Shangri-La...
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第一部 学園都市篇
第4章 “妹達”
1.August・Night:『Passage...Lost』
酷く湿った生温い夜風に乗って、生臭い鉄の臭いが鼻をつく。血と臓物と、絶命間もない死体……まだ年若い少年の死骸の臭いだ。それを引き摺り現れた、五体の屍食鬼が纏う香気だ。
野良犬を思わせる外観だが────今朝がた見たようなチャラついた服の切れ端を身に付けた、酷く戯画めいた人間型の怪物達が。
ジリジリと、まるで見た事の無いモノに興味を示す犬のように。互いを牽制するかのように、僅かずつ躙り寄ってくる。
「……ったく、前の仕事と言い今回と言い────最近は有機生命体兵器でも超流行ってンですかねェ!」
「良く分かんないけど、そっちがその気ならヤってやる訳よね!」
その吐き気を催す冒涜的な外見に、唸りを上げる程に高密度の窒素を纏う最愛とスカートの中から拳銃を取り出していたフレンダが悪態を吐いた。
対して屍食鬼どもはメスのように鋭い爪をギチギチと鳴らし、ナイフのように巨大な犬歯をガチガチと鳴らしながら少年の肉を噛み、臓腑を啜りつつ。新たな『瑞々しい獲物』を目にした彼等は、一斉に下卑た笑顔らしきモノを浮かべる。
「呵呵……どうやら、三大欲求のうち睡眠欲以外が増幅されておるようじゃのう」
それは、まるでと言うかまさに────発情期の犬のオスが、メスを見付けた時のモノで。
《穢らわしい、野犬風情が盛りおって。目障りじゃ─────討滅するぞ、嚆矢》
(言われなくてもその心算だ。征くぞ────ショゴス、“悪心影”)
『てけり・り。てけり・り!』
獣相手に、礼節も糞もありはしない。投げ付けられた骨付きの肉片や腸を、足下に蠢く玉虫色の影から沸き立つ無数の血涙を流す眼を覗かせるショゴスを、物理無効の体である触腕を自律防楯として。
更に鞘から長谷部を抜き放ち、陰に還った“悪心影”を背後に。月光を照り返す白刃を顕し、柳生新影流兵法の基本たる“合撃”の構えに。
背後で震えている少女を護る、忠義の武士のように。
「「「「「Howwwwwwwl!!」」」」」
「「「──────!!!」」」
遠吠えと共に、死骸を捨てた五つの影が猛烈な勢いで疾走る。五体が散開し、バラバラに動き回って此方の隙を狙っている。速い、並の人間であればその動きと数に眩惑されよう。
それは野犬のように精密で獰猛な、野猿のように複雑で老獪な『狩り』だった。
「こんのぉ!」
先ず、拳銃を手にするフレンダが反応した。『ベレッタM93R』を学園都市の技術で改良した『ベレッタM93R2“ブリキの木こり”』……銃口の跳ね上がりを電子制御で抑えた、三点射で弾幕を可能とする機関拳銃を放つ。
まるで木こりの電動鋸のような、そんな音が響いて。戦いに慣れた彼女は数に惑わされずに最も近い一体のみを狙って、見事に捉えた。
「ちょ、何よコイツ、効いてない?!」
だが、全くもって屍食鬼には通じていない。曲がりなりにも『鬼』か、その生護謨じみた肌は銃弾を受けても尚、貫かれる事なく弾き返して。
射撃を受けたその一体が、反撃とばかりに牙と爪を剥いて躍り掛かる。血肉と臓腑のこびり付いた、不潔極まる野獣の武器を振りかざして。弾切れになった拳銃を楯にするかのように、フレンダは身構えて。
「────犬ッコロが、俺より先に手ェ出してンじゃねェ!」
「っ……ジャ、嚆矢!?」
《チッ────貸しにしておくぞ、嚆矢!》
それを、長谷部の白刃で受ける。受け止めた汚穢の爪牙に、“悪心影”が反吐を吐いて。
「────失せろ!」
「ギ、ガへ!?」
その勢いのまま、刀を振り抜く。夜闇に火花を散らしながら、牙と爪を斬り裂いた長谷部は屍食鬼の親指以外と上顎から上を跳ばして。
間違いなく、誰がどう見ても致命傷だ。後は、その末期を見届けるだけで。
「────Geaaaaaaa!」
「なァ、にィッ!?」
その状態で黒く濁った血飛沫を撒き散らしながら、屍食鬼はゴリラのように強靭な腕を振るう。全くの予想外、辛うじてそれをショゴスの自律防御が受け止めた事で左腕の打撲程度の外傷に収まった。
「チッ────超気ィ抜いてンじゃねェですよ!」
瞬間、最愛が屍食鬼を殴り飛ばした。その隙に、三体の屍食鬼が彼女に向けて躍り掛かって。
「図に乗ってンじゃ────」
「────無いって訳よね!」
それを嚆矢はショゴスの中から引き出した火縄銃の『炮烙火矢・震天雷』で、フレンダはスカートの中から引き出した棒付榴弾の『携行型対戦車ミサイル』で、其々撃ち落として。
その爆風で、残りの一体も吹き飛ばされる。しかし、直撃を受けた個体以外は無傷らしい。
「Grrrr…………」
「うげ……結局、マジでキモい訳よ」
下半身を、上半身を。爆風の余波で四肢を失っても尚、屍食鬼どもは躙り寄ってくる。
素早い動きこそ、傍観していた個体と爆発に巻き込まれた個体のみだが。より一層、化け物の度合いを増した屍食鬼どもに辟易した眼差しを向けて。
《ほう、どうやらただの屍食鬼ではないのう……死体に死霊を憑依させたものか》
(その心は?)
《体を消滅し尽くさぬ限り不死じゃ、微塵に刻んだところで動くぞ》
(また、面倒な……)
痛む左腕を誤魔化すように、力を籠めて刀を握る。握り締めて、右腕を見遣る。数日前、『二つの異能』を振るった右腕を。
生まれるより早く、約束されていた右腕を。
──あの時の異能ならば……あれならば、コイツらも消滅させられるだろう。魂までも凍り腐らせる絶対零度の右撃と、魂までも焼き尽くせる無限熱量の右撃で。
この二つなら、殺してやれる筈だ……この哀れな骸どもを。きっと確かに、きっと速やかに──────殺して、やれるんだ。
そんな、希望的観測を持って見詰めて。直ぐに、馬鹿馬鹿しいと改めて。
《では、使うかのう? 貴様が呼べば、あの双子は来よう》
掛けられたその声に、拭いきれぬ悪心を。焼き尽くすかのような邪悪を、背後に感じながら。右腕を、握り締める。殺す為の腕を。救う事など有り得ない、ただ奪う為の右腕────混沌の右撃を。
(否、有り得ない。たった二回しか使えない術なんて、敵の全容が計れない今は使えない)
《ふむ……では、どうする? あれを殺しきるなど、至難の技ぞ?》
(ハッ────不死身を殺す方法なンざァ、他に幾らでもある)
《成る程、道理じゃな》
長谷部の柄を握り締めて、浅はかな考えを捨てる。分かりきっている事だ、『英雄』ではなく『悪鬼』である己に、そんな自己犠牲で得られるものなど有りはしない。
まだ、敵が五体とは確約されていない。だから、ここで無駄撃ちして後々必要な時に役立たずでは、目も当てられまい。
「………………………………」
「Grrrr…………!」
隙無く刀を構え、屍食鬼の出方を待つ。新影流兵法の基礎、『臨機応変』を体現するべく屍食鬼の呼吸を測る。新影流兵法の基礎にして、奥秘たる一撃の為に。
「Graaaa!」
刹那、五体満足な最後の一体が飛び掛かってくる。速い、先程までの個体の比ではない。素体となった人間の基本性能が良かったのか。
「柳生新影流兵法────」
だが、見えている。端からその個体に警戒していた嚆矢は、迷わずに正調上段より長谷部を振り下ろす。
稲妻のように、その一撃は速く。
「ガ、ギャヒ─────!?」
斬り臥せる。伸ばされた腕ごと、その身を断ち斬った。
「Ghiiiiii!!!」
だが、まだ動く。屍食鬼の肉体は、致命傷を受けても尚、まだ獲物に喰らい付くべく吠え声を上げて。
「────“村雲”!」
一歩下がり、喉笛のあった空間を噛み締めた屍食鬼と目が合う。その目に映るのは長谷部の閃き。
下段からの返しの一刀で、その素っ首を断ち切る。首を飛ばされた屍食鬼は、悲鳴すら上げられずに────
『てけり・り。てけり・り!』
傷口から侵蝕を開始したショゴスに呑み込まれていく。生物も無生物も溶かし、同化するショゴスならば不死だの何だのも無意味である。
後の四体も、それでカタがつこう。幸い、動きが速いのは後一体。その個体も、既に頭部を喪っている。更に、テープ式の壁面破壊器を地面に罠として設置して下半身のみの個体の両足を引き飛ばしたフレンダと踵落としで上半身のみの個体のアタマと両腕を捻り潰した最愛も、この程度の相手に遅れを取る事もないだろう。
「……大丈夫だったかい? 怖かったね、もう大丈夫だ────」
「……はい…………っ……あの………………」
一段落がついた安堵からか、背後の存在を思い出す。時折震えた声を漏らす、小さな……まだ小学生くらいの。
最愛とそう体格に変わりはない少女に向けて、振り向き様に声を掛ける。安心させようと、精一杯に優しい声を出して。
「あの……私の事、覚えてない…………?」
「──────え?」
縋るような問い掛けを受けて、刹那────白い、白い、白い部屋を思い出す。息苦しい程に狭い、無機質な立方体の空間。見覚えが有り過ぎて、吐き気を催すほどの……実験室の記憶を幻視して。
その視界の端、自販機の脇に垣間見た気がした『異形』。場違いなメイド服を纏う、口許を押さえた少女を。
まるで嗚咽を堪えるかのように、肩を震わせている……己と同じくらいの年代の、さながら人形のように精密で、精緻で、美しい娘。
────可哀想、可哀想。
「ッ────!!」
だが、嗚呼。それは『悲嘆』ではない。口を開かずとも、言葉は無くとも────如実に訴えかけてくる。怖気を伴いながら、吐き気を催す程に。
団栗のような、硝子玉の瞳。それは、見間違えようもなく『嘲笑』に歪んでいる。
────可哀想、可哀想。可哀想な『孤独な人狼』。血に塗れたその牙で、その爪で。何人救って赦されるつもり?
「クッ…………!」
目は口程に物を言うモノ、だからこそ、人は彼女の瞳に『幻聴』を聞く。最も聞きたくない台詞を、己の記憶から揺り起こして。
────さぁ、機械のように冷静に、チク・タク。チク・タク。機械のように冷厳に、チク・タク。チク・タク。機械のように冷酷に、チク・タク。チク・タク────飢える、飢える、喚ぶの!
幻の嘲弄は、振り向き様の一瞬の出来事。目を戻してももう、何処にも『異形』は居らず。代わりに、気付く。背中に寄り添うように震えている少女に。
「っ……ふ、ふっ……くっ、ふふ」
「────────」
否、違う。初めから、震えてなどいない。
視界の端に見えた、あの『異形』と同じく────肩を震わせて、嘲笑を堪えているだけだ。
「────」
振り向ききった嚆矢の目に映ったのは、黒く長い髪。一部のみが金髪に染められた、その髪が────直ぐ、間近に。
「……そォかよ、やっぱり忘れちまったのかァ。いや、ガキの戯言なンて信じて夢見てた私が馬鹿だったってェだけか」
「何、が────ッ?!」
間近に迫った、何か一つ、夢を捨てて現を受け入れたかのような黒い瞳に湛えられた────疲れと諦め。そしてその奥に潜む、何か酷く悪辣なモノを認めて。
そのせいだろうか、反応できなかったのは。例え万力じみた腕力で頚を絞られたと言えども。屍食鬼どもの運んできた血臭に紛れて気付かなかった────人造の臭いに。
「ッ────何を!」
肌理細かで、ひやりとした感触が唇に。微かなミルクのような香りが、鼻孔を擽って。流し込まれた、致命的に甘く温いモノに────技尽くで、少女を振り払う。
「しや、がァ─────る」
刹那、世界が回る。全色の絵の具を一斉に混ぜたパレットのように、まるで二日酔いの最悪レベルのものを濃縮還元したような。とても立ってはいられない。
膝を折り、両手をコンクリートに突いて這いつくばって。漸く、洗濯機の中で洗われている衣類の気分となる。
先程見た『異形』のように、口許を押さえた姿で。最早顔を上げて、彼女を見る事すら出来ずに嘔吐感を呑み込む。
「どォだァ、“悪酔葡萄酒”の味はァ? 聞こえてても、意味なンて解かンねェだろォけど」
その嚆矢を見下ろして、嘲り笑う少女は白いコートを寛げると袖から腕を抜き、フードのみを目深に被って羽織る。覗いたのは、今までコートに隠されていた革製の衣服。
『いい様だな、コウジ……この我を一度ならず、二度までも侮った報いだ……!』
そして──吹き抜けた、突風じみた風。腐肉のように甘ったるい、瘴気を孕んだ風が吹く。少女の手元に現れた、鉄の装丁の魔導書が巻き起こした穢れの風が。
『この、“妖蛆の秘密”をな!』
悍ましき異教の秘技を記した、最後の十字軍の生き残りが著した魔導書が。これで三度、立ちはだかった────。
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