢れている。
「で、結局アンタの名前は?」
「はいよ、フレンダちゃん。俺は対馬 嚆矢、弐天巌流学園三年で合気道部所属。絶賛、彼女募集中」
「最後の情報はどォでもいィとして、弐天巌流……あの、『武の巓』の?」
「一番重要なトコなのに……そ。その弐天巌流でオーケー。まぁ、時代錯誤の三流学園さ」
そんな中を、何でもなさげに三人は歩いている。女子二人にギャルソン、どんな組み合わせかと注目を浴びそうなものだが……自分達の世界に浸るのに忙しいのだろう。誰も気になどしていないようだ。
その証拠に、今もほら。押し隠した熱い息吹が、其処彼処から。絡み合う吐息とぶつかり合う肉の音が、茂みや物陰から恥ずかしげもなく木霊して。
「ふ~ん」
「……何か?」
「いえいえ、何で覆面なんてしてるのかなって気になっただけな訳よ。別に隠すような顔じゃないってのに」
空色の瞳で上目遣いに、二歩先を後ろ歩きで行くフレンダから覗き見られる。ハニーブロンドの長い髪が、更々と夜風に流れる。居心地の悪さに口を開けば、返ったのはそんな言葉。
本当に、黙っていれば仏蘭西人形のように可愛らしいだろうに。
「何か────隠さないといけない理由でもあるんですかねェ。例えば、『表』の顔に?」
そして矢張、黙っていれば市松人形のように可愛らしいだろうに。怒りを滲ませた無表情でフードの奥から覗き見る、その瞳。
「無いって、最愛ちゃん? 俺はただ、アレ……家族に迷惑が掛かるのが嫌だっただけさ」
「“家族”ぅ? そんなもん、何を気にする必要なんて────」
「………………なるほどォ」
そう、僅かに欺瞞を。そして多分に本心も含めた、予め用意していた理由を口にして。
フレンダは怪訝な、最愛は────そんなフレンダすら黙らされる程に、更に眼光を強めて。
「要するに、自分の為に私らを欺いたって事ですか?」
「そうとも言えるかも知れねぇけどさ。俺としては、今は家族や友達の方が大事だし」
「悪いンですが、分かりませんねェ……私には、“家族”とやらは居ないもんでェ」
「居ないから分からない、なンて餓鬼にでも言えンだろォ? 知る知らない関係なく、大人なら類推して想像するもんだぜェ?」
そんな、当たり前の事を口にして。最愛の怒りを、真正面から受け流して。嚆矢は、巫山戯た様子を吹き消して言い募る。
まさに一触即発、命懸けのやり取りだ。互いに挑発し合い、先手を引き出そうとする二人のやり取りは。
「………………えっと、あれ、何かすごい真面目な雰囲気な訳だけど。口を挟んだが最後、『正体非在』か『窒素装甲』を打ち込まれそうな訳なんだけど」
「呵呵、真面目な場面じゃからな。暇なのはわかるが今はお愛の順番じゃ、少し黙っておれよ、おフレ」
「『おフレ』って、織田……あれ、アンタ何時から?」
「何を言うておる? 初めから居たであろうに」
「う~ん、そうだったっけ……いや、そんな気もするような……?」
いきなり背後に顕現した市媛に、しかしその妖魅により誤魔化されて納得してしまったフレンダ。彼女は近くの自販機の灯りに照らされ、それを眺めて。
それを無視し、最愛は嚆矢を睨み付けたままで。値踏みするように、彼に向けて。
「なら、答えやがれ……テメェ。その理由は、私の大事なものを踏み躙る理由になンのか?」
「否、なろう筈もねェ。他人の人生に、他人の人生は無縁だ」
「そう言う事だろォが、クソッタレが……!」
「あァ、そう言う事だなァ。まさに、な」
端からは、全く意味が分からないだろう。だが、分かるモノもある。それは、見逃せないレベルの『共感覚』であった。
──理解できる。嗚呼、それは、確かに。俺も感じた事のある、その感情だ。
「最愛ちゃんは、そうか……俺と同じか」
「………………………………」
「分かるぜ、その気持ち。俺もそうだからな」
「────巫山戯ンじゃねェ、テメェ如きに何が分かるってンだ!」
──俺が、“義家族”に感じたそのままを……彼女は、『アイテム』に感じているんだろう。
それを誰に、否定できるのか。少なくとも、俺には出来ない。出来ないし、もしも否定する者が居るのだとすればそれを赦しはしない。必ず、殺す。
刹那、殺意が膨れ上がる。心得のある者であれば、誰でも分かるほどに。それこそ、開戦の意思表示の如く。
傍らのフレンダが、一瞬身を固めた程に。それは、正しく一騎討ちの前問答のようであり。
「た────助けて!」
「「「────!!!」」」
闇の中から走り出てきて嚆矢に真正面から抱き付いた、白い上着に一部を金髪に染めた黒髪の少女より掛けられた、その声への純粋な驚きであり。
または────
「「「「「オォォォォォォォォォォォォォォォ………………………………………………………………」」」」」
闇の中から、よたよたと這い出るように現れた、野良犬を思わせる特徴を持った五人の『異形』への驚きであった。
その手には、何やら理解しない方が良い物がちらほらと。
「ちょ……なに、あいつら。どう見てもヤバイんだけど」
「……ふむ、どうやら『屍食鬼』か。厄介ではないが、面倒よな」
「ぐ、『屍食鬼』……なにそれ? いや、ゲームとかで聞いた事はある訳だけど」
忌々しげに口走った市媛に、フレンダが困惑した台詞を。対し、嚆矢と最愛は臨戦態勢を取る。
嚆矢は召喚した“圧し斬り長谷部”を腰に佩いて少女を背後に、最愛は『窒素装甲』を全身に纏いながら。
「成る程ねェ、道理で此処はァ!」
「随分とォ、静かな訳ですねェ!」
待ち望んだかのように眼光鋭く睨み付け、口角を吊り上げながら────!
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